イリュミナスィオン

青山のショーウインドー
SOLDES, Aoyama Tokyo, January 1994 - Photo : Kunio Monji

Illuminations

Solde
大安売り

 売り物だ、ユダヤ人も売ったことのない物、貴族も罪人も味わったことのない物、呪われた愛と大衆の地獄の正直さも知らない物:つまり、時も科学も認めなくてよい物は:
 再構成された「声」;コーラスとオーケストラの全てのエネルギーの友好的な目覚めとその即時実行;我々の感覚を解き放つ唯一のチャンス!
 売り物だ、あらゆる種族、あらゆる世界、あらゆる性、あらゆる血統に属さない値段の付けられない「肉体たち」だ! 一歩ごとに豪華な品々が湧き出る! 無鑑定のダイヤモンドの安売りだ!
 売り物だ、大衆向けの無政府状態;高級オタク向けの抑え切れない満足;信者と愛人向けの無残な死!
 売り物だ、居住に、移住に、スポーツに、ファンタジーと完璧な快適生活、さらに騒音と運動とそれらが作り出す未来だ!
 売り物だ、計算の応用と未聞のハーモニーの跳躍。思いがけない表現と思いもよらぬ言葉、即、お持ち帰り。
 見えない豪華さへの、感じられない悦楽への、常軌を逸した無限の躍動、―さらに、それぞれの悪徳のための気も狂わんばかりの秘密―さらに、群集のための恐ろしい陽気さ―。
 ―売り物だ、これからも決して販売されない「肉体たち」だ、声だ、紛れもない膨大な豪奢だ。売り手は、商品が売切れることはない! 旅商人もそんなにあわてて商売を返上しなくてもよい!

フランス語テキスト

翻訳:門司 邦雄
掲載:2007年6月4日、2020年11月7日


バーゲンセール


「この不変の出版物には値段が付けられない。
予約購読者が各自、値段を決める。
しかも、望みの価格で良い!」
(イジドール・デュカス「詩編 II 」)

 イジドール・デュカスの「詩編 II 」の末尾に「告示」があり、このランボーの「安売り」ほど饒舌ではないですが、詩人の自負と(煎じ詰めれば)詩を売ることへの断念が同様に感じられます。

 タイトルの「安売り Solde 」は、フランス語では「安売り」の他に、貸借差引残高、未払金などの意味があります。一般のバーゲンセールでは、複数形で Soldes という表示がされます。見切り品販売という意味でしょう。しかし、単数でも、C'est un solde de Louis Vuitton. でルイ・ヴィトンのバーゲン品という意味になるように、一般的には安売り en solde の意味です。ランボーの時代でも同様の意味という解釈が、ジャンコラ編の詩集の解説にも書かれています。あるいは、現実の品物では無いので数えられない=単数にしたのでしょうか。なお、英語では、sale が文字通り安売りの意味で、日本でも「セール」としてよく使われます。複数の sales は売上高という意味になります。ランボーはこのことも知っていたと思われます。

 この詩の「野蛮な」「青春時代」「祈り」などと共通した要約的な表現と、どこか自暴自棄的でアイロニカルな印象も含め、ランボーが見える者の詩法も含め、自分の詩全体を締めくくろうとした時期に書かれたのではないかと思われます。

 第1節の「売り物だ」と訳したところは、À vendre です。… à vendre で、…は売りに出されているという意味です。その後に、…のもの( ce que … )と商品の説明が続きます。ここでは、掛け声風に訳しました。ユダヤ人は、何でも売る人の意味と、ブリュネルもジャンコラも解説しています。「時も科学も認めなくてよい物は」の行は、前後ともコロン( : )で区切られていてコロンは前文で説明、後文(第2段)で列挙の意味として訳しました。
 第2節のコーラスとオーケストラの目覚めは、かつての「見える者の手紙」を思い出させます。「ぼくが弓をひと弾きすれば、シンフォニーは深淵の中で鳴り出し、あるいは一気に舞台に現れます。」、『イリュミナスィオン』の「ある思想に」には「君の指の太鼓の一打ちで、全ての音は解き放たれ、新しいハーモニーが始まる。」とも書かれています。

 第3節の最終行の「無鑑定」は、sans contrôle で、検査が施されていないという意味です。高価なものがアナーキーに安売りされます。
 第5節の「ファンタジー」は、féeries で、「夢幻」「夢幻劇」などの意味です。「快適生活 comforts 」は、当時のつづりで、快適な設備、設備の整った生活などの意味があります。ここでは『イリュミナスィオン』中の「運動 Mouvement 」の記述の反映が見られます。「運動」の中では、社会全体の進行を示していた叙述が、ここでは商品として取り上げられています。社会全体の思潮へとテーマの拡大が見られます。
 第6節から、イロニーが強くなっていきます。この段では、突然、実態は言語表現で、すぐに所有(つまり使用)できるということが明らかにされます。

 第7節になると、イロニーを越えて、認識の否定を表現しています。見えなければ豪華かどうか分かりませんし、感じられなければ心地よいかどうか分かりません。『イリュミナスィオン』の「小話」の魔神は「言いようもなく、言うのも恥ずかしいほど美しい」と、言語表現不能な美しさ、つまり詩を否定した美しさの持ち主でしたが、ここで販売される商品は、まるで「裸の王様」のドレスのように、実体そのものが認識あるいは理解不能であることを、つまりは実在していないことを暴露しています。「秘密」は同性愛も含めた見える者の詩法とその実践のことでしょう。「陽気さ」は、大衆に広まった作品の毒の効果なのでしょう。ランボーの詩というよりも、当時の文学や思想・宗教の持つ「熱病と癌(悪い血筋)」ではないでしょうか。

 第8節になると、売り手が登場します。売切れがない商品を抱えている売り手(複数)はランボーでしょうか。もっと広い複数形の意味合いで考えてよいと思われます。「旅商人 voyageurs 」とは、旅人の意味の他、訪問販売員、出張代理販売員の意味があります。commis voyageur でセールスマンの意味になります。「商売」と訳した commission は、委託、代理業務という意味を意訳しました。他に、仲介手数料(コミッション)という意味に取る訳もあります。

補注)
第1節の動詞「知らない」は、単数の活用形で書かれていて、ランボー以外の手で複数の活用形に直されています。(ジャンコラ編の注より)
第8節の「紛れもない」と訳された言葉は、inquestionable で、英語の unquestionable を フランス語風にもじった言葉です。(ジャンコラ編の注より)

解読:門司 邦雄
掲載:2007年6月4日、2007年6月6日、2020年11月7日

<< II 戦争  index  青春時代 >>

© Rimbaud.KunioMonji.com