初期詩編

Poésies

Le Dormeur du Val
谷間に眠る人

そこは、緑野にあいた穴だ、川が歌っている
銀色のぼろ着を狂おしく草にかけながら
そこは、光が泡立つ、小さな谷間だ、
誇らしげな山からは、太陽が輝いている。

若い兵士がひとり、口を開け、何もかぶらず、
青々として冷たいクレソンの中に首筋を埋め、
眠っている。草の中に横たわり、雲の下、
光が降りそそぐ緑のベッドに、青ざめて。

グラジオラスの茂みに足を入れ、眠っている
病気の子供のように微笑みながら、ひと眠り:
自然よ、この兵士を暖かく揺すれ、寒いのだ。

花の香りにも鼻をうごめかさないで:
片手を静かな胸に乗せ、日ざしの中で兵士は眠る
右のわき腹には、ふたつの赤い穴がある。

                                       アルチュール・ランボー

    1870年10月

フランス語テキスト

翻訳:門司 邦雄
掲載:2003年2月12日

英訳はこちらです。
英訳:門司 邦雄、アレンジ:ichico
掲載:2003年3月1日、2004年12月6日


グラジオラス


 この詩はドムニーの詩帳の2冊目に収録されています。
私がこの詩に興味を持ったのは、フランス人がランボーの詩の中でとくに好きな詩のひとつらしいからです。フランス詩の検索サイトの2002年12月、2003年1月を通して、検索された詩の3位でした。(注)初期詩篇の中でも異色の詩に思えます。

 自然の中に横たわる死者のモチーフは、すでに高踏派の詩にうたわれていました。ルコント・ド・リール の詩「つる草の茂る泉 La fontaine aux lianes 」(詩集「 Poemes barbares (蛮族の詩)」1862年)には、以下のように書かれています。

  ……
  そして、深い森の厚いドームの下、
  広がった林の中の青い湖の片隅に、
  波の経帷子に包まれて、眠っていた
  死んだ人が、目は天を向き、砂をしとねに。

  彼は眠ってはいなかった、オフェーリアのように静かに、
  そして、彼女のように微笑んで、両腕を胸の上に乗せ。
  ……

 1870年7月に普仏戦争が始まります。9月にはナポレオン三世が降伏し、第二帝政は崩壊、臨時国防政府が成立します。ランボーは新しい政治の流れを感じ取っていました。この詩の日付は1870年10月であり、ランボーの2回目の家出の時に書かれた詩です。この家出の時にランボーは自作の詩をまとめて清書してドムニーに渡しました。まだランボーが高踏派をはじめとする当時のパリの詩人たちに憧れを抱いていた時期でした。同時に、少年らしい欲情と夢想に溢れた、軽く楽しい詩を書いた時期でもありました。

 この詩に書かれた光景が、実体験に基づいているか否か、二通りの見方があります。ただし、シャルルヴィル付近、実際には隣町のメジィエールで戦闘が行われたのは1870年の12月からで、翌71年1月にはプロイセン軍によりメジィエール、シャルルヴィルが占領されます。このときのことは、友人ドラエーの「親しい思い出 Souvenirs familiers 」(邦訳「素顔のランボー」宇佐美斉訳/筑摩書房)に詳しく書かれています。私は実際に兵士が横たわっているのは見ていないのではないかと考えています。高踏派の詩をヒントに、実際に見た自然の景色と若い兵士を合成したのではないかと考えています。この詩の第1節は俯瞰気味の全景が描かれ、第2節からは兵士がズームアップされます。この視点移動に関して、汽車での旅行が何らかのヒントを与えたのではないかと私は考えています。ヘリコプターから撮影した映画のシーンを見るような印象を受けます。

 タイトルは、そのものズバリの「谷間に眠る人」です。最初の部分は、C'est (それは…)で始まっています。この詩では場所を指しているので、「そこは…」と訳しました。私がこの詩を最初に読んだのは、邦訳でした。「銀のつづれを…かけながら」という訳文でした。浮かんだシーンは日本の山間の急流で、日光を浴びた飛沫が光っている情景でした。いろいろ読んでいくうちに、川の水面に反射した日光が、岸辺の草に反映している情景だと分かりました。太陽も山の端に近いので、おそらくは朝の情景をイメージしたのでしょう。最初の C'est un trou (直訳:それはひとつの穴です)という出だしと、最後の行の Il a deux trous (直訳:彼はふたつの穴を持っている)が対応しています。「緑野」と訳した verdure は、緑の色彩とともに草木も表しています。聖書の創世記の「地は草を芽生えさせよ」(新共同訳聖書)は、フランス語の聖書( La Bible de Jerusalem )では、Que la terre verdisse de verdure です。

 どこか不思議な陰影を帯びながら、緑の野を流れる川の水辺と、そこに眠る若い兵士の描写が続いていきます。グラジオラスは、アフリカ原産、和名はトウショウブ、アヤメ科の花です。花の色は、赤、黄、白、青など豊富です。私がインターネットでフランスのサイトを調べた範囲では、赤い花、次に青い花が多く、黄色い花はあまり掲載されていませんでした。17世紀中頃よりヨーロッパで品種改良が行われはじめ、19世紀にドイツ、フランス、ベルギーで品種改良されて流行したそうです。しかし、10月は花期ではないことも含め、この花はランボーのイマジネーションで描かれたと私は考えています。なお、プレイヤッド版( A. アダン編)の注によると、M. Claude Duchet は、このグラジオラスを、アルデンヌ地方の小川沿いや小沼地にたくさん見られ、6、7月に黄色い花を咲かせる沼地のアイリスのことを指すとしています。グラジオラスは葉が剣の形からラテン語の剣( gladius )から来た名前です。ランボーは名前のイメージから、グラジオラスを兵士に供えたのではないでしょうか。1871年5月のパリ・コミューンをモチーフとした詩、「パリ市民の戦いの歌 Chant de guerre Parisien 」には、「「トリック」の大物のお仲間だ!/グラジオラスに寝ころがり、」と書かれています。このグラジオラスは打ち負かされたコミューン兵士の武器(剣)を象徴しているのでしょう。

 最後の行で、この若い兵士が死んでいることが分かります。兵士は美しく死んでいます。ここで撃ち殺されたのではなく、だれかに運ばれて来たのでしょうか。そうも思わせる結末となっています。あるいは、このグラジオラスを赤い花と捉えた場合は、緑の草についた兵士の血痕をイメージしているとも見ることができます。そして、グラジオラスの花よりもさらに赤いわき腹の穴…という絵を思い浮かべることもできます。兵士は、単数の手 la main を胸に乗せています。この詩のポイントの言葉と考え、あえて「片手」と訳しました。死者の組んだ(組まされた)手ではありません。胸に乗せられた手は、虚しい誓いを表していると思います。国家への誓いでしょうか、あるいは神(聖書)への誓いかも知れません。そして、輝く自然に際立たされた「誓いの虚しさ」こそが、この詩のテーマではないでしょうか。

注) フランス詩検索サイト Poesie francaise の月別アクセス集計です。
http://poesie.webnet.fr
詩別の集計で、「谷間に眠る人」は2002年12月、2003年1月ともに3位です。
詩人別の集計では、ランボーは2ヶ月連続で10位、1位は2ヶ月連続でヴィクトル・ユーゴーです。詩別の集計でも、1、2位はユーゴーでした。詩人別の集計2位は、2002年12月はヴェルレーヌ、2003年1月はボードレールでした。

解読:門司 邦雄
掲載:2003年2月12日、27日、4月14日、9月20日

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