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別れの言葉
タイトルの「祈り」は原詩では「
Devotion 」、一般的には「献身」「敬神」という意味です。複数で「祈祷」という意味にも使われますが、このタイトルは単数です。しかし、詩の内容が、ランボーが回りの人々に、そして詩人ランボーに別れを告げているものなので(別れの)「祈り」というタイトルにしました。
1874年3月、ランボーは詩人ジェルマン・ヌーヴォーとロンドンに滞在します。6月、ヌーヴォーはフランスに帰ります。7月、ランボーの母親と妹ヴィタリーがロンドンで仕事を探しているランボーを訪ね、1か月ほど滞在します。この詩は、母と妹の滞在を契機に書かれ、「イリュミナスィオン」の中でも、後期に書かれた詩と思われます。
始めの二人のシスター(修道女)について様々な解釈がありますが、私は妹ヴィタリーと母親(ヴィタリー)のことと考えます。原文では「シスター」にあたるところは
ma soeur と書かれていますが、「 ma (私の) soeur (シスター)」で修道女への呼びかけとなります。母とは呼びたくないランボーのレトリックもあるように思えます。
最初のシスターの「ヴォランゲン」、「ヴァナン」はヴィタリーの頭文字「 V 」からくるのでしょうが、それ以上の意味は分かりません。「コルネット」は修道頭巾のことですが、この頃の頭巾型の帽子を古着としてインターネットのサイトで販売しているのを見ました。ビスクドールでも、1880年のロング・フェイスド・ジュモー(ジュモー
Jumeau は人形制作者名が工房の名前となったもので、双子という意味の言葉でもあります)が濃いブルーの服に、揃いのブルーのコルネットを被っている少女人形を見ました(銀座ドルスバラード、2003年8月のアンティーク・ドール展の展示、85cmn
のビスクドールで、腕は木製で関節がありました)。「難船した人々」とは、身体の弱かった妹へのランボーの同情なのでしょう。このヴィタリーの前に、同名の妹が生後3ヶ月で死んでいます。同時に詩の世界に溺れた人々をも暗示しています。そして、後半に出てくる「海のキルケ」への伏線となっています。
次のシスター、「森のライオン Leonie AuBois 」は、後に続く「母親と子供」で分かるとおり、母親のことと思います。leonie
で獅子(ライオン)のようなという形容詞(女性形)があります。AuBois は文字通り au bois で「森の」という意味と取れます。「アッシュビー
Ashby 」はイギリス風の地名ですが、Ash (灰)の by (側)、つまり釜戸のそば、台所にいるという意味でしょう。「バウ」は犬の吠え声ととられています。
「リュリュ Lulu 」は同音の繰り返しの名前で子供言葉ととれるので、「ちゃん」をつけました。ポール・ヴェルレーヌが自ら名前をもじったポーヴル・レリアン(あわれなレリアン)から来てるとも、他にも様々な説があります。「女友達」は、1868年に匿名で出したヴェルレーヌの詩集「
Les Amies 」のことと言われています。ヴェルレーヌのキリスト教への改心を皮肉っているように読めます。続く「奴ら」は、ヴェルレーヌの周りのパリ文壇の人たちのことでしょうか。ここだけ、「a」ではなく「
pour 」が使われていますが、音の響きで選ばれたと考えられます。マダムはヴェルレーヌの母親ではないかと思います。
「貧しい人々」はキリスト教の教えの「心の貧しき者」の言い換えと読めます。そして「高位の聖職者」はキリストでしょう。
「礼拝」は、当時のフランスで盛んであった「ルルドの泉」への巡礼を連想させます。と、同時に、「客寄せ道化」にあるように、植民地への帝国主義的侵略のひとつの手段としてのキリスト教を暗示しています。従って「重大な悪徳」は、植民地侵略により成り立つ当時の社会的・個人的欲望と西洋近代(資本主義)社会のシステムのことだと思います。ジャンコラは、「地獄での一季節」と関連付けて「救いの追求」と読んでいます。さらに同性愛、無知、麻薬、詩などの読みもあることを紹介しています。
「海のキルケ」は原詩では「 Circeto 」で、キルケはギリシア神話の魔酒を飲ませ人を豚に変えてしまう妖女、魔女です。ジャンコラは、キルケ+セト(
Ceto )の造語で、セトはヘスペリデスの龍を生んだ海と陸の娘と解説しています。初めは、「キルケ Circe 」に小さい意味を表す「t」の音を付け加えたと考えましたが、描写の内容から、この部分はオーロラの輝く北極のイメージであり、ジャンコラの説に従い「海と陸」、陸は実は氷山ですから、「北極海」という意味で「海の」という訳にしました。この部分は、抽象的、象徴的に、見者の詩の世界をイメージしていると思われます。「氷
glaces 」は、「脂ぎり grasse 」と音遊びをしています。「龍涎香 ambre 」は ambre gris であり、「琥珀 ambre
jaune 」とも考えられます。この言葉には、隠語で精液の意味があるそうです。Wikipedia には「龍涎香(りゅうぜんこう)あるいはアンバーグリスとはマッコウクジラの腸内に発生する結石であり、香料の一種である。」と書かれています。北極海のイメージから考え「龍涎香
ambre 」と取りました。ジャンコラは、照らされた eclairee という意味に解しています。「火種」は「 spunk (スパンク)」で、ラコストの説では、英語で火口(ほくち、火打石で火を付けるときに、まず火を移しとるもの)のことです。また、アンダーウッドの説がポショテク版のブリュネルの注に紹介され、ジャンコラも指摘していますが、spunk
には英語の隠語で精液という意味があるそうです。かつての原宿ホコ天にはイギリス国旗のバンドバナーで SPUNK という名前のロックバンドがありました。ホコ天の中では珍しく、政治的な歌を歌っていました。さて、ここでのキルケは、オーロラをイメージしていると思われます。北極海の氷山の上に赤く輝くオーロラは、人を魅了しますが、実体のあるものではありません。かっての見者の詩の世界を、北極の氷の上に輝くオーロラに喩えたのでしょう。フランス語のオーロラ
aurore polaire は、夜明け aurore を連想させます。イリュミナスィオンの「夜明け Aube 」の女神 deesee は、実はキルケだったのかも知れません。なお、このキルケは、ボードレールの詩集「悪の花々(華)」の最後を飾る詩、「旅
Le Voyage 」 のキルケから引かれたのではないかと考えています(下参照)。
最後に、「ただ一度の祈り」として、かっての見者の苦行を超えるランボーの決意が語られます。それは、もう「この世ならぬ( metaphisiques
)旅」つまり「見者」「詩」「文学」という「形而上の旅」ではありません。
ランボーにとって、ボードレールの「旅」は、彼以前の詩の到達点として意識されていたのではないかと思われます。「酔いどれ舟」は「旅」を起点として対応した詩であり、この「祈り」は「終点」として対応したのではないかと考えています。「旅
Le Voyage 」 第T部、第3・4節です。
ある者は、歓び勇んで忌まわしい祖国から逃れ、
ある者は、故郷への憎悪から、そして、ある者、
女の目の中に溺れた星占いたちは、
危険な香りを放つ逆らいがたい魔女キルケから逃れる。
獣の姿に変えられないために、彼らは酔う
天空と、光と、燃える空に。
彼らを噛む氷が、赤銅色に焼く太陽が、
ゆっくりと接吻の跡を消してゆく
解読掲載:2001年11月28日、2003年4月26日、9月20日、2006年4月5日、2008年10月14日更新
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