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ランボー イリュミナスィオン

À une Raison

ある理性に

 君の指の太鼓の一打ちで、全ての音は解き放たれ、新しいハーモニーが始まる。
 君の一歩で、新しい人々は決起し、前進する。
 向こうを向けば、新しい愛! 振り向いても、 ― 新しい愛!
 「ぼくらの運命を変えてくれ、災いをふるいにかけてくれ、まずは時間から」と、この子らが君に歌う。「どこでも良いから、我々の幸運と願いの実体を築いてくれ」と、君は頼まれる。
 いつも来てくれた、どこにでも行ってくれる。

フランス語テキスト

翻訳掲載:2001年8月3日

 


理性崇拝

 「理性」はフランス語で raison 、仏仏辞書には「人間が原理に従って、認識、判断、行動できるようにする能力」と出ています。日本語の「理性」は、どちらかというと善悪の判断力のような意味が強いと思われます。この詩の「理性」は、理論とか思想とかの意味に近いようにも思われますが、ぴったりする訳語が見つからず、「理性」と訳しました。パリ・コミューンの思想などと関連づけて考えられていますが、ランボーの「見者の手紙」に書かれた「理論」「思想」のこととも考えられます。この「理性」は、後で書くように、反キリスト教の「理性」です。
 最初の行は「見者の手紙」の中の「ぼくが弓をひと弾きすれば、シンフォニーは深淵の中で鳴り出し、あるいは一気に舞台に現れます。」という文章を思い出させます。
 この詩では、あるという不定冠詞が付けられているので、ランボーの考えている「理性」ということでしょう。この「理性」は、より普遍化して、「イリュミナスィオン」の最後に位置する詩「魔神 Genie 」に現れます。「あいつが愛なのだ、新たに創り出された完璧な尺度、驚くべき思いもよらぬ理性(思想)なのだ。」と。私には「魔神」=「理性」ではなく、「魔神」は、新しい愛であり、新しい理性であるという、魔神の属性の意味に取っています。
 この理性は、どこから来たのでしょうか。元々はフランス革命後、ジャコバン革命政府の過激派が、カトリックの強いフランスで教会の政治力を排除するために、あたらしい規範として「理性」を打ち出して、「理性の祭典 Culte de la Raison (1793)」を行ないました。理性の殿堂と改名されたノートル・ダム寺院での祭典(オペラ )の他、地方でも祭典、そして聖職者の追放、教会の略奪なども行なわれました。フランス語では、実際に行なわれた祭典には、祭り fete が使われていますが、日本語の歴史文献では区別されていないようです。キリスト教ではない、新しい時代思潮として、人間の理性を神に替わるものとする試みでしたが、実際には、農民を始めとする国民には、カトリックは深く根を下ろしていて、国民の反感を恐れた革命政府は、信仰の自由を再確認し、この運動を止めました。ロベスピエールは、神に替わる存在を提唱し、「最高(至高)存在の祭典 Culte de l'Etre supreme (1794)」がとり行われましたが、テルミドールの反動でジャコバン派が倒されるとともに、政治運動としての「理性」は、歴史の背後に移ります。
 なお、この詩はフランスのシュールレアリストの詩人、ポール・エリュアールに影響を与えたことでも知られています。

解読掲載:2001年8月3日、2008年10月29日更新

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