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ランボーと船
この詩は、「マリーン」と同じ自由詩のスタイルをしています。ガルニエ版の注(
S. Bernard, A. Guyaux )には1872年に文芸誌「ルネサンス」に翻訳で掲載されたアメリカの詩人、ホイットマン( Walt
Whitman 1819−1892)の影響を見ています。また、1873年の5月にオスタンド・ドーバー間の航海を契機に書かれた詩ではないかと、推定しています。しかし、この時すでにランボーは「地獄での一季節」の前身である「異教徒の書」、「黒人の書」に着手しています。むしろ、1872年9月の最初の航海を契機に書かれたと詩と考えた方が、この詩の明るさに合っていると思います。
タイトルの「運動 mouvement 」は、「横揺れの運動 le mouvement de lacet 」に使われるだけで、他には出てきません。この詩の全体の意味から考えると、時代の進行と船舶の運航をあわせたような意味と考えられます。ランボーがなぜこのタイトルにしたのかは、分かりません。
この詩は、一見、運河を行く船のような印象を受けますが、内容から考えて、ヨーロッパから植民地に向かう大型の船舶と思われます。わたしは、ランボーが「マリーン」と同じように、海の船での体験を故郷シャルルヴィルのムーズ川での体験・映像に置き換えたのではないかと考えています。最初の部分は、大型船の甲板から見た船首の、船尾の、船腹の水流でしょう。4行目の「潜行
passade 」は、本来は馬術の回転歩の意味ですが、水泳用語で、他の泳者を潜行させて自分の下を通過させることの意味があります( Littre
)。つまり、船体の下の水流と思われます。
この船は、当時の科学技術、つまり近代工業化社会を積んで、植民地を始めとして世界の海に向かうヨーロッパ列強の黒船です。しばし指摘されるように、化学は科学(技術)と錬金術のふたつの意味合いを表しています。「血
sang 」は「悪い血筋 mauvais sang 」と同じように、種族、民族、血統を表しているのでしょう。花は文化、火はエネルギー、宝石は財力、資本でしょう。
この詩の最後で、「若い夫婦が孤立して箱舟に乗り込み」ます。原文を直訳すると「箱舟の上に孤立する」となります。この「若い夫婦」は、ランボーとヴェルレーヌの見者夫婦でしょう。彼らは近代文明から離れて「太陽の息子の原始の状態」(イリュミナスィオン/放浪者)を探しに現代の「箱舟
arche 」に乗り込みます。この詩で見る限り、若い夫婦は、溌剌として意気盛んです。
この詩、「運動」の「船」にはわざわざ大文字で始まる Vaisseau という言葉が使われています。これは船舶、つまり大型の船の意味です。現在では、主に軍艦という意味に使われるようです。そして、この「船
vaisseau 」がふたたび出てくるのは、「地獄での一季節」の「永別」です。「おれの上では、朝のそよ風の中で、黄金の巨船が色とりどりの旗をはためかす。」この船は、ヨーロッパの近代工業化社会と帝国主義進出の勝利を満艦飾に飾り、天空を凱旋します。そして皮肉なことに、この勝利に対抗して並べられた見者ランボーの戦利品、「祭り」「ドラマ」「花」「星」「愛欲」「言葉」には、「運動」に書かれた船の積荷と機械装置との奇妙な類似を感じてしまいます。
ランボーの船は、「思い出」(後期韻文詩編)の中では、「小舟 canot 」です。やがて「船 bateau 」、つまり「酔いどれ船」となってヴァーチャルな大海を航海します。しかし、現実の海を航海する近代的な「船舶
Veaisseau 」から降りたランボーとヴェルレーヌの若い見者夫婦は、古代の「箱舟arche」に乗り込みます。そして、このarcheは「地獄での一季節」の「永別」の中では「小舟
barque 」となって霧の中に孤立します。この barque は、パソコンパーツなどのバルク品のバルクです。barque fatal は三途の川の渡し舟です。近代社会への反抗の夢を託された小さな箱舟はここに座礁します。わたしたちは、ランボーの箱舟の行く末を知りません。
「ヴォリンゲンのルイーズ・ヴァナン・シスター様へ。 ― 北海に向いた彼女の青いコルネット。 ― 難船した人々のために。」(イリュミナスィオン/祈り)
解説掲載:2002年9月30日
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