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ランボー 地獄での一季節

L'Eclair

閃光 (注1)

 人間の労働! これがおれのいる奈落の底をときどき照らし出す爆発だ。
 「すべては空しくない(注2)。科学に、前進!」と現代の「伝道者の書」、つまり「世の中みんな」が叫ぶ。
 だがしかし、悪人と怠け者の死骸が、他の奴らの心の上に倒れてくる… ああ! 急げ、もう少し急げ。あそこに、夜の向こうに、永遠の未来のあの報いが… おれたちはそれを取り逃がしてしまうのか?
 ― おれはあそこで何ができるんだ。おれも労働は知っている。おまけに科学はのろい。祈りは駆け、光明は轟くのに… おれもそのことは良く知っている。分かりきったことだ。おまけにひどく暑い。だれもおれには用がなくなる。おれにはおれの義務がある。おれも自分の義務を放り出して、みんなのように自分の義務を自慢してやるんだ。
 おれの命はすり切れた。さあ、心を偽り、怠惰に暮らそう。おお、情けない! そして、暇をつぶしながら、怪奇な愛と架空の世界を夢見ながら、不平をこぼしながら、世の中の見せかけども、つまりは芸人(注3)、乞食、芸術家、悪漢、 ― おまけに司祭と、けんかをしながら生きていくのだ! 病院のベッド(注4)では、香の香りがあんなに強くよみがえった。聖なる香料の守護者、贖罪司祭(注5)、殉教者…
 おれはそこに子供時代の汚れた教育を認める。その次は何だ!… 他の奴らが20歳になるなら、おれも20歳になってやるんだ…
 いや!違う! 今では、おれは死に反抗する! 労働はおれの自尊心には軽すぎる。おれの世の中への嫌悪も短すぎる責め苦だろう。最期の時には、おれは右に、左に、襲いかかってやる…
 その時は、 ― おお! ― 哀れな魂よ(注6)、おれたちとって永遠が失われるのではないのか!

フランス語テキスト


注1) このタイトルは、この詩の1行目のことと思われますが、同時に神の光、精神の閃きも指していると思われます。「稲光」「閃き」などと訳すると意味が限定されやすいので「閃光」と訳しました。この詩も、「不可能」に続く転の部分だと思われます。つまり、純潔な精神による救いの断念(「不可能」)に続いて、「人間の労働」による救済に対する断念というよりは、諦めが語られます。
注2) この文章は、旧約聖書の「伝道者の書」(新改訳聖書(1973))の言葉を元にしています。1955年改訳の日本聖書教会の「聖書」では「伝道の書」となっています。フランス語聖書(La Bible de Jerusalem)では L'Ecclesiaste です。そして、「エルサレムの王、ダビデの息子、コヘレト Qohelet (補注参照)の言葉 paroles 」と説明が付いています。「共同訳聖書」(1987)では、「コヘレトの言葉」という書名になっています。ラルースによりますと Ecclesia は、古代ギリシア、特にアテネの会衆と説明されています。第1章2節-3節で「コヘレトは言う。/なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空しい。太陽の下、人は労苦するが/すべての労苦も何になろう。」と、人間の労働の空しさが語られます。ランボーは、「伝道者の書」の「すべては空(むな)しい Tout est vanite 」(共同訳聖書)を「何も空しくない Rien n'est vanite 」と言いかえています。なお、翻訳は「共同訳聖書」の文章と同じスタイルにしました。
 この「伝道者の書」の第3章は、ザ・バーズ(The Byrds )が Turn Turn Turn の歌詞に引いてきた他、ミュージシャンにしばしば引用される「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。…」(共同訳聖書)という詩で始まります。
注3) この「芸人 saltimbanque 」は「軽業師」、「辻芸人」です。しかし、後の「芸術家 artiste 」にも「芸人」という意味もあります。ランボーは「芸人」=「乞食」、「芸術家」=「悪漢」という意味で羅列したように思えます。「芸術家」には詩人も含まれているのでしょう。すると「司祭」は「乞食」と「悪漢」両方かも知れません。いずれもが「世の中の見せかけども」というわけです。
注4) ランボーがヴェルレーヌにピストルで左手首を撃たれた「ブリュッセル事件」後の入院を暗示していると考えられます。
注5) 「贖罪司祭 cofesseur 」には、他に信仰公言者、聖証者の意味もあります。ここでは、ランボーが己の中のキリスト教的自己像を皮肉っていると考えて訳しました。「世の中の見せかけども」の最後に「司祭」が挙げられ、そこから連想された一連の宗教者だと思います。
注6) 原詩は「 chere pauvre ame 」で、直訳すると「親しい(いとしい)哀れな魂」となりますが、「親しい chere 」は、呼びかけ、敬称としても使われるので「親しい」では重すぎるし、「…さん」と訳すると冗談に傾きすぎると考え、省略しました。

補注) コヘレト(インターネット百科辞典 Wikipedia の説明)
伝統的にはコヘレトとはソロモン王であると称されているが、実際にソロモン王がいた当時のヘブライ語とコヘレトの言葉におけるヘブライ語の差異から、史実性は疑わしい。コヘレトとはヘブライ語の qahal (「集める」という意味の動詞、または「会衆」という意味の名詞)から来た言葉とされている。このコヘレトという言葉はこの書以外に用例がない。よって、コヘレトとは固有名詞であると解されるが、同時に、会衆に向けて語られた言葉、あるいは会衆の中の言葉を集めたもの、とも訳されうる。

翻訳・訳注掲載:2001年10月16日、2006年6月29日更新

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