Banner of Rimbaud.KunioMonji.com
anglais  マップ  ホーム


ランボー イリュミナスィオン

2017年1月20日(金)更新

フランスの詩人 Arthur Rimbaud (アルチュール・ランボー)の詩を
門司 邦雄 が翻訳・解読しているサイトです。
「イリュミナスィオン」の、全詩の翻訳・解読を2015年春に終え、
同年4月7日に掲載しています。

- サイトマップはこちら -

このサイトはアートサイト eyedia.com により制作・運営されています。
サイトデザイン:ichico / eyedia.com


- 更新履歴 -

2017年1月20日:地獄での一季節 - 永別、永別への小径new icon、の翻訳更新・解読掲載

2016年10月20日:KunioMonji.comに「永別」・「永別への小径」を掲載

イリュミナスィオン

詩人ランボーが文学に与えたインパクトは、果たして何だったのだろう。
それは、言葉の否定だったと思う。
「神は言われた。「光あれ。」 こうして、光があった。」(共同訳聖書)
という聖書の言葉にあるように、言葉は神であり、
神の言葉から地上の全てのものが作られた。
だから、未来の五感すべての体験を詩的言語で現実世界にもたらせば、
見者となり、錯乱の果てに未知に到達することができれば、
神のように、詩で現実の社会を変革することができる。
だが、見者の実践は、現実生活の挫折だけをもたらした。
その詳細なレポートを作成し、言葉の構築物を完成させ、放棄する。
ランボーは、ボードレールのように神に反抗しながら言葉と美を信じることも、
マラルメのように神を信じずに、言葉と美を信じることも、放棄してしまう。
「徹底的に現代的でなければならない。神を讃える歌はない。」
神の放棄は、言葉の放棄でなくてはならない。
言葉の放棄は、神の放棄でなくてはならない。
「ひとつの魂とひとつの肉体の中に真実を所有すること」が許されるだろう。
ランボーのモデルニテ(現代性)は、ここにあると思う。
イリュミナスィオンは、モデルニテの結果ではなく行程であり、
彼を取巻く万象を反射しながら収束した「版画集」と見える。

2006年6月29日 門司邦雄

--------------------

ぼくが、今でもランボーを読んでいるのは、
彼の詩が映像へ戻る入口だったから。
写真家ダイアン・アーバスは、
被写体(object)を精密に観察すると、それはファンタスティックになる、
という意味のことを語っていた。
ランボーの詩の言葉ひとつひとつを裏返して、その対象物を探すことで、
他者が生きたその時を垣間見ることができるとしたら、
それは、不毛な思想を越えた、
共有可能なデータになるだろう。

Nothing is ever the same as they said it was.
It's what I've never seen before that I recognize.
- Dian Arbus, "Five Photographs by Dian Arbus," Art Forum, May 1971

注:
・ダイアン・アーバス(1923-1971)
 フリークスの写真で有名なアメリカの女性写真家
・1999年、ブリュネル編の全作品集、
 2000年、ジャンコラ編の作品集が発行されている

2003年10月 門司邦雄


Les Anges
- Une Histoire de l'Ange déchu et l'Ange satanique -

Banner of Les Anges

朗読パフォーマンス
堕天使と魔天使の物語