イリュミナスィオン
日々と季節、そして人々と国々をはるか後にし、
北極の海と花の絹の上に血を流している肉の旗;(海も花も存在しない。)
昔の英雄的軍楽から回復し―それは今なお、おれたちの心と頭を冒しているが―古の暗殺者から離れて―
おお! 北極の海と花の絹の上に血を流している肉の旗;(海も花も存在しない。)
いい気持ちだ!
燃えさかる燠火は、霧氷の疾風となって降りつける、 ―いい気持ちだ! おれたちのために永遠に焼きつくされた大地の心が投げつける―ダイヤモンドの嵐となって降りつける火。おお、世界よ! ―
(今も聞こえ、今も感じる、昔の隠遁と昔の情火から離れて、)
燃えさかる燠火と泡立ち。音楽、渦潮の旋回と氷のつぶての星への衝突。
おお、いい気持ちだ、おお、世界、おお、音楽! そして、あそこには漂う姿、汗、髪の毛、目。さらに、たぎりたつ白い涙、―おお、いい気持ちだ!―そして、北極の火山と洞窟の奥にまで届いた女の声。
旗が…
フランス語テキスト
翻訳:門司 邦雄
掲載:2001年11月28日、2004年9月24日、2020年10月31日
フラッシュバック
1874年イギリス、春まだ早いロンドンの港、青みがかった灰色の海と空の彼方から冷たい風が吹きつけ、霰混じりの冷たい雨が顔に痛い。停泊している巨大な船は静かに揺れ、マストにはユニオンジャックが強風にちぎれるように旗めいている。
雨に濡れた旗の赤が、海よりも青い旗の青と、花よりも白い旗の白の上に、血のようににじむ。あれは血の旗ではなく肉の旗なのだ。旅人は三色旗も血の赤旗も捨てた。やがて近代の野蛮人となって、この旗の船で植民地に行くのだろうか。もう多くのものを捨ててきたのだ…。多くの血を流してきたのだ…。
風が鳴っている、はるか昔の軍楽のように。氷雨の痛さも、顔に当たる音も、耳に鳴る風の音も、なんと心地よいのだ。にじんだ旗は、様々な姿に旗めいている。あの昔の、激しい欲情、幻覚、恍惚…、そして音楽。なんと心地よいのだ…
…だが、涙は涸れた。空には旗があるだけだ…
(海も花も存在しない。)
ユニオンジャック(ユニオンフラッグ)
(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国の国旗)
Union Jack ( Union Flag )
( national flag of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland )
(画像は Wikimedia より)
「旗 pavillon 」は船の旗(艦旗)のことです。海の青と花の白そして血の赤の艦旗は、その色と形からイギリス(大英帝国)国旗、ユニオンジャック(ユニオンフラッグ)と考えました。真ん中の赤の十字はイングランド、青はスコットランド、赤のXはアイルランドを表し、このデザインは1801年に制定されました。
タイトルの「野蛮な Barbare 」は「野蛮人」「蛮族」などと訳されていますが、本来の語意は形容詞「野蛮な」です。この「野蛮な」が形容する対象は何でしょう。私は「旗」と考えています。つまり野蛮な旗 le pavillon barbare です。「野蛮な Barbare 」という形容詞は、未開、粗野などの意味ですが、仏仏辞書ロベールで調べると、第1義に「ギリシャ、ローマ、後にはキリスト教国にとって外国の」とあります。この詩では、まずフランスから見たイギリスという意味が考えられます。ランボーの時代、産業的には進んでいたイギリスも、文化的にはヨーロッパ大陸、とくにフランス、パリにあこがれていました。そういうフランスかぶれのイギリス人のブルジュワ紳士のことを呼ぶ「スノパリ」(スノッブ+パリ)という言葉もありました。もうひとつに、『イリュミナスィオン』中の詩、「客寄せ道化」のように、植民地を侵略しているイギリス人、フランス人などのヨーロッパ人の方が、実はアフリカなど植民地の原住民より「野蛮な」人々なのだという意味が隠されているように思います。
この詩には、『イリュミナスィオン』の「首都の」「祈り」などの詩と同じように、かつての見える者の詩的錯乱の体験が象徴化されて描かれています。この「野蛮な」では、麻薬の幻覚体験がフラッシュバックした時を描いているように思えます。『イリュミナスィオン』の「陶酔の午前」に書かれた「暗殺者(アシッシュを吸う人)」「軍楽」など、同じ言葉が、過去のものとして語られています。
後期韻文詩編の「涙」には「空からの風が、沼に氷のつぶてを降りつけていた…」、『地獄での一季節(地獄の季節)』の「錯乱 II 」の引用では「神の風が、沼に氷のつぶてを降りつけていた。」とあり、神の怒りの雹が降っている情景と考えられますが、ここでは、見える者の高揚と陶酔が霰となって降りつけます。霰、風と霰のはぜる音、稲光、雷鳴が混じりあっています。霰(氷)は、同時に火(燠)でもあり、ダイヤモンドでもあるのです。「燃えさかる燠火 brasiers 」は、後期韻文詩編の「「永遠」」の「サテンの燠 braises 」の名残りなのでしょう。「おれたち」とは、かつての見える者の夫婦、ランボーとヴェルレーヌの、「女の声」とはヴェルレーヌの声のことでしょう。
解読:門司 邦雄
掲載:2001年11月28日、2004年9月24日、2008年11月17日、2020年10月31日
<< 首都の index フェアリー >>