ヴィタリーの日記
1874年7月、ランボーの母と妹ヴィタリーはロンドンを訪れ、アルチュール・ランボーと共に過ごしました。このとき、4歳年下の妹ヴィタリーが書いた(アルチュールより)6歳年下の妹イザベルへの手紙とロンドン滞在日記が遺されています。当時のフランスの地方都市から出てきた少女の目に映ったロンドンは、「イリュミナスィオン」のロンドンを見る参考になると思い、ポショテク版に抜粋されて載っているテキストの一部を翻訳しました。
ヴィタリーから妹イザベルへの手紙(7月7日)より抜粋
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海はとても静かで、航海は順調でした、でも、下船する30分ほど前に船酔いにかかってしまいました。私たち二人のうち、私は大丈夫でしたが、お母さまは必死に努力して頑張ったのですが、私より先に具合が悪くなってしまいました。下船後、一時間たっても完全には良くなりませんでした。私のかわいい妹さん、このことだけでも来なくて良かったと思ってくださいね。船酔いはほんとうに辛くて、説明もできません。ロンドンの町はとても広大です。私たちの乗った列車からは(ここでは鉄道が家並みの上を走っていることを言っておかなくては)どこまで見渡しても家並みしか見えないほどの、巨大さが分かりました。
私たちはチャーリング・クロス駅で降りました。それはシャルルヴィル駅の少なくとも12倍はある大きな駅です。それから私たちのアパルトマンに戻る途中で、トラファルガー・スクエアという素晴らしい広場を見ることができました。中央には4頭の巨大なライオンに囲まれた噴水があります。
広場の4つの角には、様々な将軍の等身大のブロンズ像があります。
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次にあなたに手紙を書くときは、美しく見えた物をすべて書きますね。ここには見るべきものたくさんありそうです――好奇心を最高にかき立てられます。ロンドンでたいへん心地良いことは、とても多数の家の前に庭があることです。休息のための緑のない通りはひとつもありません。ですから、私たちのアパルトマンの窓の下にも、大きな木々の木陰に無数の花が植わっています。
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ねえ、かわいいイザベルさん、この大都会のたくさんの往来を、聞こえてくる騒音や、あちこちに行き交っていて、しっかり用心していないと、いつでもあやうくひかれそうになる馬車のことなど、想像もできないでしょうね。
アメリカ製の乗合馬車が走っているのも見かけます。とても大きな車両で、鉄道のように道路の上のレールを走っています。これら物を全部見るため、あなたも私たちと一緒に来られたら良かったとは思うのですが、旅行の煩わしさと疲労がたいへん心配です。
ヴィタリーのロンドン滞在日記(1874年7月5日~31日)より抜粋
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1874年7月5日……
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私たちは梯子のようなもので乗船しました。あちこちにある様々な種類の機械や装置を興味深く見て過ごし、それから船室に戻りました。そこはきれいで小さな小部屋で、柔らかい光を放つ、すりガラスのボールで包まれた灯りがありました。ここでは女の人は私たちだけで、オランダ人が1人と10人ほどのイギリス人がいました。船室の空気はよどんでいたので、もう一度、甲板にあがりました。甲板に出ると、周りをぐるっと取り巻く光景に感動しました。午前2時半ごろでしたが、夜が明け始め、広大な空には消えかかったいくつかの星しか見えませんでした。私の眼はこのとき目の当たりにしたような光景に出会ったことはありません。このような眺めは見たこともありません。海の厳かな壮大さが全てを包んでいました。私が今まで空想していた海はこれほどは美しくありません。私は長い間、何もしゃべらずに、何も考えずに海を見つめていました。
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イギリスの海岸が見えてきました。硫黄のような黄白色のものに覆われていました。これは海の影響に違いありません。私たちが動いているのに、海岸の方が近づいて来るように見えました。私たちの前にそびえる高台の上の防塞と兵舎が刻々と見えてきました。とうとう到着しました。午前3時半でした。6時の出発の時間まで、私たちは初めて見たイギリスの町、ドーバーを少し見て回りました。家々はきれいな外観をしていて、とても清潔で、規則正しく建てられていました。道路は幅広く、広々としていました。
客車に乗ったとき、全ての車室に灯りが点いてしたので、とてもびっくりしました。でも、すぐに判りました。ドーバーからロンドンに行くまでにトンネルを6つもくぐるのです。……
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私は遠くを見つめていました。遠ざかっていく地平線の彼方には新しい町が次々に見えてきました。あれがロンドンなのかしら、私たちの旅行の目的地で、賞賛と驚異の的のロンドンかしら? 鉄道はもう長いこと住まいしか見えないところを走っていました。もう長いこと畑や草原が見えないことには驚かなくなっていました。家並みが果てしなくづいていました。やっと判りました。何ということでしょう! 私たちはロンドン市内を走っていたのです… 10時10分に、チャーリング・クロス駅に着きました。ヨーロッパ最大で、最も人口の多い都市、イギリスの首都に着いたのです。ロンドンに到着して、あらゆる姿と振舞いの人々からなる未知の群集を見て、私たちのいる建物の巨大で壮大な建物を眺めて経験した感動と驚きを言い表すことはできません。そんなことはできないでしょう。なぜなら、私は経験したことをはっきりとは覚えていないのです。駅で待っていたアルチュールお兄さまを見つけて大喜びしましたが、お兄さまが周りを軽く見わたすことができるように近くの通りに連れて行ってくれたのです。私にとって、こんなに新しく奇妙な光景を見ることは、感動であり、ある種の不安でもありました。絶え間ない騒音、馬車はひっきりなしに往来し、いつでもその間を渡らなくてはなりません。たくさんの人々が、たいへん忙しく往来しています。家屋もフランスとは違います。ここに来るまでは知りもしなかったあらゆる種類の商品を扱っている商店と商人。私たちはたいへん疲れました…
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7月8日水曜日……
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午後は我慢できないほど暑い日でした。私たちはお兄さまと6時ごろ出かけました。広い通りにそって歩いてから、市内に出ました。ここには、私たちがいるところのような前に小さな庭のある家はありませんでした。商業地区でした。建物は堂々としていました。長い時間、美しく大きな商店をたくさん見て過ごしました。こんなに豪華で、こんなにきれいに織られていて、しかもこんなに安いあらゆる生地を調べてみてびっくりしました。というのは、ロンドンでは、フランスの、とくに小さな町に比べればただのように安く衣類が手に入るのです。
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夕方、アルチュールお兄さまは大英博物館から帰ってきました。私たちを新しい通りに連れて行ってくれました。どこも美しく、魅力的でした。家の前に柵をめぐらせたきれいな庭があったり、車道の縁に木や花や芝の植えられた緑地帯があり、涼しげでした。他の通りには立派な商店が並んでいました。私たちは眺め飽きることがありませんでした。しかし、とても疲れる暑さでした。私は氷かソーダ水が飲みたいと思っていました。アルチュールお兄さまは、とてもやさしくて、私の望みを察して、許しを得てくれました。とても美味しいアイスクリームでした! 私たちは、長いこと気球などを見ていました。10時半にアパルトマンに戻りましたが、息苦しい暑さでした。
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10日金曜日……
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夕方、アルチュールお兄さまは公園まで一緒に行こうと誘ってくれました。私は喜んで同意しました。道の途中で、お母さまがこの当たりで一番立派な商店街を見たいと言いました。お兄さまは、たいへん親切に愛想よく、それに従いました。私は、機嫌を悪くして後をついて行きました。何も買えないのに、たくさんの素晴らしいものや宝物で、眼や思い出を一杯にしても何がよいのかしら? 何も持ち帰れないなんて、なんて残念なんだろう! …… それでも、縁取りしたきれいなスカートなどを買ってもらえると期待していました。――公園はとても気持ちの良いところでした。憩いの場所、天国でした。ベンチを探すのはたいへんでした、どれも人が座っていたからです。アルチュールお兄さまは、私に冷たくて美味しい泉の水を飲ませてくれました。
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14日火曜日……
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夕方、出かけました。私はだいぶ元気になりました。アルチュールお兄さまは上機嫌でした。遠くには行きませんでした。裏側はひっきりなしに汽車が走っている塀にそって歩きました。あちこちに鉄道線路があり、駅があります。帰り道は、地下鉄を見ていました。なんて、不思議なのでしょう! いつもトンネルや橋の下を走っていて、その上なんて速さでしょう! 汽車はいつでも、わたしたち「身軽な」フランス人よりもさらに活動的な旅客でいっぱいです。そして、この群集は静かで、落ち着いていて、無口です。叫び声も、無駄な身振りもなどもありません。
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15日水曜日……
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なんという雑踏でしょう、あらゆる礼儀作法の、あらゆる国籍の人々。わたしにはフランス人がほとんど見分けられません。私はたぶん人相見ではないのでしょう。でも、確かに、もしもフランス人に出会えたら、本能的に判って嬉しくなることでしょう。だからといって、イギリス人が嫌いというわけではありません。イギリス人にもたくさん長所があることは認めています。親切で、実直で、機転がきき、礼儀正しい。でも、なんて冷淡で、堅苦しいんでしょう! あの人たちには思いやりが全くありません、人も何も全く愛さないにちがいありません。
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27日月曜日 ――私はひどくよく眠りました。手紙がひとつも来ません、がっかりしました。何も来ないなんて、ほんとうにびっくりです。仕方ありません、我慢しましょう! でも、私はこの国に少しは慣れてきました。以前より住みやすく思えてきました。シャルルヴィルがとても遠いところにある楽園のように思えます。シャルルヴィルのことを少し忘れて来たようにさえ思えます。いいえ! そんなことはないわ。私は自分の愛情には誠実だし、祖国を忘れるなんて恥ずかしいことだわ。
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注)
7月14日の日記にあるフランス人と乗客(イギリス人)の比較に関しては、動作(運動能力)のことを書いたもの、あるいは、知能(気転)のことを書いたとも読むことができます。私は、ここでは(鉄道や馬車で)移動する身軽さという意味に理解して訳しました。
翻訳・解読:門司 邦雄
掲載:2002年11月27日
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