イリュミナスィオン

浅草サンバカーニバル
Asakusa Samba Carnival, Tokyo 2006 - Photo : Kunio Monji

Illuminations

Parade
客寄せ道化

 えらくがっしりした道化たちだ。たくさんの奴らが君たちの社会を食い物にしてきた。君たちの意識に関する奴らの輝かしい能力と経験を活用しようとあせってもいないし、その必要もない。なんて手馴れた奴らだ! 夏の夜のようにぼんやりした、赤と黒の、トリコロールの、金の星を刺しとめた鋼色の眼で;ゆがんだ、鉛色の、青ざめた、赤く染まった顔で、陽気なしゃがれ声だ! 安ピカ衣装の残忍な足取りだ! 若い奴も何人かいて―ケルビムをどんな眼つきで見ることやら?―ぞっとする声となにやら怪しげな手口をあてがわれている。むかつくほど飾り立てた衣装で町に尻を抱きに送り出される。
 おお、狂犬病でいきり立ったしかめっ面の凶暴きわまりない「楽園」だ! 君たちのバラモンの托鉢僧や舞台の道化たちも較べものにならない。歴史にも宗教にも前代未聞の悪夢趣味の即席コスプレで、盗賊やうさんくさい神々の哀歌、悲劇を演じる。中国人、ホッテントット、ジプシー、愚か者、ハイエナ、モロク神、気狂い老人、不吉な悪魔、こんな姿で通俗的で母性的な口ぶりと、獣じみた態度や愛情を混ぜ合わせる。あいつらは新作も「良い娘(こ)ちゃん」といった流行歌も演じる。大魔術師たちだ、場所も登場人物も変え、魅惑的な芝居を用いる。眼は燃え、血は歌い、骨は広がり、涙と赤い網が流れる。あいつらのあざ笑いと恐怖は、ほんの一瞬だったり、まるまる数ヶ月続いたりもする。
 私だけがこの野蛮な客寄せ道化の鍵をにぎっている。

フランス語テキスト

翻訳:門司 邦雄
掲載:2001年1月27日、2020年9月10日


鍵はどこに行った?


 この詩の最後に出てくる「鍵」はどこに行ったのでしょうか。タイトルの「客寄せ道化 Parade」にあったのですが、でも今では古語になってしまったようです。客寄せ道化はサーカスや見世物小屋の前で行われるお客を呼び寄せるための道化、マイムです。最近ではほとんど見かけませんが、日本のチンドン屋もやはり客寄せ道化の一種でしょう。客寄せ道化本来の意味では、clown de rassemblement de clients など説明的に言われることが多いようです。Parade の意味はパレードで、軍事パレードには Défilés が使われます。フランス革命記念日(パリ祭)の軍事パレードは défilé militaire du jour de la révolution です。なお、Parade の英語読みはパレードで、意味はパレードです。

 ランボーはここで、19世紀ヨーロッパ列強の帝国主義的進出の力となった軍隊、そして「赤と黒」の黒にあたる僧侶(赤は軍人)の実際の行いを道化に見立てて描いています。トリコロールはもちろんフランス国旗でしょう。パリ・コミューンの鎮圧の時にヴェルサイユ軍が使った旗も三色旗でした。ケルビムは、天使ケルビムと読めます。この天使(童子)の像から、丸顔のかわいい血色の良い子供に対する呼びかけにも使われるようです。愛国心に燃える若い兵士の姿をなぞらえてみたのでしょうか。しかし、この後に「町に尻を抱きに送り出される」という文章が来ることから、少年売春、あるいは同性愛の対象となる魅力的な少年と考えた方がこの詩の内容に合っていると思います。P. ブリュネルはモーツァルトのオペラで女性が歌う若い魅力的な男性の役のことと解し、C. ジャンコラは、同性愛のことと解説しています。宇佐美斉(ちくま文庫)は、P. ブリュネルよりさらに具体的に、ボーマルシェの戯曲「フィガロの結婚」に登場するかわいらしい小姓「ケルビーノ」で、モーツァルトのオペラではソプラノ歌手が演じると記しています。モロク神は子供を生け贄に焼き殺したセム族の神です。

 1873年のロンドンを起点として、ヨーロッパとアメリカ合衆国に「大不況」(デフレ)が始まりました。この不況は、産業革命により海運、陸運が発達し、安い農産物が新大陸などからヨーロッパに流入したことから始まるとされます。ヨーロッパの農業は衰退し、工業化、都市化が進みます。そして各国内で巨大化、独占化した企業が、内需を上回る市場や原料、資本投下先を求め国外に進出していきました。とくに後進のアメリカ、ドイツに、自国内での産業の育成で遅れをとったイギリスは帝国の拡大を強力に押し進めました。世界史的分類では1871年以降を「帝国主義の時代」とするようです。そして、日本も明治維新以降、工業化を進めこの争いに加わることになります。

 ランボーは『イリュミナスィオン』で、当時のヨーロッパ社会の動き「帝国主義」をテーマとする詩を書きました。この「客寄せ道化」をはじめ、「運動」「歴史的な夕べ」「民主主義」などがあります。クールでシニカルなランボーの詩は、現実の認識という痛みを引きずりながら、アフリカの手紙にまで繋がっていくように思えます。『帝国主義の時代』(講談社)/世界の歴史第18巻/西川正雄・南塚信吾著)の「はじめに」には、「1870年代末、イギリスでは帝国主義という言葉が使われ始める。この時期、経済不況が続いて、回復のきざしが見えなかった。貿易と投資の利益を守るために大英「帝国」を拡大していくべきだ、という主張が高まり、それが帝国主義と呼ばれたのである。やがてこの言葉は、大英帝国拡大論だけでなく、アメリカその他の国々の場合を含めて、この時期から顕著になる膨張主義・植民地支配を一般的に意味するようになった。」と書かれています。ランボーは、ロンドンで当時のヨーロッパを中心とする世界の動きを把握して、これらの詩を書いたと思われます。さらに、帝国主義的進出には「民主主義」の偽装がなされていたことも把握されています。これは現在の世界情勢にも当てはまる認識ではないでしょうか。

 初期詩編の頃には新聞記者を目指し、また詩を捨ててからも、アフリカで探検報告書などを書いたランボーは、詩(文学)で世の中を変えることに絶望したのであり、伝達手段としての言語に絶望したのではないと思われます。
 「権力と法律が今ようやく評価された/踊りと歌声を反射している。」(『イリュミナスィオン』「青春時代 II ソネ」より)

解読:門司 邦雄
掲載:2001年1月27日、2001年10月13日、2002年11月3日、2003年7月10日、2004年9月4日、2020年9月10日

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