Rimbaud.
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手紙&ヴィタリーの日記
Lettres
見える者の手紙 (見者の手紙)
- Lettres de Voyant
ランボーの「見える者の手紙(見者の手紙)」は2通あり、1通は1871年5月13日のかっての教師、イザンバールに宛てたもの、もう1通は15日の若手の詩人、ポー…
イザンバール宛
- À Georges Izambard (13 mai 1871)
先生!
教職に戻られたのですね。人は社会に尽くす義務がある、とあなたはぼくに言われました。教員になられたということ…
ドムニー宛
- À Paul Demeny (15 mai 1871)
それでは、詩の未来についての文章です。 すべての古代詩はギリシア詩、つまり調和ある生活に帰結します。ギリシアからロマン主義運動まで、すなわち中…
1872年6月 (ドラエー宛)
- À E. Delahaye (juin 1872)
友よ、 そうさ、アルデュエンヌ世界パノラマでの生活ときたら、びっくらこだ。デンプンと泥を食らって、地酒に地ビールを飲んでる田舎、ぼくには懐かしく…
1875年10月 (ドラエー宛)
(最後の詩 「夢」)
- À E. Delahaye (octobre 1875) - Rêve
夜の兵舎:「夢」.兵舎の中では、みんは空腹です―
本当です...
発散と爆発だ. 魔人だ:…
Données Vitalie
ヴィタリーの見たロンドン
1874年7月、ランボーの母と妹ヴィタリーはロンドンを訪れ、アルチュール・ランボーと共に過ごしました。このとき、4歳年下の妹ヴィタリーが書いた(アルチュールより)6歳年下の妹イザベルへの手紙とロンドン滞在日記が遺されています。当時のフランスの地方都市から出てきた少女の目に映ったロンドンは、「イリュミナスィオン」のロンドンを見る参考になると思い、ポショテク版に抜粋されて載っているテキストの一部を翻訳しました。
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