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ランボー 後期韻文詩編

Larme

(第1稿)

鳥たちからも、羊の群からも、村の女たちからも遠く離れ
午後の生暖かく緑色のもやの中、
ハシバミの柔らかな林に囲まれた
とあるヒースの茂みにしゃがみ込み、ぼくは飲んでいた。

あの若いオワーズ川で、ぼくは何が飲めたのか、
ニレの若木は押し黙り、草には花もなく、曇り空。
あの里芋のヒョウタンから、ぼくは何を吸っていた?
汗ばませる、気の抜けた何やら金色のリキュール酒。

こうして、ぼくは宿屋の下品な看板だった。
それから、夕暮れまで、雷雨が空を変えた。
それは、暗い国々、湖、竿、
青い夜の中の列柱、船着場だった。

森の水は無垢な砂の上に消えていき、
空からの風が、沼に氷のつぶてを降りつけていた…
ところが! 金や貝をとる人のように、
ぼくには飲む気が無かったのだ!

1872年5月

フランス語テキスト


(タイトル無し) (第2稿)

鳥たちからも、羊の群からも、村の女たちからも遠く離れ
午後の生暖かく緑色のもやの中、
ハシバミの柔らかな林に囲まれた
とあるヒースの茂みにひざまずき、ぼくは飲んでいた。

あの若いオワーズ川で、ぼくは何が飲めたのか、
ニレの若木は押し黙り、草には花もなく、曇り空。
ぼくの明るい小屋から遠く離れ、あの緑色のヒョウタンから
飲めたのか? 汗ばませる何やら金色のリキュール酒。

宿屋の看板にとって下品な効果だ。
それから、夕暮れまで、雷雨が空を変えた。
それは、暗い国々、竿、
青い夜の中の列柱、船着場だった。

森の水は無垢な砂の上に消えていき、
神の風が、沼に氷のつぶてを降りつけていて、
そして、金や貝をとる人のように、
ぼくには飲む気が無かったのだ!

フランス語テキスト

第1稿は、ランボーから友人のフォラン Forain に渡されたもので、日付が入っています。この詩のテキストとされています。
第2稿は、タイトルが無く、1872年7月にヴェルレーヌのために筆写された原稿(ジャンコラ)とされています。
この他に、「地獄での一季節」の「錯乱 Ⅱ」にタイトル無しで引用された第3稿があります。第2稿は、第1稿から第3稿への転換がすでに見られる部分があるので、ここに完全な形で翻訳を掲載しました。


オワーズ川

 1872年2月、ランボーはヴェルレーヌと別れ、パリかららシャルルヴィルに戻されます。5月に再びパリに出てくるまでの間の、シャルルヴィル近郊の散策のときに発想された詩と思われます。春の靄(もや)に霞むアルデンヌの田園風景の中、行き場のないランボーが酒ビン(?)を手にさ迷っています。やがて空は暗く曇り、雲が流れ、激しい雷雨が襲います。ずぶ濡れになり、酔いからも覚め、呆然と立ちつくすランボーの姿でこの詩は終わります。なお、この詩は「地獄での一季節」の「錯乱 Ⅱ 言葉の錬金術」の中で、一部書き直されて最初に引用される詩です。「まず初めは習作だった。おれは、沈黙を、夜を書いた。表現不能のことを書き留めた。目眩を定着した。」に当たる詩と考えられます。
 ハシバミは、実のヘーゼルナッツの方が知られているかも知れません。2月から3月に雄花と雌花を付けますが、雄花は房状をしています。花期には葉はまだ出ていません。この詩の季節は春ですが、ハシバミは花期は終って葉が出始めた頃でしょうか。林には柔らかい tendres という形容詞が付いています。ハシバミの木の枝から柔らかいという訳にしましたが、優しい、あるいはやや古語で若いという意味にも訳せます。
 オワーズ川は、ベルギーから流れ出てパリの北西でセーヌ川に合流します。アルデンヌ地方を流れる川、音、そしてパリに出る川という意味で使われたと思われます。「若い」とは上流という意味でしょう。「金色のリキュール酒 liqueur d'or 」は、ビールのこととブリュネルは推測しています。リキュール酒 liqueur には、溶液という別の意味もあり、金の溶液という錬金術的な意味をダブらせたのかも知れません。「里芋(タロ芋) colocase 」は、サトイモ科の熱帯植物ですが、ヒョウタン(水筒)には使えません。これも言葉の音とイメージで使用したものでしょう。第3節4行目の「円柱 colonnades 」と音が似ています。「宿屋の下品な看板」は、酔っ払ったランボーが宿屋のまわりをうろついていることでしょう。「看板娘」ならぬ「看板酔っ払い青年」です。「宿屋 auberge 」は同時にレストランの場合もあります。なお、この詩にはどことなくエロチックな雰囲気があり、「ヒョウタン gourde 」には、隠語で睾丸と言う意味がある他、「里芋のヒョウタン」を乳房として満たされなかった母性への飢え、「下品な看板」は、「錯乱 Ⅱ」の引用では「いかがわしい louche 看板」と替えられていて、マスターベーションに結び付ける読みなどもあります。
 「それから…」以降は、天気が崩れて雷雨になり、黒雲の流れる空の幻想的なシーンが描かれます。「森の水」は驟雨で出来た水溜りでしょうか、「無垢な砂(複数)sables vierges 」は踏み跡などのないまっ新な砂地のことでしょう。「氷のつぶて glaçon 」は、辞書を見ると「氷塊」とか「氷片」となっています。水割りに入れる氷( ice cube )も glaçon です。友人ドラエーは「親しい思い出 Souvenirs familiers 」の中で、池の辺の枯れた葦に付いている霧氷ととらえています。私は、「天からの風が投げつける」氷、つまり雹(ひょう)と考えています。旧約聖書の「出エジプト記」で、神がエジプトにもたらした「モーセの十災」のひとつが雹と雷でした。
 「金や貝をとる人」は、足は川に浸かっています。この表現は、さまざまな意味にとられています。金は砂金なのでしょうか、錬金術を暗示しているように思えます。貝は、女性の性器を暗示していると思われます。いずれにせよ、情景としては、ずぶ濡れになって足を水(沼か水溜りか分かりませんが)に突っ込んで立っているランボーの姿しか思い浮かびません。霧と雨の描く幻想の世界が、空から(神)の風が投げ入れる雹によって消し去られました。魔法が覚めて、幻影を求める気持ちも冷めてしまったという意味でしょう。
 この詩は、ランボーの故郷喪失の詩ではないでしょうか。故郷のシャルルヴィルに戻ってきたランボー、そしてその周りには、かっては初期詩編に描かれた美しい自然が広がっている、しかし、お目当ての女性ももういない、ただ沈黙した早春の自然が広がっているだけ…。喪失感は、満たされなかった欲望への悔恨として、この詩のエロスを作っていると思います。タイトル「涙」は、喪失感と悔恨に対するランボーの心情でしょう。なぜか、島崎藤村の「千曲川旅情の歌」を思い出します。

翻訳・解読掲載:2002年5月15日、2002年7月8日、2006年4月8日更新

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