イリュミナスィオン

Illuminations

Soir historique
歴史的な夕べ

 たとえば、我々の経済的恐怖感から身を引いたお人好しのツーリストがいるある夕べ、巨匠の手が草原のクラヴサンをいきいきと奏でている:王妃と愛妾が現れる鏡の水面、池の底ではトランプをしている。夕焼け空には、聖女、ヴェール、音楽の名残り、伝説のにじみが見える。
 ツーリストは、狩猟と遊牧民の通行に身震いする。喜劇は芝生の舞台にしたたり落ちている。そして、この愚かしい平面上には貧乏人と弱者の窮状だ!
 ツーリストの奴隷じみた視野の中では、―ドイツは月に向かってよじ登り;タタールの砂漠には灯りがともる、―中国のど真ん中では古の反乱がひしめく、階段でも玉座でも ―アフリカと西洋という蒼ざめた平たい小世界が建ち上がってゆく。それからは、海と通俗的な夜のバレー、価値のない化学、耐えがたいメロディーだ。
 郵便船が我々を降ろすところ、どこもかしこも、同じブルジョワの魔術だ! もっとも基礎的な物理学者でも、その確認がすでに苦悩である、物質的悔恨の霧のかかった、この個人的な雰囲気に従うことは、もはや困難であると感じている。
 いやだ! ―その確実性は聖書の中に、またノルヌの神話によって悪ふざけではほとんどなく示され、まじめに見張りをしているあの存在にもやがて与えられるが、蒸し風呂と、海面上昇と、地殻変動と、惑星消滅と、さらに、一貫した絶滅の時だ。―しかしながら、これは伝説の結果では全くないだろう!

フランス語テキスト

翻訳:門司 邦雄
掲載:2002年9月11日、2020年11月15日


19世紀ブルジョワの魔術


 この詩は、ポショテク版でブリュネルが指摘しているように、あいまいな(さまざまに取れる)表現が多く使われています。むしろ、ランボーはどこか科学技術書風とでも言えるギクシャクした表現で遊んでいるように思えます。

 タイトルの「歴史的な夕べ Soir historique 」の「夕べ soir 」は、夜と考えることもできますが、この詩の第1節が日没後の夕暮れの情景なので「夕べ」と訳しました。アダンは現行政治体制の覆滅、つまり革命という意味の le grand soir との関連を指摘しています。私は、この詩の第1節の寓話的な情景描写、あるいは最後の節に書かれた「伝説」と対比した、現実の歴史上の出来事という意味で歴史的 historique が使われていると思います。

 第1節の「ツーリスト touriste 」は、「ツーリスト」であり「旅人 voyageur 」ではありません。19世紀にイギリス人トーマス・クック(注1)により、現在の旅行代理店のシステムが作られ団体観光旅行がブームになりました。万国博覧会ツアーが組まれ、労働者階級からも多数の参加者がありました。このツーリストはこうしたツアー参加者のことだと思われます。そして、多分夏の終わりから秋にかけての風景なのでしょう、郊外の草地では虫が鳴いています。「クラブサン」はハープシコードにあたるフランス語です。「巨匠」は大自然のことでしょうか。「愛妾 mignonnes (複数)」は、「子供」の愛情語、ここでは女性形なので「お嬢さん(複数)」となりますが、むしろ「寵臣 mignon 」を女性形にして「王妃(複数)」とセットにしたと考えらています。水面の絵姿は絵画やナルシスを思い出します。池の底のトランプは『地獄での一季節(地獄の季節)』の「錯乱 II 言葉の錬金術」の「湖の底のサロン」を連想します。「夕焼け空 couchant 」は、夕日、夕空という意味です。続く情景から「夕焼け空」と訳しました。夕空に浮かぶ様々な雲と夕暮れ時の町の音を表しています。「にじみ」と訳した chromatismes (複数)に」は、彩色、色収差、さらに半音階主義などの意味があります。

 短い第2節は、次の第3節への繋ぎでしょう。「遊牧民 hordes (複数)」は下のタタールと組み合わせて「タタール遊牧民 hordes tartares 」というふうに使われます。タタール族の軍団は13世紀にヨーロッパに侵入しますが、彼らは la Horde d'Or つまり黄金の騎馬軍団と呼ばれました。horde には「暴徒の群れ」という意味もあります。

 第3節文頭の「彼の」の「彼」は「ツーリスト」と思われますが、「ドイツ」と読む解釈もあります。「よじのぼる」と訳した部分は、原文直訳では「足場を組む」となりますが、根拠のないものをでっち上げるという意味もあります。動詞 échfauder は、代名動詞的に s'échfauder として使われています。名詞は、échafaudage (足場)ですが、échafaud という名詞もあり、こちらは死刑台という意味です。普仏戦争を始めとするドイツの侵略、あるいは植民地への進出などを指しているのでしょう。次の「タタールの砂漠には灯りがともる」の「灯りがともる」は代名動詞 s'éclairer が使われています。「明るくなる」「輝く」などとも訳されています。タタールはモンゴル(蒙古)民族中の一部族の呼称です。韃靼(だったん)とも呼ばれます。ここでは、モンゴル民族の総称として使われていると思います。おそらく、チンギス・ハン(ジンギス・カン、成吉思汗)の蒙古帝国をドイツが無謀に夢見ているという意味なのではないでしょうか。
 そして、タタールから中国へと、連想が進みます。この「古の反乱」は太平天国の乱(1851-1864)のことなのでしょうか。判然としません。以下、清国の宮廷での内紛が暗示されていますが、具体的な政治事件としては分かりませんでした。ヨーロッパ列強が、(後には日本も)清国に進出していきます。つまりアジアはなく、アフリカと西洋(ヨーロッパとアメリカ)が全世界を形作るという意味なのでしょう。ヨーロッパ列強は船で世界に進出していきます。「海と通俗的な夜のバレー」は、豪華客船での夜会を意味していると思われます。「価値のない化学」の「化学」は「科学」とほぼ同じ意味で使われているのでしょう。錬金術という意味合いも感じられますが、同時に産業革命でフランスが成功した分野が化学であったことも思い出します。

 第4節、「郵便船」と訳した malle は、一般には「郵便馬車 malle-poste 」と訳されています。本来の意味は、大型の荷物ケース(トランクなど)です。ここでは、前節の最後が船のイメージなので「船便」という意味に取り、「郵便船」と訳しました。ヨーロッパと海外を往復する、郵便物も同乗する船の意味です。なお、万国郵便連合( Universal Postal Union )は、1874年10月に設立されました。この malle という言葉の発音は「悪 mal 」と同じであり、ランボーが言葉遊びをしたと思われます。なお、航空便は、今では一般化して par avion と書くだけでOKですが、本来の呼び名はクーリエ( courrier )です。

 「ブルジョワの魔術」ですが、これは19世紀後半の科学技術の開発のことを指していると思います。広い意味では産業革命以降のブルジョワジー(資本家階級)の富と文化と考えられます。20世紀の終わり近くにN新聞の社説(インターネット版)には、「20世紀が生んだ最大の発明の一つである自動車の影の部分を21世紀に引き継がない知恵と努力が必要だ。」と書かれていましたが、これはよくある誤りです。自動車は1885年にダイムラーにより発明・実用化されました。つまり19世紀の発明です。1879年にはジーメンスが電気機関車を走らせています。同じ年にエジソンが電球を発明しています。レントゲンによるX線の発見とマルコニーによる無線電信の発明は1895年です。今日の実用的な技術の多くが19世紀後半に発明もしくは実用化されています。レオナルド・デ・フェリス著の「創造の魔術師たち」(注2)には、こうした創造がイラスト入りで紹介されています。
 友人ドラエーが「親しい思い出 Souvenirs familiers 」で描いている少年革命家ランボーは人間精神の解放と科学(技術)の進歩による物質的労働からの解放を信じていました。その後、見える者となり、ロンドンに行ったランボーは、魂の救済と科学技術の葛藤を詩に書き込みます。「科学的魔法の出来事と社会的友愛の運動が基本的自由の漸進的復権として、どうして大切なんだ?…」(『イリュミナスィオン』/「苦悩」)、「おお! 科学だ! 全てを取り戻した。体のためにも、精神のためにも、―臨終の聖体拝領だ、―医学に哲学がある、―民間薬と編曲された流行歌だ。さらに王侯貴族の気晴らしと禁じられていた遊びだ! 地理学、宇宙形状学、力学、化学!…/科学、新興貴族だ! 進歩。世界は進む! なぜ回らないんだ?」(『地獄での一季節』/「悪い血筋」)、「「すべては空ではない。科学に、前進!」と今時の「伝道者の書」、つまり「世間みんな」が叫ぶ。」(『地獄での一季節』/「閃光」)などと書かれています。

 フランスの鉄道は1860年ごろにかなり普及しました。つまり、産業革命のひとつの区切りが来たのではないでしょうか。その後、1873年から95年にかけては、ロンドンをはじめとする世界的なリセッションが訪れます。しかし、その間にも人々は新しい創造を生み出していきます。見える者ランボーの新しい創造は「後期韻文詩編」と『イリュミナスィオン』に結実し、(あえて言うならば)作家ランボーの「魂の救済」のドラマは『地獄での一季節』に結実しました。実用的科学技術が開発されつつあった時代、そこには錬金術というロマンも、革命という政治のロマンもありましたが、ランボーは詩により「世の中(生活、人生)を変える changer la vie 」ことを実践したのでしょう。詩を放棄したランボーはアフリカでママンに科学技術書を送るように手紙で依頼しています。私たちは、歴史的事件も発明・発見も、すべて結果の年代で見てしまいますが、ランボーが詩を書いていた時代は、新たな「ブルジョワの魔術」の揺籃期であり、結実が始まるのは1880年頃まで待つ必要があったようです。

 当時の国際的交通・交易手段であった船舶の行き着く先には、ヨーロッパの近代ブルジョワ工業化社会の生活・文化が移植されていきます。「基礎的な物理学者」は、「初歩的な物理学者」とする訳もあります。ここでは、実用的、工業的な科学(技術)ではないという意味で「基礎的」と訳しました。さらに「物質的 physiques (複数形)」は「物理学者 physicien 」と対応しています。なお、「肉体的」と解釈する訳もあります。この詩では「化学」と対応して使われていると考え「物理学者」と訳しましたが、広い意味では「自然科学者」とも訳せます。「物質的 physiques 」は「形而下」という意味でもあり、『イリュミナスィオン』の「祈り Devotion 」の「この世ならぬ旅」、つまり「形而上の旅」の「形而上 métaphisiques 」に、この詩の「形而下 physiques 」が対応していると思います。

 第5節は、ランボーの結論なのでしょう。タイトルに使われた soir には、晩年、終末期という意味もあります。「ある夕べ」の叙述で始まったこの詩ですが、「 Soir historique 歴史上の終末」の提示で終わります。まわりは既に夜で、思考は神話の世界に入っていきます。ここに書かれた破滅の神話、伝説についてですが、聖書の「ヨハネの黙示録」とされています。しかし、「モーセの十災」も「ノアの大洪水」も、やはり破滅の伝説でしょう。ノルヌはポショテク版の注( P. Brunel )によると、スカンディナヴィアの神話の、Urd (過去)、Verdandi (現在)、Skuldi (未来)の3女神と解説されています。ランボーがルコント・ド・リールの詩「ノルヌたちの伝説」(詩集「 Poèmes barbares (蛮族の詩)」)を読んでいた、あるいは、神話の翻訳そのものを読んでいた可能性があると書かれています。ここで、まじめに見張りをしているのは、ノアではなく、ランボーなのでしょうか。そして、列挙された破滅は、私には神話の破滅でなく、現代喧伝される地球温暖化による災害(温暖化、洪水、海面上昇)を連想させます。この詩が書かれた1870年代のヨーロッパ、あるいは世界の気候をインターネットで調べたのですが、はっきりしたことは分かりませんでした。ただ、ランボーが1872年6月の友人ドラエーへの手紙にも書いているように、パリやロンドンはすでに大都市化していて、北フランスの地方都市シャルルヴィルよりずっと暑かったのではないかと想像しています。世界の気候、温暖化については、様々な説があり、主因CO2説は政治的に利用されているとの見方もあります。
 最後に、ランボーらしい一行が付け加えられます。伝説の結果でないのなら、何の結果なのでしょうか。それは、単なる歴史の必然なのでしょうか。答は見当たりません。また、ここで書かれた絶滅も、単語の羅列であり、たとえば「「ノアの大洪水」の後」のような圧倒的な感情移入はありません。むしろ、第4節までの方が、ランボーの感情が伝わってくるように感じます。この詩は1874年の初秋にロンドンで書かれたと考えています。

参考文献について
注1) 講談社現代新書 1309/『トーマス・クックの旅―近代ツーリズムの誕生』/本城靖久著/㈱講談社/1996年発行
近代ツーリズムは禁酒運動から誕生したことが分かるおもしろい本です。
注2) 『図説 創造の魔術師たち 19世紀発明家列伝』/レオナルド・デ・フェリス著/本田成親訳/工学図書㈱/2002年発行
原題 VICTORIAN INVENTIONS
数々の発明が大きなイラストで示されていて、発明の時代の熱狂を身近に感じられます。

解読:門司 邦雄
掲載:2002年9月11日、2002年11月3日、2020年11月15日

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