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ランボー イリュミナスィオン

(Fragments sans Titre)

(フレーズ(無題))

 7月の曇った午前。灰の臭いが舞う、 ― 暖炉の中で燻っている木の臭い、 ― 水に漬かった花々、 ― 踏み荒らされた遊歩道、 ― 野原を通る運河の霧雨、 ― おもちゃも香も、どうしてもう無いのか?

* * *

 鐘楼から鐘楼へと綱を、窓から窓へと花輪を、星から星へと金の鎖を、ぼくは張り巡らした、さあ、ぼくは踊る。

* * *

 高い池からは、絶え間なく霧が立ちのぼる。白い夕日を背に、どんな魔女が立ち上がるのか? スミレ色のどんな葉むらが降りてくるのか?

* * *

 公債が友愛の祭に流れ出る間に、雲の中ではバラ色の火の鐘が鳴る。

* * *

 墨の心地よい匂いを強めながら、黒い粉がぼくの夜の上に静かに舞い降りる。 ― ぼくはシャンデリアの灯りを弱め、ベッドに身を投げ出し、影の側に寝返りをうつと、君たちが見える、ぼくの娘たちが! ぼくの王妃たちが!

フランス語テキスト

翻訳掲載:2002年4月26日


花火

 この詩は無題です。「フレーズ」とのスタイルの類似から、(フレーズ(無題))というタイトルにしました。5つの断章、5つの断片、断片 無題、などのタイトルも付けられています。
 この詩が書かれたのは、少なくとも書いている情景は、7月の祭の日であることが分かります。「バラ色の火の鐘」は花火のことと取れますから、7月14日とする説もあります。7月14日が革命記念日に制定されたのは1880年であり、それ以前にどの程度の祝祭が行われたのかは分かりません。1874年7月は、ランボーはロンドンに滞在していたので、この詩の書かれたのは72年あるいは73年となります。73年とすると、ブリュッセル事件直後となり、この詩の内容とは合わないように思えます。72年のベルギーの祭という説の方が、霧の田園風景と合っていると思われます。また、「シャンデリア(吊り燭台) lustre 」という言葉からもブリュッセルのホテルに滞在していたときと思われます。
 1872年7月に、この詩が書かれたとすると、前の「フレーズ」とほぼ同じ時期に書かれたことになります。後にランボーは、「地獄での一季節」の「錯乱 I」でヴェルレーヌのことを、「錯乱 II」で自身の詩作のことをテーマとしますが、このふたつの「フレーズ」も同じように構成されていたのかも知れません。この詩は、「イリュミナスィオン」中では、子供っぽさ、少年ぽさを感じさせる詩です。しかし、前の「フレーズ」も、別な子供っぽい愛欲の世界をテーマとしています。この2篇の詩は、ヴェルレーヌの影響下に書かれた「後期韻文詩編」から「イリュミナスィオン」へ移行する時期に書かれた詩と私は考えています。
 この詩は、午前で始まり、夜(夜中)で終わっています。
 第1節は、7月のある午前の情景です。朝まで強い雨が降り、祭のために花で飾られた道は水浸しになりました。午前中は、ときおり霧雨が降り、夏なのに肌寒い日でした。ホテルの部屋の暖炉に急いで薪をくべました。霧の多い故郷シャルルヴィルの冬を思い出します。「おもちゃ(複数)」は子供言葉の joujoux (ジュジュ)が使われています。
 「灰の臭い」と訳しましたが、原文では味覚にあたる gout が使われています。食べ物の香りという意味から、ここでは「臭い」と訳しました。最後の第5節の「匂い」という言葉も同じです。お昼頃には燻っていた暖炉が、夜には心地よく燃えているのでしょう。臭覚(味覚)がイメージのきっかけになっています。「暖炉」は(暖炉の)炉床の意味の atre 、「燻(くすぶ)っている」は汗をかいているの意味の suant が用いられていますが、情景を取りやすくするために上のように訳しました。
 第2節は、子供時代のクリスマスの飾りつけからの夢想でしょう。
 第3節は、「イリュミナスィオン」中の「大洪水の後」「少年時代 III」との類似が指摘される節です。「高い haut 」は深いという意味に取ることもできます。また、この池を空と解釈する人もいます。私は、高原などの池、小さな湖と思います。気温が急に下がると水温の方が高くなり、水面から湯気が立ち上ります。その情景と考えています。「魔女」は「大洪水の後」にも出演しています。「若葉の林」と訳した frondaisons は、若葉が出ること、その時期を意味します。イメージが取りにくいので「若葉の林」と訳しました。「大洪水の後」の「芽吹いたすみれ色の森」と同じイメージと考えられます。 この「(フレーズ(無題))」と「大洪水の後」は比較的近い時期に書かれた詩ではないでしょうか。また、この節の描写は、「少年時代 III」の「降りる大聖堂と昇る湖がある。」と類似しています。
 第4節は、窓から見た祭の眺めでしょう。花火が曇り空の霧の中にバラ色の閃光とともに鳴っています。「友愛の祭り」は、やはり革命記念日の祭典を連想させますが、これは、ランボーの想像かも知れません。
 第5節は、夜になってベッドに横たわっているランボーが描かれています。「シャンデリア」といっても、ホテルのちょっとした「吊り燭台」なのでしょう。ランボーは壁の方に向いて、少年時代(シャルルヴィルでの子供時代)の夢想に戻っています。しかし、後期韻文詩編の「黄金時代」とは違って、シスター(妹、修道女)は出てこず、王女と娘が出てきます。
 もし、この「(フレーズ(無題))」が前の「フレーズ」と対となって書かれたものであるとすれば、ヴェルレーヌの子供っぽい愛欲の世界とランボーの子供の夢想の世界が対比された構成となっています。ランボーは、後期韻文詩編の世界から、つまりヴェルレーヌ的な詩の世界から別れはじめているとも読めるでしょう。

解読掲載:2002年4月26日、2008年10月30日更新

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