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ランボー 初期詩編

Picture Image of Ophélie

Doll & Photo:Doll Space Remi, CG "Opheria":Kunio / KunioMonji.com

 

Ophélie

オフェーリア

                  Ⅰ

星のまどろむ、静かな黒い流れを
蒼白いオフェーリアが、長いヴェールをしとねに、
大きな百合の花のように漂いゆく…
― はるかな森からは、角笛の音が聞こえる。

千年よりも昔から、悲しいオフェーリアは
白い幻となり、はてしない黒い大河を流れてゆく
千年よりも昔から、オフェーリアの切ない恋狂いは
暮れゆくそよ風に、あのロマンスをつぶやく

風は彼女の乳房にキスをして、
波にゆらめくヴェールを花びらのように押し広げ、
柳の枝は肩の上で震えながらすすり泣き、
葦は夢見る広い額をのぞき込む。

押し寄せられた睡蓮はため息をつき、
眠れるハンの木の梢では、ときおり ―
目を覚まされた小鳥の巣から羽ばたきの音がして、
― 黄金の星座からは神秘な歌が聞こえてくる

                  Ⅱ

おお、蒼ざめたオフェーリア! 雪のように美しい!
そうだ、おまえは少女のうちに川に流されて死んだのだ!
― ノルウェーの高い山から吹きおろす風が
辛い自由をひそひそ声でつぶやいたから、

おまえの豊かな髪をもてあそぶ風が
夢見る心に見知らぬざわめきをもたらしたから、
樹のうめきと夜の吐息に
おまえの心が「本能」の歌を知ってしまったから、

狂おしい海の激しいあえぎが
おとなしくやさしいおまえの少女の胸を引き裂いたから、
四月の朝、蒼ざめた麗しい騎士が、
あの哀れな気狂いが、黙っておまえの膝に座ったから!

天よ! 愛よ! 自由よ! なんという夢か、哀れな「狂女」よ!
雪が火に溶けるように、おまえはあの人に溶けてしまった、
大きな幻に言葉もつまり、
― 青い目は恐ろしい無限におびえていた!

                  Ⅲ

― そして詩人は語るのだ、星の輝く夜になると
摘んだ花を探しに、おまえが来ると、
長いヴェールに横たわる蒼白いオフェーリアが
大きな百合の花のように流れを漂うのを見たと。

1870年5月

フランス語テキスト

翻訳掲載:2001年2月18日、2003年4月14日


千年の恋

 タイトルの「オフェーリア」は、シェイクスピアの戯曲「ハムレット」の登場人物で、主人公のデンマーク王子ハムレットの恋人であり、ハムレットに父を殺され、気が狂い、川に落ちて、流されて死にます。もともとは北欧民話であり、12世紀頃より物語化され、17世紀始めにシェイクスピアにより戯曲化されました。この詩も「センセーション」と同じ頃の、ランボーの初期の作品です。ランボーの教師だったイザンバールがラテン語詩の課題として出したテーマに、ランボーはフランス語詩も付けました。この詩は、1870年5月、高踏派の詩人テオドル・ド・バンヴィルに「現代高踏派詩集」に掲載してもらうために、「センセーション」、「一なるものを信じる…」とともに手紙で送られました。しかし、雑誌への掲載はありませんでした。おそらく1870年5月に書かれたと考えられるこの詩のテキストとして、他にイザンバールに送られたもの、ドムニーに送られたものがあります。ここでは、一番最後に書かれ、完成度が高いと考えられるドムニー詩帳のテキストを翻訳しました。なお、フランス語の Ophelie と、英語の Ophelia の両方が、詩の中では使われています。これは、韻文詩としての音によるものと、シェイクスピアの「ハムレット」の暗示からと思われます。
 テオドル・ド・バンヴィルは、シェイクスピアのオフェーリアを賞賛し、彼の詩のモチーフとして取り上げていました。さらに、ランボーはロンドンのテート・ギャラリー所蔵のミレーの絵画、「オフェーリア」をヒントにしたとも言われています。以下のサイトを参照してください。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:John_Everett_Millais_-_Ophelia_-_Google_Art_Project.jpg
このミレーはイギリスの画家 Millais, John Everett (1829-96) で、「落穂拾い」を描いたフランスのミレーではありません。19世紀のイギリスは、女性とくに上流階級の女性に対して、道徳的に非常に厳しかったと言われます。社会的な束縛により愛の思いを遂げられない女性をテーマにした絵画が描かれ、共感を呼んだようです。このミレーの絵はその代表とされます。フランスは19世紀後半、上流社会は性に対してもっとオープンだったようです。もっとも、イギリス女性も、国内はともかく海外旅行では、パワフルで羽目を外すことも多かったと記録に残っていますが。
 ランボーは、この詩を何で書いたのでしょうか。当時の大詩人、テオドル・ド・バンヴィルへのオマージュでしょうか。それとも、対抗意識でしょうか。しかし、この他にもテーマがあったように見えます。
 ランボーの後期韻文詩編に「思い出」という詩があります。この詩の中で、ランボーは母のことを描いています。川は妻であり母であり、太陽は夫であり、そして水面に浮かぶ小舟は「酔いどれ船」になる前の幼いランボーです。この「思い出」でも、去りゆく太陽、つまり夫に捨て去られた婦人のやるせない情念が描かれています。実際には信心深く厳しい母、そして仲の悪かった母子であったかも知れませんが、母と幼年期のランボーの情念の共有を感じずにはいられません。この「オフェーリア」にも、女性の情念がすでに描かれていて、とても女性的で繊細な詩です。この流れは、伏流となり、悲しみとともに「イリュミナスィオン」の「大洪水」にあふれ出たのでしょうか。「黒い流れ」は、「黒い(暗い)静かな波(流れの意味もある)」であり、「黒い波」で「三途の川」という意味があるそうです。百合は「思い出」にも出てきますが、処女母の象徴であり、またフランス王家、ブルボン王朝の紋章でもありました。遠くから聞こえる「角笛 hallalis (複数)」は、獲物を追い詰めた合図であり、テクステュエル版のクロード・ジャンコラの注には「猟犬を用い騎馬で行う狩猟で、追いかけた獲物を殺すことが近いことを知らせる角笛の音」と書かれています。毒剣で刺されるハムレットたちの暗示なのでしょうか。
 狂気を装うハムレットに命じられた尼寺には行かず、恋に狂い死ぬオフェーリアは、キリスト教の千年王国の千年という年月が過ぎ去っても、天国に入れないまま、かって自分の花言葉として摘み取った花々を探しに、霊となりこの世にさ迷うということを、この詩の詩人ランボーは語っているのでしょう。ノルウェーの山に関しては、デンマークの北という意味で使われていると解説されています。
 ランボーはこの詩で、異教のオフェーリアを描いています。愛と自由のために、そして言葉としての花を探してさ迷い続けるオフェーリアに、ランボーは自我を投影しています。しかし、それはジャンコラが言うような同一視ではなく、最後に出てくる「詩人」としての眼差しで捉えられた絵姿ではないかと私は思います。

解読掲載:2001年2月18日、2003年4月14日、2014年1月15日リンク更新

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