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Place de Rimbaud
ランボー広場 BBSログ 4 - 2004年1月2日~12月19日

■明けましておめでとうございます
オーブ at 1/2(金) 03:47:03 No.paroparo-20040102034213

パロさん、みなさん、良い新年を迎えられましたでしょうか。
2004年も、このBBSで引き続きランボーの詩の翻訳、解読をさせていただきたいと思っています。
よろしくお願いします。

さて、肝心の詩のほうは・・確か Being Beauteous は終わりましたね。
次の詩に移りたいと思います。
なんだかとってもゆっくりなペースなのですが、どうぞお付き合いください。

■おめでとうございます。
Parolemerde2001 at 1/2(金) 19:48:41 No.paroparo-20040102193940

オーブさん、みなさん、明けましておめでとうございます。
今年の新年も日本は波乱?の始まりのようです。
昨秋から、時間が取れず書込みも更新も少ししかできませんでした。
次の更新もまだ準備中ですので、もうしばらくお待ちください。
オーブさんの読解は、ぜひ続けてください。

■ちょっと質問です。
Parolemerde2001 at 1/4(日) 21:10:26 No.paroparo-20040104205324

オーブさん、こんにちは。
ちょっと冬休み?中に考えたことを、聞いてもよいですか?

ランボーの詩、残っている最初のフランス語韻文詩「孤児たちのお年玉」なのですが、今でも、お年玉はあるのですか? あるいは、かってあったのでしょうか。一般的に。
ランボーの時代はどうだったのでしょう。
当時はクリスマスプレゼントはあったのでしょうか。
キリスト教とは無関係なお祝いということでお年玉にしたのでしょうか。
何かご存知でしたら教えてください。

それから、イリュミナスィオンの「大安売り」、Solde は、売り出しというより安売りですよね。
ドイツ語圏では Action を使いますね。ウィーンで見ました。
一般的かどうかは知りません。
これは、日本語の「お勤め品」とか「勉強します」に通じるのかな。
で、この詩の最後の方に voyageurs と commission が出てきますね。
行商人、手付などと翻訳されていますね。
この手付の訳は、小林秀雄氏からとされますが、最近では、任務などと別の訳を付ける方もいます。
私も、当時の行商人の制度を調べたことがあります。
でも、この詩の文意は判然としませんでした。
ジャンコラ氏は何も注を付けていませんね。
現在、一般のフランス人が読むとどうなるのでしょう?
よろしければ、教えてください。

■お年玉とクリスマスプレゼント
オーブ at 1/6(火) 03:22:09 No.paroparo-20040106024134

パロさん、こんにちは。

まずはお年玉のことですが、この風習は比較的、前の時代のもので、今ではあまり行われていないそうです。
新年、1月1日に親が子供にお金を贈る、まさに日本の「お年玉」と同じ風習がフランスにもかつてあったのですね!
最も、日本では、始まりはお金ではなく、おもちだったと聞いたことがありますが・・。
これが、キリスト教と何か関係あるのかわかりませんでした。

クリスマスにプレゼントを贈る風習が以前にあったのか、ネットで少し調べて見ました。
すでに中世のフランスでは、おりこうにしていた子供にだけ、プレゼントをあげる風習があったようです。
12月24日ではなく、5日と6日となっていました。
サン・ニコラと言う人が、プレゼントとパンを持って子供たちのいる家を回っていたそうで、これがサンタクロースの祖先だとこのサイトでは紹介されていました。
しかし、別のサイトではサンタクロースは19世紀にアメリカから入ってきたものであり、サンタクロースの元になった人は、一人ではなく、複数いるとのことです。

はっきりしたことはわかりませんでしたが、この時期に子供にプレゼントをあげる風習は、なんとな~く大昔からあったようですね。
キリスト教とはあまり関係ないのかもしれませんが、その精神は、キリスト教から来ているのかもしれませんね。

また何かわかったことがあったら書きます。

■ solde
オーブ at 1/6(火) 03:35:16 No.paroparo-20040106032232

フランスでは、もうすぐ solde が始ります♪
私も、これは「大安売り」の意味だと思います。
もっと今風に言えば、「バーゲン」ですね。
この時期になると、街の至る所、お店中に solde の看板や幕を目にします。(まだ始っていませんが) ドイツ語圏では Action を使うのですか? それは知りませんでした。
voyageurs と commission については、もうしばらくお待ちください。

■ Solde と クリスマス
Parolemerde2001 at 1/7(水) 00:01:59 No.paroparo-20040106234723

フランスでは、今からがバーゲンシーズンなのですか?
私の住んいる東京・千駄ヶ谷はアパレルメーカーがたくさんあって、主に婦人服ですが、12月にバーゲンをします。
秋・冬物の余りやキズモノ、サンプル品の処分です。
でも、メーカーによっては、11月だったり1月だったりします。
春・夏物のバーゲンもあります。
でも、日本では、歳末大売出しというのが、一般的なのでは?
フランスのバーゲンシーズンが1月なのは、クリスマス商戦が終わったからですか?
で、Solde はやはりバーゲンセールの意味に使われるのですね。
ここでは、Sale と言う張り紙でウィンドーをふさいでいる店もあります。

で、日本のお年玉の風習はいつからあったのでしょう?
こんど調べてみます。
クリスマスも、元々は新年の祝いとキリストが結び付けられたという記事を読んだことがありますが、どこまでが史実なのかは、解りません。
いろいろ言い伝えがあるようですね。
でも、今の日本のクリスマスも、宗教性はあまり無いですね。
最近は日本でもイリュミナスィオンが流行っています。

■>soldeとクリスマス
オーブ at 1/7(水) 06:26:24 No.paroparo-20040107060436

フランスでバーゲンが1月なのでは、パロさんがおっしゃるように12月はクリスマス商戦があるためだと思われます。
わざわざ12月にバーゲンをしなくても、みんなが比較的高価なものを買うので、するにおよばずといったところなのでしょう。
それどころか、12月にバーゲンをしたらお店が儲からなくてつぶれてしまうかもしれませんね。(^^;;)

そういえば、日本では「セール」ともいいましたね。
バーゲンセール、まさにこちらでいう、solde です。
バーゲンと言うのは英語ですか?

日本のお年玉の習慣は、私もはっきりしたことは知らないのですが、江戸時代にはあったとどこかで読んだ記憶が・・。
そのときに、当時はお金ではなく、おもちだったと読んだような気がするのですが、記憶が定かではありません。
私も調べてみます。

フランスも、クリスマスは今では宗教性はあまりないようです。
普段はなれて暮らしている家族が集まる、一大イベントと言った感じです。
12月には至る所で、大きなクリスマスプレゼントを抱えた人を見ます。
商業主義的であるような気もします。
だから、仏教の日本にクリスマスがあるといってもさほど驚かれませんでした。

でも、日本のように恋人同士だけで過ごすと言うのはないようですよ。
フランスでは恋人同士で過ごすのは、大晦日か、新年です。(この日は友達と過ごしたりもします)
日本とは逆ですね。
日本では新年は家族と過ごすことが多いですね。
でも、もう何年も実家に帰ってないって言う人も珍しくないですが・・。

■ Vies
オーブ at 1/10(土) 01:23:46 No.paroparo-20040110011846

Vies

I

Ô les énormes avenues du pays saint, les terrasses du temple ! Qu'a-t-on fait du brahmane qui m'expliqua les Proverbes ? D'alors, de là-bas, je vois encore même les vieilles ! Je me souviens des heures d'argent et de soleil vers les fleuves, la main de la campagne sur mon épaule, et de nos caresses debout dans les plaines poivrées. — Un envol de pigeons écarlates tonne autour de ma pensée — Exilé ici, j'ai eu une scène où jouer les chefs-d'œuvre dramatiques de toutes les littératures. Je vous indiquerais les richesses inouïes. J'observe l'histoire des trésors que vous trouvâtes. Je vois la suite ! Ma sagesse est aussi dédaignée que le chaos. Qu'est mon néant, auprès de la stupeur qui vous attend ?

人生

I

おお、聖地の巨大な大通り、寺院の境内!おれに格言を説いてくれたバラモン僧はどうしているだろう?そのとき、そこからおれはまた同じかつてのものが見える!おれは覚えている、大河に向かう
銀と太陽の時、おれの肩の上に置かれた田舎の手、そして胡椒がかった平原の上で立ったままのおれたちの愛撫の時を!
緋色の鳩の飛翔がおれの思考の周りでとどろく。ここに追放されておれは、すべての文学のドラマティックな傑作を演じる舞台を手にした。
君たちに驚くべき富を教えよう。
おれは君たちが見つけた宝の歴史を観察する。
その続きが見えるのだ!おれの英知はカオスと同じくらい軽蔑に値する。
君たちを待っている混迷において、おれの虚無は何だろう

(試訳オーブ)

■やっと・・
オーブ at 1/10(土) 01:50:13 No.paroparo-20040110012359

やっと、次の詩「人生」に移ります。遅くなってごめんなさい。
とても長い詩なので、各章ごとに試訳を載せていきます。

2行目の最後から3行目の始めにかけて、

je vais encore meme les vieilles

les vieilles は、ジャンコラ氏の注によると、ランボーが「かつて」と言うときに vieux を良く使っているのだそうです。
「かつての映像」、「遠い昔の思い出」の意味だそうです。
images, souvenirsを受けて、vieux が女性複数形になっているのですね。
私は「かつてのもの」と訳しましたが、女性複数形を意識して、「映像」「思い出」などとしたほうがいいかもしれません。
les vieilles と定冠詞になっていることから、その前の描写である「おお、聖地の巨大な大通り、寺院の境内!おれに格言を説いてくれたバラモン僧はどうしているだろう?」の映像であり、思い出なのかと思ったのですが、よく読んでみると、その後に続く文、「おれは覚えている、大河に向かう銀と太陽の時、おれの肩の上に置かれた田舎の手、そして胡椒がかった平原の上で立ったままのおれたちの愛撫の時を」を指しているとも考えられます。それともどちらも指している、つまりランボーの回想部分はこの les vieilles が指していることなのでは、と思っているのですが。

■ les vieilles
Parolemerde2001 at 1/10(土) 22:04:42 No.paroparo-20040110220335

オーブさん、こんにちは。
ゆっくり進みましょう。
私もジャンコラ氏の注を見てみました。
ポショテク版のブリュネル氏も、過去のイメージが生き生きと残っているように解釈しています。
とすると、フランス人には一般的にそう読めるのでしょうか。
私は、この部分は自分の故郷を、インドの聖地に見立てているように取りました。
ムーズ川は、ガンジス川なのでしょうか。
その周りには、洗濯をしていたり、食器を洗っていたりする「ばあさんたち」もいると…。
この赤い鳩は、何を表しているのでしょうか。夕日なのでしょうか。
ちょっと再考してみます。

最後の部分の aupres は、「おいて」ではなく「対して」と読みました。
君たちの「混迷」に比べれば、ぼくの「虚無」が何だというのだ?
まあ、開き直りです。
ネアンもやはり仏教的ですね。
この「人生」の「I」は、ヘッセの「シッダールタ」を連想させます。

■ les vieilles は les vieilles dames
オーブ at 1/11(日) 02:40:54 No.paroparo-20040111015107

パロさん、こんにちは。

les vieilles は一般的には les vieilles dames つまり「おばあさん」の意味でジャンコラ氏の注にある「遠い思い出」とか「かつての映像」という意味はないそうです。
これはランボー語録ですね。
もし注がなければ、パロさんがおっしゃるように「ばあさんたち」と解釈できると思います。
でも、これもランボーに聞いてみないと本当のことはわからない気がします。

この赤い鳩は何なのでしょう?
パロさんの解説によると、これはブリュッセル事件を暗示しているとのことですが、ヴェルレーヌの撃ったピストルの音と、飛び散った自分の血がフラッシュバックでよみがえってくるのではと思ったのですが、ちょっとありふれた解釈かもしれません。

最後の aupres de ですが、パロさんがおっしゃるようにここでは、比較ですね。
「対して」に訂正します。

この一章において、まだ分からないことがあるので一度切って次に書きます。

■「田舎の手」
オーブ at 1/11(日) 02:52:51 No.paroparo-20040111024119

少し前後してしまいましたが、最初から見ていこうと思います。
最初の部分はインドの聖地に戻った修行僧の気分で、シャルルビルに戻ったときの気持ちを書いた、というパロさんの解説で納得しました。

テクスチュアル版における4行目の la main de la campagne sur mon epaule は、ジャンコラ氏の解説のとおり考えると、
1. pris dans la douceur de la campagne
つまり田舎における開放感と言うか、自由な感じ。
2. une fourche sur l'epaule
肩に熊手を担いでいるような状態。
3. delire et fievre
錯乱と熱狂

の3つの可能性が考えられるようですが、ランボーは田舎において開放感を感じていたり、または
畑仕事を手伝ったりしていたのでしょうか。
思い出だから、美しくよみがえってきたのかもしれませんが。
最後の「錯乱と熱狂」は確かに見者の手法と考えられますが、ちょっとイメージがつかめませんでした。
パロさんはここの「田舎の手」の部分をどのように捉えられていますか?

■>「田舎の手」
Parolemerde2001 at 1/11(日) 23:48:27 No.paroparo-20040111234754

la main de la campagne sur mon epaule
かっては、la campagne を la compagne と取っていたテキストもあったそうです。
今では、手書き原稿の検証が進んで、無くなりましたが。
でも、ランボーは言葉遊び、もじりが好きですから、意味をかけていたのかも知れません。
パリに出てくる前の、というか初期詩篇でも始めの頃の彼自身の回想ではないでしょうか。

紅の鳩は、もともとは夕日から思いついたのでしょうか。
ムーズ川は銀色から金色に変わり、やがて夕焼けの空になり、そして、夜の時間の中でこの詩が書かれます。
ちょっと勝手な解釈ですが、そんな時間の流れを感じます。
ピストルで撃たれたランボーがパンスマイユ婦人の家で休んでいる絵がありました。
その絵の下に、赤い羽根布団という解説を見たような記憶があるのですが、どの本だったのか、判りません。
絵の写真はモノクロでした。
これも、むりやり結び付けるほどのことではないような…。

■田舎の手についての解釈
オーブ at 1/12(月) 03:40:13 No.paroparo-20040112032709

田舎の手についてはいろいろな解釈ができるのですね。
これと言って、深く追求しなくてもいいのかも。

紅の鳩が飛ぶまでの描写はランボーがパリに出てくる前のことを言っているのですね。
les plaines poivrees 、フランスでは白や黒が混ざった髪の毛を「胡椒頭」というそうですが、ふとそれを思い出しました。

最後のほう、je vous indiquerais les richesses inouies.、vous はパロさんの解説ではパリの文壇の人々のことだそうですが、les richesse inouies l'hisotire des tresors は具体的に何を指しているのでしょうか?
彼らの作品のことを皮肉っているのでしょうか。

■>田舎の手についての解釈
Parolemerde2001 at 1/12(月) 23:54:34 No.paroparo-20040112235346

「田舎の手」を熊手と取るのは、どこかフランス人風という気がします。
文字の意味をそのまま取るということで。
他方、日本の解釈の場合、どこかに抒情性が潜んで来てしまうように思います。
でも、これは、私の知っている範囲の近代の文学の解釈に関してでしかありませんが。
日常の生活の中ではどうなのでしょう。
でも、それほど詩が読まれていないのかも知れませんね。
この田舎 campagne の訳も困りました。
結局、インドの大河沿いの情景という意味で「田野」としました。
でも、実際のシャルルヴィル近郊なら、「畑と牧草地」になるのでしょうか。
なんか、日本語としてはしっくり来ない印象です。
ところで、ヴィタリーが相続した土地のあるロッシュですが、ここは、名前のとおり岩(石?)の多い痩せた土地で、農家の数も少なかったそうですね。
ランボーがヴェルレーヌにピストルで撃たれて戻ってきて、「地獄での一季節」を書いたときには、農作業は手伝わなかったと、ヴィタリーの日記に書かれていましたね。
この節の終わりの部分ですが、les richesse inouies (未聞の富)は、「地獄の夜」や「フレーズ」にも類似の表現があります。
ランボーの見者のヴィジョン、幻覚、そして、それを定着した詩のことも含むのでしょう。
君たちが見つけた tresor (宝)は、当時の詩人たちの表現内容を指しているのでしょう。
特に、高踏派の詩人たちに見られる絵画的、美的な表現を指しているのではと考えています。

■ヴィタリー補足
Parolemerde2001 at 1/13(火) 14:29:10 No.paroparo-20040113142447

念のために、補足します。
土地を相続したのは、ママンのヴィタリー、
日記を書いたのは、妹のヴィタリー。
妹のヴィタリーはふたりいて、一人目は生後数か月で他界しました。
二人目のヴィタリーです。
アルチュール・ランボーの父は、フレデリック・ランボー、
アルチュール・ランボーの兄も、フレデリック・ランボー、
同名をつけるならわしがあったそうです。

■見者の詩法の挫折
オーブ at 1/17(土) 01:14:35 No.paroparo-20040117010403

パロさん、こんにちは。

ランボーは言葉の夢から覚め、言葉以外に何もない自分を感じて虚無感に陥ったのかもしれませんね。
映画「太陽と月に背いて」で、「言葉では何も変わらない」というようなせりふがあったと記憶しています。
言葉の夢から覚めたランボーはやがて、商人となってアフリカに渡るわけですね。
ランボーが言葉の夢から覚めたきっかけはやはり、見者の詩法の挫折が原因なのでしょうか。
見者の詩法に限界を感じたのかも・・。
ところで、見者の詩法の挫折とは具体的にどんなことだったのでしょう。
自分の才能を引き出してくれたヴェルレーヌとの決別でしょうか。

■人生第二章
オーブ at 1/17(土) 01:25:33 No.paroparo-20040117011625

II

Je suis un inventeur bien autrement méritant que tous ceux qui m'ont précédé ; un musicien même, qui ai trouvé quelque chose comme la clef de l'amour. À présent, gentilhomme d'une campagne aigre au ciel sobre, j'essaye de m'émouvoir au souvenir de l'enfance mendiante, de l'apprentissage ou de l'arrivée en sabots, des polémiques, des cinq ou six veuvages, et quelques noces où ma forte tête m'empêcha de monter au diapason des camarades. Je ne regrette pas ma vieille part de gaîté divine : l'air sobre de cette aigre campagne alimente fort activement mon atroce scepticisme. Mais comme ce scepticisme ne peut désormais être mis en œuvre, et que d'ailleurs je suis dévoué à un trouble nouveau, — j'attends de devenir un très méchant fou.

II

おれは先端をいくすべての者よりまったく別な風な功績のある発明家だ。
愛の鍵のような何かを見つけた音楽家でさえある。
現在では地味な空のとげとげしい田舎紳士であるおれは、乞食だった子供時代、修行、木靴を履いて到着したこと、数々の論争、5回か6回の単身生活、おれの頑固さのせいで仲間の調子に乗れなかったいくつかの結婚式、それらの思い出に心を動かそうと努めている。
おれはこの上なく素晴らしい、陽気な昔のある役割を懐かしんでいるのではない。
このとげとげしい、田舎の地味な空気はとても活発におれの残忍な懐疑精神を育ててくれた。しかし、この懐疑精神として今となっては使うことはできない。
そしてその上、おれは新しいトラブルに身を捧げたのだ。
おれはとても危険な狂人になるのを待っている。

(試訳オーブ)

■人生第二章試訳 質問
オーブ at 1/17(土) 01:45:25 No.paroparo-20040117012635

パロさん、訳においてとまどったところがあります。
j'essaye de m'émouvoir au souvenir de l'enfance mendiante, de l'apprentissage ou de l'arrivée en sabots, des polémiques, des cinq ou six veuvages, et quelques noces où ma forte tête m'empêcha de monter au diapason des camarades.

au souvenir de は「~の思い出」だと思うのですが、de l'enfance mendiante, de l'apprentissage ou de l'arrivee en sabots, des polemiques, des cinq ou six veuvages,ここまではみな、de でつながっているのでいいのですが、その次の et 以下は de がなく quelques となっています。
だから、souvenir de を受ける文なのかどうか迷ったのですが、もし受けなかったら訳がつながらないので受けるものとして訳しました。
実際のところ、どうなのでしょうか。

途中の文を省いて考えると、J'essie de m'emouvoir au souvenir quelques noces ou・・・
こうなりますが、de がないのはおかしいのでは、と思うのですが。

■見者と虚無
Parolemerde2001 at 1/18(日) 23:39:26 No.paroparo-20040118233835

簡単に答えられない、難しい問題ばかりで…。
特に見者の挫折は、難しいですね。
詩法だけの問題ではなく、さまざまな影響が考えられます。
また、ある時、思想的にひらめいて変わってしまったというより、パリでの、あるいは、ブリュッセル、ロンドンの体験の中で変わっていった面もあるでしょうし、当時の経済的に世界の中心であったロンドンの影響も大きいと思います。
さらに、経済的な問題もありますね。
ランボーはヴェルレーヌ、あるいはヴェルレーヌのママンに経済的に依存していた訳ですから。
ここでは、詩が中心ですから、具体的な作品で少しずつ私の考えを書いてみる予定です。
この詩「人生」の場合は、虚無ですね。
虚無は、語ることが無いという虚無と、語る動機が無い虚無が考えられます。
語ることは、詩を書くことでもあるから。

この「人生」の I はかってのシャルルヴィルでの少年時代をインドの聖地に置き換えていますし、人生の III には「全東洋に囲まれたすばらしい住まいの中で」とあります。
ランボーが東洋思想に興味を持ってはいたと思うのですが、それが彼の中でどのように認識されていたかは、解りません。
東洋思想あるいは仏教と虚無は当時のフランス社会で結び付けられて捉えられたそうですね。
ランボーの中でいつ何から始まったのかは解りませんが、キリスト教に対する反抗も一因かも知れません。
ランボーの描いた「永遠」は、むしろ一瞬であり、どこか、東洋的な、あるいは日本的な無常感に繋がるところがあるように思います。
ジャンコラ氏は、ランボーのこういう感情をしばしば e´chec と書いていますが、フランス的な見方のように私には思えます。

■人生第2章
Parolemerde2001 at 1/18(日) 23:57:39 No.paroparo-20040118235558

まず、質問の de とカンマですが、テクスチュエルのジャンコラ氏編の RIMBAUD L'oeuvre integrale manuscrite から、手書き原稿の写真を引用させていただきます。
私は、これは間違ってカンマ(ヴィルギュル)を書いてしまったのではと考えています。
つまり、veuvages et noces という組み合わせになっているのですが、それまでの語り口と行末に veuvages が来たため、カンマを書いてしまったのではと。

最初の部分の m'ont precede は、私より時間的に先のという意味で、先端を行くではないのでは? どうでしょう?

この II で一番意味不明なのは、最後の一行だと思います。
具体的に、どんなことをイメージしたのか、どうも判然としません。

■>見者と虚無
オーブ at 1/27(火) 00:32:35 No.paroparo-20040127000221

パロさん、みなさんご無沙汰しました。
遅れましたが続きをやっていきたいと思います。

見者の詩法の挫折の原因を特定するのは難しいのですね。
それに理由はひとつではないのでしょうね。
パロさんの説明を読んでいると、単純に考えて、ランボーは子供から大人になったともとれます。
当時世界の中心であったロンドンをみて、自分の世界は狭かったと認識したり、言葉の夢だけでは食べていけないという経済的なことに直面したり。
いろいろな理想を描いていたけれど現実はもっと厳しかった、というような。
それに父親の影響もあって、ランボーはもともと探検家としての素質も備えていたようなので、広い世界に飛び出したのかもしれません。
(当時の人にとって世界は想像できないくらい広かったでしょうから・・)
本当にドラマティックな人生ですね。

ランボーが東洋の思想のどういうところに興味を持っていたのか調べてみたいですね。
ランボーは日本へも行きたがっていたようです。
未知なもの、知らないものへの憧れや好奇心からかもしれません。

>ランボーの描いた「永遠」は、むしろ一瞬であり、どこか、東洋的な、あるいは日本的な無常感に繋がるところがあるように思います。
ジャンコラ氏は、ランボーのこういう感情をしばしば e´chec と書いていますが、フランス的な見方のように私には思えます。

とても興味深いご指摘でした。
そういえばジャンコラ氏はよく echec (挫折)を使っています。
私はどういうことかよく理解できないでいます。
なぜ echec につながるのか?
パロさんがおっしゃるようにフランス人的な考え方なのかもしれません。
私たち日本人の感覚とはまた違ったものですね。
こういうことも含めて考えていけたら、と思います。

■>人生第二章
オーブ at 1/27(火) 01:16:34 No.paroparo-20040127003326

パロさんの解説でとてもよくわかりました。
ありがとうございました。
訳としては、すべて souvenir de につながっているわけですね。

別の意見も得られかもと思い、mari にも聞いてみたのですが、 やはり彼も , (ヴィルギュル)にひっかかったようです。
でも彼的にはランボーが間違えたと言うより、詩的な表現のためにわざとかいたのでは?と言っていました。
(こういう詩的な表現があるのか私にはわかりませんが)
やはり、veuvages と queleques noces は一文でつながっていて、普通は , を入れないけれど入れても間違いではないというようなことを言っていました。

m'ont precede 私は日本語を間違えていました。
「先端を行く」はモードや技術が人より先にいっていると言う意味になりますね。
ここの場合は、時間的に前(先)でこれとはまったく反対になるのですね!
訳として「すべての先人よりも」となるのでしょうか。
まったくの勘違いでした。(^^;;)

■ fou
オーブ at 1/27(火) 01:40:21 No.paroparo-20040127013544

第二章の最後の行、意味がわかりませんね。
ここでランボーははっきりと fou という言葉を使っている。
「天才と狂人は紙一重」なんて言いますから、すべてを見、体験したら後は狂うしかないのでしょうか・・。
凡人の私にはわかりませんね~。

■>fou
Parolemerde2001 at 1/27(火) 15:25:56 No.paroparo-20040127152456

fou というのは、気狂い(気違い)、狂人の他に、道化とか、馬鹿騒ぎ(をする人)、熱強的ファンなどの意味がありますね。
確かに、道化という取りかたをすれば、架空のオペラとか、道化芝居、茶番劇など、「地獄での一季節」の中の自己規定に通じるところがあります。
でも、ここでは mechant (悪意のある)が付いています。
ですから、「地獄での一季節」のような操られる道化というイメージを否定していると取れます。
あるいは、「地獄での一季節」を意識して、操られることの否定を書いてみたのでしょうか。
ですが、具体的にはどのようなことなのか、はっきりとしません。
一般的には、mechant fou という熟語がありますか。私は知りませんが。
ちょっと、mari さんに聞いてみてください。

ところで、前のカンマの「詩的な使い方」という意見ですが、これは、ポエティックということではなく、日常の用法ではないという意味なのかなと考えました。

■ mechant fou
オーブ at 1/29(木) 00:19:44 No.paroparo-20040128235102

mechant のことを少し書こうと思います。
一般的には、mechant fou という熟語はないと思いますよ。
mechant は辞書にいろいろな意味が載っていますが、一般的に「意地悪な」という意味で使われることが圧倒的に多いみたいです。
この辺、日本語のほうがバラエティーに富んでいると感じました。
例えば、chien mechant を日本語では「猛犬に注意」となっていますが、確かに、猛犬に注意なら、なぜ agressif や dangereux を使わないのだろうと疑問に思います。
フランス人も chien mechant と聞けば、dangereux と思い浮かべるようですが・・。
それに日本だと、「猛犬に注意」と聞けば、大型犬を想像すると思いますが、フランスでは必ずしもそうではなく、小型犬でも使われるそうです。(もっともと言えば最もですね^^;;)

少し脱線してしまいますが、犬ではありませんが、うちにはうさぎがいます。
うさぎの性格を形容するのに、日本語では「おとなしい」と私は言いますが、フランス人は gentil と言い、知らない人が来て隠れてしまうと timide と言うことがあります。
初めの頃、あまりなつかなかったので mari が、うさぎの向かって Tu es mechant! と言っていたことがありました。(笑)
うさぎ的にはただ怖がっているだけなんだけど、人間の感情中心で考えるのでしょうね。
うさぎは心の中で mari に向かって C'est toi qui es mechant! と言っていたことでしょう。

■再び fou
オーブ at 1/29(木) 00:42:08 No.paroparo-20040129002427

fou の使い方もフランスではさまざまですね。
基本はやはり「気狂い」なんですが。
日本ではほとんど使いませんが、ちょっと変わったことや、信じられないようなことをしたとき、T'es fou? と言ったりします。
直訳すると「君は気でも狂ったのか?」ってちょっときつい言い方になりますが、別に悪意はありません。
でもばかにした fou ももちろんあり、これは「あいつは狂ってる」と軽蔑のニュアンスが入ります。
もうかなり昔なのですが、「ハイスクール奇面組み」という漫画があったのをご存知でしょうか。
私はまだ小学生で、当時はやっていたのですが見たことはなかったのですが、フランスで見る機会がありました。
フランス語のタイトルは "college fou fou fou" でした。
多分、「奇面組み」を fou にしたのでしょうね。
ぶっとんだ中学生ってかんじでしょうか。(フランスでは高校生ではなく、中学生になっていました)

ランボーのこの詩の場合は、「気が狂った人」でいいかな、と考えました。

■第三章試訳
オーブ at 1/30(金) 00:44:30 No.paroparo-20040130004114

III

Dans un grenier où je fus enfermé à douze ans j'ai connu le monde, j'ai illustré la comédie humaine. Dans un cellier j'ai appris l'histoire. À quelque fête de nuit dans une cité du Nord, j'ai rencontré toutes les femmes des anciens peintres. Dans un vieux passage à Paris on m'a enseigné les sciences classiques. Dans une magnifique demeure cernée par l'Orient entier j'ai accompli mon immense œuvre et passé mon illustre retraite. J'ai brassé mon sang. Mon devoir m'est remis. Il ne faut même plus songer à cela. Je suis réellement d'outre-tombe, et pas de commissions.

III

12の時に閉じ込められた屋根裏部屋でおれは世界を知った。
おれは人間喜劇を思い描いた。貯蔵庫の中では歴史を学んだ。
北方のある都会のいくつかの夜の祭りで、おれはかつての画家が描いたすべての女たちに
出会った。パリの古いパッサ-ジュでは古典科学を学んだ。
全東洋によって囲まれた素晴らしい住まいの中で莫大な量の仕事をやり遂げ、名高い隠居を過ごした。
おれは自分の血をかき回した。おれの義務は回復した。
そのことについて夢見ることさえしてはならない。
おれは本当のところ、死後の世界にいる、だから特別裁判機関はない。

(試訳オーブ)

■再度、mechant fou
Parolemerde2001 at 1/30(金) 00:45:47 No.paroparo-20040130004355

mechant は、どうやら日本語では慣れていないという意味もありそうですね。
慣れていない犬だから、つまり猛犬という意味に繋がるのでは。
ウサギも慣れていないのであって、猛兎ではありませんね。
この流れで mechant fou を読むと、世間に慣れない気狂いとなり、気のふれた世捨て人のような趣があります。

fou を道化という意味に取ると、「地獄での一季節」の「悪い血筋」の
「もしも、神がおれに、天上の、空の静寂を、祈りを与えてくれるなら、
――昔の聖者に与えたように。――聖者! 強者だ! 隠者、もう必要のない芸人だ!
絶え間のない道化芝居! おれの無垢には泣かされる。
人生とはみんなに操られる道化芝居だ。」
という部分を連想します。
ここに書かれたのは、実は皮肉ですが、「善(意)の道化」ですね。
善の道化の反対の「悪意の道化」を mechant fou と表現したのかも知れません。
「錯乱 II」の「おれは架空のオペラになった。」とあります。
架空のオペラが見者詩人の錯乱であるとしたら、道化に繋がるのでは。
ただし、この「人生」では、逆の意味に使われていると思います。
「客寄せ道化」の「道化」は、前にも書きましたが、ランボー自身が演じている道化ではないと考え、ここには反映していないと考えます。

でも、ここまで明確な意味をランボーが考えていないと読むことも可能でしょう。
また、「悪意の道化」と読んだとしても、それが具体的にどんな人物像なのか、まだ判然としません。

■ commissions
Parolemerde2001 at 2/1(日) 16:57:59 No.paroparo-20040201165741

やはり、この第3節(部)も、最後の言葉が意味深ですね。
ということは、ランボーはきわめて意図的に3つのカギを残して行ったのでしょう。
III で問題なのは、
「おれは本当のところ、死後の世界にいる、
だから特別裁判機関はない。」
の commissions という言葉ではないかと思います。
「特別裁判機関」という訳は、はじめて見ました。
辞書を見たらありました。でも、どういう意味なのでしょう。
今のフランスでは、一般的には、どのような意味で使われるのでしょうか。
英語では、委任、任務、手数料(日本語のコミッション)などですが、作家が請負仕事として製作した物もコミッションと言います。
これは、インターネットで知りました。
私は、ここでは死んだ人だからこの世に用(任務)はない。という意味に取りました。
この世の用は、今までの流れからパリの文学界での役割とも考えられます。
d'outre-tombe は、シャトーブリアンの「墓の彼方の回想」から来ているという説があります。
この詩の場合は、ランボーは墓から蘇ったのでしょうか、それとも、墓のさらに奥深くにいるのでしょうか。

■ commissions
オーブ at 2/2(月) 00:48:03 No.paroparo-20040202001848

パロさん、この章の最後の pas de commissions はどう訳していいのかわかりませんでした。
参考にしたのはジャンコラ氏の注です。
当時は、tribunaux の意味があったそうです。
今は一般的には使われていないみたいです。(辞書には載っていましたが)
今は一般的には「用事」とか、「手数料」として使われています。
(実際私もそう思っていました)

ジャンコラ氏の注によると、ユゴーの「懲罰集」で commissions をこの意味でつかっているそうです。
ランボーもこの詩集を気に入っていたようなので、拝借したのかも、と勝手に解釈しました。
Il est vraiment mort et refuse de passer devant le tribunal des hommes.
彼は本当に死んでしまったので人間としての裁判を受けることを拒否している、と言うのが氏の解釈です。

しかし、第三章全体で考えると、なぜ急にこのような文がでてきたのかわかりません。
Je suis reellement d'outre-tombe, et pas de commissions.

commissions についてもう少し詳しく調べてみます。

■ commissions再び
オーブ at 2/2(月) 01:19:27 No.paroparo-20040202010508

別のフランスのサイトで見つけた解釈なのですが、意味の裏づけと言うより、言葉遊びではないかという解釈がありました。
例えば、Mon devoir m'est remis. の remission との言葉遊びとか・・。
あといろいろ書いてありましたが、あまり意味がわかりませんでした。
ちょっとこじつけのような気もしました。

d'outre-tombe のほうはかなり詳しい解釈がされていましたが commissions はあまり重要視されていないみたいでした。

■>commissions
Parolemerde2001 at 2/2(月) 18:12:32 No.paroparo-20040202180858

私もジャンコラ氏の注解を見てみました。
どうもよく解らない表現なのですが、当時使われていた表現なのですね。
ヴィクトル・ユゴーの「懲罰詩集 Les Chatiments 」からの引いているとあります。
どの詩なのか、探すのが大変そうです。1つの詩だけなのでしょうか。
注には、それ以上は書かれていません。
説明文の最後には、オーブさんの引用した vraiment mort が出てきます。
「本当に死んだ」のに、詩を書いているのだから奇妙な感じを受けますが、文学的表現としては成り立つのでしょう。
「悪い血筋」の後半に出てくる
「司祭よ、教授よ、支配者よ、おれを裁判所に引き渡すとは、おまえらは間違っている。」
を連想します。
でも、この詩全体の流れを考えると、I から III に、表現が要約化・抽象化されてきているので、ちょっと合わないような気がしますが、よく判りません。
でも、裁判と考えると、音的には少し苦しいですが、remission (赦免)という言葉遊びも理解できます。
しかし、「自分の血をかき回した」ことは、裁判で裁かれる罪ではないような気がします。
他方、キリスト教的な罪という認識をこの詩に当てはめるのは、無理な気がします。

私には、(パリの)詩人達を意識しながら、見者の詩人ランボーの消滅(死 tombe )を語っているように取れるのですが…。

■再再度、mechant fou
Parolemerde2001 at 3/23(火) 02:04:54 No.paroparo-20040323015356

オーブさん、ちょっとロッシュのことを考えていまして…。
ランボーが「地獄での一季節」を書いたロッシュは農村の小集落ですね。
前身の「異教徒の書」を書き始めた頃のドラエー宛ての手紙にもありますが、カフェも飲み屋もない村落で、敬虔なキリスト教徒の農民の村だそうです。
たしか、当時の人口は100人くらいだったと読んだような…。
ランボーは、農作業も手伝わずに「季節」を書いていたと妹ヴィタリーの日記にありました。
外に出ない(出るあてがない)、あるいは村人と会わない、付き合わないで、反キリスト教の散文詩を書いているのですから、「引きこもりのキチガイ」と村人にうわさされるようになったとしてもうなづけます。
あるいは、こんな現実的な解釈も可能かなと思いました。

■サンテグジュペリの墜落地点が見つかったそうです。
Parolemerde2001 at 4/7(水) 20:31:28 No.paroparo-20040407203023

「星の王子さま」で有名なフランスの作家、サンテグジュペリの搭乗機の残がい発見されたそうです。

「星の王子さま」に関する詳しいサイトは
http://www.lepetitprince.com

■イラクの動向
Parolemerde2001 at 4/9(金) 17:55:40 No.paroparo-20040409175321

みなさん、こんにちは。

中東の地図が揺れています。
シーア派の動向について、田中氏と増田氏が背景を洞察し、興味深い記事を掲載しています。
田中氏ホームページの「アメリカに出し抜かれて暴動を起こしたイラクのシーア派」(4月6日)
http://tanakanews.com
増田氏ホームページの「イラク基本法はイラク内戦の処方箋」(4月8日)
http://www.chokugen.com

4月8日の邦人拘束に関しては、海外のニュースソースのストリーミングビデオでより元のビデオに近いと思われる映像を見ることができます。
http://www.euronews.net

■「パサージュ論」
Parolemerde2001 at 4/20(火) 00:45:03 No.paroparo-20040420004215

このところ、19世紀を見るためにヴァルター・ベンヤミンの「パサージュ論」を読んでいます。
岩波現代文庫で、今村仁司・三島憲一ほか訳、全5冊です。
私は哲学には全く詳しくなく、この書物の意図したところも、哲学史的な位置付けも解りません。
ベンヤミンはナチスを逃れてパリに亡命し、その後スペイン国境で服毒し、この書物は未完だそうです。
さまざまなテーマについて、多くの書物からの引用があり、それほど多くの資料を調べることの出来ない身にとっては、貴重なヒントを得ることができます。

たとえば、ランボーは子供時代、ムーズ川のボートで(勝手に)遊んだそうですし、マラルメも舟遊びが好きだったそうですし、ボードレールをはじめ、詩のモチーフにも船はしばしば使われました。
第3巻の「M 遊歩者」には、ジュヌイヤックの「1830年から1870年までのはやりうた」からの引用に、「僕のすてきな舟」という歌が大流行した。……それは一連の水夫もののシャンソンのはしりであって、こうしたシャンソンはすべてのパリジャンを海の男に変えてしまったように見え、彼らに舟遊びを思いつかせることとなった。
とあります。船に自己投映したのは、詩人たちだけではなさそうですね。
aspiration du moment (祈り/ランボー)なのでしょう。

■君酔いどれ船」翻訳小史
meitei38 at 4/22(木) 22:29:35 No.paroparo-20040422222654

はじめて、登録させていただきました、老いたるランボー好きの狸です。むかしむかし、十七歳の時に「酔いどれ船」に遭遇して以来、とりこになり、長い長い航海を経て、現在は楽隠居の身分です。かつてランボー少年が「太陽はまだ熱かった・・・」という詩の中で、願望していた「年金生活者」は、世紀を越えて、ここ極東の小列島の一隅で、「酔いどれ船」を読んでいます。現在まで愚生が集めた「酔いどれ船」の翻訳は完全版18名、抄訳1名です。出版順にご報告しておきます。

01. 1914年 柳澤健『詩集 果樹園』「酔ひどれ船」
02. 1923年 上田敏『上田敏詩集』「酔ひどれ船」(未定稿)
03. 1937年 中原中也『ランボオ詩集』「酔ひどれ船」
04. 1948年 新庄和一『酔ひどれ船』
05. 1948年 村上菊一郎『ランボオ詩鈔』「酔ひどれ船」
06. 1948年 小林秀雄『ランボオ詩集』「酩酊船』
07. 1948年 堀口大學『ランボオ詩集』「酔いどれ船」
08. 1951年 金子光晴『ランボオ詩集』「酔つぱらひの舟」
09. 1953年 鈴木信太郎『ランボオ全集』「酩酊船」
10. 1957年 齋藤磯雄『フランス詩話』「酔ひどれ船」
11. 1965年 福永武彦『象牙集 譯詩集』「酔ひどれ船」
12. 1965年 粟津則雄『ランボオ全詩』「酔いどれ船」
13. 1968年 清岡卓行『ランボー詩集』「酔っぱらった船」
14. 1978年 篠原義近『ランボー「酔いどれ船」捜索』
15. 1994年 平井啓之『ランボー全詩集』「酔い痴れた船」
16. 1996年 宇佐美斉『ランボー全詩』「酔っぱらった船」
17. 1998年 渋沢孝輔『フランス名詩選』「酔いどれ船」
18. 2003年 門司邦雄 インターネット『ランボー広場』「酔いどれ船」
他  1967年 西條八十『アルチュール・ランボオ研究』「酔いどれ船」(抄訳)
以上ご挨拶代わりに。

他に御存知の方がおられましたら、ご教示願います。目下訳文比較研究?のようなことをぼつぼつやっております。
猶、本サイトでご紹介戴きました詩の朗読を聴く事が出来、感激しております。

■初めまして。
Parolemerde2001 at 4/23(金) 08:42:36 No.paroparo-20040423084041

meitei38 さん、ここでは、初めまして。
酩酊さんとお呼びすればよろしいでしょうか。
あるいは、酔いどれさん、狸さん?…

「酔いどれ船」の邦訳は、たくさんあるのでしょうね。研究論文とか、インターネット上のも含めるとさらに。
私も、酩酊さんが挙げてくださった邦訳のうち、柳澤健と新庄和一、両氏の訳は、読んでいません。著作権の切れている翻訳はもちろんのこと、研究資料としての引用は問題無いと思いますので、邦訳と研究成果を発表していただきたい。よろしくお願いいたします。
酩酊さんの邦訳も見てみたいですね。

さて、「年金生活者 rentier 」ですが、このBBSでも話題になりました。
今見てみたら、…もう無いですね。後ほど、まとめて書き込みます。

場合によっては、すぐにレスできない時もあると思いますが、こちらこそ、よろしくお願いいたします。

パロ

■パリ市民の戦いの歌
Parolemerde2001 at 4/23(金) 08:54:52 No.paroparo-20040423085415

時節柄、昨日、翻訳を作ってしまいました。
注記はまだですので、まずは、BBSにあげます。

この詩にも、邦訳の流れがあると思います。
タイトルを、「パリ市民の Parisien …」と訳しましたが、古いテキスト(掲載された原詩)では「パリの parisien …」となっているのもあるようで、「パリの軍歌」という邦訳タイトルが多く見られます。
手書き原稿写真版では、はっきりと大文字です。
さらに、右に Quelles rimes! O! quelles rimes! と書かれています。
rimes は、韻というより詩の意味でしょうね。
なんて詩だ! ああ! なんて詩だ! という意味でしょうか。
言葉遊びの多い詩なので、ブリュネル版とジャンコラ版の注記を手ががりに、思い切って意訳してみました。

   パリ市民の戦いの歌
/アルチュール・ランボー

「春」はまさにまっ盛りだぜ、だって
緑のヴェルサイユ「畑」の真っ只中じゃ、
チエールにピカールが、盗っと飛行を
ドハデにドデカクにおっぴろげ!

さあ、5月だぜ! 気が狂ったケツ出し野郎ども!
セーヴル、ムードン、バニュー、アスニエールで、
だから聞けよ、おいでなすったあいつらの
春の種撒き散らす爆音を!

軍帽、サーベル、でんでん太鼓で
古くさいローソク箱こそ持っちゃいないが、
じぇんじぇん進まぬ専用ボートで…
赤い湖、割って来るぞぃ!

みょうちきりんな夜明けどき
おれたちのアジトに、黄色い宝石ざくざくと、
雪崩れるように降ってくりゃ
おれたち、最高、ドンちゃん騒ぎ!

チエールもピカールもエロでヤクザ、
ヘリオトロープを引っこ抜き、
石油を燃やし、コローばりの絵を描く、
ほら、やつらの兵隊虫が落ちて来る…

トリックの大物のお仲間だ!
グラジオラスに寝ころがり、
ファーヴルが、涙腺水道、瞬かせ、
コショウに鼻をすすってる!

君らの石油がシャワーでも、
大都会の道路は熱いぜ、
だから、君たち
やれるもんなら、やってみろ…

で、のんべんだらりと長々と
しゃがみ込んだ「田舎者ども」、
聞きたまえ、赤い激突の中で
小枝がポキポキ折れるのを!

(1871年5月15日、ドムニーに宛てた「見者の手紙」の中に、最初に挿入した詩)

■柳澤健
Parolemerde2001 at 4/25(日) 10:45:45 No.paroparo-20040425104516

酩酊さん、こんにちは。
酩酊さんの書込まれた柳澤健の翻訳のことを調べてみました。残念ながら、まだ訳詩は見つかっていません。一般的にも、あまり知られていないように思いますが、上田敏の名声に隠れてしまっているのでしょうか。何か、ご存知のことがあれば、教えてください。このBBSを読まれる他の方も、何かご存知でしたら、教えてください。

「上田敏全訳詩集」(山内義雄・矢野峰人編/岩波クラシックス/岩波書店/1983年発行)の後書きに、「酔ひどれ船 Le Bateau ivre 」は未定稿として、没後に発見され、玄分社版「上田敏詩集」に収録。日本での「酔ひどれ船」はじめての紹介とあるので、これが初出だと思っていました。区の図書館で調べてみましたが、柳澤健の詩集は在りませんでした。インターネットで調べてみた結果を、このBBSを見られる方のために、参考までに下に書いておきます。

●伝記的資料
会津人物伝 柳澤健
http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/rekishi/jinbutsu/jin17.htm

●本があるところ
北海道立文学館 高橋留治文庫
http://www.h-bungaku.or.jp/collection/tomeji/
果樹園/詩集/東雲堂書店
海港/詩集/文武堂書店
現代佛蘭西詩集/訳詩集/新潮社

●文学史的資料
白鳥省吾を研究する会のホームページ
http://ww5.et.tiki.ne.jp/~y-sato/
目 次
白鳥省吾物語 第二部
一、 対立する新進詩人達
http://ww5.et.tiki.ne.jp/~y-sato/sira125.htm
白鳥省吾物語 第二部

●販売
インターネットで検索してみました。
本の通販カタログサイトからがまとめて調べやすいようです。
http://book.cata-log.com
古本販売で、著書名で検索できます。
http://book.cata-log.com/old/

■「酔いどれ船」翻訳小史 その1
meitei38 at 4/25(日) 11:36:47 No.paroparo-20040425113223

1914年(大正3年)ランボー没後23年にして極東の一青年により「酔いどれ船」は日本語に翻訳されました。

東雲堂書店版『詩集 果樹園』1914-12-20刊 柳澤健(1889-1953)訳「醉ひどれの舟」 自序に言う。「この詩集に輯めたものは、著者が高等學校時代の終りから現在に到るまでほぼ四個年にわたる製作である。」と。しかして、この若き日の自作詩集の巻末に唯一の訳詩として「醉ひどれの舟」を収めた思いを「なほ、巻末に載せた譯詩『醉ひどれの舟』は、佛蘭西詩壇の鬼才アルテユウル、ラムボオが十九歳の折の製作で、彼れの全作品を通じての最大傑作である。この譯詩をここに掲載した理由は、一にこの詩が自分に嘗てない深い感動驚異であつたのと、一には永くかかつて譯し終へた自分の勞力を尠くとも自分だけで紀念して置きたく思うたためにほかならない。」と述べて自序を結んでいる。 長い間、本邦初訳の栄光は上田敏であると思っていたが、生前にその意志を明確に述べて、公刊したのは柳澤健であったのだ。柳澤健は「詩人。福島県生まれ。東大仏法科卒。在学中に三木露風を中心とする「未来」に参加、詩集『果樹園』(大三刊)を出版。次いで日夏耿之介、西條八十らと「詩人」を、北村初雄らと「詩王」を出す。露風、フォール、レニエ、サマンらに学び、明るい詩風である。著書に初雄、熊田精華との共詩集『海港』(大七刊)、訳詩『現代仏蘭西詩集』(大一〇刊)、『柳澤健詩集』(大一一刊)、『現代の詩及び詩人』(大九刊)、『南欧遊記』(大一二刊)その他がある。ながく外交官の職にあり海外各地に赴任した。」(「新潮日本文学辞典」より)。
本邦四番目の訳者新庄和一は前述の詩誌「未来」の同人であったし、西條八十もそこにいた。また八番目の金子光晴と柳澤健も親しい交流があることを知れば、ランボーは当時の青年たちをもおおいに刺激したことが偲ばれる。彼等は共にランボーを日本語に訳すという真摯な作業を通じてランボーと格闘し、新しい表現を獲得していった。
柳澤健の訳詩は次のようなものだ。(諸研究の進んだ今日から見れば少なからぬ誤訳も指摘されようが、全体的にすぐれた訳業である)。

アルテユウル・ラムボオ著、柳澤健訳

    醉ひどれの舟

浩蕩たる『大河』をば自分が下つた時、もはや船
曳者(ふなひき)に嚮導して貰へないことが、自分に判つた。喧
轟せる赤銅土人の群が、船曳者をば捉へて裸にし、
色彩(いろど)つた柱に釘付けて射標となした。

普羅曼麥(フラマンむぎ)と英吉利斯綿(イギリスわた)との所持者たる自分は、全
ての船員について、無頓着であつた。自分の船曳
者(ふなひき)についての騒擾が静まつて、『大河』は自分の望
むでる所へこの身躰を運んで行つた。

あくる冬、海洋の激亂のなかへと、小兒の頭蓋よ
りもはるか重い自分の身體は走り入つた!海に突
き出た『半島』は、かかる烈しき凱歌の叫聲をば、
かつて享けとつたこともなかつた。

嵐は、わが海上の警戒をば役立たせた。自分は、
浮子よりも軽く、かの『犠牲の永久なる漂泊者』
と人々が稱(よ)べる波浪の上にて舞踏した。眼が巨燈
さへも見え難いもでにさせたのもくや悔まずに、十夜
の間、舞踏しつづけた。

小兒にとりて辛酸なる林檎の肉よりも更に柔らか
なる青い水は、わが樅製の船體にし滲み入り、緑(みどり)な
る酒とその噴出とは、斑點を自分につけ、梶と小
錨とを散亂せしめた。

さてその時よりぞ、自分は、星辰の入り亂れたる
海洋の詩(ポエーム)のなかに水浴(みづあ)みることとなつた。むさぼ貪り吸
ふところのものは、緑色なる蒼穹、その蒼白くし
て昏迷せる蕩揺のなかに、思ひ悩める溺死人は屡
々ふ降りくだる。

その緑なる蒼穹は、瞬時にして、白昼の紅輝のも
とに狂亂と静かなる韻律とに染められ、亜兒箇爾(アルコホル)
よりも強くリイル神琴よりも擴がりて、戀のにが苦い褐色を
ば湧き立たせる。

自分は、光に裂けた空、龍巻、反瀾、水流を知る
薄暮と、處女の群のごとく熱したる曙とを知る。
そして、人々が見たと信じてゐる一切のものをば
屡々見た。

自分は、神秘なる恐怖に汚されたる低い太陽が
長い菫色(すみれいろ)の凝結を放射してゐるのを見た。
極く古代の芝居の俳優どものやうに、波浪が遠方
でその兜頂の大總(おほふさ)の戦慄を轉(ころ)がしてゐる。

自分は、物静かに海洋の眼へとのぼりくる接吻、
恍として雪ふる青き夜を夢みた。異常なる液力の
循環と歌唄ひなる燐光の黄色と青色の警戒を夢みた。

自分は、まるで一箇月といふもの、非斯的里(ヒステリ)な牡
牛のごとく、暗礁へと侵襲する油浪(あぶらなみ)の後(しりへ)についた。
Maries (マリイ) のまばゆき御足(みあし)が、この醜悪人をば、腫(は)れ
あがつた『大洋』に追ひやり得ることを考へる
ことなく。

ああ、自分は衝突させてしまつた。海洋の水平線
の下、蒼海色の畜群のなかに於て、豹の眼の花が
手綱(たづな)のやうにはり伸べた虹の男の皮膚に交り合つ
てる奇異な Florides (フロオリド)。

自分は巨大の陥穽なる沼澤が醗酵するのを見た。
そこなる葦の間には、あらゆる怪獣(レヰアタン)が腐(くさ)りつくし
てゐる。怖ろしげなるなぎ凪のなかの水の頽廃、水の
崩落する深淵の方角なる遠方に於て。

堆氷、銀の太陽、螺鈿(らてん)の波、木炭の空、暗褐色の
崖の底なるいま忌はしい座州を見た。その崖には、鼠
姑(とこむし)を貪つてゐる巨蛇が、捩(よぢ)れた樹木から黒い
匂ひと倶に堕(お)ちくる。

自分は、子供に、緑色の波の間のを扁魚(さがみうを)をば見せて
やりたいと思つた。その魚は、黄金(きん)の魚、唄ふ魚。
花の飛沫(しぶき)が自分の漂へる舟をきよくしてくれ、口
に述べがたい風がやがて自分に羽翼を附けてくれ
た。

折々、地極と地帯との疲れし殉死者なる海洋は、
その啜り泣きにより、わが舟の動揺を軟らかなら
しめ、自分の方に向つて黄色の吸角をもつた陰影
の花をばさしあ挙ぐる、自分は足危いてゐる女のやう
に残されてゐる。

半島は、わが船側にむかつて、明暗色の眼を持ち
妄りに號呼する鳥群の争闘と排泄物とを打ちつけ
る。溺死人が遠かつて眠りに入らむものとわが脆
い鎖を傳はつて降りて行つたのちになつて、
自分は船を走らせた。

しかして、鳥も無き雰囲氣のなかへと颶風により
て投げいだされ、小湾の毛髪の下に失はれし船―
自分。わが Monitors (モニトオル)と Hanses (アンス)の帆船とは、水中より
酔ひどれし船骨をば拾ひあげやうともしてゐない。

菫色(すみれいろ)の霧より、放れた、躍起し、上騰して、自分
はよ良き詩人のために精美なる糖果ともいふべき、
太陽の苔蘚と碧涙をば保てる壁のごとく眞
紅なる空に、穽亜を穽つた。

『七月』が、熱き漏斗のごとき海上の空をば、大杖を
もつて崩したとき、自分は、黒色の海馬の群に護
衛せられてゐる狂亂の盤面、電氣體の星辰の染め
られて走つた。

自分は、Behemots (ベエモオ)と厚き Maestoroms (メエストロホム)の春情期を、遥(はる)か
遠くより歎き悲しみて、戦慄する。緑なる不動(イムモビリテ)を
とこしへ永久に糸紡(つむ)ぐ自分は、古き胸壁を有する欧羅巴(ヨオロツパ)を
ば悔(いた)む。

自分は、星の群島と、狂亂せる空が漕手の上に擴
がれるところの小島とを、見た。黄金の鳥の幾萬
の群よ。未來の意力よ。汝が、眠り且つさすらへ
るは、奥底も知らぬこの夜に於てなるか。

さはれ、げに、自分は余り涙を落しすぎた。曙は
痛苦してゐる。全ての月は酷に、全ての太陽は、
辛い。苦(にが)い戀は、昏亂せる麻痺をもて自分を膨ら
ます。ああ、わが龍骨は爆発し、ああ、われは海
洋に突き入る!

自分にして、若し欧羅巴(ヨオロツパ)の水を望むとせよ。そは
黒くして冷たき溜(たま)り水、それには匂(にほ)やかな薄明に
向ひ悲哀に充ちて蹲(うづく)まれる小兒が、五月の蝶々の
やうに脆い船をば放つ。

ああ、怒涛よ。汝の苦悩に水浴(みづあ)みて、自分はもは
や綿を所持せる者等よりその航路をば奪ふ能はず。
旌旗と火焔との嬌慢をば阻(はば)む能はず。はた、銅葉
船の畏ろしき眼の下にありて泳ぐ能はず。

             ―大正二年十二月譯―

東雲堂書店版『詩集 果樹園』1914-12-20
注)原文のルビは、括弧()で表記しました。
なお、この翻訳の特色のひとつは原詩の行変えには従っておらず、
全ての詩行を散文詩のように表記しているので原本の表記に忠実に従いました。


■柳澤健訳「醉ひどれの舟」
Parolemerde2001 at 5/3(月) 13:48:25 No.paroparo-20040503134711

酩酊さん、貴重な訳詩の掲載、ありがとうございます。
当時可能な翻訳としては、原詩をよく捉えていると思いますが、
なぜ、一聯ごとの散文詩的な形にしたのでしょうか。不思議です。

この時代は、もちろんランボーの詩は「地獄での一季節(地獄の季節)」でピリオドが打たれたと考えられていました。
そして、フランス詩が、アレクサンドランを中心とした韻文詩に頂点があると考えられたと思います。
例えば、上田敏はルコント・ド・リールの詩を高く評価しています。
そう考えると、高踏派の流れを汲むスタイルの「醉ひどれの舟」が、最高傑作と認識されたことは理解できるのですが、
翻訳のスタイルが不思議です。
韻文詩の韻文としての効果は、そのままは日本語には訳出不可能という理由で、意味と映像の訳出に絞ったのでしょうか。

ランボーの日本の詩へ与えた影響は、フランスの詩人では特に強いと思いますが、
この時代、どんな風に認識され、どんな影響を与えたのでしょうか。
研究が進みましたら、また、教えてください。

■酩酊さんへ
Parolemerde2001 at 5/5(水) 19:37:02 No.paroparo-20040505193636

酩酊さん

サイト制作者が多忙でプロフがまだのようです。
もうしばらく、お待ちください。よろしくお願いします。

■「老いぼれの痒み」
Parolemerde2001 at 5/5(水) 19:53:36 No.paroparo-20040505195245

「地獄での一季節」の「悪い血筋」の中に、vieille demangeaison と出てきます。vieille には、老いたと古いの二つの訳が可能ですが、今までは、古いという意味に取っていました。この痒み demangeaison については、疥癬という注もありました。古くからある病気という意味なのかなと考えていました。しかし、5月4日の読売新聞ネット版の「疥癬からお年寄り救え!都の対策本、1万部突破」という記事を見て、やはり vieille は、お年よりのことではないかと思いました。訳は、「老人の」「高齢者の」などでも良いのですが、文章の流れから「老いぼれ」と訂正しました。単数の「皇帝 emperuer 」と同格になっています。ナポレオンⅢ世は、1808年生まれ、1870年普仏戦争に敗北して退位、イギリスに亡命し1873年に没します。

■お久しぶりです
オーブ at 5/16(日) 17:16:05 No.paroparo-20040516170355

パロさんみなさん、お久しぶりです。そしてメイテイさん、はじめまして、
オーブです。すっかりご無沙汰してしまいました。ここに書き込みするの、何ヶ月ぶりでしょう!!
実は、私は3月に日本へ帰国しました。
パリを離れてまだ2ヶ月なんですが、もうずっと前から日本で暮らしているみたいです。
すっかり日本の生活になじんでおります(^^)
ということで、おもいっきり日本を堪能しよう!!と思っています。

フランスを離れて、しばらくはランボーからもフランス詩からも離れた生活をしていました。
不思議なことに、日本にいるとフランスのことがよく見えてくるんです。
逆にフランスにいると、日本のことがよく見えていたし・・。
この発想の転換(といえば大げさですが・・)をランボーの詩を読む上でも生かせていけたらな~、
と思っています。

パロさん、みなさん、どうぞこれからもよろしくお願いします。

■ demangeaison
オーブ at 5/16(日) 17:39:21 No.paroparo-20040516171739

少しトピずれ、お許しください。
パロさんの書き込みを見て思い出したことがあります。
日常では「かゆい」というのを
Ca me gratte というみたいです。直訳すると、「それは私を掻かせる」
という感じになります。こういう言い方は日本語の発想にはありませんね。
demangeaisonも通じますので、今でも使われていることは確かなようですが、
いつ、どんなときに使うのかちょっとわかりません。
ちょっと硬い表現なのでしょうか、医学用語とか・・。
私がフランスで買った、エッセンシャル・オイル(アロマ・オイル)の使い方の本に demangeaison が載っていました。

私は蚊にかまれてかゆいときは、「かゆい」といいながら、
ぽりぽり掻いたりしますが、フランスでは掻くと言う行為が
「かゆい」を意味するのですね。

■ on me pense
Parolemerde2001 at 5/17(月) 11:30:33 No.paroparo-20040517111701

お久しぶりです。日本は温暖化ですでに雨期ですね。

Ca me gratte. の表現方法を延長したのが、見者の手紙の On me pense. だと思うのですが。
Ca とOn は、同じではありませんが、あいまいに主体を意味している点では同じかと。文法的には良く解らないのですが。On y va. などの言い方も日本語にはありませんね。On me pense. は、日常的には使われないので、うまい日本語訳が見つかりません。
「悪い血筋」の「エセ黒人」という言い方は、逆転した形ですが、アメリカナイズ?された、というか今のアメリカの文化・政策を好む人を「エセ白人」というのに似ていますかね。

■ On, Ca
オーブ at 5/17(月) 21:27:08 No.paroparo-20040517210545

パロさん、こんにちは。

日本列島はいよいよ梅雨なのでしょうか、お天気が良くありませんね。
フランスでは部屋の中に干していてもからからに乾いていた洗濯物がこちらでは翌日になっても
乾いていません・・。
じめじめ、嫌な季節ですね。

Ca Onは文法的に言うと、非人称の主語ではないでしょうか。
日本語に訳すときは受身に訳すことが多いみたいです。
たとえば、on m'a dit で「~って言われた」とか、On m'a donne で「もらった」、
On me paie 「支払われた」などなど。
特定な主語がない場合に使われるのですが、それでも無理やり主語をつけるところが
フランス語のはっきりしているところですね。
On n'y va や、allons y、on s'en va は同じような意味ですが、日本人から見ると不思議な表現です。

On me pense はランボー語録でしょうか。普通は pense a で使いますよね。
「誰かが自分の中で考えている」なのでしょうが、訳が難しいです。

■訂正
オーブ at 5/17(月) 21:30:12 No.paroparo-20040517212811

On n'y va → on y va です(*_*)

なんか形がおかしいな~と思っていたら、やっぱり間違っていました・・。

■再 on me pense
Parolemerde2001 at 5/18(火) 00:04:55 No.paroparo-20040518000251

まだ、梅雨ではないでしょう。ただ、温暖化により天候が変わりつつあり、早くから前線が停滞しています。

フランス人が、詩に興味のない普通のフランス人がこの表現でどんな意味を受け取るのでしょうか。翻訳の場合は、デカルトのもじりということから、いわゆる主体的自我による思惟を否定しているという意味で翻訳を考えたりしますが。「人が私を考える」というのも変ですね。思惟は意図的に作られるのではなく、頭のプログラムに従って展開されるということなのでしょうか。見者の手紙の「もちろん、宇宙の英知は、いつも思想を投げかけてきました。人々はこの頭脳の果実の一部を集めました。」という部分は、この考えを反映していると思います。では、この自動プログラムの外に出るにはどうしたら良いかということが、見者の手紙の「怪物のような魂を作ることなのです。」という答えなのでしょう。

■ On me pense?
オーブ at 5/18(火) 23:02:05 No.paroparo-20040518225238

意味は通じないみたいですよ。
いつも penser a 人(物)として使うので、直接目的語である
meが来るのはおかしいみたいです。
ランボーが作った言葉なのだから無理もないかもしれません・・。
日本語でも解説がないとわかりづらいですよね。

あるフランス人の友人が言っていたことを思い出しました、芸術や詩を理解するのには
その作者の背景を、まず勉強しなければならないと。
ランボーの場合、特にそうですね。
この on me pense、文法的には間違った言葉にランボーの思想が現れていると思います。

■再々 On me pense.
Parolemerde2001 at 5/19(水) 18:50:33 No.paroparo-20040519184926

On me pense. では、やっぱり意味が通じませんか…

デカルトの言葉は、何故か「我思う」と邦訳されました。でも、penser は、考えるという日本語に近いと思います。「パンセ」は「思い」ではなく「思索」。でも、漢字は「思」が使われていますね。日本語は、主語が明確でない表現が多いので、「我思う」という言葉からは、あまり主体的な思考という意味が伝わって来ないように感じますが、どうでしょう。この翻訳がなされた時の日本語と今の日本語とは、必ずしも同じではないでしょうが。でも、ロダンの Le Penseur は「考える人」で「思う人(物思いにふける人)」ではないのですね。
On me pense. の詩法が実際に詩に結実した最初の作品は「酔いどれ船」だと私は思います。この詩が日本の詩人にどのように影響を与えてきたかはよく解りません。酩酊さんがご教示してくれた柳澤健は、ランボーの最高傑作としています。アレキサンドランで書かれ、高踏派の定型韻文詩のスタイルの雄大な詩から、あるいは、見者の詩法の斬新さからなのでしょうか。

■ Penser
オーブ at 5/19(水) 21:33:02 No.paroparo-20040519205330

私の感覚なのですが、penser はなんとなく漠然としたことを考えたり、思ったりするときや、
自分の考え(意見)を言うときに
使うような気がします。逆に具体的なことを考えるのは reflechir です。
たとえば、靴と服、どちらを買うか迷ったときなどに、「もう少し考えよう」というような場合です。
思想的なことはやはり、penser ですね。
花のパンジーも、フランス語では pensee (パンセ)といいます。あの花の形がぼんやり考え事をしている人の顔に似ているからだそうです。
日本語には「思い」と、「想い」がありますが、フランス語のパンセにも、「想い」があるんですよ。
思考、思索だけではなく誰かへの想い、気持ちも含まれます。デカルトの言った「われ思う」は「考える」に近いと私も思いますが、もう少し広い意味で考えて、思想的なことだけではなく、感情があるから(たとえば誰かを思う気持ち)があるから自分は存在するんだ、と考えてみたらおもしろいかもしれません。

「酔いどれ船」は私も大好きな詩のうちのひとつです。
ランボーらしく、自由な感じがします。そしてなんとなく日本人の思想にも似ていませんか。
流れに身を任せるところが・・うまく説明ができませんがフランスっぽくないような。
フランス人に比べると日本人のほうがチャレンジ精神が旺盛のような気がするし・・(あくまで私の主観ですが)

■再 Penser
Parolemerde2001 at 5/20(木) 00:18:31 No.paroparo-20040520001752

そうですか、結構ひろい意味で使われているのですね。手元のロベールでは、第1義は、やはり juger, raisonner, reflechir で、考える、判断するという意味合いが強いですが、日常的には想うまで含まれるのが一般的なのですね。パスカルの「パンセ」は、思想、思惟という意味でしょうが、理論より思いの方が思いように見えます。デカルトの「方法序説 Discours de la methode pour bien conduire sa raison et chercher la verite dans les sciences 」の penser は、やはり理性 raison で考えるという意味と思います。
パンジーは、レヴィストロースの「野生の思考」という本の装丁で、小さな野生(原種)のパンジーの絵(といっても図鑑的なイラストです)が付いている本がありました。私は、翻訳を学生の時に読みましたが、何が書いてあったのか覚えていません。たぶん、理解できなかったのでしょうね。

フランス人と日本人の比較は、時代で変わります。今は、産業的には日本の方が活発で、活発な人が多いとは思います。ランボーの時代はどうだったのでしょう? ヴィタリーの滞英日記を読むと、イギリス人の方がさらに活動的だと書かれていておもしろいです。

■ランボーの生き方は悲しいか?
オーブ at 5/21(金) 23:01:49 No.paroparo-20040521222918

フランス人はあまり自分の国を出ない人が多いような気がします。
旅行といっても、近くのヨーロッパくらいですし。
それに引き換え、日本人はあちこち外国に行っていますね。
私が mari にそれをいうとフランス人はお金がないからだよ~といっていましたが、
ほんとのところはどうでしょうか。
フランス人はもっと現実的なのではないかと思います。
あまり生活を変えるの好まないのかもしれません。
フランスでは男性はともかく、女性は保守的な印象を受けました。

そうですか、こういうのは時代によって左右されることなんですね。
日本では今は特に女性たちがエネルギッシュなような気がします。

さて、話はランボーに戻りますが、
フランス人のある友人がランボーの生き方は悲しいと言っていました。
そうでしょうか。ランボーのボヘミアン的な生き方が彼には悲しげに見えたのでしょうか・・。
私がもう少し若い頃、自由な感じがしていいな~と憧れたものでしたが。
確かに、多くのフランス人はいつも人と一緒にいるのが好きなので、
ランボーの生き方は孤独で耐えられないのもかもしれません。

■>ランボーの生き方は悲しいか?
Parolemerde2001 at 5/25(火) 20:20:12 No.paroparo-20040525201728

う~ん、難しくて、よく分かりません。
彼はどんなところを悲しいと言ったのでしょう? オーブさんは、少し前は憧れたそうですが、フランスに生活した後の今ではどうですか?

ボヘミアンアーティストも、もっと後になると、悲惨な人生を送った人が多いです。例えば、モジリアニとか。でもランボーは、いわゆるボヘミアンアーティストではないですね。でも、詩を捨てて、友を捨てて、商人になってもあまり幸福な時は持てなかったようです。詩を書いていた時に、束の間の陶酔・幸福はあったでしょうし、商人になってからも、仕事がうまく行きそうに見えた時も少しはあったようですが、「ここに居てもしょうがない」・「人生は辛いんだよ、これがぼくの運命なんだよ」という意味の言葉を多く残している人ですね。運命を受け入れているという意味の言葉も「悪い血筋」には見受けられますね。

才能も違い、時代も違い、国も違い、望んで出来るような人生ではないので、私には身近には思えないのですが、まあ、楽しい人生には見えませんね。今の日本では、きれいな顔立ちからも鋭く繊細な感受性からも若い女性のファンが結構多いようですが、男性はそういう形で憧れる人は少ないと思います。彼が「悲しい」と言ったのも同性という面もあるかも知れませんね。日本では、キリスト教に憧れる女性も多いですね。宗教的としてではなくムードとしてですが。とくに結婚式のスタイルとか。ランボーの初期詩編の後半はキリストと女性に対する呪詛で満ち溢れています。でも、信心深い妹ヴィタリーもイザベルも詩人の兄に強く惹かれたようです。今は、どうなのでしょう。フランスの多くの女性にとっては、たとえばロンサールの詩の方が身近なのではありませんか。(私が興味があるということではありません。)

■「酔いどれ船」と時代
Parolemerde2001 at 5/25(火) 20:59:09 No.paroparo-20040525205825

なかなかまとまった時間が取れなく、ホームページにまとめるところまで進んでいません。酩酊さんもBBSに参加してくださったので、まずはここに掲載しておきます。

19世紀は、船と鉄道の時代でした。マラルメも舟遊びを趣味としたようですし、もう少し後になりますが、アジェもパリの公園の舟遊び用の貸し舟を撮影しています。船は時代の情熱 aspirations du moment ( Devotion )だったのですね。その意味では、日本でも初期の翻訳者の方が「酔いどれ船」に強い衝撃を受けたように思います。

ランボーは、当時の詩人たちの中には溶け込んでいませんが、むしろ、当時の時代の流れを強く反映した詩人のように見えます。ベンヤミンの「パサージュ論(今村・三島訳、岩波書店)」には以下の指摘があります。テキストを時代の中に読み戻すことの参考になると思います。
「「僕のすてきな舟」という歌が大流行した。……それは一連の水夫もののシャンソンの
はしりであって、こうしたシャンソンはすべてのパリジャンを海の男に変えてしまったよ
うに見え、彼らに舟遊びを思いつかせることになった。……賛沢が輝く豊かなヴェニスで
は/金色の柱廊が水面にきらきらと映え/大宮殿の大理石の上には/芸術の傑作やすばら
しい宝物が飾られている/僕にはゴンドラしかない/鳥のように生きよ/鳥は左や右に揺
れながら翔ぶ/ほとんど水面をかすめながら」LH・グルドン・ド・ジュヌイヤック『一八三〇年から一八七〇年までのはやりうた』パリ、一八七九年、二一-二二ページ

■ランボーの生き方は・・孤独
オーブ at 5/27(木) 22:30:27 No.paroparo-20040527215546

私はその友達がランボーの生き方が悲しいといったこと、なんとなくわかる気がします。
決して陽気な人生ではありませんから。
この話は私が直接その彼から聞いたことではなく、mari からの又聞きなのですが、
結論からいうと、その彼はランボーがあまり好きではない、
なぜかというと、生き方が悲しいから。とのことだったみたいです。
mari いわく、フランス人は陽気なことが好きなんだとのことでした。
ランボーの孤独に見える生き方のせいではないでしょうか。
私は今でもランボーの生き方にあこがれますよ。自由な生き方とその強さ
に、でしょうか。孤独はある意味で自分との戦いでもあると思うので、
それを実践したランボーは強い人だったと思います。
(本人は意識してないかもしれませんが・・。)
砂漠を旅行した友達が言っていましたが、それはもう暑さと腹痛でひどかったそうです。
21世紀の観光客として行ってもどれほど砂漠での生活が過酷か想像ができますね。
ランボーの時代は想像を絶するほどの生活苦だったのでは・・。
(写真のやせ具合から見ても一目瞭然ですが)
絶対自分にはまねできません。

キリスト教は若い女性の憧れなのですか、それは知りませんでした。
確かに結婚式を教会で挙げたい人は多いですね。
フランスでも無宗教の人でも教会で挙げたがる女性は多いみたいですが、
伝統的にカトリックなのでそれはありですね。

フランスで一般的にロンサールが知られているかどうか・・(^^;;)
知名度ではやはりランボーでしょうか。

それにしても、なぜランボーは女性を嫌っていたのですか?

■>ランボーの生き方
Parolemerde2001 at 5/29(土) 14:33:09 No.paroparo-20040529143220

彼は、おそらく実際のランボーの人生を考えて言っているのではないでしょうか。
オーブさんは、「絶対自分にはまねできません」として、憧れを持たれているわけですが、
彼は、自分はこのような生活はおくれない、あるいは、おくりたくないと考えている訳ですね。

伝記を幾つか読む限りでは、
ランボーは、どこか運命論者風ですが、自分の人生を自覚していたようです。
「地獄での一季節」「イリュミナスィオン」にも、自らの人生を見ている詩句がたくさんあります。
でも逆に、例えば、アフリカで足があのように悪化するとは思っていなかったようです。
「酔いどれ船」について前に書きましたが、時代の流れ、
つまり aspirations du moment に彼自身が乗った、乗らされた部分もあるでしょう。
だから、全てが見えていた訳でもないでしよう。
最近は、ランボーの詩の反映をアフリカにも見る傾向がありますが、
まあ、同じ人ですから、反映している部分もありますし、していない部分もあるでしょう。
でも、アフリカにシチュー鍋を山のように輸入して、販売に苦労したりもしています。
日仏学院で、ランボーの公演があるそうです。
http://www.ifjtokyo.or.jp/culture/theatre_j.html

ロンサールは、詩人としても今でも知名度が高いのかは、判りません。
でも、薔薇の名前にもなり、薔薇や若い女性を歌ったフレーズは有名なようです。
私は、あまり知りませんが…。
キリスト教も、信仰というよりムードでしようね。
例えば十字架のアクセサリーとか、多いですし、
アート系の女性の個人ホームページにも、神、天使、十字架などがよく使われています。
神の使いは天使だけではないし宗教によりさまざまですが、
たょっとした飾りなどに使われる天使は、ほぼキリスト教の天使ですね。

ランボーと女性のことは、特に初期詩編では、重要なテーマと思いますが、
今は翻訳も進んでいないので、また何かの機会に書いてみます。
オーブさんの方で、何かあれば、ぜひ書いてください。
でも、ランボーは必ずしも「独り」ではないです。
ドラエー、イザンバール、ヴェルレーヌ、アフリカでは例えばイルグとか、
あるいは、一時期、エチオピアの女性と同棲したり、
どこかで自分を伝えられる人を求めていました。
とくに、詩の成立に関しては、鈴村氏が「他者の手」と書いていましたが、
「イリュミナスィオン」の立会人としてヌーヴォーが居たりして、
彼の詩の成立に関しての捉え方も、少しは変わってきていると思います。

■ランボーの生き方について・・
オーブ at 5/30(日) 13:46:28 No.paroparo-20040530130542

私がランボーの自由なところにあこがれるのは、一種の現実逃避かもしれません(笑)
毎日って同じことの繰り返しですよね、狭い世界の中で生きている。
だからふらりと旅に出てみたくなるような・・。
たぶん、もっと若い頃にあこがれたのも、そういう理由からだと思います。
でも、結局は帰る家があってこその話で、本当にボヘミアンだと参ってしまうでしょう。
ランボーはどこを自分の「根」と考えていたのでしょうか・・。
フランスでしょうか。

やっぱりランボーのような生き方はまねできませんね。
やっていいよ、と言われても無理だと思います(苦笑)

パロさんがおっしゃるように、ランボーはまったくの孤独ではありませんでした。
アフリカでは部下からの人望も厚かったと聞きますし、人を冗談で笑わせたこともあったと、
伝えられていましたね。
それに、部下の借金も返してあげたりしたこともあったようですね。太っ腹です。
少年の時は、認めてくれるイザンバール先生や、慕ってくれる妹たち、文学を語り合う友達、ドラエーが
いましたね。
ただ、ランボーの生涯を通して考えると、なぜだか孤独感がつきまとってしまいます(私の中では、ですが・・)

確かに、日本ではキリスト教はアートや、アクセサリーのデザインに使われていますね。
逆にフランスでは、東洋的なものがはやっている傾向があります。
インテリアに仏像を置いたり・・、日本で言う、癒しの意味合いがあるようです。
私がまだ、小学校に行くか、行かないかくらいの小さい頃、十字架にとてもあこがれたことがありました。
(私って憧れが多いですね・・^^;;)
あの、よく縁日とかで売ってるきらきらしたおもちゃの十字架です。
ただ、とてもきれいだったというだけの理由だと思いますが。
でも、今はファッションとして身につけることはありませんね。
本当にキリスト教を信仰している人が十字架のペンダントをしているのを見たことがあるので・・。

最近まとまった時間がとれなくて、まったくランボーを読み進めていません。
でも、何か気づいたことがあればまた書き込みます。
とんちんかんなことを言うかもしれません(^^;;)
そんなときは遠慮なく突っ込んでください。
ランボーと女性の関係について、楽しみに待っています。
そうですね、私もランボーの初期詩篇では重要なテーマだと思っています。

■現実逃避、舟と川
Parolemerde2001 at 5/31(月) 01:12:22 No.paroparo-20040531011114

詩は現実逃避ですね。
ランボーも、母親に監視された世界から逃れるために書き始めた面もありますし、
現存している最初のフランス語詩「センセーション」では、
夏が来たら爽やかな夕暮れの中をボヘミアンのように歩いて行きたいと夢想します。
ランボーが詩を捨てたのは、それが現実逃避だと知り尽くしたからでもあると思います。

さて、「酔いどれ船」が出てきました。この船は、まず川を下り降ります。
ランボーの「思い出」に出てくるムーズ川でしょう。
この「思い出」「記憶」と題された詩のテーマは、母の情念となった川でしょう。
始めは、いつかは判らないがどこか鮮明な幼児期の「記憶」で始まり、
やがて、幼少年期の「思い出」に姿を変えます。
舟遊びをする子供は、すでに舟の視覚としても描かれています(第5節)。
この第4節を読むと、ランボーの両親がムーズ川の川岸を愛の場所に使っていた記憶が、
ランボーのどこかにあったのではないかと思ってしまいます。
狭いアパルトマンに住んでいた当時のフランス人にとって、
公園、そして、川辺、野原、森は、逢引の場所でもあったとされます。
別にフランスとは限らないことでしょうが。

ブルース・スプリングスティーンに The River という歌があります。
Born in the USA と並ぶ、彼の傑作だと思います。
若く貧しい恋人にとって、川辺はやはり愛の場所だったのでしょう。
Oh down to the river we'd ride // Then I got Mary pregnant
Words by Bruce Springsteen
もちろん、この歌詞とランボーの詩は関係ありませんが。

彼の Born in the USA には、
「黄色人種を殺しに行く to go and kill the yellow men 」
Words by Bruce Springsteen
という言葉が出てきます。ベトコンを殺しに、ではありません。
今なら、イスラム教徒を殺しにでしょうか…。解りませんね。

■キリスト教原理主義
Parolemerde2001 at 6/6(日) 13:55:53 No.paroparo-20040606134430

オーブさん、こんにちわ。
最近は、読む時間がないとのことですか、
私もまだまとめる時間が無いので、サイトの更新は出来ていません。
なにか思いついたら、気楽に書いてください。

さて、キリスト教の話ですが、
EUとアメリカのキリスト教原理主義に関して、田中字さんのサイトの記事に少し書かれていましたので、紹介します。

「EUの覇権は拡大するか」の中の
http://tanakanews.com/e0601EU.htm
「▼EUはキリスト教国の統合体?」の節の後半です。

ヴェルレーヌがマチルドと結婚したときにブルジョワの若妻のキリスト教への信仰心が薄いことを、確か「懺悔録」に書いていました。
フランス革命の歴史から始まり、とくに都市ではキリスト教(カトリック)が、信仰というより社会のしきたり化した部分もあると思います。
今の日本のキリスト教のアートとしてのブームは、アメリカの影響が大なのでしょうか。
あるいは、オーブさんが書いたように、美的な魅力なのでしょうか。
私の知っている数少ないフランス人も、熱心なクリスチャンはいません。

■マラルメの「花々」
Parolemerde2001 at 6/6(日) 13:59:51 No.paroparo-20040606135604

ヤフー「マラルメ」トピで、「花々」を訳しました。
とりあえず、試訳と簡単な注をここにも載せます。

       花々
ステファン・マラルメ

いにしえの青空の金色の雪崩から、
初めの日に、また星々の永遠の雪から
かってあなたは大きな聖杯を解き放った
若く、災いに汚されていない大地のために、

細い首の白鳥たちに囲まれた、黄色いグラジオラス、
そして、踏みつけられた暁の恥じらいが赤く染める
熾天使の清純な足指のように真っ赤な
追放された魂たちのこの神々しい月桂樹

ヒヤシンス、愛らしくきらめくギンバイカ
そして、女の肉体によく似た、残忍なバラ
凶暴に輝く血が流れるこの花は、
明るい庭に咲きほこるエロディアード!(注1)

それから、あなたは百合の花のすすり泣く白さを作られた
白くかすめる溜息の海原の上を転がりながら
青ざめた水平線の青い香りを横切り
泣いている月に向かって夢見るように昇って行く!

シターン(注2)の上に、吊り香炉の中に、栄光あれ(注3)、
「聖なる女性」(注4)よ、我らの古聖所(注5)の庭に、栄光あれ!
そして、ついには天上の夕べの木霊になれ、
眼差しの恍惚よ、後光のきらめきよ!

おお、「母」よ、あなたは正しく強い胸に、
人生に青ざめ疲れたあの詩人のために、
苦痛を癒す「死」を持つ大きな花々の、
未来の小ビンを揺らす聖杯を作られた。

注1) エロディアード(ヘロディアード)は、聖書に出てくるユダヤのエロデ(ヘロデ)王の妻です。
ヘロデ王が想いを寄せる妻の娘が、絵画や歌劇で有名なサロメです。
注2) 撥弦楽器
http://www.skyeconsort.com/jp_instruments.html
注3) Hosannah は、元々はユダヤの神への賛美の言葉から来ています。
通常は Hosanna ですが、マラルメは英語で時に使われる Hosannah と書いています。
注4) Notre Dame と書かれ、Notre-Dame は聖マリアですが、
なぜかハイフンがありません。マラルメが二重の意味を付与したと読みました。
注5) limbes は、しばし冥府と訳されますが、神学用語では「古聖所」と訳され、地獄の辺境とされます。
旧約時代の善人がキリストの降誕まで留まるとされる場所(ロワイヤル仏和中辞典)のことです。

テキストは、
http://poesie.webnet.fr/poemes/France/mallarme/6.html

翻訳:2004、Parolemerde2001

■野兎
Parolemerde2001 at 6/14(月) 22:11:56 No.paroparo-20040614221119

小学館のビッグコミックオリジナルに「イリヤッド」(東周斎雅楽作/魚戸おさむ画)という漫画があります。
主人公の考古学者、入矢がアトランティスの謎を探る話ですが、いろいろと広がって、
現在は日本の出雲の「赤うさぎ」伝説について書いています。
「因幡の白うさぎ」の話は、私も知っていました。
漫画なので、どのくらい史実に忠実なのかは判りませんが、
うさぎ伝説が騙まし討ちにあった先住部族を喩えているという見方にはうなづけます。
うさぎ伝説は、日本だけでなく世界的に分布しているそうですから、
アルデンヌにも民話が存在したかも知れません。
この漫画には「世界中に散らばる多くの民話ではうさぎは神と人間の橋渡し…
文明の伝達者… とても賢い存在として描かれている…」と語られていますが、
ランボーは騙されて皮を剥かれた因幡の白うさぎのように、
愚かな存在として「大洪水の後」に登場させたように思います。
パリ・コミューヌと関連付けて「大洪水の後」を読めば、
ブルジョワジー、といっても小資本家を、比喩しているように思います。

■うさぎ
オーブ at 6/30(水) 12:01:53 No.paroparo-20040630112329

パロさん、みなさんこんにちは。
そしてお久しぶりです。
最近めっきり暑くなりましたね。もう7月です。

ところで「野うさぎ」に関するパロさんの書き込みを読んで、
偶然にも、私もうさぎに関することを考えていました。
和風のインテリアや、和装小物が好きで、よくそういうお店に行くのですが
(高いので見るだけです^^;;)
うさぎをモチーフにした置物が多いことに気づかされます。
かわいらしいキャラクターっぽいのから、日本情緒豊かなものまで
実にさまざまです。うさぎに関する愛着は日本独自のものではないかと思うのですが。
満月の夜に、すすきの野原で真っ白な数匹のうさぎが飛び跳ねているような絵は
よく見られますよね。
本当に情緒豊かです。
見た目のかわいらしさも手伝っているのでしょうけど、これほどまでに
うさぎがもてはやされる理由はそれだけではないような気がします。
有名なのは、月にうさぎが住んでいる、という逸話ですね。
パロさんがおっしゃるように、日本でも神と人間をつなぐ存在であったのかもしれません。

フランスでは、少なくとも現代のフランスでは、うさぎに関してはほぼ「食」のイメージしかないような気がします。
丸々太ったうさぎを見て、「おいしそう」と思うフランス人もいるようで
文化の違いに気づかされます。
ただ、パックといって、英米でいうところの、イースター(復活祭)では
うさぎが卵を隠すという逸話があり、その時期になるとうさぎをモチーフにした
キャンドルがたくさん出回ります。
なぜうさぎなのか、由来があるのでしょうけど、ちょっとわかりませんでした。

少し話が脱線しますが、うさぎと並んで、狐も情緒がありますね。
お稲荷さんというのがあるくらいですから、狐は神のメッセンジャーであると
昔の日本人に信じられていました。
「狐の嫁入り」なんていうのもありますね。
その様子を版画のようなタッチで描かれた壁掛けを見たことがありますが、
妖しげな美しさがありました。
日本にはたくさんの動物信仰がありましたね。
そういうのを調べてみるとおもしろそうです。
西洋人にとっての野生動物は信仰の対象というより、狩猟の対象、
毛皮や食料としてでしかなかったような気がするのですが・・。

■>うさぎ
Parolemerde2001 at 7/3(土) 01:10:57 No.paroparo-20040703010609

オーブさん、お久しぶりです。

私もウサギには、愛玩動物、毛皮、食肉くらいしか思い浮かびません。
でも、ランボーは創世記の話やアルデンヌの民話を幼年時代に母親から聞かされたと
ジャンコラ氏の伝記にありましたので、民間伝承的な意味合いも、
「大洪水の後」の野ウサギに含まれているのかなと思いました。
でも、この詩では、やはり弱い動物のイメージではないかと思います。

■ボードレールの母の思い出
Parolemerde2001 at 7/3(土) 01:14:40 No.paroparo-20040703011110

前から気になっていたボードレールの詩を、行きがかり上?訳してみました。

  (Je n'ai pas oublie, voisine de la ville)
Les fleurs du mal / Charle Baudelaire

Je n'ai pas oublie´, voisine de la ville,
Notre blanche maison, petite mais tranquille ;
Sa Pomone de pla^tre et sa vieille Ve´nus
Dans un bosquet che´tif cachant leurs membres nus,
Et le soleil, le soir, ruisselant et superbe,
Qui, derriere la vitre ou` se brisait sa gerbe,
Semblait, grand oeil ouvert dans le ciel curieux,
Contempler nos di^ners longs et silencieux,
Re´pandant largement ses beaux reflets de cierge
Sur la nappe frugale et les rideaux de serge.

    (ぼくは忘れない…)
/シャルル・ボードレール(「悪の華」より)

ぼくは忘れない、町はずれの、
小さいけれど静かな、白い家。
石膏の「ポモナの女神」と古ぼけたヴィーナスが
茂みの中に腕を隠していて、
夕暮れには、輝く大きな太陽が、
ガラス窓を煌かせ、窓越しに、
つつましいテーブルクロスやサージのカーテンに
大蝋燭の美しい輝きを投げかけながら、
不思議な空の中の大きな目のように、
ぼくたちの静かでゆっくりした夕食を見つめていた。

注)ポモナの女神は、ローマ神話の森の女神、果実の神
http://www.dutchbaroque.jp/vertum_txt.htm
このバラの名前も、神話のポモナの女神から取られたのでしょうか。
http://homepage2.nifty.com/Ks_Garden/RoseGuide/16.htm

訳注)原詩の7・8行目と9・10行目の位置は、訳では逆になっています。

翻訳:2004、Parolemerde2001

情景を優先して、意訳しました。
例えば、bosquet che´tif は、arbre che´tif で、育ちの悪い木という意味があるそうですから、
育ちの悪い植え込み、つまりは低い植え込みで、茂みと一言に訳してしまいました。

ボードレールの父は、彼が6歳の時に死にます。
そして、7歳の時に母は(後の)オーピック将軍と再婚します。
この詩は、母が再婚する以前のボードールの幸せな子供時代の詩と言われています。
あるいは、母と二人きりの短い時かも知れません。
この石膏のポモナ像は、上のサイトを参照すると、色の白い母のイメージなのではと思えてきます。
「ぼくは忘れない」と訳しましたが、原文は否定の複合過去で、ぼくは忘れたことが無かった、です。
つまり、この至福の時は、ボードレールの心から離れたことが無いという意味でしょう。

窓から覗いていた太陽は、亡くなった父なのでしょうか。
ランボーの「思い出」という詩では、父は太陽、母は川として描かれています。
「地獄での一季節」の「錯乱 II 言葉の錬金術」の、
「将軍よ、君の壊滅した城塞に旧い大砲が残っていたら、乾いた土の塊で、おれたちを砲撃してくれ。
豪華な店のショーウィンドーを狙え! サロンにぶち込め! 町には土ぼこりを食らわせろ。
ガーゴイルを錆びさせろ。閨房には、燃えるルビーの火薬を詰め込め…」
という部分の「将軍 ge´ne´ral 」は太陽であり、同時に父、ランボー大尉( capitaine )のこととも言われています。

父あるいは義父が軍人であることは、ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボーに共通であり、
幼い頃の肉親の死去と再婚は、ボードレール、マラルメに共通しています。
また、ランボーの父も、ランボーが5歳頃から、完全に別離しています。
詩人たちの世界観に、どこか共通の陰を作り出していると思われます。

■>ボードレールの母の思い出
オーブ at 7/4(日) 23:16:49 No.paroparo-20040704224817

パロさんこんにちは。

ボードレールの、こんなにやさしい詩があったのですね。
少しびっくりしてしまいました。
懐かしい光景が目の前に浮かんでくるようです。
私は個人的に夕暮れ時が好きなので特にこの詩の描写が印象に
残りました。

詩人に限らず、人間の原点はみな、家族にあるといっても過言ではないのかも
しれませんね。
家族の影響なしで生きている人はいないのかもしれません。
特に幼い頃の家族とのかかわりは生涯にわたって影響をうけるものなのでしょう。

アルデンヌにはうさぎにまつわる民話があったのかもしれませんね。
日本にも「因幡の白兎」のような民話がありました。
確かにうさぎは弱いものの代表選手といえます。
戦う武器を持たず、逃げることしかできませんから・・。
しかし、うさぎの前歯は鋭く、あれで本気でかまれたら指が落ちるかもしれません。
しかし、それで天敵(狐やいたちなど)に反撃することはないのでしょうね・・。

■アンティークの西洋人形
オーブ at 7/23(金) 18:25:00 No.paroparo-20040723175705

みなさんこんにちは。暑い日が続いていますね。
パロさん、お元気でしょうか。

実は偶然、家の近所の商店街でアンティークのお店を発見しました。
そこの商店街にはよく行くのですが今までまったく気づかず、素通り
していました。
薄暗い店内をチラッと見ると、かわいいお人形が座っているのが
見えたので中に入ってよく見てみました。
もう売約済みで手にとって見ることはできませんでしたが、
かなり保存状態が良かったと思います。
お店の人に話を聞きたかったのですが、手伝いできている人のようだったので
あまり詳しい話は聞けませんでした。
(鑑定士は他の客の宝石を鑑定中でした)
そのお人形はドイツ製でしたが、フランス製のもあるとのことで
見せてもらいました。
フランス製の方は、花嫁衣裳を着ていました。
白いアンティークレースは黄ばんでところどころシミがついていましたが
こちらのほうも保存状態がとてもよかったです。
気になるお値段のほうはというと、ドイツ製ので20万、フランス製のも
だいたいそのくらいだそうです・・。
20万円のお人形!!
とてもじゃないけど、手が出ません(^^;;)
ちなみに、アンティークのレプリカ(今の技術での復刻版)
は7万円だそうです。
それでもそんなにお高いんですね・・。
ちょっとぼ~っとなりました。

こんなに保存状態のいい、かわいらしいお人形は
パリでも見ませんでした。
もっとじっくり探せばあったかもしれません。
ここ、日本でフランスのアンティーク人形と出会えるなんて
少しびっくりしました。

今日は詩の話ではなくすみません。

■>アンティークの西洋人形
Parolemerde2001 at 7/23(金) 21:06:50 No.paroparo-20040723210202

オーブさん、こんばんは。
東京はとても暑いです。この夏は大阪より暑いですね。

ビスクドールはとても高いです。
銀座値段だと、20万円でも安いように思えます。
19世紀の大型のビスクドールで、身長は1メートル位になるでしょうか、
とてもきれいに保存されていたものは、たしか400万円位の値段でした。
もっとも、これは特別の場合なのでしょうが。
白い生地、とくにレースは黄ばんでいますが、
青く染めた絹などはほとんど退色していないのではと思わせる服を着た人形もあります。

1880年代には、いわゆる頭の大きなベベスタイルの人形が定着したようです。
また、ドイツ製がフランス製よりも多くなっていったそうです。
おそらく、絵画やワインと同じで、ビスクドールのディーラーもイギリスが多いのでは?
ちょっと調べてみなければ分かりませんが。
絵画のディーラー(美術商)の取引高のグラフを見たことがありますが、
1位がイギリス、2位がアメリカでした。
商品としての展示となると、どこが多いのでしょうか。
現在、東京では銀座に三店舗、ある程度まとまった展示販売をしているお店があります。

■フランスのビスクドールは・・
オーブ at 7/23(金) 23:35:40 No.paroparo-20040723225250

パロさん、今年の夏は東京はすごく暑いそうですね。
もう40度近くあったとか・・。
大阪はまだそこまで行きませんが、蒸し暑く、クーラーなしでは
生活できません・・。クーラーが壊れないか恐怖です。(かなり古いクーラーなので・・)

ところで、アンティークの西洋人形って20万でも安いほうなんですね。
驚きました!!
確かに、骨董品だと何百万とする物があるので人形もそれくらいするものが
あっても不思議ではありません。
お値段の基準って何なのでしょう。やはり、古くて珍しく、保存状態がいいものでしょうか。
私は個人的にはジュモーの顔はあまり好きではないのですが、
すごく有名ですね。(ジュモーは19世紀でしたね?)
製作に手間のかかるフランスのビスクドールは20世紀に入って急激に生産が衰えていったと聞きました。
ところで、ドイツでもこのようなお人形が生産されていたのですね。
ドイツと言えば、テディ・ベアや木の玩具がまっさきに思い浮かぶので、少し意外でした。
(パリのリヴォリ通りに、ドイツの玩具やさんがあります)

ほとんど退色していない服ってすごいですね・・。
ほぼ当時の貴婦人と同じような質の服を着ていたのでしょうね。
イギリスにデイーラーが多いのも少し意外でした。
なぜだかアメリカと思っていたので。

私がフランスにいたとき、ある女性向けのファッション雑誌に
日本人のお人形に対する愛情(?!)に関しての特集記事が
乗っていました。
少しとっぴな解釈に???となったところもありましたが、
確かに日本ではお人形を愛でる習慣が、他の国よりもあるのかもしれません。

銀座にはアンティークドールを販売している大規模なお店があるのですね!
大阪はどうなのでしょう?私が知らないだけかもしれませんが、残念ながら
ないような気がします。
私が見つけた、商店街の中にひっそりとあるようなアンテーク・ショップなら
あるかもしれません。あと、定期的に百貨店が催しものとしてやっていることが
あるようです。
京都にも一軒知っていますが、どちらかというと和のアンティークです。
市松人形とか兜とか・・。
あ、もしかすると神戸ならあるかもしれません。
関西方面で探してみようと思っています。(あったからといって買えるわけではありませんが・・^^;;)

■アンティークドール
Parolemerde2001 at 7/26(月) 00:20:35 No.paroparo-20040726001842

ランボーとは関係ないのですが、
シャルルヴィルでは、たしか3年に1回と覚えていますが、
マリオネットの国際的な大会があるそうです。
飯田橋のマリオネット人形屋さんで、その記事の載ったミニコミ?も見ました。

サイトにも書きましたが、フランスのビスクドールの全盛時代は、
大体ランボーの生きていた時代です。
その後は、ドイツ製に代わられます。
カメラ(写真)もフランスで生まれたものですが、
ドイツそして今では日本の製品になってしまいました。
19世紀は、ドイツが急速に工業国として実力をつけた時代で、
後進国で、工業製品のレベルが当時の先進国イギリスより劣っていたため、
たしかアメリカでの万国博覧会の時に、Made in Germany という表示を義務付け、
これが、工業技術の向上となり、勝れたカメラを生む力になったと、
ドイツのカメラの歴史、つまりライツとツァイスの歴史、を書いた本で読みました。

ランボーは、普仏戦争も経験していますから、
「イリュミナスィオン」では「ドイツは月に向かってよじ登り」(「歴史的な夕べ」)と書いていますが、
ドイツも決して月に向かっていた訳ではなく、
現実的には、ヨーロッパの覇権争いが、第一次大戦へ、そして第2次大戦へとつづいて行きます。

ところで、アンティークドールの値段は、やはり希少価値も大きく関係あると思います。
生産量の少ない工房で、生産量の少ない制作年代のものとか、それだけで高くなるようです。

■アンティーク・ドール
オーブ at 7/26(月) 20:20:32 No.paroparo-20040726195743

先週末、そのアンティーク・ショップに再度行ってみました。
鑑定士さんと話す機会があったので聞いてみると、
ドイツ製のは、アーモンド・マルセル、フランス製のは
ジュモーだと言うことでした。
100年以上前のものであることは確かなようですが、
パロさんの説だと、そのフランスのビスクドールも
ランボーが生きた時代のものかもしれませんね。
そう考えると本当に古いお人形ですね!
指が少し傷んでいるのが残念でしたが、その年代から残っていることを
考えるとそれくらいですんで、まだ良いほうかもしれません。
当時のお金持ちのお嬢さんが大切にしていたお人形なのかもしれませんね。
こんなに古いものが残っているなんて、アンティークの世界は
本当にすばらしいと思いました。

シャルルヴィルのマリオネット際は去年がちょうど開催年でした。
9月ごろだったと思います。
私は残念ながらそのときはいけませんでした。
シャルルヴィルはお人形の町でも知られているのでしたね。

■「ランボー砂漠を行く」
オーブ at 8/2(月) 18:56:33 No.paroparo-20040802183920

パロさん、こんにちは。
台風の影響で少し曇りがちな大阪です。
でも相変わらず暑いですね。
最近私は夏ばて気味でちょっとダウンしかかっています(^^;;)

ところで、鈴村和成氏の「ランボー砂漠を行く」という本を注文しました。
パロさんはもう読まれたでしょうか。
読んだ人のコメントが載っていましたが、なかなかの力作でよくまとめてあるとのことで、
ちょっと楽しみにしています。
フランスでは長いこと、砂漠でのランボー、つまり詩を捨てて商人になったランボーは
評価されることなく、研究もあまり進んでいなかったと何かの本で読みました。
鈴村氏は砂漠でのランボーにスポットを当て、そのときの書簡から
ランボーという詩人を探ろうと試みたのですね。
パロさんが、以前、氏はヴェルレーヌとの関係に(日本で初めて?)
スポットを当てた人だ、というようなことをおしゃっていましたね。
従来にない別の角度から研究する発想の転換はすばらしいとおもいました。
鈴村氏は、私がランボーに興味を持ち始めた当時、
初めて知ったランボー研究者だったのでなぜか、氏の名前を見ると
安心感があります。(単純ですね・・私って)

最近、仕事と家の往復の自分に危機感を感じています。
しばらく中断していた、というよりせざるを得なかったランボーを、
また読みたくなりました。

■アフリカのランボー
Parolemerde2001 at 8/2(月) 20:24:15 No.paroparo-20040802202332

暑いですね。
最近では、温度的には東京もハラルに近づいたようです。
おかげで、頭が蒸発して、考えてもどこかに消えてしまいます。

鈴村氏の見解、ヴェルレーヌとのことは、
ランボーは作品を成立させるのに「他者の手」、
ヴェルレーヌの手 une main amie 、そしてヌーボーの手を必要とした。
初期詩編では、手紙で送るというスタイルで詩を発表した。
という意味のことが書いてありました。
つまり、ランボーの詩は、
閉ざされた言語世界を目指したものではないと言う意味です。

「ランボー砂漠を行く」は、読んだことがあります。
フランス人では、ボレルが Rimbaud en Abyssine という本を1984年に発表しています。
日本では「アビシニアのランボー」というタイトルで川那部保明という方が翻訳しています。
私も、翻訳を読んだことがありますが、
本を書いた時の作者はまだ若く、そういう意味でも興味深い本です。
アフリカのランボーの研究も、今では結構なされていると思います。

■暑中お見舞い申し上げます。
Parolemerde2001 at 8/12(木) 11:47:20 No.paroparo-20040812114513

       夏の悲しみ
ステファン・マラルメ

砂の上に、おお、眠る抗う女よ、太陽は、
君の髪の毛の黄金の中で、悩ましい湯を沸かし、
君の敵意の頬の上で香を焚きつくしながら、
恋の水薬を涙と混ぜる。

この白い「炎」の、変わらぬ凪が
おお、私のおびえたキスよ、悲しげな君に言わせる、
「私たちは、決してミイラのようにはなりません
古代の砂漠と幸福のヤシの木々の下で!」

だが、君の髪は生暖かい川の流れ、
そこでは、私たちを悩ませる、あの魂が震えずに溺れ
君の知らないこの「虚無」が見える。

私は君の瞼に滲んだ化粧を味わうだろう、
君が打つ心臓に、青空と石の無感覚を
滲んだ化粧が与えることができるかを見るために。

翻訳:2004, Parolemerde2001

原詩は、
http://www.toutelapoesie.com/poemes/mallarme/tristesse_d_ete.htm

■久々に更新しました。
Parolemerde2001 at 9/2(木) 00:02:58 No.paroparo-20040901233006

みなさん、こんばんは。
ランボーサイト、久々に更新しました。
新規の翻訳2点の他、タイトルの変更などもあります。
アクセス、お待ちしています。

酩酊さん、たいへん遅くなりましたが、
本邦初訳の「醉ひどれの舟」と、酩酊さんのコメントをやっと広場に掲載しました。

■再度、少し更新しました。
Parolemerde2001 at 9/2(木) 00:02:58 No.paroparo-20040924233121

イリュミナスィオンの形容詞と思われるタイトル、
名詞化して読まずに、形容詞のタイトルとして付けられたと考えて、
「首都の」(旧「首都の鉄道」)、「野蛮な」(旧「野蛮人」)を、
読み直してみました。
「古代の」「神秘の」と同じスタイルです。
もっとも、詩の読みそのものはほとんど変わっていません。

■サイト紹介です。
Parolemerde2001 at 10/20(水) 16:10:00 No.paroparo-20041020160335

ランボーの生誕150周年のお誕生日になりました。

数日前に、メールが来まして、
リンクページで紹介しているフランスサイトのアドレスが替りました。
ただし、前のページも残っています。
アクチュアリテが新しくなっていて、
生誕150周年のイベントなどが紹介されています。

■年譜・写真(肖像・居所)・シャルルヴィルのランボー博物
館・詩・リンク・グッズ
Rimbaud, de Charleville a Charleville
http://www.ardennes-culture.net/Rimbaud/
イベントの紹介ページは、
http://www.ardennes-culture.net/Rimbaud/index.php?adr=actualite.php

■150周年記念サイト
Parolemerde2001 at 10/20(水) 17:13:32 No.paroparo-20041020171225

以下のURLですが、
アクセスが多いのでしょうか、なかなか開きません。
http://www.rimbaud-arthur.fr

■メール
Parolemerde2001 at 10/20(水) 17:20:00 No.paroparo-20041020171626

最近、私のメアドを使った偽メール(ウィルスメールかどうかは判りませんが)が、
delivery failure となって送られてきます。
開いても、文字化けしていて読めません。
中には、大学に送られたものもあるようです。

■「海の風」 ステファン・マラルメ
Parolemerde2001 at 10/21(木) 21:11:26 No.paroparo-20041021210946

なぜか、マラルメの Brise marine を訳しました。
「海の微風(そよ風)」という訳が多いのですが、
あえて「海の風」としました。

   「海の風」
ステファン・マラルメ

肉体は悲しい、ああ! そして、私はすべての本を読み終えた。
逃げよう! 彼方へ! 鳥たちが未知の海と空の間にあって
酔っているのを感じる!
何物も、目に映る古い庭も
海に浸ったこの心を引き止めはしない
おお、夜よ! 白く守られた空しい紙の上の
私のランプの寂しい光も
子供に乳を飲ませている若い妻も。
船出しよう! マストを揺らす気船よ、
錨を上げよ、異国の自然に向けて!

残酷な希望にかき乱された「倦怠」は、
未だにハンカチーフの最後の別れを信じている!
そして、おそらく、マストは、嵐を招こう、
マストも無い、豊かな島も無い、行方も知れぬ、
難破船に吹き降ろすだろうあの風を…
だが、おお、我が心よ、船乗りたちの歌を聞け!

2004, Parolemerde2001

■おひさしぶりです
オーブ at 10/26(火) 21:27:00 No.paroparo-20041026211641

すっかりご無沙汰しました。
もう秋ですね、私の住んでいる大阪は
寒いといってもいいくらいです。
パロさん、お久しぶりです。書き込みするの、
何日ぶりいや何ヶ月ぶりでしょう。
いい加減な参加者でごめんなさい。
相変わらずまとまった時間がとれず、ランボーの翻訳も
まったく進んでいません。
それでも気持ちはやる気満々なのですが・・、
どうかこのBBSをずっと残していてください。
早く以前のように充実した書き込みができるように
なればいいのですが。
それまではこうやって近況などを書き込んでいきます。
近況と言うほどのものでもないですね・・(^^;;)

■初めまして
samurai at 11/15(月) 12:29:30 No.paroparo-20041115122059

現在大学生です。
ランボーには高校三年の初めに伯母のお古の金子光晴訳の詩集を見て好きになりました。
なので今フランス語選択で必死に縋り付いています…
まだまだ詳しくありませんが、何卒よろしくお願い致します!

■侍さん、初めまして。
Parolemerde2001 at 11/16(火) 00:41:35 No.paroparo-20041116003942

このところ、時間がなくて、あまり書き込みしていませんでしたので、
このBBSにとって、良い刺激になると期待しています。
金子氏も、個性的な翻訳をされています。
評論も含め、ランボーの詩が日本でどのように読まれてきたか、
その時代的な変遷も、おもしろいと思っています。
前に酩酊さんがランボーの「酔いどれ船」の日本初訳「酔ひどれの舟」を紹介してくれましたが、
訳者の柳澤健の「彼れの全作品を通じての最大傑作である。」という言葉がありました。
訳者個人の感性もあると思いますが、
同時に、フランスの長編の定型韻文詩が優れた詩とされた時代が日本にもありました。
また、今の若い方が、ランボーのどの詩に、
あるいは彼の生き方のどこに惹かれるのかも興味があります。
オーブさんは、「そぞろあるき」からランボーに興味を持ったそうです。
私の場合、振り返って印象に残っている詩は「永遠」です。
それでは、よろしくお願いいたします。

■こんにちは
samurai at 11/19(金) 13:47:36 No.paroparo-20041119133542

よろしくお願いします!
私が初めて読んだランボーの詩は「永遠」でした。
母に教えられて永遠を読んでみたんですけど、深く意味を考える前に凄く感動したんです。詩のスタイルや、言い回しから、とにかく凄いなって思いました。情感があって、今でもいちばん好きな詩のひとつです。しかも十代で、私と同じ位の人がこんな詩をつくれるなんてっていうのもありました。しかもその後は詩作をすてて放浪…多分私達なんかよりずっと先を行った考えをしていたんだろうって、とても興味が湧いて読み始めるようになりました。

■「永遠」の太陽
Parolemerde2001 at 11/20(土) 23:28:47 No.paroparo-20041120232626

侍さん、書込みありがとうございます。「永遠」は、やはりランボーの代表的な詩のひとつですね。
私の場合は、ランボーの(翻訳)詩との出会いは、本屋で文庫本を立ち読みで、何編か読んだのでしょうが、覚えているのはやはり「永遠」です。「地獄での一季節」の引用ではなく、後期韻文詩編の方です。私は、これは男と女の事(性行為)だなとそのときは思いました。というか、堀口大學の訳、「太陽と番った海」、「熱き血潮のやわ肌」から、そう読まされました。伝記的な知識は無かったので、同性愛とは思いませんでした。具体的な情感と象徴的な表現が結び付けられ、粗野というか、生な形で表現されていると感じました。こんな詩もあるんだなといった感じでしょうか。侍さんの母はランボーの詩の本を薦めたのですか、それとも「永遠」を薦めたのですか? 私の知っている範囲では、とくに日本では、この詩が好きな人は男性の方が多い様に思います。
今、フランス詩の検索サイト http://poesie.webnet.fr を見ると、ランボーの詩では、「谷間に眠る人」が最も多くアクセスされていて、サイト全体でも2位です(2004年10月)。「永遠」でも「酔いどれ船」でもありません。日本では、どうでしょう。
ランボーは学校を登校拒否・自主退学?するまでは、秀才でしたし、読書家でもありましたから、当時の詩人、ボードレールなどの影響を強く受けています。「永遠」の太陽にはボードレールの落日の反映を見ることもできます。しかし、「見者」の自覚、つまり文学的な自己の位置付けがなされた後ですから、影響から新しい詩への転換がなされていると思います。作り手としての明確な自己意識と目的意識が、彼を10代の詩人に終わらせなかった一因だと思っています。
おそらくランボー自身も、この詩は成功した詩と意識されたと思います。「言葉の錬金術」では、詩の高みに位置付けられています。この詩がランボーとヴェルレーヌの新しい愛と詩の試みとして(象徴的意味も含めて)同性愛の絶頂を描いた詩であるとすれば、「驚くべき愛の革命(小話)」(堀口大學は「愛の行為の驚異的な変革」と訳しています)の詩であり、「愛の鍵のようなある物を発見した音楽家(人生)」という自己評価も当てはまります。
「地獄での一季節」の「永別」の冒頭の「永遠の太陽」にも、ボードレールの太陽とともに、この「永遠」の太陽も反映されているのではないでしょうか。後期韻文詩編とはことなるコンセプトで作られ、「地獄での一季節」の後にも書き続けられた「イリュミナスィオン」には、夜明けの女神と暖炉の炎と夕日とは出てきても、燃え上がる太陽は無いように思います。ヴェルレーヌへの言葉、「太陽の息子の原始の状態に、あいつを戻す約束を引き受けていた」(放浪者)はありますが。

■「永別」の秋
Parolemerde2001 at 11/20(土) 23:40:08 No.paroparo-20041120233015

詩「永遠」の中の太陽と、「永別」の「永遠の太陽」は、おそらくどこかで繋がっていると思われます。「永別」の「秋」について、一年ほど前にマラルメトピに書いたことを重複しますが、ここに再掲載します。マラルメトピはヤフー掲示板の、芸術と人文 > 文学 > ジャンル > 詩、短歌、俳句 > 作家 > マラルメです。

---------------------------------

 秋を詠った詩で、ボードレールには「秋の歌」があります。ヴェルレーヌにも「秋の歌(小唄、シャンソン)」があります。ヴェルレーヌの詩は「落葉」というタイトルの上田敏の翻訳、「秋の日のヰ゛(ヴィ)オロンのためいきは…」でよく知られています。19世紀は「秋」が詩のテーマであった時代のようです。
ランボーの「地獄での一季節」の最後の詩は  L'automne deja! で始まります。この「すでに秋だ!」は、感傷的に「もう、秋か…」と感慨に耽っている言葉というよりは、断定的な言葉だと思います。言い換えれば、当時の文学、パリの詩壇に対する断定的な決別の宣言です。広くはヨーロッパの思想に対する決別の意味も含んでいたのではないでしょうか。そして、「あらゆる文学の中の、悲劇の傑作」(「人生」)であるために、激情的な独白が続きます。

 当時のパリの文壇の「秋」については、以下のサルトルのマラルメ論の一節がよくまとまっていると思います。
「秋と夕暮に対する好みが、「集団的なもの」であることは疑いを容れない。一八六五年前後の詩的感受性の要請なのである。そして秋についての瞑想は、この信徒集団の会員が毎年行なわなければならない、あれらの魂の訓練の一部をなしていた。夕べの祈りが日々の魂の昂揚であるのと同様にである。そして如何にもトゥルノンの詩人が、落日に、夏の息絶える様に、凋落という人問的悲劇の象徴を見たのは正しかった。しかし、これらの天の死の苦しみが反映しているのは、妹の死ではない。この幼くして死んだ女性は、それ自体、一つの象徴にすぎない。詩人が〈自然〉の中に読みとっているのは、〈詩〉のデカダンス(凋落)であり、近い将来における〈人間〉の死であり、終末のエンピュローシス(すべてを焼く火)である。要するに、知的ブルジョワジーの不安である。彼の暗い不毛性、彼の不安、彼の疑いといったものから彼を引き離すために、自然界のスペクタークルを当てにすることはできないのだ。」(マラルメ論/ジャン=ポール・サルトル著/渡辺守章・平井啓之訳/筑摩文庫(注記によりますと、元々は中央公論に掲載された翻訳)
文中に「妹の死」とあるように、ここではマラルメのことが語られていますが、「落日に、夏の息絶える様に、凋落という人問的悲劇の象徴を見た」という箇所は、遡ればボードレールの「秋の歌」などに描かれた秋の夕日への感性に行き着くのではないでしょうか。ボードレールは「太陽」を生命の象徴として描いていますが、ランボーの「永別」の冒頭の「秋」と「永遠の太陽」は、当時の文学表現上の象徴としての「秋」と「太陽」を意識して書かれたのだと思います。詩、つまり文学表現による自己救済への否定の言葉だと思います。

 「永別」の冒頭の言葉、「――だが、なぜ永遠の太陽を惜しむのか、もしも、おれたちが神聖な光の発見にこの身を捧げているのであれば、――季節の上に死んでゆく人々から遠く離れて。」は、感傷的な独白の趣があります。しかし、すでに文学の「秋」が来てしまっているのに、なぜ「永遠の太陽」を惜しまなくてはならないのか、という詩人たちへの皮肉の意味も感じられます。「季節の上に死んでゆく人々」、つまり、死すべき人間から離れて、神聖な光、神の光、絶対の光、永遠の光、永遠の太陽をおれたちが求めているとしたらとは、あくまでも仮定であり、むしろ否定の結論を導き出すための演出ではないかと思います。

■詳しいご説明をありがとうございます(^^)
samurai at 11/24(水) 14:43:43 No.paroparo-20041124144141

母は永遠といちばん高い塔の歌が好きだったようで、私にその二つをみせてくれ、気に入ったなら読んでみなさいという感じで本をくれました。やはりこの二篇は私にはとても印象的でした。詩というのは、表面の言葉だけを拾ってその表現や言い回しに酔ってしまうだけではいけないと、その言葉の奥に隠された意味を自分なりに考えていくところに詩の良さがあるんだとよく聞きますが、永遠を見たとき、まず太陽と海と赤い光、それが徐々に深みを帯びて消えていくさまが浮かんできて、その情景の奥には何か重要な深い意味があるような気がして、何回も何回も読み直していました。何か綺麗な表現だけでは終わっていないような気がしたんです。言い回しに酔っているだけではいられないほど強い印象がありました。この人は、海に消えゆく夕日に何を重ねてんだろうと無意識にじっと考えていました。私は詩に触れた経験は学校の教科書の範囲程度しかなく、読み取りが得意なほうではないので、パロさんのように「あ、これは何々かな」とすぐに思いつかなかったのですが、その詩集の解説を通して、ああそういう説もあるのかと納得しました。パロさんの仰るように、同性愛の頂点を表現したとすれば、やはり凄い発想力と表現力だと思います。
フランスと日本とでは人気に違いがあるんですね。面白いです。比較してみたいですね。
私が他に好きなのは、酔いどれ舟、渇きの喜劇、忍耐の祭りなどです。

■韻文詩と散文詩
Parolemerde2001 at 12/19(日) 21:50:54 No.paroparo-20041219214906

侍さん、ゆっくり読み・考える時間が無く、書込みが遅くなってしまいました。
侍さんが好きな詩は、やはり韻文詩なのですね。
ランボーの詩の文学史的な頂点は、「イリュミナスィオン」、そして「地獄での一季節」という評価が一般的ですが、愛読されている詩となると、やはり韻文詩の方が多いようですね。音韻が再現されない日本語訳でも、韻文詩の方が好まれるということはおもしろいと思います。私は、翻訳するときには音読して原詩の雰囲気をなるべくつかむようにしていますが、とはいえ、音韻を翻訳には再現できないと思っています。日本語の訳を無視して、音読したときの印象として気に入っている詩は、後期韻文詩編に多いですね。散文詩では「地獄での一季節」の「朝」と「永別」、「イリュミナスィオン」の「大洪水の後」、「野蛮な」、「祈り」、「魔神」でしょうか。「イリュミナスィオン」は、一般的な意味での叙情性が少ない詩が多いですね。逆に「首都の」などのように映像性の強い詩が多いと思います。散文詩でも、自由詩形の詩、つまり韻文に近い散文詩はあまり書かれて無いと思います。

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