イリュミナスィオン

Illuminations

Angoisse
苦悩

 いつも打ち砕かれてきた野心を、「彼女」がおれに許すことができるのか、―安楽な結末が貧苦の年月を償えるのか、―成功の一日がおれたちを、宿命的無能力の恥辱の上で眠らせるのか、
 (おお、棕櫚よ! ダイヤモンドよ!―愛よ、力よ!―あらゆる歓びと栄光より高く!―あらゆる手段で、どこででも、―悪魔、神、―この人間の「青春」;おれだ!)
 科学的魔法の出来事と社会的友愛の運動が基本的自由権の漸進的復権として、どうして大切なんだ?…
 だが、おれたちを大人しくさせた「女吸血鬼」は、あいつがおれたちに残したもので楽しんでろ、さもなければ、おれたちはもっと滑稽になるだろうと、命令する。
 傷だらけになるまで転がるのだ、うんざりさせる空気と海の中を;罰を受けるまで、殺人の水と空気の沈黙の中を;あざ笑う拷問を受けるまで、凶暴にうねる沈黙の中を。

フランス語テキスト

翻訳:門司 邦雄
掲載:2001年11月28日、2020年10月28日


女吸血鬼


 この「苦悩」の原因は、「彼女 Elle 」です。フランス語の場合、「彼女」は女性形の名詞を指し、必ずしも女の人を指しているとは限りません。Elle は第4節で出てくる「女吸血鬼」を指しています。なお、タイトルの「苦悩 Angoisse 」も女性名詞です。

 「彼女=女吸血鬼」については、死、キリスト教、体制など様々な解釈があります。ランボーもひとつの言葉で表せない社会的圧力を「彼女」と表現したように思います。書かれた時期から考えると、「苦悩」の「彼女 女吸血鬼」はブリュッセル事件という「死」の体験をする前であり、「永別」の「彼女」はブリュッセル事件後に書かれ、人の死体を漁る「女食屍鬼」です。そして「首都の」の「彼女」は過去の記憶の中でさらに抽象化していったように見えます。

 「彼女」もランボーとともに変わって行ったとしても不思議ではないと思います。そして、何よりも、見える者ランボーの自由、生命力を奪うこの「彼女 女吸血鬼」には、信心深く、とても厳しかった母親の影が投影されています。
 なお、「おれたち」とは、ランボーとヴェルレーヌの見える者夫婦、地獄の夫婦のことでしょう。

 第1節1行目から代名動詞が使われ、主語「彼女 Elle 」がはっきりしません。Elle が「女吸血鬼」を指していると分かるのは、後半の第4節まで読み進んでからです。また、2行目以降は、関係代名詞 que で繫がっています。
 第5節は Rouler の繰り返しが省略されています。aux …, par …, aux …, dans … に続いています。
 ランボーは意図的に婉曲表現を取ったと思います。
 もう一度、翻訳を見直してみましょう。

 「彼女」がいつも打ち砕いてきた野心を、「彼女」が今さらおれに許すのか、―安楽な結末が貧苦の年月を、「彼女」が今さら償うのか、―成功の一日がおれたちを、「彼女」が今さら宿命的無能力の恥辱の上で眠らすのか、
 (おお、棕櫚よ! ダイヤモンドよ!―愛よ、力よ!―あらゆる歓びと栄光より高く!―あらゆる手段で、どこででも、―悪魔にして神、―「青春」のこの存在;それがおれだ!)
 科学的魔法の出来事と社会的友愛の運動が基本的自由権の漸進的復権として、どうして大切なんだ?… それは噓だ。
 だから、おれたちを大人しくさせた「女吸血鬼」は、あいつがおれたちに残したもので楽しんでろ、さもなければ、おれたちはもっと滑稽になるだろうと、命令する。
 傷だらけになるまで転がるのだ、うんざりさせる空気と海の中を;罰を受けるまで転がるのだ、殺人の水と空気の沈黙の中を;あざ笑う拷問を受けるまで転がるのだ、凶暴にうねる沈黙の中を。

 コロナウィルスが猛威をふるう今のフランスを、フランスのメディアでは angoisse と表現しています。

解読:門司 邦雄
掲載:2001年11月28日、2020年10月29日

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