資 料

Appendices

Place de Rimbaud
ランボー広場 BBSログ 3 - 2003年7月28日~12月15日

■>Conte 第一節
Parolemerde2001 at 7/28(月) 15:29:09 No.paroparo-20030728152724

オーブさん、私も休暇していました。では、再開します。

1. jamais は無くても通じますね。否定の強調でしょうか。「しか」でも解るな…。
で、generosites vulgaires の前に、この prince は、やはり(封建)領主という意味では。王子というと、上に王様が居なくてはなりませんから。
例えば、今なら、Prince of Wales のような存在では。
出典を忘れましたが、ルイ太陽王(14世)は、実は貴族などを抑えるためでしょうが、宮殿内では、下の地位のものにも挨拶したとか、そのために時間が使われたとか、読んだ覚えがあります。これも、generosites vulgaires では無いでしょうか。
大衆に受けることを広く施すことでしょうか。

2. サティの有名なとても長いピアノ曲に Vexation というのがあります。
新兵いじめ、つまりピアノの新人いじめの意味で付けたとどこかで読みました。
それはともかく、意味としてはムカつくって感じなのでしょうか。

3. 文字化けするのでアクサンが無しですが、実際は fut はアクサン付きの接続法ですね。
ですから、通常では、ou non が無くて、信心の(ある)錯乱から、彼は望んでいました。となるのでしょう。
そうなると、信心(信仰心)を認めてしまうことになるので、ou non と付け加えたのでは無いでしょうか。
望んだ内容は、voulait と書かれている前の行では。

ランボーにとって、母親の言うことを聞いて、良い子で、身ぎれいで、きちんとお勉強して… すべて、俗悪な施しだったのでは。

■俗悪な施し
オーブ at 8/6(水) 01:53:36 No.paroparo-20030806011701

みなさんこんにちわ。
すっかりご無沙汰してしまいました。
私は先週旅行から帰ってきました。
先週末からパリはとても暑いです。この一週間がピークのようです。

さて、ランボーの詩、「小話」に戻りたいと思います。
パロさんの解説でだいぶわかりました。
特に「俗悪な施し」ですが、大衆に受けることを広く施すと言うのでよくわかりました。
ランボーは母親の言うことをよく聞いているいい子ちゃんでしたが、これも俗悪な施しだったのですね。
本当は、むかついてたんでしょうね~。

ここでの Prince は、君主、帝王、領主などの意味で使われているのですね。
パロさんがおっしゃるように、王子だと上に王がいるから一番上ではないので、この場合は王様としたほうが訳としてはぴったりのような気がしました。

>望んだ内容は、voulait と書かれている前の行では。

ということは、「本質的な欲望と満足のとき」をさしているのでしょうか。
Que ce futou non une aberration de piete, il voulait.

直訳としては、「信心の錯乱ではないのかどうか、彼は(本質的な欲望と満足のときを)望んでいた」と言う感じになるのでしょうか。

「本質的な欲望と満足な時」が具体的にどういうものを指すのかちょっとわかりませんが、もし何かご存知でしたら教えてください。

一度ここで切りますね。

■ desir et satisfaction
Parolemerde2001 at 8/7(木) 17:31:31 No.paroparo-20030807172953

オーブさん、お久しぶりです。

Que... , il voulut. という文ですが、il le voulut. にすると、音的にカッコ良くないのし、意味もすぐ解るので、il voulut. にしたのではと考えています。
具体的には、前の半過去の行を指しているのでしょう。
la verite と l'heure du desir et de la satisfaction essential は、同じことがらの言い替え、というより説明のように思います。
この satisfaction という単語は、Rストーンズの同名の歌を連想させます。
la verite というのは、当時の詩の言葉としては、普通だと思いますが、l'heure du desir et de la satisfaction essentials は、変わった表現だなと思います。
当時のフランス、パリの詩の世界でも、同様の言い方があったのか、私も広く知らないので判りません。
詩というより、コピー(広告文)のような趣を感じます。
でも、この意味を具体的に突き詰めてゆくと、もっと前にある「愛の革命」に行き着くように思えてきますが…。

■愛の革命
オーブ at 8/7(木) 21:30:53 No.paroparo-20030807211916

パロさん、こんにちわ。

>詩というより、コピー(広告文)のような趣を感じます。

そうですね、「愛の革命」もそうですが、広告のキャッチ・コピーに使えそうです。

>この意味を具体的に突き詰めてゆくと、もっと前にある「愛の革命」に行き着くように思えてきますが…。

よく読み返してみたのですが、ここで一番大事なのは「愛の革命」なのでは、と私にも思えてきました。
「本質的な欲望と満足のとき」にしても「真実」にしても、前述の「愛の革命」を暗示しているように感じました。

■ Conte 第二章~第四章
オーブ at 8/7(木) 21:44:27 No.paroparo-20030807213611

とりあえず、続けたいと思います。
各章が短いので、まとめて2節~4節まで載せました。

Toutes les femmes qui l'avaient connu furent assassinées. Quel saccage du jardin de la beauté ! Sous le sabre, elles le bénirent. Il n'en commanda point de nouvelles. — Les femmes réapparurent.
Il tua tous ceux qui le suivaient, après la chasse ou les libations. — Tous le suivaient.
Il s'amusa à égorger les bêtes de luxe. Il fit flamber les palais. Il se ruait sur les gens et les taillait en pièces. — La foule, les toits d'or, les belles bêtes existaient encore.

それを知ったすべての女たちは殺されました。美しい庭園がなんとめちゃくちゃになったことでしょう!刃の下で彼女たちは彼をたたえました。彼は新しい女たちを呼び寄せたりはしませんでした。-女たちは再び現れたからです。
狩や酒宴のあと、彼に従うものすべてを皆殺しにしました。
-すべてのものが彼に従いました。
彼は優美な獣ののどをかき切って殺すのを楽しんでいました。宮殿に火を放ちました。
人々に襲いかかり、八つ裂きにしました。-この群集、黄金の屋根、美しい獣たちはまだ残っていました。

(訳 オーブ)

■暴君
オーブ at 8/7(木) 21:53:55 No.paroparo-20030807214612

情景描写なのでなんとかわかりました。ほっ。

パロさんの解説にもありましたが、暴君ネロのようですね。
好き放題やっています。
それでも、美しい獣も女たちもいなくなりません。
この美しい獣や女たちは、何かの妄想とか、幻想とか希望とかそういものの言い換えなのでしょうか。
追い払っても再び現れるというのと、この王様に付き従っていることから、そういうものに良く似ているな、と思ったのですが。

■ ses femmes
Parolemerde2001 at 8/7(木) 22:50:34 No.paroparo-20030807224944

sa femme なら、彼の女とも彼の妻とも訳せますね。
でも、ses femmes 複数ですから、彼の女たち、一夫多妻、大奥ですね。
たとえば、旧約聖書に出てくるソロモン王には3000人の妾がいたとか。
また、歴史書によれば、中世の封建領主は領土内の処女を奪う権利を有していたとか。
大きく広げれば、領土内の未婚女性すべて、既婚も可となるのかも知れません。
とにかく、qui l'avait connu の le は、彼、Prince では無いでしょうか。
あるいは、彼の望みを知ったと、とることも出来ますが、Sous le sabre, elles le benirent. と、続きますので。

Prince が誰か、歴史上の領主なのか、ランボー自身のイマジネーションなのかで、この女性たちや動物たちが実在かどうか分かれるでしょう。
これは、ランボーのお伽話なので、イマジネーションだと私は思います。

■>Ses femmes
オーブ at 8/8(金) 02:52:13 No.paroparo-20030808022711

>とにかく、qui l'avait connu の le は、彼、Prince では無いでしょうか。
あるいは、彼の望みを知ったと、とることも出来ますが、

そうかもしれません。
私は、彼の望みを知った、もしくは、彼の真実(の姿)を知ったとも考えたのですが、ちょっと考えすぎかもしれません。
それにもしこの l' が la verite をさしているのなら、l'avait connue と女性単数形のeがつくはずですし・・。
前の文章で l' をさす具体的な名詞がないので、「彼」を指しているのが一番自然かも・・。

そうですね。
この女たちは彼の妻たちですね。
femme には、「妻」と言う意味もあるので「彼の妻たち」とそのまま訳せませす。
このほうがわかりやすいかも。
普通は複数形ではもちろんつかいませんが・・。
それで、刃の下でも夫をたたえているのでしょう。

■ Conte 最後
オーブ at 8/9(土) 00:48:20 No.paroparo-20030809001448

それではとりあえず続きを・・。
切るところがわからなかったので最後まで行ってしまいました。(^^;

Peut-on s'extasier dans la destruction, se rajeunir par la cruauté ! Le peuple ne murmura pas. Personne n'offrit le concours de ses vues.
Un soir il galopait fièrement. Un Génie apparut, d'une beauté ineffable, inavouable même. De sa physionomie et de son maintien ressortait la promesse d'un amour multiple et complexe ! d'un bonheur indicible, insupportable même ! Le Prince et le Génie s'anéantirent probablement dans la santé essentielle. Comment n'auraient-ils pas pu en mourir ? Ensemble donc ils moururent.
Mais ce Prince décéda, dans son palais, à un âge ordinaire. Le prince était le Génie. Le Génie était le Prince.
La musique savante manque à notre désir.

彼はこの破壊にわれを忘れてうっとりしました。この残酷さに若返りました!
民衆はうわさをしませんでした。彼の目的達成に力を貸すものは誰もいませんでした。
ある夜、彼は誇らしげに馬を駆っていました。そこに一人の精霊が現れました。
えも言われぬほどの、口では言い表せないほどの美しさでした。
彼の容姿や態度から複雑な数多くの愛の約束が生じました!
がまんできないほどの、言いがたい幸福でした!王と精霊はおそらく本質的な健康の中で消滅しました。どうして死なないでいられましょう?だから二人は一緒に死にました。しかし王は宮殿で、普通に年を取って死にました。王は精霊でした。精霊は王でした。
ぼくたちの欲望には巧妙な音楽が欠けています。

(訳 オーブ)

■ Peut-on s'extasier dans la destruction....
オーブ at 8/9(土) 01:01:42 No.paroparo-20030809005038

最初の Peut-on s'extasier dans la destruction.... でちょっととまどいました。
この on は「王様」と取りました。
ランボーが il を使わなかったのは、音とか何かそういったものに関係あるのでしょうか。
onだと、無意識のうちに「人々」とか「彼ら」など特定ではない人物または、複数形を連想させるような気もしますが、確かに「彼」と単数形でもいけますね。
あまり深く考えたことがなかったです。(^^;

たとえば、日本語だと「~って言われた」という言い方をしますが、主語がはっきりしているフランス語ではやはり、ils m'ont dit, il m'a dit, on m'a dit などと言います。

でもこの詩の場合、明らかに「王様」を指していると思われるのでちょっと変だな、と思いました。
それとも「王様」以外の誰かも指しているのでしょうか。

■ Peut-on...
Parolemerde2001 at 8/9(土) 22:20:05 No.paroparo-20030809221927

Peut-on は、現在形ですね。
普通なら、?マークが付いて疑問文です。
ですから、…だろうか、いやそうではない。
という強調に解釈しました。
で、現在形で on ですから、一般的なこととして書いたと取りました。
物語の中のことは、過去のことですね。
それを振り返って、一般的なこととして、考えていると。
でも、肯定の強調としても読むのも、おもしろいですね。
一般的には、どう読むのでしょうか、読み手の考えによるのでしょうか。

この詩は、末尾が2段オチになっていて、特に最後の一文は、ピタッとくる解釈がありません。

■ Peut-on ...
オーブ at 8/10(日) 23:00:14 No.paroparo-20030810225004

パロさん、こんにちわ。

Peut-on ... 私はとんでもない勘違いをしていました。
パロさんがおっしゃるとおり、これは疑問だと思います。
自問しているような、当惑しているようなそんな感じでしょうか。
なのでやはり、on は一般であって、王様ではないですね。
それに現在形だし、~だろうか?がぴったりきます。
そこで訂正させていただきます。

たぶんこういう言い方はありなんでは、と思います。
たいてい、Je me demande ( je me suis demande ) を最初につけるような気がしますが。

■訂正
オーブ at 8/10(日) 23:03:25 No.paroparo-20030810230109

彼はこの破壊にわれを忘れてうっとりしました。この残酷さに若返りました!
→ この破壊にわれを忘れてうっとりすることができるのでしょうか、この残酷さに若返ることができるのでしょうか!
に訂正します。

最後に訂正訳を掲載します。

■最後のオチは・・?
オーブ at 8/10(日) 23:30:05 No.paroparo-20030810230426

現れた美しい精霊は、結局は王様自身だったということですね。
もう一人の自分とか、影の自分とかそういう感じなのでしょうか・・。
「複雑な数多くの愛の約束」とか、「本質的な健康の中で消滅」というキーワードっぽい言葉が
出てきます。王様は精霊に出会い、満足したようですね。
暴君ぶりはおそらくおさっまったのでは・・。
王様と精霊は一緒に死にましたが、王様は宮殿で年をとって死にました。
このオチはちょっとわかりませんでした。
精霊に出会った後、王様は平安に過ごし、そして寿命で死んだということでしょうか。
「巧妙な音楽が欠けている」から欲望は維持できなかった。
欲望と満足のときを知ったので、この「王様」は「愛の革命」に成功したのでは、と私は思っているのですが、ハッピーエンドなのかどうなのか・・わからないオチです。

■小話 訂正訳
オーブ at 8/11(月) 06:18:47 No.paroparo-20030811061625

小話

ある王様が俗悪な施しの完璧しか努めなかったことに腹を立てていました。
彼は驚くべき愛の革命を予見し、彼の女たちには空と豪奢の楽しみのこのうぬぼれよりももっと、良いことができるのではないかと疑っていました。
彼は真実が見たかったのです。
本質的な欲望と満足のときが知りたかったのです。信心の錯乱ではないのかどうか、彼はそれを望んでいました。
彼は少なくとも、十分すぎるほど大きな人間の力を持っていました。
彼をを知ったすべての女たちは殺されました。美しい庭園がなんとめちゃくちゃになったことでしょう!刃の下で彼女たちは彼をたたえました。彼は新しい女たちを呼び寄せたりはしませんでした。-女たちは再び現れたからです。
狩や酒宴のあと、彼に従うものすべてを皆殺しにしました。
-すべてのものが彼に従いました。
彼は優美な獣ののどをかき切って殺すのを楽しんでいました。宮殿に火を放ちました。
人々に襲いかかり、八つ裂きにしました。-この群集、黄金の屋根、美しい獣たちはまだ残っていました。
この破壊にわれを忘れてうっとりすることができるのでしょうか、この残酷さに若返ることができるのでしょうか!
民衆はうわさをしませんでした。彼の目的達成に力を貸すものは誰もいませんでした。
ある夜、彼は誇らしげに馬を駆っていました。そこに一人の精霊が現れました。
えも言われぬほどの、口では言い表せないほどの美しさでした。
彼の容姿や態度から複雑な数多くの愛の約束が生じました!
がまんできないほどの、言いがたい幸福でした!王と精霊はおそらく本質的な健康の中で消滅しました。どうして死なないでいられましょう?だから二人は一緒に死にました。しかし王は宮殿で、普通に年取ってで死にました。王は精霊でした。精霊は王でした。
ぼくたちの欲望には巧妙な音楽が欠けています。

(訂正訳 オーブ 8月)

■> Peut-on...
オーブ at 8/11(月) 06:47:47 No.paroparo-20030811064115

パロさん、すみません。
また私の早とちりで誤解をしていました。
暑さのせいでしょうか・・最近ボケまくりですね。(^^;

?マークがないとのことで、パロさんは強調として解釈されたのですね。
私の辞書には強調は載っていませんでしたが、これはパロさんの独自の解釈でしょうか。
それともパロさんの辞書には載っていましたか?
! を伴うことによって、「~だろうか」「いやそんなはずはない!」というような、強い否定を暗に含んでいることがわかりました。?だと、ただの疑問ですから、また感じがかわってきますね。

■ Peut-on et la musique savante
Parolemerde2001 at 8/11(月) 17:24:38 No.paroparo-20030811171835

Peut-on は、やはり強調したかったので!にしたのでしょうね。
pouvoir の用法のひとつとして、手元の辞書に強調も載っていますが、例文には!は付いていません。
ここは、例えば、できるもんか? という日本文でも、できるもんか!と書ける程度に考えて訳してしまいました。

有名な後期韻文詩篇の「幸福」がありますね。
「季節(とき)が流れる」が中原中也氏の訳か、小林秀雄氏の訳かで、新説が提示された…。
話がそれますが、例えば「オフェリア」の訳では、中原氏の訳の方が小林氏の訳より、原詩に近く直訳に近いように、私には読めました。
中原氏のランボーの訳というと、この「幸福」の印象が強すぎ、全体の訳業が、あまり評価、認識されていないようにも思えます。

この詩も、ポショテク版にはヴァリアントがそのままの形で載せられています。
例えば、「一なるものを信じる…」から「太陽と肉体」へとか、そういう時間軸にそったランボーの創作の流れを読むには、このテキストは適当です。
Quelle ame est sans defauts ? は、前のヴァリアントでは、L'ame n'est pas sans defauts なので、やはり疑問文ではないと解ります。
疑問文にしたのは、表現上の音の関係と、やはり強調なのでしょうね。
ここでは、?が付いていますが。

この詩全体としては、ランボーの創作を語っているように読めますね。
詩を書き始めた頃のランボー、「一なるものを信じる…」でヴィーナスを賛美したランボー、当時のロマン派や高踏派の流れを汲む詩を書いたランボー、若々しく楽しい詩を書いたランボー、あの詩篇は、振り返れば「俗悪な施し」だったのかも知れません。
でも、そういう詩に満足できず、見者となり、女性や美に対する嫌悪感を書いたランボー、「水から現れるヴィーナス」や「花について詩人に語られたこと」…などなど。
でも、ランボーが提示した新しい詩に共感した詩人は、結局、当時はヴェルレーヌしかいなかった。
古い文学が、そのまま残っていった。
精霊(魔神)には、どうしてもヴェルレーヌとの「愛」が関わってしまうと思います。
あるいは、見者としての詩人の魂と取っても良いのですが…。
どこかで繋がってしまいますね。
実際、ランボーはピストルで撃たれ、見者としての詩人を捨てます。
本質的な健康は、当時のパリの詩人たちに対する皮肉でしょうか
la musique savante なんて、もともと無かったのかも知れませんね。
あるいは、消えてしまった…。
ヴェルレーヌや韻文詩に対する皮肉かも知れませんね。

■ la musique savante
オーブ at 8/12(火) 20:25:52 No.paroparo-20030812195652

俗悪な施し・・がランボーを知るキーワードになっていますね。
パロさんがおっしゃるように、ヴィーナス賛美の詩、初期の頃の若若しい詩、高踏派に影響を受けた詩は、見者になる前の「俗悪な施し」だったのかも。
母親の前でいい子を演じ、「俗悪な施し」の完璧に努めていたのですから、そう考えてもおかしくはないですね。

「精霊」はヴェルレーヌとも取れるのですね。
私は王は、見者になる前のランボー、精霊は見者としての詩人ランボーだと取ったのですが、ヴェルレーヌと考えるとまた違った解釈ができそうで、興味深いです。
でも、いずれにしても見者としての詩人の魂には、ヴェルレーヌがかかわってきますね。
見者ランボーにはヴェルレーヌの存在が欠かせないと思います。

そうですね、「巧妙な音楽」なんて初めからなかったのかもしれません。
もしそうだとすると、ランボーもきっとそれを知っていたのでしょうね。
「本質的な健康」の中で消滅する運命にあることも、お見通しだったのでは・・。

>Quelle ame est sans defauts ? は、前のヴァリアントでは、L'ame n'est pas sans defauts なので、やはり疑問文ではないと解ります。
疑問文にしたのは、表現上の音の関係と、やはり強調なのでしょうね。
ここでは、?が付いていますが。

なるほど、Quelle ame est sans defauts ? のほうが強調的ですね。
L'ame n'est pas sans defauts よりもずっと詩的ですし。
欠陥がない魂なんて存在しないというところでしょうか。

■「小話」のキャッチ・フレーズについて
オーブ at 8/12(火) 20:45:15 No.paroparo-20030812202744

ランボーを知るキーワードがたくさん出てくる詩だと思いました。
まずはなんといっても、「俗悪な施し」でしょう。いい子でいることを「施し」をしていると考えた点が、なんとも皮肉でおかしかったです。
そして、「愛の革命」「本質的な欲望と満足のとき」「複雑な数多くの愛の約束」「本質的な健康」などです。パロさんがおっしゃるように広告のキャッチ・フレーズのようですね。
日本語でもゴロがいいので覚えやすい、ランボーは言葉を作り出す天才でもあったのですね。

■ Parade
オーブ at 8/13(水) 20:26:45 No.paroparo-20030813200808

それでは次の詩に進みたいと思います。
これも長いですね。(^^;

Parade

Des drôles très solides. Plusieurs ont exploité vos mondes. Sans besoins, et peu pressés de mettre en œuvre leurs brillantes facultés et leur expérience de vos consciences. Quels hommes mûrs ! Des yeux hébétés à la façon de la nuit d'été, rouges et noirs, tricolores, d'acier piqué d'étoiles d'or ; des faciès déformés, plombés, blêmis, incendiés ; des enrouements folâtres ! La démarche cruelle des oripeaux ! — Il y a quelques jeunes, — comment regarderaient-ils Chérubin ? — pourvus de voix effrayantes et de quelques ressources dangereuses. On les envoie prendre du dos en ville, affublés d'un luxe dégoûtant.

客寄せ道化

滑稽なとてもがっしりしたやつらだ。幾人かは君の世界を開拓した。
望みはなく、君の意識のやつらの経験と輝かしい能力を使うことを焦ってはいない。
なんと分別のある男達!夏の夜のような、赤や黒、トリコロール、黄金の星々が散りばめられた、ぼうっとした目。
焼け出されて蒼白となった鉛色の歪んだ顔面、陽気でしわがれた声!安物の金ぴか衣装をまとった残忍なふるまい!-若い男達が何人かいる-天使ケルビムをどんなふうに見つめているのか?
ぞっとするような声と危険な能力を備え付けた奴ら。
そいつらは街に少年をあらしに送り出される。胸のむかつくようなぎらぎらした服を身に着けて。
(試訳 オーブ 8月)

■天使ケルビム
オーブ at 8/13(水) 20:42:44 No.paroparo-20030813203829

>On les envoie prendre du dos en ville

は直訳すると、「街に背中を取りに送り出される」ですが、なんのことかわかりませんでした。
調べてみると、前の文の「天使ケルビム」を少年愛の対称にしていることで一致しているようなので、
わかりやすいようにちょっと意訳しました。
ところでこの天使ケルビムですが、フランス語読みだと「ケルバン」ですね。
一般的には「ケルビム」として知られているようなのでこの読み方にしました。

幼い子供、少年の天使でキューピッドとよく似ているようですが、キューピッドはキリスト教には関係なく、ケルビムはキリスト教に由来しているようです。

■>客寄せ道化
Parolemerde2001 at 8/13(水) 23:51:24 No.paroparo-20030813234952

タイトルは、やはり「客寄せ道化」でしょうね。
パレードとしている訳者もいます。
日本式に「ちんどん屋」というのも変ですし…。
あまり使われない言葉なので、いまひとつ気にはなるのですが。

Cherubin の発音は、辞書の発音記号ではシェリュバンとなっていますが、実際はケルバンと呼ばれているのでしょうか?
キューピッドは、ローマ神話のクピドーですよね。
ギリシャ神話では、エロス。キリスト教ではないですね。
ケルビムに関しては、若い男娼という読みが通説になっています。
歌劇のケルビーノと特定している訳者もいます。
しかし、たしか「ソドムの120日」とか、他の本でも、 若い魅力的な少年のことをケルビムと呼んでいました。
ですから、文学の世界では、比較的一般的なことかも知れません。
私には、よくは分からないのですが…、どうなのでしょう。

■ parade とケルビム
オーブ at 8/17(日) 03:50:18 No.paroparo-20030817033149

パロさん、みなさん、こんにちわ!
フランスは金曜日祝日で、3連休です。

私もタイトルは「客寄せ道化」としました。
まあ、パレードでも同じ意味なのですが・・。
こちらでいくつかParadeを見たのですが、イメージ的に「客寄せ道化」でした。
人をひきつけるために、楽しいこと、おどけたことなどをするんですね。
もちろん、何を表現したいのか、または宣伝など、その目的によって違うと思いますが・・。私のイメージだと、パレードは、ユニフォームを着た人が整列して、行進しているイメージがあるのですが。
この詩の全体的な雰囲気におどけたイメージがあるので(もちろんランボーの皮肉ですが)パロさんおっしゃる、ちんどん屋のイメージが近いのでは、と思います。
とはいっても実際ちんどんやをみたことはないんですけどね。
テレビの中だけです。

Cherubin の発音は、シェリュバンが正解です。
最後の「bin」に気をとられて間違ったことを言ってしまいました。
すみません。(^^;
主に、幼くて、かわいらしい子どものことを言うらしいです。
enfant や、 petit などの言い換えとして使われるようです。
文学の世界では、同性愛の対象としての少年をさすことが多いのですね?
実際はそういう意味はないようです。

■客寄席道化(試訳)
オーブ at 8/18(月) 19:29:07 No.paroparo-20030818185013

Ô le plus violent Paradis de la grimace enragée ! Pas de comparaison avec vos Fakirs et les autres bouffonneries scéniques. Dans des costumes improvisés avec le goût du mauvais rêve ils jouent des complaintes, des tragédies de malandrins et de demi-dieux spirituels comme l'histoire ou les religions ne l'ont jamais été. Chinois, Hottentots, bohémiens, niais, hyènes, Molochs, vieilles démences, démons sinistres, ils mêlent les tours populaires, maternels, avec les poses et les tendresses bestiales. Ils interpréteraient des pièces nouvelles et des chansons "bonnes filles". Maîtres jongleurs, ils transforment le lieu et les personnes, et usent de la comédie magnétique. Les yeux flambent, le sang chante, les os s'élargissent, les larmes et des filets rouges ruissellent. Leur raillerie ou leur terreur dure une minute, ou des mois entiers.
J'ai seul la clef de cette parade sauvage.

おお、気の狂ったしかめっ面の一番暴力沙汰な天国!
おまえのファキルスと他の劇的な滑稽さは比較にならない。
悪夢の趣味をした思い付きのコスチュームで、やつらは泣き言や、追いはぎや、歴史または宗教が決してなかったような霊的不完全な神々の悲劇を演じる。
中国人、オランダ人、ボヘミアン、間抜けなやつ、残忍卑劣なやつ、セム族の神。
古臭いふるまい、不吉な悪魔、やつらは、獣のような態度ややさしさで民衆芸や母芸を混ぜ合わせる。
あいつらは新しい劇と、「やさしい娘」という歌を演奏する。
曲芸師は場所や人々を変え、魅力的なお芝居を用いる。
瞳は燃え、血液は歌い、骨は拡大され、涙と赤い筋は川のように流れる。
あいつらの冷やかし、または激しい恐怖は1分かまる1ヶ月続く。
おれだけがこの野蛮な客寄せ道化の鍵をにぎっている。

(試訳 オーブ 8月)

■客寄せ道化 考察2
オーブ at 8/18(月) 19:40:10 No.paroparo-20030818192948

客寄せ道化は、はっきり言って訳が大変でした。
なんだかよくわからない・・。(いつものことですが^^;)
そこでパロさん、よろしくお願いします。

その前に、Fakirを「インドの托鉢僧」に変えます。
辞書に載ってないと思っていたのですが、よく調べてみるとちゃんと載っていました!

パロさんの解説によると、ここに登場する人物は「僧侶」と「軍人」なのでしょうか。
彼らの行いを客寄せ道化の道化に見立てて、描いている。
でもなぜランボーはこのような詩をかいたのでしょう?
「僧侶」や「軍人」に対する皮肉でしょうか。

■>客寄せ道化
Parolemerde2001 at 8/18(月) 22:28:01 No.paroparo-20030818222444

まずは、訳から、
>激しい恐怖は1分かまる1ヶ月続く。
des mois entiers ですから、まるまる数か月では?

さて、ランボーがなぜこのような詩を書いたのか、難しいことですね。
19世紀、産業革命を成し遂げた国家は、海外への拡張を求めます。
いわゆる列強の帝国主義的進出です。
今では、あまり語られませんが、もちろん、当時は、国家的な善として植民地に対する進んだ文化の移植など、善行として宣伝されました。
大日本帝国の大東亜共栄圏も、こうした思想の面があるでしょう。
おそらく、パリのモニュメントなどにも、それが残されているでしょう。
同時に、異国、エキゾチスムも宣伝されます。
ボードレールやパルナシアンの詩の背景には、どのような形にせよ、このような時代が反映していると考えられます。
そして、この状況の背景には国民国家として、ブルジョワジーを中核とする国民が国家の軍事を受け持つという思想がありました。
民衆を教育で洗脳して、国民皆兵とし、強力な軍隊を作ります。
それまでの軍は、ヨーロッパでは基本的に傭兵だったという説があります。
キリスト教(宣教師)は、植民地の住民の教育・洗脳にあたります。
ランボーは、その時代を、もう少し外れて見ていたのではないでしょうか。
単なる反対ということでもなく、体制、あるいは、国家から逸脱した(自由な)、しかし、ボヘミアンではない見者の詩人という自覚で。
もちろん、キリスト教の僧侶は、受け入れられないでしょうし、兵役もアフリカに行ってからまで極度に恐れていました。
ですから、このような詩が書かれてもおかしくはありません。

ランボーは、イギリスに行ってから、とくにヴェルレーヌと別れてから、学歴もなく、コネもなく、パリの文壇からも隔絶した自分の生きる道が、「イリュミナスィオン」の「歴史的な夕べ」「祈り」「野蛮人」などを読むと、かって「運動」で書いた、ボートではなく、巨大な蒸気船の航路にあることを、時代の運命として意識していたよう思われます。

■客寄せ道化は・・
オーブ at 8/20(水) 01:11:41 No.paroparo-20030820002908

激しい恐怖は1分かまる数ヶ月続く

ですね。(^^;
ボケボでした。

ランボーはこの詩のヒントになったような客寄せ道化をロンドンか、ドイツで見たかも?
と言われているようですが、定かではないみたいです。
友人のドラエーの証言ではシャルルビルではないとか。(プレイヤッド版による)

ジャンコラ氏はランボーは二つの世界を見ていて、普通の世界を逃亡し、この詩を書いたのは別の世界であるため、vos monde, vos consciences, vos Fakirs は読み手のこと、つまり普通の世界の人たちのことであると言っています。
ここでまず、見者の詩法が現れていますね。
そして、パロさんがおっしゃったこととつながってくるような気がします。
植民地に進出しているイメージにとれます。
特にこの詩の最初の3行は強くそれを表しているような。
詩全体として、中国や、オランダや、ボヘミヤンや、セム族の神など外国のもの、歴史、宗教が
ふんだんに散りばめられていますね。
異国情緒が漂っています。
植民地の進出などはランボーは直接は関係なかったと思いますが、時代と重なっていくらか影響を受けたと考えてもおかしくありませんね。
それに外国と関係を持つと、その国のものが多く入って来ます。
お茶などもその代表ですよね。(笑)
そういうのを見たり、感じたりしてそこからランボーの想像が膨らんだのかも。

またジャンコラ氏はこの客寄せ道化自体がランボーそのものであるから、最後の「おれだけがこの野蛮な客寄せ道化の鍵をにぎっている」に続くと述べています。

この詩は私にはパレードというよりも、お芝居に近い感じがしました。
ランボーは観客でお芝居を見ています。
でも最後のオチで、ランボーがこの舞台の監督なのでは、そんな気がしました。

でもコメディというより、なんだかぞっとしますね。(笑)

■ジャンコラ氏の解釈に関して
Parolemerde2001 at 8/20(水) 02:02:54 No.paroparo-20030820014403

詩の読解は、いろいろあるし、どれが正しいかなど、ランボーが墓から出てこない限り判らないことも多いとは思うのですが…。

私にはジャンコラ氏の解釈が、ときとしてランボーを誤解しているように思えるのです。
「客寄せ道化」に関しては、鍵を握っている立場ですから、やはり監督であって、役者すべてではないと思うのです。
見者の手紙に書かれたことは、方法論であり、ランボーが他人、他の物に成り代わるという意味ではなかったように思えるのです。
見者の手紙でも、思想のオーケストラを指揮するような比喩が書かれていました。
こでも、現実の客寄せ道化たちを、詩という舞台に乗せ、操っているのがランボーなのでは。
オフェーリアの注でも、同様にオフェーリア=ランボーに近い見方が書かれていました

でも、初期詩篇でも、ランボーは作り手の意識を強く持っていたように思います。
若い心情の暴走と見るには、彼の詩は作られすぎているように見えます。
だからこそ、「低俗な施し」だったという反省も生まれるのでは。
また、見者の手紙にしても、ドムニー宛ての手紙は、単なる思想の展開というより、プレゼンテーション、売り込み、宣伝という臭いがあるように感じます。

それから、フランス人としては、過去の帝国主義を見たくないかも知れません。
でも、ランボーがこのことを強く意識していたのではないかと、私は思っています
すでに、「酔いどれ船」の出だしは、インディアンのいるアメリカですし、「地獄での一季節」の前身は、「異教徒の書」「黒人の書」というタイトルです。
「…白人が上陸する。大砲だ! 洗礼を受け、着物を着て、働かなければならない。
…」

上に書いた2点に関して、私はジャンコラ氏の解釈に疑問を持っています。

■ジャンコラ氏の解釈は・・
オーブ at 8/20(水) 06:12:43 No.paroparo-20030820053304

ジャンコラ氏の描くランボー像、解釈はそれはそれで、氏の考えがあるのでしょうね。
確かに述べたことにたいする理由が、あまり明確に書かれていないのが気になる時があります。(^^;
私はまだ氏の解釈と自分の解釈について比較できるほどではないので、なんともいえませんが、参考程度に心に留めておくことにしています。
(すべてのランボーに関する研究書にも言えることですが)
後々、自分の中で整理するときの助けにはるのではないかと・・。
自分なりのランボー像、詩の解釈が出来上がってくると、違和感が出てくることもあるのでしょうね。
あの、イザンバール先生やドラエーでさえも、ランボーについてけっこういい加減なことを言ってるところがあるみたいなので、結局のところ、パロさんがおっしゃるように、ランボー本人に聞いてみないとわからないのでしょうね。

先ほども言いましたが、私もこの詩ではランボーは監督のように感じました。
このお芝居を指揮し、客観的に見ている立場です。
お芝居そのものがランボーって言うのとはちょっと違うかな。。と。
登場人物全員がランボーってことは考えにくいと思います。
(ケルビムくらいはぴったりかな^^)

■フランス語
Parolemerde2001 at 8/20(水) 20:14:44 No.paroparo-20030820201405

大学でランボーを読み始めて少し経った時、ゼミの後で、高畠氏とメンバーで翻訳についての雑談をしたことを思い出しました。
そのとき、まだ若かった私たちは、大家の誤訳についてなど、いろいろのことを話しました。
翻訳のことは、また、何かの機会に取り上げたいですが、たしか、フランス人には、どのように読めるのかも、話になりました。
つまり、母国語であれば、そのまま頭の中に入ってしまう、見えてしまう。
私は大学に入ってからフランス語を習ったため、辞書を片手に、あやふやな発音で読みながら、詩を考えるしかないのですが、これが、母国語として読めてしまうと、どうなのでしょう。
オーブさんは、日常的にフランス語を使っていられますが、どうでしょうか。
詩にすんなり入れれば、ジャンコラ氏のように、そこにランボー自身が演じられているように読めてしまうのかも知れませんね。
高畠氏が、我々はフランス人のようには、ランボーの詩を読むことはできないけれど、もっと客観的に、読むこともできるということを言っていました。

■フランス語で読むランボーは・・
オーブ at 8/21(木) 06:45:18 No.paroparo-20030821064202

フランス人がランボーの詩をどう読めるのか・・興味深いですね。
私の周りには、残念ばがらランボーを深く読みこなせている人はいないので、はっきりとは言えないのですが、文学などを専攻していない、普通の人が読んだ場合、フランス人でも難解に感じるのでは・・と思います。(あくまでも私の推測にすぎませんが^^;)
初期の頃のわかりやすい詩は別として、例えば今やっている「客寄せ道化」などを読んでも、言わんとしていることがわからないのでは、と思うのです。
書かれた時代も古いですから、今では使われなくなったフランス語などの、注として載っている言葉はフランス人でもわからないのでは。
でも文学に通じている人、ランボーを少し勉強したことがある人はどうでしょうね。
もし出会う機会があったら聞いてみたいものです。

日本人が日本語で書いた詩や、小説でも意味がわからない、すっと入っていけない体験が私にはあるのでそれと同じ感覚かな~と思っているのですが。
言葉が古いとなおさらですよね。
やっぱり感性が合う、合わないの問題のほうが大きいような・・。

今日、ちょっとランボーに関しての本を読み直していました。
「人生とは誰もが演じる道化芝居だ」
ランボーはこんなことを言っていたのですね。
もしかすると、ジャンコラ氏はこういうランボーの言葉からランボー自身が道化芝居を演じているのだと思ったのかも。
別の世界でランボーはあんな道化芝居を演じているけど、現実の世界ではそれをクールに見つめているとか・・。
監督兼、俳優のような。
ちょっとこじつけでしょうか。(^^;;)

■道化芝居
Parolemerde2001 at 8/22(金) 21:49:31 No.paroparo-20030822214902

「人生とは誰もが演じる道化芝居だ」?…
ひょっとして、「地獄での一季節」の「悪い血筋」でしょうか。
La vie est la farce a mener par tous.
これは、みんなに操られるという意味に取りました。
それとも他の箇所でしょうか。
ちょっと思い浮かびませんでした。

■道化芝居
オーブ at 8/23(土) 23:45:41 No.paroparo-20030823232624

パロさん、みなさん、こんにちわ。

私が読んだ「ランボー101年」(思潮社)からそのまま載せますね。

「書くべきか書かざるべきかは問題外だ」アラン・ジュフロワ 訳 榎本 譲

(略)
・・・・
「人生とは誰もが演じるべき道化芝居だ」と彼は『季節』のなかで書いたものだ。
このことを彼は一度たりとも忘れたことはない。こうして知らず知らずのうちに彼は
「詩は一人によってではなく、万人によって作られるべきだ」と語ったデュカス〔=ロートレアモン〕
とは逆の道を歩んでいた。

・・・

(後略)

『季節』とはおそらく「地獄の季節」のことではないかと思い、私も調べてみたのですが、その箇所を見つけることができませんでした。
パロさんがおっしゃった箇所を意訳すると「人生とは誰もが演じるべき道化芝居だ」となるのでしょうか・・。
アラン・ジュフロワ氏の原文が載っていないのでわかりませんが・・。
とりあえず、ご報告まで。
私も調べてみます。

■茶番劇
オーブ at 8/24(日) 02:38:40 No.paroparo-20030824022307

調べたところ、やっぱり La vie est la farce a mener par tous.
しか見当たらなかったです。

「人生はみんなに操られる茶番劇」ですね。

ランボー(の人生)もみんなに操られた茶番劇だと言いたかったのでしょうか。
茶番劇の俳優ですか。
「客寄せ道化」との関係はよくわかりませんが、
周りの人によって、客寄せ道化を演じさせられていたと言う意味にとったのか・・。

■架空のオペラと客寄せ道化
オーブ at 8/24(日) 03:42:51 No.paroparo-20030824031032

栗津氏の「ランボオ全詩」の中の興味深い部分を一部引用してご紹介します。

「ランボオ全詩」訳 栗津則雄 思潮社より引用

(略)
「おれは架空のオペラになった」というランボオの言葉は『イリュミナシオン』の中の「客寄せ道化」のような作品のうちにその端的なあらわれを見てとることができるだろう。
(略)
ランボオは、この詩を「私だけが、この野蛮な道化芝居の鍵を握っている」ということばで結んでいるのであって、これは着目すべき点だろう。
彼は「架空のオペラ」と化することによって、この「道化芝居」を生み出したわけだが、「この道化芝居」に対する支配力を捨て去ろうとはしない。
もちろんこの「私」は、生身のランボーではない。解体の果に行われるあの「超我」としての「おれ」の断言なのである。「超我」としての「おれ」の支配力の確認なのである。
(略)
ランボオの「超我」は、道化芝居としての世界を生み出したが、きわまるところ、そういう世界そのものをも超脱することを願うのである。
このような彼の詩句は、すでに彼の文学放棄を予告していると言ってよい。

かいつまんで引用したのでちょっとわかりづらいかもしれません。

ここに出てくる「おれ」というのは、「おれは架空のオペラになった。おれはあらゆる存在が幸福の
宿命を負わされているのをみた。(中略)
おれは人々がみな、他のいくつかの生を負わされているように思われた。
この旦那は自分が何をしているのかご存じない。
ところが彼は天使なのだ。この一家は一腹仔の犬ころだ。
おれは誰かのまえで、彼らの別の生活のひとつのなかのある瞬間と、大声で喋りあったものだ。
-こうしておれは一匹の豚をあいしたのだ。
(栗津則雄氏の訳を引用しました)

を指しています。

は~写すのに疲れました。(^^;

私はまだまだ勉強不足ということを実感しました。
「超我」とか、「解体」と「支配」というのがまだまだわかりません。

>この「私」は、生身のランボーではない
そうなんでしょうか。
まったく考えませんでした。
もっと読んでいかなくては・・。

パロさん、何かお考え(気づいたこと)などあればまた教えてください。
(ちょっと抽象的過ぎますか・・)

■>架空のオペラと客寄せ道化
Parolemerde2001 at 8/24(日) 22:14:52 No.paroparo-20030824221314

オーブさん、みなさん、こんにちは。
私も、学生の時は、バシュラールとかちょっとだけ読んでみました。
そのときは、少しは理解できたように錯覚していたかも知れませんが、今では、全く何も思い出せないところを見ると、何も解っていなかったのでしょう。
「ランボー101年」も栗津氏の「ランボオ全詩」も、その部分は覚えていません。
どちらも、目を通したはずなのですが、字を追っただけだったのでしょう。

ランボーの詩は、彼が見者の手紙で書いたように、基本的には、客観的で、マテリアルな言葉で作られていると私は思います。
でも、読み手は理解するために、もう一度言語空間を再構成します。
それがランボーの詩をできるだけ歪めずに反映するためにはどんな方法があるか、そして、そこに何が映し出されるか、私も書こうとは思っていながら、個々の解読から、なかなか先に進んでいません。

まず、ジュフロア氏の論についてですが、ロートレアモンの「詩は一人によってではなく、万人によって作られるべきだ」
La poesie doit etre faite par tous. Non par un. Pauvre Hugo!...
とても有名な、そして、シュールレアリストなどにより、引用された文です。
この faire は、作る、書くという意味なのでしょうけど、もう少し、行動的な意味?「行う」も含まれているのかも知れませんね。
つづく、Pauvre は、貧弱な、薄っぺらい、価値のない…という言葉でしょうか。
一人の詩人が書くから pauvre になるのでしょうか?
私も、よく読んでいないので、解らないのですが。
時間的には、この「詩学」は、「マルドロールの歌」の後に書かれたものですね。
もし、ランボーの引用が「人生とはすべての人により演じさせられる道化芝居だ」という「悪い血筋」の文章であれば、全ての人が作る(ロートレアモン)のではなく、全ての人により作らせられる(ランボー)となるので、ジュフロワ氏の意味は理解できます。
しかし、このふたつの文は、書かれた時点がズレています。
もし、ロートレアモンが、この「詩学」の後に、何らかの詩を書いたのであれば、比較は成りたつでしょう。
しかし、彼の人生は、新しい詩を生まずに終わります。
この「詩学」の意図も、私にはまだ見えていません。
これ以上は、ジュフロア氏の文章を読まないと解りません。

栗津氏の詩論についてですが、この「超我」としての「おれ」は、解りやすく言えば、やはり見者の詩法に書かれた、日常の自我を越えた「おれ」、つまり「見者」という「詩人」のことでしょう。
自分の知的理解力を超えて初めて未知を見ることが出来るという詩論により、生身のランボーを越えて、(自我意識の)解体の果に辿り着く「おれ」なのでしょう。
この理論と「イリュミナスィオン」の作品は繋がっている、それが、理論の延長か、理論の崩壊の先なのかは別として、と思います。
しかし、とくにこの Parade が「その端的なあらわれ」かは、判りません。
というのは、この詩は「客寄せ道化」「パレード」であり、「芝居」ではないからです。
最後の言葉も、「客寄せ道化 parade」
J'ai seul la clef de cette parade sauvage. であり、「道化芝居」という言葉は出てきません。
ランボーが、「架空のオペラ」を意識してこの詩を書いたのかは、私には判断できません。
栗津氏は、詩の内容から、引用された文のように読んで、「道化芝居」という訳を当てたと思います。

詩論全体を扱うには、もう少し読まないと解りません。
とりあえず、解る範囲で書いてみました。
何か、思いついたら、また書きます。
オーブさんは、この「客寄せ道化」をどのように考えますか?

■客寄せ道化は・・
オーブ at 8/25(月) 22:29:33 No.paroparo-20030825222710

パロさん、みなさん、こんにちは。

私も「ランボー101年」も栗津氏の「ランボオ全詩」も、どちらも読んだつもりになっていたようです。
「客寄せ道化」について調べているうちに発見したので、前々から頭に残っていたのではありません。(^^;;

そこで、いろいろな詩論を読んで自分の考えをまとめた結果というより、この詩を読んでの率直な感想になってしまいますが、ランボー自身がこの客寄せ道化そのものとは思えませんでした。
前にも書きましたが、どちらかというと、客観的にクールにこの客寄せ道化を見ている印象を受けました。
人々は自分の人生を送っているようでいて、実は客寄せ道化を演じている(または演じさせられている) 、みんなそれに気づいていない、気づいているのは自分だけだ。
だから、「おれだけがこの野蛮な客寄せ道化の鍵を握っている」という言葉が出てきたのでは、と思いました。

幼い頃、母親の言うことを良く聞く優等生でおとなしかったのも、初期の頃の作品を書いたのも、「俗悪な施し」と考えられますよね。
ランボーは自分のことも客観的に見ていた。
そして、いい子を「演じていた」、そんな自分にも気づいていたのでは、ということは前にもここでお話しましたね。
ランボーが「演じている」自分を客観的に見ていたのも事実ではないでしょうか。
しかし、それがこの「客寄せ道化」で当てはまるかどうかは、ちょっと疑問です。
いくら生身のランボーではないと言え、「胸のむかつくようなぎらぎらした衣装を身に着けて」、街に少年を求めに行くでしょうか?ぞっとするような声を出すでしょうか?
「こっけいなとてもがっしりしたやつら」を演じる必要があるでしょうか。
むしろ、「こっけいなとてもがっしりしたやつら」をあざ笑っているようにしか思えませんでした。

■道化芝居と客寄せ道化
オーブ at 8/25(月) 23:25:39 No.paroparo-20030825232135

栗津氏は「客寄せ道化」のところを「道化芝居」と意訳されてますね。
私は個人的に「客寄せ道化」( parade )は、「道化芝居」も含まれているのでは、と思いました。
もちろん、普通のお芝居、theatre のようにシナリオがあって・・というのではないかもしれません。
ただ、パレードと言えば、どうしても大通りを行進していくのをイメージしがちです(もちろんその意味もありますが)。
例えば、サーカスの劇場の前でピエロが道化を演じたり、風船で動物などを作って子供達にあげたりするのも、客寄せ道化(道化芝居)ではないでしょうか。
ピエロは一人ではなく、複数でお互いおもしろいことをやりあってるかもしれませんね。
私は、これも「道化芝居」であり、「客寄せ道化」ではないかと思うのですが。
「道化芝居」というと、人それぞれ取りかたもちがうかもしれません。
日常会話ではあまり使われないですし、ドラマとしての「コメディ」を連想する人がいるかもしれません。

しかし、軍隊の「パレード」はこれに当てはまりません。
この詩の「パレード」は軍隊のパレードではなく、おもしろおかしい芝居で人を惹きつける「客寄せ道化」と取りました。

しかし、この「客寄せ道化」が例え「道化芝居」だとしても、ランボーが芝居を演じているわけではないと個人的に思ったのはさきほど書いたとおりですし、パロさんがおっしゃるように、「架空のオペラ」を意識してこの詩をランボーが書いたのかどうか、疑っています。

■お久しぶりです。
shizue at 8/30(土) 02:38:43 No.paroparo-20030830023158

ご無沙汰しております。
この1ヶ月半ほど実家に帰省しておりまして、その実家にはアナログなパソコンしかなく、書き込みできない状態におりました。

夏休みはまだ続くのですが、来週からはゼミ合宿も始まりまして…。
この1ヶ月半、自分なりにいろいろ解釈なんかを考えてみました。
単純な思考回路なので、どうも上手くいかないのですが、また参加させていただきたいと思います。

■お久しぶりです!
オーブ at 9/1(月) 06:33:39 No.paroparo-20030901062521

shizueさん、お元気でしたか?
一ヵ月半夏休みだったのですね!
どんなかんじでまとめられているのでしょうか?

私はけっこう自分の勘で解釈しちゃってる部分があって、お恥ずかしいのですが、ここのBBSを活用させてもらっているんですよ。(笑)

shizueさんも、どんどん書き込んでくれるとうれしいです。^^

■「猿芝居」
Parolemerde2001 at 9/1(月) 23:33:49 No.paroparo-20030901233256

ちょっとズレますが、軍隊のパレードにつながるイメージとして進軍に関連した言い回しを拾ってみました。

「イリュミナスィオン」の「民主主義(デモクラシー)」の、
最後は、En avant, route ! で終わっています。
これは、En avant, marche ! のもじりでしょう。
軍隊は、道を進んで行きます。

「地獄での一季節」の「悪い血筋」の末尾も、進軍のイメージです。
しめくくりは、Ce serait la vie francaise, le sentier de l'honneur !

ランボーは、実際の道化をそのまま描いているのではなく、現実を頭の中で再構成していると思います。
今で言えば、政治家の「猿芝居」といった表現に近いような…。

■ Clef de l'histoire
Parolemerde2001 at 9/2(火) 14:16:38 No.paroparo-20030902141035

田中字氏のサイトでは、現在のテロ戦争やイラクの戦後処理の背景が洞察されています。
http://tanakanews.com

もちろん、こうした洞察がどの程度妥当であるか、過去の歴史となってからでも、読み取れないかも知れません。
ランボーも、歴史の背後を読みかつ書こうとしたのではないでしょうか。
■>「客寄せ道化」
Parolemerde2001 at 9/6(土) 10:09:24 No.paroparo-20030906100811

オーブさん、こんにちは。質問です。

オーブさんは、「客寄せ道化」は、道化そのものの描写と考えられたのですね。
その場合、ランボーが、彼の詩法で現実からアレンジした道化であり、そのままの描写ではないということなのですね。
いわゆる道化というのには、キモイですから…。
あるいは、まったくイメージだけの道化、つまり、想像の産物と考えることもできます。
どのように考えられましたか。
いずれにせよ、道化そのものと捉えた場合、ランボーのこの詩の意図はどこにあるのでしょうか。
もちろん、イリュミナスィオンには、描写のみと思われる詩もありますので、そうした詩のひとつと捉えることもできます。
私も、ランボー自らが演じる「架空のオペラ」の実践とは考えていません。
ランボーがイメージした「架空のオペラ」とは、言えるでしょうが…。

■フランス詩の日本への紹介
Parolemerde2001 at 9/9(火) 18:59:05 No.paroparo-20030909185450

日本でのフランス近代詩の紹介時期の質問がありました。
一般的な質問ですので、こちらに書き込みます。

大学内部での授業とかのレベルでは、解らないのですが、書物としては、やはり「海潮音」ではないかと思うのですが。
もっと早い時期の紹介をご存知の方が降りましたら、メールででも、お知らせいただけるとありがたいです。

「海潮音」は上田敏氏(明治7年-大正5年)の翻訳で、高踏派、象徴派などの詩が集められています。
フランスの他、ドイツ、イギリス、イタリアの詩も含まれます。
明治38年の出版ですが、その後の復刻版を図書館にありました。
ヴェルレーヌの「落葉(秋の歌) Chanson d'automne 」、「秋の日の/ヴィオロン…」や、ブッセの「山のあなた」が有名です。

「海潮音」に、ランボーの詩が含まれているかとの質問がありました。
含まれていないことと、遺稿に「酔ひどれ船」があったことを覚えていましたが、あやふやなので、「上田敏全訳詩集」で調べてみました。
(山内義雄・矢野峰人編/岩波クラシックス/岩波書店/1983年発行)
この本によると、やはりランボー(ランボオ)の翻訳は、「海潮音」には含まれないで、
「虱(シラミ)とるひと Les Chercheuses de poux」
明治42年、「女子文壇」の発表
「酔ひどれ船 Le Bateau ivre 」
未定稿として、没後に発見され、玄分社版「上田敏詩集」に収録
日本での「酔ひどれ船」はじめての紹介と、上の本の後書にありました。

■サイト更新しました。
Parolemerde2001 at 9/20(土) 17:08:00 No.paroparo-20030920170438

最近、静かなBBSです。
イリュミナスィオンの「祈り」と初期詩篇の「谷間に眠る人」の解説を更新しました。
今、オーブさんから紹介されたジャンコラ氏の伝記を空いた時間にゆっくりと読んでいます。
まだ、初めのところですが、とても詳しく調べてあります。
説明も、具体的で解りやすいです。

■お久しぶりです&客寄せ道化
オーブ at 9/23(火) 06:33:49 No.paroparo-20030923061550

パロさん、みなさん、お久しぶりです。
すっかりご無沙汰してしまいました。
復活いたしましたのでまたよろしくお願いしますね。

いまさらですが、「客寄せ道化」の続きを少し・・。
私はこの詩をまったくの想像だととりました。
この詩に出てくる人物のモデルになった(?!)人はいるかもしれませんが、ランボーがアレンジしたのではないかと・・。
ちょっと大げさすぎる表現でそう思いました。
このドタバタ喜劇の鍵は自分が握っている、つまり自分の意思ひとつでなんとでもなるんだというような、いわば得意になっているランボーが浮かんできます。(笑)
あと、この詩に出てくる人物は自分が人から見られていることにまるで気づいていない、でも実際はランボーに見られていて、笑われている、そんなことも皮肉を込めて言いたかったのかなとも考えました。

私には「客寄せ道化」はお芝居に近いような気がしました。

■初めて本格的に…
shizue at 9/23(火) 16:19:58 No.paroparo-20030923153405

お久しぶりです。
合宿等色々あって、もう一度読み直して、何とか考えを振り絞ってみました。

「客寄せ道化」について。
きっと皆さまから見たら単純な発想だと思われるのですが、どうかお手柔らかにお願いします。

私の場合、これはランボーを取り囲む俗世間ではないかと思われたのです。
例えば、俗世間から逃れる様に(?一歩飛び出した??厭世的に)生活しようとする者にとって、全ては俗世間へ引きずり込む「客寄せ道化」ではないかと…。
その当時の現実の俗世間に身を投じ、俗世間から離れたような生活をし、傍観視しているつもりのランボーがそこにいて、けれど、どこかからその生活者としてのランボーをも含め、傍観者として眺めるもう一人のランボーがこの詩を詠んだ、そんな感じを受けました。

「私だけがこの野蛮な客寄せ道化の鍵をにぎっている。」
この最後の“鍵”は、その傍観者であるランボーが握っているのでは、と。
生活者であるランボーではなく…です。
そういう生活者の自分さえも巻き込んで、全ては傍観者である自分の創造=言葉(?詩?)の中にある。

>つまり自分の意思ひとつでなんとでもなるんだ
という、オーブさんと少し似た感覚です。

超単細胞な頭で考えたことなので、あまりに的をはずしているかもしれません。
すいません…。何か難しく考え始めると、あまりにも前に進めなくなってしまうので、一度方向転換をして、そのイメージを自分の頭に置き換えて、パッと思い浮かんだ情景を言葉にして見ました。
ホントに浅はかな考えかもしれません…。スイマセン

■>俗世間
Parolemerde2001 at 9/23(火) 19:34:30 No.paroparo-20030923193357

Shizueさん、書き込みありがとうございます。
オーブさん、こんにちは。

ランボーの詩は、たとえば初期詩篇の「谷間に眠る人」でも、一見観察して書いているようですが、実は、実際の戦闘(普仏戦争)は、シャルルヴィル周辺では未だ無い時に書かれています。
「酔いどれ船」が、海を見ずに書いたように、リアルに描かれたように見える詩でも、イマジネーションで作られた面が強いように思います。

では、何を素材にしたのか、何でそのように描いたか(想像したのか)ということになると思うのです。
確かに、ランボーを取り巻く「俗世間」かも知れません。
すると、この「俗世間」は一体何なんだろう、ということになり、私の読みでは、当時の軍事を中心とした社会勢力のことではないかと。
一般大衆?、被支配階級、労働者階級、植民地の原住民などは、(当時の社会をどう捉えるか、難しいところですが)、「道化」に惹きつけられて( magnetique )躍らせられる立場だと思います。

みなさんは、どう考えますか。

■書き込みについて
Parolemerde2001 at 9/23(火) 19:40:14 No.paroparo-20030923193514

みなさん、

このBBSのテーマは、「イリュミナスィオン」を読むことがひとつです。
一人では、細かく読む機会を持ちにくいので、ゆっくり読んで行きます。
でも、それだけに絞っている訳ではありません。
ランボーだけでなく、同時代の関連ある詩人のことなど、関連して考えたことなど、書き込んでください。

■俗世界
オーブ at 9/27(土) 01:17:51 No.paroparo-20030927003054

Shizueさん、パロさん、こんにちは!

Shizueさんは客寄せ道化の中にはランボー自身も含まれていると考えられたのですね。
つまり、その中で生活しているランボーと、それを見ているランボーの二人のランボーがいると。

さて、この「俗世界」は何か?と言うことですが、私には、漠然とですが、「強いもの」と「弱いもの」
が存在する世界ではないかと思いました。
子供時代の御伽噺の世界ではなく、いっそう現実に近い世界です。
未開の地への開拓、または植民地の進出を連想しました。
パロさんがおっしゃるように軍事を中心にした社会勢力と言えるかもしれません。

何だか風変わりな人物が登場しますね、Des droles tres solide.
彼らは贅沢な衣装を身に着けているけど醜い男達で、若い少年をあさりに町へ行く。
この構図で「侵略する側」と「侵略される側」をイメージしました。
この詩の最初の部分、Plusieurs ont exploite vos mondes. もそれを暗示しているのでは。
それとこの詩の後半部分で外国人も出てきます。
戦利品や手土産として外国のものを持ち帰って、それが流行ったりしたのではないでしょうか。
実際パリの軍事博物館で、当時の兵隊が使っていた異国風なオブジェなどを見ました。
お茶やコーヒーなどもそのうちのひとつではないかと思います。

そんな世界をランボーは別の世界から冷静な目で見ていたのかもしれません。

ただ、私は当時の社会背景についてほとんど無知のなので、間違っていたらごめんなさい。
想像で書きました。

■>俗世間
Parolemerde2001 at 9/27(土) 11:56:53 No.paroparo-20030927115626

みなさん、こんにちは。
ちょっと忙しいので、次の書き込みは、来月になりそうです。

私は、やはりランボーの詩は(実は、全ての詩も同じとは思いますが)、時代の中で見なければならない面も多いと思います。
ヨーロッパは拡張期にありました。
ヨーロッパ内の拡張が終わり、海外への進出にポイントが移って行った時代と考えられます。
とくに1873年のロンドン発のデフレをポイントとして、世界史的には、革命の時代から帝国主義の時代へ移行したと考えられているようです。
例えば、日本の中国(満州)への進出を考えても、当時の多くの日本人には、良いイメージで捕らえられていたはずです。
そうした俗世間を、ランボーは舞台に乗せているのではないでしょうか。

■お久しぶりです
オーブ at 10/24(金) 07:42:21 No.paroparo-20031024070851

ご無沙汰しました。
わ~約一ヶ月ぶりの書き込みになりますね。
みなさんはお元気ですか?

私は最近忙しくて、少しランボーを離れていました。
でも、その合間にちょっと浮気をしてしまい、ボードレールの詩集を読んだりしていました。
まだまだ語れるほど読んではいないのですが、ランボーを知るためにも読み進めたいと思っています。
すると、ランボーそっくりの詩があるんですね。
正確に言うと、ランボーがその詩に影響を受けたんですけど。

それと、近所の古本屋さんでフランスのもっとも美しいソネが100編掲載された詩集と、ユゴーのもっとも美しい詩100編が掲載された詩集を買いました。
どちらもボルドー色のベロアっぽい生地でできたとても美しい詩集です。
もう一冊、装丁の美しさに惹かれて、バルザックの「人間喜劇」を買いました。
かつてのフランス王家のゆりの紋章で飾られた、美しい本です。
3篇掲載されていて、そのうち「谷間のゆり」を(勇気を出して?!)読み始めました。わからない単語ばっかりで、なんとか話しについていっているような状態です。^^;
時々突っ込みをいれたくなるような場面が出てきます。
バルザックはわざとそういう場面を書き出したのかも・・。
「喜劇」ですから。

ユゴーの詩にも、ランボーが影響を受けたのがわかります。
ランボーに似ているんですね。
雰囲気が・・。
ユゴーを読んだのは初めてでした。
日本では詩人というより、作家として知られているような気がします。
ユゴーの詩は日本語で翻訳されていますか?
この100篇はほとんど、恵まれない人々のことを詠った詩です。
当時のフランス庶民のことがわかる気がします。

ソネのほうは、15世紀から20世紀初頭まで掲載されています。
バンヴィル、シュリー・プりュドム、ルコント・ド・リズル、フランソワ・コペー、シャルル・クロ、テオフィル・ゴチエなどランボーゆかりの人物の詩も掲載されています。
(もちろんランボー自身も)
誰とどういう、かかわりがあったのか、私はよく知らないので調べてみるのも面白そうです。
あと、有名どころはもれなく掲載されています。

ちなみに3冊、7ユーロでした。(約1000円くらい)
こんなきれいな本が7ユーロでゲットできて、うれしかったです。

長々と失礼しました。

■もう少し、お待ちください。
Parolemerde2001 at 10/24(金) 15:15:25 No.paroparo-20031024150549

オーブさん、みなさん、こんにちは。
最近、ずっと今までの翻訳・解説をチェックしています。
バラバラに書き進めていますので、形式や言葉が食い違ってしまいます。
また、メニューなども、もう少しは見やすくします。
でも、なにぶんマイナーな作業です。
翻訳の掲載も少しずつ復活させます。
もうしばらく、お待ちください。

ユゴーは、やはりレ・ミゼラブルが日本では有名なのでは。
今、フランスでどんな詩人、詩が読まれているかは、以下のポエジー・フランセのサイトでも、知ることができます。
http://poesie.webnet.fr

■ユゴーの家
オーブ at 10/26(日) 05:31:06 No.paroparo-20031026044646

昨日、ボージュ広場のすぐ隣にある、ユゴーの家に行ってきました。注)
それにしてもでかい家に住んでいたんですね~!!
概観はアパートに見えるんですが、中に入ると6階くらいあったのではないでしょうか。
家というより、小さなお城といった感じでした。
家具や骨董品も展示してありました。
家族代々の肖像画も多かったので、ユゴーは貴族だったのですね。
ロダン作の、ユゴーの彫刻もたくさん展示してありました。
それとボードレールの「悪の華」の初版本もありました。
直筆の手紙、原稿、草稿など見るのが、やはり楽しみでした。
カリグラフィーと言うんでしょうか、ランボーのもそうですが、とってもきれいな飾り文字で書いてあるんです。
ユゴーがタイプうちをした手紙も残っていましたが、保存状態がとてもよく、紙は黄ばんでないし、しみひとつありませんでした。
詩人(作家)のこだわりで良い紙を使っていたのかもしれませんね。
ランボーもいい紙を買っていたらしいので・・。
とにかく、その家のでかさと、超高級な家具に驚きました。(^^;)
本棚は特に立派でした。
部屋に入れるのに、さぞ大変だったことでしょう・・。ってユゴーがやったとは思いませんが。

ユゴーは「レ・ミゼラブル」がやはり日本では有名ですね。
フランスでもそうじゃないでしょうか。
あと、「ノートルダム・ド・パリ」とか。
日本ではこちらの方は、あまり知られていませんね。

ランボーやユゴーなどの、グラン・クラシックと言われている詩や文学を読んでいるフランス人ってどんな人だろう?って思うときがあります。
一般ではあまり読まれていないのかも・・。
名前くらいは学校で習って知っていると言う程度でしょうか。
日本人もそうかもしれませんが。

注)
オーブさんが「ボージュ広場の隣」と書いていますので、後に調べたところ、これはユゴーの最後の家ではなく、1832年から1848年の間に16年間住んでいた作家の家の博物館、ヴィクトル・ユゴー記念館( Maison de Victor Hugo )です。
サイトはこちらです。by ichico

■少し更新しました。
Parolemerde2001 at 10/28(火) 13:48:35 No.paroparo-20031028134803

オーブさん、こんにちは。

ユゴーの記述を見て、ユゴーの葬儀を思い出し、「轍」の解説に、最初の読みを付け加えました。

ヴィクトル・ユゴーが、当時どのような支持を受けていたか、大衆から、国家から…は、
小倉孝誠著 19世紀フランス 愛・恐怖・群衆 (人文書院)に詳しく書かれています。
でも、この本の図にあるユゴーのアパルトマンは、外観は2階立てに見えます。
最後の住まいとなったアパルトマンのある通りがヴィクトル・ユゴー通りだそうですが、オーブさんの行かれたのはここなのでしょうか。注)

19年でしたか、イギリスに亡命していて、なおこれだけの支持を受けるとは、ものすごいですね。

注)
ヴィクトル・ユゴー通りは、パリ16区にあるヴィクトル・ユゴー広場(Place Victor Hugo)から出ています。広場の近くにはメトロのヴィクトル・ユゴー駅があります。by ichico

■ユゴー最期の家
オーブ at 10/29(水) 03:56:14 No.paroparo-20031029032057

パロさん、みなさん、こんにちは。

私が行ったユゴーの家は彼の最後の家だったと思います。注)
ユゴーが亡くなった寝室があり、デスマスクも展示されていました。
その名もヴィクトル・ユゴー通りにあるんですね!
それは知りませんでした。(^^;;)
概観はアパートに見えますよ。
でも、やっぱりまったく普通のアパートではないかも。
ボージュ広場と、それを囲むアパートは真四角になっていて、その一番端っこにひっそりとあるので、言われなければ家があるなんて気づかないくらいでした。
中は豪華ですが。(^^;;)
ちゃんと数えたわけではないのですが、6階くらいはあったと思います。
最上階は、なんのために??って思うくらい、何もなかったです。
小さなドアがひとつあるだけで、今ではトイレになっていました。
ユゴーの時代は何に使っていたのかわかりません。

ユゴーは19年イギリスに亡命していたのですか?

当時、ユゴーは作家(詩人)として名声を得ていたのでしょうか。
詩人といえば、ヴェルレーヌなどのように才能がありながら、不遇な人生を送る・・というイメージがあるのでユゴーの国葬は意外でした。
バルザックの家にもいったことがありますが、借金取りから逃げるために、家の中がからくりになっていたそうです。

注)
一方、ヴィクトル・ユゴー記念館は4区にありますので、最後の家とは異なります。by ichico

■ユゴーの家
Parolemerde2001 at 10/29(水) 20:28:23 No.paroparo-20031029202223

見てきたのは最後の家なのですね。
それでは、「19世紀フランス 愛・恐怖・群衆」に絵がついている家だと思います。
絵の外観は、2階建てのように絵がかれています。
でも、バランス的にはそれぞれの階が2階分くらいある天井の高い建物のようには見えますが。
まあ、絵ですし、当時と今と同じではないかも知れませんね。
ユゴーは国民詩人、フランス共和制のシンボルとなった詩人です。
収入は…、本がたくさん売れたのでしょうか。解りません。
文壇で名前が出るのと、一般に受け入れられるのはかなり違いますね。

■それでは Antiqueへ・・
オーブ at 11/9(日) 00:43:06 No.paroparo-20031109004054

パロさん、みなさんこんにちは。
ではそろそろ、やっと、ランボーの次の詩、Antiqueに移りたいと思います。
間が開いてしまい、どうもスミマセンでした。(^^;;)

■ Antique 試訳
オーブ at 11/9(日) 00:49:58 No.paroparo-20031109004718

Gracieux fils de Pan ! Autour de ton front couronné de fleurettes et de baies tes yeux, des boules précieuses, remuent. Tachées de lies brunes, tes joues se creusent. Tes crocs luisent. Ta poitrine ressemble à une cithare, des tintements circulent dans tes bras blonds. Ton coeur bat dans ce ventre où dort le double sexe. Promène-toi, la nuit, en mouvant doucement cette cuisse, cette seconde cuisse et cette jambe de gauche.

古代美術

優美な牧神の息子!小さな花々とブドウの実で飾られた冠をかむった
おまえの額のそばの、精巧な玉のようなおまえの目。
ワインの澱が茶色くしみになったおまえの頬はくぼんでいる。
おまえの牙は輝いている。おまえの胸は楽器に似ている。
余韻がブロンドのおまえの両腕の中で何度も響く。
おまえの心臓は二重の性が眠るこの腹の中でどきどきしている。
夜にさ迷い歩け、この太もも、この2番目の太ももと左脚をゆっくり動かしながら。

(訳 オーブ 11月)

■牧神
オーブ at 11/9(日) 01:15:14 No.paroparo-20031109005221

短い詩なので、区切らずにすべて載せました。
ランボーの詩にはよく牧神が出てきますね。
これはギリシア神話に出てくる登場人物の一人です。
上半身は人間、下半身はヤギの脚をし、頭には角があり、神話では醜く、酒飲みとされていることが多いようです。
私がフォンテーヌブロー城に行ったとき、この「牧神」のモチーフがたくさんありました。

ここでは「牧神の息子」となっていますが、パロさんはこれをヴェルレーヌと捉えていらっしゃいますね。
酒飲みで、両刀使いというのでうなずけます。(笑)
牧神もニンフや、美少年を追い掛け回していたと何かで読んだことがあります。
詩の冒頭でランボーがわざわざ、Gracieux 「優美な」とつけたのはなぜなのでしょう。

なお、私もパロさんと同様、このタイトルは形容詞というより、名詞としてとり、「古代美術」としました。
本来、Antique には名詞としての、「古代」という意味はなく、あえていうなら、Antiquite となるのではないでしょうか。
(間違っていたらすみません)
なので、私は古代そのものよりも、骨董品とか、古代のものを見てランボーがインスピレーションを得たのではないかと思い、その点でパロさんの解釈と一致しています。

■ chithare
オーブ at 11/9(日) 01:29:41 No.paroparo-20031109012657

この「シタール」は弦楽器でしょうか。
私は訳で、ただの「楽器」としてしまいましたが、「弦楽器」に変えようかと思っています。
「シタール」というのがどんな楽器か知らなかったので、その方がわかりやすいかと思ったのですが。

■牧神とシタール
Parolemerde2001 at 11/9(日) 19:15:20 No.paroparo-20031109191305

オーブさん、お久しぶりです。

ヴェルレーヌ説は、高畠正明氏で、私ではありません。
私も、そう思うということで…。

この Antique は、イリュミナスィオンの中で、比較的短く、絵画的なスタイルの作品ですね。
パン(牧神)は、ギリシア神話の牧神ですが、古典的な絵画や詩にも出てきます。
フォンテンプローで見られた絵は、どのようなものでしたか。
この詩では、異教的な意味合いを持たせてもいるのでしょう。
ピカソもモチーフにしていました。
パニックの語源でもありますね。
優美 gracieux としたのは、一般的に(ブルジョワ社会などに受け入れられない)醜いものこそ、実は優美なのだという意味なのでしょうか。
シタールは、インドの弦楽器です。
調べたところ、14世紀頃、インド北部のガンジス河流域で生まれたそうです。
思ったより新しい楽器ですね。
ギリシアの竪琴ではつまらないので、シタールにしてみたのでしょうか。

■フォンテーヌブロー城の牧神
オーブ at 11/10(月) 05:19:18 No.paroparo-20031110045444

>ヴェルレーヌ説は、高畠正明氏で、私ではありません。
私も、そう思うということで…。

確かに、ジャンコラ氏説やプレイヤッド版にはヴェルレーヌのことは書かれていませんでした。
高畠正明氏はヴェルレーヌ説を発表されたのでしょうか。
もしその場合、発表したらその後どうなるのでしょうか?

私がフォンテーヌブロー城で見た牧神は絵画ではなく、彫刻がほとんどでした。
柱に施された彫刻のような・・。
そのほかは、調度品(?!)と言うのでしょうか、花瓶や置物に描かれていました。

フォンテーヌブロー城の中は、キリスト教というより、神話の世界のデコレーションと言った感じで
とても自由でほのぼのとした感じでしたよ。
色は一言で言えば、パステルカラーのイメージです。
今で言う、癒しのような。
ランボーがこんな世界にあこがれていたのもわかるような気がします。
フォンテーヌブロー城でみた限りでは、牧神は酒飲みで好色家というのはわからないと思います。
いろいろな調度品に使われていることから、愛すべきキャラクターのような存在だったのでしょうか。

>一般的に(ブルジョワ社会などに受け入れられない)醜いものこそ、実は優美なのだという意味なのでしょうか。

自由奔放な姿こそが美しい(優美な)ということなのかもしれませんね。

シタールはインドの弦楽器なのですか。
ランボーはこんなオリエンタルな楽器をよく知っていましたね。

■牧神
Parolemerde2001 at 11/10(月) 20:57:23 No.paroparo-20031110205041

私も、卒業後は全く顔を出しませんでしたので、判りませんが、高畠氏は、おそらく発表されていないのでは…。

それで、フォンテン・ブローは、パステルカラー…。
であるとすれば、例えばマリー・ローランサンのパステルカラーも、元々は王侯貴族の装飾の好みから来た部分もあるのでしょうか?
すると、サルトルのマラルメ論ではないですが、近代のアーティストは、アリストクラシーに憧れたことになりますね。
装飾ですので、どぎつくないのでしょうか。
どのようにギリシャ・ローマを模倣したのでしょうか…。
難しいですね。

■フォンテーヌブロー宮殿
オーブ at 11/10(月) 23:52:32 No.paroparo-20031110233204

美術のことはよくわかりませんが、フォンテーヌブローがパステルカラーだったのは私も驚きました。
装飾は華やかですが、どぎついという感じではなかったです。
(あくまで私の主観ですが。^^;;)
当時の流行だったのでしょうか。
そこでガイドブックを見てみると、もともとは王族達の宿泊所だったところに、フランソワ一世から ルイ16世までの王達が次々と建物を継ぎ足して宮殿になったそうです。
中世から18世紀末までの建築様式をみることができ、基調はルネッサンスだそうです。(地球の歩き方2001年から2002年度版)
フランソワ一世がイタリアルネッサンスの素晴らしさに感動して、イタリアからアーティストを呼び寄せて作らせたと書いてあります。
レオナルド・ダ・ヴィンチもいたとか。
フランス様式というより、イタリア様式だったのですね。
フランソワ一世の回廊のことを「神秘的なサンボリズム(象徴主義)とつめたいエロティシズム」と、このガイドブックでは表現されています。

■発表
オーブ at 11/11(火) 00:13:50 No.paroparo-20031110235316

>私も、卒業後は全く顔を出しませんでしたので、判りませんが、高畠氏は、おそらく発表されていないのでは…。

そうですか・・やはり発表するとなるとかなり難しいのでしょうね。
さまざまな解釈があるようなので、自分の解釈や感性に近いものを選ぶといいのでしょう。
自分が新説を打ち立てれればすごいでしょうが、かなり難しいですね。
ランボーの詩の場合、かなり研究が進んで、もう説は出尽くしてしまっているのでしょうか。
それとも思ったよりも研究が進んでいなくて行き詰まりだったりして・・。
知らないこともまだまだあるのかな~と考えたりします。

■>宮殿と発表
Parolemerde2001 at 11/11(火) 22:56:47 No.paroparo-20031111224922

宮殿はちょっと以外でした。
見たことがないので解りませんが、歴史的なこともあるようですね。

ヴェルレーヌ説は、解読のポイントですが、これだけでは、論文にはならないでしょうね。
これは、解読の話の中で出てきただけで、高畠氏が、まとめて発表する考えがあったかは、判りません。

解読に関しては、かなり研究されていると思います。
かなり昔のことで、ずいぶん研究されて来ました。
散逸した原稿とかが出てくれば別ですが…。
もう、あまり無いのでは。

■逸脱した原稿
オーブ at 11/11(火) 23:20:53 No.paroparo-20031111231206

逸脱した原稿、どれくらいあるのでしょう・・。
以前、ネットでジャンコラ氏のインタビューを読んだ事がありますが、かなり低いが可能性はある、
というようなことを言っていました。
そういうのは世界の億万長者、コレクターが持っていることが多いようです。
コレクターは意外なことに(?!)自分のコレクションを人に言いたがらないことが多いのでわからないそうです。
これは夫が言っていたのですが、パリの社交界では世界から大富豪が集まって、レア物の情報交換などをしているそうです。
すごい世界ですね!
ランボーの個人的な写真や、手書きの原稿などまだ未発表のももあるのかもしれません。
そう考えると希望があってうれしいですね。

■ランボー手書きの原稿
オーブ at 11/12(水) 00:04:02 No.paroparo-20031111232810

ここで少し、ジャンコラ氏のインタビュー記事から、その部分を抜粋して掲載しようと思います。

(前略)

- Reste-il des manuscrits inedits, et quel interet auraient des collectionneurs a ne pas montrer des manuscrits dont ils sont possesseurs?

CJ: On peut fantasmer et rever qu'il y a des manuscrits inconnus, et des poemes de Rimbaud inconnus.
Il y a peut-etre une chance sur dix mille.
Je trouve que cela n'est pas trop bien de fantasmer la dessus. car il y peu de chances de decouverte. Rien n'est impossible, mais je ne veux pas travailler et vivre en fonction de cela.
Il y a beaucoup de raison pour lesquelles les collectionneurs les cachent.
Des raisons psychologiques: les possesseurs de manuscrits de Rimbaud on l'impression de posseder Rimbaud lui-m醇Sme et uniquement pour eux.On voit aussi ce genre de comportement avec quelques collectionneurs de peintures, qui les enferment, veulent etre tout seuls a les voir, il semble que cela soit un privilege. Il y a un cote un peu maniaque dans ce genre de possession.

(以下略)

(1997年2月28日ジャン・フィリップ・ペローの Propos recueillis のインタビューより抜粋)

* CJ は Claude Jeancolas クロード・ジャンコラの略です。

未発表原稿を発見する確率は一万分の一ですか~。
でも可能性はあるわけなんですよね。
コレクターの所有欲、つまりランボー自身を所有している気分になるなんてちょっとマニアックで危ないですね。(ジャンコラ氏本人もおっしゃっていますが。^^;;)

あと、トピずれついでにいうと、ランボーの手書きの原稿、一枚の紙に書かれた短い詩で約300000フランだそうです。
日本円で約600万円ですね。(1997年当時で)
ランボーの手書きの原稿はヨーロッパ中に散らばっているみたいで、ジャンコラ氏は集めるのに大変だったようです。
きちんと保管されているのもまた、すごいことですね。

■>ランボー手書きの原稿
Parolemerde2001 at 11/12(水) 00:44:45 No.paroparo-20031112003602

まあ、金額以前、このような社交界?にどのように入り込めば良いのか…。
探し出しても、本物かどうか判らないし、その前に、先立つものが無いですね。
いやぁ…、どうにも手におえません。

どのくらい前のことが分かりませんが、ヴェルレーヌが証言した「精神の狩猟」、まがい物が出現して、ブルトンが見破ったとかありましたけど、最近でもこうしたこと、あるいは、もっと小さな?事件もあるのでしょうか。

テクスチュエルの手書き原稿写真版、よく作りましたね。
ただし、完全ではないようですが…。

■鑑定
オーブ at 11/12(水) 02:03:18 No.paroparo-20031112014824

こういう社交界に出入りするには、やはり億万長者とか、貴族とかそんな人でしょうね・・普通の人ではまず無理ではないでしょうか。
たまにフランスのテレビ番組でこういう人たちを特集していますよ。
青年実業家とかで、ある程度成功した人たちもいました。
早い話がやっぱり「大金もち」でないといけないのでは・・。
彼らは毎晩パーティです。
(一晩100万円単位のパーティーなんでしょう)
そこで情報交換するのではないでしょうか。
コレクターってやっぱり大金持ちでないとなれないでしょうね。
確かにどうやってその手書きの原稿が本物かどうか見分けるのでしょう。
研究家や専門家が集まって検討するのでしょうか。
筆跡鑑定とか、紙の質からいつの時代の紙かわかるとか・・。
かなり高度な能力、技術が要求される世界ですね。

■ Being Beauteous
オーブ at 11/13(木) 01:43:05 No.paroparo-20031113012920

少し早いでしょうか・・。
次の詩に移ろうと思いますがよろしいでしょうか。
とりあえず、試訳を載せますが、Antique はもちろん、今までの詩で何かありましたら教えてくださいませ。

Being Beauteous

Devant une neige un Être de Beauté de haute taille. Des sifflements de mort et des cercles de musique sourde font monter, s'élargir et trembler comme un spectre ce corps adoré ; des blessures écarlates et noires éclatent dans les chairs superbes. Les couleurs propres de la vie se foncent, dansent, et se dégagent autour de la Vision, sur le chantier. Et les frissons s'élèvent et grondent, et la saveur forcenée de ces effets se chargeant avec les sifflements mortels et les rauques musiques que le monde, loin derrière nous, lance sur notre mère de beauté, — elle recule, elle se dresse. Oh ! nos os sont revêtus d'un nouveau corps amoureux.

***

Ô la face cendrée, l'écusson de crin, les bras de cristal ! Le canon sur lequel je dois m'abattre à travers la mêlée des arbres et de l'air léger !

美しさの存在

雪の前の背の高い美しさの存在、死のあえぎと
心の中に湧き上がる音楽の輪が愛されたこの体を
昇らせ、拡大させ、震わせる、亡霊のように。緋色と黒の無数の傷は
すばらしい肉体の上ではじける。生命それ自体の色は幻影の周りで
黒ずみ、踊り、発散する、作業台の上で。そして身震いが起こり、
とどろく、ぼくたちのずっと後ろの方、世界がうなる音楽と死のあえぎを担っている
この効果の強烈な味わいをぼくたちの美の母に投げつけると-
彼女は後退し、まっすぐに立つ。おお!ぼくたちの骨は新しい愛の体で
再び装われる!

***

おお、銀白色の顔、盾形紋地の髪、水晶の両腕!
木々と軽い空気の混ざり合いを透かしてぼくが襲い掛からなければならないこの大砲!

■ Being Beauteous
Parolemerde2001 at 11/13(木) 02:30:39 No.paroparo-20031113022503

進んでください。
ただし、金曜の夜から日曜日は、用のため書き込めないです。

この詩も、なんだか解らないタイプですね。
まず、タイトルの変な英語が、雅語で通常の英語ではないです。
ランボーの意図した意味が解りません。
ロング・フェローから引いたという説もあります。
次に、*** 以下を別の詩ととる評論家もいます。
また、タイトルのない方の「フレーズ」の一部という説もあります。
でも、短すぎるので、結局、上から続いているというのが定説のようです。

■還城楽
Parolemerde2001 at 11/14(金) 17:40:03 No.paroparo-20031114173025

私は、Being Beauteous は、「美しく(麗しく)あること」であり、ホモセックスという見方を、選んでいます。
Antique の Gracieux のようなニュアンスがあるのではないでしょうか。
男女の愛よりも、男同士の愛の方が麗しいというような意味合いが。
男根崇拝は、異教であるギリシャ文化にもありましたから…。

今年の春に、明治神宮で還城楽という舞を見ました。
神に献上する舞なので、神殿に向かって舞われます。
還城楽は、見蛇楽とも呼ばれ、蛇の置物を持って舞います。
ヘビは男性の象徴であり、この踊りは生殖の祈りではないでしょうか。
私の友人に民俗写真家がして、日本の祭、神楽の意味などを教わりましたが、やはり、神となった祖先を慰めることと、五穀豊穣と生殖の祈りが、日本の祭の基本的なテーマだそうです。
地方に残っている春の獅子舞では、メスをめぐってオスが争う舞もあります。
川越近郊にささら獅子舞という舞いがありますが、この獅子は、ライオンよりも美しい鶏のようです。

■ Being Beauteous の解読
オーブ at 11/14(金) 21:07:50 No.paroparo-20031114205604

パロさん、こんにちは。

この Being Beauteous はいっけん何のことやら分からない詩ですが、とても美しいですね。
男女の愛という説もありますが、前の Antique との関連から私も男性同士の愛を詠んだ詩なのでは・・と思っています。
相手の男性(ヴェルレーヌ?)というよりは、ランボーが自分の体を表現しているのではないかと、私は思いました。

タイトルをつけるのに迷いました。
フランス語では Etre de beaute か、etre beau となるようなので、Etre de beaute のほうを採用しました。

>男女の愛よりも、男同士の愛の方が麗しいというような意味合いが。
男根崇拝は、異教であるギリシャ文化にもありましたから…。

日本でも昔はそういう時代があったようですね。
それがわりと公認だったのだけど、キリスト教が入ってきて、良くないものと捉えられるようになったとか・・。

ところで、最後の *** 以下はとても不思議です。
la face cendrée, l'écusson de crin, les bras de cristal!
ここの描写はランボー自身と取りました。
説もさまざまで、美しい夢が覚めて現実に引き戻された(ジャンコラ氏説)、まだ自分の欲望に満足している(プレイヤッド版)と対照的です。
私はまだよくわからないのですが、完全に夢から覚めたという感じはしないですね・・。
まだなんとなく余韻が残っているような。
でも改めて、自分の姿の描写をしているのは、鏡を見てはっとわれに返ったというふうにも
取れます。
客観的に自分を見ている。
これも「見者」でしょうか。

■これは… と ***
Parolemerde2001 at 11/14(金) 21:57:35 No.paroparo-20031114214750

私は、この *** 以下は、充足の表現と考えています。
さらに、言えば、余韻の中にもまだ欲望がある
Le Devoir s'exhale
Sans qu'on dise: Enfin.
( L'Eternite )
お終い、なんて言われずに
あの「お務め」がわき上がる。
(「永遠」)
と書かれているように。

そして、こうした同性愛の幸福を詠った詩は、後期韻文詩篇も含めて、ヴェルレーヌとの相互的な影響下にかかれたのではないかと考えています。

これは物憂い恍惚で、
これは愛の疲れで、
これはそよ風に抱かれた
林のざわめきで、
これは、灰色の枝に沿った、
小声のコーラスです。

これは、ヴェルレーヌのロマンス・サン・パロールに含まれる師からの抜粋です。
(訳は、サイトに載せてあります)
今、「マラルメ」トピで、サルトルの「マラルメ論」が、ときに出てきますが、サルトルのヴェルレーヌの位置付けは、かなり妥当だと私は思っています。
次の書き込みは、月曜日になりますので、よろしく。

■充足
オーブ at 11/15(土) 05:03:10 No.paroparo-20031115045713

尽きない幸福感、充実感ですね。
ところで、*** 以下のランボー自身の描写、おもしろいですね。
まるでオブジェか、アートの中の人物像のようです。

>>次の書き込みは、月曜日になりますので、よろしく。

わかりました。
また何かあったら書き込んでおきますね。

■麗しくあること…
Parolemerde2001 at 11/17(月) 19:42:58 No.paroparo-20031117193607

オーブさんの読みを参考にして、考え中です。
始めは、相手の物を観察して描いた、次は、頭の中でヴィジョンとして再構成したと考えたのですが、自分自身を見ているというほうが妥当かなとも思えてきました。
つまり、*** 以前は、ヴェルレーヌがランボーに挿入して、ランボーが自分の男性器を見ているわけです。
肛門の刺激によって、…まっすぐに立つのです。
*** 以下は、ランボーとヴェルレーヌの立場が入れ替わるわけですが、始めのところまでしか描かれていません。
という解読はどうでしょうか。
専門家に聞かないとわかりませんね…!

■>麗しくあること
オーブ at 11/18(火) 19:58:36 No.paroparo-20031118194653

自分自身の体を見て書いた、って、ちょっとナルシストですね。(^^;;)
でもそのほうがランボーらしいかな、という感じもします。
「アンネの日記」の著者、アンネ・フランクも自分の体を観察し、精密に日記に記しました。
この詩を読んで、ふとそれを思い出しました。
アンネはジャーナリストの目で、ランボーは詩人の目で書きました。
二人とも10代で、自分の体の変化に興味を持っていたのではないでしょうか。

■新しい愛の体
オーブ at 11/18(火) 20:32:40 No.paroparo-20031118200955

>つまり、*** 以前は、ヴェルレーヌがランボーに挿入して、ランボーが自分の男性器を見ているわけです。
肛門の刺激によって、…まっすぐに立つのです。

パロさんはこのように考えたのですね!
私はランボーが裸でベッドの上に、仰向けに寝ているのだと考えました。
そこにはランボーしかいません。
実際はもちろんヴェルレーヌがいたのでしょうけど、この時点ではランボーは自分しか見えていなかったような。
・・・考えたと言うより、この詩を読んで自然に浮かんできました。

「新しい愛の体で再び」装われて、*** 以下の
la face cendree, l'ecusson de crin, les bras de cristal!
になったのでしょうか。
新しいランボーがそこにいる、日本語で言う、「一皮むける」っていう感じかな・・、ちょっと俗すぎるでしょうか。(^^;;)

*** 以下は行為が終わり、余韻の中でふと、自分の顔が鏡に映っているのを見た、さっきとは違う姿(のように見えた)自分が映っていた。
しかし、この「大砲」はヴェルレーヌ。(?)
麗しいランボーに対して、大砲になったヴェルレーヌってちょっとかわいそう・・。(^^;;

■ Rentier
Parolemerde2001 at 11/19(水) 20:07:00 No.paroparo-20031119200615

オーブさん、ちょっと話題がそれます。

実は、19日の朝日新聞の天声人語に、ランボーの言葉が掲載されていました。
翻訳者は安藤次男氏です。

-------------------------------------

フランス象徴派の詩人、アルチュール・ランボーは、8歳の時に、こうノートに記した。「僕は年金生活者になる」

 ギリシャ語やラテン語の勉強なんか、やらなくたっていいんだ、というくだりの後に出てくる(『安東次男著作集』青土社)。時代も、年金の意味も今とは違うが、アルチュール坊やの反逆の才際立つ一節である。

 現代の若者については、年金離れが指摘されている。…

-------------------------------------

これは、ランボーがノートに書いた散文で、タイトル無し、I Prologue となっていて、II まであり、「続きはすぐ、アルチュール」で終わっています。8歳の時に書かれたものと考えられているようです。
この文中の、「年金生活者」 rentier ですが、他の翻訳では「金利生活者」となっていました。辞書も調べたのですが、仏仏でも、仏和でも金利生活者、あるいは年金生活者でした。元々の rente は、金利の意味で、年金の意味は派生したと考えられます。rente de viagere で終身年金の意味があります。
気になって、各テキストのノートを調べたのですが、説明が見当たりませんでした。ジャンコラ氏の伝記でも、解りませんでした。
19世紀のフランス経済の本などの記憶をたどっても、当時(の地主層に)、社会年金があった記事は見た覚えがありません。
私は、金利生活者と考えていましたが、どうなのでしょうか。年齢的に考えても、年金には遠いように思えるのですが。
何か、知っていることがあれば、教えていただきたいです。

■ investir
オーブ at 11/19(水) 21:03:23 No.paroparo-20031119203406

パロさん、

私が読んだ訳も「金利生活者」になっていました。これは年金で生活する人ですよね?
(自信がない^^;;)
8歳の男の子がこういう言葉を知っているのも驚きますが、19世紀にすでにこういう制度があったということもすごいことですね。

さて、rentier ですが、実際は年金で生活する人ではなく、投資で生活する人のことを言うようです。investir と同じ意味なので辞書で調べてみてください。
ハリウッドの映画「ゴールデンボーイ」をご存知ですか?
私の夫いわく、これが investir なのだそうです。
私は見たことがないのでなんともいえませんが・・。
元手になるお金を用意して、土地などに投資して、お金を増やしていきます。
もちろん、すっからかんになることもあるわけで・・・。
株も investir のうちのひとつでしょうね。
19世紀にこういう制度があったかどうかは今のところちょっとわかりません。

年金で生活する人は retraite ではないでしょうか。
何ヶ月か前、これについてフランス全土で大規模なデモが繰り広げられました。

少し話はそれますが、フランスには RMI という制度があります。
これは働けない人、または働きたくない人(!!)に国から生活費の援助が出る制度です。
(失業者は対象外です)
これはフランスに住むすべての人が対象で、月最高額で300ユーロ(4万円くらい)支給されるそうです。
どれくらいの期間支給されるのかは分かりませんでした。
フランスにはこういう制度が整っているように思います。

アルチュールは何を思って rentier と言う言葉を使ったのでしょうね。
まだ8歳ですから、覚えたての言葉を使っただけなのかも・・。
それとも「土地活用」なんて知っていたのでしょうか?
お母さん、地主の娘でしたものね・・。

■ Rentier
Parolemerde2001 at 11/19(水) 23:17:41 No.paroparo-20031119231717

オーブさん、いろいろありがとうございます。
Investir という言葉は、私も知っています。英語の investor ですね。

再度、調べ直しました。

年金は、pension 金利収入の場合は rente 、年金受給者は、pensionne´では。

年金は英語では pension 、
年金生活者は person who lives on a pension のようです。
金利は英語では interest 、
金利生活者は、英語では、rentier, person who lives on investment income のようです。

■ pension
オーブ at 11/20(木) 01:02:56 No.paroparo-20031120003446

え~っと、英語のことは良く分かりませんが。(^^;;)
フランスの場合、pensionはまた別で、年金ではありません。
例えば、結婚するために女性が仕事をやめて専業主婦になったとします。
その後、離婚した場合、女性は仕事も養ってくれる人もいないわけで生きていけません。
その場合、前夫が彼女の生活のために月いくらか払う、というシステムです。
もしかすると、子供がいる場合に限るかもしれません。
細かいことはちょとわかりませんでしたが、だいたいこんな感じです。

別の例では、両親がすごく貧乏だとすると、成人した子供が両親を養うために、月いくらか払うというのもあるらしいです。

この二つの例は、善意からの「援助」ではなく、裁判によって決定されるものです。
だから、親を心配して成人した子供が月いくらか援助すると言うのとは違うと思います。
裁判での争いの後に、勝ち取った(?!)権利なのですね・・。
後が怖そうです。
でも、離婚の場合は良くありますね。
親子間はあまり聞いたことがありませんが。

年金のことは retraite というと思いますよ。

ところで、「年金受給者」と「金利生活者」は日本語では、ほぼ同じ意味と考えて良いのでしょうか?
ちょっと頭がこんがらがってきました。

ランボーの時代はどんなかんじだったのでしょうね。

■夢の(?!)投資生活
オーブ at 11/20(木) 06:53:15 No.paroparo-20031120062614

パロさん、

retenir, retraite, pension の3つは全く別のものだと思いますよ。
今では一般的に年金生活者は retraite が使われ、retenir や pension は使われないと思います。
ランボーの時代はどういう意味で、retenir が使われていたのかわかりませんが。

私は個人的には投資で生活できたらな~!っていう方が、年金で生活できたら、というのよりしっくり行くような気がするのですが。
誰もが考えそうですよね。
パロさんがおっしゃるように、8歳の男の子が年金のことを考えるのはどうでしょう?
年金を受け取る年になるまでは、働かないともらえませんし。
この文章の場合、アルチュールは働くのが嫌なんですよね~ギリシャ語とか勉強したくないって。
だから年金とは考えづらいです。
まあ、投資のことを考えるのもかなり早熟ですけどね。(^^;;)
おじいさん(ヴィタリーの父)が亡くなり、ヴィタリーの兄弟は放蕩や、早世でおらず、自ずと
一族の土地はヴィタリーのものになりました。
その土地を少しずつお金に代えて、ランボーファミリーは生活していました。
ヴィタリーははじめはロッシュで農作業などの仕事をしていたようですが、だんだん子供達の教育にのめりこみ、農作業を人に任せるようになったと、伝記に書いてあったような・・。
働かずして生活したいとアルチュールが思ったのは、こういう家庭の事情を見ていたからなのかもしれませんね。

■「年金」と「金利」
オーブ at 11/20(木) 06:59:21 No.paroparo-20031120065450

パロさん、何度もすみません。

もう一度よくパロさんの書き込みを読んでみました。
英語の部分なのですが、「年金生活者」と「金利生活者」では意味は違うのですね!
「金利」はやはりなんらかの利益のことなのでしょか。
私はこのふたつは同じ意味だと勘違いしていました。
だから、意味不明な書き込みをしてしまったかもしれません。(^^;;)
もし不明なところがありましたら、遠慮せずにまた聞いてください。

■フランスの年金制度の歴史
オーブ at 11/20(木) 08:46:36 No.paroparo-20031120083041

フランスの年金制度の歴史についての資料を見つけたので、少し読んでみました。

なんと14世紀の最後の何年からか、この制度はあったようです。
でも今の制度とは少し違っていて、仕事をしてきた報酬、または戦闘によって身体障害になった人たちに支給されていたようです。
14世紀の終わりまでは、つまりこの制度が確立するまでは、やはり体が持つ限り、死ぬまで働いていたようです。

さて、ランボーの時代、1850年には年金制度が利益を得られる、つまり投資を帯びた形になっていたようです。
(もちろん今は違いますよ)
だから、この時代は、rentier と retraite はイコールだったと考えられますね。

幼いアルチュールの気持ちを今風な訳として、「投資して悠々自適に暮らしたいな~」でどうでしょうか??

■>金利生活者
Parolemerde2001 at 11/20(木) 09:14:16 No.paroparo-20031120090525

オーブさん、こんにちは。
いろいろ調べてくださり、どうもありがとうございました。

金利生活者は、要するに利子や配当金で生活する人のことです。
現在では金利が低すぎて、ほとんど不可能ですが…。
広く言えば、投資に対するリターンで生活する人ですから、rentier の本来の意味ではないかと、思います。
手元のロベールにも、最初の意味としてこう書かれていますから。

実際には、やはりオーブさんが書いたように母親の影響では無いかと思います。
後期韻文詩篇の「思い出」のところで少し書きましたが、ジャンコラ氏の伝記に詳しく書かれていますが、ランボーが7歳の頃、母が土地の権利を受け継ぎますね。
これにより、子供たちの生活も安定し、さまざまな影響を受けたと思いますね。

■金利生活者
オーブ at 11/20(木) 23:05:36 No.paroparo-20031120224707

パロさん、
「金利生活者」と「年金生活者」の違いの説明をありがとうございました。
そうですね、rentierは訳としては、「金利生活者」のほうが近いかもしれません。
でも私のように理解できないものもおりますので。(^^;;)
もう少し今でもわかりやすい訳のほうがいいかも・・。
何らかの利益(利子)で生活する人というのはわかりやすいです。
やはり、株が思い浮かびます。
実際これだけで生活するのは難しいかも。
特に今では不可能にちかいでしょうね。

ランボー一家は父親がいないのに、どうやって生活していたのだろうと疑問に思ったことがありました。
母親は教育ママで働いていなさそうだし・・。
母が土地の権利を得たおかげで、暮らしていけたのですね。
アルチュールの友達の親は(あたりまえですが)働いていただろうし、そんな友達の家庭と自分の家庭を比べて、違いをみていたでしょうね。
それにしても土地で食べていけるなんてすごいことですよね・・。
アルチュールが影響を受けたのも最もでしょう。

■ rentier と 金利生活者
Parolemerde2001 at 11/21(金) 01:04:37 No.paroparo-20031121010217

オーブさん、こんにちは。

そうですね、現在の金利生活者という意味には、ぴったりとは当てはまらないと思います。
意味的には、年金生活者よりは近いとは思いますが。

プティフィス氏の伝記にも書かれていますが、ヴィタリーの家は、フランス革命以降に、アルデンヌ地方のある程度有力な地主になったそうです。
ただし、ヴィタリーの代には、兄弟が身持ちが悪く、家は傾いていったそうです。
それで、ヴィタリーが頑なになったという説明がありました。

ランボーも、この家のことを「渇きの喜劇」や「悪い血筋」で書いています。
特に印象に残っているのは、前に書いた「思い出」です。
ジャンコラ氏の伝記には、ヴィタリーはロッシュの土地を継いだことが書かれています。
「思い出」の中に、日傘を差して直立している母の姿、おそらく高価なモロッコ革の表紙の本を読んでいるフレデリックとアルチュール、地主夫人の晴れ姿が、妙にはっきりと描かれています。
日傘はブルジョワ夫人のシンボルだったのかも知れません。
例えば、コミューヌ兵士の死体の目を、ブルジョワの女性が日傘で突付いていたとか、そういう記録も読んだことがありますし、エリュアールの「二人の夜 Nuits partagees」の中には、比喩的に書かれた「つるはしの柄が付いた腐りやすい日傘」という言葉もあります。
なお、「思い出」の「太陽」をアルチュールと取る評論かもいますが…、やはり、父のフレデリックでしょうね。

ランボーがアフリカでやっと商売が軌道に乗り、金を実家に送ると、ママンが土地に変えてしまった、というようなことが、手紙にありましたよね。
まあ、日本もバブルの頃は、投資のために土地を買い漁っていた人も多いのですが、でも、rentier は何と訳したら良いでしょうね?
ヴィタリーなら、rentiere なのですが…。

■ Pension追加です
オーブ at 11/21(金) 01:44:49 No.paroparo-20031121011710

パロさん、

フランスの年金制度歴史の資料をがんばって読んでみました。
(それでもかなり斜め読みです^^;;)
pension と言う言葉が頻繁に出てきます。
なので、離婚や家族間の場合以外に何か意味があるのかと思って再度調べなおしました。
私の手持ちのフランス人向けの辞書、Petit Robert では、allocation, dotation をさしています。つまり、配当金とか手当てと言う意味です。
pension de retraite という例も載っていました。
まんざら、「年金」と関係ないわけではないみたいです。
どうもすみませんでした。(^^;;)
dotation には、教会、学校などの維持費と辞書に載っていました。
年金に関するpension をどういうときに使うのかは今のところちょっとわかりませんが、こういう資料の上では使われるのでしょうか。
夫によると、年金( retraite )と言うより、誰かを食べさせるために払うお金、pension alimentaire がほぼ一般的だと言うのですが。
う~ん、いろんな言葉があって複雑ですね。

そのほかに、奨学金や給費という意味もあるようです。

こんなにたくさんあると、どれを採用していいのやら・・。(^^;;)

余談なのですが、離婚の pension は精神的苦痛などの賠償金(?!)とは関係ないようで、あくまで食べていくための、前夫(妻?)からの支給金みたいです。

■思い出
オーブ at 11/21(金) 22:05:40 No.paroparo-20031121215816

「思い出」はまだ自分で訳していないのですが、確かにとても繊細ですね。

>おそらく高価なモロッコ革の表紙の本を読んでいるフレデリックとアルチュール、地主夫人の晴れ姿が、妙にはっきりと描かれています。

ほんとにそう思います、ここの部分ははっきりと、このマダムがヴィタリーだとわかりますね。
日傘と、母親はなんとなく合わないけどパロさんがおっしゃるように「晴れ姿」というのに納得です。
当時のブルジョアの女性はたいてい日傘をさしていますね。
ルノワールの絵の女性とか、たいてい日傘を持っている。

太陽はここではフレデリック(父)でしょうね。
でも将来の自分を父の姿に重ねているのかもしれない。
父と息子に去っていかれるかわいそうなヴィタリーです。
そういえば、兄のフレデリックも母と絶交して家を去ったと言われています。

■フランスの年金制度の歴史、訂正
オーブ at 11/22(土) 07:48:30 No.paroparo-20031122074459

すみません、重大な間違いをしてしまいました。

>なんと14世紀の最後の何年からか、この制度はあったようです。
でも今の制度とは少し違っていて、仕事をしてきた報酬、または戦闘によって身体障害になった人たちに支給されていたようです。
14世紀の終わりまでは、つまりこの制度が確立するまでは、やはり体が持つ限り、死ぬまで働いていたようです。

数日前にこんな書き込みをしましたが、14世紀ではなく、19世紀の間違いです。
ほんとにすみません。(^^;;)
中世に年金の制度があるなんておかしいな~と思ってたんです。

■フランス年金制度の簡単なまとめ
オーブ at 11/22(土) 08:02:48 No.paroparo-20031122075325

そこで、簡単にまとめてみますと、労働者のために年金の制度が成立したのが19世紀の終わりの何年かからですが、年金制度のさきがけになっていたような手当てが、19世紀にはすでにあったようです。
それは主に仕事に対する報酬だったり(公務員のみ?)、軍に関すること、例えば戦闘で身体障害者になった人たちなどに支給されていたようです。
これは1853年に法律で認められました。

■一般的な訳では…金利生活者?
Parolemerde2001 at 11/27(木) 00:34:13 No.paroparo-20031127000451

ベンヤミンの「パサージュ論」に、以下の文章がありました。
ブルジョワの権力者たちは、(金利生活者である)彼らが暮らしているその場では、多くの場合もはや、直接的かつ無媒介な形態では権力を所有していない。
今村仁司・三島憲一他訳、岩波現代文庫
前に、オーブさんの書いた投資という意味のことではないでしょうか。
この「金利生活者」が、どんな原語かは分りませんが、広い意味での投資のリターンで生活するという意味と考えられます。

19世紀のランボーの時代のイギリス(大英帝国)は、産業革命の先進国として、工業国と考えられますが、工業製品は入超で、実際は、植民地などへの投資のリターンが、国家収入であったということが、歴史の本に出ていました。
今風に言えば、資本のグローバル化の果実ということでしょうね。

■ 19世紀のフランス貴族
オーブ at 11/28(金) 02:37:07 No.paroparo-20031128021245

>19世紀のランボーの時代のイギリス(大英帝国)は、産業革命の先進国として、工業国と考えられますが、工業製品は入超で、実際は、植民地などへの投資のリターンが、国家収入であったということが、歴史の本に出ていました。
今風に言えば、資本のグローバル化の果実ということでしょうね。

19世紀のイギリスはもうそんなことをやっていたのですね。
それこそ「投資」の収入ですね。
私の場合「投資」と聞いて、真っ先に思い浮かぶのが「株」です。(^^;;)
あと、「土地活用」とか・・。(これはちょっと違うか)
ランボーは投資のリターンで生活したかったんじゃないでしょうか。
「金利」や「年金」では訳としてわかりにくいかもしれません。

すみません、ちょっと話がずれます。
この前、フランスで「アドルフ」という映画がテレビで放送されたのを見ました。
2002年の作品で、イザベル・アジャー二が出ています。
19世紀のフランス貴族の物語です。
彼らはとにかく、とっても退屈そうです。
仕事しないんですね、昔の貴族は・・。することといえば、パーティや音楽会、社交、ゲームなどまあ、道楽ですね。実際主人公も「退屈だ・・」と言っておりましたから。(^^;;)
狭い世界で、嫌でも毎日毎晩人づきあいをしなければいけないようです。(映画によると)
19世紀のいつ頃の話かまではわかりませんでしたが、ランボーが貴族を嫌ったのも分かる気がするような・・。(笑)
そこで、主人公アドルフは、自分よりもずっと年上の子供もいる奥さん(アジャー二)を誘惑するんですね、で、途中で飽きちゃうんですが、またやり直そうとしたり・・。
若さゆえに、というか暇だったんでしょうねぇ。

ところで、貴族は何で生活していたんでしょう?
財産でしょうか。
誰も働いているようには見えなかったですが・・。
お城で働いている人もいちおう身分は高いんでしょうね。

ランボーのお母さんは、土地のおかげで生活できましたよね。
特殊な生活環境だな~なんて考えていたら、ふと、この映画のことを思い出しました。

■貴族とブルジョワジー
Parolemerde2001 at 11/28(金) 23:42:13 No.paroparo-20031128234113

貴族は、要するに土地を所有していますから、そこで、農業などに従事する人から取り立てることができます。
今でも、ワインのシャトーとか、貴族がそのまま継いでいるものもあります。
国王といえども、貴族からは取り立てることは難しかったようです。
ブルジョワジーは、基本的には、大土地所有者などから、事業資本家、とくに産業資本家になった階級です。
歴史的に見ると、18世紀から19世紀の大きな流れです。
歴史の本によると、18世紀は比較的気候が温暖で安定していて、地域に富が蓄積され、それが産業革命の原動力となったとありました。

■お城
オーブ at 12/2(火) 03:17:19 No.paroparo-20031202025842

そうか、貴族は土地を所有していたのですね。
財産だけではいくらなんでも、全員が生活していくのは無理ですもんね。
確かに、今でも大きいお城の敷地内に家があって住んでいる人がいます。
あの人たちは貴族の末裔かもしれないと思っていました。
ベルサイユ宮殿の敷地内にも住んでいる人がいますよ。
とにかく敷地が広いですから・・。
さすがに、お城の近くには家はありませんが、プチ・トリアノンや、グラン・トリアノンの近くなど、お城から離れたところに家が並んでいました。
でも、現代だと売りに出されることがあるのかもしれません。

地方の小さめのお城だと一般の人でも買えます。
もちろん、お金持ちでなければだめですが・・。(^^;;)
お城を購入すると、中の補修工事などのリフォームが必要だし、 定期的に手も入れないといけないようなので、維持するのが大変そうです。
でも、こうやって古い建物が残っているのはいいことですよね。
日本家屋だと木造なので維持するのはもっと大変かもしれませんが・・。

すみません、話が脱線してしまいました。

18世紀は気候が安定していたのですか。
一番いい時期だったのかもしれませんね。
公害もないだろうし。
すごい空気がきれいだったんだろうな~と思います。

■ブルジョワとコーヒー
Parolemerde2001 at 12/3(水) 21:26:52 No.paroparo-20031203212526

オーブさん、こんにちは。
今、ベンヤミンの「パサージュ論」の2巻目を読んでいます。
ここに、レピシエがボードレールの時代のブルジョワを指しているという指摘がありました。
おそらく、見者の手紙の中の「レピシエ」のギャルソンは、これを踏まえているのでしょうね。
また、「渇きの喜劇」の中の「お茶とコーヒー」も同類でしょう。
こうした、言葉に対する感性は、日本語で生きてきた私にはなかなか解りません。
フランスでの読者はどうなのでしょうか。
アフリカでコーヒー豆の選別をしているランボーは、この意味が解っていたでしょう。
その時の彼には、すでにブルジョワは、どうでもよいことだったのかも知れません。

■「お茶」と「コーヒー」
オーブ at 12/10(水) 23:56:43 No.paroparo-20031210233403

パロさん、こんにちは。

「渇きの喜劇」の「お茶」や「コーヒー」はブルジョワを指しているのですね。
実際ランボーはこの頃、飲んだことがあったのでしょうか、それとも皮肉で書いているのかどうか・・。
パロさんのおっしゃる言葉の感性というのは、例えば、「お茶」イコール「ブルジョワ」のような、つまり隠語のことでしょうか。

フランスでは、かかわりたくないのに、ついてくる人のことを boulet と言います。本来の意味は大砲ですが、昔の囚人の足についていた鉄の玉のことからこう言われているようです。
日本では「金魚の糞」に近いでしょうか、ちょっと意味は違いますが。

話が前後してしまいました。
紅茶はなんとなく、上流階級なイメージがしませんか。
「お紅茶」といって、「お」がつくし。(^^)
コーヒーを入れるより、奥が深くて、紅茶セットは高級なイメージがあります。
あくまで私の考えですが。

コーヒーはフランスでは一般化されているので高級品というイメージはないのでは・・。
食後にみなが気軽に飲んでいます。
「サロン・ド・テ」はおしゃれで高級ですが、「カフェ」は庶民的ですしね!

■>「お茶」と「コーヒー」
Parolemerde2001 at 12/11(木) 21:48:30 No.paroparo-20031211214745

コーヒーに関しては、隠語という程のものではないと思います。
ブリュネル氏でしたか、の注によると、ナポレオンの大陸封鎖により、ランボーの祖父母の時代には、コーヒー、紅茶が貴重品であり、地方では、ブルジョワのものだったという意味の解説がありました。
マザグラン・コーヒーも、当時は高級品だったのでは。
現代のフランスとは、感覚はことなるでしょう。
ランボーは、キュイフ家の先祖のことを、「渇きの喜劇」で、パロディにしていますが、Grand のみを繰り返しています。
まあ、偉大、大物という意味でしょうか。
アルデンヌで有力な地主に成り上がった祖先に対する皮肉なのでしょう。

紅茶に関しては、よく解りませんね。
銀座に、マリアージュ・フレールというパリ?のレピシエの支店があります。
日本でも、江戸時代、とくに後期では、商人の力が強くなり、海産物問屋なども、当時の有力ブルジョワでした。

私は、紅茶は飲みません。
紅茶なら、日本茶か、中国の緑茶か白茶の方が好きです。

■マリアージュ・フレール
オーブ at 12/15(月) 05:23:09 No.paroparo-20031215051540

マリアージュ・フレールは高級ですね。
私も一度パリの本店に行ったことがありますが、お金持ちそうなマダムか、観光客がほとんどでした。でも、紅茶はほんとにおいしかった!!

先日友達の家に行った時、そのマリアージュ・フレールの紅茶が出てきました!
彼女は良く知らなかったみたいで、結婚のお祝いにもらったと言っていました。
バニラの香りがした紅茶で、とってもいい香りで、おいしかったです。
うちの近所のチョコレート屋さんにも紅茶が売っていますが、そこの紅茶もおいしいです。
ティーパックですが、やはり、リプ○ンのティーパックの紅茶とは違いますね。(^^;;)

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