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ランボー イリュミナスィオン

Ornières

轍(わだち)

 右手では、夏の夜明けが公園のこの隅の木の葉と靄と物音を目覚めさせる、他方、左手の斜面は、そのすみれ色の陰の中に、湿った道の何千もの迅速な轍を留めている。妖精の国の行進だ。その言葉どおり、金色に塗られた木製の動物たちと、柱とまだらの幕を積んだ何台もの山車が、20頭ものサーカスのぶちの馬の全速歩で、子供も大人も、最もびっくりするような獣たちに乗って。 ― 昔の、あるいは、お伽話の豪華な四輪馬車のように、浮き彫りを施し、旗と花で飾られた20台もの馬車、郊外の牧人劇のために奇妙な格好をした、たくさんの子供たち。 ― 夜の天蓋の下には、黒檀の羽飾りを立てた棺さえも幾つもあって、黒や青の大きな雌馬の早足で駆けている。

フランス語テキスト

翻訳掲載:2003年10月26日


サーカスの霊柩車

 この詩のタイトルは複数の轍 Ornieres です。陽のあたる右手の斜面と、陰の左手の斜面の舞台装置は、「神秘の」を連想させます。公園の中の小山を、その南側から朝に見たと考えると、この情景描写が理解できます。あるいは、ランボーのお気に入りの場所があったのでしょうか。しかし、この詩では「神秘の」と異なり絵は展開されず、轍から連想される幻影がランボーの脳裏を通過していきます。この幻影の源を、ランボーが幼少の頃に見たサーカスの行列などに探す評家もいます。この早足で通過するお伽の行列は、幻覚であり、その時に実在した光景ではないように思えます。この作品は、しばしば言われる、見者ランボーの実験手帳としての「イリュミナスィオン」の一葉ではないでしょうか。ランボーの見者の詩法は、1年近い準備期間の後、後期韻文詩編(音楽編)と「イリュミナスィオン」(映像編)に結実しました。「イリュミナスィオン」は、例えばマラルメの「書物」のように、森羅万象の縮図として始めは企画されたのではないでしょうか。しかし、言葉は言語であり映像ではありません。ランボーの見者の詩法、その幻覚的映像編「イリュミナスィオン」は当然の帰結として、描写的、思考的、体験的、叙述的な作品へと変化していったと思います。この「轍」を始めとして、「花たち」「神秘の」「夜明け」などは、見者の詩法・映像編の輝かしく結実した数葉だと思います。この詩は「夏」という文字が示すように、1872年の初夏から夏にかけて書かれたものでしょう。ブリュッセルの公園や祭から、その詩想を得たとも考えられます。
 「まだら bariolees 」は、雑多な色で塗られた(けばけばしく塗りたくられた)という意味です。雑然とまとめられた様々な色のテントや舞台幕などを、印象派の絵画のようなタッチで言い表したのでしょうか。この表現は「ぶちの馬 chevaux tachetes 」にも繋がっています。当時のサーカスで、特にブチの馬が使用されたという記録は無いようです。「全速歩」と訳した言葉は、grand galop つまり「大ギャロップ」です。20は、音(ヴァン)からも選ばれた言葉で、たくさんという意味でしょう。「奇妙な格好」は、原詩では attifes となっており、テクスチュエル版のC.ジャンコラの注によると、当時はとくに頭部の装飾のことを意味したとあります。最後の霊柩馬車ですが、パリの写真家アジェの作品に「一等霊柩馬車 Char de premiere class ( voiture de pompes funebres ) 」(1910年)があります。この馬車は、18世紀に遡り、装飾を豊かに施された最も高い料金の馬車との解説があります(注1)。黒塗りであること以外は、お伽話の貴族の乗る馬車のように見えます。ランボーは華麗な霊柩馬車をイメージしたのだと思います。棺の方は、羽飾りを付けることがあったのか、判りませんでした。夢幻の世界が、死の世界の入口に通じていることは、「少年時代」を連想させます。
 この詩を訳して始めに思ったことは、パリかブリュッセルで見た豪華な葬式の行列から、幼少年時のサーカスを連想したのではないか、ということです。1885年のヴィクトル・ユゴーの壮大な国葬の行列の図(注2)を見ると、花輪を積んだ多数の山車と、それを曳く装飾した布をまとった多数の馬が描かれています。死者を運ぶ行列ですから、「妖精の国(複数)の行進 Defile de feeries 」という表現も理解できます。もっとも、実際にランボーが豪華な葬式を目撃したか、死の行列をお伽の国に喩えたのかは、知る由もありません。また、ブリュッセルの祭の出し物、たとえばメリーゴーランドとかに、この詩のイメージを喚起させるものがあったとも考えられます。

注1) ノアの大洪水と虹について注1) 出典:
東京都庭園美術館資料 第16輯
写真集 パリ・街・人 ― アジェとカルティエ=ブレッソン 分冊Ⅱ
財団法人 東京都文化振興会発行/1988年
注1) ノアの大洪水と虹について注2) 出典:
19世紀フランス 愛・恐怖・群衆 挿絵入り新聞『イリュストラシオン』にたどる
小倉孝誠 著/人文書院発行/1997年
図41 コンコルド橋を渡り、下院の建物の前を通り過ぎるユゴーの棺と葬列

解説掲載:2003年10月26日、10月28日追加

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