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ランボー 後期韻文詩編

Picture Image of Après le Déluge

Doll & Photo:Doll Space Remi, CG "ombre":Kunio / KunioMonji.com

 

Mémoire

思い出

子供時代の涙の塩のように、透き通った川の流れ、
太陽を襲う女たちの肉体の白さ、
とある乙女が守った城壁の下に
咲き乱れる清らかな百合の絹の王旗、

はしゃぎ回る天使たち。 ― 違う…。暗く、重く、特に爽やかな
草の腕を振りながら、進み行く黄金の流れだ。
天蓋とする青い「空」の前で、彼女は身を沈め、
帳のために丘と弓橋の影を呼び寄せる。

ああ、濡れた石床は透き通る泡を敷き詰める!
用意された婚姻の床を、川は淡く底知れぬ金で飾る。
少女たちの色あせた緑の服は、柳の林となり、
そこから、自由になった鳥たちが飛び立つ。

つかの間の真昼に、そのどんよりとした鏡の水面から、
ルイ金貨よりも純度の高い、黄色く熱いまぶたの
リュウキンカは ― おまえの結婚の誓、おお、人妻よ! ―
熱い灰色の空の、バラ色の愛しい「球体」に恋焦がれる。

マダムは農作業の屑が雪のように舞い落ちる隣の草地に、
えらく真っ直ぐに立っている、手には日傘を持ち、
散形花を踏みつけて。彼女のためにひどく誇らしげに、(訳注1)
子供たちは、花咲く緑野で読んでいる

赤いモロッコ革の本を! ああ、「あの人」は、
道の上で散りゆくたくさんの白い天使たちのように
山の彼方に遠ざかってゆく! すっかり冷たく、暗くなり、
彼女は、去って行ったあの男を追って流れてゆく!

清らかな草のたくましく若い腕への断ち切れぬ思いよ!
神聖なベッド(訳注2)のまんなかの4月の月の金の光よ!
この腐敗を生じざせる8月の夕べに蝕まれた
見捨てられた川岸の作業場の歓びよ!

彼女は今は砦の下で泣けば(訳注3)いいのだ!
そよ風のひと吹きに、上からポプラの木々がため息をつく。
それからは、反映のない、湧き水のない、灰色の水面、
そこでは、動かぬ船の中で、年老いた浚渫夫が働いている。

どんよりした水の目の玩具、おお、動かぬ小舟!
おお、短すぎる腕! あそこの、ぼくを悩ませるあの黄色い花も、
灰色の流れの友だちのあの青い花も、
あの花もこの花も、ほくには摘めない。

ああ! 翼がゆり落とす柳の花粉!
かなり前にむさぼり食われた葦原のバラ!
ぼくの小舟は、いつも動かぬまま、鎖を引かれる
縁のないこの水の目の底に、 ― どんな泥に?

フランス語テキスト

翻訳掲載:2001年3月5日、2006年3月31日更新


川と太陽

 「思い出」あるいは「記憶」というタイトルのこの詩は、ランボーの幼年期から少年期の記憶の中の情景を描いた詩です。タイトルの訳に悩みましたが、第3節の母ヴィタリーの姿、そして兄とともに本を読んでいるランボーの姿が生きいきと描かれているので、「思い出」としました。しかし、他の節は記憶の中の象徴的なイメージのように見えます。12音綴の韻文詩で難しい表現の部分もあり、始めは意訳を試みましたが、改めて、より原詩に近い直訳に直しました。この川(水)の流れ、あるいは水面に喩えられる女性と、太陽に喩えられる男性とに表わされている象徴性は、同じ後期韻文詩編の「永遠」などと共通していると思われます。この詩では、具体的には、ランボーの母ヴィタリーと、去っていった軍人の父フレデリックのことなのでしょう。最後の第5節では母の情念という水面に漂うランボー自身の姿を小舟に喩えています。この思い出の小舟は「酔いどれ船」(初期詩編)となり大河を下りイマジネーションの大海原を航海する訳ですが、「酔いどれ船」の最後でも少年の遊ぶ「5月の蝶のようにか弱い舟」の思い出に戻っていきます。 第5節の「小舟」は、「酔いどれ船」の最後で少年が遊ぶ舟と、同じ舟なのでしょうか。パリの写真家アジェの作品に「リュクサンブール公園の船貸家(1899年)」があります。当時のブルジョワの子供たちが公園の池で遊んだ立派な模型の帆船です。今でも、この模型船(有料)はあるようです。幼いランボーがムーズ川で、同様の模型の船で遊んだとは考え難いです。それは立派な玩具ではなく、紙や草の舟だったのかも知れません。この舟は、川岸のややよどんだ水の流れの小さな渦に巻き込まれてしまってゆっくりと回って、流れに咲く花にも岸辺の花にも近づくことができません。友人ドラエーは、少年ランボーが兄のフレデリックと一緒にムーズ川の河岸に鎖で繋がれていたボート(ジャンコラは「ヴィタリー・ランボー」(注)の中で「隣人のなめし革職人の小舟」と書いている)に乗って遊んでいたことを回想しています。鎖を引きずり進まない小舟は、このボート遊びの「思い出」も反映しているようにも思えます。おそらく、「水の目」は川の流れの渦であり、同時に幼いランボーを監視する母親(マダム)の眼も暗示していると思われます。1872年5月、ランボーは再びパリに出てきて、この「思い出」などの後期韻文詩編を書きますが、その前はヴェルレーヌと別れてシャルルヴィルの実家に戻っていました。母親の「水の目」の監視から自由になれない己の姿は、「黄金時代」ではパロディーとして描かれています。なお、「地獄での一季節」の「錯乱 Ⅱ 言葉の錬金術」の草稿には、「黄金時代」と「思い出」の引用指示が書込まれていましたが、決定稿では引用されませんでした。ジャンコラが「ヴィタリー・ランボー」で書いたように、母と子の関係が少なからず変化したことの反映なのでしょうか、あるいは、印刷代を負担してもらう母への妥協があったのでしょうか。「地獄での一季節」には、ランボーと母の確執のテーマは書かれていません。「地獄の夜」に両親としてわずかに出てくるだけです。

 第1節の初めは太陽を反射して白く輝く川が女性の裸体に喩えられています。とある乙女とはジャンヌ・ダルクのことでしょうか。百合、白百合は、処女性の象徴であるとともに、フランス・ブルボン王家の紋章でもあります。カトリック信者で王党派であった母ヴィタリーの結婚前に繋がるイメージなのでしょうか。第2節は、夫である太陽を待つ、妻である川のイメージでしょう。ジャンコラの注では、リュウキンカ souci d'eau は、太陽を追って向きを変える花で、正午には最も黄色くなる(見える)、太陽への貞節のシンボルと書かれています。なお、souci には、心配、関心という別の意味もあります。第2節は、第4節の表現も合わせて、ストラスブールに戻った夫と過ごすために子供を預けて何日間か出かけた母ヴィタリーの夫への強い情念を思わせる表現です。しかし、夫フレデリックはイザベルをヴィタリーの胎内に宿して去ります。イザベル誕生後、家族はしばらく一緒に過ごしますが、ランボーが6歳になる少し前に、決定的に離別します。第3節は唯一リアルなイメージとして書かれていますが、ランボーが7歳の時、ロッシュの土地を相続した母ヴィタリーの晴れ姿なのでしょう。「農作業の屑」と訳した部分は les fils du travail です。fils は糸 fil の複数形で、直訳すれば「(その)労働の糸(複数)」となります。かけ離れたことかも知れませんが、NC旋盤の電子制御作業台を WORK と呼ぶことを取材で知りました(2006年4月)。WORK はフランス語なら TRAVAIL になると思います。作業する場所全体、つまりは農場のことと考えると、糸は農産物の屑、たとえば麦を脱穀した時に出る糸状の屑とか…と再度、考えました。『フランスの歴史』(ケンブリッジ版世界各国史/河野肇訳/創土社/2008年)には、19世紀には脱穀機が普及したと書かれていて、脱穀した殻の粉が舞って明るい煙のように見える写真が掲載されていました。なお、「太陽の糸」という翻訳もあります。日傘と結びつけた解釈と思いますが、travail に太陽の光という意味があるかは調べた範囲では判りませんでした。日傘、パラソル ombrelle は、クロード・モネの有名な『日傘をさす女』の絵のように、ブルジョワ婦人のシンボルと思われます。散形花(序) ombelle は、花序軸の先端に有柄の花が多数集合するものとあり、ombelliferes でセリ科という意味です(ロワヤル仏和辞典)。言葉としての類似だけでなく、19世紀の辞書 Bescherelle によると、ombrelle の代わりに使われたと、ジャンコラが指摘しています。緩やかなドーム状の集合花が、日傘に似ています。さらにこのドームは「母音」と同様、乳房を意味し、それを踏みつける行為は、女性を否定して(捨てられて)子供たちの将来に希望を託す母ヴィタリーを暗示しています。赤いモロッコ皮の本は、成績優秀なランボーが賞としてもらった本と取られています。第3節と第4節の彼女は、川であるとともに、母ヴィタリーでもあるのでしょう。第4節は、太陽つまり夫の去った夕暮れの川の情景です。作業場は、ドラエーによるとメジィエールにあった川から採取した砂を篩い分ける作業場とブリュネルの注に書かれています。この節は現実と象徴が入り混じった展開になっています。第5節には夕暮れの川辺で遊ぶランボー自身の姿が象徴的に描かれています。
 結婚後ほとんど家に戻ってこなかった軍人の夫、夫の帰宅の度の妊娠、実家キュイフ家の相続争いと父の死、シャルルヴィルで頑なに自己を閉ざした母ヴィタリー。子供を学校に入れる経済的余裕が出来るまでは、ヴィタリー自身が聖書や土地の寓話を読んで聞かせたとジャンコラのランボーの伝記には書かれています。ランボーの記憶の中に残った母の情念、母の情念に囚われたランボー自身が、象徴化、抽象化されて、美しく描かれたただひとつの詩です。

訳注1) 行末に「;」があるテキストもあります。その場合、この部分は前文に掛かります。草稿の写真版(テクスチュエル)で調べてみましたが、行末ぎりぎりで切れているため断定はできませんが、「;」は書かれていません。
訳注2) 神聖なベッド saint lit は、始め小道 sentier と書かれていました。
訳注3) 泣く pleure は、始めつぶやく・不平を言う murmure と書かれていました。
注) ヴィタリー・ランボー―息子アルチュールへの愛/水声社/クロード ジャンコラ著/加藤京二郎・齋藤豊・富田正二・三上典生訳/2005年

解読掲載:2001年3月5日、7月30日、2003年10月26日、
2006年3月31日、6月29日、2008年10月24日更新

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