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秋の歌
秋の歌 (「土星びとの詩」より)/ポール・ヴェルレーヌ
秋風に
ヴァイオリンは
すすり泣き
もの憂い調べが
私の心を
かきむしる。
すべては苦しく
青ざめ、時の鐘の
鳴り響くとき、
昔の日々を
思い出し
涙を流す。
そして私は
枯れ葉のように
あちこちに
意地悪い風に
もてあそばれて
去って行く。
これは、上田敏の名訳で有名なヴェルレーヌの詩「秋の歌Chanson d'automne」を、私なりに翻訳したものです。「歌」をシャンソン(小唄
Chanson )としたのは、尊敬するボードレールの「秋の歌 Chant d'automne」を意識して遠慮したのでしょうか。1866年にヴェルレーヌの処女詩集として出版された「土星びとの詩Poemes
saturniens」の「悲しい景色Paysages tristes」に収められています。この詩集が出版されたとき、ヴェルレーヌは22歳。ランボーとは、また違う早熟な詩人であったことが分かります。詩集の「土星びと」は「saturniens」で、不吉な運命の星の下に生まれた者(複数)という意味です。ヴェルレーヌは、尊敬するボードレールの「新悪の華」に影響を受け、この言葉を詩集のタイトルに採用したと言われます。
ヴェルレーヌが、この詩で歌ったものを見る前に、原詩を直訳的に訳してみた場合を以下に示します。
秋の
ヴァイオリン(複数)の
長いすすり泣きは
単調な
物憂さで
私の心を傷つける。
息苦しく青ざめた
すべて、時を告げる
音の鳴るとき、
私は昔の日々を
思い出し
そして私は泣く。
そして私は去って行く
意地悪い風に
運ばれて
こちらに、あちらに、
枯れ葉の
ように。
この詩の翻訳で一番問題になるのは、野内良三氏の指摘通り(注1)「秋のヴァイオリン」だと思われます。上田敏の訳では「秋の日のヴィオロン(注2)」ですが、窪田般彌の訳では「秋風の…」となっています。私も、上田敏の訳をフランス語の原詩より先に読んでいたので、ヴァイオリンの音がものさびしく聞こえてくる情景と思っていました。しかし、ヴァイオリンが複数なので、これは実際のヴァイオリンよりも、第3節に書かれているように、風が舞っている情景で、風の音ととる方が自然に思えてきました。無理にイメージを関連付ける必要はないと思いますが、「ヴァイオリン」には窓の格子という意味もあります。弦のイメージなのでしょう。原詩では「長いすすり泣き」は「les
sanglots longs」で、発音は「レサングロロン」、この「長い(ロン)」は次の「ヴィオロン」と韻を踏むために使われていると判断し、私の訳では(短いすすり泣きはイメージされませんから)省略しました。
秋風が吹きすさぶ町角で、ひとりたたずむ詩人。そのとき、突然、教会の鐘の音が聞こえてくる。鐘の音は、昔の晴れやかな時を思い出させる。だが、その時は、もう帰ってこない。鐘の音が消えて、また風の音しか聞こえなくなる。詩人は思い出から、あてもなく去らなければならない。
「去っていく」には「s'en aller」が使われています。なお、「枯れ葉」のフランス語「feuille
morte」は、「死んだ葉」という意味です。
この「土星びとの詩」は、ヴェルレーヌの年上の従妹であり、最初の恋人と言われるエリザ・デュジャルダン(旧姓モンコンブル)との秘められた恋の思い出が隠されたテーマとされています。この詩集の出版費用は彼女が出しました。そして、出版の翌年に、彼女は死去しました。ヴェルレーヌは、しばしば性格的な弱さを指摘されますが、「枯れ葉」とは異なり、実際は生命力の強い詩人だったように思えます。
注1) 「ヴェルレーヌ■人と思想(2)」/野内良三著/CenturyBooks/清水書院
注2) 詩集「海潮音」に「落葉(らくえふ)」というタイトルで掲載されました。「ヴィオロン」の「ヴィ」はヰに濁点と思われます(復刻版で見るには小さめの井に濁点がついています)。
2001年9月15日
門司邦雄
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