イリュミナスィオン
銀と銅の耕作車が―
鋼と銀の舳先が-
泡を打ち、―
茨の切り株を持ち上げる-
荒れ地の潮流と、
引潮の巨大な轍が
円を描いて紡ぐ、東の方へ、
森の何本もの柱の方へ、―
防波堤の幾つもの幹の方へ、
その角に光の渦巻きが衝突する
フランス語テキスト
翻訳:門司 邦雄
掲載:2002年9月30日、2020年10月27日
ランボーと海
この詩のタイトル「マリーン Marine 」は、しばしば「海景」と訳されています。横長の海景用のキャンバスもマリーンと呼ばれます。同時に船舶、海軍、航海などの意味もあります。英語では海兵隊という意味もあります。私は「マリーン」と訳した方が、多様な意味が取れるのではないかと考えました。
この詩は、海の船(複数ですから船団)と、荒れ地を耕作する複数の車が規則的なダブルイメージで提示されています。詩に描かれた耕作作業から、馬に曳かせた二輪付きの鋤と考え、あえて「耕作車」と訳しましたが、原詩の chars (複数)には、山車、二輪の馬車、戦車という意味もあります。戦車には、古代の馬に曳かせた二輪の戦車も含まれます。ランボーはイメージの抽象化を狙って chars と書いたとも思えます。「二輪車」という翻訳もありますが、自転車とも取られるので、具体的なイメージを付与して「耕作車」にしました。なお、最後の行の「その角」とは、「防波堤」の角のことでしょう。荒れ地を馬に曳かせた鋤が耕地に変えていくように、船団が海を耕していく、つまり海上交通・交易が世界の海を征服していくことを描いた詩だと思います。
この詩は、『イリュミナスィオン』中の数少ない自由詩形の詩です。「眠れない夜 I 」も自由詩形のようにも見えます。「青春時代 II ソネ」も自由詩形とも取れます。しかし、はっきりとこの詩と似た形をしている詩は「運動」でしょう。「マリーン」と「運動」は、後期韻文詩編と『イリュミナスィオン』の散文詩の中間的な形態として、イリュミナスィオン中の比較的早い時期の作品と考えられています。形式的な類似の他に、航海がテーマとなっている点も同じです。私はこのふたつの詩は同じ頃、つまりランボーが1872年の9月、初めて船でロンドンに渡ったときの体験を契機に書かれた詩ではないかと考えています。
この詩は、形式上の実験であるとともに、自分の外にある現実を方法論に基づいて描写し、詩に変容させる実験だったのではないでしょうか。1872年春、後期韻文詩編を集中的に書いた時期から、1873年のブリュッセル事件、そして詩の放棄まで、ランボーは少年から大人へと変化し続けました。この詩は、ランボーの詩が少年から大人へと変わるときの内面の記録のように思えます。ランボーは『地獄での一季節(地獄の季節)』の「錯乱 II 言葉の錬金術」で「おれは旅をして、おれの脳の上に集まった呪縛を取り払わねばならなかった。おれの汚れを洗ってくれるかのように、海を愛していたが、海の上に慰めの十字架が立ち上がるのを見ていた。」と書きます。ヴェルレーヌとともにベルギーからイギリスに渡った最初の船旅は、ここに書かれた「旅」の第一章だったと思います。
ムーズ川での舟遊びの体験や読書体験を、見者の詩法により内面的体験に作り変えた「酔っぱらった船(酔いどれ船)」と比べ、実際の「海」を見て書かれたこの「マリーン」の短さ、素っ気なさ、感情移入のなさには、大きな隔たりがあります。ロートレアモンの「マルドロールの歌」の海は、モンテヴィデオからフランスへの航海の体験に科学的考察なども織り交ぜて内面化されて描かれた「詩の海」ですが、ランボーの「詩の海」は「酔っぱらった船」と「永遠」と『地獄での一季節』の彼方に「行ってしまった」のではないでしょうか。そして、「岬」の彼方から眺めるだけの思い出になってしまったのでしょう。
解読:門司 邦雄
掲載:2002年9月30日、2020年10月27日
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