資 料

Appendices

Place de Rimbaud
ランボー広場 BBSログ 1 - 2003年5月14日~6月6日

■Hテキスト
Parolemerde2001 (joe) at 5/14(水)

オーブさん、こんにちは。

まずは、Hのテキストから。
前の行末の son action の後のポワンから違いますね。
ただ、ポショテク版では、novice の後の s は、補われているので、やはり単数になっていると考えられます。

テクスチュエル版(ジヤンコラ氏編)
son acton - O terrible frisson des amours novice.
Sur le sol sanglant et par l'hydrogene clarteux !
trouvez Hortense.

ポショテク版(ブリュネル氏編)
son acton. - O terrible frisson des amours novice[s]
sur le sol sanglant et par l'hydrogene clarteux !
trouvez Hortense.

プレイヤッド版は action の後のポワンが無くて、
novices は複数で、ポワンなし。

ガルニエ版は action の後のポワンがあり、
novices は複数で、ヴィルギュルです。

つまり、すべてのテキストが違っています。

■翻訳
Parolemerde2001 (joe) at 5/14(水)

原文に忠実に訳するとなると、action にポワンがないと、
現実の人々の道徳性は解体する、情熱の中でか行為の中で ―― おお…
と、なりますね。
つまり、passion ou action の説明が、ティレ以下になります。
次は、novice は、単なる s が抜けていると考えて、ポワンを生かして訳すると、
おお、未経験な愛欲の恐ろしい戦慄。血まみれの地面の上で輝く水素に照らされて! オルタンスを見つけだせ。
と、こういう訳になりますね。
まあ、内容的には、あまり違いがないので、まだ問題が少ない方とは思うのですが…
ただ、イメージの進め方という意味では、つまり映像として考えると、テクスチュエル版の方が今風でおもしろいです。

あとは、内容と写真版での、訳者の判断ということになるのでしょうか。
違い、気付いていたのですが、最初に試みた訳がガルニエ版とプレイヤッド版のため、その時の原稿もテキストも見ていないので訳しているのですが、前のイメージを引いてしまったようです。

ありがとうございました。

■翻訳 補足
Parolemerde2001 (joe) at 5/14(水)

血まみれの地面の上で輝く水素に照らされて!
の行末は、照らされた! の方が良いかな?…

血まみれの地面を赤い地面という意味と捉えると、次のガス灯も含め、泥は赤か黒と書かれたロンドンを連想させますね。
もちろん、ロンドンにも少年売春はあったでしょうが…。

■H
Aube(joe) at 5/14(水) 12:38:06 No.paroparo-20030514123743
パロさん、こんにちわ

Hの、son action 以下は、すべてのテキストが違っているのですね!
これもやはり、かすれとかそういうのが原因でいろんな見方があるということなんですね。
それぞれちょっとづつ違っていて、不思議な詩です。

novice の s は、ランボーがわざと書かなかったと考えていいでしょうか?

私はジャンコラ氏編(テクスチュアル版)を見て訳したので、おのずと
おお!未熟な愛の恐ろしい戦慄。血まみれの地面の上で輝く水素に照らし出された!
オルタンスを見つけろ。
と、なりました。

この詩で何度も繰り返し出てくる、「彼女」はH、つまりオルタンスであり、プレイヤッド版の A. アダンの注によると、「少年愛」を指しているのですね。
それを、女性、女神に置き換えたのもなんとなく不思議です。
パロさんの説である、homme, hygiene、井上究一郎氏の説である、水素、heure, haschishというのが、私の中ではぴったりきます。

謎解きですね。

■5月の軍旗
Aube (joe) at 5/14(水) 12:38:44 No.paroparo-20030514123820

パロさん、

私も遅れながら、「5月の軍旗」を訳してみました。
「死」と言う言葉がたくさんでてくるのに、少しも悲壮感や、暗いところがなく、なんだかすがすがしい気さえしました。
自然に語りかけるランボーの気持ちがとても素直ですね。
まだ、解説など深く読んでおらず、中途半端なので、自分なりにまとめて、疑問に思ったことが出てきたら、また質問させてください。

si un rayon me blesse
Je succomberai sur la mousse.

ここの部分が特に気に入っています。
ジャンコラ氏は、矢に刺さった鹿のようだ、と言っています。
つまり、矢を光にたとえているんですね。
フランスの5月の日の光は美しすぎて、鋭いです。
公害が今よりも少なかった。(全くなかった?)
ランボーの時代なら、光が今よりももっと明るく、鋭く見えたかもしれません。
光が矢のように、自分を貫いているように感じたのでしょうか。

5月の空は、ほんとうに天使のように美しいです。

■複数の s
Parolemerde2001 (joe) at 5/14(水) 12:39:19 No.paroparo-20030514123857

ジャンコラ氏編のテクスチュエル版の「渇きの喜劇」
Grands-Parant です。
しかも、繰り返されています。
手書き原稿なので、はっきり書いていないのでしょうか?

アメリカ人の手書きの手紙などの文では、i の点や t の横線を、行末にまとめて書く人もいます。
書かない人も!
ひよっとして、こんな類なのでしょうか

印刷されていないということは、文字校正が充分されていないのでしょうか。
清書ではあるのでしょうが…

■>複数の s
Aube (joe) at 5/14(水) 12:40:00 No.paroparo-20030514123930

ほんとですね、ジャンコラ氏編のテクスチュエル版の「渇きの喜劇」
Grands-Parant、s がありませんね。
フランス語では文字やアクセントを省略することはないと思いますよ。
最後の Grands-Parant は、ちゃんと複数形になっているのが、また不思議です。
文字校正が十分にされていないとは、つまり、印刷ミスのことでしょうか?

それと、また不思議なことに、私が持っている別のランボーの詩集
「Rimbaud Poesies completes」 ( Classiques de Poche のシリーズ)では、3つともすべて、
Grand-Parents となっています。
何版かわかりません。
ピエール・ブリュネル氏編と書いてあります。
注は、ランボーの祖父母の説明しかありませんでした。

■ポショテク版
Parolemerde2001 (joe) at 5/14(水) 12:40:51 No.paroparo-20030514124016

ブリュネル氏が編纂している1999年のポショテク版では、

第1テキストが Grand-Parants
第2テキスト(ヴァリエーション)が grands parants
第3テキスト(ヴァリエーション)が Grand'Parants
でした。

なんだか、解りませんね。
第1テキストは、フォランに渡されたランボーの原稿で、写真版にも出ていると書かれています
つまり、ジャンコラ氏編のものと同じ原稿です。変ですね。
以下の2つは、manuscrit とあり、所有者の名前などが出ています。
筆写原稿とは書かれていないので、ランボーの原稿なのでしょう。

写真版が来たら、再確認することにしました。

■五月の軍旗
Parolemerde2001 (joe) at 5/14(水) 12:41:26 No.paroparo-20030514124104

この詩は、とても思い出のある詩です。
私が初めて翻訳を発表?した詩です。
1989年の天安門事件の時に突然、翻訳を出してみたくなって、加入していたパソコン通信の掲示板に載せました。
まさか、サイトを作るなんて、思いもよらなかったです。
血なまぐさいのに、美しい詩ですね…

この、Nature に、nourris, abreuve と頼むところは、1872年4月にシャルルヴィルからヴェルレーヌに宛てた手紙を思いださせます。
ただし、こちらは、汚いイメージですが…
… Merde pour moi! (繰返し) …
Quand vous me verrez manger positivement de la merde,
alors seulement vous ne trouverez plus que je coute cher a nourir!...

またパリに出て、ヴェルレーヌと詩人の生活をとにかく再会したかったのでしょうね。
でも、汚い「自然」を食べるのですね…

■質問です。
Parolemerde2001 (joe) at 5/14(水) 12:42:11 No.paroparo-20030514124148

ちょっと、参考としてヴェルレーヌの翻訳に取りかかりました。
なんか、ランボーのテキストとで、頭が混乱しています。

ヴェルレーヌの「木馬」の始めにユゴーの詩が引用されています。
Par Saint-Gille,
Viens-nous-en,
Mon aigle
Alezan.
です。この viens は、下の栗毛馬( tu )への命令形と思うのですが、ハイフンで繋がって、最後に en が来ている意味が分かりません。
サンジレ(のお祭)で、/こっちへ(私たちに)おいでよ、/可愛い栗毛馬 ?
のような意味なのかな、それにしても en は何でしょうか?
解ることがあれば、教えてください。

■>五月の軍旗
Aube (joe) at 5/14(水) 12:42:44 No.paroparo-20030514124228

五月の軍旗は、パロさん、初めての翻訳発表した詩ですか!
それなら思い入れも特にあることでしょう。
天安門事件・・その頃私は中学生でランボーの詩とはまだ出会っていませんでした。
ランボーはきったない表現が好きですね~。
不良ぶって使っていたのでしょうか。

en
Aube (joe) at 5/14(水) 12:43:24 No.paroparo-20030514124256
Par Saint-Gille,
Viens-nous-en,
Mon aigle
Alezan.

案の定、私にはさっぱり何のことやら・・?!
そこで、夫に登場してもらいました。
しかし、やっぱり案の定、彼もさっぱり何のことやら・・?!
Viens-nous-en,
普通はこれでは通じないそうです。
もし、Viens-en-nousなら、なんとか文法的にはあうのですが、「私たちの中に入っておいで」となるので、意味的にはわかりませんね。

詩の表現でこういうのがあるのでしょうか・・?
この栗毛の馬は、本物の馬なのでしょうか?
それとも比ゆ的な何かのたとえでしょうか?

■> en
Parolemerde2001 (joe) at 5/15(木) 09:13:58 No.paroparo-20030515091323

やっぱり… 変ですよね。

だとすると、やはり Viens-en-nous での、リエゾンを避けたのでしょうか。
ヴェルレーヌの詩にも、理解できない語順など、あるのです。
やはり、音を濁らせないとか、リズムを守るとかのためなのでしょうか。韻文詩ですから。

このお馬さんは、たぶん木馬だと思います。
木馬にこっちにおいでよ、の方がおもしろいですよね。
後は…、もう少し、待って下さいね。

不良ぶるのは、とくにイザンバール先生とお別れする頃ですよね。
ランボーとイザンバールの関係は、おもしろいです。
「翻訳について」のところで、少し遊びました。
ランボーは、凄く対抗意識の強い少年でしたから、バンヴィルに対しても、イザンバールに対しても。
少しく前なら、ツッパリ道ですよね。
でも、これが成長の原動力だった部分もあります。
「一なるものを信じる…」も、バンヴィルが認めてくれない、
なら、いいやもう… えいっ、「太陽と肉体」にしちまえ!
Merde じじいめ、もつと凄いの作ってやるぞ…
こうして、見者の詩論や「花について…」が生まれたのだと思います。

■「大洪水の後」 Apres le Deluge
オーブ at 5/17(土) 05:11:42 No.paroparo-20030517043048

パロさま、みなさま、こんにちわ。

イリュミナシオンの「大洪水の後」を自分なりに翻訳し終えて、考えてみました。

Aussitot apres que l'idee du Deluge se fut rassise.

まず、疑問に思ったのが、一番最初の一節に出てくる、l'ideeが
何かと言う事です。
直訳すると、「思想」もっと平たく言えば、「考え」です。
パロさんは、「恐れ」と訳されていますね。

私が読んだ、ジャンコラ氏のコメントには、
このl'ideeを、
「古い世界を埋もれさせてしまう欲求と企画、
新しい世界を作るために、白紙状態にすること」
ざっと訳すとこのようなことが載っていました。

大洪水がおきて、
退屈な現実の世界を一掃すればいいのにという、いわば、
妄想を指している。
「大洪水についての、ランボーの妄想がおさまるとすぐに」
といった感じになるのでしょうか。
それとも、
「大雨がやんでしまい、大洪水になる可能性が
なくなるとすぐに」
ということでしょうか?
どちらも可能ですね。

最初の方の節は、大雨が降っているのを、
子ども(ランボー)が窓から見ながら、
そういう妄想に浸っているわけで、
実際に大洪水が起こったわけではありませんね。

■>「大洪水の後」 Apres le Deluge
Parolemerde2001 at 5/17(土) 17:19:12 No.paroparo-20030517171638

オーブさん、こんにちは。

きわめて、ランボーの意図どおりに訳すると、
「大洪水の思想がおさまるとすぐに」
という訳になるのでしょうか。
この思想は、認識というよりも、世界のあり方に対する希求という意味です。
具体的には、解説に書いた
「ノアの大洪水のようなものすごい洪水が起きてすべてを流し去ってしまえば良い」
という「妄想」になります。
つまり、ジヤンコラ氏の解読と同じ意味です。
彼の解読は、時として、オフェーリアのように、拡大して取りすぎと思われることもありますが…。

翻訳では、次の野うさぎの行に繋げなくては、ならない、ランボーの思念から、おとぎ話の世界へ、そのまま繋げなくてはなりません。
私の訳の場合は、イメージ重視の訳を考えて、織り込めない部分は解説にまわしてしまいました。

ランボーは、妄想的リアリズム?ですね。
ムーズ川の出水をどのくらい目撃したのか、分かりませんが、でも、小洪水ならあったと思います。
私自身、子供の頃、台風襲来でワクワクしたことを覚えています。
神田川が氾濫して、友人の家が床下浸水したりして…
なんか、楽しそうに見えたりして。
実際は楽しくないし、まして床上浸水は汚くて悲惨ですが…
子供は妄想が好きですから…
「天才とは意のままに再現される少年時代(ボードレール)」だそうですが、妄想で書いた「酔いどれ船」の海の方が、体験して書いた「マリーン」の海より、海だったりして…
女性も妄想しているうちが花だったのかも…

「大洪水の後」のタイトルについてなのですが、英語の表現だと、水が溢れる出る状態が flood で、その後、出水が収まれば水浸しの状態でも、after the flood となるようです。
ただ、ネットの記事などを見ている限り、はっきりした区別では無いようですが。
フランス語でも同じような気がしますが、どうでしょう。
日本語の洪水とは、言葉のニュアンスが少し異なるような…

この詩は、文字通り「大雨の後」なのでしょう。
大雨が止んで、頭の中を妄想で一杯にしたランボー少年が、ムーズ川を見に行きます。
雨に打たれた自然と、水かさが増えた川の水面(天には届きませんが…)、でも、大洪水にはなりません。大洪水になれば良いのに…
なったら自分の居るところも危ないのにね。
実際には、大洪水は起こっていません。
もう一度と書かれた、前の大洪水は、やはりノアの洪水のことだと考えています。

■大雨
オーブ at 5/17(土) 23:03:30 No.paroparo-20030517222739

パロさん、こんばんわ。

やはり、この l'idee はランボーの妄想、または希求と考えていいわけですね。ありがとうございました。

大文字で Deluge だと、ノアの大洪水を表していますね。
ランボーの妄想というのが良くわかります。
小文字の deluge なら、大雨、豪雨の意味もあるようなので、子ども(ランボー)が、窓の外の大雨を見つめていて、そして、その大雨をノアの大洪水とダブらせて、この退屈な世界を一掃して欲しいと願っている。

この詩のタイトルは「大洪水の後」ですね。
大雨の後、ムーズ川を見に行き、雨に濡れた自然、(もしくは水浸し?)、再び始まった人々の生活について、ランボーは書いています。

私も、フランス語でも、出水が収まれば水浸しの状態でも apres le delgue と言うような気がします。
実際使ったことがないので、確かではないのですが・・。
パロさんがおっしゃる、日本語の「洪水」とはどのようなイメージなのでしょうか?

子どもの頃、台風襲来でわくわくした記憶、私もあります。
大阪は、山に囲まれているせいか、いつも被害は少ないのですが、子どもの頃は、何事もなく台風が去ってしまうと、ちょっと残念だったりして・・。
何か違う世界に連れて行ってくれるような、そんな幻想がありました。
そうですね、実際損害をこうむると大変なことになるのに、子供ってそんなことは考えませんよね。
ランボーも大雨を見てどきどきしたんでしょう。

Car depuis qu'ils se sont dissipés,.....
最後に、「なぜなら大洪水が引いてからは」とありますが、これはノアの洪水で、実際には大洪水があったわけではないのですね。

■洪水と、予告です。
Parolemerde2001 at 5/18(日) 00:25:57 No.paroparo-20030518002413

 ヨーロッパの洪水は、インターネットのビデオで、何回も見ることができました。
橋も林も押し流せという感じで、圧倒的な濁った水の流れが地上のものを押し倒して行きます。平野が広く、川も長いヨーロッパ、フランスやドイツ、あるいはイタリアなどの洪水です。中国の洪水も見ましたが、さらに規模が大きなものでした。
日本の洪水は、川が短く、急流が平野に一気に出るので、鉄砲水のようになってしまって、感じが違います。下流では逆に、水位が上昇していきます。特に海抜の低いところでは、満潮になると海の水位も上がり、水浸しという感じです。私が子供の頃に経験した台風の時の洪水も、川の水位が上がり、道路などに溢れ出していきました。ですから、浸水している状態でも洪水と呼びます。ニュアンス的に少し違う気がします。
 ランボーの「飢えの祭」とヴェルレーヌの「回転木馬」がもう直ぐアップになります。どちらの詩も、音の感覚を重視しているので、ちょっと訳せない部分がありました。特に、ヴェルレーヌの第4節は、言葉がうまく見つかりませんでした。酔う se souler という言葉から、無理やり意訳しました。特に4行目は何でしょう。こういう言い方をご存知ですか? でも、「回転木馬」の詩そのものは、子供っぽくておもしろいと思いました。

CHEVAUX DE BOIS

Par Saint-Gille,
Viens-nous-en,
Mon agile
Alzan.
(V. HUGO)

Tournez, tournez, bons chevaux de bois,
Tournez cent tours, tournez mille tours,
Tournez souvent et tournez toujours,
Tournez tournez au son des hautbois.

Le gros soldat, Ia plus grosse bonne
Sont sur vos dos comme dans leur chambre;
Car, en ce jour, au bois de la Cambre,
Les maitres sont tous deux en personne.

Tournez, tournez, chevaux de leur coeur,
Tandis qu'autour de tous vos tournois
Clignote l'oeil du filou sournois,
Tournez au son du piston vainqueur.

C'est ravissant comme ca vous soule,
D'aller ainsi dans ce cirque bete !
Bien dans le ventre et mal dans la tete
Du mal en masse et du bien en foule.

Tournez, tournez, sans qu'il soit besoin
D'user jamais de nuls esperons
Pour commander vos galops ronds,
Tournez, tournez, sans espoir de foin.

Et depechez, chevaux de leur ame,
Deja, voici que la nuit qui tombe
Va reunir pigeon et colombe,
Loin de la foire et loin de madame.

Tournez, tournez ! Ie ciel en velours
D'astres en or se vet lentement.
Voici partir l'amante et l'amant.
Tournez au son joyeux des tambours.

Champ de foire de Saint-Gilles, aout 1872.

■回転木馬
オーブ at 5/18(日) 07:11:56 No.paroparo-20030518064051

パロさん、「回転木馬」と「飢えの祭り」さっそく拝読しました。

「回転木馬」は、本当に楽しい詩ですね。
でも原詩を読んでると、ちょっとわかりませんでした。
ヴェルレーヌは音楽性を重視したのですね。
一度朗読してみるとおもしろいかもしれません。

第四節四行目、Du mal en masse et du bien en foule.
言い換えれば、Il y a beaucoup de mal et il y a beaucoup de bien
になるようです。
en masse と en foule は同じ意味で、「たくさんの」です。
やはり、これは詩的な表現で、日常生活では使わないようです。
ここに出てくる、「酔う」は実際にお酒を飲んでよったわけではなく、メリーゴーランドが、ぐるぐる回って、目が回って、ふらふらになる・・と言う感じですよね。
ふらふらになって、気持ち良いのと、気持ち悪いのが、たくさんある、って感覚的にはわかるような気がしますが、訳にするとどうでしょう。

気持ち悪いのはいっぱい、気持ち良いのもいっぱい・・みたいな感じでしょうか。

それにしても、本当に愉快で、でもパロさんがおっしゃるように寂しさが感じられますね。

en masse en foule、で思い出したことがあります。
私はよくフランス人にメールを書くのですが、フランスでは同じ意味のことを続けて書くとき、同じ単語を使うのを避ける傾向があるようです。
例えば、日本語で言うと、「する」というのを、次では、「行う」にかえるような感じです。
そのほうが、きれいだから、というのが理由だそうですが、なんだか、そういうこだわりっておしゃれですね。

「回転木馬」も読んでいきたいですね。
この詩を気に入ってしまいました。

■洪水とイワオウギ
オーブ at 5/18(日) 07:29:22 No.paroparo-20030518071417

なるほど、パロさんの解説を読んで、納得しました。
私も、大雨が降った後、大阪の実家の近所の川がものすごい速さで流れているのを見たのを
思い出しました。
ヨーロッパの方が、規模が大きそうです。
もしノアの洪水の話を知らなかったら、大洪水で世界一掃っていう発想は私にはなかったかもしれません。
近所の川が水かさを増して、すごい速さで流れているのを見て、ここに落ちたらどうしよう、という、妄想はありましたが、それがあふれて、家を押し流すという妄想はなかったと思います。
それは、洪水と言うより、滝に近い感覚でした。

ところで野うさぎ以下、寓話についてになりますが、sainfoin は、私の辞書には載っていませんでした
パロさんは、どちらでお調べになったのでしょうか?

パロさんのサイトに載っているのと、ちょっと感じが違いますが、赤っぽいです。
イワオウギ、という和名も始めて聞きました。
古い教会の燭台、ランボーはいろんな花の名前を知っていて、想像力もすばらしいですね。

■回転木馬 鳩
オーブ at 5/18(日) 07:53:04 No.paroparo-20030518074540

パロさん、再び回転木馬に戻りますね。

pigeon et colombe

pigeon は、誰もが知っているどこにでもいる鳩ですね。
逆に colombe は、白くて、美しい平和の象徴の鳩です。
結婚式の、イメージ映像でみることがありますよね。(実際は見たことがありませんが・・)
ペットショップでも見ることができます。

ここでは、「汚い鳩」と「きれいな鳩」、または「醜い鳩」と「きれいな鳩」、というニュアンスではないかと思ったのですが、
いかがでしょう?

■イワオウギ
Parolemerde2001 at 5/18(日) 12:27:31 No.paroparo-20030518122634

オーブさん、ありがとうございます。

イワオウギの解釈の元は、知り合いが送ってくれた、すごく立派な(日本の)イワオウギの記事のカラーコピーでした。
私が、なんだろうと言っていたのを覚えてくれていたようで。

私も調べなおしました。やはりフランスに生えている種は赤紫系の色ですね。
形が見やすい写真のサイトをリンクに追加します。
子供の頃、近くの土手で、遊んでいました。
やはりマメ科の草で、マゼンダの色の花がたくさん生えていました。

サンホワンには、虫が集まるようです。
下の蝶は、モンシロチョウの仲間です。

ボリジの好きな羽虫とか、マルハナバチのようにブンブンとか、ハエがワンワンとか、ランボーは昆虫もけっこう気に入っていたのでは。

中世ヨーロッパのサタンの絵(モノクロのイラスト、エッチングとかリトグラフとか)を見ると、ハエの大魔王だったりします。微笑ましいです、ははは。
ペストなどの媒介者だったからでしょうか。
日本の都市は、より清潔だったので、ハエは悪者までは行かなかったような…
やれうつな 蝿が手をすり 足をする

オーブさんの紹介してくれたサイトには、南フランス側のアルプス、本場の南アルプス?の写真がたくさんありました。
行ったことのあるサボワを思い出しました。
渓谷の家は、木組みに丸い石を積み上げたつくりでした。
これは、氷河の残した石を積み上げたのでしょう。
「飢えの祭」の谷間のパンですね。
あちらは、洪水なので、川原の丸石なのでしょう。

ネットでイタリアの洪水のビデオを見ました。
田舎のようでしたが、濁流が津波のように(たぶん木の)橋を叩き折り、家を押しつぶしていました。
日本では、鉄砲水のような情景ですね。
ダヴィンチの描いた洪水のデッサンとランボーの詩が少し解かった気がしました。

■>回転木馬と鳩
Parolemerde2001 at 5/18(日) 12:29:25 No.paroparo-20030518122743

いろいろありがとうございました。

そうですよね…
回転木馬
beaucoup de mal et beaucoup de bien は辞書で解かりました。
masse と foule に意味の違いがあるのか、解かりませんでした。
masse は固まって、つまり一気に、
foule は、群れて、つまり群集のような不均質で沢山
と、酔っ払うことと合わせて、無理やり解釈してみました。
こじつけ過ぎでしょうか。考え中です。
後は、日本語としての語呂ですよね…。

pigeon et colombe
は、祭とマダムから離れて一緒になるですから、
次の節の l'amante et l'amant に対応していると取りました。
おそらくは、自分達のことではないでしょうか。
マダムは誰かな? マチルド、母親方、モーテ夫人?
鳩と白鳩とも考えてみました。
結局、語呂も考えて、pigeon et pigeonne が訳として良いかなと…
「醜い鳩」と「きれいな鳩」は、ちょっと怖い訳ですね…
どちらがどちら?(誰かが、(同性)愛はリバーシブルと言っております)

掲示板は便利ですね。

■言葉の裏
Parolemerde2001 at 5/18(日) 12:32:14 No.paroparo-20030518123103

ヴェルレーヌの有名な「秋のシャンソン」 (「枯れ葉」)
この詩の最後は、

Et je m'en vais
Au vent mauvais
Qui, m'emporte
Deca, dela,
Pareil a la
Feuille morte
です。

日本語の枯れ葉は、文字通り枯れていますが、フランス語は死んだ葉ですよね。
愛する理解者エリザを失ったヴェルレーヌは、悲嘆に暮れて3日間ビール浸けだったとか…
(でも、なんでビールなんだろう。食事代わりかな?)
で、悪い風に後押しされてさ迷うあちこちは、つまり、飲み屋と娼家のことではないかと…
ここまでは訳せませんが… そういう意味でもあると思うのです。

ランボーの O saisons, o chateaux...
の chateaux は、当時のシャルルヴィルの娼婦街の名前という、きちんとした研究もあるそうです。
確かに、象徴化されている言葉ですが、そういう背景があるということも、ヴェルレーヌの「びっこのソネ」とか、ランボーの「ボトム」とか「H」とかを読むと、頭から無視することは出来ないと思っています。

■イワオウギ
オーブ at 5/18(日) 22:54:57 No.paroparo-20030518213544

パロさん、ありがとうございます。

サイトを見ました。
イワオウギには、蝶などの昆虫も群がるのですね。
フランスは、赤紫が一般的なのかもしれません。
他のサイトの、イワオウギの写真も、赤紫が多かったです。
他の野生動物の写真も見たのですが、いいですね~。
特に野鳥の写真は好きなので、よく見たりします。
パロさんは生き物の写真も撮りますか?
私は技術不足でちょっと無理です。(悲)

少し話が脱線してしまいますが・・。
mari と、ハチの話をしたのですが、どうもハチに対しての感覚が違うようです。
abeille はミツバチで、これはいいのですが、bourdon マルハナバチは、なんとなく、私の中ではクマバチを連想させます。
彼は、「ミツバチより、大きくて、丸くて黄色で、危ないから、遭遇したら逃げないといけない」って言うんですね。
それと、guepe スズメバチ、これもあぶないですね~。
frelon これもスズメバチだそうですが、guepe よりも大きくて怖いそうです。(ひぇ~)
彼いわく、全体的に、ハチは黄色と、黒のイメージがあるようです。
私はどちらかと言うと、黄色と言うより、オレンジのイメージがあるのですが・・。
クマバチは、黒に、黄色のマフラー(?!)で、いずれにしても、ちょっと気持ち悪いです。(汗)
日本とフランスのハチは違うのかしら・・?
サイトを調べたのですが。
いいのが見つかりませんでした。
写真を見たところ、frelon が、日本でいう、スズメバチに相当するのではないかと思います。
ただ、あまりにグロテスクな写真だったので、ここで公開するのも・・。(冷汗)

気を取り直して、話を戻しますね。
ランボーの詩には昆虫もよく出てくる。
中世ヨーロッパでは、ペストの媒介者ということで、蝿は忌み嫌われていたのですね。
一茶の俳句は日本情緒が表れていて、ほのぼのしますね~。
あ、でも個人的には蝿をじっくり見るのは嫌ですね。
昆虫類はちょっと苦手です。

私はサボワに行ったことがないのですが、友達が、サボワ地方にある、アヌシーというところに行って、とてもきれいだったと行っていました。
写真を見せてもらったのですが、湖が広がって、自然がほんとうにきれいでしたね。
ハイジが住んでいそうなところでした。(←たとえが古いですね)
この地方は、冬は寒くなるのでチーズ・フォンデュがスペシャリテのようです。
パロさん、召し上がりました?
ますます、ハイジですね~。

■>>回転木馬と鳩
オーブ at 5/18(日) 23:34:53 No.paroparo-20030518230155

masse と foule は、大体同じ意味と考えて良いようですよ。

そうですね、詩だからそのまま直訳ではおもしろくないし、日本語とのごろあわせも考えなきゃいけないしで、難しいです。

パロさんがおっしゃるように、
en masse で、固まって一斉に、
en foule で、群れて、つまり群集のような不均質で沢山
と言う感じ、わかります。
同じたくさんという意味でも、固まっているのと、ばらばらと繰り出すのとで、なんとなく違いがありますよね。
私が中学の頃、体育際の団体競技のことを、マスゲーム、と呼んでいました。
だから、このマスには、集団で、固まって均等にというイメージがあります。
(一人でも乱してはいけないのです!)
en foule は、そのままの訳で、人がわらわら、ぞろぞろ群れている感じですね。
だから、パロさんの訳で、決してこじつけではないと思いますよ。
ただ、意味を深く追求すると、この二つの単語の意味が、だいたい同じことを指す、というだけのことだと思うのですが。

詩で、
Il y a beaucoup de mal
Il y a beaucoup de bien
では、芸がなさすぎですよね。
これは、ランボーの Reparites de Nina でも同じことが
いえると思うのですが、ちょっと考えすぎかな・・。

pigeon et colombe

は、よくわかりました。
詩だから、前後の節からも考えなきゃいけませんね。
l'amante et l'amant に対応させたというので、納得できました。
確かに、「醜い鳩」「きれいな鳩」は怖い・・。
それに、前後の節と対応しませんね。

ほんとうに掲示板は便利ですね。
助かります(^-^)

■訂正
オーブ at 5/18(日) 23:47:51 No.paroparo-20030518234355

>ただ、意味を深く追求すると、

先ほど投稿した中の、この一部分、なんかちょっと自分の言いたかったことと違うので、ここは無視してください。(苦笑)
どうでもいいことですね、ははは・・。
代わりのいい言葉がおもいつかないので、とりあえず、無視と言うことでお願いします

■枯葉
オーブ at 5/19(月) 00:16:02 No.paroparo-20030518235713

パロさん、ヴェルレーヌの「枯葉」の紹介、ありがとうございます。
私は好きですね、こういうの。
「悲しい、悲しい」と号泣するよりも、悲しみが伝わってくるようです。
枯葉のように、あちらこちらへ、飛ばされている・・。
情緒的ですね。

でも、実際は、飲み屋などをさまよっていると言う意味もあるのですね。
愛する人を失って、魂が抜けたように、ふらふらしている自分を枯葉に例えたのでしょうか。
「枯葉」というより、「死んだ葉」ですね。

それと有名な詩、

Il pleure dans mon coeur, comme il pleut sur la ville.

これも好きです。
フランス語の文法書にも載っていました。
pleure 泣く
pleuvoir 雨が降る
イメージ的にも似ていますね。

ランボーの O saisons, o chateaux...
chateaux 娼家の名前ですか。
これには驚きました。
暗号を解読しているようですね。
ランボーの詩を読み解いていくには、その背景を十分に知ることが大切なのだと、改めて思いました。
詩の解釈が広がっていきますね。

■蜂さん
Webマスター joe at 5/19(月) 00:08:42 No.paroparo-20030519000506

オーブさん、パロさん、こんにちは。

管理者のジョーです。
ボクもたまに参加させてくださいね。
フランス語もランボーも、お二人ほど詳しくはないですけど。(汗)
こんなに詳しくないヤツも参加してる、ってことで。(笑)
どうぞよろしくお願いいたします。

いやはや、ヴェルレーヌはピンクです。(笑)
一部デザインリニューアル、ヘルプちょっと疲れた土曜日~日曜日朝でした。
↑ お疲れさまでした、自分。(あはは)
でもまだまだ修正しなくてはならない細かい個所があります。

ところで、話の脱線ついで。
ファッションでは蜂のデザインがよく使われますね。
特にフランス、ヨーロッパでは、エルメスのスカーフなどで、植物、蜂、てんとう虫など、良いイメージでデザインされています。
てんとう虫は幸福を運んで来るんじゃなかったかな?
ヨーロッパのお祭にもよく登場しますよね。

ところが、日本では、今ではだいぶ違ってきたかもしれませんが、バブル時代、まだブランド品が浸透しつつある頃、ムシ類、特に蜂の柄は絶対にダメだったものです。
お客さんが気持ち悪がって、蜂の柄がある商品は売れないのです。
ボクはアパレルでちょっと仕事をしていましたので、ヨーロッパからの柄物に蜂や虫があると、よく削除せよ!命令を受けていました。(笑)
エルメスのスカーフも、いわゆる日本向けではなくて、パリ本店などのデザインはもっともっと植物や虫が描かれていて、とっても素敵だとボクは思うのですが。

アヌシー(アネシー)は、何と言ってもサロモン本社のある所ですね。
フォンデュは大好物ですが、美味しすぎて、それに寒いところに熱々なので、すぐに酔っ払って(ヴェルレーヌみたいに酔い酔い!?)しまうボクです。
ところで、ところで、ボクは赤レンガの美しい街と聞いている、サッカーよりもフランス宇宙局で有名なトゥールーズに行ってみたいですね。

■昆虫
オーブ at 5/19(月) 01:03:35 No.paroparo-20030519002249

joeさん、こんばんわ!
いつもお世話になっています。(^-^)
なのに、こうやってお話しするの、初めてですね。
いつも、コラム、拝読させてもらってますよ~。
これからも、がんばってくださいね。
私も応援しています。

ヴェルレーヌのピンク、かわいかったですぅ。
楽しい、縁日(お祭り)のイメージで。
パリにもメリーゴーランドがたくさんあるので、また写真を撮ってみたいです。
でも、ぎらぎらしてて、あまり、情緒的ではないような・・。

そうそう、joe さんおっしゃる通り、こちらでは、昆虫をモチーフにしたアクセサリーなどたくさんあります。
てんとう虫や、ミツバチ、その他いろいろ。
とてもきれいでした。
友達とも、「昆虫のアクセサリー、多いね~」って話したことがあります。

日本ではあまり、昆虫のモチーフは見かけませんねぇ。
蝶々くらいでしょうか。
でも、日本で昆虫のモチーフが気持ち悪がられる、というのはわかります。私もあんまり好きじゃないので・・。
それにしても、昆虫のデザインをわざわざ消していたのですか、それは知りませんでした。
てんとうむしや蝶々ならOKです。(笑)
義理母に、蝶をモチーフにしたネックレスをもらったことがあります。
蝶々ってきれいだな~って気づいた瞬間でした。(笑)
あ、ミツバチ・・う~ん、ちょっと怖いかも・・。(汗)

サロモンとは、ローラースケートや、スキー製品の会社ですか?
私はどちらもまったくダメです。(泣)
スキーはやったことがないのですが、たぶん無理そう・・。
ローラースケートは、ああ~もう、怖くて体が動きませんで、挫折しました。
立派な私のローラースケートが、今では棚の奥で眠っています。(ははは・・)

トゥールーズ、実はちょっとだけ住んでいました。
パリに移ってくる前で、ほんの3週間ほどでしたが・・。
町の中心は人がすごくて嫌でした。(笑)
パリのように、分散していないので、みんなが中心に集まってくるせいでしょうか。
とにかく、すごい人っていうイメージですね。
でも、お店とか、なんでも揃っているので便利でした。町の中心から外れたところだと、自然が多く、アパートも広くてきれいで、パリよりも安いので、住みやすいそうでしたよ。
メトロはありますが、車がないと不便かもしれません。
mari の友達も何人か住んでいます。
パリ人が住みたい、地方都市の第3位にランクインされている
と聞いたことがあります。
だから、きっと良いところなんでしょうね~。

でも、観光名所ってどこだろう?
え?フランス宇宙局があるのですか?
それは知りませんでした。

南フランスは、屋根の色が統一されていてきれいですね。
赤レンガですね。
壁は白で。
全体的に家は低いです。
必ずサンルームがあって、日の光がふんだんに取り込めるように工夫されている。
お花もきれいです。

■ハエ
Parolemerde2001 at 5/19(月) 01:09:42 No.paroparo-20030519010719

オーブさん、こんにちは。

翻訳など、もう少し考えてから、まとめて手を入れるか(入れないか…)します。
en masse, en foule は、今ひとつ迷いがあります。
もっと単純な方が、原詩に近いかなと…
soule と foule の韻もあるのですが、それを無視して入替えても読んでみましたが、やはり、書いてある通りがリズムが乗りますね。
こういうところが、詩人の腕なのでしょうが、そのまま日本語には持って来れません。

「ニーナのお返事」もおもしろい詩ですね。
初期詩編の詩には、言葉のおもしろさがある詩もたくさんあります。
でも、長めも多いです。「一なるものを信じる…」も長かったです。
ぼつぼつと訳すしかないです。

私事ですが、小学生の頃は、昆虫採集をして、昆虫や花の写真とか撮っていました。
中学生のときに、ちょっと鳥とか動物園の動物とか撮っていました。
そこらへんで終わってしまいました。
本格的に撮影するのは、とても大変です。
まず、その場に行かなければなりませんし、動物の場合は隠れて待たなければなりません。
とても大変で、私のような不精な人間には無理です。
でも、ペット付きの人のインタビュー(撮影)に行くと、ペットに気に入られることが多いです。
ときどき、撮影の邪魔をされます。
という訳で、撮影している生き物は、人間です。
あとは、建物、機械、製品、食物、…。
最近はドール・アイもあります。(笑)

ハエと言えば、クルボワジェのラベルにハエが並んでいるのがありました。
オリーブオイルのラベルでも見たことがあります。
ハエがたかるほど、美味しい、香りが良い、ということなのでしょう。
確かに、ワインのグラスにハエが来ることがあります。
アフリカのある地方には、女性の誉め言葉に牛の merde のようというのが、あるそうです。
つまり、男がハエのようにたかるほど魅力的という、アルチュールもびっくらこの表現です。
これは、だいぶ前にラジオで聞いたので、どの程度正しいのか、どの地方のことなのか判りません。
でも、私も、ハエが手をすり合わせているのを見るのは、あまり気持ちよくないです。

chateaux は、確かひとつの家ではなく、通りのことだったと思います。
これは、まとめた注記の中に記されていて、論文を書いた人の名前も出ていたのですが、肝心の元の本だったか、挟み込みの薄い印刷物だったかを、忘れてしまいました。
コピーして整理しておくべきだった…、でも、それもぐちゃぐちゃになってたりして。
あの詩が、同性愛を詠った詩という解釈がありますね。(私も基本的にその解釈を採用していますが)
その場合、娼婦街の名前が発想の元にあったと、考えてもおかしくないと思いました。

■大工事の後、「宝石」
オーブ at 5/19(月) 20:01:25 No.paroparo-20030519192816

パロさん、こんばんわ。

野生動物を写真に撮るのは大変ですよね。
想像できます。
茂みに隠れて、じっとシャッターチャンスを狙わなければならないし、一瞬だし。
すごく時間を費やさなければいけませんよね。

さて、「大洪水の後」の続きなのですが、

oh! pierres precieuses qui se cachaient

この「宝石」は、何を表しているのでしょう。

この、pierres precieuses を、プレイヤッド版の解説では、「真実」と捉えています。
でも、何の真実かはちょっとわかりません。
実際には大洪水が起こらなかったことかな、と考えているのですが。

直訳すると、「宝石は隠れる」で、最後の部分では、
「大洪水が引いてから、宝石は隠れたまま・・」
Car depuis qu'ils se sont dissipes, -oh les pierre precieuse s'enfouissant....
となっています。
埋まったままの宝石が、もし地上に出てきたらどうなるのだろうと想像しました。
やはり、大洪水が起こってしまうのでしょうか・・。

■宝石
Parolemerde2001 at 5/19(月) 21:22:47 No.paroparo-20030519211801

オーブさん、おはようございます。

この宝石には、絵としての解釈としては、私が知っているのは大まかにふたつです。
ひとつは、川原などの汚れていた石、これが、雨に洗われてきれいな姿を現したという解釈。
高畠氏は、(私たちには)このように解釈していました。
もうひとつは、蜘蛛の巣に付いた露、水滴です。
私は、こちらの方を考えています。

理由としては、私は中学から大学まで、ハイキングをしていまして、山小屋に泊まることが多かったのですが、雨の降った次の日、林の中、草原の中、山小屋の軒下など、蜘蛛の巣に水滴が付いていたのを覚えているからです。
雨で、少し痛んでも、蜘蛛の巣が残っていることが不思議でした。
川原の石については、特に思い出がありません。
町の路地などで、ホコリを被っていた道が、雨に洗われてきれいに見えるということはあります。
田舎の舗装されていない道ではどうなのでしょうか。

もうひとつ、蜘蛛の巣の水滴と考える理由は、野うさぎが見る高さにあるものということからです。
野うさぎはお祈りするのですから、地面は見ないと思います。
また、花が見る高さにあるものとも考えられます。
地面の石であれば、葉や下草に隠されて、花には見えないのでは。
洪水ではなく、激しい雨であれば、クモの巣は残っていると思います。

宝石は、何でしょうね。
私は、単純に太陽の光で輝いて見える水滴だと思いました。
真実とも、自然の輝きとも、解釈できますが。
映像は、見れてしまえばそれで理解できてしまいます。
でも、この詩では、シンボリックに使われていますね。
洪水の真実というより、洪水で露になった真実なのでしょう。
この詩に書かれたような自然と人間の営みという… という見方もあります。
でも、私は、映像だけで充分な気がしています。

次回、ワンコについて少し書く予定です。

■くもの巣の露
オーブ at 5/20(火) 04:51:16 No.paroparo-20030520042902

パロさん、ありがとうございました。

パロさんの解説にもあった、「くもの巣に付いたきらきらした露はやがて消えてしまいます」
のことですね。
くもの巣に付いた水滴が、太陽の光で宝石のように輝いていた・・、
私は見たことがないですが、とても素敵ですね、想像できます。
高畠氏の、雨に洗われた小石もきらきらしたイメージがあります。
どちらも自然の輝きですね。
「真実」と捉えるのもおもしろいですが、映像を重視するのもまた、いいです。
山や、田舎に行って大雨に見舞われるとこの詩を思い出しそうです。
ついでなので、もし「真実」があったとしたら、それは何か?ということも平行して考えていこうと思います。
それではわんこの話、お待ちしています。(^-^)

■ l'enfant tourna ses bras
オーブ at 5/21(水) 03:01:52 No.paroparo-20030521014107

パロさん、おはようございます。

l'enfant tourna ses bras, compris des girouette et des coqs de partout...

ここの部分がちょっとイメージがとりにくいです。
パロさんは、この compris を一緒になってと訳されていますね。
私も、含まれている、という意味だろうとは思ったのですが、どんな感じなのでしょうか。
ensemble の言い換えと考えても良いでしょうか。

そして、この l'enfant は、ランボーですよね。
この腕を振り回すと言うのはやっぱり楽しんでいる証拠なのでしょうね。
こどもがよくやる、腕を振り回しながら走っているような・・。
あ、腕を広げて上下に振ると、確かにだだをこねているようにも見えます。
私にはやっぱり喜んでいるように思えます。

■ compris
Parolemerde2001 at 5/21(水) 22:50:14 No.paroparo-20030521222314

オーブさん、こんにちは。

この compris は、やはり辞書的な意味では「含まれて」と考えました。
でも、訳語として「含まれて」では、変なので「一緒になって」と訳しました。
でも、理解されるという意味合いもあると思うのです。
つまり、子供ですから、自分が勝手に腕を振り回しているのに、
風見(鶏)も一緒にまわっている。
それどころか、指揮者が演奏者たちを指揮しているように、
子供の振り回す腕に合わせて、風見(鶏)がまわっている気になる、
たぶん、そんな感じなのかなと思います。
同時に、それは雨や風を喜んでいる、雨や風にもっともっとと催促している、
という意味でもあるのかなと、考えました。
駄々をこねると書いたのは、そういう意味なのですが、わかりにくいかも知れませんね。

この前の部分の喪服を着た子供たちのところも、いろいろな解釈がありました。
それ自体を象徴的に描いたイメージとして取ることもできます。
私は、建物は教会と考えました。
したがって、merveilleuses images の images は、たとえば、「渇きの喜劇」の 
Vois les images, les fleurs,
Nous rentrons du cimetiere.
のように、像、つまり肖像画やレリーフのことと考えました。
もちろん、キリストの像や画も含まれます。
建物を学校と考える解釈もあります。
喪服は、影に見える子供をイメージしていて、
merveilleuses images は、大洪水の後の窓からの眺めという解釈です。
さらに、建物を水晶宮のようなガラスの建物と取ることもできます。
ただし、わたしは、この詩は1872年の初夏の作品ではないかと考えています。
「フレーズ」の後半とされるタイトル無しの詩にも、類似の表現が見られます。
この時期の作品と考えた場合は、水晶宮は考えにくくなります。

■驚異の映像
オーブ at 5/22(木) 06:49:33 No.paroparo-20030522062442

パロさんどうもありがとうございました。
私にはまだ想像力がかけていますね~。
うん、うんとうなずいてしまいました。
そうですね~、自分が手を振り回しているだけなのに、
視界に入る風見や鶏が、自分に同意してくれているかのように
一緒に回っているようにみえる気がする、
というのがよくわかります。

Dans la grande maison de vitres encore ruisselante les enfants en
deuil regarderent les merveilleuse images.

前後してしまいましたが、私も「喪服を着た子ども」の解釈で考え込んでしまいました。
影になっている様子だとすると、意味そのものより、映像重視ですね。
この子どもたちの中にランボーも含まれていると考えていいのでしょうか。
les merveilleuse images
は、大洪水の後の窓からの眺め、というのと、パロさんがおっしゃるように、聖画などキリスト関係のレリーフという解釈があるのですね。
確か、プレイヤッド版は、この建物のことを学校ととらえていました。
そうですね・・、私のイメージとしては学校が近いかもしれません。
les enfants となっていることや、大雨の後の驚異の映像を窓から見ているという感じで。

それ以下、急に話題が変わるのがおもしろいです。

Madame *** etablit un piano dans les Alpes.....
大自然の中にも人間の生活、旅行だったり、宗教だったりが押し寄せてきたのですね。

■タイム
オーブ at 5/22(木) 07:07:11 No.paroparo-20030522065253
Splendide Hotel fut bati dans le chaos de glaces et de nuit du Pole.

ホテルと、極地の夜と氷の混沌の中、という対照的な二つの表現がいいですね。

それ以下、

Depuis lors, la Lune entendit les chacals piaulant par les
deserts de thym,....

急に調子が変わって、自然、または野生が出てきました。
滅びていく自然へのランボーの同情かもしれません。

タイムは、フランスでは有名なハーブの一種で、肉や魚の臭みを消す効果があるので、肉の中に詰めたり、上からまぶして焼いたりします。
私もタイムを栽培しています。(^^)
とても、強くて、そしていい香りがします。
うさぎも食べるので、おやつがわりにあげています。

あ、desertsで育つから、あまり水を上げる必要はないのですね・・。

■教会と学校
Parolemerde2001 at 5/22(木) 14:34:45 No.paroparo-20030522143339

オーブさん、こんにちは。

フランス語で初めにこの詩を読んだ時は、私も、この建物を学校と捉えていました。
でも、いつからか、教会になってしまいました。
もちろん、どちらが正しいかは判りません。

なんで、教会に変わったのかというと、ランボーは幼・少年時代に教会に行かされていますね。
兄のフレデリックが扉の隙間(おそらく蝶番側)に、傘の先を突っ込んで、そのとき、ランボーが戸を動かして、先を折り曲げてしまったとか、それで、母に怒られないように、ランボーの傘も同じようにした、おそらく、アルチュールがフレデリックをかばったのでしょう。
母も、良い子のアルチュールの方に甘かったのでは。
その後、ふたりはその傘を持ち続けさせられたとか、伝記で読みました。

ガラスの家から部落の広場まで、繋がっていると考え場合、教会の方がイメージが連続するような気がしました。
学校の方が、抜け出しにくいのでは…とも考えました。
シャルルヴィルのコレージュの写真では、窓はたくさんないし…。
でも、いろいろに読めて判りませんし、いろいろに読んで良いと思います。

■>タイム
Parolemerde2001 at 5/22(木) 14:38:29 No.paroparo-20030522143816

タイムは、ローズマリーやラベンダーほどは日本で普及していませんね。
ラベンダーやローズマリーは、香水や化粧品、トイレタリーなどに使われていますが、タイムはあまり使われないからでしょうか。
草と花が小さくて目立たないからでしょうか。
あるいは、青臭さのより強い香りが受けないのでしようか。

今では、乾燥したものを使うことがほとんどですが、庭付きのアパートに住んでいたときに、ハーブを栽培していました。
タイムは、とりわけ高温多湿に弱く、梅雨時になると痛んでしまいました。
乾燥した環境なら強いのでしょうが…。
日本の山にも自生しています。
私が白馬で見たのは、タイムより少し葉が大きかったですが、これは環境のせいかも知れません。
でも、日本料理などでは使われないようですね。
かって、栽培していたときに、タイムとローズマリーを豚ロースに仕込み、紐でくくり、焼き色を付けてから、天火でノワイイ酒とミルポワで蒸し焼きにしました。
良い匂いだったのでしょう。大家さんの犬が吠えました。
ジャッカルは、近くにいませんから…。

サボワでは、そのままのソシソン、ポワブレのソシソン、タイムまぶしのソシソン、ローズマリーまぶしのソシソンを売っていました。
全部買って食べてみました。

■ Dans la grande maison de vitres...
オーブ at 5/22(木) 22:12:17 No.paroparo-20030522215138

パロさん、こんばんわ!

>学校の方が、抜け出しにくいのでは…とも考えました。

私も思いました!
これがちょっと引っかかっていました・・。
学校だと、そうそう一人で抜け出せませんよね。

アルチュールと、兄フレデリックのかわいらしい話があるのですね。
二人は子どもの頃、双子のように仲が良かったようですね。
兄のフレデリックも、優等生の弟に嫉妬することなく、二人はいつも一緒だったとか。
しかし、フレデリックのことはあまり語られませんね。
軍隊に入るのに家を出て行ったから、アルチュールとの仲が希薄になってしまったのでしょうか。

確かに、あのコレージュには大きな窓はなかったような・・それに、
Dans la grande maison de vitres...
とわざわざ窓ガラスを強調しているので、教会のステンドグラスととるのが自然かも。
ここの一節も不思議と美しい表現ですね。

■ハーブ
オーブ at 5/22(木) 22:29:05 No.paroparo-20030522221333

フランスの田舎には、必ず教会がありますね。
村でも、教会、小川、水車は必ずあると、フランス人が行っていました。
特に昔だと、この3つは生きていくのに必要な物だったのでしょう。
今でも残っていて、私も村めぐりをしに、連れて行ってもらったことがあるのですが、この3つはどこにでもありました。
昔の洗濯場も見ることができました。
今でも小川の水が流れていました。
もちろん、誰も洗濯はしていませんが。(笑)

タイムは日本ではあまり普及していませんね。
なんといってもラベンダーやローズマリーでしょう。
フランスはいろいろなハーブがあって、春先になると、いっせいにお花屋さんで売り出されます。
ハーブは乾燥している地域の方が適しているのかもしれません。
でも、日本にもタイムが自生しているのですね!
パロさんはグルメですね!
ハーブを使った料理の本など買ったのですが、オーブンがないので、まだ試してません。(苦笑)
フライパンでがんばってます。
お肉を焼くときに、適当にタイムをまぶしたりしてる程度です。(ははは・・)
日本ではあまり、ハーブをお料理には使いませんね。
シチューの中にローリエが入ってたりしますが・・。
基本的に和食には向かないのかも(臭みがないし)。

■マザグラン・コーヒー
オーブ at 5/22(木) 22:39:59 No.paroparo-20030522223052

ここの解説を読んでいて、ふと思い出しました。
ずっと前、フランス人とカフェに入ったとき、コーヒーにブランディーを入れると言っていました。
マザグランのことかどうかはわかりませんが・・。
私ははじめて聞いたのでびっくりしましたねぇ~。
紅茶にブランディーを入れることはありますね。
大阪の私がよく行くカフェ(というより喫茶店^^;)
で、アイスティーを注文すると、必ず一緒にブランディーが出てきました。
私はお酒に弱いのですが、こういう風に少しアルコールをたしなむのもまたいいものです。
一度、アルコール入りのコーヒーを注文してみようかしら・・。
でも、アイスコーヒーはないような・・。
あれは日本だけと聞きましたが本当はどうなんだろう?

■>マザグラン・コーヒー
Parolemerde2001 at 5/22(木) 23:50:13 No.paroparo-20030522225757

どうなんでしょう…
アイスコーヒーは日本では、蒸し暑い夏の必需品なのでしょう。
でも、私の少ない外国体験の範囲では飲んだことはありません。
飲んでいる人も見なかったような…。
でも、辞書には cafe glace とあります。
パリのカフェはどうですか。マザグランはありますか?
東京では、テーブルにブランデーの小ビンが置いてあるところもありました。
今は、安い喫茶店にしか行かないので、判りません。
ところで、冷やし中華は本来の中華料理では無く、日本のものらしいです。
台湾人にインタビューしたときに、そう言っていました。

銀座に、かってのパリの epicier を真似した店があり、紅茶などの売店の他に、喫茶室もありました。名前は忘れました。
1回だけ入ったことがあります。(高いから…)
そこのメニューには、確かマザグランコーヒーがあり、カッコにアイスコーヒーと書いてあったような…。
ブランデーがついてくるのかどうかは判りません。
頼んで見れば良かったですね。

マザグランコーヒーは、昔ですから、アイスコーヒーではなくて、冷ましコーヒーだったのでは。
たしか、トルココーヒーは、粉にお湯を注いで、粉を沈めてそのまま飲むのだったのでは。
今はどうか判りませんが…。
画家のパウル・クレーが、やはりこのタイプのコーヒーをモカで飲んでいたという記事を見ました。
クレーは、チュニジアに旅行したときに知ったのかも知れませんもね。
コーヒーは、そのまま冷まして飲むと、氷が入って無くてもスーとします。
昔の暑い地方なら、これで結構、重宝したのかも知れません。
またこれにブランデーを入れても、それなりに飲めると思います。
今では、冷蔵庫がありますから、物足りないでしょうが。
でも、ブランデーは当時のアルジェリアには無かったのでは。
フランスに伝えられてから、変わったのでしょうか。

などなど考えていますが、ほんとのところは、判りません。
今では、使われない言葉と、何かの辞書でみましたが…。
なんで、「大洪水の後」に突然でてきたのでしようかね。
おまけに、冷ましコーヒーから湯気が立つのも変だし…。
言葉遊びなのでしょうか、父の思い出からの連想もあるのでしょうか。

■マザグラン・コーヒー
オーブ at 5/23(金) 01:46:55 No.paroparo-20030523014235

マザグラン・コーヒーのサイトです。
フランス語ではありませんが・・。

Cafe Mazagran - et brus af aroma

何語だろう?
あることはあるんですね~。
あと、cafe glace, froid などで検索すると、結構出てきたので、フランスでも、アイスコーヒー、飲むんですね。
コニャックを入れると書いてありました。

http://www.1001cocktails.com
1001Cocktails - La recette du Cocktail Cafe glacie!

マザグランは冷たいのだけでなく、熱いのもあるらしいです。

■>マザグラン・コーヒー
Parolemerde2001 at 5/23(金) 02:18:34 No.paroparo-20030523020332

いろいろありがとうございます。
上のサイトは開きませんでした。

再度、辞書と注でチェックし直しました。
冷・温いずれもあるみたいですね。ロベールにはそう出ていました。
ポショテク版の注には、グラスに入れたブラックコーヒーで、長い混ぜ棒で、砂糖と水、ときにブランデーを混ぜるとありました。
では、当時流行のアイスコーヒーという人文書院の注は、意味を限定しすぎかも知れませんね。
でも、辞書でも、冷ましコーヒーというのがあったように記憶がありますが、今の辞書にはないです。

もう一度、考え直した方が良いですね。でも、熱いコーヒーとしたら、どんな意味なのでしょう。
働き者が家を建てて、みんなは喫茶店でだべっていた…? なんだろう。
ただ、イメージしたのかな?

■コーヒー
Parolemerde2001 at 5/23(金) 11:32:31 No.paroparo-20030523112535

そういえば、ランボーは、アラビアのアデンで、コーヒー豆の出荷梱包の監督をしましたね。
「渇きの喜劇」では、ご先祖が「珍しいお茶に、コーヒーも、/ヤカンにコトコト沸いている。」とあります。
ランボーが子供の頃、シャルルヴィルでは結構、贅沢で珍しいものだったのでしょうか。
あるいは、父のイメージと係わりがあるのでしょうか。

■コーヒー
オーブ at 5/23(金) 23:00:33 No.paroparo-20030523223450

フランスでのコーヒーの歴史は長いようですが、片田舎での家庭で嗜好品だったかはわかりませんでした。

https://www.maisonducafe.com/cafes/histoire/
L'histoire du cafe - Histoire, culture, ...

ただ、カフェは結構あったようですね!

今は、フランスの家庭ではカフェ以外で、家でも習慣のように飲んでいます。
食事の後は、デザート、その後はコーヒーを飲みながらチョコレートを食べたりします。
ひそかに、デザートを食べながらコーヒー、のほうがいいんでは?
と思ったりしますが、習慣なので変えられません。(笑)
でも、mari もそうなのですが、フランス人でも体質的にコーヒーがダメ、というひともいるようなので、フランス人だからといって全員コーヒー好きとは限らないようです。

この詩ではどうでしょう。
ビーバーのように働いて、家を建てたあと、カフェで一杯やる・・みたいな感じでしょうか。
マザグランだと、アルコールも入っていることだし、良いかもしれません。

ランボーの場合、父親がアルジェリアなどに行っていたようなので、コーヒー豆を持って帰って、家で沸かして飲んでいた可能性もありますね。
でも普通の家庭では贅沢品だったのかな~?
メリーゴーランドと同様、調べてみると面白そうです。

■春
オーブ at 5/24(土) 07:28:10 No.paroparo-20030524065154

Puis, dans la futaie violette, bourgeonnante, Eucharis me dit que c'etait le printemps.

う~ん、なぜここで急に春になったのでしょう。
しかも、ただ「春になった」ではなく、ユーかリスがぼくに春だと告げたのは、なぜなのでしょう。
急に場面が変わった気がしました。
ジャンコラ氏のコメント、
Une nymphe annonce au poete le printemps. Pourquois s'effarouche-t-il?
Il craint le cycle qui reprendrait....

ちょっとわからなかったのですが、春が来たことは季節が巡っているということで、それと同じように、また秩序や、退屈が戻ってくることをランボーが恐れているといいたのかな、と思いました。

ランボーは自分で春になったことに気づいたのではなく、(ユーカリスに)気づかされたというのが、
ポイントですね。

プレイヤッド版によると、ちょっとピントが外れていまして、ますますわからなくなりました。
ランボーは羊飼い、牧人などはばからしい(取るに足りない)と思っていたので、本物の自然とは関係ない・・。
だからユーカリスの言うことを理解しなければならない。

春が巡ってきたというのは本当ではなくて、元の退屈な世界が戻ってきた、ということの言い換えということでしょうか。

■>コーヒー
Parolemerde2001 at 5/24(土) 19:55:00 No.paroparo-20030524195143

私もネットで mazagran を調べてみました。

コーヒーの歴史が載っている以下のページには
Mazagran : cafe frappe, cafe glace とありました。
Mazagran : Cafe noir chaud ou froid auquel on ajoute de l’eau de vie et du sucre.Vous le servirez dans un verre a pied.

また、今でも、逆三角形の形のグラスを mazagran と呼んでいます。
もともとは、やはり粉を入れたのでしょうか、Grain de Cafe とあります。

その他、通りの名前に多いようです。
rue Mazagran, rue de Mazagran など。

結局どんなコーヒーかは、よく解かりませんでした。
また、本来の入れ方、ランボーの頃の入れ方、現在の入れ方、必ずしも同じではないかも知れません。

想像出来ることは、粉のコーヒーをマザグラングラスに入れて、お湯を注いで出す。多くの場合、粉を沈めるために放っておく間に冷める。
あるいは、ポショテク版の注にあったように、粉の他に砂糖を入れて混ぜるとか。
こんな飲物だったのでは…。
今では、グラスの名前のイメージの方が強いのかも知れません。
アイリッシュコーヒーのサイト、ルセットの9番目にマザグラングラス入りがあります。ブランデーと砂糖を入れます。
これは、ホットコーヒーです。たぶん、アイリッシュアレンジでは。

それにして、ビーバーとマザグランの出会いがよく解かりません。
でも、このコーヒーは結構リッチなコーヒーだったようですね。どうやら。
ところで、mari さんは何を飲んでいるのですか。
オーブさんは、家では飲まないのですか。

■春とユーカリス
Parolemerde2001 at 5/24(土) 20:39:04 No.paroparo-20030524203817

このユーカリスが突然出てくるところは、私にも良く解かりません。

おそらく、この詩は、本当の洪水ではなく、春先の大雨と、氾濫したムーズ川の記憶と、ノアの大洪水などの書物や絵画のイメージが結びついたものなのでしょう。
「酔いどれ船」的な手法ですよね。
手法というほどテクニカルにできることではないのですが、ランボーの作品の中でという意味で。
春にならないで、洪水が起って欲しいという意味なのでしょう。
その意味では、ジャンコラ氏のコメントは解かります。

ユーカリスは水の精(ニンフ)ですよね。
ジャンコラ氏は tres belle と書いていますが、まあ、ニンフはたいてい美しいですよね…。
解説を書くときに調べてみたのですが、このニンフの神話でのキャラクターまでは解かりませんでした。
「一なるものを信じる…」とか、「首都の鉄道」などにも、水の精が出てきます。
オフェーリアも水に関わる女性です。
ランボーにとって、川はとくに重要な場所でした。海でもありました。
春は、「地獄での一季節」の序文でも愚かさのイメージがあります。
甘ったるいロマンチックな季節をイメージしているのでしょうか。
「涙」のように、春はやるせない季節だったのでしょうか…。

ポショテク版は、この詩は創世記との関連で説明されています。
Genesis 9-28 Apres le deluge, Noe vecut trois cent cinquante ans.
Toute la duree de la vie de Noe fut de neuf cent cinquante ans, puis il mourut.

ところでテキスト、テクスチュエル写真版を見たら、始めの部分は Aussitot que l'idee...で、apres は無いです。
「飢えの祭」も見ましたが、こちらは、ちょっと解かりにくいです。

■コーヒー
オーブ at 5/25(日) 01:57:48 No.paroparo-20030525012216

パロさん、こんばんわ。

サイトの紹介、ありがとうございました。
おいしそうなコーヒーですねぇ~。
それにマザグランと言われているカップはかわいいですね。
カフェに行きたくなりました。
当時のコーヒーの入れ方はどうだったのでしょう。
今みたいに、コーヒーマシーンなんてないし。(笑)
それに、豆を挽くことが普通の家庭でできたのでしょうか。
粉をいれて、お湯を注ぐというほうが簡単そうです。

この詩のビーバーは、本物のビーバーでしょうか。
私はてっきり働き者の人の例えかとおもって、家を建てた後、カフェでいっぱいやっているのかと思っていました。
ほんもののビーバーだとすると、そのつながりがわかりませんね。
ビーバーとカフェ・・ランボーの記憶にそういうのがあるのかな。
川の横にカフェがあって、そこからビーバーが働いているのが見えたとか。
または、ランボーの視点から、ビーバーが働いているよこで、カフェから湯気が立っていたのが
見えたとか・・。
でもそのような裏づけはありませんね。

mari は冷たいものしか飲まないんですよ。
水か、オレンジーナというオレンジジュースか、絞りたてのオレンジジュース(プレス)くらいでしょうか。
紅茶もダメなんです。
猫舌なのでしょう、すごく舌が敏感で刺激物にも弱いんです。(笑)

私は、今のところ、インスタントコーヒーに牛乳をいれてを飲んでいます。
そろそろコーヒーマシーンを買おうかと・・。

余談なのですが、アイリッシュカフェのサイトを見ていて思い出しました。
今では、カフェ・クレームというのが、カフェオレのことになっています。
もともとは、本当にコーヒーの中にクリームが入っていたそうですが、なぜか、時代とともに変わり、クリームの代わりに牛乳をいれるようになったとか。
名前だけが残っているんですね。
私はいつも、カフェではコーヒーではなく、このカフェ・クレームを注文します。
フランスのコーヒーはすごく濃いからです。
いわゆるフレンチコーヒーのことでしょうか、こちらには当然アメリカンはないし。(笑)
カフェにもよりますが、コーヒーを注文すると、たまに大きいサイズか、小さいサイズか聞かれるときがあります。小さいサイズだと、エキスプレッソのような感じです。
大きい方が得した気分です。
値段は同じだと思うのですが、濃縮度が違うのでしょうか・・?ちょっと疑問です。
カプチーノを注文すると、シャンティーという生クリームが入っています。
それをすくいとると、コーヒーはカップの3分の1くらいしか入ってません。(泣)
日本のカプチーノとはちょっとイメージがちがうような・・。

■>コーヒー
Parolemerde2001 at 5/25(日) 19:33:24 No.paroparo-20030525193245

オーブさん、こんにちは。

日本でも、フランス風カフエでは、エスプレッソが多いですね。
シングルとダブル、これは量だけの違いのようです。
青山あたりの大衆的なカフェの場合です。
アメリケーヌは受けませんか?
オレンジジュースは甘いので、あまり飲みません。
グレープフルーツジュースの方を飲みます。
オレンジーナは、イタリアンカフェなどで小ビンが置いてあります。

ビーバーは本物なのでしょうか。
ランボーは、突然、寓話的な世界に入ってしまいます。
始めのウサギもそうでしたが、象徴的ではあっても、ビーバーのように働き者の人間という意味ではないように思います。
この「大洪水の後」に関しては、勝手に空想が飛んでいってしまって、それが原詩で読む限りは、スムーズに読めてしまうのが不思議です。
この詩を書いた頃のランボーは、まだ寓話の世界に自由に出入りすることが出来たのでしょう。
でも、ビーバーは田舎の新興ブルジョワジーのイメージかも知れませんね。
働いて、家を建てて、カフェで流行のコーヒーを飲んで…。
マザグランは、父のいたアフリカのコーヒーということからも選ばれたのかも。
カフェ・クレームと同じで、当時のマザグラン、本来のマザグランが、今のマザグランとは、全く同じではないかも知れませんが。

シャンティイは、もともとは城の名前から来ているのでしょうか。
クレーム・シャンティイは、城盛りクリーム?

日本では、クレームはたいていホイップです。
つまり、植物油脂を乳化させたものです。
コーヒーについている小さなクレームも植物油脂です。
最近は、お店によっては、たっぷりと乗せてくれます。
あまり、多くない方が良いです。
もちろん、高級なカフェは、生クーリーム(乳脂肪)ですが…。

■犬の話
Parolemerde2001 at 5/25(日) 19:55:35 No.paroparo-20030525195441

約束のワンコの話です。といっても、本の話なのですが。
ドラエーがヴェルレーヌを初めて訪ねていった時、ランボーを訪ねたわけですが、大きな犬がでてきたことが、たしか「親しい思い出」だと思いますが、書かれていました。
ヴェルレーヌはすでに詩人として名前がありましたし、まあ、当たり前なのですが、有名人の家に来たら、大きなゴールデンリトリバーが出てきてびっくりした、というような感じでしょうか。
フランスの大衆絵入り新聞「イリュストラシオン」からテーマ別に記事を編集した、小倉孝誠氏の「19世紀フランス 愛・恐怖・群衆」によると、19世紀後半、ブルジョワジーの隆盛とともにペットブームが起り、1871年の新聞には、セーヌ川で犬を洗う職業に従事する男達が書かれているそうです。
1873年のドツグショーのチャンピオンたちの絵もあります。
ちょうどランボーの頃ですね。今の日本は、チワワブームですが…。
その頃が、犬も家族なみに扱われるようになった時代なのかも知れません。
Cette famille est une nichee de chiens.

でも、日本の場合は、犬奉行・徳川綱吉の時代がありましたね。
ペットブームではないかも知れないけど… 不思議ですね。

■お茶とコーヒー
Parolemerde2001 at 5/26(月) 12:25:02 No.paroparo-20030526121112

「渇きの喜劇」より
珍しい、「お茶」に「コーヒー」も、/ヤカンにコトコト沸いている。

「渇きの喜劇」の翻訳が終わったので、テキストの注をチェックしています。
珍しい、「お茶」に「コーヒー」について、ラコストが田舎の食卓では(当時は)貴重品と解釈していますが、ブリュネル氏は、ランボーのじじ・ばばの時は、le Blocus continental (1806年ナポレオンによる大陸封鎖)により、特に豊かな階層しか手に入れることが出来なかったことを書いています。
すると、働き者のビーバーは、お金持ちになったのでしょう。

■続・コーヒー
オーブ at 5/26(月) 21:13:16 No.paroparo-20030526204823

パロさんこんばんわ!

オレンジーナ、ソニープラザで売っているのを見たことがあります。
イタリアンでも小ビンがおいているのですね。
炭酸入りでなかなかおいしいので私も結構好きです。
赤いオレンジーナもあります。
これは赤いオレンジ?なのかどうかは疑問です。
でも普通のオレンジーナのほうがおいしいです。
アメリカン・コーヒーはないと思いますよ。
インスタントコーヒーでさえもけっこう濃いので、私は牛乳を欠かしません。
アメリカンは、アメリカ人用でしょうか。(そのまま!)

ビーバー、働いてお金持ちになたということですね?
やっぱり当時の一般家庭ではコーヒーは贅沢な嗜好品だったのですね。
カフェでコーヒーを頼むのも、贅沢だったのでしょうか。
コーヒーを注文する人がいると、おお~リッチ~みたいな・・。

クリームのシャンティってお城のシャンティと関係があるのかな?
あの形と、白いところがお城にみえないこともないです。
日本ではホイップクリームを使いますよね。
ホイップは植物性でしたか・・日本人は健康に気を使いますね。
好みもあると思いますが、私は、やっぱりシャンティの方がおいしいと思います。
私は日本にいるとき、生クリームは嫌いでした。
シャンティはデザートにも良く使われています。
でも mari にあげます。(^^)
おいしいけど、食べ過ぎると後が怖いので・・。(^^;

クレームがレになったのも、健康に対する配慮からかな、と一瞬思ったのですが、教えてくれたフランス人もなぜかはわからないと言っていました。

コーヒー、デザートと来ると、食事。(^^)
私は、どうもフランス風に、順番に出てくるのがあまりすきじゃないです。
前菜でおなかがいっぱいになってしまうパターンです。
それにいろいろまんべんなく食べたいです。
パロさんは、順番に料理が出てくるの、大丈夫な方ですか?

■わんこ
オーブ at 5/26(月) 21:39:12 No.paroparo-20030526212452

ではでは、ポールはゴールデンレトリバーを飼っていたのですね!
驚きました。
イメージと違うので・・。(笑)
日本でもちょっと前、ゴールデンレトリバーがブームでしたよね。
それにしても大きな犬を飼っていたのですね~。
プードルとかマルチーズならわかる気がしますが・・。
日本ではゴールデンレトリバーって最近では?
私が小さい頃は見た記憶がない。(^^;)
ヨーロッパではすでに愛玩犬として飼われていたんですね。

セーヌ川で犬を洗う!!
でも当時のセーヌ川はまだきれいだったんでしょうね。
19世紀後半はペットブームですかぁ。
確かランボーは犬が嫌いだったんですよね。
もう少し後の時代かもしれませんが、愛玩犬と一緒にポートレートをとるのが貴婦人達の間で
大流行したことがあるそうです。(確かイギリスだったような・・。)
その写真、今ではポストカードとかにも使われているようで、見たことがあります。
昔の人も犬をかわいがっていたんですね~。

徳川綱吉、動物愛護の将軍ですね。
ちょっとやりすぎちゃったかな、という感じはしますが。(笑)

■珍しいお茶?
オーブ at 5/26(月) 21:50:13 No.paroparo-20030526214020

どんなものがあったのでしょう。
中国茶とか、日本茶もあったのかな。

軍事博物館で、兵隊さんが戦地に持って行っていた、お茶のセットを見たときは感動でした。
戦地でもお茶をたしなんでいたんですね。
カップから見て、コーヒーか紅茶のカップのようでした。
セットの中身が、ほとんどなくなっていたので、何を飲んでいたかはわかりません。
お茶の缶は展示してありましたが、紅茶?でしょうか。
ちょっとわかりませんでした。

中国のものはかなり古い時代にも、フランスに入ってきていたようなので、珍しいお茶ってウーロン茶とかあったかもしれませんね。
軍事博物館でも、中国のモチーフのケースとかありましたよ。(おしゃれさんですね~。)
ナポレオンの時代ではなかったかと思います。
日本のものはみたところありませんでしたが・・。

■>わんこ
Parolemerde2001 at 5/26(月) 22:51:00 No.paroparo-20030526221925

オーブさん、ごめんなさい。
ちょっと雑な書き方をしてしまいました。
現代であれば… という喩えとして、最近流行した大型犬として、つまり例として挙げました。
犬の種類までは、書いてなかったように覚えています。
「19世紀フランス 愛・恐怖・群衆」(小倉孝誠著、人文書院)によると、「19世紀半ばにセントバーナード、第三共和制期に入るとプードルやコリーが流行した」と書いてあります。「1876年には住人12人につき犬が一匹とい割合だった」そうです。
ゴールデンリトリバーのブームは、盲導犬から来たのでしょうか。

さて、記憶が定かでない話ですが、子供の頃に読んだ童話に「ドリトル先生」がありました。
後で、Dolittle と知りました。ドリトル先生の犬は、雑種犬のジップ( Zip ? )、友人は、ネコ肉屋のマシューマグとなっていました。
変なのと思って、覚えてしまいました。
ネコ肉屋って、今なら、宅配ペットフード屋のことですよね。
何時頃の話なんだろう、作者もかなり前でしょうし、物語の舞台はもっと古いです。
汽車とかがなく、馬車だったような記憶があります。舞台はイギリス。
それから、ドゥリトル先生が、緑茶をもらうシーンがありました。
紅茶ではないのです。これも変だなと思って覚えてしまいました。
それから、リトリバーで思い出すのは、メリーポピンズ。
近所の犬のことが書いてありまして、リトリバーと○○○(忘れた)の雑種でお互いの悪いところばかり…とか、ロンドンで、リトリバーが流行ったことがあったのでしょうか?
変だと思ったことばかり覚えていて、肝心な物語は覚えていません。

そうそう、プードルって、本来?は、けっこう大きな犬ですよね。
真っ黒の犬は、毛がとてもきれいです。刈り込まないと別犬に見えます。
よく、19世紀のリトグラフなどに、女性とプードルが描かれています。
これも、流行のペットだったのでしょうね。
チワワは、日本の前は、どこで流行ったのでしょうか?

■お茶
Parolemerde2001 at 5/26(月) 23:08:29 No.paroparo-20030526225417

兵隊さんは、お茶を飲んでいたのですか…。

紅茶やコーヒーはやはりイギリス(の海運)経由のものが多かったのでしょうか。
ナポレオンの時代には、le Blocus continental (1806年ナポレオンによる大陸封鎖)による
影響があったことがポシヨテク版の注にありましたが、とはいえ、中国の緑茶とか、その代わり?に入ってきたのでしょうか。
けっこう、日常のことは解かりませんね。

日本では、なぜ植物性脂肪のホイップ、クリームが主流なのでしょうか。
でも、バターよりもマーガリンが普及していますし…。
日本の場合、乳脂肪の方が高いというのと、植物油脂の方がコレステロールが溜まりにくいと言われているのと両方でしょうか。
もともと、植物性の油脂の方が使われて来た訳だし…。

そうそう、当時のシャルルヴィルの食事ですが、1872年のドラエーへの手紙に、
La province, ou on se nourrit de farineux et de boue, .. .
とあります。このでんぷん質の粉(っぽい)の食事は何だったのでしょう。
ジヤガイモとか、もちろん、麦もあるでしようが…。
今度、調べてみてください。

■続・わんこ
オーブ at 5/26(月) 23:39:49 No.paroparo-20030526231839

パロさん、こちらこそごめんなさい。
私が早とちりをしていました。
あまりにもポールとレトリバーが合わなかったので、変だんな~と思いつつ・・。(笑)

プードルは本当は大きいですね。
こちらでもあまり見かけないのですが(小さいのはよくいます)、愛玩用に、本来大きかったのを改良して、小さくしたのでしょうか。
チワワはどうでしょうね~。
こちらでもわりと見かけますが、ブームとはいかないようです。
何年か前、パリではヨークシャーテリアが大流行していると、NHKのフランス語講座で言ってました。
俳優のジャン・ポール・ベルモントが飼っていたのがその理由だそうです。
今では定番になっているようで、よく見かけます。

ドリトル先生のとても面白い話をありがとうございました。
よく名前を聞くのですが、読んだことはありません。
ネコ肉屋・・・、この翻訳がすごい。
翻訳当時、日本にはなかったのでしょうね。
今では、「宅配ペットフード屋」にちゃんと変えられているでしょうか。
逆に考えると、当時のイギリスにはすでに、ペットフード屋があったって言うのもまたすごいですね。
イギリスは、今でも動物に関しては、特に進んでいるようです。
ネコ肉屋と聞いて、私は別のことを想像してしまいました・・。
緑茶ですか、やっぱり古い時代にも緑茶があったのですね。
イギリスにあったのなら、フランスにも入ってきている確立が高いですね。
馬車しかないってことは、19世紀の前半でしょうか?

メリー・ポピンズも読んだことがないです。
レトリバーが出てくるんですね!
これはいつくらいの話ですか?
イギリスはペット大国だったのかも・・。

■食事
オーブ at 5/27(火) 00:24:44 No.paroparo-20030526234338

日本は一般的に健康志向が強いかもしれません。
私もバターを使わずに、マーガリンを使いますし、マヨネーズもオリーブオイルから作られた植物性の(?!)を使っています。
できるだけ植物性のものを使うようにしています。
味はやっぱり動物質に比べると、劣りますね。
オリーブオイルも、味的には好きじゃないです。
たいていは普通のひまわり油を使っています。(^.^)

フランスは人にもよるでしょうが、例えば mari の実家はカロリーとかあまり気にしてないようです。(見た感じは)
お肉屋さんで買ってきたお肉に脂がついてますよね。
それをビン詰めにしてとっておいて、別の料理のときに使ったりしているし、お肉もよく食べてますね。

フランス家庭にホームステイしたことのある友達が、そこの家のムッシューが、歯が埋まるほど、こってりとバターを何かにぬって食べていたのを見て、「うっ」となった、といっていました。
食べっぷりも違いますね~。(笑)

伝統的に肉を食べてきたフランス人は日本人より、コレステロールがたまらない体質にできているんでしょうか・・?
医学的なことはちょっとわかりませんが、東洋人は西洋人に比べて、少し腸が長いと聞いたことがあります。
伝統的に穀類をたべるからで、消化率もよいそうです。
長い進化の過程で、体が食べ物に適応して変わってきたのかもしれませんね。

でんぷんと聞いて、やはり思い浮かぶのはじゃがいもです。
フランスもけっこう食べますね~じゃがいも。
ふかしたジャガイモに、バターをぬって食べたり・・。
ドイツや、イギリスはジャガイモを食べるのは有名ですよね。
北フランス、寒い地方だから、シチューとか体を温める食べ物があったのかな?
また調べてみます。

■女王、魔女
オーブ at 5/27(火) 06:11:18 No.paroparo-20030527055539

話が脱線してしまい、すみません。(^^;

では「大洪水の後」に戻ります。

いよいよ最後の部分です。

la Reine, et la Sorciere qui allume sa braise dans le pot de terre, ne voudra
jamais nous raconter ce qu'elle sait, que nous ignorons.

ここの女王、魔法使いは中世の頃キリスト教に反抗したシンボル「魔女」ということでしょうか?
1、「彼女が知っていてぼくたちがしらないこと」
は何なのか。
2、なぜ彼女はそれを決して語ってくれないのか?
ということを考えています。

パロさんの解説による、退屈な社会を破壊する「火種」とはつまり大洪水の起こし方、のようなものでしょうか。
どうやったら、退屈な社会を破壊できるのか、変えていけるのか、というようなことを魔女は知っているけれど、ぼくたち(人間)はしらない。
そして、魔女は教えてもくれない。

謎めいた一節です。

■>女王、魔女
Parolemerde2001 at 5/28(水) 00:56:54 No.paroparo-20030528002133

ここは、意味不明ですね。
ガルニエ版の注でも、particulierement obscur となっています。
魔女しかしらないことを、話さないのだから、わかりっこないですね。
魔女は、女の悪魔ですよね。
大洪水の後、虹によって神と契約を結んだのですが、悪魔と契約を結んだらどうなるのでしようか。退屈ではないかも知れません。
その悪魔は、女の悪魔で、種火を起こしています。
種火は、反乱の火種なのでしょう。
ここで、魔女と大洪水と反乱(コミューヌ)が、無理やり結び付けられている気がします。
なんか、解かったような、解からないような… と考えていますが…。

ところで、おもしろいのは、やはりガルニエ版の注(ベルナール)で、ミシュレの魔女がランボーのイメージの元という説の他に、何人か( certains )が、ここにマダム・ランボーを見てきたとあります。
Devotion の二人目のシスターは、Leonie Aubois d'Ashby ですが、私は、Ashby は英語のもじりで、灰のそば、つまり、そのまま訳してしまうと、ストーブ(暖炉)の側の森のライオンですね。
ストーブは、童話に出てくる調理兼用の大きな暖炉です。
ライオンは e で終わっているからメスライオン、雌獅子と考えています。
これは、たぶんマダム・ランボーのことと思います。
まあ、確かに、どこかで繋がっているかも知れません。

■魔女
オーブ at 5/28(水) 22:32:22 No.paroparo-20030528215742

まだはっきりした解釈はないのですね。
ランボーも意味ありげなことをやってくれますねぇ~!!
「彼女が知っていてぼくたちが知らないことを教えてくれない」ときたら、それが何か知りたくなるのが、人というものです、うん。
なんて言ってもはじまりませんね~。

ランボーは大洪水と、パリ・コミューヌを結び付けていたというのは私も同感です。
どちらも古い世界を崩壊し、新しい世界を作るという点で共通しますね。
魔女は種火を起こしています、それが反乱の火種だとすると、次の機会を狙っているのでしょか、そうだとすると、ランボーの希望なのかもしれません。

この魔女が母親だとすると、また解釈が違ってきますね。
そうすると、「彼女が知っていてぼくたちが知らないこと」は「決して反乱なんておこらない」ってことなんでしょうかねぇ~。
キリスト教が絶対のマダムランボーの性格からして、反乱の火種を起こしているようには考えられません。
Devotionと関連付けて考えると、ここで、火種をつけるという表現は、ただ、母親が暖炉で火をおこしている姿の言いかえかもしれないと考えました。

nous、ここでは、自分と兄妹を指しているのでしょうか。
ランボーはなんとなく、どんなことをしても世界は変わらない、または変わる術がないと、心のどこかでわかっていたのではないでしょうか。
世界は変わらないことを、結局僕たちは知らないままでいる、だって、魔女が教えてくれないんだもん、っていうような。
なぜ教えてくれないのかまたそこが疑問なのですが。
う~ん、わかったようなわからないような謎めいた一節です。

■>魔女
Parolemerde2001 at 5/29(木) 02:54:38 No.paroparo-20030529025352

ランボーが言葉によって世界を変えられると思っていたのは何時頃までなのでしようか。
どのように、変化していったのでしょうか。
かっては「地獄での一季節」が「白鳥の歌」と言われてきましたが…。
これも、ランボーが自ら「劇的傑作を演じる舞台(「人生」)」に仕立てあげた面もあります。

たとえば、「地獄での一季節」の「錯乱 I 愚かな処女」では、ヴェルレーヌのふりをして次のように語ります。
「…彼はおそらく「世の中を変える」ための秘密を握っている? 
いいえ、彼はそれを捜しているだけです…」
さら、もう少し先には、
「…目が覚めると、――彼の魔法の力のおかげで、――法律も習慣も変わっていて、
世の中は元のままだけれど、私の欲望や、楽しみや、気楽さのままにさせてくれるのです。
おお! 子供の本にある冒険生活を、私はこんなに苦しんだのですもの、
ごほうびに、あなたは私に与えてくれるのかしら? 彼にはできません。…」
「放浪者」の中では、次のように書きます。
「…おれはこの計画に熱心に身を入れていなかった。…」
これは、ランボーの見者プロジェクトのことを言っているのでしょう。

この詩を書いた時点では、どうだったのでしょうか。
この詩も「子供の本にある冒険生活」から、それほど遠くは無いでしょう。
nous は、単なる一般的な nous だと思います。
ランボー兄弟・姉妹も含まれてはいるのでしょうが。

言葉によって、生活全体、つまり vie を変えることと、文学の世界、それもパリの詩壇ですがを変えることとは、また違うでしょうし…。
でも、どんどん夢がしぼんで行ったでしょうね。

詩は「――固定されず、全く強いられていない、あなた方の踊りと
歌声にすぎない、――権力と権利が今ようやく評価された
踊りと歌声を反映している。」(「青春時代」)というように。

■世界を変える
aube at 5/30(金) 00:15:55 No.paroparo-20030529235647

映画「太陽と月にそむいて」で、「言葉で世界が変えられると思っていたが、それは無理だと気づいた、世界は何も変わらない」というような意味のことをランボーが言っているシーンがありました。
でも、いつどこのシーンでだったかははっきり覚えてません。
ヴェルレーヌとの仲がこじれたあたり?でしょうか。
しかし、ランボーがいつそれを自覚したのかは映画ではわかりません。

なんとなくは、早いうちから自覚していたのかもしれません。
ただ、自分で知らないふりをしていただけで。
認めたくないと言う気持ちと、まだどこかに「自分が世界を変えられるかも・・」と言う希望があったのかもしれません。
それでもやっぱり変えることができなかった。
パリの詩壇もその当時は変わりませんでしたね。

ランボーは母の前でいい子を演じている、ということにも早いうちから気づいていたようですね。
いい子を演じている自分と、それは演技だ、と客観的に醒めた目で見ている自分と・・。
見者の手紙で「je est un autre」と言っていることも早いうちからなんとなく気づいていたんでしょう。
etre が、一人称の活用 suis ではなくて三人称のestになっているところが、「自分は他者」というのが表れていて面白いと思いました。
日本語にはないですものね。

■「カフェの文化史」
Parolemerde2001 at 5/31(土) 00:52:19 No.paroparo-20030531004743

図書館から「カフェの文化史」を借りて来て読んでいます。
ボードレールやヴェルレーヌはたっぷり出てきます。
もちろん、ランボーも出てきますが、追い出されてしまいます。
「王権」を連想します。
フランスのカフェをボヘミアンと取っています。

「カフェの文化史」スティーヴ・ブラッドショー著/海野弘訳/三省堂/1984年

■続「カフェの文化史」
Parolemerde2001 at 5/31(土) 17:39:34 No.paroparo-20030531173857

オーブさん、こんにちは。
現在のパリの左岸、右岸のカフェはどんな雰囲気でしょうか…。

今、「カフェの文化史」をポツポツ読んでいます。
近代のイギリスでも、カフェは文化の拠点として流行したと書かれていますが、ボヘミアン的なカフェは、やがてブルジョワ的クラブに替わられたと書かれています。
ランボーがロンドンに行ったときには、少なかったと思われます。
フランスでは、革命家や芸術家の溜まり場として、長く栄えてきましたが、それでも、社会とともに推移して来ました。
左岸で成功した、カフェそのもの、画家、文筆家などが、成功すると右岸に移っていったことも書かれています。

パリのサロンでのランボーの粗暴な振る舞いの背景には、かってシヤルルヴィルに居た頃、読んだり聞いたりしたカフェでの、ボヘミアン芸術家の奇行への憧れ?と、周囲への苛立ちが、混ざっていたのでしょうか。

■左岸、右岸のカフェ
aube at 5/31(土) 20:57:03 No.paroparo-20030531202207

パロさんこんにちわ!

パリの右岸と左岸のカフェ・・。
個人的にはどちらもそんなに差はないと思うのですが。
左岸のサンジェルマンには代表的な、「カフェ・ド・フルール」や「レ・ドゥー・マゴ」
などがあります。サルトルが待ち合わせの場所に使ったり、仲間と哲学について語り合ったといわれる有名なカフェです。
でも私は入ったことがないです。
どちらもすごく大きなカフェで、いつも人でいっぱいといったイメージです。

私がたまに行く、同じく左岸のシテ島のカフェ、オデオン(サンジェルマンの近く)のカフェはちょっとサロン・ド・テを連想させます。
お店のつくりが南仏風でデコレーションもとてもかわいいです。
マレ地区も、おしゃれなサロン・ド・テが見た感じ、けっこうありますね。
(入ったことはないです。^^;)
今書きながら思ったのですが、左岸のカフェはそうですね・・ちょっと洗練された感じでしょうか。おしゃれな人が集まるような・・。

今気づいたのですが、あまり右岸には行ったことがないな~。
でも右岸と言えばなんと言ってもモンマルトルでしょう。
大好きな界隈です。
すごく庶民的で、カフェやレストランもどこか懐かしいかんじがします。
これが本当のフランスの伝統のカフェなのでしょうか・・。
少しカフェとはずれてしまいますが、夜のモンマルトルは独特な雰囲気があり気に入っています。
やはり昔ながらの庶民のパリが残っているんでしょうね。
アパルトマンのオレンジ色で統一された照明など、見ていてノスタルジックな気分になります。
これを書いていて幸せな気分になってきました。(^.^)
ただ、家から遠いので、夜にいくことはめったにないです。
残念・・。

全体的にカフェは、とても薄暗く落ち着いた雰囲気です。
たいてい音楽も流れていません。
カフェは話をする場所なんですね。
何時間いても嫌な顔をされませんし、出て行くように催促もされませんので気兼ねしなくていいです。
お金だけ先に払って、あとは好きなだけいて OK です。
全体的に、カフェのボーイさんは愛想がいいですよ。

>左岸で成功した、カフェそのもの、画家、文筆家などが、成功すると右岸に移っていったことも書かれています。

ああ、そうなんですか。
逆かと思っていました。
左岸のほうが、リッチなイメージが・・右岸は普通ですね。

ランボーはパリにいたとき、ソルボンヌにすんでいましたね。
ランボーも「カフェ・ド・フロール」にいったのでしょうか?
このカフェがいつからあるのかはわかりませんが。

売れない芸術家は家賃が安いことからモンマルトルの長屋に住んでいたようです。
(今はもうないです。)
ロートレアモン伯爵もそうでしたね。
だからランボーがソルボンヌに住んでいたのは意外でした。
やはりヴェルレーヌの後ろ盾があったからでしょうね。
バンヴィルもソルボンヌ界隈に住んでいたようですし。

■大洪水の後、まとめ
aube at 5/31(土) 21:57:53 No.paroparo-20030531211057

この詩はとても幻想的でした。
頭の中に映像が浮かんできます。
1シーンごとにスケッチができそうです。
ランボーも絵画を意識してこの詩を作ったのでしょうか。

そして、重要なテーマである、「大洪水が起こって、今の退屈な世界を壊してくれたらな!」
という子供の考え。
ランボーにとって退屈は敵だったんですねぇ~。
でも大洪水は実際にはおこったわけではなく、大雨はやんでしまった。

Sourd, etang, Ecume, roule...., montez et roulez

などなど最後のほうで切に大洪水の到来を祈るランボー少年がちょっとかわいそうだったりします。

そして私がいいな、と思ったシーンは
l'enfant tourna ses bras, compris des girouettes et des coqs des clochers de partout, sous l'eclatante giboul醇Pe.

パロさんに解説していただいたように、腕を振り回しているのは自分だから、風見鶏や鐘楼の鶏は実際はまわってはいない、でも風見鶏が自分と一緒になって回ってくれているように見える。
これは子供の視点ですね。
月がついてくる、というのと同じことですね。
忘れていた感覚を思い起こさせてくれる一節でした。
それに動きもあって、この短い一節からたくさんのイメージを連想しました。
教会のドアが開いて、子供が走って出てくる、輝く雨が降っている、続く村の広場で、この子は腕を振り回している、風見鶏や、鐘楼の鶏も一緒に回っているように見える。

19世紀末にはもう文明や宗教、海外旅行など娯楽が未知の世界にまで押し寄せ始めていたことなどを知ることができた、興味深い詩でもありました。
特に、海外旅行の存在は少し驚きました。
パックツアーのさきがけのようなものがあったのですね、パロさん?
Splendide Hotel は現代的な表現ですね。
auberge ではないところが、近代化の波を感じます。

そして、最後の落ちが一番気になりますね~やっぱり!
はっきりした解釈はまだないということで、いろいろな解釈が考えられるので、引き続き考えたいです。
ランボーの冷めた、少しあきらめにも似た口調で語っているように私には思えました。
ランボーは自分が世界を変えられないことを、わかっていたけれど気づいてないふりをしていたのでは、と前に書きました。
そのことを具体的に考えていこうと思います。

この詩では、カフェや犬の面白い話が出てきて、 フランスの庶民の歴史(?!)を考えるのに良かったと思います。
また何かあったら書き込みしたいと思います。

これでまとめになったのかどうか・・。(^^;

■>右岸、左岸
Parolemerde2001 at 5/31(土) 22:34:09 No.paroparo-20030531222455

これは、19世紀の中頃の話なので、今とは違うと思います。
当時のパリは、オスマンの改革により、大きく変貌したそうですし、その後も、何回か再開発されたと言うことですが…。
この本は、カフェの歴史なので、パリの歴史まではあまり書いてありません。
詩人が集まったカフェ、画家が集まったカフェ、とくに印象派の成立とカフェの関係も書かれています。

1880年代のロンドンのカフェで、ワイン、ブランデー、そして冷やしコーヒーが出されていたとあります。
冷やしコーヒーには、マガグラン(たぶんマザグラン)とルビがあります。
英語の原書ではマザグランで、翻訳者が冷やしコーヒーとしたのでしょうか。
とにかく、マザグランこーひーのことでしょうね。

■たとえばボードレールは…
Parolemerde2001 at 5/31(土) 23:00:06 No.paroparo-20030531225438

「カフェの文化史」の右岸、左岸について、たとえば、ボードレールについても、次のような記述があります。
「…十代の頃には、ラテン区のもっと優雅さに駆けるカフェに出入りしていた。
…ボードレールが、右岸のより優雅な社会に進出したのは、
1842年に、青年に達して三千ポンド受け継いでからのことである。…」
(英語の本なので、金額がポンドなのでしょう)

「カフェの文化史」スティーヴ・ブラッドショー著/海野弘訳/三省堂/1984年 より引用

■世界を変える
Parolemerde2001 at 6/2(月) 00:49:27 No.paroparo-20030602003937

そうですね、
ランボーがどの位、詩で世界を変えられると思っていたか、いつから、変えられないと考えはじめたのか、それが、詩を書くことに、また詩の中に、どう反映したか、ですね…。

でも、「見者の手紙」に書かれた理論自体が、つまりコミューヌは敗北が迫っている、現実は変えられないだろう、それを、詩で代行してみようという理論だと思うのです。
詩は進歩の乗数になって、つまり未知ヴィジョンによる意識変革を起こさせるものであっても、社会変革を起こさせる思想や行動の母体とは、明言していないのでは…。

■右岸、左岸、パリ
オーブ at 6/3(火) 01:25:19 No.paroparo-20030603011216

オスマンの改革によって、パリが著しく変わったのですね。
そういえば、昔あって、今は取り壊されてなくなった通りなどを紹介した写真集がありました。
( Promenades dans le Paris disparu )
左岸と右岸に別れているとは言っても、パリはどこでも家賃が高いと思います。(^^;
でも、高級住宅街だと普通とは比べ物にならないくらい法外なのかもしれません・・。
住んでみたいものです。^)

■世界を変える
オーブ at 6/3(火) 01:53:29 No.paroparo-20030603012658

ランボーは未知ヴィジョンによる意識変革を起こさせることで、世界が変えられると思っていたのですね。
でもそれでは世界が変わらない事にあるとき気づいた。
ランボーは革命家にはならなかった。
コミューヌが失敗し、革命では世界が変えられないと思ったのでしょうか。

・・・ところでランボーはどんな世界にしたかったのでしょう。

■ Enfance
aube at 6/3(火) 05:17:44 No.paroparo-20030603050854

Enfance

Cette idole, yeux noirs et crin jaune, sans parents ni cour, plus noble que
la fable, mexicaine et flamande; son domaine, azur et verdure insolents,
court sur des plages nomm醇Pes, par des vagues sans vaisseaux, de noms
Procement grecs, slaves, celtiques.

(訳 オーブ 2. juin 2003)
(原文は textuel 版)

少年時代

黒い瞳に黄色い髪のこの偶像は両親も取り巻きもいない。
おとぎ話よりも気高いメキシコ人とフラマン人の血が流れている。
彼の所有地は、船もない波を通って、ギリシャ語やスラブ語やケルト語の
荒々しい名がつけられた砂浜にまで広がる、真っ青な空と緑の荒地。

■ Enfance 考察
aube at 6/3(火) 05:35:36 No.paroparo-20030603052113

考察

この偶像はもちろんランボーですね。
黒い瞳に黄色の髪と言うのが象徴的です。
メキシコ人とかフランマン人、ほかに具体的な地名が出てきますが、この詩の舞台はランボーの空想の世界と考えていいでしょうか。

この詩の中ではランボーは、
sans parents ni cour
両親も取り巻きもなく、一人ぼっちです。
そして、
son domaine, azur et verdure insolents
つまり自由の中で生きているのですね。
par des vagues sans vaisseaux
船のない海を通って彼の「所有地」は広がっているのですから、人が住んでいない、遠い国を空想しているのでしょう。

■>世界を変える…
Parolemerde2001 at 6/3(火) 22:31:10 No.paroparo-20030603215518

これは、とっても難しいことで、たくさん書かれてきたと思います。

ランボーの言葉に注意して読んで行きたいですね。
もうひとつは、時代の流れ、19世紀ヨーロッパの社会思想が背後にあると思うのです。
後は、伝記的な資料として、友人のドラエーの「親しい思い出」などの資料。
この本は、宇佐美斉氏の翻訳で本になっています。
素顔のランボー/筑摩書房/ドラエー、イザンバール、マチルド、イザベル著/宇佐美斉訳/1991年
ここには、友人から見た、革命を夢見ていたランボーが書かれています。

でも、具体的にどのような社会を目指していたのかは、解かりませんね。
一般的に分類してしまえば、アナーキストになってしまうでしょうね。
20世紀でも、シュールレアリスムの詩人でコミュニストになった人もいます。
でも、官僚になって社会を管理することを夢見たのではなく、資本主義の束縛から自由な、平等な社会を夢見たのでしょうね。
見者の手紙に書かれたことは、錯乱によって未知に到達することであり、どんな社会を作るかではありませんでした。
未知であるからには、彼自身が書くように知的理解を超えたヴィジョンなのですから、文字通り、理解不能です。詩人は、無責任なのでは…。

もうひとつ、考えなくてはならないのは、宗教、キリスト教だと思うのです。
「魔神」では、新しいメシアを描きますが、この詩は人、神というより、未来社会を感じさせます。
ランボーは、早くから異教を詩のテーマにしますが、ある面で、これは原罪を負わされていない世界への希求でもあります。
これは、「地獄での一季節」の主要テーマのひとつです。
「大洪水の後」に虹がでてくるように、ランボー自身があまりにもキリスト教に染まってしまった、
「…おれは己の洗礼の奴隷だ。両親よ、あんたらはおれの不幸も、あんたらのの不幸も作った。
可哀想に、おれは罪を犯していないのに!――地獄も異教徒なら襲えないのだ。――(地獄の夜)」
キリスト教からの自由も、世界を変える一部だったと思います。

■偶像
Parolemerde2001 at 6/3(火) 22:57:32 No.paroparo-20030603223334

ランボーがこの偶像をどこから持ってきたのか、判りません。
でも、この「少年時代」の I は、初期詩篇の「7歳の詩人たち」のような、幼・少年ランボーの夢想の世界だったのでしょう。
私には、これが一般的なことだったのか…判りませんが、ランボーの時代は、フランスのビスクドールの時代でもありました。
ランボーの一生とほぼ同じ時期です。
初めの頃は、ミニマネキン風のファッションドールだったのが、80年代では、ベベスタイルという、いわゆる少女のビスクドールが確立されたそうです。
銀座のドルスバラードで聞きました。
ここに、前は3体の少年のビスクドールがありました。
ひとりのやや大きめのちょっと太目の男の子は、サン・テックスの Le petit prince のような、
薄いブルーのガウンを羽織っていました。
最近、もう一度見に行ったら、こげ茶の服の1体だけになっていました。
この子は、黄色、文字通り黄色のトウモロコシのヒゲのような髪に、こげ茶の目でした。(ビスクドールの虹彩の色はブルーかブラウンです)
遠くから見れば、ランボーの書いたとおりの yeux noirs et crin jaune に見えます。

こういった少年像が一般的だったのかは、判りません。
もちろん、少女像よりも少なかったでしょう。
人形ではなく、絵のイメージとも考えられます。
でも、偶像という言葉には、異教性が感じられます。
でも、この偶像は、幼・少年期ランボーの夢想像ではあっても、この詩を書いているランボーの姿では、もちろん無いでしょう。
ランボーは、詩は創るものであり、自分は詩人、つまり作り手という意識を、かなり早くから、強く持っていたのではないかと、私は考えています。

パリで、アンティックドールのショールームがあったら、覗いてみてください。

■ son domaine
Parolemerde2001 at 6/3(火) 23:11:37 No.paroparo-20030603230346

これは、所有地でも意味は通じるので良いのですが、まあ、領土、封建領主というイメージなら封土なのでしょうね。
所有地というと、なんか、大地主みたいですね。
もっとも、ランボーの母の家は、元々は有力な地主だったそうですが…。

船も通わない大波を越えて、何もない緑の原野にひとりで、この偶像は何をして生きているのでしょうか。
だから、これは、非現実の世界、少年の白昼夢ですよね。
次の第2節には、夢の花とあるぐらいですから…。

■続 「カフェの文化史」
Parolemerde2001 at 6/3(火) 23:43:57 No.paroparo-20030603231824

「カフェの文化史」、読み終えました。
フランス文学の棚には無いので、最近まで気が付きませんでした。
とてもおもしろい本です。
「カフェの文化史」スティーヴ・ブラッドショー著/海野弘訳/三省堂/1984年

ヴェルレーヌには一章設けてあります。
ヴェルレーヌがモンスを出て、かなり後ですが、パリに詩人として返り咲きます。
晩年のヴェルレーヌは左岸のカフェで、多くの時間を費やしたようです。
よくありますよね、円いフエルトハットをかぶった髭もじゃのヴェルレーヌの絵や写真、詩の朗読をすることもあったそうです。

モンマルトルは、右岸というより、郊外の丘ですから、元々は安かったのでは。
少なくとも、ピカソたちの時代までは…。
ラパン・アジルのジルは、ランボーやヴェルレーヌの友人であったアンドレ・ジルの描いた看板がかってここに掛かっていて、その文字(ジルのウサギ)から来たとあります。
ここは、1880年代は、Les Assassins と呼ばれていたそうです。

この本のお話は、16世紀のカフェではじまり、20世紀、ヴィレッジのボブ・ディランで終わります。
エピローグにはカフェから文化の生まれた時代の終りを告げるエピローグが書かれています。
サブタイトルが、Bohemian Life from Swift to Bob Dylan です。

ところで、「太陽と月に背いて」のカフェは、明るくてびっくりしました。
私は、もっとほの暗いイメージを持っていたのですが…。
汽車の車両もとてもきれいでしたし…。

■世界を変える、キリスト教からの開放
オーブ at 6/4(水) 17:58:36 No.paroparo-20030604172420

アナーキスト、ランボーは「自由」な社会を望んでいたのですね。
それにはキリスト教からの開放ですか、それほどランボーにとってはキリスト教は重いテーマだったことがわかりました。
パロさんの解説、「キリスト教との別れ」も思い出しました。
世界を変えるというより、自分を変えたかったのかな、とも思いました。
パロさんの解説にもあったように、ランボーの頃のフランスはキリスト教の力が弱くなって、社会が豊かになってきてた。
それと同時に、教会や神学校から公立の学校に指導権が移ってきた。
すでにキリスト教を信仰していない人々も大勢いたのでしょう。
確実に世界は変わってきてますよね。ランボーが望むようにだんだんキリスト教の力は衰退しているのだから・・。
でも異常なほど熱心なカトリック信者である母のせいで、自分はキリスト教から開放されない。
そんな苛立ちがあったのではないでしょうか。
パロさんの解説にもあったように、キリスト教への反抗は母への反抗であり、キリスト教からの開放は裏を返せば、母からの開放であったのでは、と考えると理解できます。
パロさんの解説にあった、パリ・コミューヌを機に革命家ランボーは見者ランボーとしてさらに、キリスト教に反旗をひるがえしている。
それは、精神的には開放されていなかったからなのかもしれません。

キリスト教から自分を解放することが、ランボーのいうところの「世界を変える」だったのかも。

■偶像、son domain
オーブ at 6/4(水) 18:11:36 No.paroparo-20030604180235

偶像はランボー自身というより、少年ランボーの夢想像なのですね。
広い領土で一人ぼっち、ランボーの現実逃避、現実からの逃げ場所のようです。
それとも憧れの生活だったのかも・・。

son domainは、そうですね、所有地だとちょっと俗っぽいです。(笑)
領土や土地と訳すほうがいいですね。
この偶像は一人で住んでいるのだから、結局はすべて彼のもですものね。
わざわざ所有しなくてもよさそうです。

■ yeux noirs
オーブ at 6/4(水) 18:21:18 No.paroparo-20030604181239

こげ茶色の目だと、光の加減などによって黒に見えることがありますね。
髪の毛もchatain noirだと、ほとんどnoir黒と変わりません。

ランボーがこのようなビスクドールを見て、自分の理想の偶像と重ね合わせたのかもしれませんね。

■>キリスト教とランボー
Parolemerde2001 at 6/4(水) 21:43:16 No.paroparo-20030604214153

ランボーとキリスト教の関係について、もう少し書きたいのですが…、
初期詩篇にも、重要な詩があり、まだ翻訳が進んでいません。
いつか、まとめて取り上げてみたいと思っています。
さらに、「地獄での一季節」の「序文」や「地獄の夜」には、キリスト教への回心をほのめかす言葉があります。
「地獄の夜」の草稿のタイトルは「にせ回心」ですし…。
これは、具体的にどの時期なのでしょうか。

「…ところで、ごく最近、最後の「ギャア!」の音をあげかかったときに、昔の饗宴の鍵を捜そうと思った。そこでなら、また食欲がでるかも知れない。
愛( charite )がその鍵だ。――このことが閃めくとは、おれは夢を見ていたのだ。…(序文)」
とあるので、ヴェルレーヌにピストルで撃たれた後と考えられますが、でも、それ以前から、彼の心の中にあり続けたことかも知れません。

ランボーの家庭環境もありますが、地方による差や階級による差もあったような気がします。
ヴェルレーヌの「懺悔録」(筑摩書房の世界文学大系に高畠氏の翻訳で入っています)に、ブルジョワの子女であるマチルドがキリスト教に対する信仰心が薄いことに、ヴェルレーヌが感心したことが書かれています。
もちろん、社会道徳的な形での信仰はあったのかも知れませんが…。

■ランボーとキリスト教
オーブ at 6/5(木) 06:03:58 No.paroparo-20030605054523

>ブルジョワの子女であるマチルドがキリスト教に対する信仰心が薄いことに、ヴェルレーヌが感心したことが書かれています。

これは興味深いですね。
裕福な家庭、社会では宗教は衰退していくものなのですね。
ランボーの通っていた、ロサ学院は当時ではモダンが売りの、新しい教育を目指した学校でした。
決してキリスト教系、いわゆる神学校ではなかった。
ランボーを取り巻く環境は家庭以外では、決してキリスト教が色濃く出ていたわけではなかったと思います。
まあ、もちろん信者もまだ多かったと思いますが・・。
やはり母親の影響と言うのが大きいのでしょう。
キリスト教が衰退している、宗教心が薄い人々もいる中でなぜ自分が・・という思いもあったのではないでしょうか。
母親の価値観を押し付けられていると言うような。
ランボーほど賢い子どもであれば、母親の言うことをそっくりそのまま信じているわけではないことは 想像できますね。

■ Enfance 第2節
aube at 6/5(木) 06:18:19 No.paroparo-20030605060745

A la lisiere de la foret - les fleurs de reve tintent, eclatent, eclairent, - la fille a levre d'orange, les genoux croises dans le claire deluge qui sourd des pres, nudite qu'ombrent, traversent et habillent les arcs-en-ciel, la flore, la mer.

(訳 オーブ 5. juin 2003)

 森のはずれでは、-夢の花が鳴り、はじけ、光り輝く-
オレンジの唇をした少女が、草原から湧き出る輝く泉の中で膝を組む、
その裸体は、虹と花と海で影をつけられ、透かされ、そして覆い隠される。

■ Enfance 第2節 考察
aube at 6/5(木) 06:31:09 No.paroparo-20030605061858

この中に出てくるdelugeは直訳だと洪水ですね。
イメージ的にはわかるのですが、どう訳そうかちょっと考えました。
「川の流れ」や単に「水」にしようかとも思ったのですが、soudre があることから、こんこんと湧き出る感じがして泉にしました。

第一節の、一人ぼっちで広大な土地に住んでいる偶像から、場面が森のはずれに変わりました。
やはりここでも少女は一人ぼっちですね。
les fleurs de reve tintent, eclatent, eclairent
まるで何かの合図のようです。
彼女はずっと泉の中で膝を組んで座っているのでしょうか・・。
虹や花や海は彼女を守っているのでしょうか。
現実の世界から?
ここの節は美しい表現がたくさんあります。

■ Enfance I の第2節
Parolemerde2001 at 6/6(金) 01:16:03 No.paroparo-20030606011340

さて、Enfance I の第2節ですね。
ombrent, traversent et habillent のところはどんな映像なのでしょうか。
私の訳は、意訳してしまいましたが…。
とくに traverser は何を言っているのか。つまり前を横切るのか、中を突き通るのか、透き通ったものが潜り抜けたように見えるのか…。
ここでは、オフェーリアを始めとして、ランボーの詩の典型的なひとつのパターン、女性と水の組合せですね。もちろん、ランボー独自の表現というより、詩、絵画で、広く親しまれているテーマです。
この少女が、もっと年上の女性であれば、たとえば「太陽と肉体」のような官能性が感じられますが、
この少女は、まだ女性の入り口のように思えます。
ここでは、古典的な題材が、印象派的なタッチで描かれているように、私は感じます。
少女は、水と光ととも現れ、虹や花に包まれて、光の中に溶け込んで見えなくなるような…。
でも、ランボーがどのような絵をイメージしたかは、良く解かりません。
どうなのでしょう。

前の偶像の少年が人間を拒否しているように、この少女も、大人の世界、性を拒否しているのでしょうか。
前の少年が偶像であり、実在の人間ではないように、この少女も、ロリータではなく、ニンフの絵であり、実在の肉体を持った少女のようには見えないのですが、女性から見て、どのようなイメージに見えますか?

もうひとつ、イメージとして気になるところは、levre d'orange です。
意味合いは、全く違うのですが、La terre est bleu comme une orange. だったと記憶しているのですが、Eluard が Gala を詠った詩にこういう言葉がありました。
オレンジは、若い、まだ女になりきっていないというイメージなのでしょう。
Eluard は、わざわざ bleu を付けて強調していますが…。

■泉の中の少女
オーブ at 6/6(金) 05:54:21 No.paroparo-20030606055230

ombrent, traversent et habillent
ここの表現は印象派の絵画のようです。
traversent
私は直感で、「透き通っている」と感じました。
虹や花や海が彼女の中で透き通り、そしてパロさんがおっしゃったように光の中に溶け込んでいる、空気と一体になっている、そんな映像が浮かびました。
透き通るように色の白い少女なのかな、とも。
そうでうね、私もこの少女はまだ大人の女性になろうとする年頃ではなくて、思春期前くらいの年齢かな、と思いました。

象徴的なオレンジの唇
フランスの辞書、Petit Robertでは
orangerで、
Symbole de la virginite et du mariage
と載っていました。
純潔の象徴ですね。
前の偶像が人間の世界を拒否しているなら、この少女は大人になることを拒否しているのだと、私も思います。

そして、人間の少女ではないと思います。
彼女は大人にならずに、ずっと虹や花や海に守られながら泉の中で膝をくんでいるのでしょう。
もし彼女が泉から上がったら、どうなるのでしょうか?
花は枯れ、虹や海はなくなってしまい、行く当てもなく森の中をさまよい年をとって、いずれは死んでしまうかもしれません。
泉で膝を組む少女は永遠に年をとらないニンフなのでしょう・・。

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