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ランボー 初期詩編

Au Cabaret-Vert, cing heures du soir

夕方5時、みどりの酒場にて

丸一週間、砂利んこ道で靴をボロボロにして
ぼくはシャルルロワにたどり着いたんだ。
― みどりの酒場で頼んだんだ、
バタ付きパンとほとんど冷たい生ハムを。

ご機嫌だね、みどり色のテーブルの下に
足を投げ出して、壁掛けの素朴な絵柄を
見つめてた。 ― 素敵なことに、
目のパッチリした巨乳っ娘が、

― この娘なら、キスされても平気だね! ―
にこにこと、大きな絵皿で持って来た、
バタ付きパンとニンニクひとかけで香りを付けた

暖かい生ハムを、 ― それから
特大ジョッキに注いでくれた
夕日が金色に泡を染めているビールを。

  (18)70年10月         アルチュール・ランボー

フランス語テキスト

翻訳掲載:2008年10月7日


生ハムのサプライズ

 この詩は、1870年10月に書かれ(清書され)ました。1870年1月にランボーの修辞学級担任となった21歳の青年教師イザンバールが、普仏戦争勃発でシャルルヴィルから疎開しました。イザンバールはランボーの才能に注目し、本を貸したりして、いわばお兄さんとして接してきました。イザンバールがシャルルヴィルからいなくなると、ボヘミアン詩人を夢見てランボーが家出を繰り返し、アルデンヌを放浪し、その体験を詩にします。ランボーの青春の輝きに満ちた詩のひとつです。
 辞書に無い言葉も使われていて、ブリュネル、ジャンコラの注をたよりに翻訳しました。19世紀の表現、やや文語的な表現、ベルギーのアルデンヌ地方特有の表現などが、混ぜこぜに使われています。衝動的に個人的体験を書いた詩というより、ランボーが新しいボヘミアン詩、流行の詩を意図して書いたと思います。
 1871年のドムニーに宛てた有名な「見者の手紙」の詩人ミユッセの批判に書かれた「食料品店のボーイはだれでもロラ風呼びかけ方をサラリと言える」というくだりは、ランボー自身の「みどりの酒場にて」「いたずらっ娘」などの美味しい詩も意識していたのかも知れません。食料品店 epicier とは、当時の紅茶・コーヒーの輸入商で、カフェやバーもある店舗をイメージしてください。

 「みどりの酒場」は、1937年にゴファンがベルギーのシャルルロワにこの詩のモデルとなったメゾン(お店)があったことを発表しました。内装や家具までも緑に塗られた食堂で、「緑の家 Maispn Verte 」と呼ばれていたそうです。フランドル人の豊満な Mia さんというウェイトレスがいたそうです。メゾン Maison をそれらしく翻訳すれば、「緑の食堂」とか、「緑亭」とかになります。宿泊もできるので「緑旅館」かも知れません。あえて不良ぽく「キャバレー Cabaret 」としたランボーのタイトルに従い「酒場」と訳しました。「居酒屋」という訳もあります。
 このメゾンが今でもありますかという質問があり、インターネットで調べてみました。かってメゾンがあったホテルの写真を見つけました。シャルルロワのエスペランス(希望)ホテルの緑の店 La Maison Verte de l'hotel de l'Esperance a Charleroi です。今もシャルルロワにエスペランスホテルがありますが、所在地はフランスとなっていて、当時のホテルの場所ではないと考えられます。検索では他の場所にある「緑の家」がいくつか見つかりましたが、シャルルロワにはありませんでした。なお、La Maison Verte が当時の「緑の家」の正式名称です。下のサイトを下にスクロールしていただくと、この詩のフランス語のタイトルの下に「緑の酒場」のあるホテルの写真を見ることができます。
http://rimbaudivre.blogspot.jp/2013/11/m.html
 「みどりの酒場」はランボーの中で充足した休息・幸福のイメージとなります。1872年の後期韻文詩編の「渇きの喜劇」では「ぼくが、昔の旅人の/姿に、たとえ戻れても、/緑の宿屋がこのぼくに/門を開けてるはずもない。」と。そして、イリュミナスィオンになると、「もはやすでに永遠に開かない宿屋もある――王女たちもいる、そして、もし君がひどく打ちひしがれていなければ、星座の研究――空だ。」(「首都の」)と、青年の心の扉は永遠に開かなくなります。
 邦訳の注記を調べなおしてみましたが、食堂兼旅館である「みどり亭」「みどりの居酒屋」などからは、もっとひなびた印象を受けていましたし、私も少し郊外の緑に囲まれた旅館の食堂をイメージしていました。食堂兼旅館と言えば、ホテルなのでそのとおりなのですが…。「渇きの喜劇」で「緑の宿屋 l'auberge verte 」と象徴化して書いていることも、居酒屋的・旅籠的イメージとなった一因でしょうね。ランボーの詩も、やはり現実そのものではなく創られたものと再認識しました。

 この詩でポイントとなる言葉、食べ物は生ハムです。「ほとんど冷たい a moitie froid 生ハム」と訳しましたが、moitie は元々は半分という意味で、慣用句として「ほぼ」という意味になります。形容詞 froid が単数ですので、ビールまではかかっていません。原詩では生ハムの説明文として接続法半過去です。保管のために冷たいところにおいてある生ハムの塊をイメージしているのでしょう。ところが、生ハムは、ニンニクで香りを付け、食べやすく温め、食欲をさそう香りを立て、しかも大きな絵皿(彩色された皿)乗って出てきます。当時ベルギーでの一般的な食べ方だったのかどうなのかは分かりませんが、ウェイトレスの心遣いとランボーの充足感が現れています。ピンクと白の生ハムは女性の豊かな肉体への暗示も含まれています。可愛いく肉感的なウェイストレスからのメッセージだったのか、ランボーの夢想だったのかは、知る由もありませんが。この即物的なニュアンスの書き分け、詩の動的展開は、ランボーの特質だと思いますし、彼自身の新しい詩への意気込みと自負が既に感じられます。

解読掲載:2008年10月7日、2014年1月15日リンク更新

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