イリュミナスィオン

Illuminations

Conte
小話

 昔々、ある「王様」が低俗な施しを行きわたらせることばかりに努めてきたことに立腹していました。彼は驚くべき愛の革命を予見していました。そして、宮廷の女たちでも天国沙汰や贅沢三昧に飾られたいつものへつらいよりもましなことができるのではないかと思っていました。王様は真実が見たかったのです。本当の欲望と充足の時が知りたかったのです。それが信仰心の迷いだったのか、なかったのか、とにかく王様はそれを望んでいました。王様は、少なくとも十二分に、人としての能力を備えていました。
 王様を知った女は全て殺されました。美の庭園での恐るべき殺戮! 剣の下で女たちは王様を称えました。王様は新しい女を召し出させはしませんでした。―でも、女たちはまた現れました。
 王様は狩猟や酒宴の後で、付き従う者をすべて殺しました。―でも、みなの者は王様に付き従いました。
 王様は贅をつくした鳥獣の喉を切り裂いて気晴らしをしました。宮殿に火を放ちました。人々に飛びかかって八つ裂きにしました。 ―でも、群集も、黄金の屋根も、優美な鳥獣も無くなりませんでした。
 破壊に陶酔できるのでしょうか、残虐さで若返ることができるのでしょうか! 民は不平をつぶやきはしませんでした。王様の目的に協力を申し出る者もありませんでした。
 ある晩、王様は誇らしげに馬を駆っていました。言いようもなく、言うのも恥ずかしいほど美しい、ひとりの「魔神」が現れました。魔神の容貌と物腰からは多様で複雑な愛の約束が!筆舌に尽くしがたい耐えられないほどの幸福の約束が!発せられていました。「王様」と「魔神」は、おそらく本質的な健康のうちに消えてしまいました。どうして死なずにいられましょう? だから一緒に死にました。
 だが、この「王様」は自分の宮殿で天寿を全うして死にました。王様は「魔神」でした。「魔神」は「王様」でした。
 私たちの欲望には巧妙な音楽が欠けています。

フランス語テキスト

翻訳:門司 邦雄
掲載:2000年11月、2020年9月8日


巧妙な音楽


 この物語の主人公は大文字の Prince です。王子ではなく君主(封建領主)の意味でしょう。この題名に従い、お話し的に「王様」と訳しました。破壊的なところがローマの暴君ネロを連想させるお話です。もうひとりの登場人物は Genie、「魔神」です。『イリュミナスィオン』の最後の詩は「 Genie 」という題名です。特別な意味合いの言葉ですから、これらの Genie には共通性があるはずです。本来は精、霊などを示す言葉ですが、最後の詩の Genie はキリストを超越した自然神という概念を表していますので、「魔神」という訳に統一しました。

 題名と物語的な語り口から考えて、この詩は歴史的・具体的な君主の話ではないでしょう。ランボーの生まれた年(1854年)はナポレオン三世の第二帝政であり、普仏戦争によりナポレオン三世降伏、第二帝政崩壊(1870年)、パリ・コミューン(1871年)を経て、1874年にイリュミナスィオンが書き上げられたと考えられ、1875年には第三共和制が確立されました。ランボーにとって、君主は過去の世界のものだったと考えられます。それでは、この詩ではランボーは自分の内面的な体験を語ったのでしょうか。あるいは、ランボーとヴェルレーヌとの出会いと別れを語ったのでしょうか。「王様」はランボーでしょうか。それともヴェルレーヌでしょうか。1871年の5月にドムニー宛に書かれた、見える者の手紙(見者の手紙)の中でランボーは、隷属から自由になれば女性も詩人になり、未知なものを発見できるということを書いています。「愛の革命」を予見し自分の女たちにそれを求めたこの「王様」にはランボーの方がふさわしいでしょう。『イリュミナスィオン』の「人生」という詩の第二節で、ランボーは「おれは…愛の鍵のようなある物を発見した音楽家でもある」と書いています。「愛の約束」、「巧妙な音楽」というこの詩の言葉とつながりを感じさせます。どうやら、「王様」はランボーであり、この詩はランボーの内的体験を象徴的に語っているように見えます。「魔神」はやはりイリュミナスィオンの最後の「魔神」のことでしょう。詩人ランボーは見える者(見者)となり、新しい解放された世界、つまり未知に到達します。これを具現化した人格が「魔神」という精霊なのです。しかし、この「王様」と「魔神」の出会いに「言うのも恥ずかしい inavouable 」という言葉が使われているように、この「魔神」の魅力を語る言葉には同性愛的なエロスが感じられます。見える者(見者)の至福の時はヴェルレーヌとの同性愛体験と分かちがたく結びついていたと思われます。さらに「言いようもなく」という言葉も、言語で表せない、つまり言語表現できない、という詩的表現に対する皮肉の意味も含まれているのでしょう。なお、宮廷の女たちの「天国沙汰」と訳したところは、原文直訳は「天 ciel で飾り付ける、楽しくする」です。この「天」は、宗教だけでなく、色恋沙汰の意味も含まれていると思われます(初期詩編「母音」を参照してください)。

 この詩が、ランボーの創作体験を語っていると読むと、詩を書き始めた頃、当時のロマン派や高踏派の流れを汲む詩編は、振り返れば受けを狙った「低俗な施し」だったという意味と読めます。パリ・コミューンの時に、見える者(見者)という自己認識を持ち、美や女性賛美を破壊した詩を書きます。しかし、見える者(見者)ランボーも新しい詩も、結局はパリの文壇に受け入れられませんでした。「王様」が破壊の限りを尽くしても、すべてはそのまま残ったように。見える者(見者)ランボーは、ヴェルレーヌの影響下に新しい韻文詩を試み、「後期韻文詩編」を作ります。主要テーマは、「新しい愛」ではなかったでしょうか。ふたりはロンドンに逃避しますが、この愛の逃避行の結末は、ランボーはヴェルレーヌにピストルで撃たれ、ヴェルレーヌと別れ、見える者(見者)としての詩人を捨てます。「本質的な健康」とは、当時のパリの詩人たちに対する皮肉でしょうか。「巧妙な音楽 la musique savante 」は、仏仏辞書にも「分かりにくい音楽」という説明がついています。つまり「難解な音楽」です。この音楽には、様々な解釈が可能です。音楽を詩の音楽性、そして「巧妙な音楽」を技巧を凝らした韻文詩と捉えることもできると思います。技巧を凝らした定型韻文詩は、韻文詩を捨てたランボーの欲望には存在しない、という意味なのでしょう。「地獄の夜」で、サタンであるヴェルレーヌに「幼稚な音楽」を吹き込まれたとあります。「幼稚な音楽」は、「巧妙な音楽」の反対にあるものです。「私たち」としたのは、ランボーとヴェルレーヌのこととも取れますし、いわゆる一般の(不特定多数の)人とも取れます。

 フランス革命(1792年)の時に、音楽が一般民衆に広がり、特にシャンソンは広く流行しました。ランボーはこの史実を意識していたのかも知れません。『地獄での一季節』の「悪い血筋」には「編曲された流行歌 chansons populaires arranges 」という言葉があります。ランボーの時代には、君主制の時代のような技巧を凝らした高尚な音楽や韻文詩は「私たちの欲望」に存在しないという意味にも読めます。

 まだ時間的にはそれほど経っていないにもかかわらず、もはや戻れないものとなった過去をどこか醒めた悔恨とともに語っています。

解読:門司 邦雄
掲載:2000年11月、2001年11月、2003年4月14日、2003年8月12日、2020年9月8日

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