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ランボー appendix

ランボーBBSログ - 2005年01月23日~06月28日

■ル・モンドの表現
Parolemerde2001 at 1/23(日) 19:53:03 No.paroparo-20050123195217

ランボーの「谷間に眠る人」の英訳について、
フランス人と昨年、意見を交換したことを書く予定ですが、時間が取れずにまとめていません。

フランス語と英語を読み直して、ランボーが「谷間に眠る人」の胸に乗せられた手を la main sur sa poitrine と表現していました。
英訳では、his hand と訳されることが多いのですが、フランス語と同様に the hand と訳し直しました。
ランボーは所有形容詞を使わずに定冠詞を使用して、兵士が死んでいることを臭わせていると考えました。

ところが、21日付けのル・モンドのアメリカ合衆国・ブッシュ大統領の就任式での宣誓の描写は次のようになっていました。

George Bush a prete serment, la main gauche sur une bible et la main droite levee,...

聖書に誓うことは、一般的には jurer sur la Bible となりますが、
手には、所有形容詞ではなく、定冠詞が使われていました。
なぜ、ルモンドの聖書は不定冠詞で小文字なのでしょうか?
最近は、宗教的な問題を避けるためにこういう表現をするのでしょうか?

何かご意見がございましたら、ご教示ください。

■>ル・モンドの表現
Parolemerde2001 at 2/2(水) 08:47:07 No.paroparo-20050202084423

ヤフーのマラルメトピで、トピ主の三さんから以下のコメントがありましたので、
紹介させていただきます。

「Le Mondeのune bibleのことですが、
たとえどのような意図があって小文字を使ったとしても、
読者に与える印象は、貴兄の指摘のようになりますね。
Le Mondeは他の記事にもla bibleを使っています。
しかし同紙で、そしてフランスで、
このことが一般化しているのかどうか私には分かりません。

P.-S.
このような例もあります。
http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3222,36-395020,0.html 」

■>>ル・モンドの表現
Parolemerde2001 at 2/10(木) 11:49:17 No.paroparo-20050210114745

オーブさんから、貴重な意見のメールがありましたので、
以下にご紹介いたします。

-------------------

定冠詞プラスBが大文字になると聖書の物語を表していて、
不定冠詞プラス小文字は聖書の本そのものだと思われます。
La Bibleは固有名詞と考えられているようです。

George Bush a prete serment, la main gauche sur une bible et la main
droite levee,...

ブッシュ大統領は聖書の「本」に左手を置いたわけですね。

Hommeが人類を表し、 hommeが人という意味に使われるのと
同じような感じではないでしょうか。

ちなみに、物語としての聖書をla bibleと小文字で書いても間違いではないで
す。paris, osaka, tokyoと固有名詞でも最初の頭文字を小文字で書く人がいま
すので。

■>>>ル・モンドの表現
Parolemerde2001 at 2/10(木) 11:50:46 No.paroparo-20050210114932

以下、私の読みの返信です。
何か、ご意見をお持ちの方は、是非、参加してください。

そうですね。定冠詞と大文字の「聖書」は、聖典を指していると思います。
でも、記事などでは、定冠詞と小文字の聖書も見かけます。
これは、確かに「間違い」では無いけれども、
地名の場合などは当てはまらないとは思いますが、
「聖書」の場合は、意識としては、大文字よりも軽いのではないでしょうか。
特に、例に示したル・モンドの場合、ブッシュ大統領はキリスト教徒であり、
所属する教会についていも報道されたこともあるくらいで、
本来ならば定冠詞になると思われます。
ですから、このコメンテイターが、
ブッシュ大統領の信仰するところの(あるひとつの流派の)聖書、
あるいは、いろいろある聖典のひとつである「聖書という本」という意味を、
無意識にせよ、表現に入れ込んでしまったと私は読みました。

固有名詞の大文字、小文字の使い分けですが、
フランスの場合は分かりませんが、
インターネットの普及により、大文字の使い分けが減った面もあると考えています。
アドレスとかは、すべて小文字になるので、固有名詞も小文字で始まるようになりました。

■Le Monde の表現について
オーブ at 2/11(金) 18:27:16 No.paroparo-20050211182111

パロさん、みなさんお久しぶりです。
なかなか継続して参加することができませんが、
時間のあるときにロムさせてもらっています。

ところで、La Bibleについてですが、
私が思ったのは、例えば、ブッシュ大統領がキリスト教徒だと知らない人がいますよね。(私も実はそのうちの一人でした)
そういう人も含まれる、全世界の人々にむけて、わざわざ「キリスト教徒」あるいは「キリスト教の聖典」と強調する必要もないのでは、ということです。このコメンテイターは、大統領が「ある」宗教を信仰していて、それに誓った、くらいにとどめておいたのではないかと。
パロさんがマラルメBBSでおっしゃってた、宗教的な争いを避ける、というのに近いです。
それにここでは、ブッシュ大統領が何の宗教を信仰しているかあまり重要ではな
いような気もしますので・・。

>固有名詞の大文字、小文字の使い分けですが、
>フランスの場合は分かりませんが、
>インターネットの普及により、大文字の使い分けが減った面も
> あると考えています。
>アドレスとかは、すべて小文字になるので、固有名詞も小文字
>で始まるようになりました。

それは考えられます。
比較的若い人がそのように使うと思います。
ちょっとオシャレ(?)みたいな感覚でしょうか。
慣れないと、ちょっと読みにくかったりするんですけどね(^^;;)

■「谷間に眠る人」の英訳について-1
Parolemerde2001 at 2/25(金) 11:10:30 No.paroparo-20050225110431

オーブさん、みなさん、こんにちは。
「谷間に眠る人」の英訳について書こうと思いながらなかなかまとめられません。
フランス詩トピで類似した話題がありましたので、ここで取り上げて、
一部だけ私の読みなどを書きます。
ご意見がございましたら、ぜひお寄せください。

------------------------------------

ヤフー、フランス詩トピで、マラルメの詩 Soupir が取り上げられています。
http://poesie.webnet.fr/poemes/France/mallarme/14.html

wortunsehc3さんが英訳を紹介してくれました。
(少し原詩とは違うスタイルになっています)
http://gallery.sjsu.edu/paris/symbolism/selectedpoems.html

原詩5行目の Fidele は、英訳では Faithful なのですが、
どこに掛かるか話題になりました。
詳しくはトピを読んでいただくとして、
昨年後半にフランス人から問題点を指摘された、
私の「谷間に眠る人」の英訳を校正したときにも、
類似した疑問点がありました。
なかなかまとめるて書く時間が得られないので、
まずここでは、「谷間に眠る人 Le Dormeur du Val」の最後の2行だけ検討してみます。

原詩が掲載されている Poesie francaise にこの詩の朗読も入りましたので、
参考に聴いてみてください。
http://poesie.webnet.fr/poemes/France/rimbaud/3.html

原詩(最終2行・アクサン省略))
Il dort dans le soleil, la main sur sa poitrine,
Tranquille. Il a deux trous rouges au cote droit.

原詩に意味的に忠実な訳です。
He sleeps in the sun, his hand on his quiet breast.
He has two red holes in his right side.

ただし、 main, cote には定冠詞 la, le(the、その)が付けられています。
最終行の le cote では、a と繋がり、au cote となっています。
英訳では、定冠詞ではなく所有を示す his に訳されています。
この詩はアレクサンドランのソネですから、
音綴数や音の響きへの考慮もあったと思われます。
さらに考えられるのは、兵士は死んでいるのですから、
物的に表現して、le(the、その)にしたのではないかということです。
微妙なことで、原詩では疑問も無くすらっと読めてしまいます。

最終行、行頭の Tranquille は、ピリオドが続いていますから、
形容詞で前の poitrin にかかります。
しかし、同時に副詞的に次行の印象を示しています。
この効果、つまり行頭の効果を出すために、
英訳でも、行頭に出す試みがされています。

Oliver氏
He sleeps in the sun, his hand on his breast
At peace. There are two red holes in his right side.

Fowlie氏
He sleeps in the sun, his hand on his breast,
Quieted. There are two red holes in his right side.

私は、副詞に替えて訳してみました。
He sleeps in the sun, the hand on his breast
Quietly. He has two red holes in the right side.

どのような訳が適切か難しいのですが、
こうして翻訳を考えると、原詩の構造などがより理解できます。
(私は時間がかかって疲れましたが…)

さて、話しが戻ってマラルメの Soupir の Fidele ですが、
この場合は、次にはカンマが続くので、両方に掛かる効果が意図的に強くされていると思います。

■「谷間に眠る人」の英訳について-1 訂正
Parolemerde2001 at 2/26(土) 02:30:38 No.paroparo-20050226022605

原詩(最終2行・アクサン省略))
Il dort dans le soleil, la main sur sa poitrine,
Tranquille. Il a deux trous rouges au cote droit.

とありますが、以下 poitrine の後にカンマが無いのが正しいです。
Il dort dans le soleil, la main sur sa poitrine
Tranquille. Il a deux trous rouges au cote droit.

実は Poesie francaise のサイトからコピペして、
そのとき、あれっと思ったのですが、チェックしませんでした。(汗)
このサイトではタイトルが Le dormeur du val と小文字になっています。
ランボーの手書き原稿写真版でも見直しましたが、
カンマ無しと Le Dormeur du Val です。

■Monte と Fidele
Parolemerde2001 at 2/28(月) 10:37:41 No.paroparo-20050228103556

マラルメは詩の韻文詩の構成に特に技法を凝らした一人だと思います。
自作の詩の朗読も、彼自身のサロン「火曜会」で行っていました。
詩は、おそらく1枚の紙の上の整列された文字の集合ではなく、
音として聴くものであり、同時に、絵として見るものだったと考えられます。
マラルメが活字を始めとして、詩の印刷デザインに拘ったのは良く知られています。

音としての詩を考えると、この Fidele が、庭にも、噴水にもかかるということが解かります。
朗読者は、表現にもよりますが、おそらく、melancolique で軽く切り、
Fidele でも、軽く切るでしょう。カンマが後に来ますから。
聴いている人には、まず庭園がイメージされ、
それが、(今までの秋の光景からも)melancolique に彩られます。
次の Fidele (忠実な、誠実な)、でふと立ち止まります。
忠実な庭園は、庭園の主人を(虚しく)待っているのでしょう。
その庭園には、あの「青空」に白い噴水がため息をついています。
噴水は、ヨーロッパの庭園、つまり宮殿などの前に人工的に作られた庭園の池で、
王侯貴族の権力の象徴として天 ciel に向かって吹き上げていたのです。
ここで、Fidele と文頭に出した形容詞に託したマラルメの意図が聴こえてきます。
しかし、音の関係もありますが、Loyal (忠実)は使われていません。

この前半の5行の中で、Monte も行頭で同様の効果を持たされたと思います。
最初の Mon ame の動詞ですが、やはり、1行下の jet d'eau にも影響を与えていると思います。
噴水にもいろいろのスタイルがありますが、
ここでは soupire (溜息をつく)が使われ、タイトルの名詞の「溜息 Soupir」と呼応しています。
この噴水は、一条に上に吹き上げている、
つまり Fidele (誠実)に、Monter (上昇)しているのでしょうね。
(でも、l'Azur には届かない…)

マラルメは、特に画家とは交流があり、
マネ、ルノワールなど当時の印象派の画家たちに自分の詩集の挿絵や肖像画を依頼しています。
詩集のデザイン、活字りなどにも細心の注意を払ったことが、
ステンメッツの「マラルメ伝」にも書かれていました。
特にマネとの交流は深かったようです。

この詩にも、印象派の絵画を思わせるような趣があります。

対照的に、ランボーは、「現代の絵画と詩の有名作家など取るに足らないと見下していた。
(「錯乱Ⅱ」/「地獄での一季節」)」
「私たちの欲望には巧妙な音楽が欠けています。(「小話」/「イリュミナスィオン」)」と書いたぐらいで、
異分野の芸術家との交流は、少なかったようですね。

■「ため息 Soupir」
Parolemerde2001 at 3/3(木) 01:38:00 No.paroparo-20050303013511

マラルメの詩 Soupir の翻訳です。
http://poesie.webnet.fr/poemes/France/mallarme/14.html

      ため息
ステファン・マラルメ

私の魂は、おお、静かな妹よ、赤茶色の染みの散り敷く、
とある秋が夢見る、君の額に向かい、
また、君の天使の瞳の、さまよう空に向かい、
昇ってゆく、まるで、昔のままの、ものさみしい庭園の中で、
ひとすじの白い噴水が溜息をつくように、あの「青空」に向かって!
-「青空」は、淡く澄んだ10月になごみ、
幾つもの大きな泉水に、果てしない憂鬱を映し、
枯葉の褐色の苦悩が風にさまよい
凍える波紋を穿つ静かな水面に、
黄色い太陽の長い光を引きずらせる。

2005, Parolemerde2001

■裏と表
Parolemerde2001 at 3/9(水) 11:32:41 No.paroparo-20050309113206

マラルメの詩を読んでいると、
ほぼ同時代のランボーと裏と表のように見えてきます。
どちらが表でどちらが裏かは、メビウスの輪のようで解かりませんが。

ステンメッツも「マラルメ伝」の中でふたりが会ったにもかかわらず、
詩的には出会わなかったことを書いています。
ランボーは「現代高踏派詩集(パルナスコンタンポラン)」に掲載された
「花々」以外のマラルメの詩には興味を感じなかったのかも知れません。
この、「花々」は、女性の「性(さが)」の詩として、
ランボーの興味を引いたのかも知れません。

マラルメの「ため息 Soupir 」には、
青空に向かい一筋に絶え間なく吹き上げる噴水のため息が描かれます。
ランボーの「夜明け」では、
この詩はランボーの後期韻文詩編までの詩の歩みの凝縮されたアニメーションだと私は思いますが、
「宮殿の前では、まだ何も動いていなかった。水は静かだった。」で始まります。
凪いだ水面を表す形容詞には、どちらの詩でも死んでいるの morte が使われます。
宮廷の庭園のシンボルである噴水は、文字通り死んでいたのでしょう。
そして、少年は出発します。

マラルメのため息である噴水の吹き上げる青空は、
ランボーの後期韻文詩編、「五月の軍旗」では、
パリに出たランボーに「青空と波の心はひとつ」と詠われますが、
翌年に書かれた「地獄での一季節」では、
「おれは、天から、闇でできた青空を引き離し、「大自然」の光の黄金の輝きとなって生きた。」
と書かれ、青空が無の闇である(あった)ことが示されます。

マラルメの妻マリーと娘ジュヌヴィエーブに宛てた遺書にあたる覚書には、
「かけがえのない二人よ、信じてほしい、
それはとても美しいものになるはずだったということを。」と書かれていたそうです。
ランボーは「地獄での一季節」で、
「おれは美の女神を膝に抱いた。――嫌な女だと思った。――毒づいてやった。」、
さらに、「これも終った。おれは今では美に挨拶できる。」とも。

マラルメは小さな帆船SM号でセーヌ川で舟遊びをします。
ランボーは、船遊びも、船の詩も捨てて、
交通と交易の手段として船を使います。

しかし、マラルメの視界の中には、ランボーが見えていたと思われます。
マラルメは「言葉」を信じたのでしょうか、あるいは、信じたかったのでしょうか。
Soupir を読みながら、ふと思いました。

文中のマラルメの訳は、
ステンメッツ著「マラルメ伝」、柏倉康夫・永倉千夏子・宮嵜克裕訳、筑摩書房
よりの引用です。

■「ランボー 自画像の詩学」
Parolemerde2001 at 4/3(日) 21:38:32 No.paroparo-20050403213750

みなさん、こんばんは。

最近、中地義和氏の「ランボー 自画像の詩学」が発行されました。もともとは、2000年に岩波市民セミナー「ランボーの詩を読

む」の講演を元にしてあるそうですが、「自画像」あるいは「反-自画像」というテーマを立ててまとめ直したと後書きに書かれてい

ます。ランボーが詩の中にどのように自画像を、あるいは、実体と異なる反-自画像を描き出していったか、初めての散文から、初期

詩編、「酔いしれた船」(酔いどれ船)、後期韻文詩、福音書による散文と地獄の一季節、イリュミナシオン、そして、結びとして交

易商人までを追求しています。
まだ、ざっと目を通した段階で、詳しく検討していませんが、詩に何が書かれているかを詩人の自我意識と詩の結びつきから探求して

いく読み方として興味を持ちました。

この本の中で、新しいランボー研究について書かれていることがあったので、紹介しておきます。
オーブさんがパリに滞在していたときに、今でも未発表のランボーの草稿が収集家が持っていて、時にオークションにでたりすると、

たしかジャンコラ氏でしたかの記事に書かれていたと教えてくださいました。
この本によると、2003年-2004年にかけて、イリュミナシオンの「歴史的な夕暮」と「精霊」(魔神)の草稿が展示されたこ

と。この2点はテクスチュエル版の草稿集には掲載されていません。さらに「記憶」(思い出)の大きく異なる第二の草稿がパリで競

売にかけられたことが紹介されていました。

「ランボー 自画像の詩学」/中地義和訳/岩波セミナーブックス S5/2005年2月24日岩波書店発行

■19世紀フランスの小説「アドルフ」について
オーブ at 5/18(水) 14:53:59 No.paroparo-20050518124606

パロさん、みなさん、こんにちは。
またご無沙汰してしまいました。オーブです。

ランボーやマラルメと話は少しそれますが、私が最近興味をひかれた19世紀フランスの作家、バンジャマン・コンスタン(Benjamin

Constant)の小説「Adolphe」について少し書いてみようと思います。

以前、フランスにすんでいたときに、テレビで放送していた映画「Adolphe」をたまたま見、ずっと忘れていたのですが、最近思い出して、この映画について少し調べてみたくなりました。
日本ではほとんど知られていないと思うのですが、バンジャマン・コンスタンの「アドルフ」という文学小説を元にした映画です。

ざっとあらすじを紹介すると、アドルフという青年が、たまたまパーティで見かけた、ある伯爵の第二婦人(愛人?)のエレノールに恋をし、猛烈なアタックの末、ついにエレノールを振り向かせることに成功するのですが、そのとたん、愛がさめてしまいます。

エレノールは、伯爵の正妻ではないのですが、寵愛を受けていて、地位や身分が保証されているのですが、自分が囲われているという、周りの目を気にして、道徳や倫理的に自分を厳しく律しているような女性なのですが、どこかそんな生活にむなしさを感じているようで、アドルフを盲目的に愛するようになり、彼のために地位も財産も子供たちも捨てるまでになります。
一方、アドルフはエレノールの愛を負担に感じてしまうのですが、はっきりと関係を絶つことができずにずるずるとひきづってしまう

という、今でも世間でありそうな話です。

この小説は、アドルフのむなしい心理描写と、19世紀の退廃的で退屈で、保守的な貴族の生活がよく書かれています。
もともとアドルフは、エレノールのことを本気で愛して、アタックしたわけではなく、彼女を振り向かせるまでの過程を楽しんでいたことや、エレノールは本当は自立心旺盛の情熱的な女性なのだと思いますが、自分の立場(伯爵に囲われている)負い目から良妻賢母
を実践しているところ、アドルフはまだ大人になりきれておらず、ふらふらとした、貴族のお金持ちのお坊ちゃんで、エレノールは、毅然とした決断力のある強い女性であることなどが細かく書かれています。(少し執念深くて怖いようにもかんじましたが^^;)ただの情熱的な恋愛小説ではなく、「むなしさ」が全編に書かれているように感じました。

映画のほうは、日本では「イザベル・アジャー二の戸惑い」というタイトルだったと思います。小説で、私が気に入っていたシーンが

映画でなかったり、
アドルフの心の苦しさがあまり表れていなくて、何を考えているかわからない人という感じがして残念でしたが、映画だからしかたな

いですよね。
でも、映像や音楽がきれいで、話は暗いですが良かったと思います。
心理小説を映画化するのは難しいと思いますが、当時のたたずまいなど、とにかく映像が美しかったです。

翻訳本もありました!!
日本ではほとんど知られていないので、翻訳本があったことにびっくしました。良かったら一度読んでみてください。
映画もおすすめです。
貴族って思うほど楽ではないのかもしれませんね・・。

以上、長くなりました。

■19世紀フランス
Parolemerde2001 at 5/22(日) 23:30:21 No.paroparo-20050522232650

オーブさん、こんばんは。

私は、この小説は読んだことがありません。
19世紀の小説は、何か授業で読まされたのですが…忘れました。
19世紀のフランス文学、ユゴーを除いては詩より小説の方が盛んだったとか、
習った覚えがあります。…こちらもほとんど忘れてしまいました。

19世紀のフランスで、一番栄えた階層(階級)は、やはりブルジョワジーでしょうか。
旧体制から生き残った貴族階級の意識はどんなものだったのか、よく解かりません。
文学のテーマとなっている情感、情念がどの程度その階級に一般的だったのか、
歴史を詳しく調べてみないと解からないように思います。

作家や詩人は、ブルジョワや軍人の家系が多いのでしょうか。
ランボーもヴェルレーヌもこうした中に入るのでしょう。
しかし、日本でも有名な数少ない作家ではなく、
当時のフランスで、少なからず認められていた人たちはどうだったのでしょう。
日本で人気のある文学作品では、
アンニュイ、メランコリーなどが目立ちますが…

■19世紀の貴族社会
オーブ at 5/25(水) 16:41:53 No.paroparo-20050525163658

パロさん、こんにちは。

この小説の主人公アドルフは、前途有望な青年であることが書かれています。
軍人にでも役人にでも、外交官にでもなれると。
アドルフは一応役人のような仕事をしていますが、身にはいらず、といったかんじです。
彼の父はもちろん裕福で、アドルフはお金や生活に困っていません。
しかし、ただの放蕩息子、親の七光りというかんじではなく、何にでも無関心、つまり、むなしい心を抱えて、ふらふらさ迷っている

印象を受けました。

この映画や小説から、当時の貴族社会は非常に窮屈で保守的な印象を受けました。毎晩のように誰かの屋敷で晩餐会や音楽会をします

。自分の屋敷に招待することが一般的な礼儀というか、マナーだったようです。
晩餐会ではどうでもいい人と、形式的なとても退屈な会話。そのあとは、トランプなどのゲームをします。
それに、狭い社会なので、誰が何をした、などといううわさがいっぺんに広まってしまいます。実際、アドルフとエレノールの関係も広く知れ渡りますし、エレノールが伯爵の寵愛を受けた愛人であることもうわさされています。
アドルフもエレノールもとても退屈しています。
そのような生活が普通だと思う人がほとんどだったのか、アドルフやエレノールのように退屈をもてあましていたのか、それはわかりません。

19世紀の小説や詩はどこか退廃的なものが多いですね。
それにブルジョワなものが多い。
生活が裕福になり、食べるために働く時代から、生活に余裕が生まれ、生きていく選択肢が増えたことにより、悩んだり考えたりすることが多くなったせいでしょうか。

「19世紀のフランスで、一番栄えた階層(階級)は、やはりブルジョワジーでしょうか。旧体制から生き残った貴族階級の意識はどんなものだったのか、よく解かりません。
文学のテーマとなっている情感、情念がどの程度その階級に一般的だったのか、歴史を詳しく調べてみないと解からないように思います。」

アドルフのような人はブルジョワジーなのでしょうか。早く言えば、大学を出たエリート、果ては軍人、外交官、役人などです。エレノールの場合、ポーランドの没落貴族です。父親が没落し、そのせいで家族はヨーロッパ中に散ったのだったと思います。しかし、父親が財産を再び奪回し、貴族という地位に帰り咲きます。このへんの社会的状況はよくわからないです。反貴族の内乱などで、貴族は没落していったのでしょうか・・。

そんな不安定さのために、19世紀文学はアンニュやメランコリー なのかもしれません。

■19世紀貴族社会・補足
オーブ at 5/25(水) 16:46:47 No.paroparo-20050525164302

この小説は作者、バンジャマン・コンスタンの自伝的小説ということで、
アドルフが彼自身だと考えてよいと思います。
エレノールにもモデルになった女性がいるようです。

■19世紀の社会
Parolemerde2001 at 5/31(火) 18:42:17 No.paroparo-20050531183434

前にも紹介したことがありますが、
人文書院の「19世紀フランス 愛・恐怖・群衆」小倉孝誠著に、
当時のブルジョワジーのご婦人たちと文学の関係が、取り上げられていました。
貴族となると、私はほとんど知識がないです。
もっとも、今の日本の裕福な階層の日常生活も、私はあまり知らないかも知れません。

■Veillees 「眠らない夜」試訳
オーブ at 6/19(日) 03:21:07 No.paroparo-20050619030743

眠らない夜

I

ベッドや草地の上で、熱もなく、物憂さもない、照らされた休息。
それは激しくもなく、弱くもない友達だ。友達。
それは苦しめることもなく、苦しむこともない愛する人だ。愛する人。
全く探されることのなかった空気と世界。人生。
「だから、それはこんなことだったのか?」
「そして夢がしぼんでいく」

C'est le repos eclaire, ni fievre, ni langueur, sur le lit ou sur le pre.
C'est l'ami ni ardent ni faible. L'ami.
C'est l'aimee ni tourmentante ni tourmentee.L'aimee.
L'air et le monde point cherches.La vie.
-Etait-ce donc ceci?
-Et le reve fraichit.

■久しぶりの翻訳です
オーブ at 6/19(日) 04:35:20 No.paroparo-20050619043416

パロさん、みなさん、こんばんは。

約2年ぶりくらいになるでしょうか、ランボーの翻訳にやっと戻ることができました。
忍耐強く待っていてくださったパロさん、本当にありがとうございました(^^)

さて、この詩のタイトルVilleesはよく「眠れない夜」と訳されていることがありますが、
この単語に眠れない、という意味はなく、徹夜、つまり意識して起きているという意味になるので「眠らない夜」としました。

第一章の一節め、
c'est le repos eclaire, ni fievre, ni langueur, sur le lit ou sur le pre.

こういう表現はフランス語の本などを読んでいると非常に良く出てきます。
文語というのでしょうか。
長い文章になると時々わからなくなることがあります。

さて、翻訳のほうですが、このまま訳すか、日本語風に後から訳すか
非常に迷いました。
私はできるだけ、原文に忠実に訳したいという希望があり、いつもそれを意識しているのですが、今回は後ろから訳したほうがわかりやすいのではないかと思い、挑戦してみました。しかし「それは」C'estというのが以下の文とそろわなくなってしまったので音の関係は無視していることになります。
ここでパロさんは「それは」として、以下は「これは」としていますが、何かお考えがありますか?
フランス語にはそれ、これという違いは日本語ほどありませんね。

この「それ」はやはりヴェルレーヌのことを言っているのでしょうか。

■アブサン解禁
オーブ at 6/19(日) 21:18:02 No.paroparo-20050619210618

パロさん、みなさん、こんばんは。

以前ここのBBSでも話題になったことがある、多くのアーティスト
のインスピレーションの元となったお酒「アブサン」ですが、
つい数ヶ月ほど前からスイスで解禁になったとフランス人の友人が言ってました。
私はお酒は全くだめなのですが、一口飲んでみたいです。

中毒者が続出したことから、1915年にヨーロッパで禁止になったアブサンですが、
やはり根強いファンがいたようです。
こっそり自宅のカーブで製造・・なんていうのもあったようです。

アブサンについてもう一度ここに記しておきます。

「アブサンの濫用によって神経系に影響を与えます。
刺激の強い麻痺状態に陥る毒による中毒とよく似ています。
感覚障害では、触知できる感覚すべてに過度な痛みを覚え、特に下肢は激痛。
少したつと完全に麻痺状態になります。
運動障害では一般的な機能である、筋力、生殖力、視覚などが衰弱します。
精神障害では記憶力の喪失、幻覚、悲壮感、不安感、いらいらなどが起こります。
酔って騒ぎ、攻撃的になりますが、弛緩状態のときは虚脱状態になります。

1915年、3月16日、法律により製造、販売、所持を禁じられました。」

(参考文献 Larousse encyclopedique ラルース大百科事典)

アブサンは100年前のフランスではカフェやビストロの中心的存在で、La fee verte(緑の妖精)といわれていました。
それほど美しい色をしていたのでしょうね。
インスピレーションを与えるということで、当時、詩人や芸術家に好んで飲まれていたようです。
とても面白い飲み方をするのでここでご紹介します。
アブサンの入った大きなグラスに網目のような模様の入ったスコップのような形のスプーンを乗せ、角砂糖をその上に置きます。そして、水を注いで出来上がりです。

■>Veillees 「眠らない夜」試訳
Parolemerde2001 at 6/19(日) 22:28:01 No.paroparo-20050619222714

オーブさん、こんばんは。

私も、このところ雑用に追われて、翻訳から遠ざかっていました。
久しぶりに読むと懐かしい気がします。

C'est は、フランス語を習いたての頃を思い出します。
これは、本です。本はテーブルの上です… 
当時は、詩の表現としては口語的だったと思われますが、
今では文語的、文章の言葉なのでしょうか。
日常会話では、あまり使いませんか?

私の翻訳ですが、1行目だけ「それは」したのは、
タイトルの「眠らぬ(ない)夜」それは…としたかったからです。
2行目、3行目は、横で眠る具体的な人を指すと考えて、「これは」と訳しました。
「友」であり「恋人(愛する人)」でもあるとすれば、やはりヴェルレーヌのことと思います。

■>アブサン解禁
Parolemerde2001 at 6/19(日) 23:30:49 No.paroparo-20050619233013

アブサン解禁ですか…
ヨーロッパの一部では大麻も公に販売されているとか、読んだことがありますが、
こうした流れなのでしょうか。

フランスで毒性を無くしたアブサンを限定して販売しています。
これは日本にも輸入されていて、見たことはありますが、飲んだことは無いです。
ビンの色が濃いいので、アブサンそのものの色は分かりませんでした。
薬草を漬け込んで作るので、緑色をしていて、薬草の油分(精油分)のため、
水で割ると白濁するということは読みました。

アブサングラスについては、確かピカソのオブジェがあったと思います。
確か角砂糖がスプーンに乗っていたと覚えていますが…
砂糖は甘味つけなのでしょうか。

■オーブ at 6/20(月) 04:17:51 No.paroparo-20050620035931
私も「眠らない夜」を過ごしてしまいました。

さて、C'est le repos eclaire, ni fievre, ni langueur, sur le lit ou sur le pre.

私の説明が足りないせいでパロさんを「?」にさせてしまいました。
C'est の構文のことではなく、なんと言ったらいいのかうまく説明できませんが、
簡単にいうと、「,」で区切ってたくさんの説明が真ん中に入るという文章の書き方です。
すみません、わかりづらくて・・・。
この文だと、まだ短くてわかりやすいのですが、小説などを読んでいるとこういう表現が
非常にたくさんでてきます。
文をポワン「.」で切らずに「,」と「et 」「qui」などで長々と続けて最後は結局なんのことを言っているのかわからなくなります

(^^;)
まだまだ読みが足りてませんね・・。もっと読まなくては。

>私の翻訳ですが、1行目だけ「それは」したのは、
>タイトルの「眠らぬ(ない)夜」それは…としたかったからです。
>2行目、3行目は、横で眠る具体的な人を指すと考えて、「これは」と訳しました。

そうか、横でヴェルレーヌが眠っていたのですね。
ランボーの詩を読み解くには背景を知ることがとても大事ですね。

■眠らない夜は・・・アブサン
オーブ at 6/20(月) 04:25:15 No.paroparo-20050620041909

毒性をなくしたアブサン・・・アブサンへの人々の渇望はすごいものがありますね。
アブサンはニガヨモギを蒸留して製造されたと本で読んだことがあります。
70度くらいあるらしいですが、本当でしょうか。
もし本当だとすると一口飲んだだけでもかなりやばそうですね・・。

オランダはかなりいろいろなやばいものが合法化されています。


■>アブサン
Parolemerde2001 at 6/20(月) 19:37:46 No.paroparo-20050620193653

私もアブサンの詳しい製法は知らないのですが、
ニガヨモギ、アニス、ウイキョウ、アルコールを混ぜた液を蒸留したリキュールだそうです。
ところで、私が見たアブサンもかなりの度数だったように覚えています。
50度以上でしたが、何度かは覚えていません。
ウイキョウのリキュールというのは知っていますが、こちら40度位だったと思います。
ウイキョウの香りと甘味があり、水で割ると白く濁りました。
アニスもウイキョウも料理にも使われますから、幻覚作用はニガヨモギですね。
でも、ウィスキーも元々は50度以上あるモルトに水を加えて40度位にするとか。

■C'est...
Parolemerde2001 at 6/20(月) 19:59:08 No.paroparo-20050620195841

詩は、いろいろ読めますし、書いた人にしか解からないことも、
書いた人にも解からないこともあると思います。

オーブさんの翻訳を読んでいると、眠れない夜が1行目とイコールになっていて、
その「眠らない夜」を2行目、3行目でイメージとして展開しているように読めます。
C'est という言い方は、けっこう曖昧なのかも知れません。
日常語としては今でもよく使われると思いますが、
詩的なインパクトは無いのかも知れません。
日常語の言い回しを韻文詩に取り込んでいた変革していった19世紀後半、
つまりヴェルレーヌやランボーにとっては詩的な表現だったのかも知れません。
私の読書量が少ないので、単なる感想でしかありません。
フランスのインターネットサイトの宣伝文をちょっと調べてみましたが、
ほとんど使われていませんでした。
ネットサービスの宣伝に「XXサービス」それは(C'est)、…と…と言うのがひとつありましたが。
たぶん、オーブさんの方が私より詳しいと思います。

■>C'est
オーブ at 6/21(火) 21:01:44 No.paroparo-20050621205535

>オーブさんの翻訳を読んでいると、眠れない夜が1行目とイコールになっていて、
その「眠らない夜」を2行目、3行目でイメージとして展開しているように読めます。

自分でも気付かなかった新しい発見です。そういっていただけるとうれしいです。
私が詩を翻訳するとき、感覚で訳すことが多いので意図を説明できないことが多いのです。

C'est は話言葉でよく使われますね!
便利な言葉ですが、日本語では訳さないことも多いです。
例えばC'est moi(私です)のように・・。

■Veillees 「眠らない夜」試訳 第二章
オーブ at 6/21(火) 21:28:25 No.paroparo-20050621211014

II

 照明はまだ未完成の建物の木枠に戻る。部屋の二つの両端から、
取るに足りない装飾、調和の取れた構築が一つになる。
この眠らない男の正面にある外壁は帯状に連なった装飾の切断や
大気の一団、地質上の起伏の心理的な連続だ。‐全ての見せかけの中にある
すべての性格の存在を伴った感情的な集まりの激しくすばやい夢。

II

L'eclairage revient a l'arbre de batisse. Des deux extremites de la salle,
decors quelconques, des elevations harmoniques se joignent. La muraille en
face du veilleur est une succession psychologique de coupes de frises, de
bandes athmospheriques et d'accidences geologiques. - Reve intense et
rapide de groupes sentimentaux avec des etres de tous les caracteres parmi
toutes les apparences.

(試訳 オーブ 2005.6.21)

■眠らぬ夜 第二章 試訳 一部訂正
オーブ at 6/21(火) 22:03:47 No.paroparo-20050621215821

帯状に連なった装飾の切断(訂正前)
帯状に連なった装飾の突出(訂正後)

よく見直して見ると勘違いしていた部分がありますので、訂正します。
coupeを切断と訳しましたが、いろいろ調べているうちにまったく
別の意味であることがわかりました。
建築用語のようですが、当時使われていた言葉でしょうか・・。
辞書を探してもみあたりませんでした。

■眠れぬ夜 第二章 試訳のコメント
オーブ at 6/21(火) 22:39:19 No.paroparo-20050621220416

ランボーは建築、建物の描写が好きですね!
訳は苦労するんですけどね・・。

3行目coupeとfriseについて

私は建築に関しては全くといっていいほど詳しくないので、
うまく訳せなかったのが先ほど訂正しましたcoupeです。
日本語では「軒蛇腹」といわれるようですが、これも初めて聞く言葉でした。
建物の上部のほうで、ぼこっと突き出た装飾で、たいては彫り物の
ようです。建物といっても、たいていはお城や教会、聖堂のような
由緒ある建築物ではないかと思われます。

friseは現代風にペイントされたもの、プリントされたものもあります。
つたの装飾が一般的ではないでしょうか。
知り合いの家のキッチンの壁に、手描きのペイントを見たことがあります。
ネットで見てみると、いまでは子供部屋用にテディ・ベアなどの
かわいらしい模様もありました。
イラストの入ったリボンを想像していただくとわかりやすいと思います。
元祖friseとはかけ離れたものになっていますね。イメージは同じなのですが。

4行目 athmospheriquesについて

ジャンコラ氏の注によると、athmospheriquesは当時よく使われていたつづりで、
今はatmospheriquesが使われています。

第二章は、自分で訳しておきながら、ランボーが何を言いたいのかさっぱりです。
これはハシュッシュによる幻覚なのですよね。

「心理的連続」や「感情的な集まりの激しくすばやい夢」
など、心に関する記述が2つ出てきますが何のことなのか。
ランボーはどんなイメージを見たのでしょう。
映像を見てみたいです。
ランボーの見た映像からなぜ彼はそれが「心理的」「感情的」
なものだと思ったのか。
やはり本人ではないとわからないのかもしれませんが・・。

■>「眠らない夜」 第二章
Parolemerde2001 at 6/23(木) 01:38:16 No.paroparo-20050623013733

この第2部が一番具体性が無いように読めますが…
この部分の最後のティレの後の部分からは、
たとえば、ヒエロニムス・ボッスとか、あるいはダンテの地獄の門でしたか、
そういう壮大で宗教的な絵や彫刻を連想します。
でも、それは私の連想であり、実際にランボーに見えていた映像には届きません。
見えていたものは、幻覚の可能性は大きいですが…

この部分の結論?がこの映像であり、
その前は映像が形成される建物の説明になるのでしょうが、
これが具体的にどんな建物なのか、あるいは、幻覚なのか、
過去のイメージの想起なのか、やはりはっきりしません。
ドームの内観のような印象がありますが、
装飾からは、旧い形式の建物、教会とかが連想されます。
あるいは、暗くぼんやりした室内での幻覚なのでしょうか。

■>「眠らない夜」 第二章 追加
Parolemerde2001 at 6/23(木) 14:12:29 No.paroparo-20050623141058

この第2章がの建物には教会のイメージ感じられますが、
これは単に印象としてであり、教会ということではありません。
信心深い母親の下で、日曜ごとに教会に通っていたチビのランボーの記憶でしょうか。

では、具体的にどんな室内なのか、
それは、この詩の制作時期などから、ある程度推測できるかも知れません。
第1章がヴェルレーヌの影響を受けているとした場合、
この詩は、イリュミナスィオン中でも比較的早い時期だと思われます。
さらに、後で付け加えられたと考えられる第3章には、船が出てきます。
もちろん、「酔いどれ船」のように、実体験ではないと読むことも可能ですが。
壁布の描写は、散文「愛の砂漠」に近いものがあります。

■打ち捨てられた教会のようですね
オーブ at 6/26(日) 15:43:38 No.paroparo-20050626153601

この建物は廃墟のような印象を受けました。
Enfanceにも打ち捨てられた教会が出てきましたね。

フランスでは今でも、地方なでど、打ち捨てられて、誰にも管理されなくなった
屋敷を見ることができます。私たち日本人が想像するようなお化け屋敷のような感じです。
ガラス窓は壊れ、壁につたがはっているような・・。
打ち捨てられた屋敷はどうしてこうも想像力を刺激するのでしょうね。
それが教会ならなおさらです。

第三章、しばしお待ちを・・。

■放浪者たちの「眠れない夜」
Parolemerde2001 at 6/27(月) 11:45:25 No.paroparo-20050627114442

BBSで翻訳の検討をしていると、ひとりで訳している時とことなり、
あれこれ違う事柄が出てきますから、読みが広がります。

この「眠らない夜(複数) Veillees」なのですが、
本当は「眠りたくても眠れない夜」のような気がします。
でも、ランボーは「眠れない夜」と題しましたので、そのまま取りましたが…
同じ「Veillees」が「放浪者」の中に出てきます。
この詩では、訳の流れで「徹夜」と訳しました。
「惨めな兄貴だ! なんと多くの無残な徹夜か、あいつのおかげで!」

1872年、ランボーはヴェルレーヌとともに、ブリュッセル、そしてロンドンを放浪します。
これは、第3章の記述も含め、ロンドン滞在での初期の体験を基にしているのではないかと思います。
おそらくはブリュッセルでの体験に基づく「(フレーズ)無題」(翻訳によっては「フレーズ」の後半)と、
比較するのも面白いです。

この第2章の「照明」は何でしょうか。
私は、窓から差し込む月の光ではないかと思うのですが…
ガス灯の光なら移動しないと思うし、第1章の「ベッドの上で、あるいは、草原で。」から、
郊外ではないにせよ、町の中心部から外れている印象があります。
廃屋、空家、空き部屋に忍び込んでヴェルレーヌと過ごした夜なのでしょうか。

■「眠りたくても眠れない夜」切ないですね
オーブ at 6/27(月) 14:57:06 No.paroparo-20050627141923

そうか、これは「眠りたくても眠れない夜」なのですね。
それで結局徹夜になってしまったという。
辞書をもう一度良く調べてみると、目覚めている、覚醒状態にある、
という意味もありました。
なので、いくつかの翻訳で「眠れない夜」というタイトルもあったのですね。
ちなみに、関連して「不眠」insomnieは、なんらかの病気、精神的な問題で眠れない
という意味でした。

私も第2章の照明は月の明かりのような気がします。
L'eclirage revient a l'arbrede batisse.
この部分で、この照明に動きが感じられたからです。ろうそくの明かりもゆらゆらとだんだん小さくなっていくので動きはありますが、この一説はそれよりもダイナミックな動きのような気がします。
月の明かりって本当に明るいんですよね、まるで電気がいらないくらい。そのせいで眠れないこともありました。
パリの都心ではなく、郊外か田舎。
私は、ランボーがベッドに横たわり、月に照らされた壁を見ているような印象を受けました。もしかすると小屋か納屋の中の干草の上かもしれません。それとも本当に打ち捨てられた教会の中に忍び込んだのか・・。

第一章にもどりますが、
Etait-ce donc ceci?
Et le reve fraichit.
この声は誰の声でしょうか、ランボーの問いかけでしょうか?
夢が冷めていくのはなんとなく物悲しいですね。

■murailleは・・
オーブ at 6/27(月) 15:24:01 No.paroparo-20050627150109

すみません、話が前後してしてしまいますが・・。

少し気になっていたことがありますので、ここでまとめさせてください。
第2章のmuraille、私は外壁と訳しましたが
murailleは主に、支えのために建物や廊下の脇に建てられた、広がりと厚みのあるどっしりとした壁のことで、おのずと大きな建物の壁という意味になります。
部屋の仕切りの壁、murとは違うようです。

辞書で調べると、外壁や城壁と載っていましたが、和仏で調べると、
この二つはrempartという共通の単語があり、murailleはありませんでした。
さらに詳しく調べてみるとrempartはmurailleを伴った要塞、forte muraille
という意味らしいです。
こういう細かい違いは日本語にはありませんね。
結局は、壁なのですが・・。

■「眠らない夜」と「夜明け」
Parolemerde2001 at 6/28(火) 11:33:41 No.paroparo-20050628113225

放浪者たちの「眠れない夜」で、間違いがありましたので訂正します。
>でも、ランボーは「眠れない夜」と題しましたので、そのまま取りましたが…
は、「眠らない夜」の間違いでした。
実際の翻訳では、「眠れない」の意味も感じられるように、
「眠らぬ夜」とちょっと旧く訳してみました。

ランボーにとって、しばしば言われる(書かれる)ように、
「夜明け」は、生命の生成する時かも知れません。
しかし、精神が動き出すのは、「夜明け前」と思います。
たとえば、「地獄での一季節」の「朝」は、実際の朝ではなく、
瞬きを失った星の下で未来を見つめるランボーの「夜明け前」なのです。
つづく「永別」は、この流れを受けて、
Cepandant c'est la veille. と書かれます。
「今はまだ前夜だ。」は、「夜明けはまだだ」でもあります。

この詩では、まだ「地獄での一季節」に、つまり、詩人(見者)から目覚める前の
夜の中で詩を書いているランボーの姿があります。
目覚めるは、目冷めるかも知れません。
Etait-ce donc ceci?
Et le reve fraichit.
そして、夢が冷めてくるのは、
パリから脱出した、ヴェルレーヌと駆け落ちしたランボー、
同性愛と自由の夢見た生活が、
ブリュッセルでの蜜月が過ぎ、
ロンドンで「放浪者」となって実現したときの、
冷めた心ではないでしょうか。

■>murailleは・・
Parolemerde2001 at 6/28(火) 23:52:49 No.paroparo-20050628235209

「歴史的な夕べ」の解説で紹介しましたが、
19世紀は産業革命の科学技術が日常の生活にも波及してきた時代です。
電灯、通信、自動車など、さまざまな発明がなされました。
下の本には、科学技術書的な表現が多く使われたことも書いてありました。
19世紀発明家列伝 図説 創造の魔術師たち(原題VICTORIAN INVENTIONS)
レオナルド・デ・フェリス著/本田成親訳/工学図書㈱/2002年発行

この「眠らない夜」の第1章、たとえば特に以下の部分は、
bandes athmospheriques et d'accidences geologiques
科学的記述の味付けがされているのではないでしょうか。

ただ、問題のmurailleは、そのことと無関係でしょう。
かってウィーンで、トーチカと言うのでしょうか、
部厚いコンクリートの要塞の中に兵器工場を作り、
戦時には上に体空砲を載せていたものを見ました。
黒に塗られていて、不気味でした。
ナチスドイツの建てた物で、保存してあるとか。
このmurailleという言葉から浮かんだ壁です。
産業革命により兵器の製造技術も進歩します。
当時のイギリスの大砲工場の絵を歴史の本で見ました。
当然、要塞の壁も部厚くなっていったでしょう。
このことがmurailleに反映しているのかは判りません。

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