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マラルメ

Les fleurs

花々

 ランボーはドラエーに現代高踏派詩集(パルナス・コンタンポラン)でマラルメの「花々」などを読んだと語ったと、C.ジャンコラの伝記に書かれています。ジャンコラは「海の微風 Brise marin 」も読んだのではないかと推測しています。
 このマラルメの詩、「花々 Les fleurs」には定冠詞が付いています。とは言え、マラルメには、定冠詞の付いた名詞がタイトルの詩はたくさんあります。ランボーでは、初期詩編には定冠詞の付いた名詞がタイトルの詩はたくさんありますが、「イリュミナスィオン」では、定冠詞の付いた名詞がタイトルの詩は「橋 Les Ponts」ただひとつです。
 Yahoo「マラルメ」トピで取り上げて翻訳したこの詩は多面的に読むことができると考え、トピ主の三さん(ペンネーム:西東 和久(ニシヒガシ カズヒサ)さん)と私の翻訳を掲載します。


      花々
          ステファン・マラルメ/西東 和久訳

古の蒼天の黄金の雪崩から、そして星星の不滅の雪から
まだなお若く天災に犯されていなかったこの大地に向けて
昔あなたは天地創造の第一日目に
貴い花の聖杯の数々を解き放った

ほっそりした首の白鳥を伴う赤いグラジオラス
そして、この追放された精神、崇高な月桂樹
熾天使の清らかな素足の親指のごとく
踏みつけられた曙の恥辱が赤く染まるごとく深紅な。

ヒアシンス、素晴らしい光輝に照らし出されたミルト
そして、女の生身にも似て残忍な薔薇は
光あふれる庭園に咲くエロディヤード
野生の輝いた血で濡らす女

そこで、あなたは創出した。すすり泣く百合の白い色
それは溜息の大海原をかすめ過ぎるように彷徨い
遠くかすみ、水平線の青く香り立つのを過ぎて
涙する月を目差して夢見るように昇って行く

楽器から漂い、吊り香炉から讃歌が聞こえ
ここ、地獄の辺境に開かれた聖母の庭園を称えている!
そして、そのこだまが天空の夕べに尽きるまで昇らせたい
すると、皆の眼差しを恍惚とさせ聖母の頭上に輪光が煌めく!

このようにして、人生に疲れ青白くしおれた詩人のために
未来の詩の小さなガラス瓶に釣合うように
ああ、聖母よ あなたは香りたつ死を伴う大いなる花々で
正しくも強いご自身の胎内に数々の花の聖杯を造られた

 

      花々
          ステファン・マラルメ/Parolemerde2001訳

いにしえの青空の金色の雪崩から、
初めの日に、また星々の永遠の雪から
かってあなたは大きな聖杯を解き放った
若く、災いに汚されていない大地のために、

細い首の白鳥たちに囲まれた、黄色いグラジオラス、
そして、踏みつけられた暁の恥じらいが赤く染める
熾天使の清純な足指のように真っ赤な
追放された魂たちのこの神々しい月桂樹

ヒヤシンス、愛らしくきらめくギンバイカ
そして、女の肉体によく似た、残忍なバラ
凶暴に輝く血が流れるこの花は、
明るい庭に咲きほこるエロディアード!

それから、あなたは百合の花のすすり泣く白さを作られた
白くかすめる溜息の海原の上を転がりながら
青ざめた水平線の青い香りを横切り
泣いている月に向かって夢見るように昇って行く!

シターンの上に、吊り香炉の中に、栄光あれ、
「聖なる女性」よ、我らの古聖所の庭に、栄光あれ!
そして、ついには天上の夕べの木霊になれ、
眼差しの恍惚よ、後光のきらめきよ!

おお、「母」よ、あなたは正しく強い胸に、
人生に青ざめ疲れたあの詩人のために、
苦痛を癒す「死」を持つ大きな花々の、
未来の小ビンを揺らす聖杯を作られた。

翻訳:2004, 西東 和久、Parolemerde2001


固有名詞等の言葉の説明
エロディアード(ヘロディアード):聖書に出てくるユダヤのエロデ(ヘロデ)王の妻です。ヘロデ王が想いを寄せる妻の娘が、絵画や歌劇で有名なサロメです。
シターン:撥弦楽器、以下のサイトを参照してください。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Cistre
栄光あれ Hosannah:元々はユダヤの神への賛美の言葉から来ています。通常は Hosanna ですが、マラルメは英語で時に使われる Hosannah と書いています。
聖なる女性:原詩では Notre Dame と書かれています。Notre-Dame は聖マリアですが、なぜかハイフンがありません。マラルメが二重の意味を付与したと読みました。
古聖所:元のフランス語 limbes は、しばし冥府と訳されますが、神学用語では「古聖所」と訳され、地獄の辺境とされます。旧約時代の善人がキリストの降誕まで留まるとされる場所(ロワイヤル仏和中辞典)のことです。

   「心とか修道女(シスター)とか呼ばれる残忍な花々」(ランボー)

 この「花々」の詩は、概念的世界、つまり創造主の天地創造の世界を展開しながら、裏面ではマラルメの個人的な世界を展開した詩ではないかと思います。概念的な世界は三さんの「花花」の訳であり、私的な世界は私の「花々」の訳のように思えます。この詩は、メビウスの輪であり、その表面と裏面に絵が相互に入れ替わっていくように見えます。

 創造主にはなぜか親しい二人称 TU が使われています。そして、創造主はマラルメが5歳の時に死んだ「母」でもあります。「母」がマラルメという生命を創造しなければ、マラルメにとっての「世界」は存在しなかったのですから。さらにマラルメは成人するまでに、妹の死と恋人の死を体験しています。父はマラルメが6歳の時に19歳の女性と再婚しましたが、義母をマラルメが「母」と認めたのは17歳の時といわれます。こうしたマラルメをめぐる個人的な女性たちが、「花々」つまり定冠詞の付いた「あの花々」となってこの詩に散りばめられていると思います。
マラルメの意識の中、つまり詩の中にしか存在しない「母」は、虚無と死の慰めを秘めた小ビンをやさしく揺すって(balancer)います。それは、実人生と死の天秤(balance)としてマラルメの中で揺れていたように思えます。
なお、現代高踏派詩集(1866)では、「聖母 Dame」「母 Mere」には、創造主である神の意味を持つ「父 Pere」が使われていました。ポショテク版の注によりますと、1887年より母性 Dame, Mere に替わりました。

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