
ランボー イリュミナスィオンに寄せられた
メールと返信のご紹介
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●ランボーBBSに参加の酩酊さんから、 1914年(大正3年)ランボー没後23年にして極東の一青年により「酔いどれ船」は日本語に翻訳されました。 アルテユウル・ラムボオ著、柳澤健訳 醉ひどれの舟 浩蕩たる『大河』をば自分が下つた時、もはや船 普羅曼麥(フラマンむぎ)と英吉利斯綿(イギリスわた)との所持者たる自分は、全 あくる冬、海洋の激亂のなかへと、小兒の頭蓋よ 嵐は、わが海上の警戒をば役立たせた。自分は、 小兒にとりて辛酸なる林檎の肉よりも更に柔らか さてその時よりぞ、自分は、星辰の入り亂れたる その緑なる蒼穹は、瞬時にして、白昼の紅輝のも 自分は、光に裂けた空、龍巻、反瀾、水流を知る 自分は、神秘なる恐怖に汚されたる低い太陽が 自分は、物静かに海洋の眼へとのぼりくる接吻、 自分は、まるで一箇月といふもの、非斯的里(ヒステリ)な牡 ああ、自分は衝突させてしまつた。海洋の水平線 自分は巨大の陥穽なる沼澤が醗酵するのを見た。 堆氷、銀の太陽、螺鈿(らてん)の波、木炭の空、暗褐色の 自分は、子供に、緑色の波の間のを扁魚(さがみうを)をば見せて 折々、地極と地帯との疲れし殉死者なる海洋は、 半島は、わが船側にむかつて、明暗色の眼を持ち しかして、鳥も無き雰囲氣のなかへと颶風により 菫色(すみれいろ)の霧より、放れた、躍起し、上騰して、自分 『七月』が、熱き漏斗のごとき海上の空をば、大杖を 自分は、Behemots (ベエモオ)と厚き Maestoroms(メエストロホム)の春情期を、遥(はる)か 自分は、星の群島と、狂亂せる空が漕手の上に擴 さはれ、げに、自分は余り涙を落しすぎた。曙は 自分にして、若し欧羅巴(ヨオロツパ)の水を望むとせよ。そは ああ、怒涛よ。汝の苦悩に水浴(みづあ)みて、自分はもは ―大正二年十二月譯― 東雲堂書店版『詩集 果樹園』1914−12−20 |
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●フランス近代詩の日本への紹介 大学内部での授業とかのレベルでは、解らないのですが、 「海潮音」は上田敏氏(明治7年−大正5年)の翻訳で、 「海潮音」に、ランボーの詩が含まれているかとの質問がありました。 |
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●ランボーの翻訳出版物 私も、現在、販売されているランボーの翻訳に関しては詳しくありません。絶版なども多いそうです。図書館、古本屋、インターネット(アマゾンなどの書店や、古書を扱っている書店のサイト)で調べるのが良いと思います。)翻訳には、翻訳家の個性とともに、その時代の思想が紛れ込んでしまいます。また、解りやすい翻訳というのも、詩の中に何を見出すか、見出そうとしているかで、変わってくるでしょうし、解りやすい翻訳が、感動的な翻訳であるともいえないでしょう。私自身は、出来る限り翻訳者が見えない翻訳を目指しいています。 古典的な翻訳としては、 全集としては、 より新しい翻訳としては、清岡卓行、粟津則夫、篠沢秀夫(地獄での一季節)、鈴村和成(イリュミナシオン)など、多数の方が訳されています。篠原義近の解読つきの翻訳もあります。 この他、文学全集、アンソロジーとしてまとめられた詩集の中の翻訳など、さまざまな翻訳があります。また、伝記や研究書もたくさん出ていますが、長くなるので割愛します。 たとえば、堀口大學氏の訳は、意訳が多くユニークだと思います。私にはある程度以上解らないのですが、古い仏和辞書は、当然、英和よりも語彙が少なく、翻訳には、かなりの苦労を要したと思われます。日本でのフランス、フランス文学に対する理解も一般的ではなかったので、かなり意訳しているところもあります。例えば、有名な O saisons, o chateaux (アクサン省略)を、直訳すれば、「おお、季節(複数)、おお、城館(複数)」となるでしょう。chateaux は、最近修復が決まったヴェルサイユ殿もシャトーですから、いわゆるドイツに多い山城や、日本の天守閣のある城のイメージではないでしょう。堀口氏は、「おお、歳月よ、あこがれよ、」と訳しています。今では、セゾンもシャトーもカタカナでも通じますが、当時、煩雑な注を付けるよりも、この方が読者に伝わると思ったのでしょう。ですから、新しい翻訳と対比して読んでみるのもおもしろいかも知れません。また、このシャトーはシャルルヴィルの売春街の通りの名前という説もあります。確かにシャトー風のラブホは今の日本にもたくさんあります。こういう説を、全く下らないと取り下げるのも、ランボーの手紙などから考えると、決め付けすぎかも知れません。もっとも、私は当時の地図も写真も見たことが無いのですが。 フランス語の原詩を読む方が、作者の書くリズムが感じられるとは思います。また、韻文詩の場合は特に、音読した方が解りやすいと思います。ただ、語彙については、既に古典なのでかなり難しいです。(書く)フランス語は日本語よりも、近年の変化は少ないようですが、それでも、ある程度は変わっているようです。また、シャルルヴィルの方言というより、アルデンヌ地方固有の名詞、言い伝え、なども含まれています。全集などには、細かい注が付いていると思います。ランボーの造語や引用などは、フランス語の全集にも注が付いています。ただ、書き言葉の方が、会話よりも方言は少ないと思います。ランボーがヴェルレーヌの招きでパリに出たときは、方言があったようですが、しばらく後には目立たなくなったそうです。ロマン派や高踏派の影響、つまりランボーが盗んできた?表現も、あまりにも元々の詩が多くて、専門の研究者でないと解りません。これも、全集の注にかなり詳しくあると思います。ただ、日本語の翻訳を読む場合、詩の理解に繋がらないことも多く、省略されている場合もあります。 ランボーの読みで問題になることは、ラコストの筆跡鑑定により、「イリュミナスィオン」が、1874年の清書だと判明したことでしょう。それまでは、文字通り「地獄での一季節(地獄の季節)」の「永別(別れ)」で、ランボーが絶筆したと考えられていました。たとえば、小林秀雄氏の翻訳の場合には、始めに「地獄の季節」を翻訳したときには、 |
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●小林秀雄のランボーの翻訳・評論に関する問合わせへの返信 <TYさんからの質問> <返信> |
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●ランボーと父親 <オーブさんからのメール> 伝記のほうはかなり分厚くそれに当たり前なのですがフランス語なので読むのにかなり時間がかかってなかなか前に進めません。でもかなり詳しく書かれてあり、筆者のランボーに対する情熱が感じられる一冊です。 伝記と平行して詩の解説を読んでいくうちに特に興味深い発見がありました。 ランボーの詩は自伝的なものが多いですが(解説がなければかなりわかりにくいですが)、先ほども述べたような幼年期の体験などが深く影響してるのでしょうか? <返信> |
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●未来さんから送られたランボーへの詩「太陽」
目をかっと開いて 目をすっと閉じて ひたすらひたすら歩いていく そして月を威嚇する |
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●夕ぐれのワルツ/ボードレール ボードレールの詩集「悪の華」の詩「HARMONIE DU SOIR(夕の諧調)」をYahoo「フランス詩」トピで翻訳しました。 <みやびさんの翻訳> 黄昏の諧調 いま、その時来たりて 茎の先で揺れる花々 香炉のやうに 花の香りを漂はせる。 ヴィオロンは震へる、傷ついた心なのか、 優しい心は、広く暗い虚無を憎む、
夕ぐれのワルツ 夕やみが訪れて、花は小枝でわなないて かの花たちそれぞれに、香炉のように香りたち、 傷ついた心は、バイオリンのように打ちふるえ、 優しい心は、大きく暗い虚無を憎む、 |
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