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ランボー イリュミナスィオン

Fleurs

花たち

 黄金の階段席から、 ― 絹のリボンと、グレーのレースと、緑のビロードと、太陽に当たってブロンズのように黒ずむ幾つもの水晶の円板の間で、 ― 目と髪の毛と銀の線状細工の絨毯の上で、ジキタリスの花が開くのをぼくは見る。
 瑪瑙の上に撒かれた黄金のコイン、エメラルドのドームを支えるマホガニーの柱たち、幾つもの白いサテンの花束と何本ものルビーの細い竿が水のバラを取り囲む。
 青い巨大な目をして、雪の形をした神のように、海と空は大輪の若いバラの群れを大理石のテラスに引き寄せる。

フランス語テキスト

翻訳掲載:2004年9月1日


睡蓮(スイレン)

 タイトルは「花たち Fleurs 」 「花々」 「花花」で、「イリュミナスィオン」の他のほとんどの詩と同様に冠詞は付いていません。この詩は、「イリュミナスィオン」中でも、絵画的な美しい描写の詩とされています。しかし、この「花たち」は何か、どんな情景を描いたのかという素朴な疑問は、まだ解決されていないようです。ドラエーの間近に見た植物、S.ベルナールやピーの舞台の情景など、さまざまな解読がなされてきました。他方、錬金術的、象徴的、アニミズム的な解釈も多くなされています。
 この詩は、「イリュミナスィオン」中で比較的早く書かれた詩と思われます。「轍」「神秘の」「古代の」「美しくあること」などとスタイルが類似しています。ランボーは、ヴェルレーヌの証言のように、「イリュミナスィオン」を「彩色版画」として、つまり綴じられていない版画集、閉じられていない森羅万象を映した書物として立ち上げたのではないかと私は考えています。ランボーは「錯乱 Ⅱ 言葉の錬金術」の冒頭には、「おれはありうべき風景はすべて手にしていると自慢していた。現代の絵画と詩の有名作家など取るに足らないと見下していた。」と書きます。ところが、ドムニー宛ての「見者の手紙」には、当時の詩人たちが名を連ねているのに対し、画家の名前は出てきません。ランボーには、画家に宛てられた詩も、画家の名前の出てくる詩もほとんどありませんが、「見者の手紙」に挿入された「パリ市民の戦いの歌」には、「チエールもピカールも……コローばりの絵を描く」と、バルビゾン派の画家コロー(1796-1875)の名前が出てきます。バルビゾン派の画家たちは、フランスの農村をテーマとして描きました。しばし指摘される石油が燃えている上空がコローの空の描写に類似しているというだけでなく、「田舎者」という意味も含めて使ったのかも知れません。ランボーがバルビゾン派の画家、というよりフランスの田舎の風景を描写した絵画を嫌っていたのかも知れません。ランボーは初期には高踏派の影響を受け、現代高踏派詩集に投稿もしました。しかし、見者の詩法を確立したランボーは、「花について詩人に語られたこと」を書きます。この詩の意図は、かって憧れた高踏派(バンヴィル)に対する攻撃的な批判に留まらず、静止した視点と静物的描写の破壊という意図もあったと考えます。「花について詩人が語られたこと」には、挿絵画家のグランヴィル(1803-1847)(注1)の名前が出てきます。また、高踏派の詩人たちを「とても平板な写真家」に喩えています。なお、「イリュミナスィオン」の「冬の祭」にはブーシェ(1703-1770)の名前が出てきますが、この意図は女性の外観や雰囲気、あるいは18世紀のロココ趣味の名残を示すことだったと思われます。
 19世紀フランス、とくにパリでは、庭園、花、温室、ペットなどが流行しました。これは当時のブルジョワジーの豊かさの現れですが、ナポレオン3世によるオスマンのパリ改造には、緑の公園によるパリの安定化の意図があったとされます(注2)。19世紀中葉には熱帯性睡蓮の品種改良がヨーロッパで始まり、この詩の後になりますが、19世紀後半にはフランスで耐寒性の色とりどりの新品種が次々に発表されたそうです。睡蓮は当時のフランスでは、南方、東方をイメージさせるエキゾチックな花だったと思われます。この詩の第2節の「水のバラ」は、しばしば睡蓮と解されてきました。睡蓮をモチーフとした絵画では、印象派のモネ(1840-1926)が有名であり、印象派の命名の元となった「印象、日の出」はモネの1873年の作品です。しかし、モネが睡蓮の連作を描いたのは晩年ですから、ランボーのこの「花たち」は、モネよりずっと早く、文字で描かれた印象派風睡蓮ということになるでしょうか。バタイユ研究家の酒井健が「絵画と現代思想」(注3)の中で、「遠近法表現もまた印象派の出現とともに、美術のモダニズムとともに、崩壊しはじめた絵画の要素だ。」と指摘しています。自己意識による遠近法の視点が、印象派から徐々に崩壊していくと氏は述べていますが、ランボーが「見者の手紙」に書いたデカルトのパロディー「「ぼくが考える(我思う)」というのは間違っています。「ぼくは考えられる(他者、我を思う)」と言うべきです。」という認識も、自己を中心とする思惟の遠近法の崩壊と読むことができると思います。実体と反映が混ざり合う映像を、ランボーはムーズ川の水面とその反映から見つけたのではないでしょうか。夕日の反映は、「酔いどれ船」と「少年時代 Ⅳ」に描かれています。後期韻文詩の「思い出」には、ムーズ川の水面とともに、日傘を持って立つ母、ヴィタリーの姿が描かれています。モネは妻、カミーユをブルジョワ婦人に見立て「散歩、日傘をさす女」を1875年に描いています。この時代の共通な日傘のイメージと、それに託された意味合いの違いを感じます。
 では、この詩は具体的にどのように読めるのでしょうか。翻訳にあたり、情景が分りやすいように、一部の名詞の複数形をあえて訳出しました。私は、視点が変化しただけで、第1節から第3節まで同じ情景だと考えています。もちろん、この情景は、あくまでもランボーによって詩に加工される前の情景です。第1節は睡蓮の花の咲いている池を少し上から見た情景。水面に浮かぶ青緑のディスクを睡蓮の葉と捉えると全体のイメージが見えてきます。第2節は、ひとつの(赤かピンクの)睡蓮の花を中心に水面近くから頭上の木々と周りの白い花(おそらく睡蓮)を見渡した光景。第3節は、水面とそこに映る青空と白雲、ピンクか赤の睡蓮の花々、池を縁取る大理石と見ています。第1節には、ジキタリスという花の名前が出てきますが、これはピンク色の睡蓮のつぼみを言い換えたと考えています。ランボーがジキタリス digitale を選んだ意図は解りません。C.ジャンコラは、神の指という意味を見ています。第2節の「竿(複数) verges 」には、男性器(ペニス)という意味もあります。赤みを帯びた睡蓮の茎からの連想とも考えることができます。第1節のジキタリスも、花穂が勃起した男性器を暗示しているのかも知れません。鈴村和成は、この詩を「ランボーが「花」に仮託してみずからの両性具有的な身体の記述を試みた作品。」と読んでいます(注4)。みずからの体というより、植物の「花たち」は、しばしば女性に喩えられますが、実は両性具有であることを示したのではないでしょうか。第3節の「大輪 fortes のバラ」は、直訳すれば「強いバラ」となります。「強い fortes 」には、女性が豊満という意味にも使われます。この「強いバラ」も、両性具有的な表現かも知れません。同性愛的傾向を読むことも可能かも知れません。初期詩編と「ジュティストのアルバム」に見られる植物を性的な表現に使う手法がこの詩にも見られます。性的な意味合いと劇場を結びつけて読むことも可能かも知れませんが、主体の動きの少ないこの詩は、見者の詩法により印象派的に捉えられた「花たち」を描いた三枚組みの絵画のように見えます。ランボーは平板な描写を避けるために、睡蓮 Nympheas という言葉を消したのではないでしょうか。第3節の象徴的に書かれた「海と空」は、この詩が実際に海を見る前に書かれたことを暗示していると思います。1872年の初夏(パリ)から夏(ベルギー)の間に書かれた詩と私は考えています。やがて「あの夏、この世はなんと花々に満ちていたことか!」(青春時代)と振り返るとも知らずに。

ジキタリスについては、以下のサイトを参照してください。
http://www.univers-nature.com/dossiers/digitale.html
睡蓮については、以下のサイトを参照してください。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/suiren.html

注1) ランボーは1870年8月25日のイザンバール宛ての手紙で、「グランヴィルのデッサンよりも馬鹿げたものがあったら教えて欲しいものです。」と書きました。植物を擬人化した絵を書いています。グーグルの画像検索でご覧ください。
注2) 19世紀フランス 光と闇の空間 挿絵入り新聞『イリュストラシオン』にたどる/小倉孝誠著/人文書院発行/1996年発行
注3) 絵画と現代思想/酒井健著/㈱新書館/2003年発行
引用箇所は、P.162。P.164には、パリのオランジュリー美術館に収蔵されている「睡蓮」の考察が書かれていて興味深い。
注4) 新訳イリュミナシオン/アルチュール・ランボー著/鈴村和成訳/思潮社/1992年
P.138-P.139に「花々」の「解題」より引用。

解説掲載:2004年9月1日

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