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ランボー 後期韻文詩編

(Ô saisons ô châteaux ...)

Picture Image of (Ô saisons ô chateaux ...)

Doll & Photo:Mahoko Akiyama

(おお、季節よ…)

おお、季節よ、おお、城よ!
無垢な魂なんかあるものか?

おお、季節よ、おお、城よ!

誰も逃れられない「幸福」の
魔法の修行を、おれは積んできた。

おお、幸福、万歳だ、
幸福のゴールの雄鶏が鳴くたびに。

だが! おれには欲望がなくなりそう、
おれの人生は、幸福に担がれた。

この魅力が! 身も心も奪い取り、
努力はすべて蹴散らした。

おれの言葉で何がわかるんだ?
言葉は飛んで逃げてゆく!

おお、季節よ、おお、城よ!

フランス語テキスト


(おお、季節よ…) (別ヴァージョン)

おお、季節よ、おお、城よ
魂は無垢ではない

誰も避けることができない「幸福」の
魔法の修行を積んできた

幸福のゴールの雄鶏が鳴けば
そのたびに、おれは幸福のものだ。

おれには何もなくなる! 欲望さえも
幸福がおれの人生を引き受けた

この魅力! 身も心も奪われて
おれは努力から解放された。

おれの言葉で何がわかる(訳注1)
幸福に、言葉は飛んで逃げてゆく

ああ! もし、おれが不幸に引かれれば
幸福に嫌われるとは決まっていない(訳注2)

幸福がおれを軽蔑して、ああ!
おれをあの世にあっという間に引渡す

フランス語テキスト 上のテキストとは、一部違いがあります。

翻訳掲載:1998年5月1日、1999年5月、
2001年1月28日、2002年1月28日、2006年5月20日、
2016年1月9日更新

私訳と、中原中也、小林秀雄の訳詩をとりあげた「「幸福」、季節と城と」もご参照ください。


シャトー

 ガルニエ版(1987年)とブリュネル編ポショテク版(1999年)で、テキストが違っていました。ポショテク版のテキストで訳し直しました。この詩にはタイトルがありませんが、無題としての仮タイトルもガルニエ版の「(幸福)」から、原詩の最初の行の「(おお、季節よ…)」に、変更しました。さらに、ジャンコラ編テクスチュエル版(2000年)のテキストを参照しました。ポショテク版では別ヴァージョンとされているテクスチュエル版のテキストを新たに標準としました。ポショテク版の最初のテキストを別ヴァージョンとしました。いずれのテキストも元々はヴェルレーヌ所蔵で、別ヴァージョンとした原稿には、詩の前に次の抹消された2行が書かれています(ジャンコラの注):「これは人生が無意味だということを言うためさ。だから、「季節」なんだよ。」 この詩は「地獄での一季節」の「錯乱Ⅱ 言葉の錬金術」の末尾に少し改変されて引用されています。
 しかし、この詩のテーマは、まだ「季節」ではなく「幸福」であり、文字通りヴェルレーヌとの同性愛の歓びを歌った詩と思われます。人が避けて通れない大文字で始まる「幸福(ボヌール)」とは、すなわち性の歓びのことでしょう。「おお、季節よ、おお、城よ!」は、原文で「 O saisons, o châteaux (オーセゾン、オーシャトー)」となり、これは、教会の朝の鐘の音を暗示しているように聞こえます。夜が明けるころガランゴロン、ガランゴロンという鐘の音が流れてくる。そして雄鶏の鳴声も聞こえてきます。「 Quelle ame est sain defaut ? (ケラーメサンデフォ)」つまり「無垢な魂なんかあるものか?」と。「錯乱Ⅱ 言葉の錬金術」には、「朝に、キリストの来たまえり」の時に雄鶏の歌でこの詩を告げられたと書かれています。当時のヨーロッパの都市であればどちらの音もよく聞こえたと思われます(教会の鐘の音は今でも聞こえてきますが)。「ゴールの雄鶏 le coq Gaulois 」は、フランスの象徴(サッカーやスキーチームのマークを思い出してください)です。「ゴール」は、ガリアのという古代ローマ時代の地域名で、現在のフランスおよびベルギー、北イタリアを含む地域を指します。ランボーは、「地獄での一季節」の「悪い血筋」の冒頭で「ゴール人の先祖」を出してきますが、この先祖は、未開で無能だったと書いています。なお、「ゴールの gaulois 」という言葉自体にも、古代ガリア人気質の、あけすけ、陽気、みだらという意味もあります。「雄鶏 coq 」には、男性器も意味するという説もあります。この「ゴールの雄鶏」は具体的には「発情した雄鶏」という意味だと思います。ランボーらしい、言葉遊びなのでしょう。R.ゴファンは、ワロニア(ベルギー南部)とアルデンヌの諸地域で、「ゴールの雄鶏 」が男性器の隠語として使われていること、および、「幸福の(その、彼の)ゴールの雄鶏が鳴けば/そのたびに、おれは幸福のものだ。」という行が、初めは「毎晩、彼の(その)ゴールの雄鶏」となっていることを挙げ、「彼」は「ヴェルレーヌ」という解釈を示しました(プレイヤッド版、A.アダンの注記より)。所有形容詞 「その son 」は、男性名詞単数の前に付きますが、「彼の」 「彼女の」 「その」という意味になります。また、シャトーもランボーの出身地、シャルルヴィルの売春街の名前という説もあります。
 フランス語の「城 Cchâteau 」(シャトー)は日本の天守閣のある城やヨーロッパの山城のイメージではなく、いわゆる宮殿、城館のイメージであり、現世での栄華を象徴しています。例えばヴェルサイユ宮殿は Chateau de Versailles です。この世の栄華は流れ消えていく。王侯は断頭台の露と消え、宮殿だけが残ると。しかし、私はこの詩は、「最も高い塔の歌」の塔が、教会の尖塔 fleche を現わしたように、教会そのものを神の城として、 Château と表したと考えます。さらに、季節と同じように複数形にすることで、特定の教会ではなく、普遍化した(地上に存在する)「神の城」という概念にしたと思います。私は、「イリュミナスィオン」の「大洪水の後」と「魔神」の「家 maison 」も、やはり教会と読んでいます。ランボーは、あえて教会 eglise を使わなかったのではないでしょうか。教会と考えた方が、この詩はよりよく理解できると思います。
 季節は流れても、神の城は立ち続ける、しかし、この世には無垢な魂は存在しない。完全な人間も存在しない。だから永遠の命も存在しない。だとしたら、つかの間の永遠である性の歓び(「幸福」)よりも素晴らしいものがあろうか。しかし、この「幸福」は長くは続きませんでした。「おれたちの欲望には巧妙な音楽が欠けている。」(「小話」/「イリュミナスィオン」)からでしょうか。

訳注1) ガルニエ版ではこれ以下の部分が「別バージョン」の末尾に付けられています。
訳注2) この行の一文字が、ポショテク版では「n(ne)」、ガルニエ版では「m(me)」となっています。以下、ガルニエ版の翻訳:「幸福がおれを嫌うに決まってる。」

解読掲載:1999年4月、5月、 2002年1月28日、1月28日、9月16日、
2003年7月11日、2006年5月20日、2008年11月4日更新

写真: 秋山まほこ(秋山まほこ人形作品集「Ange」1991年トレヴィル発行)

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