イリュミナスィオン
I
Dimanche
日曜日
計算はわきへ、空の不可避な降下、それから思い出の訪問とリズムの上演が、住まいと頭と精神の世界を占領する。
―ある馬が炭疽ペストにえぐられて、郊外の競馬場から畑と植林沿いに逃げる。悲劇の中のあわれな女が、この世のどこかで、ありそうもなく捨てられて溜息をつく。無法者たちは、嵐と、泥酔と、負傷を熱望している。幼い子供たちは川沿いで呪いに息を詰まらせている。―
群集の中に、再び集まり高まる身を削る仕事の騒音の下で、勉強を再開しよう。
普通の体格をした「男」よ、肉は
果樹園に吊り下がった果実ではなかったのか、―おお
子供っぽい日々よ! 体は浪費すべき宝ではなかったのか、―おお
愛することは、プシュケの危機か力か? 大地は
王侯と芸術家にあふれた斜面だった、
そして血統と種族が君たちを罪と喪へ
押しやった。この世は君たちの幸運と君たちの
危難。だが現在、あの苦労は報われ、君、君の計算と、
―君、君の苛立ちは―固定されても、全く強いられてもいない、
君たちの踊りと君たちの歌声にすぎない、とはいえ
発明と成功の二重の出来事 + ある理由だが、
―心象の無い宇宙における友愛に満ちた慎み深い
人類には、―権力と法律が今ようやく評価された
踊りと歌声を反射している。
教訓的な声は追い払われ… 苦々しく鎮められた肉体の自由… ―アダージョ―ああ! 青春期の限りないエゴイズム、勤勉なオプティミズム、あの夏、この世はなんと花々に満ちていたことか! 歌も形も死んでゆき… 無力と放心を静めるためのコーラスだ! 夜の調べのグラスのコーラス… なるほど、神経はどんどん流れていく。
君はまだアウントワーヌの誘惑の中にいる。短く切られた熱情のはしゃぎと、子供じみた傲慢の神経痙攣と、衰弱と恐怖だ。
だが、君はあの仕事にとりかかるだろう。君の席の周りで、和声的、建築的なすべての可能性が興奮するだろう。思いもよらぬ完璧な存在が君の試みに身を捧げるだろう。君の周りに古代の群集と無為の豪奢の好奇心が夢のように流れ込むだろう。君の記憶も感覚も君の創造的衝動の糧でしかないだろう。この世に関しては、君が出発する時どうなっているだろうか? どんな場合でも、現在の外観は全く無い。
フランス語テキスト
翻訳:門司 邦雄
掲載:2002年11月3日、2004年12月6日「ソネ」、2006年4月2日、2020年11月10日
ソネとアントワーヌの誘惑
このジュネスの詩篇でとくに重要なものは、ソネと最後のアントワーヌの誘惑が書いてある詩です。
この II ソネは1873年5月から7月始めの間に書かれたものと思われます。最初の2行はヴェルレーヌが1873年5月にルペティエへの手紙で送った詩「祈願 Invocation 」で、後に1884年発行の「 JADIS ET NAGUERE 昔と今(近頃)」に「淫乱 Luxures 」のタイトルで収められた詩の第1行「肉よ! おお、この世でかじられる唯一の果実」に似ていることがアンダーウッドにより指摘されています。
最後の詩には IV という番号が振られているだけです。この詩に書かれたアントワーヌの誘惑はこの詩の中では特異なものです。「アントニウスの誘惑」(アントニウスはアントワーヌのラテン語)とはどんな誘惑なのか、詩を書き終え捨てることは、彼の中の「詩人ランボー」の自殺だったように思います。この誘惑を乗り越えて新しく取り組む詩について書かれます。それは「大都会(1)」、「大都会(2)」、また、「岬」など都市をテーマとした詩も含まれます。1874年3月から6月まで詩人ジェルマン・ヌーヴォーとロンドンにいたときに書かれました。
では、まず全体の構成を見てみましょう。
I の詩は IV という書き込みが見られ、その右に Jeunesse I Dimanche というタイトルがきます。ランボーのある日曜日の情景です。馬は、地方の学校を中退したランボーを連想させます。この馬の病はギリシャ語の「炭」に由来し、炭疽の病変部が炭のような黒色に変色することにちなんで付けられました。ランボーが炭疽症から病名を作ったと考えて炭疽ペストという訳にしました。次の「女」は、ヴェルレーヌ夫人マチルドという説があります。しかし、ヴェルレーヌと取ることもできると思います。「無法者 desperadoes (複数)」はスペイン語から来た言葉で、命知らずの者という意味でもあります。かつての見える者ランボーもその一人であった文学的、あるいは政治的反抗分子のことでしょう。「幼い子供たち」は、ムーズ川で遊んだランボーの少年期を連想させます。そして、ランボーには、まだ続ける「勉強 l'étude 」があります。
問題はこの詩がいつ頃書かれたかですが、もう一つの IV の前だったように思えます。
II の詩は「ソネ Sonnet 」というタイトルが付けられていて、イタリアが起源の14行からなる定型韻文詩です。最初の2行はヴェルレーヌが1873年5月にルペティエへの手紙で送った詩「祈願 Invocation 」で、後に1884年発行の「 JADIS ET NAGUERE 昔と今(近頃)」に「淫乱 Luxures 」のタイトルで収められた詩の第1行「肉よ! おお、この世でかじられる唯一の果実」に似ていることがアンダーウッドにより指摘されています。聖書のエデンの園のリンゴを踏まえながら、かつてのランボーとヴェルレーヌの同性愛を語っていると考えられています。「プシュケ Psyche 」はギリシア神話の王女で愛の神エロスの妻。禁を破り、エロスの姿を見てしまい夫に去られるが、夫を探して旅に出、数々の苦難の後に夫と結ばれます。「計算」はマチルドとよりを戻そうとしたヴェルレーヌの計算、「苛立ち」はランボーの苛立ち、「踊り」と「歌声」は、それぞれランボーとヴェルレーヌの文学表現と考えられています。踊りであるランボーの詩も、歌声であるヴェルレーヌの詩も、「権力 force 」と「法律 droit 」の支配する現実社会で認識、評価されるものでしかありません。「理由 raison 」ではなく「季節 saison 」と自筆原稿を読み取る評家もいます。
この部分は73年5月以降にランボーが自身の状況をまとめようとして書いたものと思います。
次の III は下に線が消され、その下に Vingt ans のタイトルが来ています。この詩は文字も小さく、「あの夏」という文字も見られ、73年のブリュッセル事件前までに書かれたもののように見えます。「アダージョ」は、音楽を「ゆるやかに演奏せよ」という指示の言葉です。
最後の IV にはタイトルがありません。「アントワーヌの誘惑の中にいる à la tentation de Antoine 」と訳したところは、原文の直訳です。「アントワーヌ Antoine 」は、エジプトの隠修士で、キリスト教の修道士生活の基礎を作った聖アントニウス(251-356?)とされます。フロベールの「聖アントワーヌの誘惑 La Tentation de saint Antoine 」(1874年4月発行)と関連付けて、この詩の制作時期を推定する評家もいますが、一部は雑誌でも先に読めたこともあり、確定されていません。「聖アントワーヌの誘惑」は、聖アントニウスが誘惑しているのではなく、聖人が悪魔から誘惑の試練を受けることです。この詩では「誘惑」は小文字で「聖 saint 」は省かれています。
この「青春時代」はいつ書かれた詩なのでしょうか。1874年3月にランボーは詩人ジェルマン・ヌーヴォーとロンドンに行きます。ヌーヴォーは6月にランボーを残してフランスに戻ります。「大都会(2)」は、ジェルマン・ヌーヴォーの手で清書されています。1874年4月には、ヴェルレーヌ夫婦の離婚判決がおりました。フローべールの「聖アントニウスの誘惑」も含め、1874年の春と考えることができます。詩の誘惑から完全には自由になっていないランボーは、これから取り組むべき残された詩の「仕事」について語ります。私は、この「仕事」は『イリュミナスィオン』中の「大都会(1)」「大都会(2)」のタイトルで書かれた詩だと考えています。「岬」など都市をテーマとした詩も含まれると考えられます。最後の「この世」は、世間や社会という意味だけでなく、当時のフランスの文学あるいは絵画などの世界のことも含まれているのではないでしょうか。
「アントニウスの誘惑」はどんな誘惑なのか、サルトルのマラルメ論にひとつの答えがあるかも知れません。ランボーが詩であるいは手紙で、実際に「自殺」を語った言葉は見当たりません。後期韻文詩編の「渇きの喜劇 4. わびしい夢」や「五月の軍旗」にも、死の願望が描かれていますが、それは現実的な自殺というよりも、逃避への夢想に近いと思います。しかし、言葉による世界の構築と現実世界の(外見の)消滅が書かれた IV は、マラルメの文学との時代的な共有点があるように思われます。詩を書き終え、捨てることは、彼の中の「詩人ランボー」の自殺だったのかも知れません。ランボーはブリュッセル事件で死をあじわったのです。
以下、サルトルのマラルメ論を参考にしてください。「マラルメに先立って、すでにフローべールは、聖アントワーヌを次のような言葉で誘惑させた―「(死ぬがいい)。思ってもみろ、お前を神に匹敵させる仕事を果たすのだぞ。あいつはお前をつくり出したが、お前は、お前の勇気でもって、自由に、あいつの仕事を破壊することになるのだぞ」(『聖アントワーヌの誘惑』第七章)。彼がつねに望んでいたことはこのことではないだろうか。彼が考えつめていた自殺には、テロリストの犯行に似た何かがひそむ。それに彼は自殺と犯罪こそ人間がなしうる唯一の超自然的行為であると言わなかっただろうか。自分たちの悲劇を人類のそれと混同することはある種の人びとに見られることである。それが彼らを救うのである。マラルメは一瞬たりとも、もしも自分が自殺すれば、人類全体が彼の内において死滅するであろうことを疑わなかった。」(ちくま学芸文庫『マラルメ論』P.251-252/ジャン=ポール・サルトル著/渡辺守章・平井啓之訳/筑摩書房)
解読:門司 邦雄
掲載:2002年11月3日、2004年9月4日、2006年4月2日、2008年10月27日、2020年11月10日
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