イリュミナスィオン

Illuminations

Mouvement
運動

大河の滝の土手の上での横揺れの運動が、
船尾の渦巻きが、
傾斜路の迅速さが、
流れの巨大な回転歩が
前代未聞の光と
化学の新発見により
旅行者を囲む、谷の竜巻と
渦潮で。

この人たちは、世界の征服者たちだ、
個人的な化学の富を探している;
スポーツと快適生活が、彼らとともに旅をする;
彼らは教育を運んでゆく
種族と階級と家畜を
この船に乗せて。
休息と眩暈へ
大洪水の光の下での、
学問の恐ろしい夜。

なぜなら、―血、花、火、宝石、―という機械装置の間の雑談から、
逃走する船べりの扇動的な計算から、
―堤防のように流れる水力機械化の道に、
化け物のような、果てしなく輝く、―彼らの学問の蓄積が見える;―
狩り立てられる彼ら、調和した恍惚と、
発見のヒロイズム中で。

最も驚くべき大気の異変で
若い夫婦が孤立して箱舟に乗り込み、
―これは許される古代の野蛮か?―
歌を歌い、配置に着く。

フランス語テキスト

翻訳:門司 邦雄
掲載:2002年9月30日、2020年11月17日


ランボーと船


 この詩は、「マリーン」と同じ自由詩のスタイルをしています。ガルニエ版の注( S. Bernard, A. Guyaux )には1872年に文芸誌「ルネサンス」に翻訳で掲載されたアメリカの詩人、ホイットマン( Walt Whitman 1819-1892)の影響を見ています。また、1873年の5月にオスタンド・ドーバー間の航海を契機に書かれた詩ではないかと、推定しています。しかし、この時すでにランボーは『地獄での一季節(地獄の季節)』の前身である「異教徒の書」、「黒人の書」に着手しています。むしろ、1872年9月の最初の航海を契機に書かれたと詩と考えた方が、この詩の明るさに合っていると思います。

 タイトルの「運動 mouvement 」は、「横揺れの運動 le mouvement de lacet 」に使われるだけで、他には出てきません。この詩の全体の意味から考えると、時代の進行と船舶の運航をあわせたような意味と考えられます。ランボーがなぜこのタイトルにしたのかは、分かりません。
 この詩は、一見、運河を行く船のような印象を受けますが、内容から考えて、ヨーロッパから植民地に向かう大型の船舶と思われます。私は、最初の部分は、大型船の甲板から見た船首の、船尾の、船腹の水流だと思います。4行目の「回転歩(潜行) passade 」は、本来は馬術の回転歩の意味ですが、水泳用語で、他の泳者を潜行させて自分の下を通過させることの意味があります(辞書 Le Littré )。つまり、船体の下の水流と思われます。

 この船は、当時の科学技術、つまり近代工業化社会を積んで、植民地を始めとして世界の海に向かうヨーロッパ列強の黒船です。しばし指摘されるように、化学は科学(技術)と錬金術のふたつの意味合いを表しています。「血 sang 」は「悪い血筋 mauvais sang 」と同じように、種族、民族、血統を表しているのでしょう。花は文化、火はエネルギー、宝石は財力、資本でしょう。

 この詩の最後で、「若い夫婦が孤立して箱舟に乗り込み」ます。原文を直訳すると「箱舟の上に孤立する」となります。この「若い夫婦」は、ランボーとヴェルレーヌの見える者夫婦でしょう。彼らは近代文明から離れて「太陽の息子の原始の状態」(『イリュミナスィオン』/放浪者)を探しに現代の「箱舟 arche 」に乗り込みます。この詩で見る限り、若い夫婦は、溌剌として意気盛んです。
 この詩、「運動」の「船」にはわざわざ大文字で始まる Vaisseau という言葉が使われています。これは船舶、つまり大型の船の意味です。現在では、主に軍艦という意味に使われるようです。そして、この「船 vaisseau 」がふたたび出てくるのは、『地獄での一季節』の「永別」です。「金色に輝く巨大な軍艦が、おれの上で、色んな色の旗を朝風に旗めかす。」この船は、ヨーロッパの近代工業化社会と帝国主義進出の勝利を満艦飾に飾り、天空を凱旋します。そして皮肉なことに、この勝利に対抗して並べられた見える者ランボーの戦利品、「祭り」「ドラマ」「花」「星」「愛欲」「言葉」には、「運動」に書かれた船の積荷と機械装置との奇妙な類似を感じてしまいます。

 ランボーの船は、「思い出」(後期韻文詩編)の中では、「小舟 canot 」です。やがて「船 bateau 」、つまり「酔っぱらった船(酔いどれ船)」となってヴァーチャルな大海を航海します。しかし、現実の海を航海する近代的な「船舶 Veaisseau 」から降りたランボーとヴェルレーヌの若い見える者夫婦は、古代の「箱舟 arche 」に乗り込みます。そして、この arche は『地獄での一季節』の「永別」の中では「小舟 barque 」となって霧の中に孤立します。この barque は、パソコンパーツなどのバルク品のバルクです。barque fatal は三途の川の渡し舟です。近代社会への反抗の夢を託された小さな箱舟はここに座礁します。私たちは、ランボーの箱舟の行く末を知りません。

解読:門司 邦雄
掲載:2002年9月30日

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