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ランボー イリュミナスィオン

Fairy

フェアリー

Picture of La Fée - Absinthe with Doll&Objet by Hiroko Igeta

 エレーヌのために、清らかな闇の中の草木の装飾的な液流と、星の沈黙の中の無感動なきらめきが共謀した。夏の激しい暑さは鳴かない鳥たちに託され、欠かせない無感応は枯れた愛と褪せた香りの入江をゆく値の無い喪の小舟に託された。
 ― 森の廃墟の下を流れる急流のざわめきに混じる樵の妻たちの歌の時が過ぎ、谷間に木霊する家畜の鈴の音の時も、大草原の呼び声の時も過ぎ ―
 エレーヌの幼い頃のために毛皮と影が震えた ― 貧しい人々の胸も、天の伝説も。
 そして、高貴な輝きよりも、冷たい感応よりも、唯一の舞台と時の歓びよりも、さらに優れた彼女の眼と彼女の踊り。

注) 手書き原稿では、タイトル「フェアリー」の上と下に、Ⅰと見られる書込みがあります。続く「Ⅱ 戦争 Geuerre 」とともに、例えば「青春時代」のようなスタイルでまとめる意図があったのでしょうか。あったとしたら、いつの時点だったのでしょうか。フェアリーは総タイトルなのでしょうか、この詩のみなのでしょうか。この計画は破棄されたのでしょうか。見えてきません。ここでは、慣例に従い、「フェアリー」と「戦争」を別の詩として扱います。私は、他の総タイトルを立てて括る予定が2編のみで流産したのではないかと考えています。
第2節の文末は、手書き原稿写真版で見るとピリオドがなく、ティレ( ― )で終わっています。ここでは、読点なしで次の節にそのまま続く形に訳しました。
写真は La Fée (妖精)という名のアブサン。
井桁裕子人形展(2007年)にて Kunio Monji 撮影、人形とオブジェは井桁氏の作品です。

フランス語テキスト

翻訳掲載:2008年8月14日


緑の妖精と白い妖精

Advertisement of AbsintheA Glass of Absinthe

 この詩のタイトルは、英語の「妖精 Fairy 」です。「イリュミナスィオン」に3つある英語のタイトルの詩のひとつです。
 主人公である妖精のエレーヌはフランス語読みであり、ギリシア神話のヘレン、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」のヘレナ、エドガー・アラン・ポーの詩の「ヘレンに」からイメージされたと見る人もいます。S.ベルナールは、ポーの「ヘレンに」とマラルメの「エロディアード」の影響を指摘しています。1872年にマラルメの仏訳によるポーの「ヘレンに」がルネサンス誌に発表されており、それを見たと考えることも可能です。
 ランボーは、フランス語では発音されないH(アッシュ)で始まる女性の名前を象徴化したキャラクターとして「イリュミナスィオン」の中で使っています。オルタンス(「H」)、アンリカ(「労働者」)です。このエレーヌもHから始まっています。ギリシア神話のヘレンは、スパルタ王妃レダに神のゼウスが白鳥の姿になって交わり孕ませた不倫の子で、絶世の美女です。神と人との禁断の愛欲の果実は、この詩の主人公にふさわしいと感じます。
 英語の fairy は、フランス語では fee です。もっとも、英語の fairy は語源的にはフランス語で、元々の elf にとって変ったとされています(注)。緑の妖精 fee verte は、幻覚作用のあるリキュール、アブサンのことであり、白い妖精 fee blanche は、麻薬のことです。ランボーは1872年6月ドラエーへ手紙の中で、「アブゾンフ学院、万歳!」と書いています。
 この詩には同じイリュミナスィオン中の「少年時代」のⅠ~Ⅳ、エレーヌは特にⅠの「オレンジ色の唇の少女」を連想させます。「(フレーズ(無題))」の末尾には、「影の側に寝返りをうつと、君たちが見える、ぼくの娘たちが! ぼくの王妃たちが!」と書かれています。見者ランボーは少年時代あるいは幼年時代を、幻覚的に再発見しますが、その禁断の果実に導く女妖精が Fairy なのでしょう。この詩は英語のタイトルが使われていることから、ロンドンに行ってからまとめられた作品と考えられます。イギリスでシェイクスピアなどケルト文化の妖精の世界を取り入れた文学に接したことも影響していると思います。同じイリュミナスィオン中の「ボトム」はシェイクスピアの「真夏の夜の夢」の登場人物の名前からとられたタイトルとされています。
 最初の節で、「液流」と訳した seve は、しばしば「樹液」と翻訳されています。ただし、フランス語の意味では維管束植物(シダ類・種子植物)の体中を流れる液体を指しています。根から吸い上げられる液体( ~ ascendante )と葉から降りてくる液体( ~ descendante )の両方を指します。樹液とすると、植物が樹木に限定され、闇と意訳した ombre (影)が木陰のイメージでとられてしまうので、「液流」と訳しました。私には、このシーンが夜に見えるからです。麻や芥子の中には麻薬となる成分が流れています。アブサンの幻覚作用もニガヨモギの成分によるものです。「枯れた愛」は、直訳は死んだ morts 愛(複数)となります。この節は、どことなく初期詩編の「オフェーリア」の情景を連想させます。この一節だけ、焼け付くような死を感じさせる情景で、アブサンと麻薬による幻覚体験の入り口を感じます。続く第2節からは、幻覚による夢幻的な情景が展開されます。

Photo Image of coteaux fees

 第2節は、エレーヌが森の中から大草原(ステップ)に出てくるまでが描かれます。そのまま第3節に続きます。つまりフェアリーは森の中で生まれ、都市に出てきます。「毛皮」は裕福な人々という意味なのでしょうか。原文は frisosonnerent les fourrures となっており、f と r の音の繰り返しを効果として使っていると思います。豊かな人々に対し貧しい人々、影に対し天(空)というように、この詩全体に光と闇、静と動、暑さと冷たさいう対位法的な構成が貫かれています。この対位法の感覚を実現したのは、妖精でしょうか、麻薬やアブサンによる幻覚でしょうか。
  最後の行の「舞台 decor 」は、装飾、舞台装置の意味ですが、シーンとして分るように「舞台」と訳しました。最高の演劇あるいは歌劇よりも、エレーヌの魅力が、容貌・容姿(眼つまりビジュアル)と動き(踊り)が、優れているという意味でしょう。「大安売り」の品目のひとつに、「ファンタジー feeries 」、つまり「妖精の国」「夢幻劇」があります。
  イリュミナスィオン中ても、特に美しく描かれた詩です。そして、破局も亀裂もなく終わっている無の詩でもあります。それは、主人公が現実の女性ではなく、無と死から生まれて夢幻に導くからでしょうか。
  私は、推定でしかありませんが、この詩はイリュミナスィオン中、比較的早い時期の詩と見ています。続く「戦争」は、「人生 Ⅲ」と「出発」とも類似していて、イリュミナスィオンの後半期に書かれたと思われます。ランボーは、このふたつの詩を、あるいは他にも書く予定だったかもしれませんが、なぜ結びつけようとしたのでしょうか。なお、「イリュミナスィオン」の手書き原稿にふられた通し番号は、誰がつけたものか確定されていないそうです。ランボーはこの詩集をまとめた時、時空を往き来できる形を意図したのかも知れません。

注) 英語の Fairy という言葉については、美しいイラスト入りの「フェアリー」という本に詳しくか書かれています。
「妖精をあらわす言葉のうち、Fay と Faerie はフランス語からきて、チュードル朝時代に古い英語の elf にかわりはじめました。スペンサーとシェイクスピアがその変化を一般化したのです。Elfland と Faerieland 、Elf と Faerie はたがいに取りかえできる言葉だったし、いまもそうです。
  妖精のつづりは多様です。 ― fayerye 、 fairye 、 fayne 、 feierie 、 fairy などと。この本では妖精の世界を一括して呼ぶばあいは Faerie (名詞)を用いています。 ― 地理的な場所として、またその住民の総括的な名前( faerie 、 faeries )として。またその属性を示す形容詞として、たとえば妖精の音楽のようなばあいに。
  Fairy ( fairies )の語は、特別な、小型の、普通は女性の Faerie の種類に用いています。」
出典:フェアリー/プライアン・フロウド&アラン・リー著/山室静訳/株式会社サンリオ/1980年

解読の画像について
・ポスター(上左) : インターネット上のアブサンの広告
・写真(上右) : インターネット上のアブサンの入ったグラス
  イメージフォト glow というタイトルで、グラスの背後には妖精が見えます。
・写真(下中) : インターネット上の妖精の故郷(くに) coteaux fees というタイトルの写真

解読掲載:2008年8月14日

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