Banner of Rimbaud.KunioMonji.com
anglais  マップ  ホーム


ランボー 初期詩編

Chant de guerre Parisien

パリ市民の戦いの歌

あからさまな「春景色」、だって
緑の「ヴェルサイユ畑」(訳注1)の真っ只中じゃ、
チエール(訳注2)とピカール(訳注3)が、盗っと砲撃(訳注4)
ドハデにドデカクにおっぴろげ!

さあ、5月だぜ! 気狂いケツ出し野郎ども!(訳注5)
セーヴル、ムードン、バニュー、アスニエールで(訳注6)
だから聞いてやれ、おいでなすったあいつらの
春の種撒き散らす爆音を!

シャコ帽、サーベル、でんでん太鼓(訳注7)
古くさいローソク箱(訳注8)こそ持っちゃいないが、
じぇんじぇん進まぬ専用ボート(訳注9)で…
赤く染まった湖(訳注10)を割って来るぞぃ!

みょうちきりんな夜明けどき
おれたちのアジトに、黄色い宝石ざくざくと、
雪崩れるように降ってくりゃ
おれたちゃ、最高にドンちゃん騒ぎ!

チエールもピカールもエロでヤクザ(訳注11)
ヘリオトロープ(訳注12)を引っこ抜き、
石油を燃やし、コロー(訳注13)ばりの絵を描く、
ほら、やつらの兵隊虫が落ちて来る…

「トリック」の大物(訳注14)のお仲間だ!
グラジオラス(訳注15)に寝ころがり、
ファーヴル(訳注16)が、涙腺水道、瞬かせ、
コショウに鼻をすすってる!

君らの石油がシャワーでも(訳注17)
大都会の道路は熱いぜ、
だから、君たち
やれるもんなら、やってみろ…

で、のんべんだらりと長々と
しゃがみ込んだ「田舎者ども」(訳注18)
聞きたまえ、赤い激突の中で
小枝がポキポキ折れるのを(訳注19)

フランス語テキスト

翻訳掲載:2004年9月1日


コミューン応援歌

 この詩は1871年5月15日、ドムニーに宛てた「見者の手紙」に挿入された3篇の詩のひとつであり、「時節の聖歌」として最初に置かれています。タイトルを、「パリ市民の Parisien …」と訳しましたが、古いテキスト(印刷された原詩)では「パリの parisien …」と小文字になっているものもあり、「パリの軍歌」という邦訳タイトルが多く見られます。手書き原稿写真版では、はっきりと大文字で Parisien と書かれ、さらに右側に Quelles rimes! O! quelles rimes! と書かれています。rimes は、韻というより(韻文)詩の意味で、「なんて詩だ! ああ! なんて詩だ!」という意味でしょう。口語的で言葉遊びの多いこの詩は、旧い詩への挑戦として書かれた面があるのでしょう。大文字のParisienは、パリの人(パリジャン)という名詞でもあるので、コミューン側の歌と分かるように、このタイトルにしました。人名・地名などの意味合いは、ポショテク版とテクスチュエル版の注記を手がかりに翻訳しました。
 この詩が書かれた時点では、パリ・コミューンは、すでにコミューン側の敗色が濃い状態でした。1871年4月には政府軍による砲撃が行われ、この詩はその時の状況を描いていると思われます。しかし、この詩には開き直りが感じられます。開き直りというより、見者の詩法を覚醒したランボーの強がりなのでしょうか。あるいは、その時シャルルヴィルにいたランボーには、不確かな情報しか入らなかったのでしょうか。

訳注1) 原文直訳は「緑の所有地」となります。政府軍(ヴェルサイユ軍)のパリ郊外の緑の多い陣地を表しているとされます。
訳注2) 1797-1877 1871年、ボルドー国民議会での行政長官に指名されます。パリ・コミューンを鎮圧、後に第3共和制の初代大統領に選出されます。
訳注3) 1821-1877 チエールに任命された内務大臣(現在の日本国なら官房長官でしょうか)、資産家。(テクスチュエル版、C.ジャンコラの注)
訳注4) 原文の vol は、飛行と盗みと二つの意味を持ちます。
訳注5)ヴェルサイユ宮殿の壁画のキューピッドの絵から来た皮肉。
訳注6) 激しい戦闘が行われたパリ近郊の町。(テクスチュエル版、C.ジャンコラの注より)
訳注7)シャコ帽は原文 schakot 、前立て付き筒型軍帽、通常は黒色。 でんでん太鼓の原文は tam-tam 、北アフリカの太鼓、ここでは皮肉で使われていると思われます。
訳注8) J.ムーケはトロンボーンのピストンの意味と取らえていますが、C.ジャンコラは、兵隊の装備と解釈しています。
訳注9) 原文は yoles で、ジョリー艇。将校用の艦載ボートの意味で、この行の表現は「昔、小船があったとさ」というシャンソンの「それ(船)は、ぜ、ぜ、ぜんぜん進まなかった…」という歌詞のもじりと指摘されています。(P.ブリュネルとC.ジャンコラの注より)
訳注10) ブーローニュの森の湖とされています。
訳注11) 原文の des Eros (デゼロ)は、(性)愛の神、エロスたちという意味ですが、音として捉えると、英雄( Heros )、ゼロ( Zeros )と同じになります。また、2行下の行末、画家のコロー( Corot )とも韻を合わせています。
訳注12) 和名はキダチルリソウ、ギリシア語で太陽に向いて回るという意味から付けられた名前だそうです。良い香りがし、19世紀にフランスに伝わり、恋の花とされたそうです。
訳注13) 1796-1875 フランスのバルビゾン派の画家。石油が燃えている空を喩えたとされています。私は、バルビゾン派がフランスの田舎の風景をテーマにしていたことから、田舎者という意味も含ませているのではないかと考えています。
訳注14) 「トリック Truc 」は、「トルコ Turc 」との言葉遊びがあると思われます。C.ジャンコラは、具体的にドイツ帝国宰相ビスマルク(1815-1898)と読んでいて、私も妥当な解釈と思います。1871年の普仏戦争にフランスは敗北し、ウィルヘルム1世がヴェルサイユ宮殿で戴冠式を行い皇帝となり、ビスマルクは初代宰相となります。パリの臨時政府がドイツ帝国と不利な講和条約を結ぼうとしたことが、パリ・コミューンの発端となります。
訳注15) グラジオラスは葉が剣の形からラテン語の剣( gladius )から来た名前です。グラジオラスは打ち負かされたコミューン兵士の武器(剣)を象徴しているのでしょう。
訳注16) 1809-1880 当時の外務大臣。C.ジャンコラは、ビスマルクの一徹さに涙を流したと書いてあります。
訳注17) 原文直訳は「君たちの石油のシャワーにもかかわらず」となります。石油爆弾という解釈もあります。なお、ヴェルサイユ軍は、鎮圧に焼夷弾を使いました。
訳注18) 大地主、自作農という意味も含まれるのでしょう。
訳注19) 意味がはっきしない比喩です。激戦、肉弾戦のたとえと思われます。

解説掲載:2004年9月1日

back to index