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ランボー イリュミナスィオン

Phrases

フレーズ

この世が、私たちのびっくりした4つの瞳のためのたったひとつの暗い林となるとき、 ― 心を結び合うふたりの子供のための砂浜となるとき、私たちの清らかな共感のための音楽堂となるとき、 ― 私はあなたを見つけるでしょう。
 もの静かで美しい、「前代未聞の豪奢」に取り囲まれた孤独な老人しか、この世にいなければ、 ― 私はあなたにひざまずくでしょう。
 私があなたの思い出をすべて実現してしまったら、 ― 私があなたを縛れる人なら、 ― 私はあなたを絞め殺すでしょう。

――――――――

 私たちがとても強ければ、 ― 誰が尻込みするかしら? とても陽気なら、誰が笑いものになったりするかしら? 私たちがとても悪がしこければ、私たちをどうできる。
 お洒落しなさい、踊りなさい、笑いなさい。 ― 私は愛の女神を窓から追い出したりはできません。

――――――――

 ― 私の仲間、女乞食、化け物子供! あの不幸な女たちとあの労務者たちも、私の迷惑も、みんなどうでもいいんだね。この卑しい絶望の唯一のおべっか使い、あんたの声! 我慢できないあんたの声で私たちにまとわりつきなさいよ。

フランス語テキスト

翻訳掲載:2002年4月26日


愛のパロディ

 この詩と次に続く詩は、同じ様に断片的な文章で構成されていますが、区切りがこの詩は線で、次の詩は*(原稿は X )と異なり、イリュミナスィオンの原稿でもページが替わり、内容的にも異なるので別の詩と考えられています。ここでは、この詩のタイトルを「フレーズ」、次の詩のタイトルを「(フレーズ(無題))」としました。
 タイトル「フレーズ」は、「断章」とも訳されています。次の「(フレーズ(無題))」は、フランス語のテキストでは、Fragements sans titre (ポショテク版)などの仮タイトルがつけられています。この fragemants の訳語も「断章」となります。私は短い詩を並べた形という意味で、タイトル Phrases を「フレーズ」と訳しました。
ページにまたがったこの2つの詩には、原稿がランボーの並べた順序どおりとしての場合ですが、形式だけでなく内容的な対応性もあると思われます。この点については次の詩「(フレーズ(無題))」の解説を参照してください。なお、「(フレーズ(無題))」は、同じように「***」で区切られた「美しくあること」の後半から続いているという説もありますが、内容的に同じ詩とは考えにくいです。
 この詩は、ヴェルレーヌの詩との類似性が指摘されています。マチルドとの恋愛をテーマとした「よき歌」(1870年印刷)の「XVI(17番)」の第3節には、同じ「暗い林」という言葉がありますし、内容的にも類似性が感じられます。「言葉なき恋歌(ロマンス・サン・パロール)」(1874年印刷発行、一部1872年に「文芸復興 La Renaissance litteraire et artistique 」誌に掲載)の「忘れられたアリエッタ(小唄)」の「IV(4番)」には「ふたりの子供になりましょう」という言葉があります。この2編の詩の訳は、それぞれリンクしてありますので参照してください。
 この「忘れられたアリエッタ」の I (1番)の詩は「それは…だ ( C'est… ) 」という書き出しで始まります。ランボーの「イリュミナスィオン」の「眠らぬ夜 Veillees 」も同じ書き出しで始まります。「III (3番)」は、よく知られている「町に雨が降るように…」で始まる詩で、ランボーの(残っていない)詩の1行が冒頭に引用されています。
 この「フレーズ」がヴェルレーヌの詩のパロディという観点では、多くの批評家の意見が一致していますが、その先になると様々な解釈に分かれています。誰の視点で何のために書かれた詩なのでしょうか。
 ランボーとヴェルレーヌは、同性愛という恋愛関係にあり、しかもヴェルレーヌにはランボーより1歳年上のマチルドという妻がありました。つまり、三角関係だったわけです。ランボーは、後に「地獄での一季節」で「おれに吹き込まれたイカサマ、魔法、インチキ香料、幼稚な音楽(地獄の夜)」とヴェルレーヌから教えられたことを書きますが、後期韻文詩編を書いていた頃は、文学上・同性愛上の先輩であるヴェルレーヌをマチルドより奪い取ろうと「辛抱強く修行をして(「「永遠」」)」いたと思われます。同性愛関係のふたりの詩人が、自分たちの交感を詩に書くのは自然な行為だったと思われます。
 この詩は、ヴェルレーヌの「よき歌」からランボーがヒントを得ている、つまりヴェルレーヌとマチルドとの愛の詩を、ヴェルレーヌとランボーの愛の詩に置き換えていると読めます。と、同時に、おそらくは先に書かれたヴェルレーヌの「忘れられたアリエット」の「IV(4番)」に対するランボーのレスポエムとして書かれた詩のように見えます。「V(5番)」は「文芸復興」誌に1872年6月に掲載されています。
 映画「太陽と月に背いて」で、マチルドとランボーの間で揺れるヴェルレーヌを取り戻そうと、マチルドがヴェルレーヌをホテルに呼び出すシーンがあります。しかし、ヴェルレーヌの下心はランボーに見透かされて、やがてヴェルレーヌはランボーとベルギーに向かう汽車に乗ります。あのヴェルレーヌの演技には趣きが感じられました。協賛の SNCF (フランス国鉄)、面目躍如のシーンでもありました。
 ランボーの「フレーズ」は、この事件の結末を連想させます。ランボーは、マチルドより奪い取ったヴェルレーヌに対して、すでにどこかクールに見据えて書いているように感じられます。「私」はヴェルレーヌであり、「あなた」はランボー、そして最後の「女乞食、化け物子供」はマチルドを指しているのでしょう。マチルドから見たランボーのイメージを、ひっくり返して、仕返しをしたと思われます。そして、ランボーはヴェルレーヌに「絞め殺し」はされませんでしたが、やがてピストルで撃たれてしまいます(1873年7月)。
 なお、手書き原稿では、最初の行は字下げしていませんので、翻訳も同じスタイルとしました。

解読掲載:2002年4月26日

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