初期詩編

"femme" - Photo : Kunio Monji

Poésies

Les Voyelles
母音 (第1稿)

Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青。母音よ、
ぼくはいつか君たちの隠れた誕生を語ろう。
Aは、ひどい悪臭のまわりをブンブン飛ぶ
きらめくハエの毛むくじゃらの黒いコルセット、

影の入り江。Eは靄とテントの身震い、
高慢な氷の槍、白い光線、散形花の震え。
Iは、緋色、吐かれた血、
怒りか贖罪の陶酔の中の美しい唇の笑い、

Uは、周期、青緑の海の神々しい震え、
動物の点在する放牧地の平和、錬金術が、
学究の広い額に刻む、皺の平和。

Oは不可思議なかん高い音に満ちた至高の「ラッパ」、
「この世」と「天使界」を渡る沈黙…
―Oはオメガ、彼女の目のすみれ色の光線!

フランス語テキスト



母音 (第2稿)

Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青。母音よ、
ぼくはいつか君たちの隠れた誕生を語ろう、
Aは、ひどい悪臭のまわりをブンブン飛ぶ
きらめくハエの毛むくじゃらの黒いコルセット、

影の入り江。Eは靄とテントの純白さ、
高慢な氷河の槍、白い王たち、散形花の震え。
Iは、緋色、吐かれた血、
怒りか贖罪の陶酔の中の美しい唇の笑い。

Uは、周期、青緑の海の神々しい震え、
動物の点在する放牧地の平和、錬金術が、
学究の広い額に刻む、皺の平和。

Oは不可思議なかん高い音に満ちた至高の「ラッパ」、
「諸世界」と「天使たち」を渡る沈黙…
―おお、オメガ、「あの人」の目の紫の光線!

フランス語テキスト

翻訳:門司 邦雄
掲載:2001年9月21日、2003年4月14日

 第1稿は、ヴェルレーヌがランボーの原稿(手紙も含め)から筆写したヴェルレーヌ詩帳のものです。第2稿は、エミール・ブレモンに送られたランボーの自筆原稿です。第1稿を一部修正したと考えられます。なお、第2稿のタイトルには、定冠詞の Les は付いていません。(第1稿テキストはポショテク版、第2項テキストはテクスチュエル版を使用)
 母音のフランス語での発音は:「A」は「ア」、「E」は「ウ」、「I」は「イ」、「U」は「ユ」、「O」は「オ」です。


ポルノグラフィー


 この詩については、さまざまな解説、謎解きがなされてきました。
ヴェルレーヌの筆写した原稿(第1稿)がランボー詩帖(ポショテク版には Le Dossier Verlaine としてまとめられている)に入っていることから1871年の作品と考えられていますが、1872年初めとする評家もいます。ヴェルレーヌはパリに出てくる前にランボーから送られてきた詩を筆写してまとめていました。

 まず、私がこの詩について、特に気がついたことを書きます。この母音の色は、黒、白、赤、緑、青、そして紫(紫外線?)。黒と白を一対でグレースケールと考えれば、モノクロ写真とカラー写真(RGBの光の三原色によるポジカラー)。さらに、フィルムは紫外線にも感光します。ランボーは、1871年パリに出てきてからカラー写真の発明家(現在のカラーフィルムの発明は20世紀です)でもある詩人のシャルル・クロと会い、泊めてもらっています。クロはさらに写真製版を使った録音技術も発案しています。しかし、ヴェルレーヌのランボー詩帖に筆写原稿があることから、この作品はそれ以前に書かれたものとなり、シャルル・クロの影響ではないということになります。ただ、錬金術に興味を持ち、さまざまな文献を読み漁っていたランボーが、当時は新しいメディアであった写真に興味を持っていたことは充分考えられます。残念ながら、ランボーがどのような文献を読むことができたのか分かりませんが、光の三原色は18世紀の発見ですから、ランボーが知っていたとしてもおかしくはないと考えます。この詩は、ランボーなりのカラー写真?の試みだったのかも…、と考えてみたくなります。

 では、この詩は何を書いたのでしょうか。母音とイメージの関連について、さまざまな解釈があります。音や文字のイメージから発展させて捉える試みも数多くなされています。ボードレールの「悪の華」の「コレスポンダンス(万物照応)」からの影響とみる評家、錬金術との関連で神秘学(オカルティスム)からの解読を試みたスターキー、ジャングー、ランボーが子供の頃読んだABC読本から発想を得たとする E. ゴベールの解読(注1)、さらにアルファベットの形と色を女性の肉体と結びつけたロベール・フォリソンの解読(注2)などがあります。私は、フォリソンの解読のように、これはランボーの撮影した「ヌード写真」と見るのがおもしろいと考えています。フォリソンは、Aは逆転させて女性器、Eは、原稿では手書き文字の書体ですが、横に回して乳房、Iも横に回して口、Uは逆転させて髪の毛(少しウェーヴのかかったダークな髪)、Oは開いた口と、解き明かしています。ブレモン初蔵の原稿では、O rouge (赤)と書かれた後に、bleu (青)と書き直されました(テクスチュエル版ジヤンコラ注)。ただし、Oは、青でもあり、オメガ「Ω」でもあり、その下の足の部分を広げて書くと、真中が鼻で、両側がつぶった目になると私には思えます。すると紫(すみれ色)はアイシャドーの色なのでしょうか。あるいはつぶった目の視線なので、見えない光線、つまり紫外線の紫なのでしょうか。第3節までは、性交時の愛撫の位置の移行を視線の移行として描いたように見えます。そして第4節で、オルガスムの声、「不可思議なかん高い音に満ちた至高の「ラッパ」」と、つぶったままの目、そしてそれを見るランボーの視線でこの詩は終わります。動きと時間が含まれているので、この詩は写真的映像というより、ビデオ的映像と見えます。

 「ブンブン飛ぶ」は、ラテン語でブンブンという音を表す bombus という言葉からのランボーの造語「 bombinent 」が使われています。bombus にはマルハナバチの学名でもあります。ポショテク版ブリュネル注は、ミツバチの羽音となっています。ハエの胴体と女性のコルセットが、黒い円筒形のイメージとして結び付けられ、さらに、黒い陰毛のイメージがダブらされています。「散形花」は、「 ombelles 」で、正確には「散形花序」の複数形です。イメージが分からないと思って「セリの花」と始めは訳しました(「 ombellifere 」はセリ科です)。しかし、今ではセリの花を知っている人も少ないので、「散形花」としました。放射状に小花がたくさん付いた花序がいくつも集まってゆるいドーム状になっています。植物としては違う分類になりますが、今の切り花なら、カスミ草のイメージと取る翻訳者もいます。散形花は、後期韻文詩編の「思い出」にも出てきます。「青緑の海」の「青緑」は「 virides 」となっています。仏和辞典には見当たりませんでしが、英語の viridian に青緑のという意味があり、絵の具もあるので、「青緑の」と訳しました。おそらく日本語の緑の黒髪のような表現なのでしょう。ランボーは「一なるものを信じる(太陽と肉体)」では、「長い青い髪の毛」という表現をしています。この「海」は、ウェーブのかかった濃い色合の髪の表現なのでしょう。この他にも、ランボーがもじったと思われる言葉がいくつかありました。「周期」は「 cycles 」で、文字通りサイクル、周期、循環という意味です。髪とか皺とかのウェーブ(~~~)という意味なのでしょう。「動物の点在する放牧地(放牧用原野)」は、起伏のある草地のイメージですが、頭髪と考えた場合、ランボー好みの毛ジラミのいるウェーブのかかった髪なのでしょうか。髪に付けた飾り物と可愛らしく取ることもできます。

 上述の解読では、愛撫のポイントを逆順に、それぞれのシーンとして描写しました。私はこの解読を参考にして、ランボーが描写した順に、女性の肉体とそのシーンを捉えなおしてみました。性交時の女性を写真あるいは絵画(むしろ通俗的な版画)として捉え、実際の女性の肉体の反応の描写も加えた作品と捉えると、より生々しく読めてきます。女性のシーンあるいは体位とは、コルセットしか着けていない女性が、少し脚を広げて立ったまま前かがみになり、両手を床に付けたポーズです。あるいは、ベッドの上で後ろ向きで広げた膝をついて、前に手か肘をついているポーズです。これを後ろ側から見れば、上に臀部が来て、性器が (肛門を頂点として)Aの形で手前に露出されます。天井からの灯りと考えれば「影の入り江」に見えるでしょう。「影の入り江」は、前節にカンマで続き、後にピリオドが来ますので、Aの描写に入ります。そして、下へ視線を移動させれば、この詩の描写の、ほの白く翳った乳房が見えます。乳房は重力で下に引かれますから、尖った形になり、この詩の「槍」(おそらく矢尻の形)という描写にも頷けます。女性がこの体位のまま男性が挿入し性交したとすれば、震える乳房とそれ以降に続く描写をさらにリアルに見ることができると思います。(女性蔑視という意味ではなく、生物的本能として)類人猿では、雄ザルが発情不充分な場合、雌ザルが充血した性器を雄ザルの鼻先に差し出すことがあります。おそらく、この本能はヒト科にも共通であり、このポーズのエロチックな写真や絵というスタイルになったと思います。続いて、散形花が出てきます。これは、白くゆるいドーム状に小さな花が集まった花です。おそらく、仰向きに寝ている女性の乳房のイメージでしょう。ここで、Aで発情して挿入したランボーは、正常位に体位を変えたと考えられます。というのは、これからは、女性の顔の描写になるからです。まず、Iの唇にキスし、次に髪を愛撫し、やがて女性は額に恍惚の皺を作ります。そして、Oは、始めは開かれた口であり、女性のオルガスムの声であり、オメガは、オルガスムのエクスタシーのことでしょう。そして、エクスタシーの後に、女性が目を開いて、相手の目を見つめてこの詩は終わりです。Oは、詩を作る上で、ふたつの形を与えられたと思われます。
 不思議なことに、第1節のA以外は、ほぼ美しくイメージされています。Aの悪臭にハエがたかっている性的イメージは、後記韻文詩編の「最も高い「塔」の歌」の第4節、「こうして「不潔なハエが100匹も/獰猛な羽音を立てている。」に引き継がれたと思われます。

 この詩の最終行は、第1稿では「彼女の目 ses yeux 」と訳した言葉が、第2稿では「「あの人」の目 Ses Yeux 」となっています。ses は、彼の、彼女のという意味です。第1稿に関しては、ヴェルレーヌ、ドラエーに、この詩の女性はスミレ色の目をした実在の少女という記述があるので、「彼女の目」と訳しました。第2稿では大文字で特定されており、神の目という解読もあります。Aをアルファと取ると、ギリシャ文字のアルファベットの最後の文字はオメガであり、これと光のスペクトルの最後の色、紫が対応しています。このアルファからオメガは聖書の「ヨハネの黙示録」の第21章と第22章にある「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終りである。」(新共同訳聖書、1987年版)という神の言葉を意味しているとされます。この第4節は、始めは具体的なイメージで考えられ、第2稿で宗教的イメージに作り変えられたのでしょうか。Oは青ですから、蒼穹に天使のラッパが鳴り響くのでしょう。ヨーロッパの教会のドームの天使の舞う天井画のようなイメージ、ドームの頂点の窓(穴)から空の青い光、つまり神の光が差し込んできます。私はこの節の表現に、ランジェリー・メーカー、Victoria's Secret の羽を付けたモデルの天使達のクリスマスキャンペーンを連想してしまいます。19世紀の服飾史を調べると、コルセットはセクシーなランジェリーというより淑女のたしなみとされていたそうです。全裸ではなく、コルセットを付けて性交する方が上品とされたという記事もありました。今日でも、コルセットがセクシーな衣装として残っているのは、この上品さもあるのかも知れません。また、コルセット型の胴衣の下にスカートを付けた女性の絵画などを見ると、現代のランジェリー風ファッションの走りのように思われます。この詩のコルセットは、ランボーの感じた女性の性に対する意識を主張しているように思います。しかし、この「母音」では、ランボーとしては、女性を美しく描いた詩だと思います。スミレ色の目をした少女との幸せな体験だったのかも知れません。ランボーにとって女性の性(の恍惚)は、キリスト教に繋がっていったのでしょう。ランボーの母は熱心なキリスト教徒でしたので、その影響も考えられると思います。初期詩編の「初聖体拝受 Les Premieres Communions 」では、キリストに奪われた女性の性が書かれています。初期詩編の「一なるものを信じる…」に書かれた、かつて夢見た異教の肉体に巡り合えないランボーは、同性愛に傾いていったのでしょう。「地獄での一季節」の「錯乱 I 愚かな処女・地獄の夫」に書かれたように、同性愛の、つまり異教の夫婦は、「地獄」の夫婦となります。
 私には、この詩は不良少年ランボーがしてやったりと気に入っていた詩ではないかと思います。「地獄での一季節」の「錯乱 II 言葉の錬金術」では、「おれは母音の色彩を発明した! …あらゆる感覚に理解できる詩的言語を発明したと自慢していた。」と書かれています。「言葉の錬金術」の中に引用された詩はすべて後期韻文詩編であり、初期詩編からは、唯一、この「母音」が言及されています。



注1) E. ゴベール( E. Gaubert )の解読について
(クラシック・ガルニエ版(1987)のベルナールの注記より該当部分を翻訳)

 ランボーが、他の子供同様、読むことを覚えたときに手にした色付きのABC読本が、この詩の発想の最初の出発点と考えられる。この「原典」(ランボーの時代のABC読本)は、 最初に E. Gaubert により1904年11月のメルキュール・ド・フランス誌に発表された。この詩のアルファベットとそれを表す4つの挿絵を見て、彼はこの考えを思いついた。

A (文字色)黒:ミツバチ、蜘蛛、星、虹
E 黄:エミル(イスラム教の首長)、軍旗、奴隷、鉄床
I 赤:インディアンの女、悪口、尋問、学院
O 青( azur ):象牙の角笛、アジアロバ、配置、熊
U 緑:オーロック(牛の原種、バイソン)、制服(軍服)、骨壷、ユラニア(色鮮やかな大きな蝶)
Y オレンジ:目、ジョリー艇(ボート)、セイヨウヒイラギガシ、ヤタガン(トルコの長剣)



注2) ベール・フォリソン(Robert Faurisson)の解読について
(プレイヤッド版(1976)アダンの注記より該当部分を翻訳)

 1961年の「ビザール誌 21/22号」に掲載され反響を呼んだ論文で、ロベール・フォリソンは、「母音」の意味を音ではなく、形に求めるソージ( Sausy )の説を極めて精力的に取り上げ直した。彼は「母音」の体系的な解釈を導き出すことにより、ソージ(の説く形)の説を退けた。フォリソンの主張では、ランボーのソネは、性交時の女性の肉体のブラゾン(紋章学・16世紀の批評詩)である。この解釈は、始めのいくつかの母音に関しては妥当と思われるが、一方、Uについての説明は全く不充分であり、フォリソンはかなり無理に論理を駆使してUが女性の髪を意味する、従って緑色であると説明している。
 フォリソンの研究を、基本的な考えのみ取り上げるにせよ、それぞれの母音の解釈として認めるにせよ、フォリソンの理論は、母音の「音」についてではなく、「形象(フォルム)」についてであり、まとめると以下のようになる:

 Aは、臭気の周りをブンブン飛ぶ糞バエと考えられる。糞バエの体の三角形の形がこのハエの毛むくじゃらなコルセット(胸当て)を連想させる。同時に女性の中心部の「影の入り江」を連想させる。従って、色と音の共感覚( synsthesies )、オカルティスム、万物照応とは無関係に、Aは黒である。
 Eは、ランボーの書いた(筆記体の)εを水平にすれば、川のもや、組み立てられたテント、氷河の頂を連想させる。また、女性の乳房、つまり「白い王たち」、さらに北風にそよぐ散形花の咲く野原の眺めも連想させる。これらのイメージは全て一致する。それは白色を想起させる。従ってEは白である。
 Iは、その細長い形から、吐かれた血の筋、あるいは唇を連想させる。Iは赤である。
 Uは、注釈者たちを他の母音より困らせたが、明確なひとつの形態とは反対のものである。ランボーがUをどのように書いたかを見れば、特にそうである。それは真ん中に深いくぼみのあるふたつの波形をしている。Uは海の波を連想させるだろう、風の吹き抜ける草原のそよぎを、あるいは、さらに、物思いにふける老人の額の皺の曲線を思わせるだろう。これらの全てのイメージは、波動という意味に、あるいはランボーが言う「周期(サイクル)」という意味に行き着く。Uは従って緑である、海のように、草原のように、錬金術師の年老いた皺のよった皮膚のように。
 Oはラッパのマウスピースを連想させる。この連想は明白である。だが、ランボーが青の色と関連付けたことは驚きであり、その理由も不明確である。おそらく、優れた注釈者が直感してきたように、詩人は、このソネの最後で、「母音」を書きながら思い描いていた若い少女の目のすみれ色のオメガに読者を導く意図を持っていたのだろう。この解釈は、他の解釈への移行であり、扱われていることがらは、文字の形だけなのである。もし、自然にOがラッパを連想させるとしたら、詩人は若い少女の目のシンボルとしてオメガを用意したのだから、青ではない。単純な示唆とは言え、この疑問点にはまだはっきりした答えがない。

解読:門司 邦雄
掲載:2001年9月21日、2002年7月10日、2003年4月14日、2003年4月26日、2008年10月23日

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