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ランボー 初期詩編

Le Coeur Volé

盗まれた心臓 (訳注1)

ぼくの悲しい心臓が、船尾でよだれをたらす…
兵隊タバコ(訳注2)にまみれたぼくの心臓!
奴らは、そこにスープをひっかける(訳注3)
ぼくの悲しい心臓が、船尾でよだれをたらす…
いっせいにあざ笑う
奴らの冷やかしで。
ぼくの悲しい心臓が、船尾でよだれをたらす…
兵隊タバコにまみれたぼくの心臓!

勃起させた、新兵いじめの(訳注4)
奴らの冒涜に、心臓は堕落、
勃起させた、新兵いじめの
落書きが舵(訳注5)には見える、
おお、アブラカダブラ三角波よ(訳注6)
ぼくの心臓をつかまえてくれ、洗ってくれ(訳注7)
勃起させた、新兵いじめの
奴らの冒涜に、心臓は堕落!

奴らが嗅ぎタバコを切らしたら
おお、盗まれた心臓よ、どうしよう?
奴らが嗅ぎタバコを切らしたときには
飲んべえのしゃっくり(訳注8)になるだろう!
ぼくの心臓が飲み込まれたら
ぼくの胃袋は、ひどくびっくりするだろう!
奴らが嗅ぎタバコを切らしたら
おお、盗まれた心臓よ、どうしよう?

フランス語テキスト

翻訳掲載:2002年5月15日


新兵いじめ

 私は中原中也の詩には詳しくありませんが、この詩を読むと中也の「汚れつちまつた悲しみに……」を思いだします。世俗的なものに汚された詩人の心と詩での救済への希求というテーマが共通して内包されているからだと思います。中也の詩はオリジナルであり、ランボーの「盗まれた心臓」が影響しているという意味ではありません。しかし、口語的な詩であると同時に、悲しみを言葉遊び的かつ自嘲的に表現しているところにも通じるところがあると思います。同時に、ランボーと中也の文学的資質の違い、あるいは時代・文化・風土の違いも感じられます。中也は、晩年(というには若すぎますが)ヴェルレーヌに傾倒していったということも、頷ける気がします。
 この「盗まれた心臓」はランボーを読む上で、とても大切な詩だと私は思います。まず、この詩の船は「酔いどれ船」の前身ではないでしょうか。世俗の反吐で汚された船は、見者の詩論で洗われ、再構築され、武装されて、「酔いどれ船」となり、ムーズ川からパリという詩の海に船出します。やがて、船は大破し、夢想の中で故郷の川に戻ります。次に、ランボーが自分の受けた屈辱をあらわにした詩、自分の弱さを出した詩は他に無いように思います。あるいは、他の詩の場合、弱さに対し言葉による武装がされているのに、この詩ではランボーの裸の心が出てしまっているように感じます。多すぎるリフレインも気になります。さらに、この詩が、イザンバール宛ての「見者の手紙」に唯一引用されている詩だということです。この詩は「見者」の覚醒に関連していたということでしょう。続くドムニー宛ての「見者の手紙」に引用されなかったのは、ランボーなりの計算と強がりだったと思います。イザンバール宛ての手紙では、不良ぶりを強調して書いていますし、保護者であり理解者であった先生に対する甘えと反抗が残っていたのではないでしょうか。
 この詩は、兵隊を乗せた軍艦での出来事のように読めます。当時の大英帝国の水兵たちはほとんどが大酒のみで、かみタバコをやり、新兵いじめも盛んだったそうです、フランスでも同じだったのでしょうか。いずれにせよ、ランボーは軍艦での新兵いじめをこの詩の舞台にしています。しかし、さらに読み進むにつれて、ランボーの体を船に見立てているようにも見えてきます。そう読むと、「船尾でよだれをたらす」あるいは「スープをひっかける」という表現は、兵舎で兵士たちに同性愛を強要されたことの言い換えと私は考えています。このことはランボーが死に至るまで兵役を極度に恐れていたことと関係があると思われます。具体的には、「心臓」は男性器の亀頭部、「よだれ」は精液、「スープ」も精液であり、「スープをひっかける(スープの噴射を投げる)」は射精するというようにも、読み取れます。ランボーがパリ・コミューンの時に、徒歩でパリに行き、コミューンの軍に加わったか否かは分っていません。この詩が、どこまでが実体験なのか、すべて想像されたシーンなのかは別として、兵舎での汚辱シーン、あるいは輪姦シーンと見ることができます。そして、心臓がよだれをたらしてしまったのであれば、ランボーは同性愛に性的興奮を覚えたととれます。イザンバールに宛てた「処刑された心臓」が、ドムニー宛には「道化師の心臓」となり、ヴェルレーヌ宛には「盗まれた心臓」と、ランボーは詩を見せる相手によりタイトルを替えています。「盗まれた心臓」という言葉自体は、始めの「処刑された心臓」からも使われており、どこか同性愛(の快感)を肯定する響きがあるように思えます。イザンバール宛の「見者の手紙」の直ぐ後に出されたドムニー宛の「見者の手紙」には、パロディの形を取りながらも少女への嫌悪感をモチーフにした「ぼくの小さな恋人たち」と、自慰行為の性的夢想をモチーフにしたと考えられる「座っている奴ら」が掲載されていることも考え、「処刑された心臓」は、ランボーの性の転換点を示すと思われます。見者の覚醒とともに、夢想と欲情に溢れた初期詩編は変質したと思われます。
 イザンバールに、そしてヴェルレーヌにもこの詩を送った行為には、無意識にせよ男性に庇護を求める同性愛への欲望を見ることができると思います。

訳注1)この詩は、ヴェルレーヌの筆写したランボー詩帖に入っている作品です(ポショテク版に Le Dossier Verlaine としてまとめられています。Dossier は書類袋の意味ですが、現在ではパソコンのフォルダの意味にも使われます)。ヴェルレーヌはパリに出てくる前にランボーから送られてきた詩を筆写してまとめていました。この詩は、1871年5月のイザンバール宛の「見者の手紙」に書かれた「処刑された心臓 Le coeur supplicie 」が最初の作品で、6月に少し手が入れられてドムニーに送られた「道化者の心臓 Le coeur de pitre 」となります。この「盗まれた心臓」は最後のバリエーションでしょう。詩の内容は、兵舎の中での体験を(軍隊の)船の中での体験に置き換えたものです。この船の比喩は、後に書かれた「酔いどれ船」や後期韻文詩編の「思い出」にも使われています。
 この詩では、詩人の心臓が「奴ら」のリアルな嘲笑や欲望の前には無力であることが描かれています。そして、この詩は「見者の手紙」の中でイザンバールに送られます。イザンバールの「主観的な詩」は、現実には無力であるということを示す意味もあったと考えられます。
訳注2) 原語 caporal は、兵隊の伍長の意味であり、(並みの品質の)フランス製刻みタバコの名称でもあります。
訳注3) 原文は lancent des jets de soupe です。「反吐を吐く」などと翻訳されていますが、lancer des jets でそういう意味を持つのか確かめられませんでした。文字通りに直訳した場合、ス-プの jets ( jetの複数) を投げる ( lancer ) という意味です。lancer は動詞ですが元の名詞の lance は鑓 (やり) と言う意味でノズルという意味もあります。jet の方も投げること、噴出、あるいはノズルという意味もあります。言葉を繰り返しているのは、韻文詩なので音の関係もあると思われます。なお、英語から来た言葉ですが、ジェットエンジンのジェットも同じ jet です。ですから、この文章は、スープを投げ捨てているあるいは吐き捨てているシーンにもとれるように、第1行に合わせてランボーが書いたものと思われます。日本語の訳としては意味が限定されてしまうと考え、動作を主体とした「ひっかける」という訳にしました。隠語的に、射精のことを暗示しています。
訳注4) 原文は ithyphalliques et pioupiesques で、ithyphallique は古代ギリシアでディオニュソス祭りの行列に使われた勃起男根像の、という意味です。pioupiesque は pioupiou で若い兵士、兵卒、歩兵の意味なので、兵士のという意味だと思います。辞書には見つからなかったので、ランボーが前の言葉に合わせて造語したものかも知れません。私は、新兵、下級の兵隊に対するいじめ、暴行の意味ではないかと考えて、「新兵いじめの」と意訳しました。
訳注5) 「処刑された心臓」では、「夕方に」と書かれています。
訳注6) 原語 abracadabrantesque で、病気除けの呪文アブラカダブラから来た言葉で、文字を三角形に書くことが多いとされます。形容詞 abracadabrant は、へんちくりんという意味で使われます。重たい詩の中で、ランボーがふざけて使った言葉だと思われます。
訳注7) 「処刑された心臓」では、「救ってくれ」と書かれています。
訳注8) 「処刑された心臓」では、「歌」と書かれています。

解読・訳注掲載:2002年5月15日、2003年4月14日、2008年10月19日更新

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