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ランボー appendix

ランボーBBSログ - 2005年07月24日~12月31日

■「マラルメ夫人の扇」
Parolemerde2001 at 7/24(日) 13:33:36 No.paroparo-20050724133258

三さんのマラルメトピで「マラルメ夫人の扇」を訳しましたので、ここにも掲載します。
http://poesie.webnet.fr/poemes/France/mallarme/28.html

マラルメの構文がなかなか見えずに時間がかかりました。
時間が無かったので、あまり細かく調べずに、読んで訳しましたが、
かなり多くの見落とし、取り違いがありました。
煩雑になるので、再度まとめ直しました。
句読点の無い詩ですが、やはり、名詞の性、どこに掛かるかなど、
細かく調べなければならないと、痛感しました。

構文が見えないので、あえて原詩に句読点を入れ、語順も替えて読んでみました。
(都合でアクサンは省略しています)
まだ間違いがあるかも知れません。
第4聯の接続法に関しては、今でも読みの答えが出ていません。

Eventail de Madame Mallarme
/ Stephane Mallarme

Comme, pour langage,
le future vers se degage
du logis tres precieux,
avec ( rien que ) un battement aux cieux.

Aile, tout bas, la courriere,
Cet eventail, si c'est lui, le meme,
qui a lui derriere toi
par quelque miroir limpide,

(Ou (=miroir) va redescendre pourchasse,
en chaque grain,
un peu d'invisible cendre seule
a me rendre chagrin)

tel il apparaisse toujours
entre tes mains sans paresse.

マラルメ夫人の扇
/ステファン・マラルメ

言葉のために
大空の中の一打ちだけで
未来の詩が、貴重な住まいから
身を解き放つように、

翼よ、ひそかに、ことづてよ、
この扇が、おまえの背後で
とある曇りなき鏡の中で
輝いたものと、もしも同じであれば、

(その鏡の中に追われて
ひと粉ずつ沈んでゆく、
見えないわずかな灰だけが
私を悲しませる)

おまえの怠惰を知らぬ両手の中に
それ(この扇)がいつも現れるように。

■「マラルメ夫人の扇」再試訳
Parolemerde2001 at 7/28(木) 00:24:15 No.paroparo-20050728001807
みなさん、こんばんは。

みやさんの「フランス詩トピ」でも、マラルメを読んでいます。
みやさんが、丁寧に分かりやすく良く訳されました。
私も、みやさんの訳と読みを参考にして、再試訳してみました。

マラルメ夫人の扇
/ステファン・マラルメ

言葉のために、
大空の唯ひと打ちで
大切な住まいから
未来の詩が飛び立つように

翼よ、ひそやかに、手紙よ
この扇が、もしも、おまえの後ろの、
とある澄んだ鏡の中にある
あの扇と、同じ扇なら

(鏡の中に、追われて
一粒ごとに沈んでゆく
わずかな見えない灰だけが
私を悲しませるのだが)

怠惰を知らぬ、おまえの両手の中に
いつも、このように、この扇が現れておくれ

第1聯は、独立していないと取りました。
comme は、第4聯の tel と呼応していると考えましたが、
文法的な裏づけは見つかりませんでしたので、間違いかも知れません。
se degager de は、…から自由になると言う意味ですが、
以下に続く翼のイメージから、飛び立つと意訳しました。
第2聯1行目の tous bas の bas は副詞で、tous bas は、小声での意味に取りました。
ただ、天空の cieux に対応した、地上の bas という意味も含ませてあると思いました。
qui derriere toi は、説明的に挿入されている
miroir a lui の a は、avoir ですが、分かりやすいように「ある」と訳しました。
limpide は、miroir にかかると取りました。
ただし、第3聯全体、あるいは chagrin にも、反映されると思います。
第4聯の接続法は、願望と取りました。
私の(小声で)言づての書かれたこの扇をいつも持っていて欲しい、という。

鏡は、たとえば写真家アジェの撮ったパリの(豪華な)アパルトマンにも、
鏡が写っています。マネの絵ほど、オープンではないですが。
部屋を広く見せるだけでなく、女性を美しく、あるいは、魅惑的に見せる演出でもあったのでしょう。
鏡に映るのは、女性の後姿、内面、裏面、過去…と広がっていくのでしょうか。
ランボーも詩の中に鏡を書いていますね。(ガラスとも読めるけど…)
女性と鏡というと、白雪姫を思い出してしまいます。
女性には、このマラルメの詩の鏡はどう映るのでしょうか?

マラルメの詩の表現の特質について、
三さんの翻訳を紹介します。

>意味を明瞭にし過ぎると
>あなたの朧げな文学は壊れてしまう。
>Les sens trop pre'cis rature
>Ta vague litte'rature.

■追加訂正です。
Parolemerde2001 at 7/28(木) 07:32:42 No.paroparo-20050728073002

第2聯2行目の Cet eventail も、
1行目の Aile 、courriere と同格で、呼びかけに訳し直します。
みやさんの、読みと同じになりました。
呼びかけとした方が、第4聯が活きてくると思います。
なお、三さんと同じに、この詩全体で1文ととりました。
tout bas courriere に、マラルメが託した意図は、
まだ、見えません。
テキストには、1829年のサント=ブーヴの詩で使われているとあります。
以下、参考までにクラシック・ド・ポッシュ版よりステンメッツ氏のノートを引用します。
( "Vie, ... Delorme" は、原文イタリック)
Substantif, feminin de 《 courrier 》: celui qui transmet une nouvelle.
Ici c'est l'annonce du vers a venir. On trouve ce mot dans 《 A la rime 》,
poeme de "Vie, poesies et pensees de Joseph Delorme" de Saint-Beuve, 1829 :
《 Ou plutot, fee au leger / Voltiger, / Habile, agile courriere [...]. 》

マラルメ夫人の扇
/ステファン・マラルメ

言葉のために、
大空の唯ひと打ちで
大切な住まいから
未来の詩が飛び立つように

翼よ、ひそやかに、手紙よ
この扇よ、もしも、おまえの後ろの、
とある澄んだ鏡の中にある
あの扇と、同じ扇なら

(鏡の中に、追われて
一粒ごとに沈んでゆく
わずかな見えない灰だけが
私を悲しませるのだが)

怠惰を知らぬ、おまえの両手の中に
いつも、このように、この扇が現れておくれ

■マラルメとニジンスキー
オーブ at 8/4(木) 12:27:07 No.paroparo-20050804115513

パロさん、みなさんこんにちは。

「眠らない夜」、中途半端にしたままフェード・アウトしてしまいました。
すみません。でも最後の訳がやっとできました。
試訳の前にマラルメの話が出ているのでそれに関連してひとつ・・。

以前パリに住んでいたときに、モンマルトル墓地に訪れたことがあります。
そこにとてもかわいらしいお墓があったんです。
平らな墓石の上にピエロが頬づえをついて、すまして座っているんです。
こんなかわいいお墓の持ち主は誰だろうと、急いで地図を見ると
ニジンスキーという人物のものであることがわかりました。
(有名人の墓が多いせいか、墓地の入り口で地図をくれます。)

後になってニジンスキーについて調べてみると、
20世紀初頭の天才バレーダンサーとのこと。
私はバレエについては全くわかりませんが、彼はすごい跳躍力と
表現力を持っていた「天才」だったそうです。
しかし、マラルメの「半獣身の午後」で性的な振り付けをしたため、
当時のキリスト教が支配するヨーロッパ社会では受け入れられず、その上、パトロンとも関係が
悪化し破門になり、次第に精神を病み、亡くなるまでの40年間くらい、
精神病院で過ごしたというなんともかわいそうな人です。

私がマラルメという名前を知ったのは、実はニジンスキーに関連してなのですが、
全く関係のない詩人とバレエダンサーを、かわいいピエロを通して知ることが
できて、大げさですが縁というものの不思議を感じました(^^)
私は「天才」という言葉に弱いのかも・・・(^^;)


■「眠らない夜」第三章試訳
オーブ at 8/4(木) 12:48:40 No.paroparo-20050804123053
それでは最後の章です。

III

この眠らない夜のランプと絨毯は波の音や夜、船体の長さを
三等船室の周りに造る。
眠らない夜の海はアメリの乳房のよう。
眠れない夜のキジバトが飛び込むタペストリーの真ん中までは
レースの雑木林にエメラルドの色合い。

黒い暖炉の板、砂浜の本物のいくつかの太陽、ああ!魔法の井戸よ、
今度はあけぼののたったひとつの眺めだけ。

(試訳オーブ)

Les lampes et les tapis de la veillee font le bruit des vagues, la nuit, le
long de la coque et autour du steerage.
La mer de la veillee, telle que les seins d'Amelie.
Les tapisseries, jusuqu'a mi-hauteur, des taillis de dentelle, teinte
d'emeraude, ou se jettent les tourterelles de la veillee.

La plaque du foyer noir, de reels soleils des greves: ah! puits des
magies;seule vue d'aurore, cette fois.


■ランボーの夜明け前
オーブ at 8/4(木) 13:52:10 No.paroparo-20050804133749

以下「」はパロさんの書き込みより引用させていただきました。

「ランボーにとって、しばしば言われる(書かれる)ように、
「夜明け」は、生命の生成する時かも知れません。
しかし、精神が動き出すのは、「夜明け前」と思います。
たとえば、「地獄での一季節」の「朝」は、実際の朝ではなく、
瞬きを失った星の下で未来を見つめるランボーの「夜明け前」なのです。
つづく「永別」は、この流れを受けて、
Cepandant c'est la veille. と書かれます。
「今はまだ前夜だ。」は、「夜明けはまだだ」でもあります。」

暗い闇が終わってあかつきが訪れる。
それは人生に対してもいえることなのかもしれません。
何かが動き出す前・・、それが「夜明け前」なのですね。
ヴェルレーヌとの蜜月が過ぎ、夢が冷めてゆき、たったひとつのあけぼの
(夜明け)を見たランボーはそこに未来を見つめているのですね。
それはヴェルレーヌの庇護を離れてたった一人で未来に立ち向かおう
とするランボーの姿を映しているのかもしれないと思いました。

■「眠らない夜」第三章 訂正
オーブ at 8/4(木) 13:58:59 No.paroparo-20050804135652

「眠れない夜の」キジバトが飛び込むタペストリーの・・・
「眠らない夜の」に変更です。
うっかり間違えてしまいました。


■>「眠らない夜」第三章
Parolemerde2001 at 8/6(土) 00:10:28 No.paroparo-20050806000923

オーブさん、お久しぶりです。

ニジンスキーは、写真集で見たことがあります。
でも、実際の動き、当時の観衆の受けた衝撃までは解りません。
ストラビンスキーの「春の祭典」のバレエの初演で、
生贄の処女を演じたのも、確か、彼だったと記憶していますが…

では、詩に移ります。
草稿では、第3章は、第1章・第2章とは別紙に書かれて、
後でまとめられたと考えられています。
草稿で第3章が書かれた紙には、Mystique と Aube の始めの部分が続きます。
まず、訳ですが、le long de は、…に沿っての意味ではないでしょうか。
三等船室は、スティーグリッツの有名な写真があります。
操舵室という意味から、その側の安い船室の意味になった言葉です。
日経新聞の裏面の記事に、かなり前の記事なのでうろ覚えなのですが、
戦艦大和(武蔵?)の乗組員で奇跡的に生還した方の記事がありました。
無理やり口径を大きくした大砲は発射すると台座にヒビが入り、使用できなくなった、
浸水が始まると、上官は自分たちだけが助かろうと、
乗組員を(その記事を書いた人も)操舵室などに閉じ込めたこと。

第3章の前半は、船での体験を元にしていると思われます。
船での実体験をそのまま幻覚として書き留めたものか、
あるいは、後になって、ベッドの上で幻覚として追体験したものなのか…。
この壁の描写は、散文詩「愛の砂漠」にも、類似した表現があります。
エメラルドという言葉からは、やはり海を連想します。
「イエスはかって荒れた海の上を歩いていた。
エメラルド色の波の横に、ランタンが白い姿で茶色の髪を編んで
まっすぐに立っているイエスの姿を照らし出した。」(「地獄の夜」/地獄での一季節)
後半は、幻覚から覚めて朝になって、眠れない夜が終わります。

■眠らない夜 第三章訂正と訳
オーブ at 8/6(土) 18:00:27 No.paroparo-20050806171355

パロさんこんにちは。

ほんとですね、間違えていました。
le long de は「~に沿って」でしたので訂正します。

いくつか間違えがありましたので、訂正して全訳を載せますね。

眠らない夜

I

ベッドや草地の上で、熱もなく、物憂さもない、照らされた休息。
それは激しくもなく、弱くもない友達だ。友達。
それは苦しめることもなく、苦しむこともない愛する人だ。愛する人。
全く探されることのなかった空気と世界。人生。
「だから、それはこんなことだったのか?」
「そして夢がしぼんでいく」

II

 照明はまだ未完成の建物の木枠に戻る。部屋の二つの両端から、
取るに足りない装飾、調和の取れた構築が一つになる。
この眠らない男の正面にある外壁は帯状に連なった装飾の突出や
大気の一団、地質上の起伏の心理的な連続だ。‐全ての見せかけの中にある
すべての性格の存在を伴った感情的な集まりの激しくすばやい夢。

III

この眠らない夜のランプと絨毯は波の音や夜、船体に沿って
三等船室の周りに造る。
眠らない夜の海はアメリの乳房のよう。
眠らない夜のキジバトが飛び込むタペストリーの真ん中までは
レースの雑木林にエメラルドの色合い。

黒い暖炉の板、砂浜の本物のいくつかの太陽、ああ!魔法の井戸よ、
今度はあけぼののたったひとつの眺めだけ。

(訳 オーブ 2005.8.6)

■徹夜と夜明け
オーブ at 8/6(土) 18:41:33 No.paroparo-20050806180455

steerageはフランス語の辞書ではなく、英語の方の辞書に載っていました。
「三等船室」というのはぴんときませんが、映画「タイタニック」で
主に移民の人たちが住んでいた部屋のことでしょうか。(ご覧になっていなかったらすみません)
ひとつの部屋に二段ベッドがいくつか置いてあったような・・。

ランボーの時代だと都心部といえ、夜はまさに静寂の闇だったのではないでしょうか。
電灯とか、まだありませんよね。
私がパリに住んでいたときは電灯があちこちにあり、まぶしくて夜も眠れないくらいでした。
アパルトマンの窓のすぐ下にも電灯がついていました。
(よろい戸がなかったので本当にこうこうと明るかったです・・)
それに少なくなるとはいえ、夜中も車やバイクの走る音。
ほとんど眠らない夜、つまり街が眠らないのです!
これは日本でも言えることですが、安全に配慮して明るくしている
のでしょうね。

ランボーの時代、徹夜で仕事するというのは稀だったのではないかと思っています。
ランボーより少し前の時代ですが、(19世紀前半)ジョルジュ・サンドは徹夜で
小説を書いていたらしく、当時では斬新な仕事の仕方だったようです。
今だと徹夜で仕事する人は珍しくないし、人々の生活は夜型になりつつありますが、それでも日本人に比べると
フランス人は徹夜しないような気もします。
あくまで私の見聞きした範囲のことですが、
寝るのも早くて12時まで起きてるのも稀じゃないでしょうか。

私は朝が苦手なほうなので、夜明けが好きなランボーは
すごく健全に思えてしまいます。
とってもきれいな夜明けがみれたのでしょうか。
それなら私も朝が好きになれるかもしれません(^^;)


■tourterelles キジバト?
オーブ at 8/6(土) 19:22:43 No.paroparo-20050806185055

tourterelles はキジバトと辞書には載っていましたが、実際は少し違うように感じています。

私は鳥が好きなので、手元に野鳥の本があり調べてみると、
日本にいる野生の鳩は
このキジバト、シラコバト、そしてドバトの3種類です。
(あくまで私が持っている本に掲載されている鳩で、ですが)

tourterelles はふつうの鳩よりも体が小さくて細く、そしてコロンブ(結婚式で飛ばす白い鳩)の仲間であることから、そして写真のイメージから私はシラコバトが近いように感じました。
http://lpomoselle.oiseaux.net/dossiers/tourterelles.html

tourterelles は渡り鳥であり、日本の鳩は留鳥ですが、このへんは
気候や土地に由来してくるので詳しくはわかりません。
(フランスの鳩は渡り鳥なのでしょうか・・)

余談ですが、tourterelles はやさしさ、優美さ、無知、弱さなどの象徴でもあるようです。
ランボーがそこまでイメージしたかどうかはわかりませんが、この詩の第三章はなんとなく、穏やかで女性的なイメージを感じましたので、まんざらではないかもしれませんね。

■>tourterelles キジバト?
Parolemerde2001 at 8/8(月) 13:08:10 No.paroparo-20050808130730

オーブさん、翻訳ありがとうございました。
建物など、日本語に置替えると、イメージが解らなくなる面があり、
難しさを感じます。
それ以前に、部分的にはイメージが取れても、全体の情景が漠然としていますね。
書いたランボーには、はつきり見えていたのでしょうけれど。

オーブさんが紹介されたサイトの tourterelles の画像を拝見しました。
日本のハトも参考に調べてみました。
確かに、シラコバトの方がより似ていますね。
動物分類的にはどうなるのか、よく判りません。
また、シラコバトと言う言葉も、キジバトほどは聞きませんね。
キジバトは東京の公園などでもときどき見ます。
私が見たのは、羽の模様からシラコバトではないと思います。
見たのは、いわゆる公園のハトのような群れではなく、1羽か番かです。
この tourterelles という言葉、音がなんとなくですが、ハトの声を思わせます。
オーブさんが指摘されるように、女性的なイメージなのでしょう。
この描写は、象徴的なのでしょうか、それとも、具体的な幻覚のイメージなのでしょうか。
私には、後者のように思えます。

訳は、難しいですね。
シラコバトとすると、シラコという意味が強く出てしまうような。

■夜の明るさ
Parolemerde2001 at 8/8(月) 13:49:22 No.paroparo-20050808134851

ガス灯の歴史をインターネットで調べてみましたが、国内以前の歴史はあまり出ていませんでした。
東京ガスのサイトがよく要約されていますので、以下に引用します。初期のかわった形のガス灯の写真があります。
「ガス灯を発明したのは、イギリス人技師のウィリアム・マードックです。
マードックは1792年に、石炭から得たガスの炎で、自分の家を照明しました。
この実験の成功によって照明用のガス利用が発展し、
19世紀半ばまでに、欧米の主な都市ではガス灯の明かりが街路を明るく照らしていました。
日本では、1872年(明治5年)10月31日、横浜の神奈川県庁前に、初めて十数基のガス灯がともりました。」
http://www.tokyo-gas.co.jp/ghakase/dr03/dr03.html

たしか、ゴッホにはガス灯の灯る町の一角を描いた絵がありましたね。
もちろん、今のように明るくは無かったでしょうが、
例えばパリの中心部では、ガス灯が灯っていたのではないでしょうか。
ただ、ちょっと入れば家の明かり以外は無いところが多かったでしょう。
ロンドンは、パリより産業都市でしたし、
ランボーの詩の描写からも、夜はパリより明るかったような気がします。

■ガス灯
オーブ at 8/8(月) 17:03:38 No.paroparo-20050808162501

パロさん、こんにちは。
私のほうこそ、いつ終わるか知れない気まぐれな翻訳に付き合っていただいてありがとうございます。
おかげで「眠らない夜」を完成させることができました。
一つ完成させると、次の翻訳の意欲がまた沸いてきます。

さて、ガスに関するHPをありがとうございます。
そうか!電灯の前に、ガス灯というものがありましたね。
すっかり忘れていました・・(--;)
確か、夕方になると人がひとつづつ火を灯して回ったのですよね?
このサイトによると、ガス灯は19世紀の半ばまでには欧米の主要都市で一般化されたようですので
ランボーのいた頃はすでにあったのですね。
写真をみましたが、なんともいえない趣がありますね。
フランスにはこういうデザインの電灯が多いです。
オレンジ色のぼぅっとした明かりはとても情緒があります。

ところで、家の中はどうだったのでしょう・・?
映画「太陽と月に背いて」ではランボーがろうそくを片手に
本を探しているシーンがありましたが、家の中の明かりはろうそくだったのでしょうか。
他の19世紀の映画、「アドルフ」や「世紀児の告白」などでも、
壁に飾ってあるろうそく立てを手に持ったりするシーンをよく覚えていますが、サロンのシャンデリアなどが
ガスだったのかどうか、ちょっとわかりません。
キャンドルの炎もなかなか味があっていいのではないかと思います。
とはいっても家で灯したりはしませんが・・(^^;)

■シラコバト
オーブ at 8/9(火) 12:50:28 No.paroparo-20050809123737

シラコバトって確かに訳したとき変ですよね。
まだキジバトのほうがわかりやすい。

tourterelles はフランスではtourterelles turques が一般的で、原産はインドだそうです。
東洋の鳩なのですね。
この鳩たちはランボーの幻想の中で東洋に向かって飛んでいったのかもしれない、
とそんな気がしました。

■Mystique 「神秘的」試訳
オーブ at 8/9(火) 23:16:58 No.paroparo-20050809230717

パロさん、みなさんこんばんは。

「眠らない夜」のほうも何かありましたら引き続きご意見をください。
私も気がついたことがあればまた書き込みます。
とりあえず、次の詩、Mystique の試訳を掲載します。
短い詩で少しほっとしましたが、その割には難しい内容でしたね・・。

神秘的

 土手の傾斜では鋼鉄のエメラルドの牧草地で天使たちがウールのドレスを翻す。
炎の草原は円い丘の頂上まで飛んでいく。
山の尾根の腐植土の左はあらゆる殺戮やあらゆる戦闘によって踏みつけられ、
そしてあらゆる悲惨な騒音がそれらのカーブを紡いでいく。右の山の尾根の向こうは東洋の境界線、進歩だ。
絵画の上の群れが海のほら貝と人間的な数々の夜を翻し、飛んでいったざわめきで形成された時、
星たちと空と残りで飾られたやさしさが斜面の正面に降りていく。
花かごのように。‐僕たちの顔に向かって、そしてその下にうっとりとする香りを放つ青い深淵を創っている。

(試訳 オーブ)

Mystique

Sur la pente du talus les anges tournent leurs robes de laine dans les
herbages d'acier et d'emeraude.
Des pres de flammes bondissent jusqu'au sommet du mamelon. A
gauche le terreau de l'arete est pietine par tous les homicides et toutes les batailles, et tous les bruits desastreux filent leur courbe. Deriere l'arete de droite la ligne des orients, des progres.
Et tandis que la bande en haut du tableau est formee de la rumeur
tournante et bondissante des conques des mers et des nuits humaines,
La douceur fleurie des etoiles et du ciel et du reste descend en face du
talus, comme un panier, -contre notre face, et fait l'abime fleurant et bleu
la dessous.

■神秘的?
オーブ at 8/11(木) 17:39:49 No.paroparo-20050811171418

Mystiqueは、「神秘的」「神秘的な」「神秘な」などの形容詞ですね。
ではいったい何が神秘なのか?という話ですが、ジャンコラ氏の解説では
l'Agneau mystiqueからインスピレーションを受けたのではないか、ということです。
神秘の子羊、つまりキリストのことです。または最期の審判から得たインスピレーションということで、
いずれにしてもキリスト教色の濃い詩です。

この詩は左と右に分かれていて、西洋と東洋をあらわしているのですね。
左、つまり西洋は殺戮や戦闘の日々で人々はパニックになっている、それに比べて東洋は新しい世界の誕生、進歩だと言っています。

Et tandis que la bande en haut du tableau est formee de la rumeur
tournante et bondissante des conques des mers et des nuits humaines,
La douceur fleurie des etoiles et du ciel et du reste descend en face du
talus, comme un panier, -contre notre face, et fait l'abime fleurant et bleu
la dessous.

私にはこの詩の最期のオチがよくわからないのですが、天国のすぐ下には深淵、つまり地獄があるという、
ランボーなりの皮肉なのでしょうか。
それとも新しい世界の誕生の裏側には常に深淵(地獄)があるということなのか・・?
もう少し考えてみます。

■灯り
Parolemerde2001 at 8/11(木) 23:18:55 No.paroparo-20050811231736

灯りのことを少し調べてみました。

電灯の前に、アーク灯もありました。
これら人工照明がフランスの家庭内に普及したのがいつなのか、
残念ながら適当な資料を知りません。
日本の照明については、以下のホームページを参照してください。
http://www.nucpal.gr.jp/website/support/kagakugijutsu/kagakugijutsu_02.html
このホームページに明治43年に東京瓦斯株式会社が行った調査結果が掲載されています。
当時供給されていたガスの半分以上が照明に使用されていたこと、
当時の東京市の5戸に1戸がガス灯を使用していて、1戸あたり約3個のガス灯(平均)だそうです。
街路よりも室内での使用の方が多かったのですね。
アーク灯、電灯のことも詳しく書かれています。

ランボーの詩には、ランプも出てきますね。
このホームページによりますと、いわゆる石油ランプは比較的新しいもののようです。
そうすると、ランボーの頃のランプの燃料は何だったのでしょう。
やはり、魚油、鯨の油、あるいは植物性の油…でしょうか。
でも、どれが当時のフランスで一般的だったのかは、分かりません。
無題の方の「フレーズ」(7月の曇った午前…)では、第5節に、
lustre シャンデリアが出てきます。
といっても、これは現代のホテルのロビーにあるようなシャンデリアではなく、
数本のローソクの灯った吊り燭台のことと思われます。
ヴェルレーヌとベルギーに駆落ち?したときに泊ったホテル?でしょうか。
いわゆるローソクもよく使われたと思います。
しかし、ランプとどちらが良く使われたかなどは、ちょっと分かりません。

■>Mystique
Parolemerde2001 at 8/12(金) 09:53:21 No.paroparo-20050812095252

ジャンコラ氏のノートを参照しました。
「ランボーが「最後の晩餐」かヴァン・エイクの「神秘の子羊」から、
インスピレーションを得たと言われている…」
ヴァン・エイクの「神秘の子羊」は、ベルギーにありますから、
ヴェルレーヌとともにこの絵を見たのではないかと私も思っています。
ダヴィンチの「最後の晩餐」はサンタ・マリア・デレ・グラーツィエ聖堂にありますが、
これはイタリアで、ランボーは見ていないのではないかと思います。

ジヤンコラ氏の解説は、私にはよく解らないです。
キリスト教(カトリック)のさまざまな意味合いが、
私には自然に理解できたり、受け止めたりできないからだと思っています。
ジャンコラ氏のノートの締めくくりの言葉は、
「ランボーは、そこで、地獄堕たち、(つまり)私たちの生きている、
ある「 abime 深淵、奈落の底」のことを語っている、
そして、その abime は、天国の香りと色を身につける。」
ちょっと意訳しないと意味が通じ難い文章ですね。
仏和辞書では、「 abime 深淵」の意味の
最後の宗教という項目になると出てくる「地獄」という意味合いが、
フランス人の彼には、始めに浮かぶのでしょうね。
だから「地獄堕たち damnes 」という言葉になるのでしょう。

私のこの詩は、
Mystique 神秘の l'Agneau 子羊の「子羊」つまりキリストの存在しないパノラマと読んでいます。
そして、降りてくる天は、夜の帳であり、
その下は、人間の、つまり私たちの夕べ、夜だと解釈しています。
「その abime は、天国の香りと色を身につける」のは、
「子羊」が居ないからでしょう。
と、私は勝手に解釈しています。

■ランプ
オーブ at 8/12(金) 14:31:41 No.paroparo-20050812140429

パロさん、HPの紹介ありがとうございます。
早速読んでみます。

フランスには今でもオイルの入ったランプがあります。
とはいっても実用的ではなく、インテリアの装飾ですが。
ビンの形は様々ですが、共通して言えるのは中に花の造花が入っていて
コーディネートされています。そしてたいていは香り付けされているので
火を灯すといい香りがします。アロマキャンドルと同じですね。
オイルの原料はちょっとわかりません。
びんから縄のような紐が出ていて、そこに火を灯すのでアルコールランプなのかも・・。
私は小学校のときに理科の時間に見たアルコールランプを連想しました。
実家にひとつありますので、帰ったときに何のオイルか見ておきます。
たぶん説明書きのところに書いてあると思いますので。

ランボーがロンドンに滞在した時期より少し後になりますが、
1885年のロンドンが舞台の、バーネット作「小公女」では
寄宿舎の女の子たちはランプを使っているようです。マッチですって火をつけますが、
強弱を調節したり、消したりはランプについているねじのようなものでしています。
しかし労働者などは一般的にろうそくを使っているようでした。
ランプは高価なものだったのかも。階級によって違うのかもしれませんね。

パロさんが言われる、当時のシャンデリア、つまり吊り蜀台は良く使われていたでしょうね。
私も実際見たことがありますが、ろうそくの蝋が溶けてたれないように
ろうそくの下ひとつひとつに丸くなった受け皿がついていました。
あたりまえですが蝋って結構たれますよね、ぽたぽたたれたら、危ないんじゃないかと
ずっと思っていたのですが、これをみてなるほど、と思いました。

■明かりの歴史
オーブ at 8/12(金) 15:30:17 No.paroparo-20050812144956

明かりの歴史についてのフランスのHPを見つけました。写真も豊富ですのでぜひご覧ください。
一部を抜粋して訳してみました。原文のアクセントはオーブが省略しました。

http://membres.lycos.fr/cavalampes/SiteLmp/JYP-Ecl4.htm

Dans la bougie stearique, developpee au milieu du XIXe siecle, on separe chimiquement les deux composants du suif, l'acide stearique et l'acide oleique. C'est le premier qui est conserve dans les bougies,en utilisant parallelement des meches de coton tresse, ce qui assure uneMouchettes et ensemble de bougeoirs flamme plus fixe et plus brillante que jamais. Le tressage permet a la meche de se courber et de se consumer : inutile alors de la moucher ! La miserable chandelle disparait alors, et la cire perd de son interet.

ステアリンのろうそくは19世紀の中ごろに発達しました。ふたつの油脂の構成要素を化学的に分けました。
ステアリック酸とオレイン酸です。みつあみのコットンの芯を平行して使いながら、ろうそくの中に
保存することができた最初のものであり、かつてないほど手燭台の炎をより定着させより輝かせました。このみつあみのおかげで芯は曲がり燃え尽きました。なのでろうそくの芯を切ったり、指でつまんで消すことは無意味なことなのです!その頃からみすぼらしいろうそくはなくなり、ろうはその関心を失いました。

('Histoire de l'eclairage'より一部抜粋、訳オーブ)

この頃はまだ人工的な明かりは高価すぎたため、人々はろうそくを主に使っていたようです。
ろうそくはろうそくでも、発達していたのですね。
続いてあともうひとつここでご紹介します。

Vers 1860 apparait l’huile de petrole, ou petrole lampant, ou encore plus tard keroseneLampe a petrole, avec son bec Kosmos. Bien plus fluide et inflammable que les huiles vegetales ou animales, il ne necessite pas les mecanismes des lampes Carcel ou a moderateur

1860年ごろ、石油または灯油が現われました。もう少し後になるとバーナーと共にケロシン(灯油)が現われました。植物油や動物油よりスムーズですぐに燃え上がりました。Carcel ランプの機械装置や調整は必要ありませんでした。

('Histoire de l'eclairage'より一部抜粋、訳オーブ)

ランボーの頃はすでに石油があったのですね。

あと、同じく1860年ごろ、液体のランプをやめてスポンジの繊維を使うことを提案したMilleという人物がいたようです。炎が白くより明るくなり、ランプの節約にもなったそうです。

■子羊はどこに・・・
オーブ at 8/13(土) 15:46:31 No.paroparo-20050813151606

Mystiqueについて。
パロさんの書き込みを引用させていただきました。「」の部分です。

「ジヤンコラ氏の解説は、私にはよく解らないです。
キリスト教(カトリック)のさまざまな意味合いが、
私には自然に理解できたり、受け止めたりできないからだと思っています。
ジャンコラ氏のノートの締めくくりの言葉は、
「ランボーは、そこで、地獄堕たち、(つまり)私たちの生きている、
ある「 abime 深淵、奈落の底」のことを語っている、
そして、その abime は、天国の香りと色を身につける。」
ちょっと意訳しないと意味が通じ難い文章ですね。
仏和辞書では、「 abime 深淵」の意味の
最後の宗教という項目になると出てくる「地獄」という意味合いが、
フランス人の彼には、始めに浮かぶのでしょうね。
だから「地獄堕たち damnes 」という言葉になるのでしょう。

私のこの詩は、
Mystique 神秘の l'Agneau 子羊の「子羊」つまりキリストの存在しないパノラマと読んでいます。
そして、降りてくる天は、夜の帳であり、
その下は、人間の、つまり私たちの夕べ、夜だと解釈しています。
「その abime は、天国の香りと色を身につける」のは、
「子羊」が居ないからでしょう。
と、私は勝手に解釈しています」

そうですね・・、私も実はジャンコラ氏の言いたいことが良くわかりません。
カトリックの国のフランス人ならぴんとくるのかもしれません。
damnesはパロさんが言われるように、地獄に落ちた者たち、永遠の罰を受ける者たち、
または呪われたものたちという意味があり、それを私たち人間にあてはめている。
キリスト教では人間は罪人なのでしょうか、アダムとイヴの犯した罪から彼らは
神によって楽園を追われ、男には労働の苦しみを、女には生みの苦しみを与えたといわれていますが、
ジャンコラ氏の言われる、damnesはこのようなことを言っているのかな、と思いました。
だからこのabime は私たちの、つまり人間の世界だと考えられますね。
(私はこのabime はランボーの言う、「新しい世界」のことと解釈したのですが。)
でも、パロさんがおっしゃるようにそこには「子羊」がいない。
だから、西洋社会が歴史の中で繰り返してきた宗教戦争というものがなく、
平和である、つまり天国の色と香りを身につけるのかな、と勝手に解釈しました。
ランボーにとっての新しい世界はキリスト(教)不在なのでしょう。
ランボーなりのキリスト(教)に対する皮肉がつまった詩のように感じました。

■ローソク
Parolemerde2001 at 8/13(土) 18:53:25 No.paroparo-20050813185236

オーブさん、こんにちは。

灯りの歴史のサイトのご紹介、ありがとうございます。
ずいぶん詳しく載っていますね。英語ページもありますし。

ローソクで思い出すランボーは、詩ではなくて手紙です。
1872年の6月、糞ッパリから友人ドラエーに宛てた手紙です。
「…朝の3時になって、ロウソクの光が弱まると、
木々の中ではいろんな小鳥がいっせいにさえずりだす。…」
ランボーは、この時はローソクの灯りで詩を書いていたのですね。
ロンドンでは、どうだったのでしょう?

■ろうそくの明り
オーブ at 8/14(日) 22:09:09 No.paroparo-20050814220351

ランボーはろうそくの明りで詩を書いていたのですね・・。
ステアリンのろうそくでしょうか。といっても私にはステアリンが
何なのかよくわかっていないのですが・・・。
でもろうそくの明りで字を書くなんて目が悪くなりそうですね。

ロンドンではどうだったのでしょうね。
節約のためにろうそくを使っていたと考えられますが。

今からだと電気のない生活は考えられませんので、
電気の発明ってすごいことだったのが良くわかります。

ステアリンのロウソク
Parolemerde2001 at 8/15(月) 13:52:35 No.paroparo-20050815135210

ステアリンのロウソクについて調べてみました。
固形の油脂(脂肪酸)で、綿実油、パーム、ラードなどから作られるそうです。
ステアリンのロウソクは、蝋を原料としたロウソクよりも
色が白く、明るく、ススも少ないそうです。

■ステアリン
オーブ at 8/15(月) 15:34:00 No.paroparo-20050815152530

ステアリンのろうそくについてありがとうございます。

ろうそくも進化をとげてきたのですね、、、あまり知られてはいませんが。
ちなみにうちにあるろうそくが何か調べてみたのですが、
残念ながら、それについての記述はありませんでした。
めったにありませんが、停電のときのためにろうそくは常備してあります。
原始的なもののほうが、何かのときには役にたちますね。

■Aube試訳
オーブ at 8/15(月) 15:48:06 No.paroparo-20050815153430

それでは次の詩、"Aube"の試訳に移りたいと思いますがよろしいでしょうか。
この詩はランボーの作品の中でも最も美しい詩のうちのひとつではないかと思います。
少年らしい、すがすがしい詩ですね。

あかつき

 ぼくは夏のあかつきを抱きしめた。
宮殿の前はまだ何も動いていなかった。水は死んでいた。
暗闇の野営は森の道を離れてはいなかった。ぼくは歩いた、生き生きと温かい息を目覚めさせながら。それから宝石はじっと見つめ、翼は音もなく舞い上がった。
すでにすがすがしく青白い輝きで満たされていた小道の上で、最初にぼくがしたことは花に関することを訊ねることだった。花はぼくにその名前を答えてくれた。
ぼくはもみの木々を通し髪を振り乱した黄金色のワッサファールに笑いかけた。銀色に輝く頂にあかつきの女神がいるとわかったからだ。
なので、一枚ずつヴェールをめくって行った。並木道で、両腕を振り回しながら。草原を通るとそこで女神のことを雄鶏に言いつけた。大都会では、彼女は鐘楼やドームの間をぬって逃げた。ぼくは大理石の河岸の上を乞食のように走り、彼女を追いかけた。
その道の上方の、月桂樹の森の近くで、ぼくは手繰り寄せられた女神のヴェールで彼女を包み込んだので、その巨大な体をかすかに感じた。あかつきとその子供は森のふもとへと落ちて行った。
目が覚めたときは正午だった。

(オーブ試訳)

Aube

J'ai embrasse l'aube d'ete.
Rien ne bougeait encore au front des palais.L'eau etait morte.
Les camps d'ombres ne quittaient pas la route du bois.J'ai marche, reveillant
les haleines vives et tiedes, et les pierreries regarderent, et les ailes
se leverent sans bruit.
La premiere entreprise fut, dans le sentier deja empli de frais et blemes
eclats, une fleur qui me dit son nom.
Je ris au wasserfall blond qui s'echevela a travers les sapins: a la cime
argentee je reconnus la deesse.
Alors je levai un a les voiles. Dans l'allee, en agitant les bras. Par la
pline, ou je l'ai denoncee au coq. A la grand'ville elle fuyait parmis les
clochers et les domes, et courant comme un mendiant sur les quais de
marbre, je la chassais.
En haut de la route, pres d'un bois de lauriers, je l'ai entouree avec ses
voiles amasses, et j'ai senti un peu son immense corps. L'aube et l'enfant
tomberent au bas du bois.
Au reveil il etait midi.

Aube 試訳訂正
オーブ at 8/15(月) 15:55:34 No.paroparo-20050815155044

すみません、さっそく間違いに気づきました。
掲載する前に確認したのですが、そういうときは見つけられないものですね・・。

最後から3行目

「あかつきとその子供は森のふもとへと落ちて行った」

と訳したのですが、これだとこの子供があかつきの子供というふうにも
とれてしまいますので、

「あかつきとこの子供は森のふもとへと落ちて行った」

に訂正します。

■タイトル Mystique について
Parolemerde2001 at 8/16(火) 22:40:37 No.paroparo-20050816223943

このタイトルは形容詞ですね。
当時(おそらく今でも)あまり一般的なタイトルのスタイルではないと思います。
私がフランス語でランボーを読み出した時に、
参考にした翻訳はどれも「神秘」という訳だったように記憶しています。
でも、Antique とか、同じようなタイトルがあり、
ランボーが意図的に形容詞を使用したのではないかと考えて、
「神秘」から「神秘の」と変えました。
「神秘的」としなかったのは、この詩のタイトルの解が「神秘の子羊」であり、
L'agneau mystique は、日本では神秘的子羊ではなくも、神秘の子羊と訳されているからです。
ランボーは読者に子羊を捜してごらんと問い掛けていると考えたからです。
最近のランボーの翻訳では、宇佐美氏が「神秘的」と訳しています。

■>Aube
Parolemerde2001 at 8/16(火) 23:43:32 No.paroparo-20050816234257

私がタイトルを「夜明け」としたのは、美的な印象を付与したくなかったからです。
この詩の美しさ、ランボーのアニミズム、生命の始動する朝という時間など、
数多くの研究、評論に書かれています。
私が、この詩のダイナミズムを感じたのは、フランス語の朗読を聴いてです。
詩の映像的な展開と朗読の音の展開がとても合って聞こえました。

1872年6月のドラエー宛の手紙に、
「朝の3時になって、ロウソクの光が弱まると、
木々の中ではいろんな小鳥がいっせいにさえずりだす。
さあ、お終いだ。仕事はやめた。
ぼくは朝のはじめの言うに言われぬ時に我を忘れて、
木々や空に見とれなければならなかった。」
とあり、この詩がその頃書かれたのではないかという推定もあります。
私も、そう考えています。

夜明けの美しさを動的に表現した詩と読んでしまうこともできますが、
イリュミナスィオンの一編として考えると、
最後の一行は、この詩の謎解きだと思います。
ただ、他の詩ほど晦渋な謎ではありませんが。
また、最初の一行は体験を断定していますが、
これはイリュミナスィオンでは珍しいスタイルだと思います。

最初に体験の断定があり、
体験のドラマティックな展開の描写(回想)があります。
そして、最後にそれはすべて夢だったと…
この子供はランボーなのでしょう。
「大洪水の後」で手を振り回す子供と同じように。
ランボーは、見者の手紙の中で、
「「ぼくが考える」というのは間違っています。
「ぼくは考えられる」と言うべきです。」と書きます。
ランボーは船になったり、子供になったりして、
日常ではない体験を描きますが、
それは、私 Je のバリエーションだと思います。

■タイトル Mystique について 追加
Parolemerde2001 at 8/17(水) 00:10:17 No.paroparo-20050817000759

「神秘」の他に、「神秘神学」という翻訳タイトルもあったと思います。
神秘学、神秘神学そのものの意味は、辞典などで調べましたが、解らなかったように記憶しています。

■Mystiqueはsentimentを表す言葉
オーブ at 8/17(水) 11:38:46 No.paroparo-20050817111227

Mystiqueはやはり、「神秘の子羊」を暗示しているのですね。
私はそういう詩の背景がわからなかったため、直訳です(^^;)

もう少し詳しく調べてみました。
Mystiqueという言葉には、宗教的な意味合いが強いようです。
宗教や信仰心、またはそれによる経験を表していて、例えば、祈り、瞑想、恍惚などです。
その他に、文学、神学、書物、哲学という意味もあるので「神秘神学」という訳も
ありかと思われます。たくさんの記述があってここには書ききれないのですが、ざっと
目を通しただけで、思想家、著者、夢想家、魂、愛、心の高揚、理想、物質主義、社会主義などを
暗示する言葉でもあるようです。これらをみただけでも、「イリュミナシオン」を彷彿とさせますね。

あと、キリスト教のほかに、内なる祈り、超自然的な信仰ということでに東洋の思想も含まれています。
言ってみれば、スピリチュアルな言葉だと解釈できると思います。

あと付け加えですが、キリストのことを「神秘の子羊」のほかに、「神秘の体」
Corps Mystiqueとも言うらしいです。この場合「神秘的な体」という訳でどうでしょう(^^)
では「神秘的な」というタイトルをつけても良さそうですね・・。

■Aube考察
オーブ at 8/17(水) 12:27:17 No.paroparo-20050817114759

私は「あかつき」という言葉の響きが好きでタイトルに選びました。(単純ですね・・)
漢字の「暁」を使わずにひらがなにしたのは優しく包み込むような感じがしたからです。
この詩は女性的で女神も出てきますし、そのほうがいいと勝手に解釈しました。

パロさんはこの詩の朗読を聴いたことがあるのですね。
私はmariに暗唱するように勧められましたよ。なるほど、声に出して読んでみると
字で読むのとは全く違う。本の中では活字が並んでいるだけでしかありませんが、
声に出すとまるで詩が生きているみたいでした。不思議ですね。
およそ130年前に書かれた詩がこんなに生き生きとしているなんて、
これもMystiqueと言えますね。

でも暗唱はまだまだ・・難しい発音もあるし、呼吸のおき方など難しいので
すらすらとはいきません。

パロさんはこの詩の最後の部分はIlluminationsにおいて謎解きになっているとお考えなのですね。
それもじっくりこれから考えてみたいと思います。

まずはこの詩を順に見ていきますね。

最初の一行はランボー自身の体験なのですね。

J'ai embrasse l'aube d'ete.

ランボーが夜明けが好きだったのは、Veilleesで話題になりました。
夜明けがすごく愛しかったんでしょう。

2行目から4行目の途中

Rien ne bougeait encore au front des palais.L'eau etait morte.
Les camps d'ombres ne quittaient pas la route du bois.J'ai marche, reveillant
les haleines vives et tiedes,

も、ランボーの体験と考えても良いでしょうか。
Les camps d'ombres はただ単に影の比ゆ的な表現なのでしょうか。
完全に夜が明けていないので、森の道にまだ影のかたまりが残っていると解釈したのですが、いかがでしょう?

4行目途中から5行目

et les pierreries regarderent, et les ailes
se leverent sans bruit.

les pierreries「宝石」はIlluminationsでランボーがよく使う言葉です。
ジャンコラ氏は「世界の中心」であると言っています。
新しい世界が生まれるときは必ず登場するのですね。
「大洪水の後」にもpierres precieusesとして使われています。

長くなりましたのでここで一度中断します。

■Aube 6、7行目考察
オーブ at 8/18(木) 11:25:26 No.paroparo-20050818102728

6行目
La premiere entreprise fut...

この詩の中で一番訳に苦労しました。私の訳は説明的過ぎて実はまだ思案中なのです。
entreprendreで「とりかかる」「始める」「、、、しようと試みる」などの
意味です。フランス語の辞書でentrepriseを調べるとaction d'entreprendre quelque chose, ce que quelqu'un entreprendとなっています。また、ジャンコラ氏の注にもPremiere action voulue par le promeneurとなっているので「最初にぼくがしたことは、、」とランボーからのアクションであることをわかるように訳しました。

entrepriseを仏和辞書で調べると「企て」「計画」となっているので
はじめは意味が捉えづらかったです。なんだか企業、会社、経済っぽいですよね。
確かにランボーの行動は「企て」ではあるのですが。
この意味でのentreprise は詩的、文学的表現で話言葉では使わないようです。
(動詞のentreprendreは使われます)
私もパロさんのように「最初の出来事は」と考えたのですが、この詩の場合だと
花からのアクション、または偶然の出来事としても捉えられると考え、訳を考え直しました。
もし何か裏付けやお考えがあれば教えてください。

7行目

......dans le sentier deja empli de frais et blemes
eclats, une fleur qui me dit son nom.

先ほどの La premiere entreprise fut...に関わりますが、この意味の中には
「最初にぼくがしたことは花に関することを(花)に質問することだった」
という意味が含まれているようです。難しいですね・・。
でもこれを全部説明してしまうと詩として成り立たないので
最後に「花はその名前をぼくに教えてくれた」une fleur qui me dit son nomとだけ言うことによって読者にランボーが花に花の名前を尋ねたことを想像させるような仕掛けになっているのではないかと解釈しました。

■entreprise
Parolemerde2001 at 8/18(木) 13:44:26 No.paroparo-20050818134252

オーブさん、こんにちは。

全体の読みについては、オーブさんの書込みが終わってから、
検討していきたいと考えています。

entreprise については、解りにくくならないように、ここで書きます。
辞書で引くと、「企て」「計画」が最初に来ています。
私の持っている辞書には「出来事」とはどこにも書かれていません。
何故、「出来事」と意訳したのかここで説明します。
本当は、サイトの解説にも書き込むべきだったのかも知れませんが、
情景を強調させるためもあり、省略してしまいました。
(後で追加します。)

私は、この詩全体としての象徴性は別として、
具体的に書かれた事象は、言葉の象徴性よりも、映像の象徴性として読んでいます。
それは、ランボーの意図というより、私の読みの意図かも知れません。
「ここでは、地面スレスレの太陽の光が、
暗い茂みあるいは草原より頭を出した花にだけ当たっている情景でしょう。」
つまり、今までは朝の蒼い光であり、ここで始めて太陽光線が出てきます。
ランボーの企ては、すでに「生き生きとした生暖かい息吹を目覚めさせる」であり、
つまり、太陽の出る前に始められています。

私は、ジャンコラ氏のように Premiere action voulue par le promeneur とは読まず、
むしろ、これは女神の企てと考えました。
つまり、ここでは、女神が少年を誘うシーンと読みました。
しかし、「企て」と訳してしまうと、誰の企てなのか解らないので、
シーンとして捉えやすいように「出来事」としました。
つづく女神との出会いの出来事の始まりだからです。
男性が女性にバラを一輪差し出すように、
女神は少年に光で輝く花を差し出したのです。
次に、女神はプロンドの髪を振り乱します。
これも、水が陽光を浴びて輝いている情景です。
古典的な絵画の水と女性あるいはヴィーナスを連想します。
ここには、誘われた少年の反応しか書かれていません。
それは、ランボーの意図だったように思います。
少年が笑いかけたのは、
ヴェールで包まれた肉体をほのかに見せながら、
女神が少年を誘ったからでしょう。
そして、女神と少年の追いかけっこが始まります。

これが私の読みです。

■entreprise 補足
Parolemerde2001 at 8/18(木) 13:53:56 No.paroparo-20050818135256

裏付けを書き忘れました。

かっては、海が「酔いどれ船」、つまり少年ランボーに、
花を捧げています。

ときおり、海はすすり泣きながら、おれを優しくゆすり
黄色い吸い玉のある黄土色の花を、掲げてくれた

海は、もちろん、母でもあり女性でもあります。

■女神の「企て」とランボーの「企て」
オーブ at 8/19(金) 19:39:35 No.paroparo-20050819183522

パロさん、entrepriseについてとても素敵な解説をありがとうございます。
パロさんはこれは女神の「企て」と解釈されたのですね!
ご自身のサイトの中で、「この詩の内容の象徴性については、読む人それぞれが感じ取るものと思い、ここでは論じません」と書かれていましたね。
でも、とても素敵な解釈なのでぜひお書きになられてはどうでしょうか。
こういう感覚は男性のほうがわかりやすいのかもしれせん。
女神に導かれているという感じですね。「わたしを捕まえてごらん」とでも言うように・・。

私はパロさんの書き込みを読んでからこの詩を読み直したり、自分なりにいろいろ考えたのですが、私の中ではやはり、これはランボーの企てと感じる部分が多いので私の試訳はそのままにしておこうと思います。でももう少し訳をすっきりさせれたらいいのですが。パロさんがサイトの解説でおっしゃられたように、私もこの詩の冒頭の部分はランボーの企てだと思いました。まだ眠っている自然を目覚めさせてあげていると。
続くLa premiere entreprise fut...もその延長であると私は解釈しました。
花に質問して答えてもらうことによって、花を目覚めさせているのではないかと思いました。
この詩はランボーの夢想であり、最後のl'enfantを除いて一人称Jeで語られていることもあり、行動的なランボーをイメージしました。

私がこのentrepriseを「出来事」だと最初に思ったのは、誰の、何に対する企てかがわからなかったからです。
「最初に起こったことは」というふうに捉えていました。企てがランボーでも女神でもなく、ただの偶然というような。女神の企てだと意識されていたパロさんが「出来事」と意訳されたのとは全く違う理由で、初めてこの詩を訳した私にはこの詩がほとんど読めていませんでした。(まあ、今も読みが足りてませんが・・--;)

少し戻りますが、3行目のLes camps d'ombresは読み返すうちに、もしかすると小鳥の群れかな、と思いました。そしてランボーが眠っている自然を起こすことによってLes ailes se leverent.に続くのではないかと。
いろいろな解釈ができる詩ですね。

パロさんが先ほどの解説の中で La premiere entreprise fut...以降について触れてくれているので私も先に進みますね。
その前にここで一度きります。

■rire
オーブ at 8/19(金) 22:44:44 No.paroparo-20050819215751

8行目、9行目です。

Je ris au wasserfall blond qui s'echevela a travers les sapins: a la cime
argentee je reconnus la deesse.

 「ぼくはもみの木々を通し髪を振り乱した黄金色のワッサファールに笑いかけた。銀色に輝く頂にあかつきの女神がいるとわかったからだ。」

ある解釈ではヴィーナスが海のほら貝から生まれたように、この女神はwasserfall から生まれた、というのもありました。パロさんは水と女性(ヴィーナス)の関連性を指摘されていましたね。
木々の上に太陽が昇り、その光を受けて滝がきらきらと黄金色に輝いているのですね。
そこに女神がいることを認めた(reconnaitre)ランボーは笑いかけます。
rireは普通は何か面白いことがあったときに、げらげら笑ったりする意味で使われますが、辞書で調べると文語では微笑むsourireという意味もありました。女神の姿を認めうれしくて思わず滝に向かって笑みがこぼれたのか、それとも女神に向かってにっこりと微笑みかけたのか・・。

余談なのですが、フランス人はほんとうに「笑う」ことが上手な人たちです。
挨拶しながらとっても素敵な笑顔をみせてくれたりします。それは、日本でいう、げらげら笑う(rire)でもなく、控えめににっこり微笑む(sourire)でもない、このふたつの間のような微笑です。(←なんだかわかりませんね・・・)うれしくてぱっと顔が明るくなる感じで、こういうのは子供のほうが得意かもしれません。
だから、ランボーもこんな感じに女神に笑いかけたのかな~と勝手に想像しています。
少年らしいかわいさが感じられた一節でした。

■>rire
Parolemerde2001 at 8/20(土) 21:48:38 No.paroparo-20050820214750

オーブさん、こんばんは。

この詩全体の読みは、オーブさんの読解が終ってからにしたいと思います。
私のことは気にせずに、読み進んでください。

さて、rire ですが、
この詩の ris au に類似した rire の使い方としては、
後期韻文詩編、我慢の祭の五月の軍旗 Bannieres de mai の
rire aux が、名詞ですが、類似していると思います。
ただし、ここでの意味は苦いですが…

C'est rire aux parents qu'au soleil ;
Mais moi je ne veux rire a rien ;
Et libre soit cette infortune.

訳しにくいですね。

Aube 10 から13行目考察
オーブ at 8/20(土) 22:54:23 No.paroparo-20050820222028

パロさんこんばんは。
最近朝晩、やっと涼しくなってきましたね。

さて、10行目から13行目です。

Alors je levai un a les voiles. Dans l'allee, en agitant les bras. Par la
pline, ou je l'ai denoncee au coq. A la grand'ville elle fuyait parmis les
clochers et les domes, et courant comme un mendiant sur les quais de
marbre, je la chassais.

「なので、一枚ずつヴェールをめくって行った。並木道で、両腕を振り回しながら。草原を通るとそこで女神のことを雄鶏に言いつけた。大都会では、彼女は鐘楼やドームの間をぬって逃げた。ぼくは大理石の河岸の上を乞食のように走り、彼女を追いかけた」

ランボーは女神をつかまえたくて一枚づつ彼女のヴェールをめくっていきます。両腕を振り回すのは「大洪水の後」にもでてきましたね。子供らしいしぐさです。女神が大都会の中を逃げ回るのはだんだん夜が明けて明るくなってきたと考えました。
少し疑問に思ったのはje l'ai denoncee au coq.という表現です。女神のことを雄鶏に話したわけではなく、密告する、denoncerという言葉が使われている。少年が女神の危険な魅力に虜になっていくように、ランボーは少なからず心のどこかで女神に恐れを抱いていたのかなと思いました。女神は未知なる創造物なので。
それゆえに引き寄せられるとも考えられます。
雄鶏といえば朝の象徴ですよね、それと共和国としてのフランスの象徴でもあります。(王家の象徴はゆりの花でした)
そしておもしろい表現、 courant comme un mendiant sur les quais de
marbre....「ぼくは大理石の河岸の上を乞食のように走り・・・」
大理石の河岸とは夢の世界なのでしょうね、乞食のように走るというのが想像できませんでした。
乞食が走っているイメージがあまりわかないので・・・。あまり猛スピードで走っているという感じではなさそうですが。

■>mendiant
Parolemerde2001 at 8/20(土) 23:16:18 No.paroparo-20050820231442

オーブさん、こんばんは。(この日本語、変ですね)

この詩は、ランボーの少年時代(子供時代と言った方が適切かも…)の回想ですよね。
「乞食」に関しては、次の告白が「地獄での一季節」の「不可能」の冒頭にあります。

「ああ! 子供のときのあの生活、
いつも街道にいて、異常なまでに食べ物をつつしみ、
どんな乞食よりも無欲にして、祖国もなく友もないことを誇りに思っていたとは、
なんと愚かなことだったのだ。」

雄鶏は、coq de gaulois なのでしょうか。
O saisons o chateaux のように…
この詩では、あまり複雑に取りたくないので、朝を告げる鶏と考えました。

■カラフルな尾の雄鶏
オーブ at 8/22(月) 09:54:30 No.paroparo-20050822094210

長いふさふさとした色とりどりの尾を持つ雄鶏が、共和国であるフランスの象徴なので、
普通の雄鶏とは少し違うかもしれませんね。
私は見たことがないのですが、人間の子供くらいの非常に大きな雄鶏がいるらしいです。
私は鶏の目が怖いのであまりじっくり見たくはないですが・・。
ランボーはわざわざ女神の存在を雄鶏に教えてなんだか共犯者みたいですね。
自分だけの秘密にしておかなかったのはやっぱり不安だったのではないかしら、
それともうれしくてついつい誰かに話したくなったのか・・
といろいろ考えてしまいました。

mendian、そういえばランボーはパリに出て「乞食」のような生活をしていたこともありましね。そのときの何かを乞い求めるような感覚を思い出したのでしょうか。
それにしてもここの部分は少し笑えました(^^)

■Aube最終
オーブ at 8/22(月) 10:15:52 No.paroparo-20050822095517

En haut de la route, pres d'un bois de lauriers, je l'ai entouree avec ses
voiles amasses, et j'ai senti un peu son immense corps. L'aube et l'enfant
tomberent au bas du bois.
Au reveil il etait midi.

「その道の上方の、月桂樹の森の近くで、ぼくは手繰り寄せられた女神のヴェールで彼女を包み込んだので、そ の巨大な体をかすかに感じた。あかつきとその子供は森のふもとへと落ちて行った。
目が覚めたときは正午だった」

月桂樹は勝利の証で縁起がいいですが、皮肉なことにランボーは女神をつかまえるのに失敗します。
そして最後に突然je(ぼく)からl'enfant(子供)に主語が転化します。
それまでは自分が主人公でまだ眠る自然を目覚めさせながら散歩をしたり、女神を追いかけたりしていたのに、
ここでは第三者の目で「子供」と「女神」を見ています。これも「見者」の詩法ですね。
それにしても2人が、tomberent au bas du bois.「森のふもとに落ちる」とはどういうことなのでしょう。
朝日が昇ってすっかり景色は明るくなったのだろうというのは想像できますが。この子は女神を捕まえようと女神のヴェールでその体を包み込んだ(ように感じた)ものの、逃げられてしまい、その反動で転んでしまったのでしょうか。ランボーがどんな映像を見たのか見てみたいものです。

目が覚めてこの夢は消えてしまいます。
とても素敵な夢でしたね。

■>Aube
Parolemerde2001 at 8/22(月) 19:31:12 No.paroparo-20050822192909

オーブさん、こんばんは。

そうですね、「ぼく」は子供になってしまい、
さらに、夢から覚めてこのドラマは終わりです。

イリュミナスィオンでこの詩に似ている詩は…「小話(コント)」ではないでしょうか。
「コント」は、おそらく「地獄での一季節」の後に書かれたのではないかと思いますが、
この詩は、おそらく1872年の初夏、
ランボーがパリで見者、あるいはボヘミアン生活をしていた頃に書いた詩ではないでしょうか。
そのためか、この詩には晦渋な結末が感じられません。
生活上の破綻は、ロンドンに渡ってから表に出てきたと思います。

サイトにも書きましたが、この詩はランボーの初期詩編の前半部の歩みを辿っているように読めます。
初期詩編の後半部、つまり見者となってからではないでしょう。
暁の女神は、同時にミューズでもあります。
雄鶏は共和国の詩人でしょうか、
たとえば、ぼくは新しい詩人ですよと手紙で売り込んだバンヴィルと、
具体的に読むことさえ可能です。
でも、私としてはここに展開されている動画をそのまま見ます。
少年は、女神に誘われ、ヴェールを脱がしていったにもかかわらず、
再び、女神をヴェールで包みます。
昼の光が、林のふもとに落ちるように、
子供と女神は林の下に落ちます。
この部分は、例えば「愛の砂漠」あるいは、初期詩編(後半)との共通のテーマを感じます。
つまり、女性(の肉体)、あるいは女性との肉体的愛への拒絶です。
女神はころんだのでしょうか。取り逃がしたのでしょうか。
女神は、真昼の太陽の光の中で消えてしまったのではないでしょうか。

この詩は、「糞パリ」からドラエーに宛てたの手紙のように、
再びパリに戻ったランボーの見者生活の成功の自負が感じられます。
それが、子供のランボーに別れを告げる詩であっても、
美しく書き切った余裕だと思います。
私は、ランボーは、常に他者として自分の詩を見ることができた天才だと思っています。
それは、初期詩編にも当てはまると思っています。
ひとつの原因としては、韻と音綴数の制約を満たして韻文詩を書くという、
知的作業のもたらした成果?かも知れませんが。

■>>Aube
Parolemerde2001 at 8/23(火) 07:40:11 No.paroparo-20050823073934

この詩は、ランボーの動的な表現の見事な成功だと思います。
初期詩編の「谷間に眠る人」などから見られた詩法ですが、
これほど生き生きと、さらに散文詩ですが、音と合わさって、
読者に分かりやすくまとまっています。
前の「神秘の Mystique 」も、それなりに動的なのですが、
視点の移動が、「夜明け Aube 」ほどダイナミックではありませし、
内容的にも分かりやすくありません。
この詩法は、たぶん高踏派の影響と、それをランボーなりに消化・批判し、
見者という認識で、作り直したものだと思います。

ランボーと夜明け(暁)は、しばし、強く関連付けて語られますが、
でも、実際には、この「夜明け Aube 」以外には、強い印象を与える詩が、
私には思い浮かびません。
むしろ、夕日を惜しむ少年の心情の方が、
数行の挿入的な表現で多く見られるように思います。
でも、実際の自分の子供時代を思い出しても、
町中に住んでいると、日の出を見る機会は少なく、
夕日を見る機会の方が多かったです。
ロッシュは農村ですが、シャルルヴィルは町でしたから…。
もっとも、アパートの上の階で朝日が常に見える環境だったら、
少しは変わっていたでしょうか。


■Aubeの感想
オーブ at 8/25(木) 12:22:52 No.paroparo-20050825114821

パロさんこんにちは。

短い物語のようなこの詩は見事に動きを表していますね。
まだ眠りからさめていない
宮殿、水、自然・・、宝石が目を開く音、鳥たちが飛び立つ音。
森の小道をゆく少年の息遣いが聞こえてくるようです。

そして女性の長い髪が波打って背中に流れているような
みごとな黄金色の滝。銀色の木々の頂。
朝日を受けた自然のまぶしさ。

ここまでのシーンを「平行」と「垂直」ととる解釈もあるようです。
つまり自然を目覚めさせながら歩く少年を「平行」、流れる滝、木々の頂を
「垂直」というふうに。
私はそこまで考えが及びませんでしたが、一つの解釈としてそういう見方もまたおもしろいですね。

そして女神は街の中を逃げ回ります。
私にも見た経験がありますが、空がだんだん明るくなっていく様子を、
女神が逃げていく様子として捉えているなんてさすがですね。
そして、ランボーになったつもりで少し想像してみました。
だんだん明るくなっていくとき、その明るさを追いかけたらどうなるか、と・・。
永遠につかまらないのだろうけど・・。
そしてパロさんがおっしゃるように、昼の光が林のふもとにおちる。
行き着く先はそこなのでしょう。女神を抱擁しようとした少年も一緒に落ちて行ったのですね。

訳の上で難しいところもありましたが、難解な詩が多い中で、
わりとすんなりと自分の中に入ってきた詩でした。
以前も少しお話したことがあったと記憶していますが、何年も前になりますたが、朝日新聞から「世界の文学」という薄い冊子が毎週刊行されていて、ランボーのところではこの詩が代表として紹介されていたと記憶しています。解説は良く覚えていませんが、最後の場面、一瞬女神と抱擁を果たしたかのように見えた詩人の「子供」への突然の転化が見事だとかいてあったと記憶しています。

■feerie 4つの詩
オーブ at 8/25(木) 12:54:03 No.paroparo-20050825122416

この詩はイリュミナスィオンの中のOrnieres, Fleurs, Mystiqueと関連していて
総称してfeerieと呼ばれているらしいです。
この4つの詩は特に美しいのでしょう。
Fleursは次の詩ですね。Fleursの詩訳が終わったらこの4つを比べてみたいです。

あ、それとパロさんがConteについて言及されていたのでふと思い出したことがあります。
さいごの La musique savante manque 将notre d将遠ir.の La musique savante「巧妙な音楽」は「調和」のことでは・・・と思いました。
この王様は残虐の限りを尽くしていて精神の調和が取れてませんでした。情緒不安定みたいなかんじですね。
しかし、精霊と出会うことで心の調和が取れた。もともとはこの精霊は王様の一部だったので。心の安定が図れたのではと思いました。
「王と精霊はおそらく本質的な健康の中で消滅しました」
残虐な王様も、美しすぎる精霊もどちらも調和がとれていないけれど、二つが合わさることでバランスがとれるみたいな・・。
「ぼくたちの欲望」が具体的に何かはわかりませんが、自分の欲望のままに残虐の限りをつくしていた王様みたいに、調和がとれていない、ということかな~と。
まあなんの裏づけもないので、ただのたわごとだと思って聞き流してください(^^;)


■「夜明け」の動的映像
Parolemerde2001 at 8/26(金) 19:31:26 No.paroparo-20050826192607

ランボーの動的な映像がいかにして成立したか…
ランボーの動的ヴィジョンには、当時の様々な文学作品の影響があったと思われます。
例えば、酔いどれ船のノートには詩人からの思想的な影響とともに、
ヴェルヌのノーチラス号の影響などが書かれています。
残念ながら私はランボーが読んだ詩もおとぎ話も小説も…広く読んでいませんので、
動的なヴィジョンの創作に与えた文学の影響を語ることができません。

書かれたものからでなく、実体験からの影響としては、
私はアルデンヌの「丘陵地帯」の散策と「鉄道」旅行を考えています。
丘陵地帯の散策は、ランボーに俯瞰的な視点、動的な視点を与えました。
たとえば「少年時代」のⅡからⅣまでは、森や丘を歩く少年ランボーが語られます。
フランスは1860年頃までに急速に鉄道網が普及しましたが、
鉄道旅行は、厳しい母の下では、家出としてしか実現しなかったようです。
ジャンドル姉妹の処に家出した時の鉄道体験が、
「谷間に眠る人」や「冬を夢見て」のイメージになったと思っています。
ランボーの中で、これらの体験が見者の詩法で融合されていきます。
すでに「谷間に眠る人」では、太陽の光が川の反射を泡立てることが書かれています。
そして、俯瞰した谷の緑の穴に、視点が、つまりカメラがズームしていきます。
俯瞰した視点は、水の流れと川べりの草の見え方が光や風とともに変化することを知ります。
川底が見えたり、反射で煌いたり、夕日に染まったり、暗灰色の水面になったり…
見者の詩法の宣言以降に書かれた「酔いどれ船」と「思い出」に、
この水面を見ることができます。
「ミシェルとクリスチーヌ」では、夕立(雲)に追われて逃げる夕日、
夕日に照らされた羊の群(群雲とも見える)と読めるダイナミックな映像が展開されます。
さらにこの詩では「 railway 鉄道線路」という英語が使われています。

丘陵地帯で丘から見下ろした陽光の移動、雲の影の移動、
鉄道列車に乗っている詩人の視点の移動、
この二つが融合して、新しい映像を作る力になったのだと思います。

私は、「夜明け」は、「ミシェルとクリスチーヌ」とは異なり、
空の映像ではなく、俯瞰的に捉えた大地を移動する光が描かれていると見ています。
夜明け前の影に佇む谷間の町あるいは村で少年が歩き始めます。
やがて太陽は滝を照らし、森の上に見える山を白く照らします。
ここで、地上の視点から、俯瞰の視点へと変わります。
(この視点の変化は、後の僕から子供への変化の伏線となっています)
光は草原地帯に降りてきて、草原を走り、都市に来ます。
ドームは輝き、川岸は、太陽の位置とともに光と影が交錯します。
都市の側の月桂樹の林は、私にはエルサレムに近いオリーブの森(オリーブ山)を思い出させます。
ランボーの詩に見られる旧約聖書の影響がここにもあるのかも知れません。

ランボーのもうひとつの「朝」の詩を忘れていました。
1872年5月に書かれた「朝の名案」です。
この詩では、ヴィーナスが労働者にブランデー(焼酎かな?)を
持ってくることになってますね。

■>feerie 4つの詩
Parolemerde2001 at 8/26(金) 19:36:12 No.paroparo-20050826193557

そうですね、それぞれの詩を読むだけでなく、
相互の比較や、イリュミナスィオン全体での位置なども、
すこしずつ見ていきたいですね。

■「夜明け」の動的映像 追加
Parolemerde2001 at 8/26(金) 19:41:23 No.paroparo-20050826193838

ランボーがオリーブ山のことを知っていたことは、
「地獄での一季節」に引用されている(元の原稿は無い)
「狼は葉陰で吠えていた。」という詩に、
セドロン川が書かれていることから理解できます。

■>「夜明け」の動的映像
オーブ at 9/5(月) 12:00:09 No.paroparo-20050905113956
パロさん、こんにちは。
諸事情のため書き込みが遅れてしまって申し訳ありませんでした。

このAubeを初め、ランボーの詩には動きが感じられる詩がいくつかあります。
この当時の詩ではやはり斬新な試みだったのでしょうか。
私はランボー以外の詩をあまり読んだことがないのでわからないのですが・・。
ボードレールを少し詠んだくらいです。退廃的な美しさや詩人の心情を
書き綴ったような印象を受けました。
ランボーの時代、写真はあったものの、まだ動画としての映像はなかった時代ですよね。
ランボーが今の時代に生きていたら、映像作家にもなれたかも・・・。
モダンなものが好きな彼でしたからパソコンとかに夢中になってたかもしれませんね。

絵画や写真はある一瞬のシーンを捉え、永遠にそれはそのままなのだけど、
文章で動きを現したランボーの詩は、読者が読むたびにいつでもどこでも動き出す。
130年くらいたった今でもまったく褪せていません。
ランボーの詩は魔法のようです。

■無能なガラス売り
オーブ at 9/5(月) 13:46:55 No.paroparo-20050905130747

話が脱線しますが・・。
三さんのマラルメとぴで「ガラス売り」の話が出ていましたね。
それを読んで私はすぐにボードレールの「無能なガラス売り」Le Mauvais Vitrierを思い出しました。
ガラス売りは「わたし」の住むアパルトマンに「耳障りな呼び声」をあげながら階段を上がってきます。
何を思ったのか「わたし」は用もないのにガラス売りを呼びとめ、あがってこさせますが、色とりどりの美しいガラスがないことに因縁をつけ、ガラス売りを階段から突き落とし、その上、出口から出てきたところを鉢植えをなげつけ、哀れにもガラス売りのガラスたちは粉々に砕け散ってしまいます。「わたし」はそれで気がすむのですが一瞬の快楽のためなら、未来永劫罰を受けてもかまわない、というようなオチでした。
この「わたし」は朝起きていらいらしていたので、
ガラス売りはストレス解消のターゲットにされてしまったのです。
ひどい話ですよね・・。不幸にもこのガラス売りの生活の糧は絶たれてしまったわけなのです。ボードレールの話にはこういうある意味背徳的というか反道徳的な物語がけっこうあります。この短編は「パリの憂鬱」という短編集の一話です。
大都会パリに住んでいるといらいらしていたんでしょうかね・・。la lourde et sale atomosphere parisienne.「パリのうっとうしい汚れた大気」というくだりもありましたので。
「花の都パリ」と呼ばれるようになったのは20世紀に入ってからのことなのでしょうか。
エッフェル塔ができてから?
それでもたくさんの芸術家がいた街ですから人々をひきつける魅力があったのでしょうね。

(パリの憂鬱/松井美知子 訳注/大学書林語学文庫より)

■月桂樹
オーブ at 9/5(月) 15:29:11 No.paroparo-20050905151528

げっけいじゅ、美しい響き、美しい漢字ですね。
どんな木なのかぴんときませんがローリエといったほうがわかりやすいかもしれません。
カレーによく入っている香り付けの葉っぱですね。
勝利者の冠としてよく知られていますが、古代ギリシャでは太陽神アポロンの木とされ、
16世紀イギリスでは優れた詩人の称号だったそうです。

パロさんのオリーブの話で思い出しました。
フランスのお花屋さんでは春になると、いっせいにオリーブの木が売られます。
私も育てていたことがあります。
残念ながら枯らしてしまいましたがうまく育てたら実がなったのでしょうか。
緑の濃いとてもきれいな葉をした木でまさに太陽の木でした。
オリーブオイルは体に良いそうですがカロリーが高いんですってね。
フランスにいるときはよく使っていました。
余談ですがひまわりの種のオイルも使っていましたが、これまたカロリーが高い・・。
今は菜種オイルを使ってヘルシーにしています。

それにしてもランボーの詩にはいろいろな植物や木の名前が出てきます。
私は・・そうですね、菩提樹という木の持つ不思議な名前が好きですね。
もうそろそろパリは「マロニエの秋」かな。

■>>「夜明け」の動的映像
Parolemerde2001 at 9/5(月) 23:45:20 No.paroparo-20050905234449

>この当時の詩ではやはり斬新な試みだったのでしょうか。
たぶん、高踏派という当時主流の詩の流れから考えれば、そう言えると思います。
でも、当時の詩を離れて広く見るとどうなのか、判らなくなってきます。
ベンヤミンの「パサージュ論」など、当時の一般的な文化全体を扱っている評論などには、
当時、鉄道を詠った詩とか、船をテーマにしたシャンソンなどがあったようです。
とくに船のシャンソンはブームだったらしいです。
ランボーが「言葉の錬金術」で書いているように、
彼がいわゆる純文学ではないものを愛したのだとしたら、
それは、自然なことだったようにも思えますし、
詩の世界に意図的に取り入れたのかも知れません。

ランボーはアフリカで写真を撮影していますね。
これは鈴村氏が「ランボー砂漠を行く」でしたか、
彼の本の中で、面白い分析をしています。

■>無能なガラス売り
Parolemerde2001 at 9/6(火) 00:17:03 No.paroparo-20050906001622

私もこのパリのガラス売りの散文詩は印象に残って覚えています。
三さんも、この詩を思い出されたようです。
ただ、この詩の意図がどこにあるのかということになると、
私には、ちょっと分からないです。

私が贅沢な育ちをしていないからかも知れませんが、
当時の没落した貴族あるいはブルジョワの心理、ココットの魅力、
さらに、そういう贅沢を知っていたボードレールの世界は、
身近にリアルに感じられる部分が少ないからです。
生活だけのために騒々しく生きること(人)を不快に感じたのかも知れません。
イジドール・デュカスの青年の残虐性、反抗的な攻撃性とは違う、
しかし、サドほどストレートでもなく、何か鬱屈した心理を感じます。

パリはオスマンの都市改造でかなり整備されましたが、
ボードレールはそれ以前の、いわばごった煮的なパリを愛していたようです。
ただ、花の都という呼び名は、整備されたからではなかったと思います。
パリは早くから文化的な都市としての名声を得ていましたから。
その一方で、観光客相手の犯罪も多かったようです。
当時のパリ市街は、暖房の石炭の煙で黒く汚れていたそうです。
洗って白くしたという記事を読んだ覚えがあるのですが、
本の名も、いつだったのかも、覚えていません。

■>月桂樹
Parolemerde2001 at 9/6(火) 00:32:15 No.paroparo-20050906003106

東南アジアのカレーですと、月桂樹ではない、柑橘類の葉が使われますね。
他に、カレーの香りのする葉があるそうですが、
希少品だそうで、実物を見たことはありません。
古代ギリシアでは月桂樹の葉を香料としても使用したのでしょうか。

菜種油はフランスでは何という名前で売られているのですか?
一般的に、使われていますか?
ひまわり油は、割と使われているようですね。
ただ、慣れない日本人は、お腹を下しやすいとか聞きましたが。

私は、ゴマ油とオリーブ油(バージンオイル)を主に使っています。
加熱に強く、酸化しにくいからです。
ただ、ちょっと重いので、
夏以外、つまり秋~春には、グレープシード油も使っています。

■>>>「夜明け」の動的映像
オーブ at 9/7(水) 12:00:09 No.paroparo-20050907114242

>ランボーはアフリカで写真を撮影していますね。
これは鈴村氏が「ランボー砂漠を行く」でしたか、
彼の本の中で、面白い分析をしています。

そうでしたか!私もこの本を持っていますがいまだ完読できずにいます(泣)
そろそろ涼しくなってきましたし、またトライしてみます。
でももう一回初めから読み直さないと完全に忘れている自分が情けないです・・・。

>当時、鉄道を詠った詩とか、船をテーマにしたシャンソンなどがあったようです。
とくに船のシャンソンはブームだったらしいです。

ランボーが詩を書いていた当時、すでに鉄道や船などで動きを歌った詩や歌が
ブームになっていたのですね。
鉄道なんかは当時の人々には驚きに値するものだったに違いありません。

>ランボーが「言葉の錬金術」で書いているように、
彼がいわゆる純文学ではないものを愛したのだとしたら、
それは、自然なことだったようにも思えますし、
詩の世界に意図的に取り入れたのかも知れません。

ランボーの詩はとても難しい。難しく捉えられていると言ってもいいかもしれませんが、
彼はそんなつもりで書いていたのではなかったのかもしれないと、パロさんの書き込みを読んで
思いました。(もちろん彼流にですが)当時の流行を少し取り入れたり、思春期の少年のさわやかな感性を書いたりしていますものね。抽象的な表現が多いせいで判読が難しくなるのかもしれません。

■>>無能なガラス売り
オーブ at 9/7(水) 15:18:30 No.paroparo-20050907143844

ボードレールの「無能なガラス売り」は今でいうところの
「切れた」感覚に良く似ていると正直思いました。
この主人公「わたし」は突然切れました。なぜかは自分でもわからないと
いっております。

Il me serait d'ailleurs impossible de dire pourquoi je fus pris a l'egard
de ce pauvre homme d'une haine aussi soudaine que despotique.

パロさんがおっしゃるようにやはり彼は贅沢や豊かさに慣れているので
本当の意味での生活の大変さを知らない故の余裕からくる気晴らしというか、
暇つぶしの感覚ではないかと思いました。本当に鬱屈としていますね・・・。
パロさんが言及されていたイジドール・デュカス(ロートレアモン)もそうですし、
私が以前ここで紹介しましたコンスタン作の「アドルフ」にしても
19世紀フランス文学には退廃的なものが多いですね。
アドルフには直接的な残虐性はありませんが、好きでもない女の人に好きだといって
もてあそんだあげく、断りきれなくてずるずる関係を引きずってしまうこの心理にも
どこか鬱屈とした空虚さを感じました。この主人公もやはりボードレールと同じお金持ちのブルジョワジーでした。
17世紀、18世紀はただひたすらに華やかな貴族の恋愛を詠った詩が多かったそうですが
(実際読んだことはありません・・)19世紀になると人々の心理も複雑になるのでしょうか。
それとも近代化のせい?ブルジョワジーが徐々に衰退していったこととも関係があるのかもしれません。

>パリはオスマンの都市改造でかなり整備されましたが、
ボードレールはそれ以前の、いわばごった煮的なパリを愛していたようです。
ただ、花の都という呼び名は、整備されたからではなかったと思います。

そうでしたか、私はてっきりエッフェル塔ができてから栄えたのだと思っていました。
しかし、確かにおっしゃるようにそれ以前にもたくさんの芸術家に愛された街でしたね。
特にモンマルトルは下宿屋が安いということもあって貧しい芸術家の卵たちが共同で生活をしていましたね。
その当時のモンマルトルの下宿屋の写真をみたことがありますが、それはそれは貧しい長屋で、
屋根は風が吹けば飛んでいってしまいそうな出で立ちでした。みるからに不衛生そうでした。

>当時のパリ市街は、暖房の石炭の煙で黒く汚れていたそうです。
洗って白くしたという記事を読んだ覚えがあるのですが、

当時のパリはかなり不潔だったと思いますよ。
動物の死体や汚物なんかも普通に道にあったようですし。
下水も日本ほど発達していなかったようですしね。
Les Miserableで、ジャン・バルジャンが負傷した娘の恋人を担いで
下水道を逃げるシーンが有名ですが、一応下水道はあったようですが
あまり機能してなかったのでは?と思います。
以前ここでお話したことがありましたが、19世紀後半のパリを写した
写真集を思い出しました。(分厚くて重かったのでフランスにおいてきてしまいました・・。)
今ではなくなってしまった通りなどもあってなかなか興味深かったです。

■オイルいろいろ
オーブ at 9/7(水) 15:29:12 No.paroparo-20050907151912

>菜種油はフランスでは何という名前で売られているのですか?

フランスで菜種油を使ったことがないのですが、
たぶんColzaと明記してあると思いますよ。
菜種油を使っている人はやはり、健康志向であったり、ダイエットしている
人ではないでしょうか。ひまわりのオイルは一般的によく使われていると思います。
スーパーのオイル売り場でもたくさん置いてありましたから。
ひまわりオイルは日本人はお腹を下しやすいのですか?!
私は全く大丈夫でした(^^)
グレープシード油とは初めて聞きました。どんなかんじなのでしょうか。
ヘルシーですか?
私は菜種と大豆がはいったオイルを使っています。

■>オイルいろいろ
Parolemerde2001 at 9/8(木) 20:23:04 No.paroparo-20050908201509

なんか、コイズミックなタイトルですね。

菜種油は普通に使われているのですね。
グレープシードオイルは、ブドウの種を絞った油です。
色は薄めで、淡い黄緑です。
ブドウなので、ポリフェノールが多く含まれ、
動脈硬化の予防効果があると言われていますが、
医学的に確かなことなのかは判りません。
オリーブオイルより軽いので、炒め物などに使用しています。
ドレッシングは、大分前からゴマ油をほんの少し香り付けに入れるだけにしました。
その代わり、バルサミコ、黒酢、シードルヴィネガーなど
味の濃いいお酢を混ぜて使用しています。

というわけで、ランボーの本題はもう少しお待ちください。

■>>オイルいろいろ
オーブ at 9/9(金) 13:53:48 No.paroparo-20050909134450

このタイトル、我ながらゴロがいいな~と感心しました。

グレープシードオイルは体に良さそうですね。
そういえばぶどう(赤ワイン)にはポリフェノールが含まれていて
動脈硬化予防に良いと言われていますね。
お肉類をよく食べるはずのフランス人なのにあまり肥満な人がいませんし、
世界的にみても長寿なのは、赤ワインを飲んでいるから・・なんていっとき
もてはやされましたが、実は和食が一番ヘルシーであり、私たち日本人が
世界一長寿なんですけどね(^^)

さてさて、すっかりランボーの話題から外れてしまいましたがそろそろ
翻訳に戻ろうかと思います。
次の詩はFleursです。

■Fleurs 花々 試訳
オーブ at 9/9(金) 13:58:23 No.paroparo-20050909135519

花々

 金色の観客席から ‐絹の名誉ある勲章の綬や灰色の紗の布、緑色のビロードそして太陽でブロンズのように黒く汚れた水晶の円盤の間で、 
‐豊かな髪と目、銀色の透かし模様の絨毯の上でジキタリスが花開くのがぼくにはわかる。
めのうの上にちりばめられた数々の金貨、マホガニーの支柱たちはエメラルドのドームを支え、白いサテンのブーケとルビーの細い茎が水薔薇を取り囲む。
巨大な青い目をし、雪の形をした神のような、海と
空は若くたくましい薔薇たちの群れを大理石のテラスに引き寄せる。

Fleurs

D'un gradin d'or, -parmi les cordons de soie, les gazes grises, les
velours verts et les disques de cristal qui noircissent comme du bronze au
soleil, -je vois la digitale s'ouvrir sur un tapis de filigranes d'argent,
d'yeux et de chevelures.
Des pieces d'or jaune semees sur l'agate, des piliers d'acajou
supportant un dome d'emeraudes, des bouquets de satin blanc et de fines
verges de rubis entourent la rose d'eau.
Tel qu'un dieu aux enormes yeux bleus et aux formes de neige, la mer et
le ciel attirent aux terrasses de marbre la foule des jeunes et fortes roses.

■花々 勝手な解釈
オーブ at 9/9(金) 14:27:28 No.paroparo-20050909140018

美しい表現が散りばめられた宝石のような詩ですね。
短いので一気に訳しました。

この詩の解釈もまた、他のランボーの詩と同様いろいろあります。私は古代ギリシャのテアトルをテーマにしたとの解釈を取り入れそのように訳しました。全体的な解釈は最後にしてまずは少しずつ見ていきたいと思います。

gradin

「観客席」「階段席」「スタンド」「段上」の意味です。

cordons

「ひも」「ひも状のもの」がよく使われますが、紐のように連なった勲章、つまり観客であることをイメージして訳しました。

gazes

これは「紗の布」と訳しました。透けるような薄い布、透かし細工をしている布のことで
ネットで写真をみると東洋的なイメージの強い布で、日本風に言えば夏用ののれんみたいなかんじです。
涼しそうでした。

digitale

またまた花の名前が出ましたね!
日本名でジキタリスです。この花について調べてみると、英名「狐の手袋」と呼ばれており、釣鐘状で袋状の姿をして下から上へ咲いていくそうです。そして内側に斑点あり、背丈一メートルくらいになります。劇薬で毒性が強く、死亡例があるそうです。中世アイルランドでは薬として用いられました。
フランスでは緋色のジキタリスをノートル・ダムの指(手袋)聖母マリアの指、羊飼いの娘の手袋と言われているとのことで「狐の手袋」に比べると宗教的です。

ちょっとここで休憩・・(^^;)

■花々 試訳の改行
オーブ at 9/9(金) 16:45:54 No.paroparo-20050909164320

Open officeに保存したものをそのままコピペしたので、
改行がうまくいっていませんでしたね・・・。
読みづらくてすみません。

花々
オーブ at 9/10(土) 17:50:34 No.paroparo-20050910174423

agate

「めのう」です。安定感を与える、癒しなどの安らかな意味を持つ石です。

la rose d'eau

「水薔薇」・・・ランボーの創作の花でしょうか。なんともいえない優美な響きです。
水でできたバラというかんじでしょうか。見てみたいものです。

わかりづらそうな言葉をざっと抜き出してみました。

■花々 考察
オーブ at 9/10(土) 18:09:14 No.paroparo-20050910175128

少し前にも書きましたが、この詩にはいろいろな解釈があります。
私は花の中心、核の部分を古代ギリシャのテアトルに見立てている
という解釈がおもしろいと思い、それを意識して訳してみました。
親指姫でしたか、チューリップの中に住んでいたお姫様は・・。
ふと子供の頃に親しんだ童話の世界を思い出しました。
たんぽぽの綿毛につかまって小人が風に乗って空を飛んでいくシーンや
すずらんの花をグラスの代わりに朝露を飲む妖精。
花びらの上でのお昼ねなど、そんな御伽噺の挿絵を思い出しました。

「絹の名誉ある勲章の綬や灰色の紗の布」

これは観客ととりました。金色の階段席に座った観客たちがお芝居を見ている様子です。

「ぼくにはジキタリスが開くのがわかる・・・」、この花はジキタリスなのでしょうか。
関連性がわかりませんでした。

「めのうの上にちりばめられた数々の金貨、マホガニーの支柱たちはエメラルドのドームを支え、白いサテンのブーケとルビーの細い茎が水薔薇を取り囲む。」

このテアトルの描写です。

続く「若くたくましい薔薇たちの群れ」

これはこのテアトルで演じている俳優たちのことと取りました。

■>花々 考察
Parolemerde2001 at 9/11(日) 14:59:54 No.paroparo-20050911145914

オーブさん、こんにちは。

レスが遅くなってすみません。
ランボーの詩について、少しまとまった事を書こうと思っていたのですが、
時間がありませんでした。
この「花々」に関しては、私は元々の光景は大きな池の睡蓮の花だと考えています。
その光景を、ランボーの手法で、様々に見えるようにしたのだと。
la rose d'or は単数ですね。
これは、水面に近い、ひときわ赤い花のことだと思います。
たしか、ルネ・シャールだと思いますが、「水の太陽」という詩がありました。
ピエール・ブーレーズが曲を作っていて、その方が有名かも知れません。
私は、その詩自身は知らないのですが、これは「水面の太陽」という意味かなと考えています。
ちょっと調べてみないと解りませんね。
この詩に託された意図をもう少し考えてみたいと思います。

■睡蓮
オーブ at 9/11(日) 18:33:59 No.paroparo-20050911181747

パロさんこんにちは。

パロさんはこの花を池に咲く睡蓮ととらえられたのですね。
私が行っていた中学校の裏に小さな池(沼)がありまして、何十年かぶりに突然大きな睡蓮が咲き、
新聞にも載ったという出来事を思い出しました。
私がまだとても幼かった頃のできごとで、後になって知ったのですが。
私の知る限りではそれ以来睡蓮は咲いていないと思います。この池も今あるかどうかわかりません。
睡蓮はどこかミステリアスで、ちょっと怖い気もします。ずっと見ていると吸い込まれてしまいそうな・・・。

この詩の解釈で人間の体の構造を花に見立てて書いた、という解釈もあったような気がします。
ずっと昔に読んだ解釈なのではっきり覚えていません。
ひとつの詩からたくさんの解釈、イマジネーションが生まれるなんておもしろいです。

この詩の目に浮かぶようなきらびやかな映像・・・例えば緑のビロードとか白いサテン、ルビーにエメラルドなんて女性のつぼをついていますね(^^)本物のビロードって光沢が違うのでしょうね・・。見てみたいです。

■「花々」の背景
Parolemerde2001 at 9/12(月) 21:27:47 No.paroparo-20050912212432

オーブさん、こんばんは。

ランボーがバンヴィルに朗読して聞かせた詩に「花について詩人が語られたこと」という詩がありますね。
私は、あの詩の方がランボーらしいなと思っています。
ランボー風博物学とでも呼びましょうか。

日本では、比較的最近、ペット、花、ガーデニングがブームですよね。
もっとも、今が初めてというわけでは無いのですが。
古くは犬公方徳川綱吉将軍もおりましたから…
ヨーロッパの19世紀、大きな温室が作られ、異国の花、栽培の花、ペットがブームになりました。
たくさんの絵画や版画が残されていますね。
また、花を擬人化した絵も挿絵画家のグランヴィル(1803-1847)が描いています。
温室は、イギリスの万国博覧会の水晶宮がブームの起点だと言われています。
また、ナポレオンⅢ世は社会、特に首都パリの安定を図るために、大規模な都市改造を行いますが、
この時、パリ市民(といってもブルジョワジーが中心だと思いますが)の心を癒し安定させる目的で多数の公園を作ります。
そして、庭園と温室が貴婦人たちと貴族・ブルジョワジーの男性の集う場所になります。
これも、多くの絵に残されています。
ランボーが気に入っていたヴェルレーヌの「艶なる宴 Fetes Galantes 」の詩も庭園が舞台です。
ボードレールと高踏派の詩人も花を詠いました。
花は女性の喩えであり、女性が自らを飾るもの、語るものとなりました。
例えば「椿姫 La Dame aux camelias(1848)」は、椿は複数ですので、
極めて即物的に訳せば、「幾つもの椿の花を付けた高級娼婦」ということでしょう。
ボードレールや高踏派の詩人は閨房に飾られた花を詠んでいます。

かって、ロンサールも薔薇を詩に詠んでいました。
薔薇のロンサールと言われていますし、ロンサールという黄色い薔薇もあります。
しかし、近代的で人工的な花は、やはりボードレールからでしょうか。
ボードレールの詩集のタイトルは「悪の花々 Les Fleurs du Mal」ですよね、本当は。

■「悪の花々」
Parolemerde2001 at 9/12(月) 22:17:54 No.paroparo-20050912221402

ボードレールの「悪の華」は、直訳すると「悪の花々」と書いて思い出しましたが、
山中哲史氏は「ヨーロッパ文学 花の詩史 -詩にうたわれた花の意味」の中で、
「病の花々」という意味もあると書いています。
この本は、大分前に借りて読んだ本で、手元の数枚のコピーを見ていますが、
ランボーに関するものはないので、書かれていなかったと思います。

「下手なガラス屋」に対するボードレールの散文詩も、病なのでしょう。

■>「花々」の背景
オーブ at 9/13(火) 10:20:07 No.paroparo-20050913093104

詩人と花は切っても切れない関係にあるようですね。
その美しさや鮮やかな色がイマジネーションをかきたてるのでしょう。
今もガーデニング、ペットブームですね。
いつの時代も人は美しいものやかわいいものに癒されたいのかも・・。
花にしてもペットにしても日ごろの世話が大変なのですけどね。
当時の貴婦人方はまさか自分ではやっていないでしょう(^^;)
愛でて癒されるのもいいかもしれませんね。
そういえば、当時のポートレートを使ったポストカードに貴婦人とわんちゃんが写っているものも
多くあります。

>また、ナポレオンⅢ世は社会、特に首都パリの安定を図るために、大規模な都市改造を行いますが、
この時、パリ市民(といってもブルジョワジーが中心だと思いますが)の心を癒し安定させる目的で多数の公園を作ります。

この時代に心の癒しについて考えるなんてフランスは発展した国だったんですね。もとを正せば、ガーデニングもペットも上流階級の楽しみでした。
少し話がずれますが、フランスでは今でもベビー・シッター(乳母)とか家に掃除に来る人(femme de menage)がいます。日本でも昔は金持ちの家にはこういう人たちがいたようですが文化として定着してませんよね。根が貴族なんですよね~。フランス人って。femme de menageについては賛否両論あるようですが・・・。自分のことは自分でやれってことです。人類はみな平等なんですからね。こういうところにまだ貴族意識が残っているみたいです。
でも個人的にはちょっとうらやましい気もします(^^)

■病の花々
オーブ at 9/13(火) 10:31:45 No.paroparo-20050913102105

「病の花々」もこの詩集の持つ意味にあっていますね。
タイトルとしてはぴんときませんが。
もともとボードレールは心の病を持っていたのではないでしょうか。
倦怠とか憂鬱とかあまり健全ではありませんものね。
この当時の日本の作家はどちらかというと貧乏な人が多いように思うので
日本にはまだこういう精神状態はあまりなかったのかも。
豊かさゆえの虚しさなのでしょうか。

しかしボードレールには(悲しみに沈む)パリの貧しい人たちを見つめる感性ももっていますので
二面性があったのかもしれません。
なのでガラス屋さんは本当に気の毒でした・・・。

■feerie4つの詩 「轍」「神秘的」
オーブ at 9/13(火) 10:39:16 No.paroparo-20050913103250

ここで、feerieと言われる4つの詩について見てみたいと思います。
まず、おさらいの意味もかねて翻訳を掲載しますね。2つずつ掲載します。
訳はオーブによるものです。

轍(わだち)

右側では夏の夜明けが公園の角の数々の葉、朝もや、
物音を目覚めさせる。
左側の傾斜はすみれ色の陰の中に、湿った道路の千もの
すばやいわだちをつなぎとめている。
妖精の国の行進、実際、黄金の木製であり、帆柱が立てられ、
けばけばしい織物で飾られた動物達が積まれた車。
ぶちでサーカスの20頭の馬達が全速力で駆け、
最もびっくりした獣の上には、子供達や男達、
綱でつながれ、旗や花で飾られた20の乗り物。
まるで古代か、物語の豪華な4輪馬車のように。
郊外の田園劇のために奇妙に飾り立てた子供たちで
あふれかえっている。
-夜の天蓋の下の棺でさえ、光沢のある黒色の羽飾りが
まっすぐ立っている。
大きくて青と黒の雌馬の駆け足で進みながら。

神秘的

 土手の傾斜では鋼鉄のエメラルドの牧草地で天使たちがウールのドレスを翻す。
炎の草原は円い丘の頂上まで飛んでいく。
山の尾根の腐植土の左はあらゆる殺戮やあらゆる戦闘によって踏みつけられ、
そしてあらゆる悲惨な騒音がそれらのカーブを紡いでいく。右の山の尾根の向こうは東洋の境界線、進歩だ。
絵画の上の群れが海のほら貝と人間的な数々の夜を翻し、飛んでいったざわめきで形成された時、
星たちと空と残りで飾られたやさしさが斜面の正面に降りていく。
花かごのように。‐僕たちの顔に向かって、そしてその下にうっとりとする香りを放つ青い深淵を創っている。

■feerie 4つの詩 「あかつき」「花々」
オーブ at 9/13(火) 10:41:04 No.paroparo-20050913103921

あかつき

 ぼくは夏のあかつきを抱きしめた。
宮殿の前はまだ何も動いていなかった。水は死んでいた。
暗闇の野営は森の道を離れてはいなかった。ぼくは歩いた、生き生きと温かい息を目覚めさせながら。それから宝石はじっと見つめ、翼は音もなく舞い上がった。
すでにすがすがしく青白い輝きで満たされていた小道の上で、最初にぼくがしたことは花に関することを訊ねることだった。花はぼくにその名前を答えてくれた。
ぼくはもみの木々を通し髪を振り乱した黄金色のワッサファールに笑いかけた。銀色に輝く頂にあかつきの女神がいるとわかったからだ。
なので、一枚ずつヴェールをめくって行った。並木道で、両腕を振り回しながら。草原を通るとそこで女神のことを雄鶏に言いつけた。大都会では、彼女は鐘楼やドームの間をぬって逃げた。ぼくは大理石の河岸の上を乞食のように走り、彼女を追いかけた。
その道の上方の、月桂樹の森の近くで、ぼくは手繰り寄せられた女神のヴェールで彼女を包み込んだので、その巨大な体をかすかに感じた。あかつきとこの子供は森のふもとへと落ちて行った。
目が覚めたときは正午だった。

花々

 金色の観客席から ‐絹の名誉ある勲章の綬や灰色の紗の布、緑色のビロードそして太陽でブロンズのように黒く汚れた水晶の円盤の間で、 
‐豊かな髪と目、銀色の透かし模様の絨毯の上でジキタリスが花開くのがぼくにはわかる。
めのうの上にちりばめられた数々の金貨、マホガニーの支柱たちはエメラルドのドームを支え、白いサテンのブーケとルビーの細い茎が水薔薇を取り囲む。
巨大な青い目をし、雪の形をした神のような、海と
空は若くたくましい薔薇たちの群れを大理石のテラスに引き寄せる。

■妖精の国
オーブ at 9/14(水) 14:53:34 No.paroparo-20050914142921

こうやって読み返してみるとこの4つの詩は本当に美しいですね。
その情景、色とりどりの世界が目の前に浮かんできます。
「轍わだち」と「神秘的」は「右側」「左側」という表現が類似していて、
同じく「轍わだち」と「花々」は色鮮やかな描写が類似していると思いました。
そして「轍わだち」と「あかつき」に共通する「夏の夜明け」。
私は個人的にこの「轍わだち」という詩が好きですね。
今ではあまり使われなくなったこの言葉の意味は、くっきりついた車輪の跡のことだと、
以前にもここでお話しました。
ランボーの時代ですから間違いなく馬車の車輪の跡でしょう。
パロさんがおっしゃられたシンデレラの馬車、すなわち四輪馬車というおとぎの国を彷彿とさせる
馬車。鮮やかなメリーゴーランドのイメージでもあります。
ランボーは轍におとぎの国、妖精の国を見たようです。

ランボーの詩はどことなく孤独で哀しいものがけっこう多いですが、
この4つの詩はfeerieと呼ばれるにふさわしいきらびやかさがあります。
そして言葉の持つ美しさ。そして懐かしさも。
「羽飾り」「光沢」「四輪馬車」「花かご」「エメラルド」「星たちと空」「天使」「妖精の国」
「夜の天蓋」「緑色のビロード」「水晶」「銀色の透かし模様の絨毯」「水薔薇」「白いサテンのブーケ」
「ルビーの茎」「青白い輝き」「銀色に輝く頂」etc...

ざっと拾い上げてもこれくらいは軽く出てきます。どこか懐かしく感じるのは
幼い頃読んだ童話の影響かもしれません。

■>妖精の国
Parolemerde2001 at 9/17(土) 22:42:54 No.paroparo-20050917224144

この四編の詩は、イメージ的には確かに子供時代の色鮮やかな世界を思わせる共通性があります。子供時代の夢幻の体験を書き表した詩は、特に「轍」でしょう。書かれた時期は比較的近いのではないかと思います。これらの詩はイリュミナスィオンの初期のひとつのかたまりだと思います(「轍」の解説を参照してください)。ただし、描写のスタイルとしては、「夜明け」と他の三編に分かれると思います。私は、ランボーは詩を意図して書いたと考えています。「花々」の意図はどこにあるのでしょうか。

高畠正明氏が「無限」に書いたエッセイから引用します。

詩を書いていた頃のかれ(ランボー)の生は、なんとも名づけようがない。厳密に少年時代でもなければ青年時代でもない。かつてボオドレールが『現代生活の画家』のなかで述べた、あの「天才とは、意のままに再発見される少年時代でしかない」という認識をかりれば、それこそランボオは、まさに少年時代の渦中にあって「意のままに再発見される少年時代」を生きた唯一の天才としかいいようがない。それだからこそ十五、六歳から二十歳にかけてのかれの生は、少年時代とも青年時代とも名づけがたい、奇妙な成熟と同時に幼なさを示しているのだし、だからこそそれを敢えて詩だ、ともいうのである。そしてランボオの詩が、たとえどんなに優しい(タンドルな)詩でも、いつも意志的な強靱さに輝いているのも恐らくはそれゆえなのだろう。

■グラン・パレ復活
Parolemerde2001 at 9/17(土) 22:45:21 No.paroparo-20050917224433

ANNニュースによりますと、
パリのグラン・パレが12年の修復を終えて復活するそうです。

ガラスでは、ロンドン万国博覧会(1851)の水晶宮、
鉄では、パリ万国博覧会(1889)のエッフェル塔、
が時代をつくりましたね。

たしか、グラン・パレの1900年のパリ万博では、
電気を動力とし、動く歩道などもあり、
夜はイリュミナスィオンで飾られたと読んだことがあります。

Dans la grande maison de vitres encore ruisselante
les enfants en deuil regarderent les merveilleuses images.

Rimbaud / Illuminations / Apres le Deluge

■意思的な生き方
オーブ at 9/22(木) 17:02:25 No.paroparo-20050922163515

パロさん、みなさんこんにちは。

パロさん、高畠氏のエッセイの引用をありがとうございます。

ランボーは意思的に生きていたというわけですね。

私は今ちょうど「ランボー砂漠を行く」(鈴村和成著)を読み返しているところです。
まだ全部読み終わっていませんが、鈴村氏は従来とは違う面からのアプローチをしており、かなり興味深いです。ランボーはアフリカからの書簡を、後世の人間、つまりわたしたちが読むことを意識して書いており、ひとつの作品としてまとめられることを意識していたというようなことが書いてありました。もちろんその裏づけも説明されています。
ランボーは常に意識的に生きていたのですね。詩を放棄したと思われているアフリカでさえも。「地獄での一季節」はまるで彼のその後の人生を予言しているかのようですし・・。

この本は後半部分、読むのがけっこう辛いです。難しいという意味ではなく、
凡人の私にはランボーの人生が悲しく、痛々しいものに思えるからです。
痛む脚をこらえてまで成し遂げようとした仕事、最後は担架に乗せられてよくわからない砂漠を時に大雨にあいながら帰郷、健康な体であってもたまらなく辛い旅ですよね・・。普通なら気を失っててもおかしくないのではないでしょうか。
ランボーのその精神、または意思的な強さは何に由来するものでしょう?
この詩人自身の人生がまるで不思議な物語に思えてなりませんでした。

話が少し脱線してしまいましたね。
アフリカでのランボーの話もまたここでできたら良いな、と思います。

それでは翻訳にもどりましょうか。
次の詩、Nocturne vulgaireに行ってもよろしいでしょうか。

■低俗な夜想曲 オーブによる試訳
オーブ at 9/22(木) 19:38:40 No.paroparo-20050922192945

低俗な夜想曲

あるひと吹きが仕切り壁の中に見事な裂け目を開き、‐
曇らせたり照らせたりして蝕まれた屋根が回転すると‐暖炉の消えそうな炎を追いたて‐ガラス窓を翳らせる。‐ぶどうの木沿いに、ぼくは足をガーゴイルに押し付けていた。‐ぼくは凸型の鏡、張り出した羽目板、円くなったソファによって十分に示された時代物のこの豪華な四輪馬車に降りていった。
‐ぼくの眠りの霊柩車は、孤独で、ぼくの愚かさのキャラバンで、
消し去られた大通りの芝生の上のテラスの乗り物。そして右側の鏡の上の欠落部分の中で窓ガラスが、数々の葉が、月のように青白い偶像たちが回転する。
‐とても濃い緑や青が映像を侵略する。砂利の斑点の近くで
馬車から馬を外すことだ。
‐ここでは、雷雨に口笛を合図に命令するのか?そしてソドムの街のやつら。‐エルサレムの街のやつらに‐獰猛な獣たちと軍隊に?
‐(御者と夢想の獣たちは最も息苦しい大木の下で再び繰り返すだろう。
絹の源の中に両眼までぼくを沈ませるために)
‐そして僕たちはぴちゃぴちゃいう水と毒薬の中を鞭打たれ、送りに出される。
猟犬の群れが吠える中旅にでるのさ・・
‐ひと吹きで暖炉の小さくなった炎をかき消すのだ。

Nocturne vulgaire

Un souffle ouvre des breches operadiques dans les cloisons, -brouille
le pivotement des toits ronges, -chasse les limites des foyers,-eclipse les
croisees. -Le long de la vigne, m'etant appuye du pied a une gargouille, -
Je suis descendu dans ce carrosse dont l'epoque est assez indiquee par les
glaces convexes, les pnneux bombes et les sophas contournes-
Corbillard de mon sommeil, isole, maison de berger de ma niaiserie, le
vehicule vire sur le gazon de la grande route effacee: et dans un defaut en
haut de la glace de droite tournoient les blemes figures lunaires, feuilles,
seins;
-Un vert et un bleu tres fonces envahissent l'image. Detelage aux
environs d'une tache de gravier.
-Ici, va-t-on siffler pour l'orage, et les Sodomes-et les Solymes,-
et les betes feroces et les armees,
-(Postillon et betes de songe reprendront-ils sous les plus suffocntes
futaies, pour m'enfoncer jusqu'aux yeux dans la source de soie).
-Et nous envoyer, fouettes a travers les eaux clapotantes et les boissons
repandues, rouler sur l'aboi des dogues.....
-Un souffle disperse les limites du foyer.

(試訳 オーブ)

* アクサンは省略しています。

■改行
オーブ at 9/22(木) 19:40:18 No.paroparo-20050922193917

読みにくくてすみません、気をつけたのですが、改行がやっぱりうまくいきませんでしたね・・・。

訳はこんなかんじでよろしいでしょうか?
実はこの詩の翻訳を読んだ記憶がない・・・。
だからこんな訳でいいのかどうか、まったく見当はずれな訳ではないかと
ちょっと不安です。

パロさんはこの詩を訳されたでしょうか。
パロさんの翻訳を見つけられなかったのですが・・。

■Nocturne vulgaire
Parolemerde2001 at 9/23(金) 00:18:00 No.paroparo-20050923001247

オーブさん、こんばんは。

この詩は、まだ訳を載せていません。できれば週末に訳を作りたいのですが…。
まず、タイトルは、「曲」と捉えるのか、他の解釈ができるのか、検討中です。

■夜の絵画
オーブ at 9/23(金) 15:15:27 No.paroparo-20050923150840

そうですね・・。普通なら名詞の場合はノクターン、つまり夜想曲とか夜行性の動物、スポーツのナイターという意味で使われます。
夜を思わせるような風景画という意味もあるようですが、こちらのほうがこの詩にはあっているかも。でもタイトルにするには難しいですね。
この詩が夜想「曲」なのか私も考えてみます。

パロさんの訳を楽しみに待っています。


■低俗な夜想曲
Parolemerde2001 at 9/25(日) 18:34:08 No.paroparo-20050925183308

        低俗な夜想曲

 ひと吹きの風が、仕切り壁にオペラ舞台のような割れ目を開き、――腐食した屋根の回転軸をかき乱し、――暖炉の境界を狩り立て、――十字窓を陰らせる。――ブドウの木を伝わり、ガーゴイルに足をかけ、――ぼくはこの豪華な四輪馬車に降り立った、凸面ガラスと、膨らんだ羽目板と丸いソファで、この馬車がいつの時代かすぐわかる、――ぽつんと一台の、ぼくの眠りの霊柩車、ぼくの愚かさの牧人の家、馬車は消えた大通りの芝の上で向きを変える:そして、右の窓ガラスの上の隙間に、月のような青白い顔や、木の葉や、乳房がくるくる回っている ;
――とても濃い緑と青が、その映像に侵入する。砂利がまだらの辺りで馬を外す。
――ここで、口笛を吹いてあの嵐を呼ぶのか、ソドムたちを ――さらにソリムたちを、――猛獣たちと軍隊を、
――(夢想の御者と獣たちは最も息苦しい樹林の下で再び勢いづくだろうか、ぼくを絹の泉に目まで沈めるために)。
――そして、ぼくたちは鞭打たれて、ざわめく水とこぼれた飲物を横切り送り出される、番犬たちの吼え声の上を転がる……
――ひと吹きの風が、暖炉の境界を追い散らす。


■「低俗な夜想曲」の疑問点
Parolemerde2001 at 9/25(日) 19:08:30 No.paroparo-20050925190747

まず、訳を載せました。
解説はまだですが、疑問点などをここで検討しながら進めていきます。

まず、この詩の改行、行頭の字下げなどのスタイルですが、手持ちのテキストにより違うため、手書き原稿の写真版を参考にしました。ティレ(――)で始まる行頭ですが、最後の2行のみの字下げに見えます。
この原稿の書体が、「眠らぬ夜」のⅠとⅡに類似しているという指摘があり、これも調べてみました。確かに類似して見えますが、どの程度当てはまるのかは、どの程度近い時期に書かれたかなどは、筆跡に詳しくない私には判断できません。A.アダンが、内容的に「眠らぬ夜」との類似を指摘しています。とくにⅢの暖炉は共通です。

タイトルは、結局「夜想曲」としました。静岡卓行氏は「俗っぽい夜景画」としています。私が「夜想曲」としたのは、オペラ風の(オペラ舞台のような)という比喩からと、ヴェルレーヌの処女詩集「土星びとの詩(1866)」の「パリの夜想曲 Nocturn parisien 」で、夜のセーヌを描いていますが、これは長編の韻文詩なので「夜想曲」が相応しいと思いました。もちろん、ランボーはこの詩を知っていたはずです。

オーブさんの訳、また既出の訳などを比較参照しての疑問点を書きます。
ソドムとソリムが出てくるところですが、これは「嵐 l'orage」の内容説明だと思います。そして、ソドムとソリムの内容説明が、猛獣たちと軍隊ではないかと。ソドムは les Sodomes 、ソリムは les Solymes で、聖書に出てくる町の名前の複数形です。でも、内容的にはソドムの町、つまりホモセクシュアルなど、ソリム(エルサレム)の町、つまり戦争で軍隊という意味だと思います。ただ、フランス語として、そのまま人々という意味に使われるのでしょうか。
reprendront-ils のところは、(再び)元気になる、(再び)始める、の意味の未来形の疑問文ですが、なぜか、調べた訳はすべて「再び駆ける」となっていました。

ひさびさの翻訳で、つんである本から資料を探し出しました。

■毒薬
Parolemerde2001 at 9/25(日) 19:12:03 No.paroparo-20050925191140

オーブさんが「毒薬」と訳した boisson ですが、ジャンコラ氏は poisons と注を付けています。ただ、これは彼の解釈で、「酒」という訳も多いです。私は、そのまま「飲物」としました。


■>毒薬
オーブ at 9/26(月) 00:28:35 No.paroparo-20050926000931

パロさんこんばんは。

こちらは今日、寒いと言っても良いくらいの涼しさでした。
先週は本当に蒸し暑くて夏に舞い戻ったかとおもったくらいでしたが、
やっと秋らしくなってうれしいです。
ランボーはアフリカから、よそでの一年は砂漠の四年に相当すると家族あての手紙に書いていましたが、
確かに暑さは人間を疲れさせますね...そのせいで老化が進むなんて嫌ですがランボーの言うことわかる気がします。でも砂漠と日本では暑さは比べ物になりませんが・・。

そうでしたか、毒薬はジャンコラ氏独自の解釈だったのですね!
手元に翻訳本や参考となる資料がすくなく、唯一あるのがジャンコラ氏の
コメント付のランボー全集とプレイヤッド版だけです。
普段はパロさんの訳と解説を拝読させてもらっています。
思い込みは禁物ですね。
ご指摘ありがとうございました。また訳を考え直して見ます。

さきほど出先から帰ってきたばかりでまだざっとしかパロさんの訳と検討を読んでいませんがじっくり考えてまた明日に書き込みします。

今日はもう寝ます、おやすみなさい・・・。


■les limites des foyers
Parolemerde2001 at 9/26(月) 07:46:34 No.paroparo-20050926073931

オーブさん、おはようございます。

じっくり調べてください。
ジャンコラ氏のノートは、古語の解釈も充実していますが、
彼自身の解釈も混ざって書かれています。

オーブさんが「暖炉の消えそうな炎」と訳された les limites des foyers ですが、
限界、境界を、消えかかるという意味に取ることもできるのか、
私も調べてみましたが、解りませんでした。
ただ、複数の暖炉の複数の境界という映像は、捉えにくく、
foyer には、炉床という意味もあるので、
オーブさんのように見るのが自然かなとも思いました。
何か、用例などご存知でしたら、教えてください。


■reprendront-ils の翻訳 追記
Parolemerde2001 at 9/26(月) 16:03:28 No.paroparo-20050926160307

鈴村氏は、「また始める」と翻訳していました。

■les limites des foyers
オーブ at 9/26(月) 21:59:14 No.paroparo-20050926212851

パロさんこんばんは。
まずはご質問のありました「暖炉の消えそうな炎」les limites des foyers ですが、私もパロさんがおっしゃるように複数の暖炉の複数の境界というののイメージがわかずに、ここはかなり苦労しました。暖炉の境界とは何なのか想像がつかなかったんですね。そこで暖炉そのものよりもその中の火をイメージしました。火がぎりぎりのところ(限界)で消えかかっているとういような情景で、ある一息で一瞬に消えてしまいそうな様子です。そこから夜想曲が始まる、というかんじでしょうか。少々こじつけ気味ですが。
暖炉の境界とは境界線みたいなのがあるのでしょうか、家と家の境界線、国と国との国境のような。パロさんはどのようにイメージされましたか?

まだまだお聞きしたいことがありますが、とりあえずここで一度区切りますね。

■「低俗な夜想曲」 更新
Parolemerde2001 at 9/27(火) 01:24:25 No.paroparo-20050927012009

オーブさんの翻訳を参考にして、更新しました。
また、解説もほぼ書き終わりました。
近日中にアップする予定です。

    低俗な夜想曲

 風がひと吹き、仕切り壁にオペラ舞台のような穴をあけ、――腐食した屋根屋根の回転軸をかき混ぜ、――暖炉の弱々しい炎を吹き散らし、――十字窓を陰らせる。――ブドウの木に伝わり、ガーゴイルに足をかけ、――ぼくはこの豪華な四輪馬車に降り立った、凸面ガラスと、膨らんだ羽目板と丸いソファで、この馬車がいつの時代かすぐわかる、――ぽつんと一台の、ぼくの眠りの霊柩車、ぼくの愚かさの牧人小屋、馬車は消えた大通りの芝の上で向きを変える。そして、右の窓ガラスの上の欠けたところに、月のような青白い顔や、木の葉や、乳房がくるくる回っている。
――とても濃い緑と青が、その映像に侵入する。砂利がまだらの辺りで馬を外す。
――ここで、口笛を吹いてあの嵐を呼ぶのか、そしてソドムたちを ――さらにソリムたちを、――猛獣たちと軍隊を、
――(夢想の御者と獣たちは最も息苦しい樹林の下で再び馬車を駆るのか、ぼくを絹の泉に目まで沈めるために)。
――そして、ぼくたちは鞭打たれて、ざわめく水とこぼれた飲物を横切り送り出される、番犬たちの吼え声の上を転がる……
――風がひと吹き、暖炉の弱々しい炎を吹き散らす。

■ソドムとソリム
オーブ at 9/27(火) 22:57:30 No.paroparo-20050927214619

パロさんこんばんは。私の訳を参考にしていただけるなんて光栄です。
少し誇らしい気分になりました。

この詩について参考になることを教えていただいてありがとうございます。

さて、はじめの方のパロさんのご質問

>ソドムとソリムが出てくるところですが、これは「嵐 l'orage」の内容説明だと思います。そして、ソドムとソリムの内容説明が、猛獣たちと軍隊ではないかと。ソドムは les Sodomes 、ソリムは les Solymes で、聖書に出てくる町の名前の複数形です。でも、内容的にはソドムの町、つまりホモセクシュアルなど、ソリム(エルサレム)の町、つまり戦争で軍隊という意味だと思います。ただ、フランス語として、そのまま人々という意味に使われるのでしょうか。

実はこれも意味が捉えられなくて・・。嵐は「街」に合図(口笛)をしたのか、それともそこに住む人々に合図をしたのか考えました。
そしてこの街の複数形という意味がよくわかりませんでした。
東京、大阪、パリが複数になるようなイメージでいいのでしょうか。
そこに住む人々を無視してまるで街がひとつの人格をもつ生き物のようですね!
ランボーは街の詩もいくつか書いているのでそう考えられます。
そしてパロさんの説明でソドムの町とソリムの町は戦争で軍隊を表しているというので、住民というより、町ひとかたまりと考えたほうが自然な気がします。
ちなみにフランス人向けのフランス語の辞書で調べてみると、ソドムは載っていませんでしたがソドミで調べて見ると、(関連してでしょうか)ソドムがなぜか載っていて、「パレスチナの町の名前で住民が変態で有名」となっていました(^^;)
しかし、この語句の関連として次のような表現が載っていました。これはユゴーの「伝説」Legendeという作品からの引用らしいです。この場合のソドムは測量士という意味のほかに平和主義という意味もあるらしいです。

Je suis le niveleur des frontons et des domes; Le dernier lit ou
vont se coucher les Sodomes Est arrange par moi

なんかよくわかりませんね・・。

ソリムについては何も載っていませんでした。
イスラエルの町ということですが詳しいことはわかりませんし、ソドム同様ランボーも頭文字を大文字で書いてることですし、パロさんの訳のようにそのまま固有名詞として使うほうが自然な気がしますので私も考えなおしてみます。

なかなかまとまった時間がとれず、少しずつの書き込みですがこの詩についてまだ考えたいのでもう少し時間をとるかもしれませんがよろしくお願いします。

■タイトルについて
オーブ at 9/28(水) 22:09:21 No.paroparo-20050928213844

パロさんこんばんは。

>タイトルは、結局「夜想曲」としました。静岡卓行氏は「俗っぽい夜景画」としています。私が「夜想曲」としたのは、オペラ風の(オペラ舞台のような)という比喩からと、ヴェルレーヌの処女詩集「土星びとの詩(1866)」の「パリの夜想曲 Nocturn parisien 」で、夜のセーヌを描いていますが、これは長編の韻文詩なので「夜想曲」が相応しいと思いました。もちろん、ランボーはこの詩を知っていたはずです。

ヴェルレーヌはその様なタイトルの詩を書いていたのですね。ランボーがその影響を受けたと考えてもおかしくありませんね。フランスのサイトをいろいろ調べてみたのですが、あまり「夜想曲」「夜景画」の区別にこだわっていませんでした。夜を彷彿とさせるものならなんでもかまわないようです。ミステリアスな・・そうですね、ふくろうとか夜に活動する鳥などでも。反対にvulgaireは「下品」「俗悪」という意味もありますが、この詩では「ありふれた」「平凡な」という意味のほうがしっくりいくようです。nocturneは普通、これだけで十分ミステリアスな意味を含んでいるのですね。夜は不思議なことが起こる時間なのにこの夜想曲(夜景画)は「平凡」なのです。ここに矛盾があるといったような解説を読みました。静岡卓行氏のタイトル「俗っぽい夜景画」はこのあたりを捉えているのかも。残念ながら私は夜想曲も夜景画も聞いたこともみたこともないのでよくわかりません。夜想曲は平凡であってはだめなのでしょうね。人を不思議な国に誘い込むようなイメージが必要なのでしょう。

■reprendre
オーブ at 9/28(水) 22:27:41 No.paroparo-20050928221028

reprendront-ilsは
"D醇Ptelage aux environs d'une tache de gravier"を受けて「再び駆ける」となっているのでしょか。それに「御者」と断定していますので自然に「馬を再び駆ける」となったのでしょうか。reprendreは本当によく使う言葉で意味もすごくたくさんありますよね・・。

■reprendre
Parolemerde2001 at 9/29(木) 22:59:30 No.paroparo-20050929225401

私は「再び馬車を駆るのか」と訳しました。
前で馬を外したのですから、御者も降りたと思われます。
再び始めるということは、馬車に馬と御者がもどり、走り出すことと考えました。
「駆けるのか」という訳もありますが、ちょっと判り難いかと考えました。

vulgaire の意味としては、ありふれたと言う意味もありますが、低俗という意味もプラスされていると思います。
詳しくは解説に書きますので、もう少しお待ちください。

■カラフルな映像
オーブ at 9/30(金) 23:28:58 No.paroparo-20050930230424

reprendre 御者と獣たちは主人を無視して自分たちの好きなほうへ走って行ってしまったのでしょうか。そしてランボーは?
最後はnousぼくたちと複数形になっていますが誰のこと?

まだまだ疑問はあるのですが詳しい検証はパロさんの解説がアップされてからにしましょうか。
そのほうが進めやすいですね。
またまた謎の多い詩ですね。

この詩はすごく視覚に訴えているというのが率直な感想です。そしてなんとなく寒いというか冷たい感じがするのは「青」「青白い」という表現が多いからでしょう。夜の雰囲気が出ていますね。強烈なのは「とても濃い緑や青が映像を侵略する」というところです。目がちかちかしそうです。

■翻訳・解説アップしました。
Parolemerde2001 at 10/1(土) 22:28:30 No.paroparo-20051001222751

ランボーの「低俗な夜想曲」、マラルメの「マラルメ夫人の扇」をサイトにアップしました。

この詩のランボーの筆跡が、「眠れぬ夜」のⅠとⅡの筆跡に類似しているという指摘もあります。確かに、手書き原稿写真版でみると似て見えますが、特に類似しているかどうかは、私には判断できません。もし、同じ時期に書かれたとすれば、この詩の冷たさは、「眠らぬ夜」の「―― そして夢が冷めてゆく。」と共通かも知れません。そして、色彩がカラフルといっても、暗闇の中の炎、月光、月光を浴びた様々なもの、色彩が鮮やかであり、全体は暗闇や腐食した色彩に覆われているような気がします。


■ガーゴイルに足をかけるランボー
オーブ at 10/3(月) 21:56:23 No.paroparo-20051003213418

パロさんこんばんは。

「低俗な夜想曲」の翻訳と解説を拝読しました。
冒頭の部分、ジャンコラ氏の解釈は月の光が屋根に当たってる、時々雲がかかったり、晴れたりすることによってその屋根がくるくる回っているように見える、というような内容だったと思います。パロさんがおっしゃるように月光、月光を浴びたさまざまなものが色鮮やかに浮かび上がって見える感じがします。ここの部分、ジャンコラ氏は赤色と断定していたと思いますが、それはちょっとわかりません。

パロさんが、「ガーゴイルに足をかけ」訳されたところはどんなポーズをイメージされたのでしょうか?
私は「ガーゴイルに足を押し付け」と訳したのですが、壁にもたれて(壁があるかどうかわかりませんが)両腕を組み、後ろに折り曲げた片足をガーゴイルに押し付けているような格好をしたランボーを想像しました。こんな格好をしている人、よくいますよね。または俳優がポーズをとるように、片足をガーゴイルに乗せている(押し付けているとも見える)格好もありかなと・・。ちょっと格好つけすぎですね~。

■「ぼく」から「ぼくたち」へ
オーブ at 10/3(月) 22:17:23 No.paroparo-20051003220101

この詩のもつ意味はパロさんの解説でよくわかったのですが、
最後の部分で「ぼく」から「ぼくたち」と複数形になったのはやはり不思議です。
ランボーは一人で豪華な四輪馬車、彼の眠りの霊柩車に乗り込んだはずなのに。
いつのまにかヴェルレーヌが乗り込んでいたのでしょうか。

それにしてもちょっと不気味な詩ですね。四輪馬車から見えるles bl醇Smes figures、私は最初「青白い顔」と訳していたのですがあまりにも気持ちが悪いので「偶像」に変えました!
それでも夢に出てきそうで怖い!!まるで人を悪夢に誘い込むような美しくも気味の悪い幻覚ですね。


■幻覚の光景
Parolemerde2001 at 10/3(月) 23:44:44 No.paroparo-20051003234106

オーブさん、こんばんは。

解説よりももう少し具体的に私なりのイメージを書いてみますね。
もちろん、それが確かかどうかは、判りません。
私はランボーがヴェルレーヌとイギリスに渡った時の作品、
つまり1872年の秋~冬にかけてとこの詩を読んでいます。
ランボーがいる部屋の外には木があり、その葉が風で揺れて、
他の家か建物の屋根や壁面に映った月光と影が揺れて見えます。
私には、赤ではなく、枯葉や壁の朽ちた茶色のイメージがあります。

ランボーは室内で暖炉の炎を見つめていたのでしょう。
幻覚の中で、窓から屋根に降りて、たぶんブドウではなくツタの太い枝に伝わり、
ガーゴイルに足をかけます。
ガーゴイルは、道路に水を落とすためにあるので、樋よりも下の位置にあります。
ですから、幻覚の中で、ツタにぶる下がり、さらに下のガーゴイルの、
おそらくは怪獣の頭の上に足をかけて、馬車の降りるようにして乗り込んだのでしょう。

乗り込んだ馬車の内部も、やはり同じ室内での幻覚です。
窓の外では、枯葉と月の光、光と影が揺れて見えます。
シンデレラが12時に魔法がとけたように、
ランボーの幻覚の馬車も止まります。
「ここで…」から「…沈めるために)。」までは、
幻覚の中での夢想 songe の形をしています。
つまり、ここで、実は魔法はとけてしまいます。
篠原義近氏が考えたように、ベッドの布団にもぐりこんでかは分かりませんが、
夢想に逃げようとするランボーは、ここでほぼ覚めてしまいます。
それが、次の「そして、ぼくたちは鞭打たれて…」という現実の姿の投影に変わります。
ロンドンを放浪するランボーとヴェルレーヌの姿です。

■>幻覚の光景
オーブ at 10/5(水) 22:52:03 No.paroparo-20051005214018

なるほど、パロさんはぶどうの木を伝ってランボーが下に降り、下のほうにあったガーゴイルに足をかけてそのまま四輪馬車に乗ったと考えられたのですね。
私は「ぶどうの木沿い」にと訳しましたが、この場面において正直どういう意味かわかりませんでした。四輪馬車が来るのを待っているランボーを想像したのですが、Je suis descendu dans ce carrosse となっていますからガーゴイルから四輪馬車に乗り込んだと考えるほうが自然ですね。

私もネットでいろいろ調べてみました。あるフランスのサイトではこのタイトルに使われているvulgaireやCorbillard de mon sommeil, isole, maison de berger de ma niaiserieが自分自身への嘲笑でありDetelage aux
environs d'une tache de gravier.はこの旅の失敗(または性的な欠陥)を暗示していることが書かれていました。また、betes de songeはbete de somme(荷物を運搬する家畜)のもじり、ガーゴイルや四輪馬車などわざとロマンティックなものを取り入れている、パロさんがおっしゃるように豪華な四輪馬車でさえもランボーにとって低俗といって嘲笑すべきものだったのでしょう。それらしく装われた冒険、la grande route effacee
それと les eaux clapotantes は海の代わりに使われた言葉などなど・・・嘲笑と取れる表現がちりばめられていたのですね。
後、この詩の持つ音楽性などが説明されていましたが、フランス人が声に出して読むとわかりやすいのかもしれません。

パロさんの解説でよくわかりました。冒頭、暖炉の炎を見つめるランボーが幻覚の中をさまよい、最後の部分は幻想から覚めた現実のランボーだったのですね。「目まで絹の泉に沈める」ことが「毛布を目までひっぱりあげる」というのは具体的な解釈ですね!こうして夢想の四輪馬車は去って行き現実のランボーは布団に入って寝る準備をしていたと考えると面白いです。

先ほどのフランスのネットles eaux clapotantesが海という意味ならば、パリの詩壇から追われたヴェルレーヌとランボーが海を渡ってロンドンに来たという意味なのかもしれないと思いました。

そして、また細かいことなのですがパロさんは最後のroulerを「転がる」と訳されていますがどのようなイメージをされたのでしょう。
私は「旅にでる」と訳したのですが、フランス人はよく車を走らせることをroulerということから、車を出す、走らせる、旅に出るとしたのですが。
なぜブルドック(猟犬)が出てきたのかはわかりませんが、追い立てられるイメージなのでしょうか。猟犬がほえる中、馬車を出すイメージをしました。しかし、ヴェルレーヌとランボーが馬車を使っていたかどうかは謎ですね~。ランボーは徒歩のイメージがありますし、単にさまよっているととっても良いかもしれません。

この詩に出てくるハイフンはすべてランボーの言葉と取っていいでしょうか。はじめは夢想の中での誰かの会話と思っていたのですが、どうやらそうではないようですね。

私も訳を少し見直します。とんでもない誤訳を発見してしまいました(汗)

質問がいろいろで少々読みにくくなってしまったかもしれませんが、よろしくお願いします。


■>>幻覚の光景
Parolemerde2001 at 10/7(金) 00:48:31 No.paroparo-20051007004628

ランボーの詩は、たとえ思想的・観念的な詩であっても、具体的・現実的なバックを見ることがてきると思います。
特に、見者の認識以降には当てはまると思います。
イリュミナスィオンの情景的な詩、つまり叙情的ではなく描写的な詩の場合、
書かれたイメージを象徴的に読むことも可能ですが、
具象的に読むことも可能だと思います。
たとえば、ブドウの木に伝わる部分は、
樋とそれに絡んだツタ、おそらく枯れ葉になっている、が元々の情景では無いかと思います。
でも、それは幻覚の素材であって、幻覚として見えたものでは無いでしょう。

自嘲的とされている霊柩車、解説では「カボチャの馬車」というサブタイトルを付けたのですが、
かならずしも、自分自身のみというわけでもないと思います。
この「牧人小屋」には、あらかじめ「ぼくの愚かさの」という形容があります。
このことは、先に自分の愚かさを公言することにより、引用元も同時に嘲笑していると思われます。
「牧人小屋」は、ロマン派のヴィニー(1797-1863. 詩人、劇作家、小説家。ロマン派四大詩人の一人。)
からの取られたとされています。
ロマン派の文学的夢想に対する嘲笑、ロマン派的夢、たとえば初期の「センセーション(そぞろ歩き)」とか、
自分自身の幼さ、あるいは未熟な性的欲望に対する嘲笑ではないでしょうか。

betes de songe と bete de somme の関係は分かりませんでした。
songe は御者にもかかると考えました。
なぜ、reve ではなく、songe なのか、「空想」ということをを際立たせるためと考えました。
somme については、手元の辞書には駄獣と出ています。

les eaux clapotantes は、文学的に「海」という意味があるのでしょうか?
私は、この詩が「眠らぬ夜 Ⅲ」と類似した幻覚の舞台装置ということで、
海のざわめきという意味と考えました。
でも、実際のざわめきでは無く、麻薬による幻聴と考えました。
「眠らぬ夜 Ⅲ」に書かれたように、この幻聴とロンドンへの船旅は繋がっているのでしょう。

rouler は、実際には逃走することを言っているのでしょう。
しかし、「のたうちまわる」という意味で象徴的に使われていると考えています。
「苦悩 Angoisse 」には、Rouler aux blessures と書かれています。
ブルドッグは、ここでは猟犬というより、
当時のイギリスでの( Maison の)番犬という意味で使われていると考えました。
つまり、中・上流階級の住宅街から追い出されるイメージなのでしょう。

最後に、この詩の音楽性ですが、
Un souffle という言葉から、何か音のイメージがあると思いますが、
読んだ感じでは、他のイリュミナスィオンと比べての、
「 Nocturne vulgaire 」の特徴的音楽性は判りませんでした。
私には、たとえば「野蛮な Barbare 」の方が音楽性が感じられます。

音楽性など、フランス人にはどのように感じられるのか、ちょっと判りません。
何かありましたら、また、教えてください。

■幻覚と夢想
オーブ at 10/7(金) 13:27:54 No.paroparo-20051007122702

>ランボーの詩は、たとえ思想的・観念的な詩であっても、具体的・現実的なバックを見ることがてきると思います。
特に、見者の認識以降には当てはまると思います。

その詩がたとえ幻想的であっても具体性・現実性をみることができるのですね。
ただの御伽噺ではないシニカルさを暗に含んでいる詩が多いのも特徴ですね。

>たとえば、ブドウの木に伝わる部分は、
樋とそれに絡んだツタ、おそらく枯れ葉になっている、が元々の情景では無いかと思います。
でも、それは幻覚の素材であって、幻覚として見えたものでは無いでしょう。

樋に絡まったつたや枯葉がぶどうのふさのように見えたのですね。

Maison de berger の詩を見つけました。
http://poesie.webnet.fr/poemes/France/vigny/3.html
ざっと目を通しただけなのですが、ランボーが嫌いそうな詩だと思います。

sommeは私の辞書では地名を入れて4つあり、そのうちの2番目にそのままbete de somme
で載っていました。これでひとつの言葉だと思われます。例文としてtravailler comme une bete de somme「馬車馬のようにあくせく働く」とありました。
このsongeをパロさんは「幻覚の中での夢想」とおっしゃっていますがここで魔法がとけてしまった、つまり御者と獣は行ってしまいランボーは現実の世界に戻ってしまったという解釈で良いのでしょうか。私は幻覚を見たことがないのでよくはわからないのですが幻覚の中での夢想するってすごいですね!幻覚がすでに空想のような感じがあるのでいまひとつ理解しがたいのですがハシッシュなどの影響もあるでしょうから幻覚はかならずしも良いものとは限らなさそうですね。

les eaux clapotantesが文学的に海という意味があるかどうかというご質問ですがちょっとわかりませんでした。でも次のような死海に関するサイトがあり、今でも文学的に使われているのかもしれません。このテキストを読んでいると、海そのものより、岩場に打ち寄せるひたひた(またはぴちゃぴちゃ)いう波というほうがしっくりいくような気もします。この水の幻聴はロンドンへの誘い、といえば格好いいですが逃亡の予感ですね。

ここで一度区切ります。


■Postillon et betes de songe
オーブ at 10/7(金) 19:19:46 No.paroparo-20051007190421

postillon et betes de songeのところのつけたしなのですが、
私はsongeはpostillonにはかからないととりました。具体的に説明ができないのですが、深く考えずさっと読んだ場合、別物ととらえていました。しかしパロさんがpostillon de songeととらえられたように、他の多くの翻訳がもしそうとらえていればちょっと自信がありません。すみません、あいまいで。

ちなみにmariがpostillonは今では話言葉では御者とは使わず、人が話すときに飛ばすつばのことだと言っていました。御者ということば自体日本でももう使いませんね。馬車がないので当然と言えば当然ですね。

今、まとまった時間がとれないので、さっきの続きはまたすぐに書き込みします。

■>Postillon et betes de songe
Parolemerde2001 at 10/8(土) 01:04:47 No.paroparo-20051008005802

オーブさん、こんばんは。

用で少し遅く帰ってきましたので、すぐ答えられるここにだけレスします。
始めに、ただ読んだときは、やはり et で切りました。
しかし、馬車を(再び)走らせるには御者と馬が必要です。
どちらも幻覚の一部で、しかも、それが再び現れて馬車に付いて欲しいのです。
両方とも夢想なのですから、実は両方にかかるのでは、
何回か読んでから考え直しました。
実際にランボーが意図したことは、分かりません。


■>Postillon et betes de songe 続き
Parolemerde2001 at 10/8(土) 09:43:42 No.paroparo-20051008093347

もう少し考えてみました。
そう言えば、「轍」には、サーカスのマダラ馬とか、出てきましたね。
ここでランボーは、いわゆる betes de somme ではない、
betes de songe が引く馬車を想像したのかも知れませんね。
それが、変わった馬なのか、さらに空想的な獣なのかは解りませんが…
そういう読み方もできますね。
当時は、betes de somme という言葉は一般的だったのでしょうか。
postillon は、一般的だったのでしょう。
そうすると、betes de songe であれば、
たとえば、羽の生えた馬の引く馬車、天使的でも悪魔的でも、
そんなイメージが当時の読者なら浮かんだのでしょうか?

■betes de songe
Parolemerde2001 at 10/9(日) 10:16:00 No.paroparo-20051009101453

オーブさん、こんにちは。

まだ、betes de songe について考えています。
オーブさんが見たサイトでの指摘は、一般的なことなのでしょうか。
あるいは、誰かの解読なのでしょうか。
おそらく前者だと思いますが、後者であれば、名前を教えてください。

おそらく、この betes de songe は、すぐ前にある betes feroces との繋がりがあると思います。
つまり史実としての「猛獣」に対して、幻覚の中での(架空の)獣です。
この( )でくくられた文は、ランボーの自分の潜在的欲望の現像でしょう。
この詩全体が、幻覚の現像のような印象を受けます。
今では、写真はデジタルなので、現像というイメージも伝わらなくなるかも知れませんが。
で、betes de songe をひとかたまりで考えると、postillon には掛からなくなりますね。

この詩全体のことですが、
手書き原稿では、ジャンコラ版での行頭ティレ(ハイフン)、上の3つは行頭に、
下のふたつは、一字下げてあります。
私は、上の3つの文章は、幻覚の続き、幻覚の中で想像している状態の進行を示し、
下の2つの文章は幻覚から覚めた状態を表していると思います。

■「牧人小屋」
Parolemerde2001 at 10/9(日) 11:07:52 No.paroparo-20051009110715

紹介していただいた、ヴィニーの詩、ざっとですが目を通しました。

ランボーの初期詩編、「みなし児たちのお年玉」、「一なるものを信ず…」を思い出しました。
当時は、長編の韻文詩を書けることが、詩人の力量の証明だったようですね。
ランボーの「酔いどれ船」にも、詩人のプレゼンテーションの意図があったと思います。

ランボーの初期詩編は、当時の詩を始め、さまざまなものの影響下に作られたと思います。
その中に、ランボーの個性と意図がどのように反映しているのか、
当時のフランス詩などに詳しくないので、読み取ることはなかなか難しいです。
しかし、ランボーは、特に見者の覚せい後、意図的に古い詩の表現・スタイルを壊し、
新しい表現を創る意図が強く出てきます。
その流の中で、この「牧人小屋」を見ることもできるでしょう。
そして、「愚かさの」などの言葉の中には、
少年時代に対する決別の意味が含まれていると思います。

ランボーが、意図的に「少年時代」を書こうと意図したのは、「イリュミナスィオン」ではないかと思います。
「少年時代 Ⅴ」には、おそらくロンドンで「少年時代」を書いている彼自身が描かれています。

■音楽性
オーブ at 10/9(日) 23:04:47 No.paroparo-20051009221211

パロさんこんばんは。

すっかり書き込みが遅くなりました。
私が見たフランスのサイトはそのサイトの製作者の解釈だと思います。
製作者の名前をクリックしてみたのですがサーバーに見当たらないとの表示がでましたのでどういう人なのかはちょっとわかりません。
解説はちょっと中途半端な印象を受けたのですが、
フランスのサイトでさえも、この詩の解説はほとんど見つけられませんでしたので、
良かったと思います。良かったらのぞいて見てください。

http://bjay.club.fr/planpo.htm#Nocturne%20vulgair

以前、この詩に音楽性があると言ってしまいましたが、改めて読んでみると
Postillon et betes de songe reprendront‑ils sous les plus suffocantes futaies, pour m'enfoncer jusqu'aux yeux dans la source de soie
この部分だけでした(^^;)すみません・・。

上のサイトにアクセスすると解説がありますが、ここで取り上げてみることにします。
[p] と[b]、[f] と [s]がアリテラシイオン(alliteration)で支配されていて、母音の構想上、[o]の周りの変化のことだそうです。
で、このアリテラシイオンとはなんぞや?ということで辞書で調べてみると
(作詩)畳(じょう)韻法、頭韻法、同一または類似の子音を繰り返して詩句の効果とすること。その例題としてヴェルレーヌの詩が引用されていました。Les sanglots longs/ Des violon/ De l'automne.あまりにも有名な詩に
使われていたのですね。

これはもう、自分で何度も朗読して感じ取るしかないんでしょうね~。
ヴェルレーヌのサングロロンLes sanglots longsはわかりやすい例だと思います。
ランボーの詩のこの部分ですとsuffocantes futaies、source de soieがわかりやすいかと思いますが、私はいまひとつ[P]ostillon et[b]etesがわからなかったのですが、たぶん声に出して読んで見るときの音の強さが同じなのだと思います。

(参考資料:Alinea par Bernard Jay, 辞書三省堂クラウン)


■songeとreve
オーブ at 10/18(火) 15:55:36 No.paroparo-20051018153005

パロさん、みなさんこんにちは。

少し間があいてしまいすみません。
ほかのいろいろなやるべきことに時間をとられて書き込む時間がありませんでした。
約一週間ぶりの復帰ですね。

さて、bete de songeのことで盛り上がったついでにsongeのことを少し・・。
songe とreve はもともと同じ意味で「夢」「夢想」ですが、songeのほうが文学的で詩的な表現みたいです。フランスのサイトで読みました。話し言葉では断然reve を使います。ぼんやりしている、というようなときにもreveを使います。

最後から2行目のdogueを私は「猟犬」と訳しましたがこれはまったくの間違いでした。
辞書にも「番犬」と載っています。たぶん見間違えたのだと思います(^^;)

■Operadique、ゴングール兄弟、画家ヴァトー
オーブ at 10/18(火) 16:46:55 No.paroparo-20051018161754

突然この詩の初めにもどりますが・・

Operadiqueは辞書には載っていませんがネットで検索をかけると出てきました。
文脈から察すると「オペラ風な」という意味で使われているみたいですね。ドラマティックとかポエティックなどと同じような感じです。

18世紀にすでにゴングール兄弟がこの単語を使っていたとのことですが、
ランボーがこの詩で書いているsource de soieや水に関することもゴングール兄弟が画家Watteauの絵「シテール島への巡礼」に寄せたある一説からの影響であると解釈をしているフランスのサイトを見つけました。

"toute cette soie nuee et tendre [la soie des vetements des personnages du tableau] dans le liquide rayonnant [se refletant a la surface de l'eau]" (Edmond et Jules Goncourt, L'Art du XVIII° siecle)
(以下のサイトからの引用です)

そして同サイトはNocturne Vulgaire はゴングール兄弟同様、Watteau という画家の風景画のようである、というような記述をしています。
良かったら見てください。

http://abardel.free.fr/petite_anthologie/barbare_panorama.htm

(Operadiqueで検索するとその記述がある文章へ行きます)

Watteau の「シテール島への巡礼」は次のような絵らしいです。
http://art.pro.tok2.com/W/Watteau/watt03.jpg

Watteauの絵は次のサイトで見られます。
http://www.artcyclopedia.com/artists/watteau_jean-antoine.html

ロココ調とのことでこれもランボーの嘲笑のターゲットになったのでしょうか(^^;)

■rever et songer 引用
Parolemerde2001 at 10/18(火) 19:34:56 No.paroparo-20051018193421

オーブさん、こんばんは。

ランボーの言葉の使い方として、動詞での比較ですが、
私には、rever は、一般的な夢、songer は、意識的な夢のような気がします。
Je revais la croisade, ...(「錯乱 Ⅱ」)
Il ne faut songe a cela. ...(「人生 Ⅲ」)
ちょっと、私の書き方が解り難いかも知れませんが…

ボードレールの L'Invitation au voyage の songer も同様のニュアンスがあると思います。

Mon enfant, ma soeur,
Songer a la douceur

でも、これは(19世紀の?)文学上のことで、現在は一般的に reve rever なのでしょうか。

■>画家ヴァトー
Parolemerde2001 at 10/18(火) 19:46:17 No.paroparo-20051018194536

サイトのご紹介、ありがとうございます。
Rimbaud, le poete textes, commentaires, documents
http://abardel.free.fr/index.htm
トップページの北斎の波はよく覚えています。
そのときに、どうして、これが Apres le Deluge なのかな、
「版画で見るように天高くまで段々となった海」だからかな?と思いました。
ランボーが当時の絵画を馬鹿にしていたことは、
「花について詩人が語られたこと」や「錯乱 Ⅱ」から想像がつきますが、
Nocturne Vulgaire が、このワトーの絵を下絵にしているのか、私には解りません。
何らかのヒントを与えたかも知れませんが…

また、soie de mer (Barbare)と、source de soie は、直接は関係が無いように思われます。
水の表面の反射のランボーなりの表現と私は考えています。

■版画と浮世絵
オーブ at 10/19(水) 00:26:36 No.paroparo-20051019001849

パロさんこんばんは。

寝る前にこれだけ・・。
パロさんが紹介してくれたサイトを見て思い出したことがあります。
フランスでは浮世絵のことを版画と表現することがありますよ。
それを初めて知ったとき、へ~っと感心した記憶があります。浮世絵にはestampeを使うことが多いと思いますが、調べてみるとgravureとestampeは同じ意味ととってで問題ないようです。estampeははんこのニュアンスがあるそうですが。
ランボーもこのサイトの表紙のような北斎の絵を見たかもしれませんね~。

それではまた明日~(^^)

■版画
Parolemerde2001 at 10/19(水) 13:28:04 No.paroparo-20051019132737

estampe で思い出すのは、

Pour l'enfant, amoureux de cartes et d'estampes,
L'univers est egal a son vaste appetit.
Ah! que le monde est grand a la clarte des lampes!
Aux yeux du souvenir que le monde est petit!

ボードレールの Le Voyage の冒頭です。

ランボーの「イリュミナスィオン」について、
ヴェルレーヌが「版画」painted plates, colored plates と説明しています。
ステンメッツは、浮世絵の春画の意味があるのではないかと推測しています。
ランボーがどの程度、浮世絵を見ていたかは判りません。
もちろん、彼の詩の中にも「日本」は出てきますし、
見る機会はあつたと思いますが…、
同時代の詩人としては、マラルメの方が、
具体的に日本文化に詳しかったのではないでしょうか。

ロベールで調べてみましたが、gravure は、印刷から来ている言葉で、
estampe の方は、印刷したもの、つまり版画とか、を指すようです。
image imprimee par gravure
実際的には、どちらも版画の意味があると思います。

■>rever et songer
オーブ at 10/20(木) 10:54:23 No.paroparo-20051020104200

パロさんおはようございます。

文学においては、songerと reverは基本的に同じ意味で、songerのほうが文学的に使われているようですよ。
songeで調べるとLitter.Reveと載っていました。

例題として・・

Je dormais et je songeais que... J'ai songe que je voyageais sur mer (Ac. 1798-1878).

(Tresor de la Langue Francaiseより)

mariによると今ではsongerは「考える」という意味で使うほうが多いようです。
A quoi tu songe?
のように。

ちなみに「夢」という意味でこのふたつを比べると違いはあまりないようです。


■アクサン 訂正 再び・・・
オーブ at 10/20(木) 10:57:57 No.paroparo-20051020105627
またやってしまいました・・・。

Je dormais et je songeais que... J'ai songe que je voyageais sur mer (Ac. 1798-1878).

■>版画
オーブ at 10/20(木) 11:17:08 No.paroparo-20051020105811

>ステンメッツは、浮世絵の春画の意味があるのではないかと推測しています。

そうだったのですか。「イリュミナスィオン」は浮世絵というより、絵巻物みたいな感じがします。
でもなぜ「春画」なのでしょうね・・(^^;)

>Pour l'enfant, amoureux de cartes et d'estampes,
L'univers est egal a son vaste appetit.
Ah! que le monde est grand a la clarte des lampes!
Aux yeux du souvenir que le monde est petit!

ボードレールの Le Voyage の冒頭です。

ボードレールも浮世絵を意識したのかもしれませんね~。
印象派のモネは浮世絵のコレクターでした。モネの家に行ったことがあるのですが、
それはそれはすごい浮世絵の数で家中の壁に飾ってあり、まるで浮世絵を見学に行ったかのようでしたよ。(飾ったのはモネではないかもしれませんが)
多くの芸術家のインスピレーションの源になったのは間違いありませんね。

北斎のフランスのサイトでは、彼の絵を説明するのに動詞graverを使っていました。
いわれてみれば版画に見えなくもないですね。立体的で作業も細かいです。色使いもその当時の日本独特の色ですし。

ランボーがどれほど日本のことを知っていたかはわからないのですね・・。
ジャンコラ氏の伝記では中国、日本行きも視野にいれていたというようなことが書かれていたような気がするのですが・・。船に乗れなかったのでしたっけ?ざっと流して読んだだけなのであまりはっきり覚えていません。また確認しておきます。

■Yvette Horner のアコルデオン
joe at 10/23(日) 00:26:48 No.paroparo-20051023000711

こんばんは。
joe 雑談です。^^
フランス2の13H、最後のキャスターインタビュー、最近はよくミュジシャンが登場します。
最近では、Alain Souchon が、戦後60周年も関係しているのか、映像も含めてとても印象的でした。
http://fr.music.yahoo.com/ar-312174-videos--Alain-Souchon

ボクのヒアリングがちゃんとしてればだけど、彼はもちろん詩もよく読んでいるようで、ランボー…とか聞こえたような…気がしてるだけかもだけど。;

昨日は Yvette Horner というマダムのアコルデオン演奏を聴くことができました。
http://fr.music.yahoo.com/ar-19773889---Yvette-Horner

ボタン式(古いタイプライタみたいな)のキーで、あぁ、アコルデオンて、こうやって弾くのかぁ、吹いている感じがとてもして、正に手風琴でした。
13Hのスタジオは通常の収録スタジオと違って公開っぽく、インタビュー時はパリの外も見えるんだけど、スタジオスタッフの拍手や「ブラボー♪」の声も聞こえてきて、なかなか楽しいです。

最近ホント、また新しいシャンソンがどんどん出てきているように感じます。
ノスタルジック、クラッシクな感じもあるんだけど、でも今また!の新しさを感じます。
ネットが定着して、静かに進めてきた技術が、いよいよ芸術・文化にも大きな影響を与え始めているようで、フランスは今とってもエキサイティングな時期を迎えているのではないでしょうか。
なんて、感じているこの頃です。

■アコーディオンの音色
オーブ at 10/31(月) 18:12:55 No.paroparo-20051031175908

パロさん、みなさんこんばんは。

ここ数日少し体調を崩していました。朝晩はすっかり寒くなりましたね。

パリではアコーディオンは大道芸人がよく演奏していました。ソルボンヌには
ベッドに犬と猫が仲良く寝ていてその横でおじさんが演奏していました。名物おじさんのようです。アコーディオンの音で朝、目が覚めることもありました。
たまに私たちが住んでいたアパルトマンの下のとおりを、朝早くにおじさんが演奏していたんですね。アコーディオンの音色になじみがなかったので最初は何の音かわからなかったのですが演奏しながら歩いているおじさんを見ました。
フランスには懐かしいものがたくさんありますね~。

さて、「低俗な夜想曲」、今試訳を見直していますのでここで検討させてもらったことをベースにして、訳し直そうとおもっていますのでもう少しお待ちくださいね。

■「低俗な夜想曲」試訳 訂正
オーブ at 10/31(月) 21:12:38 No.paroparo-20051031210612

低俗な夜想曲

 あるひと吹きが仕切り壁の中に見事な裂け目を開き、
‐曇らせたり照らせたりして蝕まれた屋根が回転すると‐暖炉の消えそうな炎を追いたて‐ガラス窓を翳らせる。
‐ぶどうの木をつたい、ぼくは足をガーゴイルにかけて豪華な四輪馬車に降りた。
‐凸型の鏡、張り出した羽目板、円くなったソファで時代物だとわかった。
‐ぼくの眠りの霊柩車は、孤独で、ぼくの愚かさの牧人小屋、乗り物が消し去られた大通りの芝生の上でカーブを切る。そして右側の鏡の上の欠落部分の中で乳房が、数々の葉が、月のように青白い偶像たちが回転する。
‐とても濃い緑や青が映像を侵略する。砂利の斑点の近くで馬車から馬を外すことだ。
‐ここでは、雷雨に口笛を合図に命令するのか?そしてソドムたち。‐ソリムたち‐獰猛な獣たちと軍隊に?
‐(御者と夢想の獣たちは最も息苦しい大木の下で再び馬を駆るだろう。絹の泉の中に両眼までぼくを沈ませるために。
‐そして僕たちはひたひたいう波とこぼれた飲み物の中を鞭打たれ、送りに出される。番犬の群れが吠える中旅にでるのさ・・
‐ひと吹きで暖炉の小さくなった炎をかき消すのだ。

(試訳オーブ10/31/2005)

■Marineへ・・・
オーブ at 11/1(火) 16:12:37 No.paroparo-20051101160728

「低俗な夜想曲」で少し時間をかけてしまいました。そろそろ次の詩、
Marineに移ろうかと思っているのですがよろしいでしょうか。
もちろん、ご意見などがあれば引き続きお願いします。
どの詩も期限はありませんので・・。

といってもMarineはまだ読めていませんので少し時間をください。
短い詩なので少しほっとしているのですが・・。

それではまた。

■ゆっくり進みましょう。
Parolemerde2001 at 11/1(火) 18:44:19 No.paroparo-20051101184025

オーブさん、こんばんは。
私の方も、雑事に追われていて、オーブさんの新しい訳も目を通したばかりです。
時代考察やランボーの詩の変遷なども含めて、ゆっくり読んでいきましょう。
無理の無いペースで進めてください。

■Ma Liberte
joe at 11/1(火) 19:46:03 No.paroparo-20051101191419

こんにちは。
不定期 joe 雑談です。
オーブさん、日本の秋冬、久しぶりに少し冷えていますが、パリより暖かいでしょ?^^;
ご自愛くださいね。

大道芸人のアコルデオンの音が懐かしいと感じるなんて…やっぱり戻らなくちゃですよー。^^
楽器、奏者、そこの雰囲気、空気が違いますので、音色も当然違ってくるものですね。

もっと子供を!の昨今のフランスですから、最近の若い子たちの歌も楽しいです。
たまたま France Launch (Yahoo) で、そうですねぇ、フランス版V6とでも言いましょうか(時々5人みたいだけど)、男の子グループ Zaboyz を観ました。

http://fr.music.yahoo.com/ar-22381831---Zaboyz

"La Liberte" は、今の子たちには、"Ma Liberte" に変わったようです。^^
けっこう大人も歌えそうな、ノリの良い曲です。

ここファンサイト?で色々と見れます。
http://www.e-monsite.com/zaboyz/
ジャニーズ系かなり参考にされているかもですね。^^

ところで…フランスでやはり大人気の女の子、たぶん国民的アイドルの歌手(タレントさん)、可愛くて歌も踊りも上手なあの子、名前忘れちゃったんですが、オーブさん、ご存知ないですか?
小さなブリトニーという感じで、13歳ぐらいだと思います。
若い子のポップスは、ノリ良く単純な言葉の繰り返しが多い?ので、フランス語ヘタなボクにとっては良い教材です。
要するに精神年齢が子供ってことですが…。^^;

■歌詞・ご参考まで
joe at 11/1(火) 22:59:05 No.paroparo-20051101225107

Zaboyz は13~16歳ぐらいですね。
ヴォーカルのTadは14歳です。
で、こう歌ってます。^^←自分で訳して勉強しろ…ですね。><

Laissez- moi ma liberte, j'ai besoin de respirer
Hoho laissez- moi vivre ma vie
Shabadabada

Paris dans la nuit, permis d'sortie
Lege frisson la fievre va monter
Envie de vivre juste un peu plus fort
De retenir ma vie jusqu'a l'aurore

Un ouragan de folie, sous le feu de mes envies
Un volcan qui s'eveille en moi

Laissez- moi ma liberte, j'ai besoin de respirer
Hoho laissez- moi vivre ma vie
Vivre comme j'en ai envie
Hoho laissez- moi vivre en paix

Besoin de vivre en surdimensionne
De m'eclater jusqu'a l'aube nouvelle
Chasser mes peines et toutes mes douleurs
Et ce vent de folie, sous le feu de mes envies
Un volcan qui s'eveille en moi

Ref :
Laissez- moi ma liberte, j'ai besoin de respirer
Hoho laissez- moi vivre ma vie
Vivre comme j'en ai envie
Hoho laissez- moi vivre en paix

Shabadabada

=== Zaboyz - "Ma Liberte" より ===

でも、実はもっとちっちゃい子のこっちの方が、幼児語も入っているので、難しいです。
追いついて歌うのに舌噛みそうです。^^;
でもでも、とっても可愛いですけど。

T'es cap, pas cap de te rouler dans la boue
T'es cap, pas cap, marcher 3 kilometre sur les genoux
T'es cap, pas cap d'hurler comme un fou
T'es cap, pas cap, que tu l'aimes Mary-Lou
T'es cap, pas cap de monter sur la table
T'es cap, pas cap, pour aller defier Zorro sous sa cape
T'es cap, l'embrasser sur la bouche
T'es cap, pas cap de chopper une mouche

{Refrain 1:}
Toi dis moi si vraiment t'es cap ou t'es pas cap
Ca fait vraiment longtemps que je me cache sans qu' tu m'attrapes
pour de vrai, pour de faux
moi je n' suis pas une marionnette
pour de vrai, pour de faux
j'ai pas de fils ni de clochettes
meme si tout le monde ment comme des grands,
on est tous des Pinocchio,
des enfants de Gepetto

T'es cap, pas cap de te moquer d'la boulangere
T'es cap, pas cap
ah non, tu ne peux pas puisque c'est ta mere
T'es cap
Y a pas que les grands qui osent
T'es cap, pas cap
qui font de grandes choses

{Refrain 2:}
Toi dis moi si vraiment t'es cap ou t'es pas cap
Ca fait vraiment longtemps que je me cache sans qu' tu m'attrapes
pour de vrai, pour de faux
moi je n' suis pas une marionnette
pour de vrai, pour de faux
j'ai pas de fils ni de clochettes
meme si tout le monde ment comme des grands,
on est tous des Pinocchio,
des enfants de Gepetto
On a le nez qui s'allonge lorsque l'on dit des mensonges

Nananananananananana....

{au Refrain 2}

Nananananananananana....

=== Pinocchio - "T'es Pas Cap" より ===
http://fr.music.yahoo.com/ar-301892-videos--Pinocchio

■おお~アイドル!!
オーブ at 11/2(水) 17:25:39 No.paroparo-20051102164711

Joeさん、おもしろいサイトの紹介ありがとうございます。
フランスにアイドルグループって珍しい!!私がパリにいるときは
見なかったような・・・・彼らの年齢からいって最近出てきたのでしょうか。
ほんとジャニーズっぽいですよね。でもジャニーズに比べるとなんとなく素人っぽい・・(^^;)
それが彼らの魅力なのかもです。
少し、彼らのプロフィールを読んだのですが、何人かが「嫌いなもの」の中で「サッカー」と答えているのに驚きました。新しい価値観の到来か?!
フランス人はサッカーが好き、なんてステレオタイプの固定観念がありますが
もっと若い子は意外とそうではないのかも。
好きな俳優、女優などを初め、彼らがアメリカの影響をすごく受けているのも今っぽいですね。日本人の若い人もそうなのですが。

彼らの歌う歌詞を読んでフランスの子供たち、窒息しそうな状態が伝わってきました。
具体的に何に対してかはわかりませんが日本以上にあらゆることに保守的なフランス、結構、親(大人)の価値観を押し付けられている印象を受けたので子供にはしんどいかな~とちょっと思っていました。(あくまでも私の感想ですが)
日本は別の意味で窒息しそうな子供たちが多いんですけどね・・。

今から13年位前、ジョルディくんという5歳のフランス人の男の子が「子供だってらくじゃない」という歌でフランスと日本でも大ヒットしたことを思い出しました。(フランス語タイトルは忘れました・・)もしかしてご存知のかた、いるかもです。日本にも来日して「笑っていいとも」とかに出てた記憶がありますので。しかし彼は今どうしているのやら・・(^^;)

Joeさんがおっしゃる、「小さなブリトニー」もしかしてあの子?!
ああ~でも名前が思い出せない。テレビで見た記憶が・・・もしかしてあの子かも。
(すみません、ぜんぜんあてにならなくて)
スターが突然あたなのお宅におじゃまみたいな番組に出てたような記憶があるんですが、名前がぜんぜん思い出せないのでMariに聞いて見ます。年も若いけど、大人びているというより、その逆ですごく小さくて幼い感じの女のこだった気がします。

フランスでは全体的にあまりアイドルってはやらないなんですよね~。
アリゼとかローリーはちょっとはやってましたが、彼女たちは25歳くらいだと思うし・・。「スター誕生」みたいな番組やってましたがみんなあんまりぱっとしなかった記憶が。日本では演歌でしかやらない男性と女性のデュオとか多かった気がするし(^^;)

フランス語っていう言語があまりロックやポップのメロディに合わないでしょうかね。
どちらかというと弾き語りというイメージがあります。
そういう系統の音楽のほうが、フランスでは有名みたいです。

■つけたし
オーブ at 11/2(水) 17:28:33 No.paroparo-20051102172613

フランスの若い人は以外にもテクノが大好きみたいです。
ちょっとびっくりでした。パーティでのダンス用でしょうか。
ピコピコピコっと・・・のりがすごくいいですが、やっぱりダンス用かも。

■Marine 試訳
オーブ at 11/8(火) 15:35:40 No.paroparo-20051108152936

パロさん、みなさん、こんにちは。
やっとMarineの 試訳ができました!

>時代考察やランボーの詩の変遷なども含めて、ゆっくり読んでいきましょう。
無理の無いペースで進めてください。

パロさん、お気遣いありがとうございます。息切れしないように末永くやっていきたいものです。

それでは以下試訳です。

海の

銀と銅の花車と-
はがねと銀の船首が-
泡を打つと、-
茨の切り株が高くなる。
荒野の海流と、
そして引潮の巨大な轍が、
循環しながら流れていく、東に向かって、
森の柱に向かって、-
防波堤の柱頭に向かって、
その角は光の旋風にぶつけられる。

■Marineのタイトルについて
オーブ at 11/8(火) 16:13:58 No.paroparo-20051108155720

まずはこのタイトルMarineをどう訳そうか今だ考え中です。
パロさんが解説でも述べられているように、海に関するいろいろなものととることができるので、従来訳されている「海景」と言い切ってしまうのもどうかと・・。
辞書で調べると名詞Marineは主に海軍という意味のようですが、この詩から海軍と特定するのもちょっとずれている気がします。他の意味としては海事一般の意味ととれるようです。
海洋画という意味もありますが、そうですね・・どうでしょう、詩に動きがあるので絵画というかんじはしませんねえ・・。

ところでこの詩ではランボーは傍観者なのですよね。
「酔いどれ船」を書いたころのランボーではなく、少し大人になったランボー。
無駄のない詩ですね。


■Illuminationsのオーディオ・CD
オーブ at 11/8(火) 18:28:39 No.paroparo-20051108182301

Illuminationsのオーディオ・CDを少し前に注文しました。
もうそろそろ届いても良いころなのですが・・今日期待して待っていたのですが届きませんでした(泣)
もう少し楽しみに待ってみます。

このオーディオCDはフランスの俳優ドニ・ラバンが朗読しているもので少し視聴してみたのですがいい感じだったので注文しました。朗読を聴くと、目で読むのと違う世界が見えてきそうです。

聴いたらまた感想を書き込みますね。

■タイトルの Marine について
Parolemerde2001 at 11/8(火) 21:42:42 No.paroparo-20051108214200

オーブさん、こんばんは。
英語でも海軍という意味がありますね。
この詩では、特に軍隊に限定されない、海洋国のイギリスの船、船団を表しているのではないかと思います。
「運動」の最初の部分にも海と船の方法的描写があります。

オーブさんは、形容詞に訳されていますが、
この場合、女性名詞に掛かる形ですね。
具体的にはどんな言葉に掛かると取られているのでしょうか。


■EMEUTIER
Parolemerde2001 at 11/8(火) 21:56:58 No.paroparo-20051108215612

最近、フランスのニュースサイトでよく見かける文字です。
フランスのストは、徹底ぶりが有名ですが、これはストを遥かに越えています。
体制タレント少年ロックシャンソン、
アメリケーヌな Ma Liberte なんぞぶっ飛ばせでしょうか。
暴力的でヤケクソなランボーの「パリ市民の戦いの歌」を思い出しました。

移民の若者たちの不満が主因のように、日本では解説されていますが、
具体的な背景や経済事情などは分かりません。
Mari さんは、どう捉えられていますか?


■フランスの暴動
オーブ at 11/8(火) 23:35:58 No.paroparo-20051108224052

パリは今大変なことになっていますね。
でも今までにもよくあったことらしいです。こんなに大きくなったのは戦後初めてのことのようですが。
私がパリにいるころもよくもめていましたし、移民たちの問題がテレビでも特集が組まれていました。

やはり貧困が一番の原因ではないでしょうか。終戦後(どの戦争だったか忘れました・・多分第二次世界大戦?)パリを復興させるためにたくさんのアフリカ系の人々を住居と食事つきという条件で労働力として雇ったと本か記事で読んだ記憶があります。彼らはよく働き、無事にパリは復興しましたが、彼らが家族を呼び寄せたり、または彼らの子孫が増え、フランスはその対策、つまり仕事や生活の保障などまで手が回らなくなったようです。それでも移民を受け入れているのですね。そのへんがよくわからないのですが、やはりヨーロッパの中で人道的なイメージを大切にしたいのでしょうか。

そして今回のことと直接関係があるのかどうかわかりませんが、フランスは移民の人たちにフランスのルールを守ってもらいたいのです。私がフランスにいるころ起こった事件なのですが、イスラム教の少女2人がスカーフをして公立学校に通っていたので、学校側がスカーフを取るように警告したが拒否したため彼女たちは退学になりました。2人はとても優秀な生徒だったようですがスカーフは宗教的な意味合いがあるので、他の生徒たちに与える影響力を恐れたためでした。彼らにとっては女性のスカーフ着用は当たり前のことなので、フランスの対処に不満があったのでは。

ほかに大事件になったのは、未婚の少女が男性と関係を持って家族に焼き殺された事件がありました。フランス(というかほとんどの国)ではもちろん犯罪ですが彼らの宗教では未婚の女性が男性と関係をもつのは一家の恥として死刑に値するくらいの罪なのだそうです。結局どういう結果に終わったのか私は知らないのですが・・。

ほかにもいろいろもめていました。

多くのアフリカ系移民はパリの郊外に住んでいて、特に北側はすごく治安が悪くてレッド・ゾーンといわれているようです。

マチュー・カソヴィッツの「憎しみ」(La Haine)という映画を観ればわかりやすいのではないでしょうか。

■社会のクズ
joe at 11/9(水) 00:26:30 No.paroparo-20051108235442

みなさん、こんばんは。
いよいよ非常事態宣言、夜間外出禁止令が発令されてしまいましたね。
そんな点でも、とにかくフランスは今、とても動いている時期…なのではとも思ってしまいます。
ちょうどドミニク・ド・ヴィルパン首相のTF1でのネット放送を聴いていました。
「Declaration de Dominique de Villepin」

彼は英語もですが、とても綺麗なフランス語を話すとボクは思っています。
でも、悔しくも、ボクの能力ではちゃんと聴き取れていませんが、よく喋るフランス人が更にこうやって公的に本当によく喋る、説得する公人だなぁとひたすら感心するばかりです。
ボクたちの国は、反発も公人も、ちょっと違う出方をするようですね。^^;

フランス2などでも、今回の暴動の放送が目立ってきたのは最近だと思います。
最初はそれほどでも無く、数日前までも、別段キャスターたちもさほど驚く様子も無く…。
イラク戦争、自爆テロ、カトリーナの時の人種差別などなどの、マインドやヴィジュアルの影響もあるのでしょうか。
最近立て続けに起きてしまった古いアパートの火事(一部は放火でしたよね)もひきがねになってしまったかもしれませんね。

フランスのスカーフの問題は大問題でしたね。
ボクもあれは…うーん、自由にさせてあげても良かったんじゃないかなと思っていました。
ファッションの国…だからこそなのでしょうか。

今回はニコラ・サ(ル)コジ内相の言動が油そそいじゃったようですね。
強気ですし、イタリア系?だと、ちょっとマフィアっぽくも見えちゃうし。^^;
(奥様のスキャンダルも話題だそうですし…いやはや。)
「社会のクズ」呼ばわりしたそうですが、フランス語で何と言ったのか、ちょっと知りたいところです。

ボクもずっと一連の映像を観ながら、「あー、うざいなー、ほっといてよ!」「マ・リベルテ」なんて歌える子たちは、まだそう言えるぶんだけマシなんだろうなぁ…などと思っていました。
でも…、人種や貧困などの問題だけでなく、フランスの虐待?らしきを受けている子供たちは、数字で出ているだけで95,000人いるそうな、うち19,000人は家族による性的なものなようです。
大人だって社会のクズになり得ますね。

■racaille
オーブ at 11/9(水) 23:15:09 No.paroparo-20051109224157

サルコジ氏の使った言葉はracailleだと思われます。
ある日本の記事では「人間のくず」と訳されていました。

いずれにしてもこのような言葉を使うべきではありませんでしたね。
異なった宗教、価値観をもつ移民の人々をどうやって受け入れていくかフランスの問題ですね。

>でも…、人種や貧困などの問題だけでなく、フランスの虐待?らしきを受けている子供たちは、数字で出ているだけで95,000人いるそうな、うち19,000人は家族による性的なものなようです。

具体的な数字は知りませんでしたが、わかるような気がします。
日本人が書いたフランスの子育てとか家族観のようなものを読んでいると、どうしても
「フランスが良くて日本が悪い」という印象を受けてしまいますが、「え?そうか?」って思ってしまいますね~。もちろん日本も児童虐待が深刻化して課題はたくさんなのですがフランスも根本的には変わらない気がします。
フランスで、道でお父さんやお母さんが子供を怒鳴りつけたり叩いたりしている光景も何度か見ましたし。
児童虐待ではないですが、子供を誰かに預けて夫婦だけで何週間も旅行行ったり普通にするみたいですしね。旅行中心配にならないんでしょうかね。一緒につれていってあげたらいいのにね。

>大人だって社会のクズになり得ますね。

本当に。そうならないように気をつけなくては、ですね。

■ドヴィルパン氏のインタビュー
オーブ at 11/10(木) 00:49:44 No.paroparo-20051110003417

joeさん、サイトの紹介をありがとうございます。
ドヴィルパン氏のインタビューを見ました。
以前、彼が発表したメッセージをネットで読んだことがありますが、
短いセンテンスで区切られており、難しい言い回しや単語などを避けてすごくわかりやすいフランス語でした。
joeさんがおっしゃるとおり、このインタビューもきれいなフランス語でしたね。

アナウンサーのパトリックの突っ込みもなかなかでした。
「この破壊や暴動は"racailles"ですか?」
ドヴィルパン氏がしきりに「共和国」という言葉を強調していたのも印象的でした。
すべての宗教を深く尊敬しているとしながらも共和国に同化してほしいというという感じでした。

アナウンサーもただうなずいて聞いているだけではなく、じゃんじゃん質問、突っ込みをいれる。日本の原稿をみながらの棒読みインタビューとは違いますね~。
しかもドヴィルパン氏って華やかですね。
何か説得力がある。
答える前に、わかってほしいという意味を込めてかしきりに「パトリック」と呼びかけているのも良かったと思います。
さすが討論の国ですね。

■Illuminations audio cd
オーブ at 11/10(木) 21:57:45 No.paroparo-20051110215004

パロさん、みなさんこんばんは。

今日、やっとilluminationsのオーディオDCが届きました。
ざっと一通り聴いてみましたがとてもよかったです。
さすが俳優が朗読しているだけのことはあってドラマのような感じに仕上がっていました。
声の強弱というか抑揚が良かったです。そうしないと退屈に感じてしまうかもしれませんね(^^;)
これからひとつひとつじっくり聴いてみます。
Une Saison en enferの朗読CDもあるようですが朗読者は誰かわかりません。
でも朗読を聴くならilluminationsのほうが美しいかもしれません。

■Marine
オーブ at 11/10(木) 22:27:01 No.paroparo-20051110220352

パロさん、

実はまだタイトルで迷っています。
フランス人がmarineときいて真っ先に思いつくのはやはり「海軍」または海軍に伴うなにかだそうです。(例えばofficer de marine 海軍将校とか)
うーん、困りましたね。タイトルが「海軍」って言うのも何かと・・(^^;)
私は形容詞の可能性も考えましたが、やはり名詞だそうです。

>英語でも海軍という意味がありますね。
この詩では、特に軍隊に限定されない、海洋国のイギリスの船、船団を表しているのではないかと思います。
「運動」の最初の部分にも海と船の方法的描写があります。

やはり船や海に関する事なのですね。
英語のnavyで調べてみると(古・詩)船団、船隊、艦隊と載っていました(ジー二アス)
なぜランボーがmarinと男性系ではなくmarineと女性形にしたのか疑問です。
mariによるとmarinは船や乗組員など海、航海に関する一般的な意味にとれるそうですが
marineは先ほど書きましたように海軍と考えるようです。
もちろん、19世紀と今では言葉の捕らえ方が多少違うことがあるでしょうし、ランボーは詩人ですのでそのままのタイトルにはしないとは思いますが・・。

もう少し調べたり考えたりしたいのでタイトルについては保留したいと思います。
何か知ってることがあれば教えてください。

In the Navy ~♪(^o^)/~~

■Marine, Mer, 海
オーブ at 11/11(金) 00:51:06 No.paroparo-20051111002317

Marineはただ単に「海」という意味もあったようです。(今はmerが一般的です。)

Une forte ordeur de marine
とシャトーブリアンが書き、
On trouve sur ses c将竒es une multitude prodigieuse d'oiseaux de marine
とベルンは書いています。(Tresor de la langue francaiseより)
(文字化けしていますが、原文不詳のためそのままにしてあります)

二人とも19世紀の人なのでその時代にはmarineが海という意味で使われていたみたいです。12世紀にすでに「海の水」という意味で使われており、16世紀には「海の香り、味」という意味でも使われてたみたいです。

船や航海のほかに、それらに関する小道具、例えば羅針盤、地図、コンパス、国旗、ストップ・ウォッチ、六分儀(星座を観測する道具らしいです)、標識などなど。

ここまでくると、もう、この詩のようにシンプルに「海」と訳してもいいような気がしてきました。
パロさんのお考えに近いかもしれません。海を表す多様な意味にとれるものもすべて含めて海のように寛容に大きく、でもシンプルに・・。

■racailleについて少しだけ補足
オーブ at 11/11(金) 20:15:15 No.paroparo-20051111193938

パロさん、みなさんこんばんは。

パリはだいぶ落ち着いてきたようですね。
このパリ暴動に関連して少しだけ言わせてください。
私はracailleは「チンピラ」というような意味だとずっと思っていました。まあ、ちょっと悪ぶった人とか不良という感じでしょうか。
「あの俳優は昔racailleだった」のように話し言葉では使われています。
なので日本のジャーナリストの「社会のくず」という訳はきついと思っていました。(人間のくずとも!!)
もちろん、人に向かって「ちんぴら」というのは失礼だからどんな場合にしても面と向かって人に使う言葉ではないのは確かですが、「社会のくず」はひどすぎでは・・。
この問題はすごく根深いので日本人にはなかなか理解できないから日本人にわかるようにそう訳したのかもしれません。
「社会のくず」といわれたのだから車を燃やしたり政府を攻撃するなど移民の若者たちの怒りの爆発が理解できるという具合に。

mariとやっとこの問題について話す機会がもてたのですが、「社会」の「くず」と日本では訳されていると私が言うとすごくびっくりしていました。

逆にフランスでは9月11日のNYで起こった事件をkamikazeと表現しています。
フランス人には意味はわかっていないからわかるようにメディアが乱用したのだと思います。日本ではあの事件をkamikazeとは表現しませんよね。

これと同じことなのかもしれませんね。
メディアの表現とは難しいと感じさせられました。

■しつこくてすみません
オーブ at 11/11(金) 23:13:42 No.paroparo-20051111231207

サルコジ氏、強気ですね。
新しい記事を読みました。racailles発言は撤回しないとのこと。

■マリーン
Parolemerde2001 at 11/13(日) 17:42:39 No.paroparo-20051113172631

みなさん、こんばんは。

話題の racaille について、手元の仏仏辞書には、
Ensemble d'individus louches (craints ou meprises.)
と、出ています。まあ、良い意味では無いですね。

さて、「マリーン」です。
オーブさんは、char を「花車」と訳されていますが、
どのような車のイメージなのでしょうか。
私は、鋤の付いた2輪の農耕用の車と取りました。
実は、この詩を訳した時に、
タイトル Marine は、フランス語でも英語でも海軍の意味があるので、
外輪船の軍艦を考えてみました。
車付き鋤の形と類似性があるからです。
しかし、外輪船は攻撃に弱く、かつ効率も悪いようで、
特に軍艦としてはあまり使われなかったようで、
ランボーの時代の港の写真などにも見当たりませんでした。
アメリカのミシシッピ川などでは、旅客輸送に使われたようですが。

当時、どのような意味が一般的だったかは解りませんが、
「海景」に見せておいて、大英帝国海軍を描いたと取ることも可能かもしれません。
しかし、この詩は内容的には「運動 Mouvement 」と共通性があり、
さらに、特に海軍の船と特定できる材料も見当たらないので、
「海軍」というタイトルではなく、さまざまに取れる「マリーン」にしました。

■海と地球の結合
オーブ at 11/14(月) 23:51:04 No.paroparo-20051114230607

パロさん、みなさんこんばんは。

この詩について引き続き調べていました。
ネットで調べるとフランス人が「津波」をイメージしていることがわかりました。

Dans un vertigineux mouvement de lumiere il y a fusion des elements marins et terrestres, la mer devient terrestre et la terre marine comme lors d'un raz-de-maree.(Michel Esnault)

まばゆいばかりの光の動きにおける海と地球の結合(まったく異なった二つの世界の結合)、すなわち海と地上の境界がなくなるイメージです。ちょっと「大洪水の後」を彷彿とさせるものがあります。
おもしろいのはこの詩からインスピレーションを得て、高校生が描いた絵がありました。「津波」の写真や例の北斎の海の波の浮世絵のコラージュ、船が黄金の麦畑(?)を航海する絵、または火の海の中を船が航海する絵などがありました。

私はcharは御輿をイメージしたのです。d'argentとありましたので銀のお御輿ですね。
でもここでは華やかな車というより、強くてシンプルな車ととったほうが自然かもしれません。いずれにしてもこのcharは「船体」のことですよね。タイタニックのような豪華客船というかんじではないのでしょうね。

タイトルは「海のヴィジョン」にしようかとおもっているのですが。「海のイマージュ」や、「海の残像」「海の映像」なども考えました。

もう少し考えて見ます。

■引潮の轍
Parolemerde2001 at 11/16(水) 15:27:33 No.paroparo-20051116152551

オーブさん、こんにちは。

評論家の名前でしょうか、Michel Esnault で調べてみましたが、
たくさん出てきてどのサイトか分かりませんでした。
生誕150年でフランスのランボーのサイトが増えたのでしょうか。
高校生の絵も、この詩のイメージとの関連がつかめません。
私には、荒野、荒地を車の付いた鋤で耕していく情景に似た、
船に続く引き波が幾重にも海の上に広がっていく光景、
そして、堤防のある沖の彼方は海の太陽と空の反射で光っている光景が思い浮かびます。

ダビンチも洪水のデッサンを残していますし、
ゴッホの揺らめくような糸杉と空も、洪水の恐怖の反映という解説を読んだ覚えがあります。
旧約聖書のノアの大洪水が広く影響を与えていることは考えられますが、
この詩は、オーブさんが最初に書いたような印象を私も持ちました。
でも、フランス人の読みも、また人それぞれにも異なるのでしょうね。

>ところでこの詩ではランボーは傍観者なのですよね。
「酔いどれ船」を書いたころのランボーではなく、少し大人になったランボー。
無駄のない詩ですね。

■>引潮の轍
オーブ at 11/16(水) 21:43:18 No.paroparo-20051116213324

パロさんこんばんは。

http://rimbaudexplique.free.fr/illuminations/marine.html

Michel Esnault氏のランボーサイトです。私の勘違いで以前紹介したと思っていました・・。まだでしたね(^^;)
氏は評論家などではなく、趣味で詩の解説しているようです。でもすごく詳しいです!

高校生の絵は

http://lycee-iroise.over-blog.com/

適当なのから、アートっぽいのまでさまざまです。

Marineを彼らがどのように習っているのかは私にもわかりません。
火の海の中を船をゆくのはやっぱり戦争を表しているのかな~と思いました

■Rimbaud 20 poemes expliques
Parolemerde2001 at 11/16(水) 22:57:33 No.paroparo-20051116225451

サイトのご紹介、ありがとうございました。
トップページのBGMには、ちょっとびっくりしました。
きっと、このように聴こえているのでしょうね。
http://rimbaudexplique.free.fr/index.html

■もう師走・・
オーブ at 11/27(日) 23:22:53 No.paroparo-20051127231655

月日が経つのは本当に早いものでもうすぐ12月、今年も後一ヶ月足らずになりましたね。
私が最後にここに書き込みしてからもう10日以上たってしまいました!!
あっというまに時間だけが経っていくのが怖い今日この頃です。

さて次の詩は冬にはちょうどぴったりの詩、Fete d'hiverです。
ですがまだ訳のほうができていません(^^;)
もう少しお待ちくださいませ。

■Fete d'hiver オーブによる試訳
オーブ at 11/28(月) 00:00:02 No.paroparo-20051127235650

冬の祭り

滝がオペラ・コミックの掘っ立て小屋の向こうで鳴り響く。
打ち上げ花火の一群は引き延ばす、小アジアの曲がりくねった川のそのばにある果樹園と小道の上で、--日没の緑色と赤色を。
第一帝政風の髪型をしたホラテウスのニンフたち--
シベリアのロンド、ブーシェの中国女たち。

(試訳オーブ2005/11/27)

Fete d'hiver

La cascade sonne derriere les huttes d'opera-comique. Des girandoles
prolongent, dans les vergers et les allees voisins du Meandre, - les verts et
les rouges du couchant. Nymphes d'Horace coiffees au Premier Empire,-
Rondes Siberiennes, Chinoises Boucher.

■>Fete d'hiver
Parolemerde2001 at 11/30(水) 23:22:05 No.paroparo-20051130231217

オーブさん、お久しぶりです。
年末が近づくに連れ、雑用が増えてしまい、まだ翻訳を掲載していません。
何回か読みましたが、いつも、この詩は何だろうと思ってしまいます。
前のマリーンもそうでしが、叙情性は無いと言える詩だと思います。
叙情性が無くても、ヴィジョンがあれば良いのでしょうか。
マリーンには、構成の新奇さがありましたが、この詩はあるのでしょうか。
なぜ、この詩を書いたのかを考えてしまいます。
ところで、マリーンに戻りますが、
オーブさん自身はどのような光景をイメージされたのでしょうか。
また、私は画像の構成方法が気になって、
あまり印象的なヴィジョンには見えませんでした。
この点については、どうでしょうか。

■Fete d'hiverと Marine
オーブ at 12/1(木) 23:08:24 No.paroparo-20051201221738

パロさん、お久しぶりです。

年末なのでお忙しいのだろうと思っていました。
ここのBBSは私がころあいを見て書き込みますのでご心配なく^^

実は私もFete d'hiverの意味がよくわかりません。
なぜこの詩にこのタイトルが??
様々な時代と国が混ざっていますし、一切の無駄がありませんね。
Nymphes d'Horace coiffees au Premier Empire,
「第一帝政風の髪型をしたホラテウスのニンフたち」
何のつながりもありませんね。まるでデコパージュやパッチ・ワークのような組み合わせです。それにどんな髪型なのでしょう・・。

Marineのほうは、私は初め、ランボーそのものが船で航海しているのかと思っていたのですね、しかしここでの彼は「酔いどれ船」ではなく、
傍観者として海を見ているということで、観光客がビデオに海の映像を撮影したような感じをイメージしたのです。前にも書きましたが、この詩に動きがりますので写真や絵画ではなくビデオです。ちょっとテレビっぽいというかジャーナリストっぽいですね。
光景としては、個人的に私は「大洪水の後」を彷彿とさせるものがあるな~と感じました。すごくダイナミックな動きがある。ザバーザバーと波の音が聞こえてきそうです。そしてやはりここでも東のほうへ進んでいくのでオリエントに向かっているのかな~と。未知の国への旅立ちではないかと。
しかし、フランス人がイメージする「津波」は考えなかったですね。「防波堤」というのが出てきますので沖ではなく比較的浅いところで、「巨大なわだち」は浜にあるのでしょうか。
船が出港したところなのでしょうか、この光景が海のどこらへんなのかちょっとわかりませんでした。

パロさんが解説で「船団が海を耕していく、つまり海上交通・交易が世界の海を征服していくことを描いた詩だと思います」と書かれていてなるほどな~と思いました。
19世紀後半のイギリスでは盛んに行われていたのでしょうね。それまでは広大でミステリアスで人々の想像を掻き立てていた未知なる海が人間によって征服されようとしている、ランボーを初め、当時の人々にとってすごい脅威だったのでしょうね。

■>Marine
Parolemerde2001 at 12/2(金) 22:59:56 No.paroparo-20051202225757

船が進んだ後には、船体とスクリューによって引き波が作られます。
イメージしにくければ、モーターボートのビデオなどを思い出してください。
この引き波、つまり船の轍が、いく筋も描かれ、
時とともに防波堤のところまで広がって情景だと思います。
これは、港の防波堤内の情景だと思います。
複数の桟橋から、幾艘もの船がカーブしながら港を出て行く。
この詩が最初のロンドンへの航海を契機に書かれたと考える批評家もいます。
ヴェルギーを発つ時か、ロンドンに着く時か、私は後者と考えます。
もっとも、詩には、両方の体験がアレンジされていると思われます。

原文で最初にこの詩を読んだときに、
char には、戦車、戦闘馬車と言う意味があるので、
古代ローマの2輪の戦闘馬車を考えてみました。
この馬車と車つきの鋤から、外輪船を考えました。
外輪船の軍艦があれば、タイトルのマリーンとぴったりだと。
ところが、外輪船はエネルギー効率が悪く、
外輪を砲撃されやすく、軍艦としてはほとんど使われなかったのです。
水深が浅くても良いことと、その優雅な印象で、
ミシシッピ川などの川船としては使われ、親しまれてきた歴史があるそうです。

■海を耕す船
オーブ at 12/9(金) 15:23:30 No.paroparo-20051209150132

みなさん、こんにちは。
12月に入ってめっきり寒くなりましたね。
2005年もあと残りわずかとなりましたね。

パロさん、船が出てゆく情景の説明をありがとうございました。
そのおかげでイメージしやすかったです。
フランス人がどうしてこの詩を津波とイメージしたのかわかりませんね。
でも、人それぞれの感じ方があってそれもまた良いですね。

船は見ているのと、実際に乗っているのと全然感覚が違います。
船が海を渡る様子は優雅に見えますが、乗ってみると音もすごいですし、優雅というより
力強いです。下を見るとしぶきもすごいですよね。ずっと見ていると吸い込まれて落ちそうで怖かった記憶があります。揺れもけっこうありました。
当時、フランスからイギリス(または外国)に航海するときはどんな船が使われていたのでしょう。今で言う、フェリーのような船なのでしょうか。
今は貨物以外、船で行くことはほとんどないですものね・・。
パロさんがおっしゃる、「船団が海を耕していく」そういう力強さを感じます。

■黒い羽飾り
オーブ at 12/11(日) 19:00:27 No.paroparo-20051211183708
パロさん、みなさんこんばんは。

以前ここでも話題になった19世紀の明かりのことですが、ジャンコラのランボーの伝記を読み返していると、シャルルヴィルはパリより10年ほど遅れて、1843年からガス灯が町に整備されたとの記述がありました。個人宅ではどうだったのか気になるところですがそれに関しては何も書かれていませんでした。

それと、少し前にさかのぼりますが、Ornieresに羽飾りのついた棺が出てきましたね。
昨日、「ギャング・オブ・ニューヨーク」という映画を借りて見ていたら、黒い豪華な羽飾りのついた霊柩車(棺ではありませんでしたが)が出てきて、この詩のことを思い出しました。この映画の舞台はタイトルの通り、ニューヨークでフランスではありませんが、西洋の習慣としてあったのかもしれませんね。ちなみこの映画の中でアイルランド出身の選挙候補者のお葬式のシーンでヨーロッパのある程度盛大なお葬式の飾りとして使われていたのかな、とも思いました。黒い羽飾りが霊柩車の4角に飾られていました。
フランスでは、当時、軍の帽子であるカスクなどに羽飾りがついていますよね。ケピやシャコとも言います。羽飾りは何か名誉なことの表れかもしれません。時間があれば調べてみたいと思います。

■>黒い羽飾り
Parolemerde2001 at 12/12(月) 10:14:51 No.paroparo-20051212101138

オーブさん、みなさん、こんにちは。

そう言えば、馬車に羽飾りの付いているのは、見覚えがあります。
そうですね、喪の場合は、黒の羽飾りだったのでしょう。
棺については、思い当たりません。
ランボーがイメージしたのか、あるいは実際にあったのか。
でも、イメージとしては、理解できますね。

■>海を耕す船
Parolemerde2001 at 12/12(月) 22:14:24 No.paroparo-20051212220205

オーブさん、こんばんは。
実際に船に乗って海を航海した時に、甲板から見た船の進行を描いたのが、
「運動 Mouvement 」ですね。
この詩で読む限り、船は外輪船ではなくスクリューのようです。

1896年頃のロンドンの西インド会社のドックの写真を見ましたが、
結構、帆船が写っています。つまり、帆と動力を両方使用していたわけです。
子供時に「ドリトル(ドゥーリトル)先生」を読みましたが、
そこにも、速度を上げるために帆と蒸気機関を併用し、
煙で白帆が汚れるシーンがありました。
ただ、これは奴隷船の追跡シーンなので、一般的には同時使用でなかったかも知れません。
詳しくは船の歴史を調べてみないと判りません。

■ランボーの伝記
オーブ at 12/20(火) 14:44:21 No.paroparo-20051220135331

こんにちは。
毎日寒い日が続いていますね。12月がこんなに寒いのは久しぶりではないでしょうか・・。私が子供のころは大阪でも12月に雪が降ることが珍しくなかったですが最近は暖冬でしたのですっかりその温かさに慣れてしまってけっこうきついです><
みなさまは大丈夫でしょうか。どうか風邪には気をつけてくださいね。

パロさん、当時の船の様子のご説明をありがとうございます。
その時代の映画で見ると、かなり大きいようなかんじがしますがはっきりとは
写ってないことが多いのでよくわかりませんでした。
動力としたは帆と蒸気を使用していたと考えられるのですね。
20世紀に入ってからのタイタニックでも労働者が船底で石炭をくべていましたがもう帆は使っていなかったような気がします。それが進歩だったのかも。それでも大変な仕事でしたね。

今、ジャンコラ氏のランボーの伝記を読み返しています。
学者肌の独特の言い回しが多いせいかなかなか進みません。(学問としてフランス語を学んでいない私にはきついです+_+)
mariいわく、教科書とか百科事典の書き方なのでフランス人でも集中して読まないと
わからなくなることが多いと言っていました。
そこで、フランスの学校ではわからない文が出てくると、その部分を抜き出して書いてゆっくり考えるように教えているようです。なので私もそのようにやっています(^^;)
そのせいでなかなか進みません。
こういう文章は普段、使うことはありませんが慣れておくと役にたつかもしれません。

物語的にも暗いので読むのがつらいですね。アルチュールが生まれる前から、子供のころのいろいろな家庭の事情、特に母ヴィタリーのキュイフ方は問題のある人物が多く、彼女もそのトラブルにずいぶん悩ませれたようです。ランボー大佐もかなり変わり者ですし、その他にも小さな妹の死や、おじいさん(ヴィタリーの父)の死など哀しい出来事もたくさんで、アルチュールがすごく不安定な家庭で育ったことが改めてわかりました。

一時お金がなくなったヴィタリーはフレデリックとアルチュールを連れて安いアパルトマンへと引っ越します。悪臭が漂い、壁紙はぼろぼろのごろつきのすみかで、昼間から酔っ払って騒いでいるような人物が住んでいました。なのでヴィタリーは子どもたちに住人たちとの一切のかかわりを禁じ、自らも誰とも口をきかない閉鎖的な生活を送っていました。アルチュールはこっそりカーテンの陰から外を眺めることが楽しみでした。仕事へ出かける労働者や、酔っ払いなど自分の人生に疑問をもたずにただ毎日を生きている人々の姿をじっと眺めていました。そして兄のフレデリックはアルチュールの全世界で、兄の中に自分のすべてがありました。まるで鏡のような双子のような兄弟でした。

イリュミナシオンにもよくでてくる町の人々への鋭い観察力や描写は小さいときから培われたものだったのですね。

また伝記のなかで何か印象的なことがあったら書き込みます。

■>ランボーの伝記 引用
Parolemerde2001 at 12/21(水) 22:39:40 No.paroparo-20051221223815

オーブさん、こんばんは。

「冬の祭」を訳そうと思っていたのですが、どうも時間ができません。
書込み、ありがとうございます。ジャンコラ氏の伝記は詩を書きだす手前で止まっています。
ランボーの幼年時代についても詳しく書いてありますね。
ただ、けっこう難しい言葉が多く、辞書を引く余裕があるときでないと進みません。
幼児の時に釘を作っている村の家に預けられたことが書いてありました。
「草原を登っていくと鶏も鳴かず、鉄床も鳴らぬ部落へ。
水門は開けてある。おお、十字架の立つ丘と荒野の風車、島々と干草の山々。」(少年時代)
これって何でしょうね。無意識の記憶が幾分なりとも反映しているのでしょうか。

■ランボーの幼年時代
オーブ at 12/21(水) 23:41:29 No.paroparo-20051221230517

パロさんこんばんは。

「冬の祭り」ゆっくり訳してください。楽しみにしています(^^)
私はランボーの伝記と格闘中なので翻訳のほうが進んでいません・・。
ゆっくり末永くいきたいのでどうぞよろしくお願いします。

>幼児の時に釘を作っている村の家に預けられたことが書いてありました。

そうでしたね。アルデンヌの土地で仕事を始めたヴィタリーは生後2ヶ月に満たない
赤ん坊のアルチュールをシャルルヴィルから12キロ離れた村の家に預けています。
真冬の中、馬車に乗っての長旅・・。今だと考えられませんね。赤ん坊を乳母の家に預けるのは当時のブルジョアの習慣だったそうです。ヴィタリーは赤ん坊との別れがとてもつらかったが、アルチュールにとってはそのほうが良いと考えていたようです。余談ですが、下の妹はこれが原因で?死んだかどうかわかりませんが、ヴィタリーはものすごいショックを受けたようで、次の妹(ヴィタリー)のときは乳母に家に世話に来させるようにしたそうです。そのほうが安心ですね・・。
本当かどうか定かではありませんが、伝説として、ヴィタリーがふいに乳母宅を訪れたとき、アルチュールに着せてた服を、その家の赤ん坊が着ていて、アルチュールはほとんど裸で寝ていたと書かれていました。なんだか怖いですよね、信頼できないというか。
(私の義母が乳母になるのに、今は資格がいるけど昔はいらなかったと言っていたことがありました。)アルチュールが預けられていた村は女性の仕事のひとつとして乳母があったと伝記に書かれていました。

>「草原を登っていくと鶏も鳴かず、鉄床も鳴らぬ部落へ。
水門は開けてある。おお、十字架の立つ丘と荒野の風車、島々と干草の山々。」(少年時代)
これって何でしょうね。無意識の記憶が幾分なりとも反映しているのでしょうか。

それはあると思いますよ!さっきの例の村は人々のイマジネーションを掻き立てる幻想的な風景をしていたのだそうです。沼があって霧が立ち込め、魔女や悪魔、妖精などが朝一の雄鶏が鳴くまで踊っていたとかなんとか・・そんな伝説や御伽噺があったのだそうです。まさか生後2ヶ月に満たないアルチュールがそんな光景を覚えていたとは思えませんがその後行ったことがあったのかもしれません。
遠い子供の頃の記憶ではないでしょうか。

■そゞろあるき
Parolemerde2001 at 12/23(金) 14:31:05 No.paroparo-20051223143048

オーブさん、こんにちは。

ちょっと一息です…。
文字化けしないようにMSNフランスにもメアドを持っています。
フランスからのメールはこちらに転送すると読めるようになります。
ランボー生誕150周年が終わりだいぶ経ち、
ランボーに関するメールは全くなくなりました。
12月7日のフランスMSNからのお知らせメールは次の出だしでした。
Deja l'automne.... c'est le moment de faire .... !でした。
もう冬なのに…?
ランボーの「永別」の冒頭は逆になっていますね。
どっちが日常的には普通なのでしょう? 時代でも違うかも…
それにしても、8月の日付ですよね、「地獄での一季節」。

フランス詩トピに自称「嵐」さんが「そゞろあるき」について書いていました。
この詩が印象に残っている方も多いのですね。
フランスの場合はどうなのでしょう。やはり「谷間に眠る人」でしょうか。
マラルメトピには、小林秀雄の好きな方が書き込みをされました。
オーブさんは、小林秀雄のランボオ論を読まれましたか。
私は、すでにフランス語で読んでから、参考として読みました。

ジャンコラ氏のランボーの伝記は、マラルメの「花々」を読んだところまで、
辞書を引かずには飛ばし読みしましたが、難しくて解らないですね。
それでは、また。

■「そゞろあるき」あれこれ
オーブ at 12/25(日) 15:44:02 No.paroparo-20051225150140

パロさん、「そゞろあるき」の紹介ありがとうございました。
さっそくフランス詩とぴを拝読しました。
タイトルを「そゞろあるき」と訳したのは永井荷風だけだったのでしょうか?パロさん、ご存じないですか?
もしそうなら私が高校で読んだのも間違いなくこの詩だと思いますが、なぜか全然覚えてないんです。「あれ?こんなんだったかな」と。
それには自分でも驚いています。ランボーとの出会いの詩なのでもう少し覚えていてもよさそうなものなのに。もしかすると、後々読んだ「感覚」とごっちゃになっているのかも。
それに、教科書では「アルテユウル・ランボオ」ではなく、「アルチュール・ランボー」、「そゞろあるき」ではなく「そぞろあるき」だったと記憶していますが、教科書用に現代風に変えられたのかもしれません。
後、作者紹介でランボーの紹介がポートレートとともに載っていたのは記憶にあるのですが、翻訳者の紹介はまったく記憶にないんです。これだけ有名な作家なら、きっと載ってたとは思うのですが。私が若かったせいで翻訳者のことは無視してしまったのかもしれませんが。
しかし、古い日本語なのにやっぱりさわやかさというか、すがすがしさが伝わってくるのは、翻訳のすばらしさのおかげでしょうか。それとも原文の強烈なインパクトか・・。
永井荷風の時代にフランス語を訳すのは大変なことだったでしょうね。今でも大変なのに。

日本ではこの詩が一番有名なのですか?確かにランボーって何が有名なんだろうと思うことがあります。日本でヴェルレーヌは「枯葉」とか「秋のうた」が一般的に知られていると思うのですが。
フランスではどうなんでしょう・・。機会があったら聞いてみたいです。でもランボーってユゴー、ヴェルレーヌ、ボードレールなどに比べるとマイナーかなと思います。詩が難しいせいだと思います。ボードレールは「あほうどり」が有名みたいです。たいていの人が知っていて、暗誦できる人に会ったこともあります。なぜランボーは日本でも成功を収めたのでしょうね。たくさんの翻訳があることがすごいです。

mariの友達はあまりランボーが好きではないと言っていたことがあります。
なぜかというと人生が寂しいから、と。
詩を読んでいると暗くなっちゃうんでしょうかね・・。
mariもランボーの詩は孤独で哀しいのが多い印象があると言っていました。
みんなでつるむのが好きなフランス人なので、一匹狼のようなランボーってフランス人っぽくないのかも。

■ブーシェ
Parolemerde2001 at 12/28(水) 18:57:39 No.paroparo-20051228185528

オーブさん、こんばんは。
年末進行の中休みです。

ヤフー、エドガー・アラン・ポートピの方が、
「冬の祭」に出てくるブーシェを紹介していますので、
ご参考までにお知らせしておきます。
ブーシェの有名な絵も紹介されています。
http://www.artrenewal.org/asp/database/image.asp?id=2952

「サンサシォン」は、いわゆる「感覚」ではなく、
感覚器官によって引き起こされる感覚という意味ですね。
堀口大學は「感蝕」と訳しました。
この詩については、また今度触れてみたいと思います。
確かに、日本でファンの多い詩だとは思いますが、
ランボーの代表的な詩として捉えられているのは、
単独ではですが、「永遠」とか「幸福」では無いでしょうか。
私も調べていないので、実際のところはよく分かりません。

■アルチュールあれこれ
オーブ at 12/29(木) 14:41:28 No.paroparo-20051229135630

パロさん、こんにちは。
お急がしい中、レスありがとうございます。
まずはパロさんの前のご質問、まだ答えてませんでした(^^;)

私も会話ではDeja l'automneを使うと思うのですが。l'automne dejaは詩的というか哲学的な表現のように思います。どちらかといえば日本語的なのでは。
記憶があやふやなのですが、映画スター・ウォーズでcomment faire je dois...?(どうすればよいのだ、私は)というような表現があったと思うのですが普通の会話では逆ですね。師匠というか賢者が使っていましたので高尚またはちょっと気取った言い方のような感じがします。ジョージ・ルーカスは黒澤明の映画にすごく影響を受けたようなのでこういう使い方も侍の哲学からインスピレーションを受けたのかな、と。(これは勝手な私の推測なのですが)

私は小林秀雄論は読んだことがありません。
実は彼の翻訳もまだなんです。
この前、やっと宇佐美斉氏の訳を買ってよんだところです。
読者の評によると、小林秀雄訳のランボーは力強くてこれは小林自身であり、
宇佐美訳のほうがランボー自身に近いというようなことが書かれてありました。
機会があったら私も小林秀雄訳を読んでみたいです。

余談ですが、ジャンコラ氏がアルチュールと母親の関係をつづった本を出しましたね。
そちらのほうも読んでみたいです。でも、ちょっと値段が高かったような。
従来の研究ではヴィタリーはかなり悪い妻であり母親として捉えられていたように感じるのですがパロさんはどう思われますか?
そんなにたくさん読んだわけではないのですが、ヴィタリーの兄弟や夫、息子の放浪癖はこの威圧的な女性の性格のせいだとかなんとか・・。
ジャンコラ氏のランボーの伝記ではヴィタリーに同情的に書かれている印象を受けました。こんな無責任で放浪癖のある夫を持ったら妻の性格も硬くなっていくのは当たり前でしょう、というような。気が向いたときにふらりと帰ってきて、またふらりと出て行くランボー大佐は、静かな家庭のリズムを乱し混乱に陥れる存在として書かれていました。
母親のかすかな笑みのあとやってくる母の涙をみて父の気まぐれな帰還はアルチュールにもあまりいい影響を与えていなかったようです。

またもや伝記のほう、読み進んでいません><
来年の課題になりそうです・・。

ではまた。

■>「そゞろあるき」
Parolemerde2001 at 12/30(金) 10:29:53 No.paroparo-20051230102344

Sensation の1義は:
Impression percue directement par les organes des sens.
第2義としては、emotion を同意語としてあげています。
今年秋ですが、france2 のインターネットテレビのアウトドアスポーツ紹介シーンでも
sensation という言葉が使われていました。
「そゞろあるき」の詩では、麦の穂に刺されるチクチクとしたサンサシォンが、
「麦の香に酔ひ」と意訳されています。
でも、そのことが日本の読者には受取りやすい訳になったのかも知れません。
しかし、この部分がランボーの詩としての新しさだったと思います。
堀口大學はタイトルを「感蝕」と訳していますね。

私は、このランボーの詩と同時に、
たとえば、モネの描いた妻カミーユが日傘を持って、
太陽の光とそよ風に吹かれている絵画、1875年の「散歩」を思いだします。
体感の解放とそれを描くことが、時代の表現だったのではと考えています。

ランボーの詩でも、特に初期詩編、さらにその前半部分は、
さまざまな詩人、文学の流れを意識して書かれています。
この Sensation の詩の引用元についてもテキストのノートにあります。
その中で、ランボーの表現を見ることが正確な読みだと思いますが、
背景のフランス詩を広く識らないので難しいです。

■よいお年を…
Parolemerde2001 at 12/31(土) 10:40:23 No.paroparo-20051231102828

オーブさん、こんにちは。

ヴィタリーについては、ジャンコラ氏の意見は比較的妥当ではないかと思います。
キュイフ家の問題は、ヴィタリー以前からですし、
もし、ランボーが詩人ランボーでなければ、田舎の頑固で信心深い、そして不運な女性でしょう。

今、ヨーロッパも寒波ですね。
france2 のインターネットテレビの気象情報で、
寒い、ひどく寒いの色分け地図を見ましたが、
北東フランスの中では、ランボーの故郷のアルデンヌだけがひどく寒いでした。
フランス革命からの宗教・経済などを学問的に扱った本でも、
(タイトルは忘れました、調べないと分かりません)
北東フランスの中で、アルデンヌだけ他の県よりもキリスト教がやや強かったようです。

小林秀雄のランボー論は、ラコストの説以前に手がけられたものです。
機会があれば、さまざまな人の翻訳、ランボー論についても、
考えてみたいですね。

それでは、来年もよろしく。

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