イリュミナスィオン
黄金の曙とざわめく宵は、広大に形作るこの別荘と付属施設の前の沖合いに、ぼくたちの2本マストの帆船を見つけ、それは岬をエピロスとペロポネソス半島のように、あるいは日本の大きな島のように、アラビア半島のように広大に見せる! 代表団の行列の帰還で照らされる神殿、現代の沿岸防御施設の広大な眺め;熱い花々とバッカス祭の挿絵に飾られた砂丘;カルタゴの大運河といかがわしいヴェニス風のテムズ河岸通り;エトナ火山の穏やかな噴火と花々や氷河の水のクレバス;ドイツのポプラに囲まれた洗濯場;「日本の木」が―首をかしげている奇妙な公園の斜面;そしてスカーブロあるいはブルックリンの"ロイヤル"か"グランド"ホテルの円形の建物正面;そして鉄道が、イタリア、アメリカ、アジアの最も優美で巨大な建築の歴史の中から選ばれたこの「ホテル」の配置に沿って、くぐって、張り出す、ホテルの窓とテラスは、今は灯りと飲み物と豊かなそよ風に満ちて、旅人と貴族の精神に開かれているが―昼には海岸の全てのタランテラ踊りが、(―注2)また、技巧で有名な谷間のリトルネロが、宮殿の正面を素晴らしく飾るに任せている。岬だ。
A. R. (イリュミナスィオン)
注1) 原文は、カンマが小さな区切りに、セミコロンが大きな区切りに使い分けられています。邦訳には、カンマを読点、セミコロンを全角の;にしました。
注2) 原文は消した文字の次に鉛筆書き?で何か書かれてますが ― かどうか分かりません。
注3) 宮殿と岬の間がハイフンかピリオドなのか分かりません。私はピリオドと取ります。
フランス語テキスト
翻訳:門司 邦雄
掲載:2007年10月18日、2020年11月11日
イリュミナスィオン
「岬」は、『イリュミナスィオン』の大都会シリーズのひとつと思われる作品です。「歴史的な夕べ」にも幾分似ています。この詩は『イリュミナスィオン』のタイトルの由来となっている詩でもあります。この詩の最後にランボーのサイン A. R. と(イリュミナスィオン)と書かれていますが、『イリュミナスィオン』はランボーの筆跡か特定できないとする説もあります。また、最後の「岬だ。Promontoire. 」と訳した部分は、ハイフンで前文と繋がっているとも読み取れます。筆跡鑑定で『イリュミナスィオン』が『地獄での一季節(地獄の季節)』より後の成立という画期的な説を提唱したラコストが、ピリオド(ポワン)の可能性を示しながらも、ハイフンと取りました。以後、前文末の「宮殿」とハイフンで結ばれ、「岬宮殿」と読まれてきました。しかし。後期韻文詩編以降を調べてみましたが、ハイフンで結んだ造語はありませんでした。手書き原稿を見て、ランボーは、この詩を書き上げ、サインをして、総タイトルを書いた後、終わり具合が落ち着かないので「岬だ。」を書き加えたのではないかと私は考えました。
Handwriting Text of Promontoire
「岬」の手書き原稿の末尾の部分
出典 : Rimbaud / L'oeuvre intégré manuscrité
/ VERS NOUVEAUX ILLUMINATIONS 1872-1875
Les éditions Textuel, 1996
この詩は、多くの言葉と画像をコラージュしています。色刷りのカード集、つまり着色版画集のことを、イリュミナスィオンとタイトルとしたのではないかと思います。ヴェルレーヌが1886年にヴォーグに掲載されたイリュミナスィオンのタイトルの意味として証言する彩色版画 gravures colorées, ― colored plates とも合致します。さらにヴェルレーヌはランボーが原稿につけたサブタイトルと同じと書いています。サブタイトルとはこの「岬」に書かれた(イリュミナスィオン)のことと考えられます。また、この詩には「日本」が2回も登場し、浮世絵を連想させます。「挿絵に飾られた」と訳しましたが、直訳すれば「挿絵を入れた illustrées 」という言葉も使われています。さらに、イリュミナスィオンには、英語のイルミネーションの意味も含まれているのかも知れません。トーマス・クックによってツーリズムが盛んになった19世紀、1869年のエジプトツアーのイベントとしてランタンのイルミネーションがあったそうです。神殿やホテルのテラスには、観光シーズンには多くの灯りが灯されていたと考えられます。
この詩の原景は、イギリスのヨークシャーのスカーブラというアンダーウッドの説が一般的です。ランボーが記すスカーブロ Scarbro という地名はありません。彼が作ったと思われます。スカーブラ Scarborough はロンドンから北に380キロほどのところにある当時のファッショナブルな観光地で、岬があり、グランドホテルとロイヤルホテルが実在していました。ホテルは現在もあります。スカーブラ Scarborough はスカーボロー、スカボロなどとも言われます。サイモンとガーファンクルの「スカボロー・フェア」のスカボローはこの地名です。この曲はそのものは16世紀の民謡「エルフィンナイト」から始まるとされています。
スカーブラの眺め
https://www.thescarboroughnews.co.uk/heritage-and-retro/retro/forgotten-views-scarborough-26-spectacular-photos-town-early-1900s-2449664
スカーブラの古城は12世紀に建てられました。詩中の「神殿」はこの古城と思われます。
https://www.english-heritage.org.uk/visit/places/scarborough-castle/history/
スカボロー・フェア
http://www.ffortune.net/calen/xmas/songs/scarboroughfair.htm
Scarborough Fair - Celtic Woman / YouTube
https://youtu.be/re9AZ8BJxqQ
Scarborough Fair - Amy Nuttall / YouTube
https://youtu.be/D7YDOhz7jxo
ローマ時代から始まるスカーブラ城 Sarborough Castle は、岬の中心部の小高いところに展開しています。岬の周りには道路が走っています。海から見ると護岸に囲まれているように見えます。スカーブラの代表的なホテルであるグランドホテルは岬より少し南の砂浜の近くにV字形に建てられています。さらに南側には、付帯施設と思われるいくつかのポイントがありました。ロイヤルホテルはさらに南に少し離れてありました。最後の「宮殿」も、外観から考え、スカーバロ城ではなく、王宮風に見えるグランドホテルと思われます。グランドホテルは、1867年に開業し、当時、ヨーロッパ最大のホテルだったそうです。「ヴィクトリア女王をシンボライズしたV字型をしていて、季節を表す4つの塔、月を表す12のフロア、週を表す52の煙突、日を表す365の部屋からなり、スカーブラの美しい砂浜、遊歩道、海岸での催し物を楽しむ完璧な拠点」とグランドホテルのホームページに説明されています。スカーブラの風景写真の中に3本マストの帆船のが写真がありました。おそらくは当時も観光用の小型の帆船があったと思われます。
ランボーは1874年、母と妹がロンドンに滞在した後に、スカーブラに行ったのではないかとアンダーウッドは推測しています。確かに、情景描写などは、実際の風景と合う部分が多いと思われます。しかし、仕事を探していたランボーがロンドンからかなり離れた当時の高級リゾート地に滞在できるほどの余裕があったのか疑問です。浮世絵を連想させる「日本」という言葉が2回出てくることも含めて、当時の旅行パンフレットの絵、写真、カードの画像などを元にロンドンでの体験的映像も重ね合わせ、ランボーが言葉で観光都市のコラージュを創ったと考えたくなります。Scarborough を Scarbro としたのは、フランス人に読めるように音に合わせて書き直したとも考えられます。ランボーはスカボロー・フェアの民謡を知らなかったのでしょうか。
この詩は2文と1語から構成されます。夕べ soir ではなく日没から寝るまでの夜の時間、宵を意味する soirée が使われています、soirée には、夜会、夜の公演の意味もあるので、夜の賑わいと海の音をざわめきと表現しました。この詩の情景は、日没から終わりの「今は灯りと…」の夜の情景に流れていきます。「歴史的な夕べ」も同じですが、日没から日がとっぷり暮れるまでの時間は、風景が夢幻と思索に変わる時間でもあります。「首都の」も同じ時間帯を描いています。「エピロスとペロポネソス半島」はギリシャ半島のイメージで使われているのでしょう。別荘と付帯設備はグランドホテルの一部なのでしょう。「代表団の行列 théories 」(複数)は、古代ギリシアの競技会に列席した各都市の代表団、代表団の行列(ロワヤル仏和辞典)のことです。ここでは、灯りに照らされた古城と団体観光客のことでしょう。海を見下ろすテーブルには灯りがあふれ、砂浜には焚き火もあったかも知れません。人々はお酒を飲んで陽気に騒いでいます。海に注ぐ河口は運河と歩道となります。「テムズ河岸通り Embankments 」は、大文字で始まる堤防 embankment で、ロンドンのテムズ河岸通りの固有名詞ですが複数形です。テムズ河岸通りのような堤防の遊歩道という意味でしょう。同様の固有名詞の複数化が多用されています。「エトナ火山」も複数であり、この噴火はアンダーウッドの指摘のように花火のことと思われます。つづく「花々や氷河の水のクレバス」は、海に注ぐ川に映る花火と水面のことでしょうか。ドイツのポプラに囲まれた洗濯場は、具体的な対象が分りませんでした。川沿いにポプラなどの木立があることは理解できても、なぜドイツなのでしょう、ドイツに近い故郷を思い出したのでしょうか。そして、「日本の木 Arbre du Japon 」ですが、なぜか大文字で始まり、単数形です。「首をかしげている penchant―des têtes 」は、直訳すれば複数の頭を傾けている意味になります。têtes d'un arbre で木の梢という意味です。しかし、ここでは次に「奇妙」なという形容詞があるので、pencher la tête つまり首をかしげていると擬人化して訳しました。「日本の木」とは竹で、ここでは頭をやや垂れている竹か竹林をイメージしたと読みました。日本の浮世絵の映像を夜の情景に幻視したのではないかと考えています。スカーブラはこの詩の原景と考えられますが、ブルックリンは当時、長い橋のある都市だったので、スカーブラと同様に橋のある都市として、この詩に使われたと考えられています。ブルックリンには、ロイヤル、グランドという名前のホテルはありませんでした。建物に沿った鉄道は、やはり当時のロンドンの鉄道のイメージでしょう。夜は旅人や貴族の精神に開かれるホテルの窓とその外のテラスは、昼間はにぎやかで世俗的な祭りの場所に変わります。「飾るに任せている。」と訳しましたが、原文直訳では「飾るのを許す」となります。タランテラ踊りはイタリア、タラント地方の急速なテンポの舞踏で、踊りの激しさを表すために、リトルネロは反復節を含む歌曲で、高度な技法を表すために選ばれた言葉と思われます。「小話」で「私たちの欲望には巧妙な音楽が欠けています。」と書いたランボーですが、ここでは世俗の音楽の技法を許します。陸から海に突き出した祝祭の都市が「岬」であり、産業都市ではなく観光都市です。ランボーが実際のスカーブラを見て描いた都市なのでしょうか、「岬」は、詩からの、あるいは自我からの、詩人ランボーの距離を示しています。詩人ランボーは観光船に乗って風景を通過するひとりです。宵の窓辺の詩の夢想は、昼には現実的大衆の祭りに宮殿のテラスを譲ります。その場所が「岬」なのでしょう。夜明け、宵、ホテルの窓とテラスが主語であり、人を見つけたり祝祭を許したりします。この詩は「青春時代 IV 」の答えのひとつと思われます。
ランボーは、この詩を色刷りの版画から起こしたと私は考えます。この詩が書かれたのが1874年の夏だとすると、夏の情景であることは理解できます。しかし、「首をかしげている」と俯瞰的に見ている言葉の penchant―des têtes d'Arbre du Japon の説明がつきません。またそれ以上に、岬がよく見える位置からはるか遠い les façades du Palais がはっきり見えたとは思えません。
ランボーがスカーブラに行って家庭教師をしたいという求職広告を、ロンドンでタイムズに出したのが11月7日と9日の2回です。11月29日の朝には、ランボーはシャルルヴィルに戻り着いていますので、この求職は受けられなかったのでしょう。この11月がランボーの最後のイギリスです。もしバカンス時季ではない初冬の11月にスカーブラに行けたとしても、海は寒く人もまばらだったでしょう。やはりこの詩はランボーの創作で、求職広告は一度見てみたいと思った彼の心を示しているだけと私は考えます。
解読:門司 邦雄
掲載:2007年10月18日、2020年11月15日
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