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ランボー イリュミナスィオン

Villes

大都会(2)

 現代的野蛮の最も巨大な構想をも超えた、公共のアクロポリス。このいつも灰色の空によって作られるくすんだ日光と、建物の帝国の輝きと、地面の永遠の雪を表現することは不可能だ。建築のあらゆる古典的驚異が奇抜な巨大趣味で再現された。ハンプトン・コートの20倍も広大な場所で絵画の展覧会を見物する。何という絵だ! ノルウェイのネブカドネザル王のような人物が内閣の階段を造らせた、私が会うことができた下級官僚さえバラモン僧よりも尊大だった、巨像の番人と建物の警備員を見て私は身震いした。小公園や、出入り口のない中庭とテラスを成している建物の群れから、御者が締め出された。公園は見事な技術で造られた原始の自然を再現している。高台には説明できない区域がある、船のない入り江が、巨大な燭台を載せた河岸の間で、青い霰の水面を揺らしている。短い橋が「聖礼拝堂」のドームの下の秘密の扉に直ぐ続いている。このドームは直径およそ1万5千フィートの美しい鉄骨製である。
 銅の歩道橋と、プラットフォームと、卸売市場と柱を一回りしている階段の、いくつかの場所から私はこの都市の深さが判ると思っていた。驚くべきことだか、私には判らなかった。アクロポリスの上、あるいは下の他の地区の高さはどのくらいだろうか? 今日の外国人には判らない。商店街は単一形式の円形広場で、アーケードがある。商店は見えない。だが、車道の雪は踏みつぶされている。ロンドンの日曜日の朝の散歩者のように数少ないインド帰りの大金持ちが、ダイヤモンドの乗合馬車に向かう。赤いビロード張りのソファーがいくつか、8百ルピーから8千ルピーまでのさまざまな値段の極地の飲物を売っている。この円形広場に劇場を探そうと考えたが、店には充分に陰気なドラマを仕入れているはずだと自答する。警察のようなものもあると思うが、法律はとても奇妙なはずだから、ここの詐欺師のことは判らないとあきらめる。
 郊外は、パリの美しい町並みのように優美で、明るい空に恵まれている。民主主義分子も数百人を数える。そこでは、まだ家もまばらであり、郊外は、永遠の西の地方を驚異的な森林と大農園で満たしている、野蛮な貴族たちが人工の光の下で彼らの年代記を追っている「伯爵領」の田園の中に奇妙に消えていく。

フランス語テキスト

翻訳掲載:2002年11月3日


アクロポリス

 この詩のタイトル「大都会(I)」はフランス語では「 Villes 」、つまり「町 ville 」の複数です。「大都会(II)」と同様に「大都会」と訳しました。ランボーはこの詩のタイトルの下にIIという数字をふり、それを線で抹消しています。始めは、もうひとつの大都会(I)と同じタイトルでひとつにまとめる(たとえば「人生」のように)意図だったと考えられます。この詩の原稿は、ジェルマン・ヌーヴォーにより清書されたもので、ランボーがヌーヴォーとロンドンに行った1874年3月、4月に清書されたものとされています。
 原詩のフランス語の語順では、冒頭に「公共のアクロポリス」が来ます。「公共」のフランス語は officielle で、つまりオフィシャルです。「大都会(II)」では、「とある国民のため」に「大都会」の周りには夢幻の山々がそびえ立ちます。国民と神話が混ざり合う夢幻の都市が描かれました。一方、この「大都会(I)」は、別の視点から、つまり政治的、産業的に大都市をとらえて書いた詩です。「建物の帝国の輝き」や「内閣の階段」という言葉から考えても、「公共のアクロポリス」は議会や官庁などの政治中枢を持つ現代のアクロポリスなのでしょう。ランボーは、民衆と神話の大都会と産業と支配の大都会を一対の詩として書いたのではないでしょうか。
 この詩の素材になっている都市は、「大都会(II)」と同じくロンドンだとされていますが、アダンはランボーが1877年に訪れたスウェーデンのストックホルムと読んでいますす。イリュミナスィオンが1874年に書き上げられた可能性が高いことと、スクエア、サーカスなど英語の都市区画の呼称が使われていることなどから考えて、やはりロンドンがこの詩の素材だと思われます。
 「野蛮 barbarie 」は、「イリュミナスィオン」の「野蛮な Barbare 」を連想します。形容詞「野蛮な barbare 」の名詞です。「地上の永遠の雪」は舗装のことでしょう。第2節の「車道(舗装道路)の雪」も同じで、大理石などによる道路の舗装のことではないかと思います。アンダーウッドは1851年のロンドン万国博覧会のハイドパークの水晶宮から想を得ているとしています。「ハンプトン・コート」はロンドンの約20キロ南西、テームズ川沿いにあり、16世紀に建てられ、ヘンリー8世以降、約200年間英国王族の住居として使用された宮殿です。ギャラリーと広大な庭園があり、現在でもフラワーショーが有名です。一方、水晶宮にも巨大な絵画などが飾られていました。「ネブカドネザル王」、つまりネブカドネザル2世は、新バビロニア(カルデア王国)第2代の王(在位前604~前562年)で、エルサレムを攻撃し、ユダ王国を滅亡させました。ユダヤ人をバビロンに強制移住(「バビロンの捕囚)させました。巨大ジッグラッド(神殿)の完成、空中庭園の造園でも有名です。しかし、なぜ「ノルウェイの」なのかは、分かりません。アダンはノルウェイを併合したベルナドット王としています。ベルナドットは元々はナポレオンの部下であり、スウェーデン国王カール13世の養子となりカール14世ヨハンとして王位を継承(1818年)、以降、ベルナドット王朝はスウェーデン王室として現在まで続いています。「バラモン僧」と翻訳したところは、原稿は判読しにくい箇所で、ポショテク版では Brahmas と判読されています。Brahmas は、バラモン僧ともヒンズー教の神、梵天(ぼんてん)とも考えられます。ここでは官僚、役人と比較されていることから、神ではなく僧侶ととりました。「小公園」には英語の square (スクエア)が使われています。「入り江」はテムズ川ととられています。「円形広場」には英語の circus (サーカス)が使われています。「アーケードがある」と訳したところは、原詩では avec galeries a arcades (複数)で、直訳すると「アーケードのある歩廊(回廊)の付いた」となります。しかし、一般的な商店街のアーケードは歩廊も含めての言葉なので、省略しました。「商店は見えない」というのは、中にある商店がアーケードに遮られて見えていないという意味なのでしょうか。アンダーウッドは、ロンドンのピカデリー・サーカスやバーリントン・アーケードと読み取っています。「インド帰りの大金持ち」と訳した nabab は、英語では nawab で、元々はムガル帝国の太守という意味でしたが、18、19世紀のインドで富を得てきたの英国人の大金持ちの意味にも使われ、nabob とも書かれます。単に「大金持ち」という意味にも使われますが、続く文章に、インドの貨幣単位ルピーがあるので、「インド帰りの大金持ち」と訳しました。「ダイヤモンドの乗合馬車に向かう」の原文は se dirigent vers une diligence de diamannts で、ディリジュ、ディリィジャンス、ディヤマンと類似した音の言葉を並べています。
 最後の節はロンドン郊外の情景でしょうか。「西の方」は l'occident ですが、大文字の l'Occident は「西洋」という意味です。「野蛮な sauvage 」は「野生の」とも訳されています。文頭の「野蛮 barbarie 」とも対応していて、狐狩りなどを好むイギリスの地主貴族のことを表現したのでしょう。「人工の光」は、まだ白熱電球が発明される(1879年)以前であり、郊外なのでアーク灯、ガス灯ではなく、実際はランプの光を未来風に表現したのでしょう。「年代記を追っている」の「追う」には「狩る chasser 」が使われています。アンダーウッドによると、「ランボーは大英博物館の陳列棚で、何らかの「現代の」照明の下で、挿絵入りのフロワッサールの「年代記」とガストン・フェビュ伯爵の「狩猟」を見ることができた」そうです(ポショテク版の注)。出口裕弘はこの部分を「帝政パリと詩人たち」(1999年/河出書房新社)で、「家系図漁りをしている」と翻訳し、英国の田舎貴族を戯画化したと捉えています。英国の田舎の地主が成り上がった後、家柄を権威付けようとしていることの戯画のようにも取れます。

帝政パリと詩人たち

解説掲載:2002年11月27日

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