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フラッシュバック
1874年イギリス、ロンドン近郊の港、青みがかった灰色の海と空の彼方から冷たい風が吹つけ、霰混じりの冷たい雨が顔に痛い。停泊している巨大な船は静かに揺れ、マストにはユニオンジャックが強風にちぎれるように旗めいている。
雨に濡れた旗の赤が、海よりも青い旗の青と、花よりも白い旗の白の上に、血のようににじむ。あれは血の旗ではなく肉の旗なのだ。旅人は、すでに血の赤旗も、三色旗も捨てた。やがて、近代の野蛮人となってこの旗の船で植民地に行くのだろうか。もう、多くのものを捨ててきたのだ…。多くの血を流してきたのだ…。
風が鳴っている、はるか昔の軍楽のように。氷雨の痛さも顔に当たる音も、耳に鳴る風の音も、なんと心地よいのだ。にじんだ旗は、様々な姿、形に旗めいている。あの昔の、激しい欲情、幻覚、恍惚…、そして音楽。なんと心地よいのだ…
…だが、涙は涸れた。空には旗があるだけだ…
タイトルの「野蛮な Barbare 」は「野蛮人」「蛮族」などと訳されていますが、本来の語意は形容詞「野蛮な」です。私も始めは名詞化した野蛮人
les barbares の意味と考えていましたが、形容詞のタイトルで形容する対象を読者に探させるスタイルの詩ではないかと考えるようになりました。「古代の」「神秘の」「首都の」と同じスタイルではないでしょうか。では、この「野蛮な」が形容する対象は何でしょう。私は「旗」と考えています。つまり、野蛮な旗
le pavillon barbare です。「野蛮な Barbare 」という形容詞は、未開、粗野などの意味ですが、辞書ロベールで調べると第1義に、「ギリシャ、ローマ、後にはキリスト教国にとって外国の」とあります。この詩では、まずフランスから見たイギリスという意味が考えられます。ランボーの時代、産業的には進んでいたイギリスも、文化的にはヨーロッパ大陸、とくにフランス、パリにあこがれていました。そういうフランスかぶれのイギリス人のブルジュワ紳士のことを呼ぶ「スノパリ」(スノッブ+パリ)という言葉もありました。もうひとつに、「イリュミナスィオン」中の詩、「客寄せ道化」のように、植民地を侵略しているイギリス人、フランス人などのヨーロッパ人の方が、実はアフリカなど植民地の原住民より「野蛮な」人々なのだという意味が隠されているように思います。
この詩には、「イリュミナスィオン」の「首都の」「祈り」などの詩と同じように、かっての見者の詩的錯乱の体験が象徴化されて描かれています。この「野蛮な」では、麻薬の幻覚体験がフラッシュバックした時を描いているように思えます。「イリュミナスィオン」の「陶酔の午前」に書かれた「暗殺者(アシッシュを吸う人)」「軍楽」など、同じ言葉が、過去のものとして語られています。
後期韻文詩編の「涙」には、「天から、風が、沼に氷のつぶてを降りつけていた…」(「地獄での一季節」の「錯乱U」の引用では「神の風が、沼に氷のつぶてを降りつけていた。」とあり、神の怒りの雹が降っている情景と考えられますが、ここでは、見者の高揚と陶酔が霰となって降りつけます。霰、風と霰のはぜる音、稲光、雷鳴が混じっりあっています。霰(氷)は、同時に火(燠)でもあり、ダイヤモンドでもあるのです。「燃えさかる燠火
brasiers 」は、後期韻文詩編の「永遠」の「サテンの燠 braises 」の名残りなのでしょう。「おれたち」とは、かっての見者の夫婦、ランボーとヴェルレーヌのことでしょう。
なお、「旗 pavillon 」は船の旗(艦旗)のことです。海の青と花の白そして血の赤の艦旗は、その色と形からイギリス(大英帝国)国旗、ユニオンジャック(ユニオン・フラッグ)と考えました。真ん中の赤の十字はイングランド、青はスコットランド、赤のXはアイルランドを表し、このデザインは1801年に制定されました。
解説掲載:2001年11月28日、2004年9月24日変更、2008年11月17日追加
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